過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のMr.ChildrenとetSETOmeヨ(=^◇^=)


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 ┃ 今日は何の日!? ┃|9月26日|
 ┗━━━━━━━━━━┛└─――――┘
  http://www.cdjournal.com/main/calendar/20200926/todays/
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 ┃ Mr.Children '94 tour innocent world  ┃Official Live No.⑥
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛24会場27公演 9万4874人
‡1994(平成六)年09月26日(月) 神奈川県立県民ホール 05会場 05本目
  01.蜃気楼
  02.Another Mind
   03.and I close to you
   04.Replay
   05.BULE
   06.CROSS ROAD
   07.クラスメイト
  08.ジェラシー
  09.Round About~孤独の肖像~
  10.車の中でかくれてキスをしよう
  11.抱きしめたい
  12.LOVE
   13.虹の彼方へ
  14.メインストリートに行こう
  15.ラブコネクション
  16.innocent world
  ~ENCORE~
  15.雨のち晴れ
  16.Over
   17.Tomorrow never knows
   18.Dance Dance Dance   
  備考・・・料金は4120円。5thシングル「innocent world」発売後に開催。初の日本武道館公演を行った
********* https://www.uta-net.com/song/7632
 http://www.mrchildren.jp/live/1994_innocent.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/cherry39_home/10728427.html
 http://mrchildren.k-free.net/ ⇒ ライブへ
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 ┃ TOUR 2004 "シフクノオト" ┃Official Live No.14
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛11会場21公演 32万4200人
 2004(平成16)年09月25日(土) 宜野湾市海浜公園屋外劇場 11会場 21本目 ※明日が台風21号のため今日が最終公演だヨ(=^◇^=)O♂
†2004(平成16)年09月26日(日) 宜野湾市海浜公園屋外劇場 11会場 00本目 ※幻のThe End.公演だヨ(=^◇^=)
  セットリスト①        セットリスト②
  01.終わりなき旅       01.終わりなき旅
  02.光の射す方へ       02.光の射す方へ
  03.PADDLE          03.PADDLE
   04.名もなき詩         04.innocent world
  05.口笛           05.花言葉
   06.抱きしめたい       06.口笛 
   07.Everything(It's you)     07.抱きしめたい
  08.Pink~奇妙な夢      08.Pink~奇妙な夢
  09.血の管          09.血の管
  10.掌            10.掌
  11.ニシエヒガシエ      11.ニシエヒガシエ
  12.Image           12.Image
  13.overture         13.overture
  14.蘇生           14.蘇生
  15.youthful days       15.youthful days
   16.innocent world       16.くるみ
   17.くるみ           17.天頂バス
  18.Any            18.HERO
   19.天頂バス         ~ENCORE~
  20.HERO           19.Mirror
  ~ENCORE~          20.タガタメ
  21.Mirror          21.Sign 
   22.Tomorrow never knows 
   23.タガタメ
  24.Sign 
  備考・・・料金は7000円(立ち見席は6500円)。11thアルバム『シフクノオト』発売後に開催。桜井復帰後初のライブツアー。9月26日の沖縄公演は台風21号のため中止となった
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 http://www.mrchildren.jp/live/2004_shifuku.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/cherry39_home/11945437.html
 http://mrchildren.k-free.net/ ⇒ ライブへ
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佐藤和 「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」 『SAPIO』 2001年9月26日号
ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、かつてない議論が進められている。その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社[13]が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。同誌は1999年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ(5月6日号)。この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。以下、その部分を略して引用する。 大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
女性を強姦してから殺害。強姦しながら拷問。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す……等々。
日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍が虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が掲載された。戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。しかし同時に、今やその行為に罪の意識をもち、韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じたのだ。タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が起きた。同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだ。ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。米国に次ぐ大派兵であった。この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』でのインタビューで「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。(中略)また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた。しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。(中略)韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。中学生向けの国定教科書に記されているのは「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行のみだ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3#.E5.BC.95.E7.94.A8
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 ┃ Mr.Children NEWS ┃
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 |2011(平成23)年 9月26日|情報配信日
 └─――――――――――――┘●各日●http://www.mrchildren.jp/news/news.html
11.09.26
11月23日 LIVE DVD & Blu-ray 「Mr.Children TOUR 2011 “SENSE”」 リリース決定!!
