過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のMr.ブルース・リーの出来事と映画作品の公開日だヨ(=^◇^=)

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 ┃ 『SHOWDOWN IN LITTLE TOKYO』 ┃
 ┃  『リトルトウキョー殺人課』  ┃
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‡1991(平成三)年08月23日(金) US released
 1991(平成三)年01月14日(月)から
 1991(平成三)年03月08日(金)まで53日間ロサンゼルス、ロングビーチ撮影
 1991(平成三)年12月11日 Soundtrack released
 1991(平成三)年?月?日(?)タイム・ワーナー
 Mr.Brandon Bruce Lee(李國豪)の出演映画第三作 日本劇場未公開|
  備考・・・『最強格闘技図鑑』P.193・・・L.A.を舞台に極真会館のラングレンとブランドンが大活躍する。極真会館&截拳道の威力を見よ
 amazon・・・ジャパニーズ・ヤクザに支配され、凶悪な犯罪都市に変貌したL.A.リトルトウキョー。ロス市警の刑事ケナーは相棒のジョニーと共にヤクザ顔負けの強引な捜査で組織壊滅を狙う。そしてついに組長と対峙の時を迎えるが・・・。 No Rating (C) 1991 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
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 https://www.amazon.co.jp/dp/B00FIWMRUG
 https://en.wikipedia.org/wiki/Showdown_in_Little_Tokyo
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 ブルース・リー伝
‡2019(令和元)年08月23日(金) 著:マシュー・ポリー 翻訳:棚橋志行 ¥5,940
 https://www.amazon.co.jp/dp/4750516074
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 この死因はありえない!当時最も有力な死因をなぜ伝えないのか?
 2019(令和元)年11月21日(木) マウナロア
 ブルース・リーの日本公開以来のファンであり、リーを尊敬してきた一人として近年思うことがあり、新しい世代のファン、若い方々のためにも一筆書かせていただきたいと思う。長編になってしまったことと、内容についてはあくまで個人の意見としてご容赦いただきたい。
 第1部「根っからの映画俳優」この本の熱中症という死因はありえない。馬鹿げている。最近のリーに関する出版物では、当時の証拠や証言を辻曲げてリーを必要以上に英雄にするような例があまりに多く、見るに耐えない。もうやめた方がいいのではないか。リーは世界の映画史に残る最高のスーパースターだ。彗星のように現れ、白人の有色人種に対する偏見と差別を打ち破った空前絶後の英雄だった。だからこそ、リーの燃え尽きるような激しい生き様、そして当時最も有力で可能性が高い死因を冷静に客観的に伝えるべきではないだろうか。死後40年以上経ち、新しい本やテレビ番組でこれだけリーに有利な新たな死因が真実のごとく次々と伝えられ、当時の事実からあまりにかけ離れていくと、捏造が繰り返されているかのようで、結局は歴史的に伝説や神話は、その人物の死後にその名声を利用して利益を得たい人たちや妄信的な崇拝者によって作られていくのではないかと改めて感じられる。今改めて原点に帰り、死亡当時本人の状況から考えられた最も有力な死因を伝える時だと痛感している。それはリーの名声を何ら傷つけるものではない。彼の名声はいかなる死因でも傷つくような小さなものではない。リーの名声は世界的に誰も二度とできないような永久不滅の一大功績だからである。リーの死因が大麻など反社会的なものとつながった場合に困るのは、今日リーを完全無欠の聖人君子として崇拝している信奉者たちと、リーの武術と名声により商業的に利益を得ているジークンドーを名乗る団体の人たちでろう。リーを崇拝する人たちが彼を神格化するあまり、リーを非の打ち所のない無敵の理想的な人間として死亡当時の伝記を独自に書き改めたり、彼が創造した武術の道場・支部を全国的に広げて、セミナーと称して多額の金銭を儲けているが、これ以上ブルース・リーを神格化してビジネス的な活動を広げない方がいいのではないか。そのため新しい若い世代にリーの生涯や武術について誤解が広がりすぎていて、リーを最強の男として宣伝して生徒を集めて儲けたり、自分がリーの継承者として名声を得たいあまりに、ジークンドーを名乗る関係者が、リーを最強の武術家、総合格闘技の元祖などと誇大で事実と異なる宣伝をメディアで繰り返している。その結果、「リーは元々武術家で、後にロングビーチトーナメントでたまたま注目されて俳優の道に進んだ」などと事実と異なる嘘を広めていて、現在日本ではリーについて冷静で客観的な話ができなくなっている。これは大きな問題であり、私たちはリーを愛するがゆえ、今こそ真実の原点に戻らないといけない。この本にも書いてあるように、ブルース・リーはアメリカ時代からマリファナの常用者で、香港でも大麻を常用していたことは、死亡当時からリーの友人や家族、関係者の間でよく知られた事実であった。