オノ・ヨーコ、リンゴ・スターへのナイト爵位授与を祝福「ついにその時が来た」
2018(平成30)年01月11日(木) 17:00 Elias Leight
オノ・ヨーコは、ナイト爵位を授与されるリンゴ・スターを祝福した(Photo by Michael Kovac/WireImage)オノ・ヨーコは、英国政府から個人としてナイト爵位を与えられることに決まったリンゴ・スターを祝福した。「ビートルズ・ファミリー全員にとって名誉なこと」とコメントした。
2018(平成30)年01月02日(火)、オノ・ヨーコは「音楽への貢献」に対してエリザベス女王よりナイト爵位を授与されることが決まったリンゴ・スターを祝福した。
「あなたが女王陛下から爵位を与えられることを、とてもうれしく思います」と彼女はTwitterに投稿した。「ついにそのときが来たのですね! 本当におめでとうございます。これはビートルズ・ファミリー全員にとって名誉なことです」
‡2017(平成29)年12月30日(土) オノの祝辞より前、ポール・マッカトニーもInstagramを通じて元バンド仲間を称賛した。「本当におめでとう、サー・リンゴ! “サー・リチャード・スターキー”は、何と素晴らしい響きだろうか。最高のドラマーで最高の仲間だ!」スターは、1965年にザ・ビートルズのメンバーとして勲章を受けている。
2017(平成29)年12月29日(金)、英国政府は、彼に個人としてナイト爵位を授与することを発表した。ちなみにマッカートニーは、1997年に個人でナイト爵位を受けている。「私が愛情を注いでいる音楽と慈善活動が認められ、評価されたことは名誉であり喜びでもある。ピース&ラヴ」と、スターは声明の中で述べている。ミュージシャンとしてはスターのほかに、ビージーズのバリー・ギブもナイト爵位を授与される。さらに、ソフト・セルのマーク・アーモンドも大英帝国四等勲位(OBE)を与えられる。
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/27928
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┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
┌─――――――――――――┐Front row <最前列>
54|Wax model of Sonny Liston|『Wikipedia』
54| ソニー・リストン |『discovermusic.jp』
└─――――――――――――┘Front row <最前列> ビートルズはフロリダ州マイアミで1964年2月、伝説的ボクサーのカシアス・クレイと一緒に写真を撮ったことが良く知られている。しかし、『Sgt. Pepper』のジャケットに登場しているのは、ソニー・リストンの蝋人形だ。クレイはビートルズと写真を撮った同月、リストンを破り、ヘヴィーウェイト級ボクシング・チャンピオンとなった。リストンはクレイに敗北を喫するまで、1962年から1964年までヘヴィーウェイト級のタイトルを保持していた。なお、クレイはこの後、モハメド・アリへと改名するヨ(=^◇^=)
1932(昭和七)年05月08日(sun) Born?
1930(昭和五)年07月22日(tue) Born? 実際には←もう少し年を取っていたのではないかと噂されているヨ(=^◇^=)
†1970(昭和45)年12月30日(wed) Died. 38 years old
東1964(昭和39)年02月26日(wed)『東亜日報』写真◆
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https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
‡https://en.wikipedia.org/wiki/Sonny_Liston
https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
東https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3.png
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音源◆The Beatles - Live At The Star☆Club, December 1962 https://youtu.be/eJbAMYcNxbE
The Star☆Club, Hamburg (Germany), December 1962 The Beatles at The Star Club concerts are the earliest known complete live concerts of The Beatles. The recordings were made by the Star-Club's stage manager Adrian Barber, during The Beatles' third and final residency at the venue. Barber used a 3?" per second Grundig home tape machine to record the group, with a single microphone placed at the front of the stage. Although commonly believed to have been recorded on New Year's Eve 1962, the songs were actually taped on more than one night during the residency, which took place from 18 to 31 December 1962. The Beatles' early booking agent, Allan Williams, claimed that around three hours of performances were recorded between Christmas and New Year's Day.
