過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)


 ミスチルの365日って曲、名曲ですか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12136237062
 ミスチルの365日って、曲いいと思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13136264963

 30年前のコンサートレポ~1984年編・最終回~浜田省吾さん 
†2014(平成26)年12月31日(水) いよいよ2014年も今日で終わり。今年もmusic cafe Folks並びにユタ波鳴村のブログをご贔屓(?)いただいてありがとうございました。さてさてお約束のシリーズ最終回ですが、今回で「30年前のコンサートレポ」シリーズ自体を終了したいと思います。この企画は学生時代に行ったコンサートのチケット半券とセットリストのメモのファイルが実家の倉庫から見つかったことから始めたのですが、社会人になって以降はこんなまとまった記録は残していないので、当初からこの年でおしまいにしようと思っていました。この後のコンサートでも出来るだけセットリストはメモっているのですが、最近のチケぴやローチケではもうかつてのような「チケット半券」を残しておく楽しみが薄れてしまっていますものね。というわけで、今回は(実際は29年と11ヶ月前ですが(^^;)学生時代最後に行ったコンサート、
 1985(昭和60)年01月21日(月) 島根県民会館で行われた浜田省吾さんの「ON THE ROAD’84」を紹介します。
 1、愛の世代の前に
 2、Hellow Rock&Roll City
 3、東京
 4、反抗期
 5、朝のシルエット
 6、土曜の夜と日曜の朝
 7、ラストショー
 8、愛する人へ
 9、MIRROR(Remember1971)
 10、~DJお願い!
 11、~バックシート・ラブ
 12、DADDY'S TOWN
 13、EDGE OF KNIFE
 14、PAIN
 15、マイホームタウン
 16、独立記念日
 17、DANCE
 18、MONEY
 19、ON THE ROAD
 アンコール
 20、DOWN BY THE MAINSTREET
 21、LITTLE ROCKER'S MEDREY(今夜はごきげん~High School R&R~あばずれセブンティーン)
 このツアーは浜田さん初のセルフプロデュースアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』発表後だったので、なんというかリニューアル感が強かった。それまでのバックバンドThe Fuseからメンバーチェンジがあったりして、アットホームな雰囲気よりも緊張感の方が強くて、浜田さん気合い入っていたなぁ。後になってこの頃はメンバー間があまりうまくいってなかったという話を聞いて、「あぁなるほど」と思ったりもしましたが、シンプルながらも演奏のレベルの高さはさすがだと感じましたね。特にドラムを叩きながらコーラスを入れる野口さんに当時は引き付けられました。ところでユタは今年念願だった「カンフル罪」(ギター町支さんとサックス古村さんのユニット)のライブも聴きに行けましたが、浜田さんのバンドのメンバーでこの頃から変わっていないのはこの二人だけなんですね。オープニング曲の次に「Hellow Rock&Roll City」でその街の名前を入れるパターンもこの時からか。うーん、やっぱり30年、歴史を感じますね。こんな風に1年ずつ歳を重ねてここまで来たのか・・・。これからもたくさんのライブを聴きに行くと思いますが、その時々の思い出が演奏曲に重なっていくんだろうなぁ。Folksで行われるライブにも、来てくれた方の思い出が重なっていってくれればいいなと願いつつ、このシリーズと今年のブログの締めにしたいと思います。ではでは、今年もホントにお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。またね(^^)/~
 https://cafefolks.exblog.jp/22691485/