当時の香港や日本、アメリカの本にも当たり前に書かれていた。俳優であるリーの父はアヘン中毒で、リーは幼少時から家で父がアヘンを吸っている姿を見ていたという。そういう芸能人の家族で育った影響も大きいと思う。当時最も有力なリーの死因であった、大麻の中でも強力なネパール産のハシッシュを常用していて急性中毒・副作用・アレルギーなどの反応により脳浮腫を起こして急死した可能性が高いということになると、一番困るのは当時も今もリーで利益を得ている人たちであろう。だから、彼らにとってリーは永久に健全で欠陥のない模範的な人間でないといけないことになる。しかし、リーは武道家になる以前は香港の有名な役者であり、子役時代から18才までに20本近い映画に出演した有名な俳優であった。「リーは子役だった」と最近本に書かれるが、この表現にも意図的な改ざんを感じる。正しくは「子役だった」ではなく「幼少期から渡米する直前の18才までずっと俳優だった」が正しい。子供時代の子役だけではなく、10代になっても毎年映画に出続けて、高校生の17才で映画「雷雨」、18才では香港初のカラー映画「人海孤鴻」にまで出演したティーンネイジャーの若きスター、今の日本のジャニーズのようなアイドルだったのだ。武術に関しては、最近リーは詠春拳の達人のように書かれているが、事実は、リーは香港で詠春拳を数年学び、日本の色帯に当たる程度の修行しかしていないため達人ではなく、リーの兄弟子たちに詠春拳の卓越した達人が多数いるのが実態である。リーはアメリカで独学で古本を買いあさり独自に武術を研究して修練し始め、ジュンファン・グンフーと称して流派を名乗り指導するようになった。なので、日本や香港の武道家のように数十年修行した流派や師匠はいない。あくまで独学で書籍や演武の見学などにより武術を研究し修得したと表現する方が正しいだろう。リーは我流武術家であると同時に、いづれ本来の目標である映画俳優として成功することを生涯の目標に努力し続けた根っからの俳優でもあるのだ。リーはアメリカの大学に通いながら武術の修練を続けて、自らの武術にジュンファングンフーと名づけ、それを足掛かりにアメリカ・ハリウッドで何とかテレビや映画に出演できる方法を模索した。元々俳優であるのだから当然の動機であろう。アメリカではまだ無名の俳優なので、武道をいう武器を磨きながら俳優として成功を目指したというのが真実と言える。武道界では無名のリーがロングビーチのトーナメントで演武した際に、映画会社の関係者がカメラでリーを撮影して、それを見た重役がリーをグリーンホーネットのカトー役に使ったのも、元々リーがハリウッドと関係があるヘアドレッサーのジェイ・シーブリングに接近して親しくなり、リーが「ハリウッドの関係者を紹介して欲しい。演武を見に来て欲しい」と何度も頼んでいたからだ。リー自らが目標を持ち、チャンスをつかむ手段を考え、様々なハリウッド関係者に売り込みをかけ続けていないと、競争が激しいハリウッドでプロデューサー側から「君は素晴らしいから番組に出演して欲しい」などと言ってくることはない。それは日本の芸能界でも同じだ。自分や芸能事務所が強烈な売り込みをかけないとチャンスなど回ってこない。そして映画関係者が演武を見に来た千載一遇のチャンスで、強烈なインパクトを与えたリーの絶えまぬ努力と実力は高い評価に値すると思う。当時有名な多数の日本人空手家もロングビーチのトーナメントで活躍して素晴らしい演武を披露していた中で、なぜ映画関係者が無名のリーの演武をカメラで撮影していたのか?それはリーが頼んでいたからだ。だが最近のリーの伝記では、俳優候補がいないかと突然映画関係者がトーナメントを撮影に来て、リーにオーディションを受けることを依頼したことになっている。偶然を装ったあまりに出来すぎの話であり、作り話が定説となり伝説になっているが、リーがテレビ出演に至る成功への流れが唐突で不自然さがぬぐえない。当時アジア人や中国人への差別が今とは比較にならないくらい強烈なアメリカ社会とハリウッドにおいて、縁故もなく無名かつ英語に訛りがある中国人が武術ができるというだけで、ハリウッド側から一方的に「オーディションを受けて下さい」などとオファーをしてくるだろうか?当時は他にリーよりもっと高名な日本人空手家がたくさんいたにも関わらずだ。現在でもアメリカに渡った中国人や日本人がリーのように25才でテレビ出演するなど奇跡に近い。ではなぜリーはできたのか?それは彼が元々俳優で、他の空手家より優れた演技力を持っていたことと、「将来ハリウッドで俳優になる」という高い目標を渡米間もない時期から設定して、それに向かって武術だけでなく俳優に必要な英語を身につけるため大学で猛勉強していたからである。武術家として生活するならシアトルやサンフランシスコは十分恵まれた環境なので、他に引っ越しする必要はないが、ハリウッドを目標としていたから、その後リーはオークランド、ロサンゼルスと南下して行ったのだ。このことも現在の伝記からは削除された事実と言える。すべてリーが高い目標を設定して、その目標達成のために絶え間ない努力をした結果だった。余談だが、大学時代の当時リーはガールフレンドのリンダを連れてチャイナタウンにある香港系の映画館で、自分が出演する香港映画が上映された際に一緒に見て彼女に香港映画について解説している。昔の大きな映画館のスクリーンで香港時代のリーの姿を見れば香港で有名な俳優だったことがわかるし、アメリカ人女性でも彼のカッコよさにあこがれるだろうし、リーが香港の俳優だったことはリンダがリーに感じた大きな魅力の一つと言える。