Track Listing:
01. I Saw Her Standing There [0:00]
02. I'm Going To Sit Down And Cry [2:36]
03. Roll Over Beethoven [5:20]
04. The Hippy Hippy Shake [7:34]
05. Sweet Little Sixteen [9:21]
06. Lend Me Your Comb [12:06]
07. Your Feet's Too Big [13:55]
08. Where Have You Been All My Life [16:15]
09. Twist And Shout [18:01]
10. Mr. Moonlight [20:05]
11. A Taste Of Honey [22:29]
12. Besame Mucho [24:25]
13. Everybody's Trying To Be My Baby [26:34]
14. Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey! [29:33]
15. Nothin' Shakin' (But the Leaves on the Trees) [32:05]
16. To Know Her Is To Love Her [33:33]
17. Little Queenie [36:47]
18. Falling In Love Again [40:51]
19. Sheila [42:53]
20. Be-Bop-A-Lula [44:55]
21. Hallelujah, I Love Her So [47:22]
22. Ask Me Why [49:31]
23. Red Sails In The Sunset [52:08]
24. Matchbox [54:55]
25. I'm Talking About You [57:39]
26. Shimmy Like Kate [59:40]
27. Long Tall Sally [1:01:56]
28. I Remember You [1:03:43]
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┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年12月30日(土) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜) /リヴァプール
②1962(昭和37)年12月30日(日) ライヴ演奏:スタークラブ/ハンブルグ (12日目)
ビートルズのドイツ・ハンブルグへの遠征は5回目、そしてこれが最後のものとなる。過去においては1960年8月~11月にインドラ・クラブ (Indra Club) とカイザーケラー (Kaiserkeller)、1961年4月~6月にトップ・テン・クラブ (Top Ten Club)、1962年4月~5月と11月にスター☆クラブ (Star-Club) に出演していた。スター☆クラブはドイツ・ハンブルグのセント・パウリ (St. Pauli) 区のグローセ・フライハイト (Grosse Freiheito) 39番に、
1962(昭和37)年04月13日(金)に開店している。カイザーケラー (Kaiserkeller) で用心棒を努め、後にトップ・テン・クラブ (Top Ten Club) に引抜かれたホルスト・ファッシャー (Horst Fascher) が、マンフレッド・ヴァイスリーダー (Manfred Weissleder) と共同経営者で、ホルストとビートルズは親友であった。
1962(昭和37)年12月31日(火)までのこの滞在中、クリスマスの夜を除く13日間で演奏時間は延べ39時間となった。彼らは1周間一人当たり750ドイツマルク (67ポンド) の報酬を受け取った。
1962(昭和37)年12月までにビートルズのイギリスでの業績は確実に上昇の波に乗っていた。彼らのデビューシングル『Love Me Do』はヒットチャートで好成績を上げ、それに続く2枚目のシングル『Please Please Me』もすでにレコーディングを完了していた。またブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) のマネージメントは、長い間欠けていたプロ気質を彼らに与えた。彼らのイギリスでの評判が急速に高まっていたため、彼らはこの契約義務の履行に気が乗っていなかった。故郷では自曲をヒットチャートに乗せ、ライヴショーでの名声、TVやラジオ番組への出演などを彼らはを楽しんでいたのであった。彼らがハンブルグやその人々に対して持っている親愛にもかからわず、今やこの町が彼らのキャリアに貢献できることはほとんど無くなっていたのである。このドイツ滞在中に録音されたビートルズの演奏が、1977(昭和52)年に2枚組の『Live! at the Star-Club in Hamburg, Germany; 1962』でリリースされている。これはスター・クラブのステージマネージャー、エイドリアン・バーバー (Adrian barber) が、ミュージシャンのテッド・キングサイズ・テイラー (Ted 'Kingsize' Taylor) の要請により録音したものである。バーバーはグルンディッヒ (Grundig) の家庭用オープンリール・テープレコーダーと1本のマイクを使った。一般的には
1962(昭和37)年12月31日(火)の演奏の録音と受け止められているが、クリスマスから大晦日にかけての複数日の録音が混在している可能性が高いという。
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①http://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
②http://gejirin.com/beatles/history/1962/19621218-2_live_StarClub.html
