┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ ROADandSKY vol.014 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━┛W.K.MONOLOGUE
‡1985(昭和60)年11月20日(水)はれ 今日も車で福井へ向う。高速道路左手には、雪を頂いた白山連邦がキラキラ輝いている。23日の長い列車移動に備えて、本屋に寄らねばと思いつき、福井市内に着いて3軒ばかり本屋を廻ってもらう。ロバート・B・パーカーの"失投"をやっと見つけ、新しく出来たばかりの福井フェニックスプラザへ入る。今月完成してコンサートとしては、あのポール・モーリアに続き2回目だということ。前の文化ホールにも色々想い出はあるけれど、設備的にも整っているこのホールの方がやはりずっと良さそうだ。開場前に楽屋でメンバーとミーティング。会館が新しくなると、観客まで上品になるというか、かしこまったりすることがあるけれど、福井の人達は変らず熱っぽくて、俺達もいいステージが出来たと思う。金沢に戻りメンバーのB型トリオプラス法田君と食事。骨酒を飲み、ぶりや山芋や大根鮨をつまむ。小雨がぱらつき晩秋の色が深い。
┏━━━━━━━━━━━━┓
②┃ Road&Sky vol.020 ┃
┗━━━━━━━━━━━━┛I MYSELF SAW IT
‡1986(昭和61)年11月20日(木)くもり 移動日。昨日からGBの取材でライターの関陽子さんとカメラマンの大川奨一郎さんが来ているので電車の時間を遅らせて青森で撮影をする。1時20分にロビーに集合してまず岸壁の倉庫街で撮り、2時には青森駅へ。青函連絡船とつながっているホームで、少し撮る。駅の構内で立食いのうどんを食べ2時35分の特急で盛岡へ、車内ではいつもの様にカセットと本。2時間半余りの旅の後、盛岡のホテルにチェックインしてからすぐ俺の部屋の撮影。県民会館で渡辺美里のコンサートがあるというので花を買って出かける。アンコールまで観てから食事に行く。ノースロード(主催者)の佐藤君がその店で財布を失くしたことに気付き大騒ぎ。(結局その財布は翌朝みつかったのだけれど…)ホテルに戻ってから、このまま寝るには今ひとつ寂しい気もしたのでバーで軽く飲む。
┏━━━━━━━━━━━━┓
③┃ Road&Sky vol.038 ┃
┗━━━━━━━━━━━━┛HIS WHITE OR BLUE NOTE
‡1989(平成元)年11月20日(月) はれ ベルリンの壁が実質的になくなって何日か経つ。新聞やTVのニュースは細かに見ているのだけどやはり国や民族が分断されているのは不自然な事だからとても良かったなと素直に思う。今年のというより'80年代のヒーローはゴルバチョフなのかもしれない。失脚したり暗殺されたりしないことを願う。そういえば今年は天安門の事件もあったりして対照的な出来事が起こったんだなぁと今更ながら考える。しかし民主化される、自由の幅が広がってゆくのは当然の事だけれど、云わゆる西側と同じ大量消費、金もうけ主義まで受け入れすぎないで欲しいなと思うのは身勝手だろうか。そうなれば地球の環境の悪化に拍車がかかるのは間違いない事だから…。
https://www.uta-net.com/song/102328/
***************************************************************
①https://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber014.html
②https://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber020.html
③https://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber038.html
***************************************************************
Top 20 Shogo HAMADA(浜田省吾) except Singles 1975-1982 https://youtu.be/BExSa6jAliU
Top 20 Shogo Hamada Songs (浜田省吾) https://youtu.be/dE4n4J8dmPQ
できそこないのラヴ・ロマンス
2011-09-26
サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
作者: J.D.サリンジャー,刈田元司,渥美昭夫
出版社/メーカー: 荒地出版社