 第2部「独自に武術を創造する」リーは25歳の若さでグリーンホーネットに出演が決まったことは、スクリーンテストの評価が高かったことに加えて、香港で有名な俳優だったことも当然実績として評価に加味されたはずである。仕事の面接では過去の実績も重要な判断材料となる。当時ジュンファングンフーを実践していたリーは、25歳でグリーンホーネットに出演するチャンスをつかみ、グリーンホーネットのカトーの名声により、その後ロングビーチを始め全米の空手大会にゲストとしてひんぱんに招かれるようになる。当時リーが全米や中南米の様々な大会に招かれて演武をする写真や映像が多数残っているのはそのためだ。日本で言えば千葉真一が空手大会にゲストとして招かれて来るようなもので、空手をやっていてテレビが好きな多数の大人や子供がリーを見に来た。当時のリーが演武をする映像は、確かにワンインチパンチなどの優れた技術の評価は高いが、やはりグリーンホーネットのカトーが来たというのが注目された一番の理由であった。その後リーの演武の定番は、主にワンインチパンチを参加者に体験させる、高速のフィンガージャブによる接近、片手2本指による指立てふせ、であり、それ以外のものはほとんどない。チーサオやトラッピングの技は、ジュンファングンフーの無名の時代は大会で演武した映像があるが、グリーンホーネットで有名になりジークンドーを創造した後は詠春拳の技は大会では披露しなくなったし、燃えよドラゴンで見せた中国拳法の形はマジソンスクエアガーデンなどで披露しているが、後に香港映画で見せるような連続の回転蹴りなどは実演していない。あれは映画用に研究して開発したものだからである。その後リーは、他とは異なる独創的な武道家として名声を高めることは、ハリウッドにアクション指導として進出してアクションができる俳優として成功するためにもプラスになると考え、その後カンフーの亜流のような中途半端な名前のジュンファングンフーを捨てて、27歳の時に唯一無二の独自性を強調できるジークンドーという武道哲学を創設することになる。それはリーの絶え間ない鍛錬と哲学的探求の結晶であり、空手を越える究極の武道哲学のマスターであると同時に本物のアクションができる俳優であることを武道界と映画界に宣言することとなり、ジークンドーの名の下にハリウッドの一流俳優に高い授業料を取って指導することを可能とした。それはリー自身が自分は他と違って高いレベルであるという強烈な印象をハリウッドに与えて、映画に出演するチャンスをつかむための武器になった。ここで付け加えておくが、最近日本で出版されたジークンドー関連の書物では、「リーは日本の空手の影響は全く受けていない」と書かれているが、これも意図的に書き換えられていると思えてならない。リーが渡米した当時全米は空手と柔道が大ブームであった。それ以外のアジアの武術はほぼ全く知られていなかった。空手しかなかったのである。私はロサンゼルスに滞在した経験があるが、ロスで有名な日本人空手は一様にリーを知っていた。剛柔流の山口剛玄の息子の山口剛正はロスに道場を持っているが、まだ無名時代の若きリーがロスの山口の道場に短期間空手を習いに来ていて、貫手や裏拳、足刀蹴り、中足蹴りなどを教えたことを覚えている。しかし、このようなエピソードは日本のジークンドーの本では一切公開されていない。世界最強の格闘家のリーが日本の空手の手ほどきを受けたとなると、ジークンドーが空手の一部をパクったり二番煎じのように見られるのがカッコ悪いからであろう。リーがフォックスのスクリーンテストで関係者相手に見せる数々の技であるフィンガージャブ(貫手)、バックフィスト(裏拳)、フックキック(中足蹴り)、サイドキック(足刀蹴り )は、全て山口剛正が語ったとおり当時全米で指導された空手の技法である。それらの技は香港の中国拳法にはない。あの時代にリーが空手を見たら影響を受けて取り入れても不思議ではない。実践で役に立たない中国拳法しか知らないリーが、渡米して空手全盛の時代を目の当たりにしたら、空手の技は古典的で旧態依然のままの中国拳法よりはるかに実戦的でカルチャーショックを受けて当然だと思う。事実リーの書斎には空手の有名な師範の中山正敏、マス大山などの本が並んでいた。リーは膨大な量の空手の本を集めて研究し、拳を鍛えて試し割りができるまでに拳を鍛え上げた。若きリーが撮っている板やレンガを割る写真は典型的な空手の試し割りであり、詠春拳や中国拳法にはない。友人ジェームス・Y・リーの影響もあり、渡米した当時リーは空手から多大な影響を受けたと言える。リーの渡米当時、全米では英語版の空手の本が多数出版され人気でよく売れていた。1965年に出版されたマス大山が書いた「This is Karate」(「続・秘伝極真空手」の英語版)は、当時の空手の技術書として画期的な内容でアメリカでベストセラーになった前著「What is Karate? 」(秘伝極真空手)に引き続き出版され大ヒットとなった。リーもこれら2冊のマス大山の著書も興味深く読んでおり、書斎の本には直筆で多数の書き込みがされていたことが知られている。特に1965年に出版された「This is Karate」(「続・秘伝極真空手」では、マス大山が世界の空手の技術書では初めて空手の究極の技として「交差法」を具体的に紹介している。交差法とは相手の攻撃をさえぎる、又は受けながら同時攻撃する技術で、「空手の最高の極意・秘伝」と大山が解説しており、ジークンドーのインターセプト(さえぎる)と同じ意味、原理になる。この本が出版された翌年1966年にリーはインターセプトの概念に基づきジークンドーの名称を考案して流派を創始しており、マス大山の本にある交差法との関連は証明するものがないが、突如生まれたジークンドーのインターセプトの概念が突然どこから来たのかを考えると、リーの武術と哲学はその多くを他の技法や思想から流用したりインスピレーションを得ていることと当時の空手を中心とした武道界の技術を考えると、その起源を自然と推測できる部分もあり興味深く感じる。