②写真集◆http://gejirin.com/beatles/history/1962/19621231_Hamburg_photos1.html
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┃ THE BEATLES HISTORY ┃|December 30|364
┃ ザ・ビートルズの今日の出来事 ┃|12月30日|
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1960(昭和3)年12月30日(金) ゴタゴタ続きだった初のハンブルグ巡業を終えたビートルズ。地元リヴァプールで再始動。ベースはポールと同じ誕生日&レフティのチャス・ニュービー。
1963(昭和3)年12月30日(月) ブライアン・エプスタイン企画・主催の「ビートルズ・クリスマス・ショー」の5日目の公演がロンドンのアストリア・シネマで開催される。コメディ、パントマイム等のパフォーマンス、演奏と様々な要素で観客を楽しませた。演奏コーナーでのセットリスト、「Roll Over Beethoven」「All My Loving」「This Boy」「I Wanna Be Your Man」「She Loves You」「Till There Was You」「I Want To Hold Your Hand」「Money (That's What I Want)」「Twist And Shout」。12月24日から1月11日まで行われたステージ出演者は、ほとんどがNEMSエンタープライズ所属アーティストで、チケット10万枚は完売。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17232
http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/012/1230.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15601504.html
http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
楽曲資料https://beatlesdata.info/
歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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このライブ盤の録られたステージは 1962年12月31日とされていたが、
その後の調査で62年12月25日~31日のうちの3ステージからのテイクを寄せ集めたものであることが明らかになった
http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb17.html
┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる 朝日文庫
┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛ 2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡No.02 P.019 1962年01月01日「歴史的な落選の内幕」◎デッカ・レコードのオーディション日◎
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┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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|1962(昭和37)年 1月 1日(月)|「歴史的な落選の内幕」
|2008(平成20)年12月30日(火)|甲虫日記更新日 No.039
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1962年1月1日、ビートルズはデッカ・レコードのオーディションを受けた。しかし、あえなく落選した。
ジョンは率直に語る。
「これで終わりだなって、その時はほんとに思ったよ。ここまでだって」当時、デッカのA&R(アーティスト&レパートリー)部長だったディック・ロウは、「ビートルズはあまりにもシャドウズに音が似ている。『ギター・バンドの時代になる』という意見もどうかと思います」とブライアン・エプスタインに落選の理由をつきつけた。
デッカは大魚を逃した。後にローリング・ストーンズと契約を交わして必死の挽回(ばんかい)に努めるディック・ロウは、オーディションを見たわけでも、テープを聴いたわけでもなく、人生最大となる失敗の断を下していた。
オーディションの実現には、ブライアンの存在と働きかけがあった。彼が経営するNEMS(North End Music Store)は、デッカの販売部門にとって英国北西部で最大の顧客だった。ブライアンが、自らマネジャーを務めるバンドのレコーディング契約を探している、という情報をデッカは無視できなかった。
だが、ディックにとっては、クリスマス休暇を控えた繁忙期に200マイル(320キロ)も離れた港町に足を運ぶ気にはなれなかった。アシスタントのマイク・スミスに代役を命じた。
1961(昭和36)年12月13日(水)、キャバーン・クラブでビートルズの演奏を聴いたマイクは、力強い演奏と地元ファンの熱狂ぶりにとても興奮した。すぐにオーディションを設定しようとブライアンに申し出た。
大みそかは悪天候に見舞われた。ニール・アスピノールが運転するバンに乗り込んだ一行は、途中で猛吹雪に遭う。バンが路上を滑るたび、機材に囲まれながら座っていた4人は、ギター・ケースとアンプがぶつかり合って壊れないように必死に押さえた。
ようやくロンドン北部までたどり着いたところで、今度は道に迷った。普段の倍の10時間もかかってホテルに着いた。ひどく腹が減ったが金もなくスープすら飲めない。仕方なくスコッチ&コークで前祝いをした。
