過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)

 コロナではたらくかぞくをもつキミへ コロナ社長が広告
‡2020(令和二)年年06月13日(土) 5:30配信 朝日新聞デジタル
 写真◆コロナが地元紙の新潟日報に掲載した広告
 キミのじまんのかぞくは、コロナのじまんのしゃいんです――。暖房機器メーカー「コロナ」(新潟県三条市)は13日、社員とその家族向けのメッセージ広告を地元紙の新潟日報に掲載した。社名から新型コロナウイルスにまつわるニュースに心を痛める社員らに、自信を取り戻してもらいたいという思いを込めたという。「コロナではたらくかぞくをもつ、キミへ」と題し、小林一芳社長から宛てた形。子どもでも読めるように、全てひらがなとカタカナで書かれている。「もし、かぞくが、コロナではたらいているということで、キミにつらいことがあったり、なにかいやなおもいをしていたりしたら、ほんとうにごめんなさい。かぞくも、キミも、なんにもわるくないから。わたしたちは、コロナというなまえに、じぶんたちのしごとに、ほこりをもっています」などの内容だ。同社によると、新型コロナの感染が広がって以降、社員の子どもが学校などで中傷された事案の報告はないが、落ち込んで帰宅してきた子の話はあったという。広告掲載にあわせて、小林社長は「社名が新型コロナウイルスを連想させることから社員の家族やお子さんが学校やメディアで耳にする言葉に心を痛めることがあった」とのコメントを出した。広告と同じ内容の手紙も社員に送った。同社によると、社名のコロナは創業者の内田鉄衛が考案。コロナ放電の色とコンロの青い光が似ていることや、太陽の大気「コロナ」のイメージから、石油暖房機を表現する社名として命名したという。1935年に商標登録した。5月発表の2020年3月期決算は、売上高が前年比5・4%減の787億円、最終的なもうけを示す純利益が同69・1%減の3億円で減収減益だった。暖冬と少雪により暖房機の販売が振るわなかったためで、新型コロナ禍の影響はなかったとしている。(長橋亮文)
【動画】「マスク もういや」 幸せの黄色い旗で疫病退散
【関連記事】
 政府「布マスク、何とかして」 社長が取り出した設計図
「私やり直そう」 風俗やめた女性を救った1枚のマスク
 コロナが奪った25歳の中学生活 路上で倒れていたハナ
 歌舞伎町のホスト苦悩 店「休んだら罰金」…そして感染
 高3カップル、2人きりの自宅 震える彼女に手をかけた
◎コロナの石油ストーブと言えば昭和時代から有名なはずで、コロナ肺炎と結びつけて社員の家族を中傷するなど許せませんね。そういえばオウム真理教事件があった時も、全く関係がないオーム電機へ嫌がらせ電話等が殺到したんだよな。 返信 187件 21733 954
◎いろいろと意見はあるかもしれませんが、コロナ社の空気清浄機なんかは皮肉に思います。コロナ社の関係者は負い目なんか感じる必要なく頑張っていただきたい。返信 63件 18599 1603
◎歴史ある立派な会社だよ。風評被害は本当に迷惑。不二家が不祥事起こしたときは全く無関係の不二屋食品という会社が風評被害で倒産した。ノロウイルスが流行した時は全国の野呂さんがいじめなどに遭った。ウイルスなどに名付けするときは慎重にならないと。そういえば誰もCOVID-19なんて使わなくなったな。「コロナコロナ」多用するメディアにも原因があるのではないか 返信 122件 17126 1363
 https://news.yahoo.co.jp/articles/67443a02e25d9bd599ce8f417bb2e0186305324b

【今さら聞けない】エンジンブレーキって何ですか?