だが、これも日本では極真空手との関わりなどジークンドー関係者には研究の対象や言及の余地もない話だろうし、空手との関わりはあってはならない不都合な真実かもしれない。リーが亡くなった当時の本には「リーの武術は我流で空手など他流派の武道を研究して長所を集めて作られたもの」と書かれていたが、このような探求の過渡期を経てジークンドーへの過程へと進んでいった。さて、リーが根っからの映画俳優であった話に戻るが、シアトルに渡りワシントン大学のまだ無名の1学生だった頃からリーは当時恋人だった日系人のエイミー・サンボ(三宝恵美)に、リーは将来俳優として成功しアクション映画に主演する夢を具体的に語っている。その時リーはエイミーに死亡遊戯の五重の塔の構想を語っており、当時既に世界の武術家と戦うアイデアを語っているのだ。それを10年以上かけて映画化を実現したのだから、正に有言実行、不撓不屈の男なのである。それほどリーは武術家であると同時にそれ以上に極めて優れた才能を持つ俳優、映画人であった。しかし、リーがエイミーに死亡遊戯の構想を語った話や、エイミーがリーの恋人でリーはエイミーと結婚したかったがエイミーがリーを振ってリーの元から去ってしまった話も、日本ではタブーのように一切取り上げられていない。リーはエイミーと別れた後にリンダと出会うことになるが、日本のリーの関係者の間ではエイミーは存在しなかったかのごとくタブーとなっている。最強格闘技ジークンドーの創始者が、若き学生時代から死亡遊戯を構想し映画スターを目指していた話や日系人女性に振られるのは、世界最強格の男になる過程の物語としてふさわしくないからだろう。だが、リーは最強である以前に元々俳優であり、我々と同じ人間なのだ。リーは香港で高校生の時に将来は俳優を職業にしたいと父に話したが、父はリーに俳優は不安定な職業だから堅い仕事につくようにと言われ、父は俳優になることに賛成しなかった。リーの兄は親の勧めを聞き大学を出て天文学者になった。それほどリーの頭からは香港でもアメリカでも常に映画俳優の仕事のことが離れなかった。父が映画俳優で自分も幼少時から渡米する18才まで映画俳優をやっていたら、渡米以降も将来アメリカで映画俳優をやりたいと思うのが普通だし極めて自然な流れであろう。リーの亡くなった当時の本にはそう書かれていたが、現在の本にはそのようには書かれていない。そのような映画と関わりが深い事実や背景を伏せるようにしてリーの伝記を書き改め、この20年以上に渡ってリーを総合格闘技の元祖、世界最強の格闘家というような従来と異なるイメージを膨らませてきたジークンドー関係者と格闘技界の人たちの責任は大きいと思う。彼らはそれにより膨大な利益を上げてきたが、それはリーが生前から最も嫌っていたことである。「私やジークンドーの名前を利用したりイメージを膨らませて利益や名声を得てはならない。ジークンドーは各地に道場を作って組織化してはならない。ジークンドーは武術や格闘技のスタイルやグループではなく、思考が硬直した組織や形式から個人を解放するための哲学、道しるべなのだ」と著書「秘伝ジークンドーへの道」でリーがはっきりと述べている。リーは生前に自分を最強の格闘家とかジークンドーを総合格闘技などと言ったことはない。ジークンドーは格闘技ではなく、「道」の名前が示すとおり、個人が生涯を通じて追求する人生の道の哲学であったはずだ。実際リーはジークンドーと名付ける前の名称としては「空拳道」と漢字でテキストに書き遺している。空手と拳法を合わせたような名前だが、中国拳法の名称はすべて〇〇拳であり、名所に「道」はつかない。「道」がつくのは日本の武道だけだ。それだけリーはなぜ「道」の名称にこだわり、ジークンドーの漢字名に「道」をつけたのか?それはリーが中国「武術」の古典的な非合理性を嫌い、日本の「武道」や禅の本に感銘して哲学的な影響を受け、日本の「道」の精神学や道教(ダオ)から受けた影響をジークンドーの哲学的バックグランドに取り入れたからと言われる。宮本武蔵の五輪書からは「水になれ」の哲学を引用し、五輪書の「空の巻」からは無心の境地の言葉を上記リーの著書に引用している。また、リーは伝記映画「ブルース・リーの生と死」の中で、次回作の原案書としてリーが書き上げた「武道」と漢字で書かれた映画の台本が紹介されている。リーが生きていたら製作されたかもしれない作品であるが、ここでも題名が「武術」ではなく「武道」と名付けていることに注目していただきたい。武道は明治時代に日本が名付けた日本固有の名称で、中国では用いないからだ。だから当時も武道とは日本武道の種目を意味した。それだけ武道が世界に広まり影響を与えてきたということであろう。このような当時の経過を見ても、リーは武術の技法や哲学は日本の武道からは全く影響を受けていないといえるだろうか?現在日本でジークンドーで利益を得ている人にとって、リーの武術が日本の空手より下に見られかねないのは彼らの名声やプライド、金銭的損得に影響することかもしれない。だが、リーが日本の武道に興味を持ち多大な影響を受けたことは日本人のファンとしてうれしく誇りに思うことであるし、そのような視点や意識の高さはさすがブルース・リーと感嘆せざるを得ない。日本との関わりを紹介することで、それだけ当時リーは探求心やレベルが高かった言えるのではないだろうか。エイミー・サンボやターキー木村など、リーが生涯最も信頼し尊敬した親友と最も結婚したかった女性は日系人だった。このようにリーはフェンシング、ボクシングを始め武道からも有効な技を取り入れ体系化し、ジークンドーとして自分に合う技法と哲学を確立した。それだけで人間として十分立派ではないか?