過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)


 「カバ車」や「カバ子」による宣伝活動を開始 ⇒ 1953(昭和28)年、1頭の子カバをドイツから購入し、1952年、子カバそっくりな車を15台以上製作し、キャラメルの宣伝活動のため、全国を周りました。「カバ子」と名付けて、水槽付きトラックに乗せて西日本を中心に周りました。本物のカバが珍しかったその時代、カバ子は子どもたちに絶大な人気を誇り、鮮烈な印象を与えました。約2年後、カバ子は、池田動物園(岡山市)に引き取られ、その後、「デカ」と名前を変え、晩年をいしかわ動物園(石川県・辰口町)で過ごし、日本一長寿のカバとしてみんなに愛されました。
†2010(平成22)年08月05日(木)、推定年齢58才(人間で100才以上)で生涯を終えました。
 https://www.kabaya.co.jp/about/history.html

 安倍総理 広島豪雨被災地を“傲慢視察”で被災者を怒らせた
 2018(平成30)年8/26(日) 7:05配信 
「(被災地を)早く良くしてください」と声をかけられると、「ハイハイ」と気の抜けた返事。 避難所を視察後、首相は高級ホテルで岸田政調会長と会食し、スイートルームに宿泊した 
「私らは泥だらけのデコボコ道を乗り越えて毎日生活しとるのに、安倍さんが歩くのは整備されたピカピカの道だけ。あれじゃあ、私らの気持ちなんてわかるわけないじゃろう」(呉市在住の50代男性)
「赤坂自民亭」の一件で失墜した信頼を回復するため、7月11日に岡山県、7月21日に広島県と、西日本豪雨被災地を視察したものの、「人気取り」と逆に批判を浴びた安倍晋三首相(63)。どうやら今回の視察も、失敗に終わったようだ。
‡2018(平成30)年8月5日(日)、自衛隊機で広島空港に降り立った安倍首相は、東広島市の崩落現場などを視察した後、呉市内にある避難所「天応まちづくりセンター」を訪問した。だがここで、その“傲慢視察“に被災者からの不満が噴出したのだ。
「朝から、呉市や防衛省、警察の職員が慌ただしくお出迎えの準備をしているので、何かあるのかなと思ったら安倍さんじゃった。職員たちはみんな浮ついていて、私たちのことは二の次状態でした」(避難者の40代女性)
「避難所の入り口には、外から戻った人が泥を落とすためのタオルが敷かれているんですが、視察の日は、安倍総理用に新品のものが用意されていました。首相のためのタオルじゃないのに……。なんで私たちがもてなしてあげなきゃいけないんですかね」(避難者の20代男性)
 前日の2018(平成30)年8月4日(土)には、ジャニーズの木村拓哉(45)、三宅健(39)、生田斗真(33)の3人も同じ避難所を訪問。被災者の生活を気遣って謙虚に大人しく振る舞っていただけに、安倍首相との差はなおさら際立ったという。前出・呉市在住の50代男性が語る。
「一番疑問だったのは、安倍さんが通るときに信号を全部青にしよることです。高速が通行止めになったり、電車が不通になったりで、豪雨以来、呉市内の道は大渋滞になっている。でも、安倍さんがクルマで通るときは、10分前くらいから信号を全部青にして、他の一般車は全部足止め。復旧作業の自衛隊も渋滞のなか来てくれちょるのにね。正直、これなら視察なんて来てくれないほうが良かった、というのが本音です」
 最も“忖度“しなければいけない被災者の気持ちを無視し、自分勝手な訪問を続けた安倍首相に、政治ジャーナリストの角谷浩一氏もこう苦言を呈する。
「総裁選のための『人気取り訪問』としか思えない、という当然の国民感情が理解できていない。しかし最も問題なのは、それを注意する者も自民党内にいないということです。このまま3選を果たせば、ますます周囲がモノを言えない状況は顕著になるでしょう」
 2018(平成30)年9月20日(木)の総裁選で予想通り圧勝を果たしてしまえば、安倍首相の傲慢ぶりはますます酷くなりそうだ。
 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180826-00010000-friday-pol
 ┏━━━━━━━━━┓
 ┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものです
 ┗━━━━━━━━━┛
 1994(平成六)年08月05日(金) 福徳銀行神戸支店で5億円強奪事件 ⇒ 午前9時20分ごろ、神戸市中央区の旧福徳銀行神戸支店前路上で、現金輸送車からジュラルミンケース3個を店内に運ぼうとしていた行員3人に短銃のようなものを突き付け、現金5億4100万円を奪った。被害額は当時の最高額だったが、2002年4月に時効が成立した。写真は事件現場【時事通信社】※2020(令和二)年記事追加
 1912(大正元)年08月05日(月) 東京・有楽町の「タクシー自働車」が日本初のタクシー事業を開始
 1991(平成三)年08月05日(月) ホンダ創業者の本田宗一郎さんが84歳で死去 ⇒ 自動車工業界の伝説的な経営者、本田宗一郎さんが84歳で死去した。高等小学校を卒業後、自動車修理工として技術を学び、1948年に本田技研工業(ホンダ)を設立。補助エンジンから二輪、四輪へと進出し、F1などのレースにも挑戦。「世界のホンダ」へ導いた。写真はアイルトン・セナ(右)と肩をくむ本田さん【AFP時事】※2020(令和二)年記事削除
 1962(昭和37)年08月05日(日) 米女優マリリン・モンローが謎の死 ※2020(令和二)年記事削除
 2010(平成22)年08月05日(木) チリで鉱山落盤事故が発生。取り残された33人は無事救出 ※2020(令和二)年記事削除
 https://www.jiji.com/jc/daily
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
‡1997(平成九)年08月05日(火) マウンドの吉井理人を襲ったレーザービーム事件!