11月23日(水)「Mr.Children TOUR 2011 “SENSE”」LIVE DVD及び、Mr.Childrenとして初となるBlu-rayを同時リリース!!
LIVE DVD & Blu-ray 「Mr.Children TOUR 2011 “SENSE”」
■DVD : TFBQ-18121 \5,800 (Tax Incl)
 TOTAL TIME 154 min. 仕様:DVD2枚組 / Disc 1 片面1層 / Disc 2 片面 2 層 / 16:9 LB / リニア PCM/ リージョン2 / デジタルコピーガード付
■Blu-ray : TFXQ-78103 \6,800 (Tax Incl)
 TOTAL TIME 154 min. 仕様:2 層 / 50GB / 1920×1080 23.976p / MPEG-4 AVC / DTS 5.1ch HD MASTER AUDIO / リニア PCM 
<収録曲>
01. OPENING
02. NOT FOUND
03. <MC>
04. HOWL
05. 名もなき詩
06. I’m talking about Lovin’
07. エソラ
08.<MC>
09. HANABI
10. くるみ
11. 花 -Memento-Mori-
12.【es】? Theme of es ?
13. Dive 
14. シーラカンス ? 深海
15. I
16. ロザリータ
17. <SE> 
18. 365日 
19. ロックンロールは生きている
20. フェイク
21. ポケット カスタネット
22. HERO
23. 擬態
24. Prelude
25. ENCORE ? <MC>
26. 横断歩道を渡る人たち
27. Fanfare
28. Forever
29. <MC>
30. かぞえうた
31. ENDROLL
******************* http://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.Children
 ●各日●http://www.mrchildren.jp/news/news.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Mr.Children の過去の今日の出来事 ┃
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 |2006(平成18)年 9月26日(火)|全国のZepp会場にて、the pillowsと共に対バンツアーを開催
 |2006(平成18)年10月11日(水)|全国のZepp会場にて、the pillowsと共に対バンツアーを開催
 └─――――――――――――┘備考・・・Mr.Childrenの対バンのツアーは2012年10月現在では最後となる
******************* http://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.Children
 http://www.mrchildren.jp/bio/bio.html
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 ┃ Mr.小林武史の今日の出来事 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛1987(昭和62)年に、桑田佳祐の1stソロシングル♪悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)♪1987(昭和62)年10月6日(火) 2ndソロシングル♪いつか何処かで(I FEEL THE ECHO)♪(1988(昭和63)年3月16日(水)のアレンジに参加し、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』(1988(昭和63)年7月9日(土)と共に当時あまりメジャーではなかった小林が高く評価されるきっかけとなった。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と桑田は語っている(桑田著『ただの歌詞じゃねえかこんなもん~』より)サザンオールスターズの活動再開後の初シングル♪みんなのうた♪(1988(昭和63)年6月25日(土)からサザンの編曲にも参加するようになった。アルバム『Southern All Stars』(1990(平成二)年1月13日(土)でもアレンジに参加し、桑田が監督した映画『稲村ジェーン』(1990(平成二)年9月1日(土)の音楽監督も務めた。収録曲の♪真夏の果実♪/♪希望の轍♪はサザンのライブでは必ずと言っていいほど歌われる曲となった。翌1991(平成三)年は、原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』(1991(平成三)年6月1日(土)のプロデュース、編曲を手掛けた。この頃に桑田らとSUPER CHIMPANZEEという(小林曰く“冗談のような”)バンドを組んで活動。シングル♪クリといつまでも♪/♪北京のお嬢さんをリリース、日清パワーステーションで洋楽、NHKで邦楽のカバーライブを行った。