それを世界最強とか総合格闘技の元祖などとたてまつってもてはやそうとするから、過去の経験や事実を隠しそうとしたり、成長の過程で横道には一切立ち寄らなかったかのように聖人伝説としてきれいに書き直さないといけなくなる。このような点もリーが亡くなった当時は普通に本に書いてあり、現在の日本の本からは消し去られたエピソードと言える。この20年以上に渡ってジークンドーは、思想哲学に欠け殺傷のみを目的とし楽しむ総合格闘技と並べて比較されるような格闘技の1スタイルになってしまったことを本当に残念に思う。指導者個人の名声や組織の利益のためにリーを世界の聖人君子と並ぶ歴史的な偉人や世界最強の格闘家のように宣伝したり流布しすぎない方がいい。以前はリーのジークンドーの哲学を尊敬する様々な武道の人々がリーの哲学を共通の価値観や話題として集まり交流していたが、現在はジークンドーは格闘技の1流派となってしまったため、他の武道団と交流できる共通の概念ではなくなり、どちらが強いか他流派としてお互い敵対するような関係になっている。これもリーが自らの武道哲学において望んだことではない。リーは「ジークンドーはこういう技だとかスタイルだとか言う者が現れたら、ジークンドーの名前をはぎ取ってしまえ。それは名前はただの名前でしかないからだ。」とリーが上記著書で語っているからである。ジークンドーを学ぶ方々はこのことを忘れないでいただきたい。リーが上記著書に書いているように、ジークンドーは流派や団体から個人を開放のための哲学だからである。
 第3部「同じ人間として」リーは我々と同じ生身の人間で、人生の逆境で苦しみ努力し、成功もしたし過ちもした人だった。だから我々は共感したし尊敬した。リーはアメリカでマリファナを常用し香港で大麻・ハシッシュを常用した。なぜそのような過ちをしたのか?それは彼が同じ人間だからである。人間は誰もが間違いをする。完璧な人間などいない。失敗や過ちをして学ぶからこそ人間なのだ。確かにリーは天才的で超人的な極めてまれな才能に溢れた稀有な人物だ。だが、それでも人間としての弱さや不完全な一面もあったであろう。私たちと同じ人間だからである。当時の本にはそのような様々な話が多数書かれていた。伝記ではその要素が大事なのである。このまま数十年後にリーをキリストや仏陀のような聖人として描くのは、彼の生涯の個々の事象の関係性がつじつまが合わなくなりよくないと思う。世界の人々はリーの世界的の映画・武道・哲学への多大な功績を最大級に認めて評価している。その素晴らしい前向きな生き様も人々の模範であり、世界の人々の尊敬を集めている。私もリーの業績と生涯に最大級の賛辞と敬意を持つ者だが、その上であえて書くのであるが、香港で彼はハシッシュを使用した後で5月と7月に2度倒れており、その2度とも同じ脳浮腫を起こしており、1度目の5月は発見後の病院での処置が早くて脳浮腫を抑えるマニトールの注射により奇跡的に助かったが危ない状態であった。2度目の7月は倒れてから病院に運ばれた時は既に手遅れで死亡したことは紛れもない医学的な事実である。リーが5月の1回目に倒れて助かった時に、主治医が「もしリーがハシッシュをやめなければ、彼に再び同じことが起こるだろう。その時に私が近くにいて助けれたらいいのだが」とはっきり語っており、亡くなった当時多くの本に書かれたりドキュメンタリー映画「デス・バイ・ミスアドベンチャー」(DVD「ブルース・リー伝説」)にインタビューが収録されている。そのような医学的な状況から考えられる最も有力な死因として、主治医が語った、大麻による何らかの刺激やアレルギー反応、中毒症状などにより脳が急性脳浮腫を起こして亡くなった可能性が高いと考えることが自然ではないだろうか。今日の有名人の薬物使用の報道を見れば、大麻やハシッシュが脳や身体に異常を引き起こす可能性が高い危険な禁止薬物であることは一般大衆でも理解していることである。リーは武術家である以前に俳優であり、本人は亡くなる直前には友人のカメラマンのチャールス・ロック(陸正)に「将来は映画製作者になりたい。お前も一緒についてこい。」と語っている。「俺は将来武術家に戻る」などとは一切語っていない。彼は映画を愛して世界のスーパーアクター(リー自身が語っている表現)になるべく挑戦し続けた優れたアーティスト、クリエイターだっと言える。リーを世界最強の格闘家として広めようとすると、彼の俳優として生まれて死んだ縦軸と武道家、哲学者としての横軸が交差する生涯とつじつまが合わなくなり、伝記の死因まで最強にふさわしいものに書き直さなければならなくなる。書き換えを繰り返していくうちに、次第に当時の事実からかけ離れていき、段々とつじつまが合わなくなり、おかしなことになってしまう。だからこそ今原点に戻って、最強の格闘家という片側一方に歪んだ認識を、世界的な俳優であり優れた武術家、哲学者でもあったという中央の位置に認識を戻して修正する時ではないかと思う。ブルース・リーが亡くなった頃は、日本や世界からも多数のジャーナリストや評論家が何度も香港に行き、関係者やリーの親友、家族を取材して、彼らが語った死因について当時の世界の雑誌に書いていた。そこから考えられる最も有力な死因は大麻の使用による急死であった。それがなぜこれほどかけ離れた熱中症などという死因が今頃出てくるのか?あまりに馬鹿げている。この著者がリーのファンで、リーの遺族や友人を取材すれば悪くは書きにくいし、思い入れのある英雄なのでイメージを悪くする死因は避けて無難な死因を捏造したくなる心情もわからなくはない。だが考えて欲しい。当香港は当時も暑いのが当たり前だったので、若い人が熱中症で亡くなるようなことはなかったし(高齢者などを除き)、温暖化してもっと暑い今でも香港で若き32才の体を鍛え上げた青年が熱中症で死ぬようなことはない。