元旦の午前11時。ブライアンの記録によれば、マイクはオーディションの約束の時間に遅刻した。「非常に不愉快な気分だった。どうでもいいように扱われていると感じた」
マイクは、大みそかに飲んだ酒のせいで二日酔いだった。ディックがクリスマスから新年にかけて休暇をとるため、その間、新人バンドのオーディションはマイクに任せられていた。
スタジオの赤いライトが点灯した。ビートルズは緊張していた。気負いがあった。キャバーンで演奏するときのようなグルーヴ感はうまれなかった。ジョンやポールのボーカルに力強さもなかった。
マイクは失望した。リバプールで聴いた高い演奏水準とは比べものにならなかった。「スタジオでの彼らはちっとも良いところがなく、個性も感じられなかった。きっと雰囲気にのまれてしまったのだ」
選曲のまずさもあったのかも知れない。「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」などオリジナル3曲を含む15曲は、ビートルズの多様性を示すためブライアンが慎重に選んだものだった。だが、マイクは数十年たった後も「オリジナル3曲のうち気に入ったのは1曲だけ」と評価を変えていない。
オーディションが終わると、マイクは次のバンドの開始時刻をまわってしまったからと、メンバーをせかせてスタジオの外へ出した。そのバンドはブライアン・プール&ザ・トレメローズだった。
1962(昭和37)年1月27日(土)付の『リバプール・エコー』誌に短い記事が載った。「デッカのプロデューサーであるマイク・スミスは、ビートルズはすごいバンドだと筆者に語った。30分以上に及ぶオーディションの模様をテープに録音しており、デッカのレーベルからぜひともデビューさせたいということである」
マイクは、ビートルズとブライアン・プール&ザ・トレメローズの両方を合格させたいと考えていた。
ところが、ディックはマイクが持ち込んだオーディションのテープも聴かず、両方は契約できないと言った。二つではなく一つ。単に数の問題だった。
「経験豊富な彼が、どちらを良いと判断するか知りたかったが、彼は何も意見を言わなかった。ディックは私に『君が決めろ』と言った。あとになってディックは、ビートルズがシャドウズに似ていたので契約を交わさなかったと発言したが、まったくおかしな話だ……歌も聴いていないのに」
不合格の知らせは2月初めに届いた。「シャドウズに似ている」という理由に釈然としないブライアンは、デッカ本社まで押しかけた。
丁寧さを装いつつも高慢な態度でディックは突き返した。
「ビートルズは成功しませんよ。エプスタインさん。我々にはわかるんです。あなたはリバプールで立派なレコード店を経営していらっしゃる。なにがご不満なのですか」
冷静さを失ったブライアンはこう言い放った。
「この子たちは今に爆発的な成功を収めますよ。いずれエルビス・プレスリーより大物になると断言します」
◎『この日のビートルズ』の次回は、1月19日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
◎お知らせ「ザ・ビートルズ アンソロジー」は、未発表音源などを集めた2枚組3セットのアルバム。アンソロジー1では、ごく初期段階のオリジナル作品やデビュー前の音源を聞くことができ、デッカ・レコードのオーディションに応募したオーディション・テープから「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」「ハロー・リトル・ガール」のオリジナル曲を含む5曲が収録されている。
ザ・ビートルズ・アンソロジー1 1995年11月21日 EMIミュージック・ジャパン
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https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/081230.html
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DISC THREE
30 December 1962
1. Roadrunner 1'49''
2. The Hippy Hippy Shake 2'01''
3. A Taste Of Honey 1'21''
4. Money 3'56''
5. Reminiscing 2'01''
6. Ask Me Why 2'29''
7. I Saw Her Standing There 3'13''
THE DOMINOES:
8. Ramshackle Shack 2'08''
9. Loversick Blues 2'45''
10. First Taste Of Love 2'09''
KING SIZE TAYLOR:
11. Dizzy Miss Lizzy 3'02''
BONUS TRACKS
MANFRED WEISSLEDER:
12. New Year's Day intro (31 December 1962) 0'23''
THE REBEL ROUSERS:
13. Hully Gully (date unknown) 1'39''
http://faab.fc2web.com/bbb/batz/batz005355.html
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┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(sat)30 December 1961 Liverpool, England, The Cavern Club ※THE END. Live 1961
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┃ THE BEATLES Live 1962 ┃
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‡(sun)30 December 1962 Hamburg, Germany, Star-Club ?(18~31 December 1962)