発売日: 2000
できそこないのラヴ・ロマンス(原題:The Heart of a Broken Story)
J.D.サリンジャー 作
刈田元司・渥美昭夫 訳
昨日の記事に書いた浜省の「さよならゲーム」には、2種類のビデオ・クリップがある。
さよならゲーム(Good-bye to the game : La Ve-Lee Night Club Version)
さよならゲーム(Good-bye to the game : Extended Edition)
前者は、浜省がナイト・クラブで歌うシーンだけで構成されていて、後者は、あるショート・ストーリーの映像をメインに、浜省の歌うシーンが挿入される構成になっている。
このショート・ストーリーの元になったのが、J.D.サリンジャーの短編小説「できそこないのラヴ・ロマンス(原題:The Heart of a Broken Story)」だ。宣伝用のフライヤー(左の写真)の中にも、“浜省いわく「できそこないのラブ・ロマンス」というビデオ・クリップ”と書かれている。その年のライブ『ON THE ROAD '96 "The Tender Is The Night"』では、この映像のみの“CONCERT VISUAL”が、アンコールの「さよならゲーム」の演奏前に上映された。
僕はそれを見てすぐに、「あっ、これはサリンジャーの『途切れた物語の心』だ!」と思った。というのも、僕は19歳の時に、たまたま古本屋で見つけたサリンジャーの作品集を持っていたからだ。僕の持っている本は、東京白川書院から
1981(昭和56)年 7月25日に発行された第一刷だった(右の写真)。第1巻「若者たち」の4話目に収録されている「途切れた物語の心」の原題が "The Heart of a Broken Story" となっている。かなり直訳に近いタイトルだ。
どうやら、今手に入るのは、荒地出版社のサリンジャー選集の方らしい。試しに図書館から借りてきたものは、
1968(昭和43)年10月31日第1刷、
1995(平成七)年11月20日新装第5刷となっており、第2巻「若者たち<短編集1>」の4話目に「できそこないのラヴ・ロマンス」が収録されている。
なるほど、浜省が読んでいたのはこっちの可能性の方が高そうだ。
ちなみに、1982年のインタビュー記事で、浜省がこの物語について語っているので、引用したい。
「サリンジャーの『若者たち』という最初の短編集があって、その中にね、『できそこないのラブ・ロマンス』というのがあって。うだつの上がらない1人の男がバスに乗る。とそこにある女性が乗り込んできて、男はその女に恋をするんです。で、その男は女と知り合うために、女のバッグをひったくって逃げるんです。それで捕まって、女の住所を知って、監獄から手紙を書くんだけど。その手紙について、理想的なものをサリンジャーは考えてみるんだけど、結局ストーリーの方はそんな風にはならずに、男と女はすれ違ってしまう、というようなお話なんですね。つまり、歌って、その理想の手紙なんだと思うんですよね。現実には男も女も逢わないまま別のつまらない相手と結婚したりする。だから、この男がもしこういう風に言えたら、結ばれるんじゃないかな、というものを書いていければいいなと思うんです」
(『ロッキング・オン』82年7月号)
渋谷陽一・著 「青空のゆくえ──浜田省吾の軌跡」p.31
ビデオ・クリップのストーリー・テラーは、最後にこう結んでいる。
「この世の中でこんなにたくさんの男と女がいるのに
お互いに 本当の相手を見つけられる確立なんて
砂浜に落とした米粒を探し出すより 低いのさ」
そして、この物語は何事もなかったかのように、2人がバスを降り、違う方向に歩いて行くシーンで終わる。
現実の世界でも、街を歩いたり、バスや電車に乗ったりすると、意外と、ものすごく好みのタイプの異性とすれ違うことってありそうな気がする。でも、やっぱり常識をわきまえた普通の人は、何事もなく通り過ぎるしかないのも現実だったりする。そんな現実ゆえに、“できそこないのラヴ・ロマンス”となってしまったこの作品が、僕は結構好きだ。
『できそこないのラヴ・ロマンス』が元になっている「さよならゲーム」のビデオ・クリップ。
http://d.hatena.ne.jp/tk1968/20110926/1317050107
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ The History of Shogo Hamada "オリコン週間アルバムヒットチャートはNo.①"一蘭 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
通算01回 1986(昭和61)年 9月15日(月)『J.BOY』連続第1位第一週
