過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のトシちゃん誕生おめでとうございますだヨ(=^◇^=)☆\(=^◇^=)/☆

 

「相変わらず脚が上がっている!」低迷期もあったけど…田原俊彦60歳は今もキレッキレだった
 2021(令和三)年07月02日(火) 17:10 田中 稲 
 田原俊彦、トシちゃんが今年で還暦。6月21日でレコードデビュー42年目に突入した。
 トシちゃん60歳なのか! 数字的にはそうなのだが、トシちゃんのオーラは相変わらず「アイドル」で、私も乙女だったあの頃に一気に引っ張り戻される。「心はティーン」になるのである。
■相変わらず脚が上がっている!■少し前になるが、2月27日(土)、BSプレミアムで放送された「田原俊彦“還暦前夜!”スぺシャルワンマンライブ」を観た。チャンネルをあちこち変えているうち、偶然歌っているトシちゃんが映ったのだが、「おお、相変わらず脚が上がっている!」と前のめりになった。リモコンを持ったまま、華麗なパフォーマンスに釘付け。ダンスはキレッキレのまま、甘い歌声は昔より力強くなっている。そしてなによりトシちゃん、なんと楽しそうなのか!
 写真◆2019年のデビュー40周年ライブ c文藝春秋c 文春オンライン 2019年のデビュー40周年ライブ c文藝春秋
■「カッコいい……」■自然に声が出た。紆余曲折がありながら、見事なまでに「トシちゃん」を続けていた田原俊彦のプライドを目の当たりにし、感動してしまった。
■1980年から吹き荒れた“たのきん旋風”■田原俊彦が最初に注目されたのは、1979年に放送されたドラマ「3年B組金八先生 第一シリーズ」の沢村正治役。私は山田麗子役の三原順子(現:三原じゅん子)さんのファンだったが、トシちゃんと順子さんだけとびぬけて大人びていて、ドキドキしたのを覚えている。このドラマで人気が出た同じジャニーズ事務所所属の近藤真彦、野村義男の3人で結成されたのが「たのきんトリオ」。1980年から吹き荒れたたのきん旋風は本当に凄まじかった。私の周りは、姉を筆頭にトシちゃんファンが多かった。姉はシングル、アルバムすべてを買い揃え、バックで華麗な踊りを披露していたジャパニーズ(ジャPAニーズ)の4人のチェックもかかさなかった。また、ある同級生は習字の自由練習で何枚も「田原俊彦」と書き、それが素晴らしく達筆で、先生を驚かせていた。たのきん映画はもはや「観に行くのが当たり前」。公開されたら迷いなく足を運んでいた。ストーリーがサッパリわからなくとも、大画面で3人が映ればOK! 実際、今思い出そうとしても、どれ一つとして詳しいストーリーが思い出せない。アイドル映画はそれでいい。
■田原俊彦の歌声には青春が詰まっている■たのきんトリオの個性が際立ったのは、ドラマや映画より「音楽」だろう。近藤真彦は語尾を強めに歌うクセも含め、男らしく白黒はっきり、ケジメな世界観。野村義男率いるバンドThe Good-Byeはリズムと言葉遊びがとにかく粋。聴いていて男子校の恋バナが聞こえてくるような楽しさがあった。そして、田原俊彦の歌はウキウキと哀愁のバランスがたまらない! 舌足らずで、語尾も音程も緩やかにバウンドする。雲に乗っているように、ふんわりと揺れるのだ。そこから広がる空気の色はまさにパステルカラー。初恋の次、人生で2番目くらいの恋のトキメキと不安を同時に感じられて、胸がウズウズする。母性本能が爆発する「ハッとして!Good」「ブギ浮きI LOVE YOU」の多幸感、「悲しみTOOヤング」の切なさ。田原俊彦の甘え声は、青春が詰まっている。きっと彼の歌を誰がカバーしても、物足りなく感じるだろう。
■ジャニー喜多川の提案■田原俊彦の歌の世界を美しく彩ったのが、当時ポニーキャニオンの音楽制作プロデューサーだった羽島亨氏だ。羽島氏の著書『ヒット曲は発明だ!』(ポニーキャニオン音楽出版)に書かれた制作秘話はとても興味深い。田原俊彦の楽曲制作の重要なキーになったのは、なんと1977年にアメリカで大ヒットした映画「サタデー・ナイト・フィーバー」!映画のサントラも驚異的な売り上げを記録。楽曲提供をしたビー・ジーズも一躍人気者となり、アメリカではメロディアスなディスコ・ミュージックが注目されるようになっていった。 80年代、日本でもディスコ・ブームが来る……! この流れを察知したジャニー喜多川氏が、その先駆けとしてデビューさせたのが田原俊彦だったという。 選ばれた勝負曲がレイフ・ギャレットの「New York City Nights」。