何か特殊なものを摂取して副作用などが起きない限り。なのに、リーだけ特殊な体質で熱中症で死亡したというなら、リーが特殊な体質で大麻に副作用を起こして脳浮腫で死亡する確率の方が医学的見地から高いのではないか?ハシッシュで2度同じ脳浮腫を起こして倒れ、2度目は処置が間に合わず死亡する死因の方が死因として可能性が高いと考えるのが医学的に自然ではないのか?裁判の判決では、亡くなった後の解剖で胃から出た大麻のハシッシュと風邪薬のエクァジェシックのうち、エクァジェシックが死因の可能性があるとされたが、リーの主治医は「明らかに馬鹿げている(ridiculous )」と一喝した。その風邪薬は、当時アジア中で一般に広く使用されていて、風邪薬で死亡した人などいない極めて安全な風邪薬だったからである。主治医は「この風邪薬が死因であるというなら、その風邪薬を飲んだアジア中の人にも急死する人がいるはずだが、そのような例は全くない。この風邪薬が死因というならアジアの人たちはこの普通の風邪薬を危なくて飲めなくなるだろう。青少年への影響も考えて、死因は大麻が有力であることを認めるべきである」と毅然と語っている。日本で沢尻エリカや芸能人が大麻で逮捕されて、出演映画や番組が中止となることで、製作会社や関連会社が億単位の損傷を被ることを見ればわかるように、もし大麻が死因となり、リーの香港アメリカ合作の大作「燃えよドラゴン」の上映が中止となれば、製作会社は製作費を回収できず倒産して、レイモンド・チョウ社長や社員、関係者が損害をこうむることになるし、リーが亡くなる3ヶ月前にかけた生命保険の数億円に及ぶ多額の保険金も、大麻が死因だと出なくなるのである。だからレイモンド社長は死因として大麻は絶対認めたくなかったと思う。余談であるが、レイモンド・チョウ社長がリーが亡くなった後で来日して、東宝東和の担当社員と食事をした時に、担当社員に「リーの死因は腹上死だった」と話していたらしい。一般に有名な話で、大麻やマリファナは男女がセックスをする際に使用することが多く、快感が増すためやみつきになるらしい。リーが亡くなった当時の本には、ジェームス・コバーンが香港に来た時にリーが「1日で女3人と三連荘した(セックスした)」と自慢げに語ったとよく書かれていたが、リーの人気と活力を考えれば俳優らしい死後のエピソードと言えるが、これも世界最強の格闘家、最強格闘技ジークンドーの創始者となると不都合な真実として闇に葬るべきエピソードとなる。リーが闘神としてあがめられる代わりに、我々はこのようなリーの人間らしい一面を永遠に見聞きできなくなるのであろうか?伝記とはそれでいいのだろうか。一般に大麻の急性中毒で倒れる時は男女が一緒にホテルで使った時が多いし、一般に大麻で逮捕される時も、男女が部屋入ってセックスして出てきた時を狙って警察が踏み込んで逮捕することが多い(清原の時も)リーの死因が大麻に関係すると不利益を被る人たちや狂信的なファンが、マフィマの暗説説から熱中症まで死因を創作してきたと思われても仕方ないのではないだろうか。もう死因が大麻と関連している可能性があることをそろそろ認めてもいいのではないか。このような本を読むと、世界で伝説や神話がなぜ、どのようにして作られていくのかがよくわかる。それで金儲けしたりグループを作って得する人たちがいるからだろう。
 第4部最終章「永遠に歴史に残る不滅の功績」ブルース・リーは世界の歴史に名を残す永遠のスーパースター、最高の俳優、アーティストだ。映画や武道の世界に意識の変革をもたらした偉大な革命家、哲学者だった。確かにマリファナや大麻を常用したことは認められるべきことではないし、彼の評価としてマイナスだろう。それはファンも認めるべきだし、認めればいい。「それはそうかもしれない」と。リーも5月に脳浮腫で倒れて回復した時はハシッシュを止めたいと思ったと思う。
だが、その後ロスの病院で精密検査をした際に、医師から「脳に異常はない。体は20才の肉体」と言われたため、「リーは自分は以前と変わらず強じんな肉体のままと過信した」と香港の主治医はリーの死後に語っていた。
前述のとおり晩年の5月以降のリーはハシッシュをやった時だけ脳浮腫が起こりうる状態になっていたので、ロスで検査を受けた日はリーはハシッシュは控えていたはずなので、検査結果に脳浮腫に関するものは見当たらなかった。だから検査の結果、ロスの医師は「リーの脳や体に異常は見当たらず、20歳の肉体」と語ったのだろう。リーの脳浮腫はハシッシュをやらなければ起きない現象だったからである。ハシッシュが脳浮腫を引き起こした理由は、リーの特異な体質からか、アメリカ時代のマリファナから香港時代のハシッシュまで薬物の長期使用からか、途中から使用したネパール産ハシッシュが強烈で体にあわなかったからか、などの理由が考えられると思う。ハシッシュや大麻などの薬物は依存性が高いため、リーは止めたくてもやめられなかったはずである。薬物に手を出すことは犯罪だが、薬物依存は本人の意識で克服しがたい病気であり、現在では薬物依存の克服と社会復帰を社会で支える考え方を法務省が勧めており、患者として人権を尊重する考え方である。リーの場合も薬物は常習性が伴うので、週一とか月一ではなく、ほぼ毎日にように習慣的に大麻を摂取していたはずだし、これはリー本人の意志が強い弱い云々ではなく、常習性、依存性が非常に高いため、どんな強い意志の人間でもやめたくてもやめられないのだ。薬物は更生施設に入ってもやめられるかどうかわからないほど依存性が高いからである。だから、リーがもし仮に7月に亡くならずに運よくまた助かっていたとしても、いづれ近いうちにまた薬物の副作用で同様の事態が再び起きたであろうということが想定できる。