‡2016(平成28)年06月13日(月) 投稿日 TEXT: WEB CARTOP編集長 石田貴臣
 https://www.webcartop.jp/2016/06/43766/

 力道山が出場した試合の会場パンフレット30点
‡2017(平成29)年06月13日(火)放送
 鑑定依頼人 渡海正一さん
   鑑定士 泉高志 
  ジャンル 格闘技 
 本人評価額 ¥ 1,000,000
 エピソード 趣味は、あるプロレスラーに関する資料を集めること。5歳の時父と一緒に試合を見に行ったことがきっかけでファンになり、高校1年生の頃から集め始めた。かつては古書店を回っていたが、定年退職後は専らインターネットオークションで探している。コレクション総数はおよそ500点!日本でこれほど持っているのは自分だけと絶対の自信を持っている。しかし妻はこの趣味を全く理解してくれず、夫婦喧嘩をした際、何点か捨てられたことも。番組ですごいお宝と認めてもらえれば、少しは見直してくれるのではないかと期待している。
 https://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kaiun_db/otakara/20170613/02.html

【大反響】かっぱ寿司の「食べ放題」が予想外の大人気 / 11万5700人以上が詰めかけて大盛況のうちに終了したようです
 2017(平成29)年07月20日(木) 夢野うさぎ
‡2017(平成29)年06月13日(火)~
 2017(平成29)年07月14日(金)、全国21店舗で試験的に実施されたかっぱ寿司の「食べ放題」。
 平日14~17時、80種類以上の商品が70分間食べ放題になるというもので、
 初日から凄まじい人気ぶりでした。
 https://youpouch.com/2017/07/20/447448/
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 かっぱ寿司が"どん底"から抜け出せたワケ
 2019(令和元)年05月21日(火) 9時15分 プレジデントオンライン 
 https://news.livedoor.com/article/detail/16491142/
 ┏━━━━━━━┓
 ┃今日は何の日?┃
 ┗━━━━━━━┛※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
 2009(平成21)年06月13日(土) プロレスラーの三沢光晴さん死去 ⇒ プロレスラーの三沢光晴さんが、試合中にバックドロップを受けた後、意識不明となり、病院に搬送されたが亡くなった。三沢さんは1981年、全日本プロレスに入門し、同年デビュー。90年代に全日本のエースとしてプロレス人気をけん引した。全日本を退団後、2000年にプロレス団体「プロレスリング・ノア」を設立。社長兼レスラーとして活躍した。写真は1999(平成11)年撮影【時事通信社】※2024(令和六)年記事追加
 1987(昭和62)年06月13日(土) 広島の衣笠選手が前人未到の2131試合連続出場 ⇒ プロ野球・広島の衣笠祥雄選手が中日戦で2131試合連続出場を果たし、米大リーグのルー・ゲーリッグの記録を抜いて世界最多となった。その後、2215まで記録を伸ばした。写真は世界記録更新記念の花輪を手にする衣笠選手【時事通信社】※2024(令和六)年記事削除
 1948(昭和23)年06月13日(日) 太宰治が愛人と玉川上水に入水自殺
 1983(昭和58)年06月13日(月) 米無人探査機「パイオニア10号」が人工物体で初の太陽系脱出
 https://www.jiji.com/jc/daily

 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
‡1987(昭和62)年06月13日(土)“鉄人”広島・衣笠祥雄が2131試合連続出場
‡2017(平成29)年06月13日(火) 11:10 プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月13日だ。 
 写真◆記念の花輪を手にし、観客の大声援に応える衣笠
 今年、現阪神監督・金本知憲(広島─阪神)が持つ1766試合を抜き、歴代単独2位の連続試合出場記録を達成した阪神・鳥谷敬。しかし、歴代1位2215試合への道はまだまだ遠い。 
 1987(昭和62)年06月13日(土)は、この記録保持者である広島の衣笠祥雄が、当時のメジャー記録だったルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の2130試合を抜き、2131試合の世界新記録を樹立した日だ。 
 衣笠は65年に平安高から広島入団。当初は捕手で、背番号は28だった。のち頑丈な体に加え、この28が人気漫画『鉄人28号』を想起させたことで「鉄人」の異名を取り、さらに頑丈な選手たちの代名詞となっていくのだから面白い。68年に一塁手としてレギュラー定着、75年からサードにコンバート、背番号ものち永久欠番となる3となった。記録は、
 1970(昭和45)年10月19日(月)の巨人戦から、この日の中日戦(広島市民)まで足かけ18年。その間、数え切れないほどのケガ、そしてスランプもあったが、すべてを乗り越えての大記録だった。 
 セレモニーで「野球の神様に感謝します」と語った衣笠。
 1987(昭和62)年06月22日(月)には中曽根康弘首相から野球界では巨人・王貞治に次ぐ国民栄誉賞を授与され、記録は87年10月22日、自身の引退まで2215試合続いた。
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
‡1997(平成九)年6月13日(金) イチローが連続打席無三振のパ記録更新
‡2018(平成30)年6月13日(水) 7:00 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月13日だ。