このカバーアレンジをジャニー喜多川氏から提案された羽島氏。そのときの反応は、読んでいるだけでも胸が熱くなる。タイムマシンがあったなら、その場に飛んで柱の影から見守りたいくらいに!〈ジャニー喜多川さんから「こんなサウンドにできる?」と言われたとき、「もちろん!」と胸を張って答えたことを懐かしく思い出します。洋楽の影響を大きく受けていた私にとって、レイフのサウンドはビー・ジーズのダンスミュージックと同じルーツを持っていると感じていました。それまでの歌謡曲的なポップスとは違うものが作れる、こんなチャンスはないと、制作意欲を刺激された瞬間でした。――『ヒット曲は発明だ!』より引用〉「もちろん!」と胸を張る――。こうしてできたのが「哀愁でいと」だ。新たなブームを仕掛ける自信とワクワクが伝わってくる一節ではないか。スターと名曲が生まれる瞬間は、裏側もエキサイティングだ!
■アイドルポップスの中でも屈指の名曲は……■田原俊彦の数多あるヒット曲のなかでも、特筆したいのが1984年の「チャールストンにはまだ早い」(作詞・作曲:宮下智、編曲:大谷和夫)である。彼の声質、得意な音域、明るくユーモア溢れる個性、そして粋なダンディズムという魅力がすべて詰め込まれている。歌だけでなく、間奏のダンス、そして「フォー!」「ハッ」「カモーン!」と途中で入るシャウトも素晴らしいので、ぜひライブ動画で楽しんでほしい。聴いて良し、観て良し。歌詞もメロディも演奏もパフォーマンスが一つの渦になって、大きなオーラが出るイメージだ。すべての噛み合わせが抜群に上手くいき、3分くらいで一つのミュージカルを観たような気になれる曲が稀にあるが、「チャールストンにはまだ早い」はまさにそれ。80年代のアイドルポップスの中でも屈指の名曲だと思う。田原俊彦は1985年あたりからの模索期を乗り越え、1988年には「抱きしめてTONIGHT」が大ヒット。その後、「ごめんよ涙」「ジャングルJungle」「雨が叫んでる」とスタイリッシュな名曲を連発し、再びトップスターの座についた。しかし1994年、事務所移籍、そして長女誕生記者会見での「僕くらいビッグになると……」発言で炎上。しばらくの間、テレビから姿を消すことになる。しかし実は田原俊彦が「真のアイドル性」を発揮するのはここからだった。
■シングルは今年で77枚目!■毎年のようにライブツアーを行い、シングルを発売し、それをずっと継続させていたのである。シングルはなんと今年で77枚目!積み重ねは成長と輝きを生み、再び実りをつける。今年8月18日には「哀愁でいと」から新曲の「HA-HA-HAPPY」まで全曲を、レーベルの枠を超え収めた初のオールタイムベストが発売される。冒頭に記した2月の還暦ライブも、放送後「トシちゃん」がトレンドで上がるなど、注目度は確実に上がっている。これはもう単純にすごい。応援を続けたファンと共に出した大きな結果である。
■低迷期もブレなかった「トシちゃん」像■新曲「HA-HA-HAPPY」(作詞:岩里祐穂、作曲:岩田秀総・永野大輔)には、こんな歌詞がある。
「しぶとく恋せ乙女ら」「キミがいるだけで最高」。指でハートマークを作り、満面の笑顔で歌うトシちゃん。どんなときでもファンとコール&レスポンスを続けた彼が歌うと、ものすごい説得力がある。自分が作り上げた「田原俊彦」の輝きを信じる。そして応援するファンの笑顔と歓声に応える。これを絶頂期も低迷期もブレないまま続けて42年。流れる水は腐らない。トシちゃんのアイドル人生はその証明である。
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E7%9B%B8%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%82%89%E3%81%9A%E8%84%9A%E3%81%8C%E4%B8%8A%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B-%E4%BD%8E%E8%BF%B7%E6%9C%9F%E3%82%82%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%A9-%E7%94%B0%E5%8E%9F%E4%BF%8A%E5%BD%A660%E6%AD%B3%E3%81%AF%E4%BB%8A%E3%82%82%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F/ar-AALGTOF?ocid=msedgntp