写真◆http://gejirin.com/beatles/history/1962/19621231_Hamburg_photos1.html
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┃ BRIAN EPSTEIN Presents 1963 ┃
┃ THE BEATLES Christmas Shows ┃
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‡No.07 (mon)30 December 1963 London, England, Finsbury Park Astoria Theatre (05)
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┃ THE BEATLES 1964 Christmas Shows ┃Another Beatles Christmas Show
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ LAST CHRISTMAS SHOWS
‡No.06 (wed)30 December 1964 London, England, Hammersmith Odeon (6)
♪I FEEL FINE♪映像◆The Beatles at Hammersmith Odeon, London Christmas Day in 1964 https://youtu.be/FSCwPIn2Bbk
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https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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参考パンフ■https://www.tracks.co.uk/product/b24472-the-beatles-19631964-christmas-show-programme-uk/
参考パンフ■https://www.tracks.co.uk/product/b23624-the-beatles-19631964-christmas-show-programme-uk/
参考パンフ■https://www.tracks.co.uk/product/b23788-the-beatles-19631964-christmas-show-programme-uk/
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┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Studio 2
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①┃ ♪When I'm Sixty-Four♪ ┃remix 8, from take 4
┗━━━━━━━━━━━━━━┛No.4 ■レコラス(ト)■ポールはミックスダウンの段階でスピードを早める事を提案(若い頃に作った曲なので、声を若くする意図があった。しかしテンポもあがりキーも半音上がった)もともとこの曲はキーCで録音されているのに、レコードでは半音高いC#になっている
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┛ THE BEATLES 1967 Tape copying ┛Studio 2
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②┃ ♪Strawberry Fields Forever♪ ┃of remix mono 12
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┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 2
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③┃ ♪Penny Lane♪ ┃tape reduction take 6 into take 7, overdub onto take 7
┗━━━━━━━━━┛No.02 アビイ・ロード第2スタジオ。 前日の第6テイクをリダクションして第7テイクを作成。ポールのヴォーカルとジョンのバックボーカルを回転を下げて録音。 余談だが、この日は「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」が仕上がっている。1966年はこの作業がビートルズ最後の仕事となった。
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┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Studio 2
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③┃ ♪Penny Lane♪ ┃remixes 1, 2, from take 7
┗━━━━━━━━━┛No.02 アビイ・ロード第2スタジオ。 前日の第6テイクをリダクションして第7テイクを作成。ポールのヴォーカルとジョンのバックボーカルを回転を下げて録音。 余談だが、この日は「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」が仕上がっている。1966年はこの作業がビートルズ最後の仕事となった。
Remix of ♪When I'm Sixty-Four♪ speeding up the tape.