‡2017(平成29)年08月05日(土) 11:10 
 写真◆マウンドで球審に「あそこだ」と説明する吉井(中央)
 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月5日だ。 
 野村克也監督の下、ヤクルトが優勝を飾った1997年の話である。ヤクルトは野村監督就任後、92、93、95年に続き、4度目の優勝。広沢克己(すでに巨人に移籍)、池山隆寛、古田敦也らを軸にしながらも、他チームでくすぶっていた選手が印象的な活躍を見せ、いわゆる「野村再生工場」と言われた。 
 97年もまた、広島から引退勧告を受け、自由契約で移籍してきた小早川毅彦がいきなり開幕の巨人戦(東京ドーム)で3連発。投手陣ではいずれも95年加入で、ダイエーでは実績を残すことができなかった田畑一也が15勝、近鉄で首脳陣との確執があった吉井理人が13勝を挙げ、先発陣の柱となった。 
 事件は8月5日の巨人戦で起こった。先発は吉井。舞台は巨人主催ながら、吉井の古巣・近鉄の本拠地・大阪ドームだった(現・京セラドーム。ただ、この年の開場なので、近鉄時代の吉井の登板はない)。 
 3回裏無死、マウンドの吉井の右目に赤い光線が直撃した。 
「(捕手の)古田のサインが見えにくいなと思って顔を上げたら光線が目に入った。それからは右目に影ができたみたいで集中力に欠けてしまった」(吉井) 
 すぐ吉井は球審を呼び、「やめさせてくれ」と抗議。犯人は試合開始直後からヤクルトの選手を狙ってチカチカやっていたという。すぐさま警備員が、吉井が指差した方向で犯人捜しをしたが、結局、特定はできなかった。吉井はこの回2点を取られ降板し、試合も敗れた。 
 試合後、野村監督は「いろいろな味方が巨人はおる。巨人に勝つのは大変や」と、ぼやいたが、調査してみると、それ以前に甲子園の阪神戦で巨人選手が被害を受けたことも分かったから、同一人物であれば、巨人ファンというわけはあるまい。 
 その後、しばらく各地の球場で警備強化が行われた。なんとも人騒がせな事件であった。 
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
 1990(平成二)年08月04日(土) 大洋─中日、2日がかりのロングゲーム
‡1990(平成二)年08月05日(日) 大洋─中日、2日がかりのロングゲーム
 2018(平成30)年08月04日(土) 10:07 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は8月4、5日だ。 
 写真◆壮絶な試合を物語るスコアボード。ビジョンにはインタビューを受ける大洋・パチョレックが 試合途中には3万人いた観衆が、試合終了時には数千人、いや最後は数百人にも見えた。ゲームセットの瞬間、カネや太鼓の鳴り物を控えて声と拍手だけが響いていた横浜スタジアムには、歓声とため息が充満した。 
 8月4日、午後6時20分に始まった大洋─中日戦は、午前零時11分にゲームセット。史上2度目の日付が変わる一戦となった。延長15回、5時間51分は、当時の日本最長記録である。 
 未知の試合への案内人となったのは、落合博満だ。 
 大洋・斉藤明夫、中日・今中慎二の先発で始まった試合は、大洋がパチョレックの3ラン、2ランで5対2とリードしていたが、8回表、落合が斉藤から25号3ランで5対5と追いつき、そのまま延長戦に突入した。 
「ふだんは試合を見に来てくださいと、必死にお願いして歩いているのに」と関係者がうなった午後10時半、場内には「神奈川県青少年保護育成条例により18歳未満の方は、午後11時までにお宅に到着するようお帰りください」とウグイス嬢の声が響いた。 
 ヒーローを映し出すはずのスクリーンにもJRや地下鉄の最終時刻が映し出され、帰宅をうながす。延長戦に入ってからも両軍ピンチとチャンスが交互にやってくる白熱した展開となったが、客席は徐々にまばらとなっていた。 
 15回裏、大洋は一死一、二塁から代打・田代富雄が1500試合を飾るライト前ヒットで満塁となり、最後はパチョレックの一打でサヨナラ勝ち。 
「もう、あそこはフライを打つことしか考えてなかったよ」 
 律儀にもヒーローインタビューに立った全打点のパチョレックの声が響いたとき、横浜市内を走る地下鉄は出た後、JRも上り東京行きはすでになかった。 
「やっている身になってみろと言いたいね」と、この年から採用された「延長15回制」に苦言を呈したのは、勝った大洋・須藤豊監督。 
 負けた中日・星野仙一監督は「鹿島(忠)がよく投げた。勝たせてやらにゃいかん試合だった」。 
 鹿島は二番手として8回から登板し、13回まで6イニングを無失点に抑えた。11、12回はいずれも故意四球で連続満塁策としながら、108球の力投だった。 