 

 省吾vsトシちゃん in 1987
 https://mobile.twitter.com/aaaaa_011112/status/935885771088658432
 1987年5月号『Cancam』田原俊彦×浜田省吾 興味深い対談ですね
 https://twitter.com/wingsiu339/status/1347195567466635264

 田原俊彦の生い立ちが涙なくしては語れないほどスゴかった!
 2019.03.05 
 関連記事:田原俊彦の娘が乃木坂46の超有名な子とこんな争いをしていたなんて!
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 https://wadai7.com/archives/4242

 CM出演にチケット売り切れも 田原俊彦はなぜ復活できたのか
 2016-07 1726 Views 
 1.キャッシーさん  2016-07 20年以上干されても、全く腐らずに、毎年地道にシングルを出し、LIVEをやってきたから。歌もダンスも体型維持もかなりの努力があると思う。 
 2.名無しさん  2016-07 ずっとぶれずに「職業 田原俊彦」を続けてきたからです。デビューした頃から彼のエンターテイナーとしての自覚や目指すべき道は全く変わっていません。トシちゃんは、もう2度と出て来ないすばらしい逸材だと思っています!!信じてついてきて良かったと思っています。 
 3.ラララさん  2016-07 トシちゃんがファンを信じてくれたしファンはトシちゃんを信じた。毎年変わることなく歌って踊って永遠のアイドル。それもピンで。似たようなグループはもう大人が飽きたんじゃない?結婚しても家族ごとファンは応援した。トシちゃんを支えてくれた奥様にも感謝して今は更に娘の可南子ちゃんの活躍も応援しているというトシちゃんを取り巻く環境が素晴らしい。 
 4.名無しさん  2016-07 ブレないハート 
 5.名無しさん  2016-07 20年ぶりに見ても、心を掴み、夢中にさせてしまう魅力。懐かしい~だけじゃ終わらせないのは、年月経てもトシちゃんのステージ始まると、時計の針を瞬時に戻してしまうから。それにはトシちゃん本人が想像を絶する努力をしているからだと思います。例えば失礼ながら80年代の双璧を成した聖子ちゃんが昔の歌を歌っても、時計の針は戻せないんです。今の彼女は彼女で素敵だけど、歌い方が当時と変わってしまったり、高音が出なくなっていたり。でも田原俊彦はそうじゃない。今のステージ見れば分かるけど、当時と同じキーで同じようにダンスしながら歌ってくれる。しかも、当時揶揄された歌唱力は明らかに向上してる。高い声は加齢と共に出なくなるのが普通なんだろうけど、トシちゃん、凄く出るしビブラートしっかりきかせながら、歌いあげる。プラスして、あの動き。これは、田原俊彦がずっと歌いながら手を抜くことなく激しくダンスをしてきたから。肺活量、腹筋ともに、それに耐えうるだけの強靭さがあるからだと思います。こんな姿を見てしまうと、テレビ番組でグループで口パクで涼しげな顔してポーズ決められても、もう白けてしまうんですよ。やっぱりトシちゃんはすごいなと改めて感じるだけで。結局、彼を超える存在、ピンで勝負できる逸材は出てこられないですよね。ステージで魅せられて感動させてナンボのはずのジャニーズにいる若造たちは、バラエティでワイワイやる方が本職のよう。芸人と区別がつかない。あの世界で、本気で生き残って行きたいなら田原俊彦のステージこそ見ないとダメですよね。ジャニーズのトップ(笑)とか言ってる人には、見せられないものをトシちゃんはその背中で見せてくれるはず。まぁ、それでも田原俊彦を超える存在は出てこないでしょうね。永遠のスーパーアイドルは田原俊彦以外にはいません。 
 6.名無しさん  2016-07 なぜ、復活できたのか?そんなのステージ見れば一目瞭然でしょ。テレビに出ないと何やってるの?と勝ち誇ったように言ったりするアホが大勢いるけど、イマドキテレビなんてコンテンツは隅に追いやられてる。テレビの画面に出てくる人見りゃ分かるが、吉本のお笑い芸人ばかり。そこにお笑い芸人と化したジャニーズの不細工な若い奴らが加わってクオリティの低いもの見せてるだけ。そりゃ視聴率なんて取れやしないよ。そのテレビから干されたとされてるトシちゃんは、だからこそ本物のエンターテイメントを追求し、今、それが再評価に繋がってるだけでしょう。そして、その姿を見た人はやっぱりトシちゃん、いいよなあって戻って行く。これ、凄いことだよね。常にテレビで見てるわけじゃない、何十年も経ってるのに見ると惹きつけられちゃうって。彼のステージはとにかく興奮させるからね。トシちゃんを絶対に評価しない奴らもいるとは思うが、そんな奴らでもトシちゃんがたまにテレビで歌ってると見ちゃうんじゃないかと思う。文句言いながら・・・そういう存在。トシちゃんを見て育ってきた世代は、やっぱりトシちゃんが好きで気になって仕方ないんだよね。それが永遠のアイドルの証。格が違うんだよ。嵐とか、名前知らないけど今時のジャニーズの奴らとは。50代になってファンに復活させる底力・・・こんな人、そうはいないと思う。 
 7.名無しさん  2016-08 本物だから。素晴らしい!かっこいい!ダイナマイトサバイバル! 
 8.ジャニズンさん  2018-11 今のトップアーティストでもこのクオリティでダンスと生歌ができる人いるのかな。ダンスはキレキレ、近年は歌もほぼ外さない印象。しかも50代っすよ?!もっと評価されていいと思う。そして三浦大知みたいに、若い世代にもこういう人が増えて欲しい。 
 CM出演にチケット売り切れも 田原俊彦はなぜ復活できたのかについてあなたが思ったことを入力して、「クチコミを投稿」ボタンを押してください。 
 http://www.gourpedia.com/light/news/?id=cce0467960d3493bbc0b93d825689ea8