 写真◆記者の数から当時の雰囲気が分かる
 1997(平成九)年は、オリックスのイチローが日本最多の216打席連続無三振の記録を作った年だ。 
 4月16日(水)のロッテ戦(ナゴヤドーム)で三振したのを最後に、連続打席無三振を続けてきたイチローは、東京遠征から帰った6月13日、ロッテ戦(神戸)の第4打席にセンター前ヒットを放ち、パ・リーグ記録の180連続打席無三振を更新。これまでの記録は1975年に近鉄・小川亨が作ったものだった。 
 しかし、神戸でこの年3度目のヒーローインタビューを受けたイチローは、記録について聞かれ、 
「……それは存じておりませんが」 
 と一言。さらに、 
「ふだん、僕が数字のことを聞かれると嫌がるので、担当記者の方やテレビ局のみなさんが僕の耳に入れないようにしてくださったのだと思います。そんなみなさんに感謝したいと思っています」 
 実際、今回の無三振記録について記者は「三振をしない方法」などについての質問はしてきたが、具体的に記録について尋ねることはなかったという。 
 イチローが記者たちに少し距離を取り始めた時期でもあったようだ。
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
 2001(平成13)年9月10日(月)“屈指のヒットメーカー”小笠原道大の記録挑戦がストップ
 2017(平成29)年9月10日(日) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月10日だ。 
 写真◆最後の打席も出塁ならず(左は西武の一塁手・カブレラ)
 2000(平成12)年限りでオリックスのイチロー(現マーリンズ)が海を渡った。異論はあるかもしれないが、7年連続で首位打者を続けた“安打王”の後、新たに王座に就いたのは、ガッツこと日本ハムの小笠原道大ではないだろうか。イチローと同じ1973(昭和48)年生まれ。しかもイチローが
 1973(昭和48)年10月22日(月)に生まれた3日後、
 25日が誕生日という男だ。 
 翌01年は、ある意味、次期のチャンピオンベルトを競う第1ラウンドだった。完全に「打高投低」の時代で、パ・リーグ全体のシーズン打率も.264とすさまじい数字になっているが、首位打者争いもまた、ハイレベル。最終的にタイトルを取ったのは、ロッテの福浦和也(.346)、2位が小笠原(.339)、3位がダイエーの松中信彦(.334)と続く。同年
 2001(平成13)年9月10日(月)は、
‡2001(平成13)年6月13日(水)から続いていた小笠原の連続試合出塁記録が60試合でストップした日だ。 
 この記録は上位2位までをイチロー(69試合、67試合)が独占。
 2001(平成13)年9月09日(日)に歴代4位の60試合としていた小笠原も十分に意識していたはずだ。小笠原は、この間、90安打で打率.363、四球31、死球3で出塁率は.440と好調を維持。10試合連続安打も続けていたが、
 2001(平成13)年9月10日(月)の西武戦(東京ドーム)は、遊ゴロ、二ゴロ、中飛、一ゴロと4打席凡退。 
「4打席もあって打てる球もあったのに……情けないです」 
 試合後の小笠原はそう言って唇をかんだ。 
 それでもシーズン195安打で2年連続最多安打。さらに翌2002(平成14)年から2年連続首位打者で、以後、日本ハム、パ・リーグではなく、球界を代表するスーパースターとなった。 
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
④┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
 1998(平成十)年07月07日(火) 千葉ロッテ、七夕の悲劇と18連敗の状況
 2018(平成30)年07月07日(土) 7:07 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は7月7日だ。 
 7月07日(火)、七夕のオリックス─ロッテ戦。GS神戸には平日にもかかわらず2万人の観衆が集まり、異様な盛り上がりを見せていた。ロッテの先発は、ここのところクローザーとして起用され、先発は
 6月18日(木)以来となる黒木知宏。ロッテは3対1とリードし、9回裏オリックスの攻撃を迎えていた。黒木の球威は衰えず、先頭のイチローを三振、ニールにライト前ヒットを許すも、谷佳知をファウルフライで二死。続くプリアムも2ストライク1ボールと追い込む。1球外した後の139球目だった。サインどおり、プリアムが苦手なはずの内角低めの速球を投げ込んだが、プリアムがまさかの同点2ラン。黒木はそのままマウンドに崩れ落ち、交代。ベンチ裏で号泣した。そして同点で迎えた延長12回裏にロッテの三番手・近藤芳久からオリックスの広永益隆が満塁サヨナラ弾。試合後、黒木は脱水症状と体力消耗から全身がけいれんし、コーチに抱きかかえられながら無言でバスに向かった。 
 6月13日(土)から始まったロッテの連敗はこれで17。単独のチームワースト記録になった。さらに翌日も破れ、18連敗。ようやく泥沼から脱出したのは、
 7月09日(木)のオリックス戦だった。 ただし、18連敗は決して一方的なものではなく、逆転負け10度、サヨナラ4度と紙一重の試合も多かった。今回は18連敗を簡単に振り返ってみよう。 
‡01連敗 6月13日(土) オリックス戦4対6(千葉マリン)※4回終了時点では4対2とリードも先発・小宮山悟が5回にKOされ、連敗のスタートを切る。 
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
⑤┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
‡1986(昭和61)年06月13日(金) デービスが死球王の東尾を襲撃!