香港での裁判の結果が大麻の副作用ではなく、風邪薬のアレルギー反応という判決に、いわば裏の政治的な取引により導かれたことが、リーの死因を永久に謎にして、彼の映画と名声を永久のものにしたと思う。だが、そのような想定される死因とは別として、映画俳優としてリーの成し遂げた功績は、そのマイナスを補っても余りあるほど偉大で、その何倍も何百倍も素晴らしく永遠に輝く不滅のものだ。だから、ファンや関係者は、主治医が言う医学的に可能性が高い死因を死因として認め、偉大な功績は功績として認めたらいい。大麻というただ一つの過ちだけで、それ以外の社会に与えた多大な貢献、プラスの影響を否定すべきではない。それほどリーが世界に与えた影響と功績は素晴らしく偉大だった。マリファナや大麻、ハシッシュは人間の脳を破壊する恐ろしい薬である。体質に合わなければ急性中毒で死に至る場合もある。リーが亡くなった当時は、バリバリではマリリン・モンロー、エルビス・プレスリーも薬物の急性中毒で亡くなったし、その他ミュージシャンなど芸能人ではよくある話だった。スティーブ・マックイーンもマリファナの常用者で、リーに勧めた1人だった。マックイーンもガンで若くして亡くなっており、免疫力の低下など薬物の常習による影響も十分考えられる。だからリーが薬物を常用しても何ら不思議ではない。同じ世界に生きる映画俳優、芸能人だからだ。その一方的で、一般に空手や中国拳法などの武道家は大麻やマリファナはやらない。一流の武道家は薬物の誘惑に負けない強い意識、精神力を持っていると思う。リーの兄ピーター・リーはリーの死後に「弟はアヘンを吸う習慣があった」と証言しており、リーについては「弟は元来映画俳優で、二流の武術家でもあった」と語っている。この「二流」とは何を意味するのか?それは、大学を出て天文学者になったピーター・リーは学生時代フェンシングの選手で香港のオリンピックの候補になるくらい優秀なアスリートであった。その彼から見て「一流のアスリートはアヘンなど絶対吸わない。そんなことをしている運動選手は二流。香港の映画界は裏社会と関係が深く、自分の父や弟を始め薬物をする者が多い」という意味だったのではと思う。歴史的に見ると、イギリスは香港を侵略するために香港にアヘンを持ち込み、アヘン患者を増加させ社会を退廃させて中国を内部から弱らせ、香港をイギリスの植民地として認めさせた不条理な歴史があり、それによりアヘンが裏社会に残り続けた背景がある。またイギリスの植民地となることにより香港にイギリス人が入植し、女中やめかけなどの関係でイギリス人男性と中国人女性の間で混血が生まれた歴史がある。リーの母親がイギリス人と中国人のハーフだったことや、リーが大麻をやっていたことも、香港がイギリスの植民地であった歴史的背景、中国が欧米列強に苦しめられた歴史をリーは背負っていたと言えるかもしれない。日本の芸能界や社会に大麻や危険ドラッグが蔓延する今日、私たちは薬物の危険性を身を持って示してくれたリーから今こそ真摯に学ばなければならない。彼ほどの天才的な芸術家、超人的な身体的な能力を持った人間でも薬物には手を出したら、薬物依存症によりやめたくてもやめられなくなり、命を落とす可能性もあるということだ。急性薬物中毒で亡くなった可能性があるのに、世界的な有名人だから名誉を守るために死因を甘くして、この本の熱中症のような馬鹿げた死因を容認してはならない。それでは一般市民が「ハシッシュや大麻をやっても薬物中毒になったり死ぬことはなくて、一般の風邪薬なら副作用で脳浮腫を起こして死ぬ可能性があるんだな」と勘違いしたり、大麻は安全だと思い込んで安易に薬物に手を出すなど、社会的な影響が大きいからである。もしリーのファンが会話の中で他人から「リーは大麻で亡くなった可能性が高いのでは?」と指摘されたら、ファンは堂々と言えばよい。「ハシッシュの副作用による脳浮腫で亡くなったことが医学的に死因の可能性が高い。確かに薬物の使用は人間の脳や体を破壊し廃人にするから絶対認められるべきではない。強靭な人間でも死に至る場合がある。それはリーの人間としての一面であったかもしれない。完璧な人間などいない。人間皆誰もが弱い面を持っているからである。だが、それ以外では、リーは世界の青年に体を鍛え夢を持って人生を強く生きていくという夢を与えた。そしてアジア人や有色人種が白人と対等で、人間は皆同じ平等であることを映画を通じて世界に広めた。この功績はあまりに偉大で、世界の歴史に永遠に残る不滅の業績、金字塔である。リーが大麻を常用したことは彼の評価を下げるだろうが、リーが生涯の夢を懸けて全身全霊を込めて作った映画を通じて、世界の人々に与えた影響と功績はあまりに大きく、これからも永久に語り継がれるだろう」と胸を張って言ったらいい。私は世界の国々を周って、リーが特に発展途上国の貧しい環境に生きる多くの人々に強く生きる希望と夢を与えたことを肌で感じた。人間が逆境と戦い続ける限り、私たちの心の中にブルース・リーは永遠に生き続ける。映画館のスクリーンで出会い、世界最高の演技に心から感動した。人生が変わった。ブルース・リーは世界中で最も尊敬する人物、不世出の男。この思いは永久に変わらない。