浜田省吾が語る田原俊彦【前編】
2011-11-18 21:21:21
テーマ:浜田省吾「明星」「平凡」掲載録
明星 1987年1月号 田原俊彦俺が愛した男たち
この3人が、いま田原俊彦に多大な影響を及ぼしつつある男である。彼らが語る田原俊彦とは???
「壮介(映画「最後の楽園」でのトシの役名)、チョコレート食ってる顔がかわいいんだ。こんな男、珍しいよ。信じられない。」 黒崎 輝 
「田原君も、自分で曲作り始めてごらんよ。絶対違う世界が見えてくる。」 浜田省吾 
「トシに会って、わかったね。すごいわけよ、エライわけよ、アイドルって!」 宇崎竜童
☆とっちゃんメモ★ 
さぁ、みな浜!
ブログテーマ=『浜田省吾「明星」「平凡」掲載録』ひとまずの最終回に相応しいビッグな企画でしょ? (^m^)
当時のトップアイドルの田原俊彦さんへ(トシちゃんに仕事上影響を与えたであろう)3人が『トシちゃんはこんな人…』とコメントを贈っているわけですが、その中の1人に我らが浜田省吾さんの名前が…。
その注目のコメント全文は、次回紹介することといたしまして、まずはその3人からのコメントを受けた田原さんの感想から先にドウゾ!
25才の黒崎輝さんに「壮介、イシキしすぎ。芝居の世界は、裸と裸のつきあいよ」と言われた。
34才の浜田省吾さんに「絶対、自分にしか歌えない言葉がある。それを田原君も、探すべきだ。」と言われた。
40才の宇崎竜童さんに「今の時代って、形から入ってるよな。革ジャン着てりゃカッコイイみたいな。でも男は、形だけカッコイイやつって、どうでもいい。革ジャン脱いでもサイコーだった、男からそう言われる男になりなよ、トシは。」って言われた。
3人とも何か、同じようなことを言ってる気がした。夜、寝る前にそれらの言葉をしみじみかみしめ、今までこんな言葉を僕にぶつけた人間がいなかったと思った。よく考えれば、3人が言った言葉は、まだ田原俊彦ができなくて、3人が実行している真実に違いないのだ。
こんな男たちとのつきあいが好きだ。そして、こんな男たちとの出会いが、ちょうど同じ時期に重なったのに、運命的なものを感じる。
25才の男とがっぷり四つに組めた『最後の楽園』。34才の男に刺激された、もうすぐ始まるコンサート・ツアー。40才の男とスタジオで格闘したもうすぐ出るLP『目で殺す』。この3つは、忘れられない仕事になった。
サンキュー、俺が愛した男たち!
週刊とっちゃんの部屋には、浜田さんとトシちゃんの関係を綴った過去記事が結構あるんですよね。
覚えてらっしゃいますか? 
えっ! もったいぶらずに、いつものように早くリンク貼って教えてケロと???(^_^;)
しょうごないな~ いや、しょうがないな~ ←
↓↓↓まずはコチラ↓↓↓
憧れのスターが憧れる男が浜田省吾なのです 
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意外な浜田省吾ファン 
他に2,3個あったと思いますが、それはご自身でお探しになってみてくださいm(_ _)m
次回(本当の)最終回で 「浜田さんからトシちゃんへのコメント」その全文をノーカットで紹介させていただきますっ☆ 一体どんな事が語られたのでしょうご♪
・・・ところで、前振りから ビッグ ビッグ って強調してたけど
とっちゃん、この記事(企画)の どの辺がビッグなの???  ってそこでキョトンとしてるあなたは、まだ相当にお若いですねっ??? (^_^;)
お父さんかお母さんに聞いてみてネ(謎) (*^_^*)  ←
 https://ameblo.jp/futabayama69/entry-11081849355.html

浜田省吾が語る田原俊彦【後編】
2011-11-22 21:00:16
テーマ:浜田省吾「明星」「平凡」掲載録
明星 1987年1月号 
「ラジオで会って、この前の僕のコンサート見に来てくれましたよ。
田原君が僕の曲『ダンシング・レディ』を、デビューの頃に歌ってくれてたのは知ってたんだよね。すごい嬉しかったよ。
彼が東京に来て、はじめて買ったのが、その曲の入ってる僕のLP『マインド・スクリーン』らしいんだ。僕はそのLPが売れなくて暗い気分になってるときにその話を聞いたから、嬉しさは今でもよく覚えてるな。その後、今年の初めかな、また田原君が、僕の曲を3曲ぐらいステージでやってくれてるって聞いて。
『今夜はごきげん』と『いつわりの日々』と『MONEY』かな? 本当に好きなんだなぁと感謝したよ。
で、会ったとき「曲を書いてください」みたいな話になったけど、今、僕のほうにも余裕がないしね。
「田原君、自分で作ってみなよ!」って言ったんだ。
彼はキョトンとしてたけど、本当のことを言ったんだよ。あれだけ歌って踊れる人だから、もうメロディーは体の中にしみついてるはずだし、彼にしか歌えない言葉があるはずなんだ。絶対にやれると思うよ。
また、そんな作業に挑戦したほうが、アーティストとして違う世界が見えてくると思うけどね。
そんな話をしたら、
「浜田さんも、あんだけ詞が書けるから、役者やれば大物になれる!」って切り返されたけど。
役者は無理だけど、映画は興味あるし、
「脚本書いたら、田原君出てよ!」って言ったら、OKしてくれましたよ。」
田原君見てると、自分の25才の頃のことを思い出すのね。野望と野心とでギラギラで、僕はいつかビートルズになれると夢見てたね。それがある瞬間、そんなことは起きないと気づいて、枯れていったんだけど、田原君は、今が野望と野心の絶頂じゃないかな。夢見てるのは、ジェームス・ディーンかな。そのまま突き進むかもしれないな、彼は。」  浜田省吾 
キャ~~~☆ ← 
アイドルばりの白い歯を見せて(アイドル雑誌ですからね♪)はにかむ省吾様(*^_^*) ステキです!!!
っていうかリアルに嬉しそうな顔ですよね。 当時のトップアイドルから「アニキ」のように慕われてるわけですから♪
☆とっちゃんメモ★ 
みな浜に長きに渡りご愛読いただきました、 浜田省吾「明星」「平凡」掲載録 も本日がひとまずの最終回でございます。 最終回に相応しいビッグなこの企画、お楽しみいただけましたでしょうか?(まだ言ってる)
それにしても・・・
トシちゃんの MONEY 聴いてみてぇ~~~っ!
やっぱ、あれでしょうか
純白のメルセデス~♪の部分は 真っ赤かのポルシェ~♪に替えて歌ったのでせうか??? ←
そうそう、 ↑コメント中 の
「役者は無理だけど、映画は興味ある・・・」って言うぢゃな~いっ! 
でも省吾さま、あなた・・・
どっちもやってますからぁ~(笑) 残念っ!
あ、別に残念ぢゃないか(^_^;)(^_^;)(^_^;)
ほらね♪
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俳優・浜田省吾【前編】 
俳優・浜田省吾【後編】 
映画監督・浜田省吾?【前編】 
映画監督・浜田省吾?【後編】 
ま、映画監督のほうは、アレですけど・・・
週刊とっちゃんの部屋仕様ですけど(謎)
しかし、今日は本当に厳しい寒さでしたねぇ~ 雪ふりそうなほど
そろそろスタッドレスタイヤに交換しなくっちゃ・・・
純白のメルセデスの?
いやいや (^_^;)
真っ赤なポルシェの?
いやいや (^_^;)
んだってい~ぢゃないか~(T_T)
純・国産だよぉ~ 
中古の茶色のカローラ ではないが(笑) ←
 https://ameblo.jp/futabayama69/entry-11085942768.html