 映像◆【紅白】浜田省吾「大晦日の夜は俺にくれないか?たとえ最初で最後の夜でも」  https://youtu.be/xAXavTFOzdc
 
 映像◆浜田省吾 紅白 サプライズ出演?  https://youtu.be/sZoqqgZAEq8
 2015/12/17 に公開 浜田省吾『NHK紅白』に急浮上 究極のサプライズ 関係者「手応え十分」
 今年の大みそかの「第66回NHK紅白歌合戦」で、サプライズとして歌手、浜田省吾(62)と出演交渉していることが15日分かった。 
“ハマショー”はいまだ紅白出演のない大物のひとり。正式に出場が決まれば、戦後70年の特別企画枠で長崎から生出演するMISIAと並び、故郷の広島からの生中継となり、話題性も抜群だ。 
今年は、昨年の中島みゆきやサザンオールスターズ、中森明菜といった“目玉”がない中、戦後70年企画としてMISIAの出演が決定。 
しかし業界内では「前回のアフリカ中継に比べたら弱い」との声があり「目玉は案外、小林幸子かも」とささやかれる始末。 
歴史的な“シラケ紅白”になりつつあったが、究極の“隠し玉”が浜田のサプライズ出演だ。NHKは、戦後70年企画として浜田に白羽の矢を立て、広島から浜田、長崎からMISIAという“Wサプライズ”を準備。 
現時点で浜田は「全く考えていない」とされているが、NHK関係者は「手応えは十分。可能性はある」所属レコード会社も、浜田への説得を続けているという。 浜田は今年、ロックバンド、愛奴(アイド)でのプロデビューから40年目。来年はソロ・デビュー40周年を迎える。 
それに合わせ、オリジナル・アルバム「Journey of a Songwriter~旅するソングライター」も発売。 
さらに“還暦”になって初の全国ツアーを約3年ぶりにスタート。 全国ツアーの東京公演は「紅白」の舞台である東京・渋谷のNHKホールで行われた。今年は26日の広島公演で終了する。 


 映像◆1988年 アルバム大賞 受賞コメント 氷室京介  https://youtu.be/TJVFKnZm18U
 
 映像◆1988年 アルバム大賞 ANGEL 氷室京介  https://youtu.be/8aAfaelvIRg
 
 映像◆1988年 アルバム大賞 ALISON 氷室京介  https://youtu.be/9idQ3Ujg8SI
 
 氷室京介の作曲 ♪3001年のスターシップ♪ 小泉今日子
 小泉今日子10枚目のアルバム作品『Hippies』に収録 1987(昭和62)年3月5日(木)リリース
 アニメ◆動画:氷室京介の作曲 ♪3001年のスターシップ♪ 小泉今日子 
 ダイジェスト◆動画:氷室京介の作曲 ♪3001年のスターシップ♪ 小泉今日子 
 静止画◆動画:氷室京介の作曲 ♪3001年のスターシップ♪ 小泉今日子 
【BOOWY 氷室京介】 ソロデビュー直後の貴重  https://youtu.be/Tk2rLRJnBrM
 


