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┃ 大人のMusic Calendar ┃
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今からちょうど50年前(1965年)の今日5月10日は、ザ・スパイダースがデビュー・シングル「フリフリ」をリリースした日
2015年05月10日 執筆者:中村俊夫
今からちょうど50年前(1965年)の今日5月10日は、ザ・スパイダースがデビュー・シングル「フリフリ」をリリースした日。それを遡る4年前の1961年5月、ロカビリー・ブーム期の名門バンド「スウィング・ウエスト」のドラマーだった田辺昭知をリーダーに結成されたスパイダースは、ジャズからロカビリーまでをレパートリーにジャズ喫茶やナイト・クラブなどで活動していたが、数度に亘るメンバー・チェンジの末、田辺の他、井上孝之(現・尭之)、堺正章、大野克夫、加藤充、かまやつひろし、井上順(以上、加入順)という顔ぶれとなった1964年には、当時、ヒットチャートを席巻していたビートルズなど英国のビート・グループの影響下にあるバンドに生まれ変わっていた。ビートルズやアニマルズの楽曲をコピーし、その演奏スタイルから服装までをも真似ていたスパイダースはビートルズの自作自演というポリシーにも着目。初めてオリジナル曲作りにトライして完成したのが、かまやつひろし作詞作曲による「フリフリ」だった。日本古来の「三三七拍子」的なリズム・アクセントが特徴のエレキ・サウンドに、「頭にきたからエレキ弾こうぜ」というパンキッシュな歌詞が載ったこの作品こそ、1955年に海の向こうから映画『暴力教室』(主題歌はビル・ヘイリー&コメッツの「Rock Around The Clock」)と共にロックンロールが日本に上陸して以来10年の歳月を経て、ビートルズ影響下の日本のビート・バンドによって作られた記念すべき国産ロック第一号だったのである。そんな日本ロックの幕開けを飾る歴史的作品だが、発売元のクラウンレコード(現・日本クラウン)にとっては、この年の1月、スパイダースが前座を務めたベンチャーズとアストロノウツの来日ツアーをきっかけに巻き起こったエレキ・ブームの中で大流行していたモンキー・ダンス人気に便乗した企画もの…所謂ニューリズム商品でしかなかった。それは「モンキーで踊ろう」というキャッチコピーと、広告代理店勤務のコピーライターだった阿久悠の作詞デビュー作となったカップリング曲「モンキー・ダンス」のタイトルで明らかだ。以後、クラウンは1966年半ば頃まで、飯田久彦「モンキー大学」、美樹克彦「6番のロック」、西郷輝彦「恋のGT」、高木たかし「東京・ア・ゴーゴー」(スパイダースと競作)等、モンキー・ダンス、ゴーゴーなどのダンスとエレキ・サウンドをワンセットにしたエレキ歌謡作品を数多くリリースしていく。「フリフリ」はそんなクラウンのエレキ歌謡路線第一弾とも言えるのである。「フリフリ」がどれほどのセールスを記録したのかは不明だが、当時スパイダースがレギュラー出演にしていたTV番組『エキサイトショー』で、毎週「フリフリ」を演奏しているのを観た記憶があるので、それなりにお茶の間レベルでの認知度はあったはず。翌1966年4月15日、スパイダースのフィリップス移籍第一弾アルバム『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』には、「フリフリ」の英語詞ヴァージョンの他、「モンキー・ダンス」のセルフ・リメイク版である「ミスター・モンキー」も収録されている。ところで、日本ロック第一号オリジナルという重要な作品にもかかわらず、その最大の功労者とも言うべき作者のムッシュかまやつの姿がジャケットに無い。理由は、寝坊したムッシュがフォト・セッションをサボったため。なんとも良い時代だ。
music-calendar.jp/2015051001
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┃ ROAD and SKY ┃vol.17
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‡■5月10日(土)くもり 夕方6時から原宿でパーティー。名目は一応10周年記念。今までのメンバーとか100人ぐらい集まってくれたんだけど思っていより結構大げさなものになってしまい恐縮してしまう。でも二次会は青山とか時任君とかそれぞれに盛りあがって楽しかった。
1986(昭和61)年06月発行 会報第17号全12ページ。【HOT WORDS】【BY THE SIDE OF THE ROAD】【W.K.MONOLOGUE】【IN SILENCE】【SPECIAL DELIVERY】で構成。【ShogoStation NO.7】ファンコーナー
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https://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber017.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/J.BOY_(アルバム)
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┃ ROAD and SKY ┃vol.017
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■1986(昭和61)年5月10日(土)くもり 夕方6時から原宿でパーティー。名目は一応10周年記念。今までのメンバーとか100人ぐらい集まってくれたんだけど思っていより結構大げさなものになってしまい恐縮してしまう。でも二次会は青山とか時任君とかそれぞれに盛りあがって楽しかった。
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┃ ROAD and SKY ┃vol.016
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■1986(昭和61)年3月28日(金)雨