‡2019(令和元)年06月13日(木) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は1986年6月13日だ。 
 写真◆死球を受け、東尾に殴りかかったデービス
 西武球場で行われた西武対近鉄戦、西武が5対3とリードしていた6回、西武先発の東尾修は先頭打者の栗橋茂を打ち取り、続く四番・デービスとの対戦を迎えた。テンポよく追い込み、カウント1ボール2ストライク。1球ファウルの後に投げた5球目だった。シュートがデービスの右ヒジに当たった。 
 その瞬間だった。怒りの表情を浮かべたデービスがすさまじい勢いでマウンドにダッシュ。東尾に4発のパンチを浴びせ、キックまで繰り出した。両軍の首脳陣、選手らが一斉に飛び出し、場内は騒然となった。もちろん、デービスは退場になったが、興奮は試合後も収まらなかった。 
「オレには養わなければならない妻と子どもがいる。正当防衛だ。おかしいだろ。東尾のようなコントロールのいい投手がどうしてオレに何度も危険な球を投げるんだ。処分は受けるが、反省をする気はない」 
 驚くべきことに東尾は続投し、気丈にも完投勝利を飾ったが、顔面打撲、右足首ねんざ、右ヒジ内側裂傷と多くの傷を負った。 
 デービスには出場停止10日間、制裁金10万円の処分となったが、この事件はその後、意外な動きを見せる。事件後、デービスの暴力は問題外としながらも他球団から“東尾にも問題あり”という声が数多く上がったのだ。史上最多の死球王、東尾の危険球に歯ぎしりしていた球団がいかに多かったかということだろう。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170613-01
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180612-01
 ③http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170910-13
 ④http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180706-01
 ⑤https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190613-10
************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.421 ┃  60円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1966(昭和41)年06月13日(月)号 金田正一復活の陰にソ連の秘薬が
 2019(平成31)年03月15日(金) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎巨人・長嶋茂雄、絶好調
 写真◆表紙は巨人・宮田征典
 今回は『1966年6月13日号』。定価は60円だ。
 30歳、父親にもなった巨人・長嶋茂雄が5月30日現在、打率.366で打率リーグトップに立っていた。 
「体調といい、カンといい、すべてうまく回転している。いまは少しも疲れを感じないし、それだけ快調なんだろうね」 
 余裕たっぷり。内角高めのクソボールを大根斬りでヒットにしたり、積極打法が光っていた。 
 一方、左ヒジの故障に苦しむ巨人・金田正一が「ソ連製の秘薬」でカムバックを図っているという、いかにも胡散臭い話もあった。 
 これは妊婦の胎盤から採取したエキスを脇腹から注射するというもの。しかも全身麻酔で注入部分を切開してから注射するらしい。 
 ソ連の高名な医師が東ドイツから技術導入してつくり上げたもので、値段がつけられぬほど高価。さすがの金田でも手が出ず、スポンサーだった製薬会社が手配してくれたものだという。 
 同じ民族、同じ血液型、しかも初産か二度目くらいの健康な妊婦から取らなくてはならず、胎盤探しはかなり時間がかかった。 
 そして、ほんとかウソか、これでヒジの痛みは消えたらしい。 
 実際、5月23日には多摩川のブルペンで200球の投げ込み、このときビデオカメラを持ち込み、10球投げるごとにフォームの確認をしていた。 
 藤田元司コーチも 
「この調子ならあと1週間でベンチ入りできるでしょう」 
 と話していた。  
 巨人では二軍落ちしていた新人・堀内恒夫が絶好調。イースタンの東映戦で14奪三振の好投を見せた。 
「球が変わらないでコントロールがついたから。前よりずいぶんよくなったと思うんです。早く一軍から声がかからないかと大張り切りで電話を待っているんですが」 
 と堀内。表情が明るいので尋ねると、10勝すると、金田から26万円のローレックスの時計をもらう約束があったらしい。 