 河合奈保子 松田聖子 小泉今日子 中森明菜 山口百恵 キャンディーズ 音合わせ 他 https://youtu.be/fHE48-iOrtY
 12月29日 音合わせ
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ♪HERO ヒーローになる時、それは今♪/甲斐バンド ペストンで熱唱! ┃
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 ┌─――――――――――――┐
 |2012(平成24)年 3月15日(木)|スポニチ Sponichi Annex 情報配信
 |1978(昭和53)年12月20日(水)|リリース
 └─――――――――――――┘
計72万枚のレコード売り上げを記録した、ヒット曲の実質的お披露目は華々しかった。78年12月31日から79年1月1日に変わった瞬間だった。民放各局は一斉に同じCMを流した。ややしゃがれた声のリードボーカル、甲斐よしひろが「HERO ヒーローになる時、アハーそれは今…」とゾクッとするようなフレーズをシャウトした。デビュー2年目からテレビ出演をせず、年間100本のステージをこなし続けてきたライブにこだわるバンドが新年早々、時計の「SEIKO」のCMを通して、あけましておめでとう代わりに強烈なインパクトのあいさつを全国に届けた。このCMの反響は大きかった。正月からテレビ局をはじめ、SEIKO本社の電話は鳴りっ放し。歌謡曲、演歌、時々ニューミュージックの歌手がテレビの歌番組に出演する主流とすれば、ロックバンドはまだ正当に評価されてはいない時代。それでもリスナーの感度は敏感。サビを聞いただけで、魂を揺さぶられた。ロックをやっていると、人生斜に構えて、冷めたようなイメージが付き物だが、甲斐が伝えたかったメッセージは希望、勇気、そして愛。誰もが大切だと分かっていても、大声で言えなくなってしまったものを“ヒーロー”という言葉に乗せた。甲斐は当時のインタビューでこう言っていた。「甘酸っぱい思いでも、悲しくて泣いてしまうような歌でもいい。けれどいつまでも泣き濡れていてはダメ。人間生きていかなくちゃいけないんだから、そしたら明日をみつめるべき。チャンピオンになれるヤツは限られているけど、ヒーローにだったらそれぞれなる瞬間がある」。もうすぐ還暦を迎える甲斐。いまでも現役ロッカーである。
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 http://ja.wikipedia.org/wiki/HERO%EF%BC%88%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%99%82%E3%80%81%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AF%E4%BB%8A%EF%BC%89
 http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/03/kiji/K20120315002834410.html
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 1988(昭和63)年12月31日もうひとつの(土)曜日放送
 映像◆『日本レコード大賞』アルバム大賞受賞『FLOWERS for ALGERNON』氷室京介  http://youtu.be/TJVFKnZm18U
 
 映像◆♪ANGEL♪『日本レコード大賞』アルバム大賞 http://youtu.be/8aAfaelvIRg
 
 映像◆♪ALISON♪『日本レコード大賞』アルバム大賞 http://youtu.be/9idQ3Ujg8SI
 
 ◆レコ大の歌?◆http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=10817
 ANGELで見る氷室京介の変遷<3> TURNING POINT 88-89 
 1988年暮の日本レコード大賞では、「Flowers For Algernon」は最優秀アルバム賞を獲得。「ポピュラリティを持ったロック・アルバム」として最高の評価を得た。授賞式のステージにて、真っ赤なスーツに身を包んだ氷室は名台詞を残す。「この賞はひとえに氷室京介を支えてくれたスタッフ・ミュージシャン、そして何より俺の実力のおかげだと思います」自信に満ち溢れたその眼、そのオーラ。謙虚さと大胆さを兼ね備えた最強のロック・ミュージシャンがそこにいた。授賞式ステージではALISONとANGELを演奏。わずか2曲の中に、彼のボーカリストとしての幅の広さを見せ付けた。ALISONは後に本人が言ったように「すごく難しい」バラード。レンジの広いメロディラインを圧倒的な声量で歌い上げる氷室の額には、玉のような汗が流れる。ANGELは特別にエンディングソロを短くしたバージョン。全くビートを外さないリズム感、そして何よりその存在感。彼のソロデビュー元年は、こうして幕を閉じた。そして新たなステージへ ANGELとともに
 http://ameblo.jp/thaimai/entry-10009365704.html
 氷室京介初アルバム作品レコード大賞コメント  https://youtu.be/dpyIHGSpvsk
 

  1989年 Mr.Children結成前日。One Day Before The Band "Mr.Children" Started
 映像◆Mr.Children「くるみ」Music Video  http://youtu.be/3Um_xMmE8OA
 Mr.Children 1988(昭和63)年12月31日 結成前日
 