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
‡2003(平成15)年08月05日(火)「日本は細かすぎる!」広島の助っ人右腕が……
‡2019(令和元)年08月05日(月) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2003年8月5日だ。 
 写真◆シーズン最多の11ボークを犯したブロック
 これはもう開き直りの心境だったのかもしれない。広島の助っ人右腕、クリス・ブロックがまたボークを連発した。この日、ナゴヤドームで行われた中日戦。先発したブロックは6回裏に2度ボークを犯し、これでシーズンのボークは11となって、プロ野球ワースト記録を作った。 
 それまでの記録は1973年の江本孟紀(南海)の10。ブロックは2度目の1イニング2ボークだった。それでもしっかりと勝ち投手になってしまうのが、ブロックの面白いところ。6回まで2失点で5勝目を挙げた。 
「アメリカでは楽しくやっていたのに……。日本は細か過ぎる」とブロックはブツブツと文句を言っていた。 
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170805-11
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180803-01
 ③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190805-12
************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.069 ┃30円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1959(昭和34)年08月05日(水)号 特集 三原、鶴岡、別当の激突
 2018(平成30)年01月04日(木) 11:08 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎『狙われた長嶋、抗議する豊田~続発するビーン・ボールの恐怖』
 写真◆表紙は巨人・王貞治
 今回は『1959年8月5日号』。前回定価が40円に上がったと書いたが、失礼、やはり定価は30円だった。特別定価の表示はなかったが、よく見ると本文は通常号より12ページ多かった。逆に今回はページ数を戻し、センターカラーページは消えた。大先輩たちも試行錯誤しているようだ。 
 グラビア巻頭は21号本塁打を打った大洋の桑田武。センターグラビアでは『3冠王を競う長嶋と桑田』と題し、桑田と巨人・長嶋茂雄が徹底比較されている(2人の力コブの写真も)。 
 本文巻頭は、巨人独走のセに比べれば多少は混戦気配のパの優勝争いで、『三原、鶴岡、別当の激突~もつれるかパ・リーグ夏の陣』。三原脩監督の西鉄、別当薫監督の大毎に追われる首位南海の鶴岡監督は次のように語っている。 
「大毎のほうがすごみがあるな。西鉄はいま当たってないよ。ただね、西鉄の強さというのは、うちと大毎、そして西鉄が首位を争った場合、やはり優勝経験があるから西鉄に有利となってくる。そうならないためには、やはり独走態勢を築くこと。それを実現するためには、1戦1戦を勝ち抜くことだ」 
 この時期、死球が急増していたようで『狙われた長嶋、抗議する豊田~続発するビーン・ボールの恐怖』という記事があった。7月1日から10日までに10の死球があったらしいから穏やかではない。これによると日本球界で初めて「ビーン・ボール」という言葉を公に使ったのは、西鉄の若生忠男で、そのときは大騒動となったらしい。 
『12球団週間報告』の広島ページには、のち阪急ほかを指揮する名将・上田利治の逸話があった。このときは現役捕手だったが、打席でインコースの厳しい球がグリップに当たった際、左手を痛そうにしながら一塁に向かって走り出したという。これぞ広島捕手の後輩・達川光男の名人芸「当たったふり死球」ではないか。まさか元祖がウエさんとは思わなかった。 
 では、またあした。<次回に続く> 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.534 ┃  60円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1968(昭和43)年08月05日(月)号 榎本喜八、2000安打の後に殴られる
 2019(令和元)年08月27日(火) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎野村克也と池永正明の確執?