通算02回 1986(昭和61)年 9月22日(月)『J.BOY』連続第1位第二週
通算03回 1986(昭和61)年 9月29日(月)『J.BOY』連続第1位第三週
通算04回 1986(昭和61)年10月 6日(月)『J.BOY』連続第1位第四週
通算05回 1986(昭和61)年10月27日(月)『J.BOY』※LP&TAPESチャート
通算06回 1987(昭和62)年 7月 6日(月)『CLUB SURFBOUND』通算第1位第一週
通算07回 1987(昭和62)年 7月20日(月)『CLUB SURFBOUND』通算第1位第二週
通算08回 1988(昭和63)年 3月28日(月)『FATHER'S SON』
通算09回 1989(平成元)年 9月11日(月)『Wasted Tears』通算第1位第一週
通算10回 1989(平成元)年 9月25日(月)『Wasted Tears』通算第1位第二週
通算11回 1993(平成五)年 9月 9日(月)『EDGE OF THE KNIFE』
通算12回 1993(平成五)年 9月20日(月)『その永遠の一秒に』
通算13回 1996(平成八)年11月25日(月)『青空の扉~THE DOOR FOR THE BLUE SKY~』
‡通算14回 2000(平成12)年11月20日(月)『The History of Shogo Hamada "Since1975"』
通算15回 2015(平成27)年 5月11日(月)『Journey of a Songwriter~旅するソングライター』連続第1位第一週
通算16回 2015(平成27)年 5月18日(月)『Journey of a Songwriter~旅するソングライター』連続第1位第二週
ヒットチャートはNo.① 1988映像◆https://youtu.be/9mAc-F2oGnE
ヒットチャートはNo.① 2011映像◆https://youtu.be/YS5v_DAXTzw
************************************************************
http://ja.wikipedia.org/wiki/The_History_of_Shogo_Hamada_%22Since1975%22
http://www.uta-net.com/song/9047/ http://www.ichiran.co.jp/index_hp.html
************************************************************
┏━━━━━━┓
┃ 板倉雅一 ┃1956(昭和31)年10月20日(土) 生誕
┗━━━━━━┛
┏━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 姉のこと 1968(昭和43)年 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━┛
2016(平成28)年02月26日(金)
ぼくには二人の姉がいます。長姉は以前歌手でした。そのあたりのことをお話したいと思います。
++++++++++++++++++++++++++++++++
ぼくの姉は「小栗アキ」という芸名で、
‡1968(昭和43)年11月に日本コロムビアの新興レーベルであるデノンレコードから「雨に別れて(作詞:有馬三恵子,作曲:鈴木淳)」という曲でデビューした。
有馬三恵子といえば、伊東ゆかり「小指の想い出」南沙織「17才」金井克子「他人の関係」等、数多くのヒット曲を手がける売れっ子作詞家、かたや鈴木淳は伊東ゆかり「小指の想い出」西田佐知子「恋なんてしたくない」等を手がけた新進気鋭の作曲家。
この作家コンビを起用したことからも、当時の小栗アキに対するメーカーの力の入れようが伺い知れる。
小栗アキは『デノンガール』というキャッチフレーズを貰って、結構華々しくデビューした(ような気がする)。
コロムビアも新興レーベルからのの第一弾ガール・シンガーということで、気合いが入っていたのをぼくも子供心ながらに感じていた。
写真◆デビュー曲「雨に別れて」のジャケット
写真◆二枚目のシングル盤「小麦色の恋人」
写真◆三枚目と四枚目「傷あとの消える日まで」「恋はながれて」
写真◆レーベルプロモーション用に配布されたレコード。
姉が出した曲のサウンドは、どれも当時流行っていたGS(グループ・サウンズ)と歌謡曲の中間のようなポップスで、ちょっと西田佐知子やいしだあゆみを彷彿とさせるような、ノンビブラートの唄い方がぼくは結構好きだった。