Copy of "Strawberry Fields Forever" for the US
Producer: George Martin
Engineer: Geoff Emerick
2nd Engineer: Phil McDonald
‡1966(昭和41)年12月30日(fri)
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①https://beatlesdata.info/8/09_whenimsixtyfour.html
①https://en.wikipedia.org/wiki/When_I%27m_Sixty-Four
②https://beatlesdata.info/9/08_strawberryfieldsforever.html
②https://en.wikipedia.org/wiki/Strawberry_Fields_Forever
③https://beatlesdata.info/9/09_pennylane.html
③https://en.wikipedia.org/wiki/Penny_Lane
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┃ ビートルズの解散問題 Break-up of the Beatles ┃
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‡1970(昭和44)年12月30日(水) ロンドン高等裁判所にアップル社と他の3人のメンバーを被告として、ビートルズの解散とアップル社における共同経営関係の解消を求める訴えを起こした。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E8%A7%A3%E6%95%A3%E5%95%8F%E9%A1%8C
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一時はビートルズ人気を追い抜かんばかりの勢いだったザ・モンキーズ。12月30日はそのヴォーカリスト、デイヴィー・ジョーンズの誕生日
2016年12月30日 執筆者:木村ユタカ
“ビートルズっぽい架空のロック・バンドを主人公にした連続TVコメディ番組”
そんな発想のもとに誕生したグループがモンキーズだった。仕掛けたのは、コロンビア・ピクチャーズとスクリーン・ジェムズのTV部門。そして、音楽面の責任者に任命されたのは、1960年代前半にニール・セダカやキャロル・キング、バリー・マンといったソングライターをかかえてアメリカン・ポップス黄金期を築いたアルドン音楽出版のオーナー、ドン・カーシュナーで、いま風にいえば“音楽とTV番組のメディア・ミックス”により、大敵ビートルズを打ち負かそう、というわけだ。
プロジェクトの始動は、65年9月にロサンジェルスの『デイリー・ヴァラエティ』誌に掲載されたメンバー募集広告だった。募集人員4人に対して437人が応募。そのなかにはスティーヴン・スティルスやヴァン・ダイク・パークス、ポール・ウィリアムズもいたという。やがて最終審査を経て決定したのは、デイヴィー・ジョーンズ、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トーク、そしてマイク・ネスミス。彼らは素人ではなく、それぞれミュージシャンやタレントとしての活動歴があったが、ソロ歌手としてアルバムを出して全米ホット100に入るシングル・ヒットも持っていたのはデイヴィー・ジョーンズだけだった。
1945年12月30日、イギリスのマンチェスターに生まれたデイヴィー・ジョーンズは、ミュージカル『オリバー!』のロンドン公演に出演したことで注目され、その後はニューヨークの舞台にも立つなど、役者としてキャリアを積んでいた。ルックスの良さもあり、徐々にアイドル的な人気が出はじめた65年、デイヴィーはコロンビア・ピクチャーズ傘下のコルピックス・レーベルから歌手デビューを飾り、アルバム『デイヴィッド・ジョーンズ』をリリース。ここからシングル・カットされた「ホワット・アー・ウィー・ゴーイング・トゥ・ドゥ」は全米93位まで上昇した。
このアルバムは2014年に日本で再発されたので、興味のある方はぜひ聴いていただきたい。彼のキャリアを反映したミュージカル風ナンバーから、時流に乗ったフォーク・ロックやメロディアスなポップスまでを、初々しい歌声で披露している、なかなかの内容であったが、アルバム・リリース後、ほどなくしてコルピックスは閉鎖されてしまい、コロンビアはスクリーン・ジェムズと共同で新レーベル、コルジェムズを設立。これがモンキーズを世に送り出したレーベルということになる。
コルピックスからアルバムを出し、ヒット曲もあって、しかもアイドル人気もあったデイヴィーを、コロンビア・ピクチャーズやスクリーン・ジェムズのスタッフが、果たして見過ごすだろうか? デイヴィー・ジョーンズのモンキーズ加入は、なかば既定路線だったような気もするが、そんな彼の歩みは、アイドル・ポップの時代からビート・ポップスの時代へという米国ポップ・ミュージック・シーンの変遷を、まさに体現していたといえるだろう。
66年9月、『ザ・モンキーズ』のTVシリーズがスタートして、デビュー・シングル「恋の終列車」は見事全米ナンバーワンを獲得。一時はビートルズ人気を追い抜かんばかりの勢いで走り出した一大プロジェクトの中央には、女の子たちからひときわ黄色い歓声を浴びるデイヴィーの爽やかな笑顔があった。
≪著者略歴≫木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。
http://music-calendar.jp/2016123001
限定公開映像◆2019年ビートルズ友の会 名古屋場所忘年会https://youtu.be/7GHaH-To5Hg
2022(令和四)年12月27日
‡2019(令和元)年12月30日 名古屋場所忘年会の様子 June Konoさんと丸橋修二さんの投稿から