 写真◆表紙は広島・安仁屋宗八
 今回は『1968年8月5日号』。定価は60円。 
 うだるような暑さの東京球場で行われた7月21日の東京─近鉄ダブルヘッダー(初出修正)。 
 まず、第1試合では東京の榎本喜八が川上哲治(巨人)、山内一弘(当時広島)に続く史上3人目の2000安打を達成。お祝いムードに包まれる。 
「これからは気分を楽にして川上さんの記録(2351安打。当時史上最多)を追いたい。5年かかって2500安打を狙うよ」 
 と普段は仏頂面が多い榎本も満面の笑顔だった。 
 だが、第2試合はまったく違った展開となる。 
 7回裏、審判のジャッジに近鉄の三原脩監督が猛抗議。セカンドベース上のアウト、セーフの判定だったが、三塁塁審が動かず、一塁塁審も一塁の近くから離れずで、近くに審判がおらず、しかもジャッジが遅れたことへの怒りだった。 
 三原監督は「ジャッジを改めるか、審判の位置が悪かったことを認めよ」と要求し、拒否されると選手を引き揚げさせた。 
 その間、一部の近鉄ファンがスタンドの椅子をグラウンドに投げ込んだり、自ら乱入したりと騒ぎが続いたが、審判が三原監督の要求どおりに「セーフ、アウトを遠い位置から判定したのは審判の誤りであった」とマイクで説明。9時半に試合が再開された。 
 真夏の“狂宴”本番は、8回表だった。負けていた近鉄が2本のホームで9対9と振り出しに戻した後だった。 
 近鉄の安井が一塁に駆け込んだ後、一塁手の榎本といきなり取っ組み合いを始めた。 
 ここから両軍入り乱れての大乱闘。ようやく騒ぎが収まったころ、一塁ベース後方で榎本が倒れていた。 
 どうやらバットで殴られたらしい。そのバットが近鉄の土井正博のものだったので、東京ベンチから「土井を退場させろ」と罵声が飛んだ。 
 それを聞いた土井は「違う、違う」とゼスチャーしながら東京ベンチに向かったが、すぐ近鉄の選手に連れ戻された。 
 試合後、土井は「ウエイティングサークルに置いてあった僕のバットを誰かが持っていただけ。僕は殴っていない」と語った。 
 この時点で“犯人”は分かっていない。 
 幸いケガは大したことがなかった。 
 榎本によれば「安井が3フィート以内を走って体当たりしてきたので注意したら突っかかってきたのだ」。 
 一方の安井は「榎本さんが突然、つかみかかってきた。僕はセーフになりたい一心で一生懸命走っただけ」。 
 まさにやぶの中だ。 
 さらに再開後だった。 
 次打者だった土井がなんと勝ち越しホームランを打ったのだが、拍手と歓声の中で土井がホームを踏むと、今度は近鉄の阿南が倒れ込んだ。 
 客席から投げ込まれたウイスキーの空きビンが頭部に当たったという。 
 試合は11対10で近鉄の勝利で終わったが、後味はかなり悪かった。 
 7月12日には南海・野村克也が通算400号本塁打、史上初の到達となる。喜びながらも掲載されていた手記ではこう書いてあった。 
「おそらくこの記録も王君(王貞治)に破られるだろう。彼は若いし、ホームランを打つことに関しては僕以上のバッターだ。しかし、しばらくは僕のこの記録をつくった喜びを味わわせてもらえないだろうか。僕が52本の新記録をマークしたときも、王君はあっさり翌年に55本を打って更新してしまった。もう少し自分の記録を楽しみたかったのに」 
 とぼやいている。 
 この野村と西鉄・池永正明のトラブルの記事もあった。 
 5月29日の試合で、野村は池永から胸元にまず1球。このときはにらみつけただけだったが、次の1球が同じようなコース、しかもさらに体の近くにきたから、さすがの野村も怒った。 
「こいつ、何をさらすんや!」とマウンドに歩み寄りかけたが、西鉄の宮寺捕手に止められ、何とかその場は収まった。 
 試合後、 
「きょうのやつはひどいで。2球も続けてビーンボール投げよった。あんなもん、今のうちに何とかしておかんと、ええ気になって、ほかの連中も迷惑することになる。カッとなったのはワシも反省するけど、きょうはなんぼなんでもあいつが悪いわ」 
 普段は何を聞いてもボソボソと言うだけだった野村が、この日は熱く語っていた。 
 対して池永は、 
「手が滑っただけ。野村さんはものすごく怒っていたけど、ワシのような後輩のしくじりにあんなにむきになることないと思うよ。ちょっと大人気ないんじゃないかな」 
 人気商売だが、この言葉にはゆるさを感じる。 
 今回は少し長くなってきたが、サンケイのジャクソンのご乱行の記事もあった。「バッターボックスからアルコールのにおいがする」と言われた遊び人で女性関係もルーズ。 
 トラブルも多かったので、球団がジャクソンの財布を管理することになったらしいが、日本独自の「つけ」を覚え、遊びが止まらないらしい。 
 では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180104-10
 ②https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190826-02
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
************************************************************

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事