田原俊彦VS浜田省吾【Epilogue】
2014-05-07 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(最終R)『浜田省吾ヘヴィ・メタルに挑戦!?』
2014-05-05 21:12:29
今夜のとっちゃんの部屋は…
2014-05-05 14:54:36
田原俊彦VS浜田省吾(第13R)『前例のない人に…』
2014-05-04 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第12R)『人生と闘っている』
2014-05-02 12:00:00
田原俊彦VS浜田省吾(第11R)『浜田省吾・成人は30歳 論』
2014-03-20 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第10R)『僕は情熱家』
2014-03-09 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第9R)『いよいよ恋ばなへ』
2014-02-26 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第8R)『FATHER'S SON』
2014-02-23 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第7R)『人生違ってたかも』
2014-02-14 22:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第6R)『夢と現実のギャップ』
2014-02-11 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第5R)『省吾さまの夢』
2014-02-08 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第4R)『タダノヒト』
2014-02-04 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第3R)『トシちゃんは1/8000?』
2014-02-01 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第2R)『トシちゃんが歌うダンシング・レディ?』
2014-01-29 21:12:29
田原俊彦VS浜田省吾(第1R)『Prologue』
2014-01-27 21:12:29
https://ameblo.jp/futabayama69/theme-10078305510.html

田原俊彦VS浜田省吾(第2R)『トシちゃんが歌うダンシング・レディ?』
2014-01-29 21:12:29
テーマ:浜田省吾VS田原俊彦(レアなBIG対談)
悩み事を隠すのが案外下手で、肘をついた姿勢で爪を噛んでるとっちゃんです(・∀・)ノシ
さぁ、早速参りませう(キラッ☆)
第2R開始です
カーーーン♪ 
田原:僕が初めて浜田さんを知ったのは、確か昭和54年ぐらいだったかな。六本木の交差点のとこのレコード屋で『MIND SCREEN』(※)を見つけて…。ジャケット見て「あっ、このサングラスの人が浜田省吾か」なんて(笑)。まだ僕、デビューする前だったから、合宿所で毎日聞いて…。で、55年の12月からの初めてのワンマン・ショーで、その中に入ってる『ダンシング・レディ』を歌ったんですよ。
浜田:テレビでも歌ったことあるでしょ。偶然それ見て、僕はビックリした(笑)。
田原:今やってるコンサートでも歌ってるんです。他に3曲歌ってるから、浜田さんの曲は4曲。去年の10月に、新宿厚生年金大ホールのコンサートを見に行ったんですよ。すごくよかった!もう頭に焼き付いちゃって、「よし、僕もコンサートのラストはカッコよく歩いて帰るんだ!緞帳(どんちょう)は降ろさないでくれ!」なんて言ったんですけど、さすがにそこまではできませんでしたね(笑)。
浜田:『MIND SCREEN』は、僕がちょうど25か26のときにつくったアルバムだから、今の田原くんと同じぐらいだったわけだよね。
田原:そうですね。今、浜田さんが歌ってる歌って、まだ僕じゃ表現しきれないんですよ。だからあえて昔の歌を選んでるんです。あれなら僕でも表現できるなって…。評判いいんですよ。
浜田:嬉しいなぁ(笑)。でも…
続く 