 2年連続首位打者を狙う中日の江藤慎一が「江藤自動車株式会社」を設立、社長となった。自動車修理工場であるが、将来的にはモーテルにする計画もあったようだ。 
「ワシはいつまでも野球ができるとは思わない。だから野球選手をやめたときに、すぐメシが食えないようじゃいかん。そう考えてこの会社を作った」 
 では、また月曜に。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-201903314-02
************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
①┃ プロ野球仰天伝説 No.081 ┃ ONLINE
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
   【助っ人トンデモ話 No.32】
 お茶の間をあ然とさせる大立ち回りを演じたスラッガー【助っ人トンデモ話】
 2018(平成30)年3月14日(水) 11:05?長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 デービス[1984-88途 近鉄/内野手]
 近鉄・リチャード・デービス
 「助っ人」と言えば欠かせない(?)のが乱闘だ。球史に残る乱闘劇は
‡1986(昭和61)年6月13日(金)に西武球場で起きた。 
 6回表、「ケンカ投法」と呼ばれたNPB通算最多の165死球の記録を持つ東尾修(西武)のシュートがデービス(近鉄)のヒジを直撃。激高したデービスはマウンドにダッシュし、東尾をつかみ左側頭部に右ストレート。その後もパンチを3発、キックと続けた。 
 「東尾はコントロールのいい投手。狙って当てた」 
 この日は珍しく、パ・リーグのナイターが全国ネットで放送されていただけに、お茶の間もあ然とする大立ち回りとなった。両軍ベンチからナインが飛び出した。その中から助け出された東尾の左目下にはアザが残り、右足を引きずりながらベンチへ。だが、「ここで降板したらカッコ悪い」と123球を投げ、9安打4失点で完投勝利を挙げた。 
 デービスには出場停止10日間、罰金10万円が課されたが、東尾の内角を突く投球を批判する声もあった。デービスは感情の起伏が激しいと以前から言われていた。2年後、自宅で大麻の不法所持で現行犯逮捕され、解雇された。
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
②┃ プロ野球仰天伝説 No.173 ┃ ONLINE
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
 平松政次の“カミソリシュート”は右足親指のタコが秘密
‡2018(平成30)年6月13日(水) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 長嶋を苦しめた武器
 大洋・平松政次
 通算51勝を挙げ、巨人キラーとして名を馳せた大洋の平松政次の全盛期は“カミソリシュート”と言われる武器があった。 
 縫い目には指はかけず、腕は多少遅らせてストレートと同様に思い切り振る。そこから放たれたボールは150キロの高スピードで、ベース上で大きく真横に曲がり、カミソリのようにキレ味鋭く右打者の胸元をえぐっていった。 
 特に巨人の長嶋茂雄を大いに苦しめたボールで、1972年から25打席連続無安打と完全に攻略。「長嶋さんにシュートをまともに打たれた記憶はない。8本ホームランを打たれたけど、全部真っすぐかカーブだろうね」と平松は言う。 
 さらに、平松の右足親指の裏側にすごい“タコ”ができていた。マメが固くなってタコのようになってしまうのだ。それだけ蹴る力があったからである。“カミソリシュート”の秘密はここにあった。 
「晩年になるとステップの幅も狭くなり、タコができなくなった。それだけエネルギーがなくなってきたのでしょうね。若さってのは、どうあがいても取り戻せないものですよ」 
 平松の述懐であるヨ(=^◇^=)
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180314-10
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180613-12
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
************************************************************

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る