朝、事務所に残されていたパーティーの案内状の原稿。
"1976年の4月21日に「路地裏の少年」でソロデビューして10年になるのです。別に感慨深いという訳ではないけど、この10年、俺を支えてくれた人達と酒でも飲みたいなあと思うわけです。という訳で
5月10日にパーティーをやります。ただ食べてしゃべって飲んで時をすごすという会です。気楽に参加して下さい。どんな服を着て来ようと構いません。そして酔っ払って来ようと不機嫌で来ようと恋人と来ようと構いません。とにかく顔を見せて下さい。詳しい時間や場所は高橋が知らせます。
5月10日の夕刻、時間と心を開けといて下さい。
浜田省吾"
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┃ 浜田省吾 #31『CLUB SURFBOUND』 ┃
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2016(平成28)年10月21日(金)
1987(昭和62)年06月28日(日)に発売された浜田省吾さんのミニアルバム『CLUB SURFBOUND』のレコーディングの話です。
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1987(昭和62)年5月08日(金)~20日(水)まで、集中的にダビング作業が行われた。
1987(昭和62)年5月08日(金)は信濃町ソニースタジオで江澤くんの曲のダビング、
1987(昭和62)年5月09日(土)は信濃町で梁くんの曲のリズム録り、
‡1987(昭和62)年5月10日(日)は六本木ソニースタジオでぼくの曲のダビング、
1987(昭和62)年5月11日(月)と
1987(昭和62)年5月12日(火)は信濃町でシンセのダビング、
1987(昭和62)年5月14日(木)は六本木セディックスタジオで町支さんのギターダビング、
1987(昭和62)年5月16日(土)と
1987(昭和62)年5月17日(日)は浜田さんのボーカル録り、
1987(昭和62)年5月18日(月) はビクタースタジオでギターの土方さんにぼくの曲を弾いてもらった。そして
1987(昭和62)年5月20日(水)~23日(土)の間にトラックダウン作業を行い、アルバムは完成した。息つく間もない日々だった。アルバム『CLUB SURFBOUND』は全7曲入りのミニアルバムで、作曲はバンドのメンバーが一曲ずつと浜田さんが二曲、作詞は全曲浜田さんが担当した。江澤くん作曲の、後に「プールサイド」とタイトルが付くナンバーは、ちょっとブラコンっぽい(ブラックコンテンポラリー)サウンドで、ちょうど当時流行っ ていたクール&ザ・ギャングのようなテイストの、独特のグルーブ感が難しい曲だった。江澤くんの書いて来た譜面は、ピアノの和音の積み重ね方も指定して あって、彼のこだわりが譜面を通して感じられた。ドラムはリズムマシンによる打ち込みで、シンバル類を高橋くんが叩いた。あとからスネアの音色をサンプリングして足したりもした。町支さん作曲の、後に「Gear Up409」となるナンバーは、タイトルからも分かるようにビーチ・ボーイズテイスト満載の楽しい曲で、エンディングにはビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」のフレーズもパロディで挿入された。古村くん作曲の、後に「Hot Summer Night」と名付けられたナンバーは、いかにも古村くんらしい骨太のロックな曲で、古村くん本人もちょっとだけ曲中でボーカルを披露している。梁くん作曲の、後に「曳航」とタイトルが付くナンバーは、梁くんのコンテンポラリーなテイストが良く出たお洒落な曲で、浜田さんもボーカルをオクターブにして二本入れる等、普段とはちがったアプローチをしていて大人な雰囲気を醸し出していた。「二人の夏」と「Little Sufer Girl」は浜田さん作詞作曲のナンバー。二曲ともビーチボーイズへのオマージュ。「二人の夏」は愛奴のデビュー曲のリメイクで、ぼくも当時からとても好きな曲だったので、レコーディングしていてとても嬉しかった。ぼくが作曲の「Harbor Lights」と名付けられたナンバーは、当時傾倒していたデビッド・フォスターやマイケル・オマーティアン等のLAサウンドを下敷きにした曲。江澤くんの弾くシンセベースが素晴らしい。コーラスはぼくと江澤くん、町支さんの三人で歌った。他のメンバーの曲はそれぞれ作者を彷彿とさせる歌詞だったが、ぼくの曲だけは作者は歌の中に全然登場していなくて、浜田さんが書いた詞を読んで「この曲の登場人物は全然オレじゃない」と思った(笑)浜田省吾のアルバム『CLUB SURFBOUND』は
1987(昭和62)年6月28日(日)に発売されると、アルバムチャートの一位を獲得した。同時に発売された、1985(昭和60)年のミニアルバム『CLUB SNOWBOUND』がカップリングされたCD『CLUB SURF&SNOWBOUND』も二位になり、チャートの一位と二位を独占した。
写真◆CLUB SURFBOUNDのレコーディング風景 at 観音崎マリンスタジオ。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/10/31-club-surfbound.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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┃ ♪フリフリ♪ ┃1965(昭和40)年 5月10日(月) リリース
┃ ♪フリフリ'65♪ ┃1989(平成元)年11月21日(火) リリース
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①https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%95%E3%83%AA
②https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%95%E3%83%AA%2765