CanCam『田原俊彦のときめきデュエット』より 
☆とっちゃんメモ★ 
長渕剛さんとの対談の時もそうでしたが…いきなりオープニングからスリリングな展開に(笑)(゚д゚;≡;゚Д゚)『MIND SCREEN』って…大将がもっとも廃盤化を熱望してたアルバムですからね( ´艸`)ププッ続きが大変気になるところですが、それはまた次回♪まったり参りましょうご*・゜゚・*:.。..。.:*・'
※ (2011年5月16日付過去記事より)
【マインドスクリーン】25KH497 ¥2,359 
☆とっちゃんメモ★
浜田省吾さん1979年リリース4枚目のアルバムにして自身「早く廃盤にしたい~」と常々言っておられる(ま、自虐的にですけどね・・・本心じゃないでしょう(いや、これに関しては本心かも(^_^;) ) )1枚ですね。
何故かというと、理由は単純です!当時スランプに陥って詞が全く書けずに(当時の俺はしがない(詞がない)ミュージシャンだった・・・と自虐回想ギャグを後年ステージMCで連発してますね。 ←サックスの古村さんのパクリネタですが)。そんなわけで10曲中4曲、つまり半分以下の4割しか自分の作詞曲がないという・・・。
浜田省吾事典にもそれは記載されてますが、「自分で書いた詞は、ステージでも素直に歌えるんで、これを作った時点で、自分で詞を作らなきゃダメだ!どんなに書けなくても出来るまで書かなきゃいけないんだってある意味ふっきれた!」と浜田さんに再認識させた点で、意味のあるアルバムだったんではないかと思いますね。以後「風を感じて」(ただしこれは三浦徳子さんとの共作)以外他人の作詞曲はないですからね。
特筆すべくというより、何曲か解説を・・・。【幻想庭園】は、つい最近千葉美加さんネタ(ブログタイトル=It's OK?)で紹介させていただきましたね。彼女がカヴァーしたこの曲、浜田さんのオリジナルはこのアルバムの2曲目に収録されています。
4曲目の【愛を眠らせて】は、このマインドスクリーンと同じジャケットで、このアルバムの1ヶ月前に「パイロットシングル(先行シングル)」としてリリースされてます。B面に、1個前のアルバム「イルミネーション」から「片想い」を収録! このジャケ・・・なんかハレーションをおこして省吾様、超太って見えませんか?(笑)キヨエちゃん顔負けなぐらいにまんまるなお顔ですよね♪ま、そんなことも「廃盤にしたい」理由の一つなんでしょうご(笑)
そうそう、その愛を眠らせて・・・和田アキ子さんに提供した【愛して】という曲の歌詞違いなんですよ!ようは「セルフカヴァー曲」という事になりますね! (ブログタイトル=「タッチの南ちゃんが歌う浜省ナンバー?」参照)
同じく和田さんに提供した【共に泣けるなんて】も、自身がよくステージで歌っていて後年区麗情さんがリリースした【君のいない空】の歌詞違いバージョン曲なんですね。ま、話がそれましたが・・・。
それからえっと・・・【ダンシング・レディー】か・・・(笑)これは田原俊彦さんが大好きな曲らしいですね。テレビで田原さんが同曲を歌ってるのを見て浜田さんが驚いた!という話は有名ですね。とっちゃんの部屋でも二人の対談のシーン再現で紹介しましたね。田原さんが上京して最初に買ったレコードが、何を隠そうこの「マインドスクリーン」だったらしいです♪
【グッドナイト・エンジェル】は、浜田省吾初のPV作品が同曲のそれなんですよね!これは意外でしょうが事実です。確か、「初夏の頃」のCDエキストラで数秒間見れましたよね?すすきかなんかが流れるシーンに浜田さんが佇んでるようなそんな映像ですね。譜面なんかも画面に映ったりして。
ま、最後の曲の【悪い夢】が、まんま浜田さんの当時の心象風景を表してると言えるのではないでしょうか。オリコン最高順位63位。プロデューサー・幹治さん、ディレクター・須藤さん、アレンジャー・水谷さん。---ここまで---
えっ!?!?Σ( ̄□ ̄;)『とっちゃんの部屋でも二人の対談のシーン再現で紹介しましたね。田原さんが上京して最初に買ったレコードが、何を隠そうこの「マインドスクリーン」だったらしいです♪』………ってσ(^_^;)既に過去記事で書いていたらすぃ~??? 、その部分だけピンポイントだったはずですので(←適当男、本領発揮W)気にせずお付き合いくださいませ~<(;゚з゚)>~♪恋はブギウギアラビュ~~~♪ ←
(記事No.4997)
 https://ameblo.jp/futabayama69/entry-11759935775.html