 1980紅白歌合戦リハーサル 松田聖子http://v.youku.com/v_show/id_XNjAxNzM5ODA0.html

1971年の本日、第13回日本レコード大賞に輝いた尾崎紀世彦の曲は…。
2015年12月31日執筆者:丸芽志悟
一年を締めくくる12月31日の風物詩といえば、NHK・紅白歌合戦、そして「輝く!?日本レコード大賞」だ(2006年からは12月30日の放送に変更)。 ここ数年は紅白の前座という程度まで影が薄くなってきているレコ大だが、少なくとも主流記録メディアが塩化ビニール盤だった時代に於いては、まさにその年のエンタメ界を総括するステータスであった。1959年(昭和34年)に制定されたその第一回受賞作品が、未だレコード会社として正式発足以前の状態だった東芝の初リリース曲、水原弘「黒い花びら」であったことは、その後の日本音楽界の発展を思うと暗示的である。以後昭和末期までに至る受賞曲の多くは、それぞれに語るべきドラマを持っており、今回はその内の一つ、1971年度の受賞曲にスポットを当て、当コラムの2015年を締めくくることにしたい。去る8月、筆者の出演した「阿久悠ナイト」でもマストの一曲として取り上げた、尾崎紀世彦「また逢う日まで」である。この曲が大賞を受賞するまでの物語は、実に2年に及ぶ。
始まりは1970年初頭。2枚目のシングルのB面から思いがけぬヒットに転じた「白いサンゴ礁」でGS停滞期に爽やかな風を送り込んだズー・ニー・ヴーは、4枚目のシングルで初めて筒美京平と手を組む。元々は大手電機会社のエアコンCMソングとして作られたメロディーを改作し、前作・前々作に引き続いて阿久悠を作詞家として起用。挫折した若者に向けてのポジティヴなメッセージ(当時の学生運動は、今から想像できないほど建設的な意味でも大きかった)を歌い込んだその曲「ひとりの悲しみ」は、残念ながらヒットチャート入りを逃したが、その年の11月に公開された映画「野良猫ロック・マシンアニマル」(日活)には、この曲をクラブで演奏する彼らのシーンが残されている。
その映画が公開された頃、ズー・ニー・ヴーの原盤制作を担当していた日音のプロデューサー、村上司は、この曲のポテンシャルを無駄にしてはならないと考え、こちらも日音に所属していた3人組コーラスバンド、ザ・ワンダースから独立したばかりの尾崎紀世彦にこの曲を託す。基本的メロディーやアレンジはそのまま、阿久悠自身により歌詞のシチュエーションが「終わろうとしている男女の関係」へと改変され(ただし所々に「ひとりの悲しみ」の名残が見られる)、こうして「また逢う日まで」が誕生。71年3月5日にフィリップスからリリースされた。
実はズー・ニー・ヴーのレコードでの演奏メンバーの多くがこちらにも参加しており(映画で見られる彼ら自身の場末感溢れる演奏も捨て難いけど)、演奏そのものが持つドライヴ感はソウル ~ジャズのそれに近い。ヴォーカルとの境界線を埋めるバックコーラスは意外に無視できないが、これは元ザ・ワンダースだった二人(一人はのちに「日立の樹」を始め数々のCMソングやアニソンを歌うことになる朝紘一である)によるもの。そして、フォークを基調にR&Bの味をまぶしたズー・ニー・ヴーの町田義人の歌唱と対照的に、トム・ジョーンズに象徴される白人男性的な力強さを強調した尾崎の歌声は、見た目と合わせてインパクトを強烈に聴き手に残しやすい。そこが解りやすいメロディー、特にサビでの口ずさみやすい歌詞表現(これは「ひとりの悲しみ」に決定的に欠けていた要素である)と相まってみるみる大衆に浸透し、オリコンでは5月17日付でチャート1位を記録。その後9週間その座を守り抜き、総売上枚数は100万枚近くに達した。
この年の歌謡界は、小柳ルミ子や南沙織の登場、3度の改名を経た五木ひろしの遅すぎたブレイク、さらに加藤登紀子「知床旅情」や湯原昌幸「雨のバラード」などのリメイクヒットや、欧陽菲菲「雨の御堂筋」のヒットでベンチャーズ歌謡第二期黄金時代がスタートするなど、正に翌年以降の百花繚乱状態の前兆といった雰囲気。そんな中、正に余裕綽々という印象さえ伺わせる「また逢う日まで」の大賞受賞。阿久悠はその後、76・77・78年の3年に渡り大賞受賞曲を手がけるという見事なハットトリック。その翌年には筒美京平も「魅せられて」で2度目の大賞を授与されることになる。正に「記念碑」。この権威は、そして歌謡界の輝きは、一体どこへ行ってしまったのだろう…尾崎紀世彦も、2012年5月30日に帰らぬ人となってしまうのである。
http://music-calendar.jp/2015123101