ちなみに1968(昭和43)年にデビューした主な歌手、グループは以下の通り。オックス、キングトーンズ、ヒデとロザンナ、ピンキーとキラーズ、
ザ・リガニーズ、篠 ヒロコ、あおい輝彦、和田アキ子 結局四枚のシングル盤を出したものの、どれもあまり売れずに何年後かに小栗アキは引退した。
姉が芸能活動をしていることは知っていたが、まだ小学生だったぼくにはそのあたりのことが今ひとつよく分からずに、姉の活動にあまり興味も無かった。
なので、当時姉がどのような活動をしていたのか実はよく知らない。一度か二度テレビで歌っている姉を観たことがあったが、その時も「ふ~ん、テレビに出れるんだ」ぐらいにしか思わなかった。
ぼくが中学生の頃、姉が京都のキャバレーだかクラブだかに長期で出演していることを知り、姉を訪ねるという口実の元、友達と京都旅行をしたことがある。
結局その時も姉には会わずに帰って来てしまった。全くもって薄情な弟である(笑)
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/02/1968.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
****************************************
44年前の今日、はっぴいえんどの名盤『風街ろまん』がリリース
2015年11月20日 執筆者:北中正和
もはや
愛することさえ難しい
この都市の
風景の中で
素敵な風に変身した
はっぴいえんどの
抒情が
限りなく痛む君の
傷口を貫く
引用したのは、はっぴいえんどの『風街ろまん』が発表されたとき、レコードの帯の上のほうに、この行分けどおりに書かれていた言葉だ。ぼくの持っている他のアナログ盤やCDにはこの言葉がないが、最近のCDではどうなのだろう。少し気負った言葉と、デビュー・アルバムにくらべて格段にポップな感覚を強めつつあった『風街ろまん』の音楽との距離が、いまとなっては、彼らが駆け抜けた時代の変化の速さを物語っているように思える。
この帯にはもうひとつ遊びがある。引用した言葉の下にメンバーの名前、グループ名、アルバム・タイトル、曲目が並んでいるが、いちばん下に小さな文字で2行、こう書いてある。
(注意)レコードをお買上げの後はただちにこの”タスキ”を破って捨てて下さい。
「この」が途中で切れるところが不思議だが、もしかしたら、彼らの歌の実験のように、言葉の区切りをわざと変えて書いたのだろうか。と、はっぴいえんどは、そんなことまで考えさせるようなバンドだった。
このように言われなくても、レコードの帯は破れやすくて捨ててしまう人が多い。ぼくの帯も下の部分が破れているが、捨てずにとっておいたから、こんな原稿を書いていられるわけだ。
”タスキ”付き『風街ろまん』写真提供:飲兵衛猿さん & G.Gさん
※画像をクリックすると”タスキ”が別フレームで表示されます。
『風街ろまん』がはっぴいえんどの傑作というのは、衆目の一致するところである。メンバーがいろんなところで語っている話によると、このアルバムのレコーディングのときは、松本隆の歌詞が先に書かれ、大滝詠一、鈴木茂、細野晴臣がそれぞれ曲をつけた。
それに対して、デビュー・アルバムのときは曲が先にできていたものもあった。そのちがいが歌作りにどう影響するかといえば、あくまでも一般論としてだが、歌詞が先にある方が、曲を作る人は言葉のイントネーションを意識する度合いが高まる。
デビュー・アルバムと『風街ろまん』を聞きくらべて、後者の歌のほうが圧倒的に耳になじみやすく感じられる理由は、メンバーの曲作りの腕が上がったからなのはもちろん、歌詞が先だったことにもよるのではないかと思う。
「抱きしめたい」「風をあつめて」「花いちもんめ」など、このアルバムで発表された歌の多くは、いまではスタンダードとしてうたいつがれている。作詞を大滝詠一が手がけた「颱風」のようにノヴェルティ・ソングの名作もある。
若い人は、マニアでもないかぎり、このアルバムの発表前に彼らの歌詞をめぐって論争が起こっていたことや、インディーズからの発売だったので、知る人ぞ知る存在にとどまっていたことなど、彼らをめぐる当時の物語についてはほとんど何も知らない。
そして、先入観なしにこの音楽を聞いて、時の変化の中で大事なものが失われていくことのせつなさや、それを記憶にとどめようとする強い意志を感じているのだろう。曲が時代をこえてスタンダード化するというのは、そういうことなのだ。
4人そろった顔ぶれで『風街ろまん』の全曲をいつかもう一度聞いてみたいという願いが叶わない夢と化したのは残念でならない。しかしこれからも秋の高い青空を見上げるたびに、ぼくはこのアルバムをすりきれるほど聞いた日々のことを思い出すだろう。
http://music-calendar.jp/2015112001