田原俊彦「継続したから今がある」/インタビュー1
2019(平成31)年02月17(日) 10:00配信 
ダンスが抜群にうまい田原俊彦(撮影・柴田隆二)
<日曜日のヒーロー>
田原俊彦(57)が今年、歌手デビュー40年を迎える。10代から20代前半はアイドルとして、20代後半から30代にかけては、大人の男として2度、芸能界の頂点に立った。ジャニーズ事務所独立後は人気が低迷するも、今も実力派のポップシンガーとして歌にダンスに活動を続ける。2月、58歳の誕生日を迎えても「トシちゃん」の愛称が似合う元トップアイドルが、山あり谷ありの40年を語る。
★「ごめんよ涙」コンビと
東京・世田谷のテレビスタジオ。番組の収録を終え、メークを落として衣装を脱いだ田原俊彦は、40年の芸能生活を静かに語り始める。
「ジャニーズ事務所で15年、卒業して25年。苦しいときが長いけど、継続してきたから今がある。エンターテイナーとして、歌って踊って『キャーッ』のアイドル時代からは想像できない領域に来ています。ステージでは、デビュー曲の『哀愁でいと』も『抱きしめてTONIGHT』も新曲も歌う。今、そういうポジションにいる自分がうれしい。支えてくれたファンへの恩返しのため、今年は、いい汗かきたいね。気合入ってますよ」
40年を飾る新曲は、平成元年のヒット曲、「ごめんよ涙」の松井五郎、都志見隆コンビが担当する。
「僕の平成の幕開けを飾ってくれた2人が、平成最後の年に『一緒にやろう』と言ってくれた。その気持ちが熱いよね。ミディアムテンポのすばらしい曲。去年のクリスマスに初めて聴いて、グッときた。手応えを感じています」
4月、東京・渋谷のNHKホールでのコンサートも予定されている。同ホールで収録された歌番組「レッツゴーヤング」(74年4月~86年4月まで放送)にレギュラー出演。人気を不動のものにした原点とも言うべき場所だ。
「今の僕には、5000人の集客力はない。もちろん東京ドームや武道館のアーティストでもない。原点と言うと格好いいけど、本当は、たまたま。3600人というキャパシティーと日程が合っただけなんです。チケットは残りわずか。早めにおさえてください、ハハハ」
 https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201902160000220.html

田原俊彦「死ぬ気で突っ走ったよ」/インタビュー2
2019(平成31)年02月17(日) 10:00配信 
笑顔でインタビューを受ける田原俊彦
<日曜日のヒーロー>
田原俊彦(57)が今年、歌手デビュー40年を迎える。10代から20代前半はアイドルとして、20代後半から30代にかけては、大人の男として2度、芸能界の頂点に立った。ジャニーズ事務所独立後は人気が低迷するも、今も実力派のポップシンガーとして歌にダンスに活動を続ける。今月、58歳の誕生日を迎えても「トシちゃん」の愛称が似合う元トップアイドルが、山あり谷ありの40年を語る。
★「哀愁でいと」大ヒット
デビューは1980年。「哀愁でいと」の大ヒットが、40年の第1歩だった。
「ロックやニューミュージックが全盛だった当時の歌謡界に、80年代のスタートとともにアイドルの1番手で、僕が走りだした。歌番組にバラエティー、映画や舞台にコンサート、ホント、寝ずに死ぬ気で突っ走ったよ。でも当時のアルバムを今、聴く気になれません。朝からずっと働いて、夜中からレコーディング。声なんかヘロヘロだから、恥ずかしくてさ」
しかし、80年代半ばには、人気にかげりが見える。デビューから7年連続で出場していた紅白歌合戦にも落選。87年のことだった。
「その頃は、アイドルとしてもマンネリ化して、コンサートの集客も怪しくなってきていました。それでも紅白落選は『なぜ』という気持ちが強かった。ファンを悲しませてもしまった。悔しかったね」
88年には、ドラマ「教師びんびん物語」の主題歌「抱きしめてTONIGHT」がヒット。紅白から再び出場のオファーが来た。
「『びんびん』に出会って、第2次田原俊彦の時代のスタートとも言うべき年でしたね。紅白については、前の年にとても悔しい思いをしてたし、僕は、この性格だからね、嫌だ、出ない、と。たくさんの人が、説得に来ました。出た方がいいよ、大きなものを失うかもしれないよ、って。でもね、仕事のモチベーションを紅白に出るために使うのをやめようと思った。コンサートに来てくれるファンに向けていこうと切り替えたんですよ。27歳。大きな決断だったと思います」
信念を貫いて紅白出場を辞退したが、80年代後半から90年代前半にかけて、アイドル時代とは違う、大人の女性や同性からの人気も獲得、再び芸能界の頂点に立った。そして94年、ジャニーズ事務所を辞める。
「ジャニーズを辞めるって、今考えると、恐ろしいことだよね(笑い)。ただ、当時33歳。結婚して、子供ができた。30歳を過ぎたのだから、自分の道は自分で開いていこう、自分の人生、自分で決断したいという気持ちが強かったんです。ジャニー(喜多川)さんには感謝しています。2時間、観客を飽きさせないショーを、どうやって作るか、教えてもらった。ジャニーさんもプロデューサーとして脂の乗りきった年代でしたし、今も僕が、こうしてステージに立っていられる基盤を作ってくれました」https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201902100000585.html
 https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201902100000585.html