1979年12月31日、ジュディ・オング「魅せられて」が第21回レコード大賞を獲得
2016年12月31日執筆者:榊ひろと
作曲家・筒美京平が尾崎紀世彦の「また逢う日まで」(1971年)に続いて2度目のレコード大賞に輝いた曲であることはよく知られているが、プロデュースを担当したCBSソニーの酒井政利ディレクターにとっても日本コロムビア時代に手掛けた青山和子の「愛と死を見つめて」(1964年)以来のレコード大賞受賞曲となったのである。
ことの発端は約2年前に遡る。大手広告代理店が各界のクリエイターを招待した南太平洋への旅において酒井は版画家の池田満寿夫と意気投合し、当時執筆に取りかかっていたデビュー小説「エーゲ海に捧ぐ」の構想を聞かされたことが契機であった。つまりベストセラー書籍に題材を採ったイメージ・ソングを映像化に先駆けて仕掛けていくという手法は「愛と死を見つめて」の時と変わっていない。
歌い手に抜擢されたジュディ・オングは国際派青春スターとして人気を博した1960年代後半にアイドル路線での歌手デビューを飾っているが大きな成果には結びつかずその後は女優業に専念していた。歌手としての捲土重来を期したジュディはソニーへと移籍、酒井がプロデュースを担当することになった。こうしたベテラン女性の再生は酒井にとってお手の物であり、70年代前半にも朝丘雪路、坂本スミ子、金井克子、内田あかりを成功へと導いている。
作詞の阿木燿子は夫の宇崎竜堂とのコンビで山口百恵の一連のヒット曲を手掛けて一躍時代を象徴する女性像へと上り詰めた存在で、当時の酒井の懐刀でもあった。この時期には宇崎以外の作曲家とも積極的に組みだして、キャンディーズのラスト・シングル「微笑がえし」(作曲・穂口雄右)や水谷豊の人気ドラマ主題歌「カリフォルニア・コネクション」(作曲・平尾昌晃)をヒットさせていた。筒美とも岩崎宏美や郷ひろみの作品でコンビを組んでいた。
筒美京平の楽曲としては前年あたりから手掛けてきた庄野真代「飛んでイスタンブール」や中原理恵「東京ららばい」など、ニューミュージック系女性歌手に提供したエキゾチック路線の延長線上にあるもの。またアレンジ面では1960年代後半から随所で取り入れてきたポール・モーリア的なゴージャスなオーケストレーションを施したサウンドの集大成でもある。
80年代以降の筒美は編曲を自ら担当することは少なくなり、次第に若手のアレンジャーにサウンド作り委ねるようになる。また「魅せられて」の余波としては筒美が梓みちよ「よろしかったら」や小柳ルミ子「来夢来人」などベテラン勢の再ヒットに続けて貢献したこと、酒井の陣営からは“シルクロードのテーマ”を掲げた久保田早紀「異邦人」のメガヒットが誕生したことが挙げられよう。
ジュディ・オング「魅せられて」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
ソニーミュージックジュディ・オング公式サイトはこちら>
≪著者略歴≫榊ひろと(さかき・ひろと):音楽解説者。1980年代より「よい子の歌謡曲」「リメンバー」等に執筆。歌謡曲関連CDの解説・監修・選曲も手掛ける。著書に『筒美京平ヒットストーリー』(白夜書房)。 
http://music-calendar.jp/2016123101

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