このライブの模様は桑田佳祐『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26(火)』(DVD/VHS/LD)で観ることが出来る。1992(平成四)年は♪涙のキッス♪/♪シュラバ★ラ★バンバ♪(ともに1992(平成四)年7月18日(土)などを含んだ『世に万葉の花が咲くなり』●1992(平成四)年9月26日(土)のアルバムプロデュースに参加。その後シングル♪クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)♪(1993(平成五)年11月20日(土)を最後にサザンの音楽活動に参加することはなくなった。この頃、ほかにプロデュースを手掛けていたアーティストに大貫妙子や渡辺美里、小泉今日子などがおり、作曲・編曲を手掛け小泉唯一のミリオンセラーとなる♪あなたに会えてよかった♪(1991(平成三)年5月21日(火)で第33回日本レコード大賞編曲賞を受賞。後に「この曲でメロディーメーカーとして世間に認知されたことが大きな自信になった」と小林は語っていますヨ(=^◇^=)
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 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%AD%A6%E5%8F%B2 ⇒ 1.1 音楽業歴
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  映像◆HERE COMES THE SUN/Mr.Children LIVE UFO '95 代々木 http://youtu.be/3aO6w9bDSNY
  

 16 Mr.Children&the pillows new big bang tour ~This is Hybrid Innocent~
 2006
 9.26名古屋 Zepp Nagoya 1本目
 9.28大阪 Zepp Osaka 2本目
 10.2福岡 Zepp Fukuoka 3本目
 10.4東京 Zepp Tokyo 4本目
 10.5東京 Zepp Tokyo 5本目
 10.9仙台 Zepp Sendai 6本目
 10.11札幌 Zepp Sapporo 7本目 ※最終公演
6会場7公演
チケット代 \5,900
the pillowsとの対バン形式の全国Zeppツアー 
セットリスト
01.Tomorrow never knows
02.光の射す方へ
03.箒星
04.ストレンジ カメレオン
05.prism
06.靴ひも
07.しるし
08.新曲
09.ニシエヒガシエ
10. 終わりなき旅
11.Worlds end
~encore~
01.名もなき詩
02.everybody goes-秩序のない現代にドロップキック-(w/山中さわお&真鍋吉明)
2006年9月26日 - 10月11日 Mr.Children & the pillows new big bang tour ~This is Hybrid Innocent~ 6会場7公演
  備考・・・料金は5900円。the pillowsとの対バン形式の全国Zeppツアー 
 http://www.mrchildren.jp/live/2006_this.html
http://blogs.yahoo.co.jp/cherry39_home/12016779.html

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'92 Your EVERYTHING TOUR  
1992/09/26 : 名古屋/E.L.L
 1992/09/28 : 大阪/ミューズホール
1992/09/29 : 大阪/ミューズホール
1992/10/04 : 新宿/日清パワーステーション
1992/10/24 : 広島女子大学学園祭
1992/10/26 : 神戸/チキンジョージ
1992/11/01 : 大阪大学学園祭
1992/11/03 : 長野大学学園祭
1992/11/04 : 名古屋/ボトムライン
1992/11/06 : 群馬女子大学学園祭
1992/11/08 : 法政大学学園祭
1992/11/22 : 大谷大学学園祭 
01. Mr.Shining Moon
 02. CHILDREN'S WORLD
 03. BLUE
 04. ロード・アイ・ミス・ユー
05. ため息の日曜日
06. 車の中でかくれてキスをしよう
07. 友達のままで
08. 君の事以外は何も考えられない
09. Alison (Elvis Costello)
 10. 風をあつめて
11. Jack Knife
 12. 抱きしめたい
13. 君がいた夏
14. 虹の彼方へ
15. 星になれたら
~ENCORE 1~
16. グッバイ・マイ・グルーミーデイズ
17. EVERYTHING
~ENCORE 2~
18. 風~The wind knows how I feel~  不明 
 http://mrchildren.k-free.net/ ⇒ ライブへ
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 ┃     軍国主義荒れ狂う 治安維持法 の戦前、戦中、戦後     ┃