田原俊彦、嵐休止に「同じ気持ち」/インタビュー3
2019(平成31)年02月17(日) 10:00配信 
97年2月当時の田原俊彦
<日曜日のヒーロー>
田原俊彦(57)が今年、歌手デビュー40年を迎える。10代から20代前半はアイドルとして、20代後半から30代にかけては、大人の男として2度、芸能界の頂点に立った。ジャニーズ事務所独立後は人気が低迷するも、今も実力派のポップシンガーとして歌にダンスに活動を続ける。今月、58歳の誕生日を迎えても「トシちゃん」の愛称が似合う元トップアイドルが、山あり谷ありの40年を語る。
★嵐休止に「同じ気持ち」
事務所の後輩、嵐のメンバーが「自由な生活がしたい」と言って、グループの活動休止を発表した。
「僕はソロで、彼らはグループ。形は違うけど、僕が独立した時と同じ気持ちじゃないかな。『自由になりたい!』ってね。嵐とは、事務所では時期的に重なっていないから面識はないけど、20年も同じメンバーでグループをつないできたのは、すごいことです。いいと思うよ。休止する2020年まで走り抜いてほしい。お疲れさま」
94年2月、長女誕生を報告する記者会見での態度が「生意気だ」とバッシングを受けた。「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕ぐらいビッグになっちゃうと、そうはいきませんけどもね」。東京・九段の一口坂スタジオで発した言葉は、一部が切り取られ、メディアを通して一気に広がった。事務所から独立後、人気が低迷したことに「干された」などと揶揄(やゆ)する声も出た。
「歌手である以上、ヒット曲は欲しい。なかなか恵まれないけどね。でも、毎年、新曲を出して『今度こそ』って挑戦し続けてる。この25年、何を言われても、しつこく歌って踊り続けてきた。生きていくために、僕には、それしかなかった。だから、言いたいことがあるなら、僕の前で言ってみろって感じだね。人は人、僕は僕。関係ないし、気にするつもりもない。何なら、ありがたいとさえ思っているよ。忘れないでいてくれるってことだからさ、ハハハ」
 https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201902160000228.html

田原俊彦、歌って踊る「天職かも」/インタビュー4
2019(平成31)年02月17(日) 10:00配信 
笑顔でインタビューを受ける田原俊彦
<日曜日のヒーロー>
田原俊彦(57)が今年、歌手デビュー40年を迎える。10代から20代前半はアイドルとして、20代後半から30代にかけては、大人の男として2度、芸能界の頂点に立った。ジャニーズ事務所独立後は人気が低迷するも、今も実力派のポップシンガーとして歌にダンスに活動を続ける。今月、58歳の誕生日を迎えても「トシちゃん」の愛称が似合う元トップアイドルが、山あり谷ありの40年を語る。
今月で58歳になる。
「僕のステージは、70%がダンスナンバーだから、2時間が死ぬほどつらいんです。幕が開く前は『これから2時間か』と思うとゾッとする。でもスポットライトが当たると調子に乗っちゃう。悲しい、いや、楽しいさがだね。そんな自分が大好きなんだよ。芸能界の人って、自己愛が強いんだ。最後に勝ち残るのは俺だ、と根拠もなしに信じてるようなところがある。そういうスピリッツはなくしちゃいけないと思う。僕も自分しか信じない、寂しい男だよ。でも、ステージ立ったら誰にも負けない自信はありますよ、今もね。天職なのかもしれない。歌って踊ることが」
50年、60年目の田原俊彦は、どんなエンターテイナーになってるだろう。
「50歳で引退する、なんて言ってた時もあったけど、まだ全然いける。でも65歳、70歳になってと考えると、やばいかもしれない。いずれ、そういう時がくるんだろうけど、その時、どういうショーを作るか…、だよね。ただ1つ言えるのは、中途半端に納得して、未完成のステージには立ちたくない。いつか、終わりの日が来るまで、走り続けたいと思います」
【取材・秋山惣一郎】
▼TBS系「爆報!THEフライデー」で共演している爆笑問題の田中裕二(54)
トシちゃんってどんな人? う~ん、一言で言うなら、すごく優しい人。アイドル時代の印象と違って、すごくデリケートで周囲に気を使う人です。
人見知りのところもあって、とっつきにくかったけど、昔見てた歌番組の話を熱く語ったら、気を許してくれました。一緒にカラオケに行って、80年代のヒット曲「エル・オー・ヴィ・愛・N・G」を歌ったら「次のコンサートで歌うか?」って。歌いましたよ、実際のステージに上げられてね。
小学生みたいな一面もあって、すぐにちょっかいを出してくる。僕がトイレで用を足していると、背後から尻をもんだりするんです。トシちゃんなりの親愛の情なんでしょうけどね。トシちゃんは、僕らの世代のスーパースター。一緒に仕事してるなんて、考えるとすごいことですよね。
◆田原俊彦(たはら・としひこ)
 1961(昭和36)年02月28日(火)、神奈川県横須賀市生まれ、高校卒業まで甲府市で育つ。79年、ドラマ「3年B組金八先生」に近藤真彦、野村義男とともに出演、「たのきんトリオ」の愛称で人気を得る。80年「哀愁でいと」で歌手デビュー。松田聖子と争い、レコード大賞最優秀新人賞を獲得した。88年のドラマ「教師びんびん物語」に主演。主題歌「抱きしめてTONIGHT」がヒット、名実ともにトップスターに。94年、ジャニーズ事務所から独立。2011年から、バラエティー番組「爆報!THEフライデー」にレギュラー出演。4月21日、NHKホールでの「40TH ANNIVERSARY EVE【ハート】平成LAST LIVE!」を皮切りに、7月から全国18カ所をツアー。6月27日に新曲「好きになってしまいそうだよ」をリリースする。
 https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201902160000229.html
 音源◆https://music.amazon.co.jp/albums/B004433DS0
 http://www.104ttdp.com/tt/musicpro/mp_top.html

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