 ┃ 哲学者三木清は戦後に獄中死し、創価の戸田城聖は終戦以前に出獄 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛日本の終戦は昭和20年8月15日である。戸田城聖や矢島周平など当時の創価学会幹部が牢獄から出てきたのは戸田は昭和20年7月3日であり、矢島は昭和20年4月27日だ。両者とも日本軍国主義の終戦の一ヶ月以上も前であった。哲学者の三木清は、獄中で疥癬患者の毛布をあてがわれ病気をうつされて、治安維持法の荒れ狂う中で戦後になっても出獄できず、栄養失調と衰弱の中に獄中に残されて、昭和20年9月26日に急性肝臓炎で獄死して出獄。「哲 学ノート」の三木清も「指導算術」の戸田城聖も、はじめは巣鴨刑務所にいたのだが、そこから豊多摩刑務所に移されている。しかし、豊多摩刑務所に昭和20 年6 月29日に移ってきた戸田はそこで4日間ほど過して、昭和20年7月3日に終戦を待たずして早くも出獄している。一方、三木清は、昭和20年9月26日に終戦を40日も経過した後で、豊多摩刑務所内の拘置所で獄死している。この二人の違いを一体どういうふうに説明するのだろうか。三木清の死は、日本の戦後においても『治安維持法』で獄中につながれている思想犯・政治犯のいるというスキャンダラスな事件であった。これを新聞に報道したロイ ター通信のジャーナリストの記事を、占領軍司令長官マッカーサーが見て驚き、そこから『治安維持法』で捕まっていた思想犯・政治犯の釈放がようやく始 まったのだという。ロ イター通信のジャーナリストは、山崎内務大臣にその事実を問いただし、「思想取締りの秘密警察は現在なお活動を続けており、。。。政治形態の変革、とくに 天皇制廃止を主張するものは、すべて共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕される」との返答を『スターズ・アンド・ストライプス』紙に、昭和20年10 月4日に発表したのである。そしてその日、昭和20年10月4日の夕刻に、マッカーサー元帥は急遽『治安維持法』の廃止と、思想犯・政治 犯の解放・特高警察などの思想警察の廃止、「思想・信教・集会・言論の自由に対する制限を確立または維持」してきた、15の悪法と関係法令を廃止することを、 日本政府に指令したのであった。日本の終戦は昭和20年8月15日である。『治安維持法』で獄中に繋がれていた人々がその後もそのままでいて、ようやく戦後の昭和20年10月10日になってから釈放がはじまったということなのだ。その3ヶ月以上も前の昭和20年7月3日に戸田城聖は牢獄を出ている。また当時の幹部であった矢島周兵平は牢獄を昭和20年年4月27日に出ている。明らかに戦争中の軍国主義統制下の治安維持法の中での出獄であった。これを創価学会は会員に対してどのように説明しているのだろうか。彼らだけに軍からの恩赦があったのであろうか。昭和20年10月10日から始まった政治犯・思想犯の釈放は2465人を数えた。徳田球一や志賀義雄は18年間も非転向を貫いて、この昭和20年10月10日の釈放まで獄中に暮らしていた。『治安維持法』の犠牲者のなかで、逮捕後の送検者数は75681人であった。獄死した者を見てみると、明らかな虐殺と見られる数は65人。拷問・虐待が原因での獄死は114人。病気・その他による獄死は1503人であったという。さ らに注視しなければならない事は、『治安維持法』の廃止は昭和20年10月15日であるが、『不敬罪』(刑法第73条から第76条)の削除は、ホイット ニー民生局長が昭和21年12月20日にその廃止を木村篤太郎司法大臣に対して指示したが、吉田内閣がそれに反対した為に、その消滅は、昭和22年10月 になってから片山内閣の手によって成されている事である。これらの時間的経過と戸田城聖出獄をめぐる事件との関係は、非常に重大なことを物語っているようだ。なぜならば、創価学会では、戸田城聖とは反戦・平和を軍部に訴えて、それを貫いて「治安維持法」という国家権力・軍国主義に反対して検挙され投獄されたと言っているからである。いまの幹部たちはそう教えられてきたし多くの創価学会員もそのように理解しているはずだ。そ れならばつまり、日本軍国主義の敗戦以前に釈放されて獄舎を出ていた戸田城聖とは、なにか特別の待遇処置とか恩赦が軍政府からあったと言うことなのか。本当に日本の軍国主義を 批判したのなら、また戦争反対を唱えていたのなら、共産党の徳田球一や志賀義雄などの政治・思想犯と同じように昭和20年10月10日になってから釈放されたはずである。創価の反戦平和は人の目を欺く誤魔化しであったのだろうか。それならば当然のこと日本の政治など任せることはできない。自民党も国民もこれに組していると同じ運命が予感される。近来、首相の頸(頭)が相次いで胴体から離れる、つまり辞任という奇妙なできごとが多々あったが、その原因はここに起因するのではないだろうか。
************** http://journal204.iza.ne.jp/blog/entry/852152/
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E5%AE%89%E7%B6%AD%E6%8C%81%E6%B3%95
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