 https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RWIJNZOLM8CSQ/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl マシュー・ポリーのブルース・リー伝を読んで一部ファンの間では話題になっていたマシュー・ポリーという人が書いたブルース・リーの伝記本が翻訳されました。なんと567ページもある大作ですが、あまりにも内容が面白いのでページ数のわりにあっと言う間に読んでしまいました。今はまた読み返しています(笑)今までブルース・リーの伝記本と言えば、古くは奥さんのリンダさんが書いた「悲劇の死 ブルース・リー」やアレックス・ベンブロックの「ブルース・リーの伝説」それに日本からは我らが日野康一先生の「シネアルバム? ブルース・リー 永遠のドラゴン」「ブルース・リーのすべて」がありました。それと奥さんのリンダさんが改めて書いた「ブルース・リー ストーリー」はそれをもとにジェイソン・スコット・リー主演で映画化もされました。しかし、今回のこの本は今までのそれらの本をはるかに超える充実の一冊だと思います。なにしろ知られざるブルース・リー家の家系図から、リーの幼少時代を詳細に書いているのはもちろん、どこかのタブロイド誌で読んだようなスキャンダラスな内容もほぼ網羅しているからすごいです!!関係者や遺族の証言等もかなりの量ですが、まるでやはり死の真相まで究明しようとしたビデオ「Deth by Misadventure」の書籍版と言った感じなのです!自分は特に子供時代のブルース・リーの話にとても感銘を受けましたが、それこそ子供時代だけで壮大な映画が作れてしまうほど、ブルース・リーの人生というのは波乱に満ちていてすさまじかったのです。「ブルース・リー マイ・ブラザー」では短すぎます!以前、中国でダニー・チャンを主演とするブルース・リー伝記ドラマが放映されましたが、その内容はというと、ほとんどが制作者側の創作で、エピソードもすべてでっちあげの飽きれるくらいないんちきドラマでした。中国は今こそこの本をそのままドラマ化するべきです。そのくらいリアルにブルース・リーの人生というのは劇的で波乱に満ち、刺激的だったのです。創作する余地など全くありません!!ファミリーツリーから言っても、リーのはじめのお兄さんは病気で亡くなっていたとか、ジェイソン・スコット・リーの映画でも少し描かれていましたが、中国では初めに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生まれた男の子は魔物にさらわれてしまうと言う中国の迷信があるので、はじめの子(リーのお姉さん)フィービーさんは実は養女(!)だった事も書かれています!!しかも、すぐにリー家では次女のアグネスさんが生まれるのだけれど、一説にはフィービーさんはリーの父が保険に他の女性に産ませた(!!)なんていうスキャンダラスな話まで書いてありました!!改めてブルース・リーの兄弟の写真を見直してみると、そういえばフィービーさんだけちょっと似ていない気もします・・・。その他、ブルース・リーはとにかくモテて、子供時代だけでも彼女がけっこう入れ替わっていたり、世の中のイメージとは別にすでに子供時代からブルース・リーは香港の映画界ではビッグスターだったこともわかります!!そしてこの本を読めば、改めて子役時代のブルース・リーの作品をも見たくなりますね!!それだけブルース・リーは武道家として大成する前からいち俳優としてもすごかったのです。そしてアメリカにわたり道場をはじめるエピソードでは、今まで断片的にマニアが知っていた事柄がちゃんと時系列的に追っていけるのがまた素晴らしいですね。例えば、そこそこのファンならばリーのはじめの弟子はターキー木村さんなのかな?くらいしかわからなかったですが、実際には黒人であるジェシー・グラバーさんだったり、そのジェシーさんがブルース・リーの最後の棺に土をかけるエピソードは本当に涙なしには読めませんでした。この他、やはりファンの間では有名なエド・パーカー主催の「ロングビーチのカラテ大会にリーがゲストで招待された話では、ファンの間では1~2回くらいの招待?と思いきや、実際はかなりの数に招待されており、あのスティーブ・マックイーンを連れて参加した回もあるというのだから驚きです!!そのマックイーンとも想像以上に親しくしていたそうで、走り屋のマックイーンの車に乗せてもらいビビった話とか、(ちなみにリーは車の運転は速いけど雑で乱暴だったとのエピソードも!!自動車事故のエピソードは残念ながらなかったです)スターはこうあるべきという方法論もマックイーンから習ったとかの貴重な話も書いてありました。あと、マックイーンもシャロン・テートと付き合っていた時期があったとか、リーとマックイーンもマンソンファミリーが押しかけたあの夜、ポランスキー宅に招待を受けていたとの驚愕の話には背筋がぞっとなりました。もし、あの場にリーやマックイーンがいたら撃退してやっつけていたのか?それとも、ふいをつかれ武道家であっても全員虐殺されていたのか?(相手は銃も持っていたしね)他にも、ブルース・リーが兵役を逃れられたのは、リーの睾丸が一つしかなかったからだとか、そういえば昔、そっくりさん主演でそのネタ一発で作ったくだらな伝記映画もありましたね(笑)あれ、本当だったんだあ~それにブルース・リーが包茎手術をした話とか、アメリカ時代も愛人がいたとか、一体どうやって調べたんだ?と思うような微妙なネタも満載!!(笑)具体的にはグリーンホーネットにゲスト出演したソーディス・ブラントや「かわいい女」で共演したシャロン・ファレルとかなり親密な付き合いをしていたらしいですが、特にシャロン・ファレルとは「かわいい女」撮影中ずっと関係があったらしい・・・てか、ブルース・リー!!愛人はベティ・ティンペイだけじゃなかったんかい?とツッコミを入れたくなりましたが、ドラゴン少年たちの永遠のアイドル、あのノラ・ミヤオとも関係があったと言うからびっくりです!!まあ、ここまでくると本当かウソかわからなくなってはきますが、ノラさんの件は「燃えよドラゴン」助監督のチャップリン・チャンさんも証言しているから多分、本当なのでしょう・・・やれやれ。しかも、この本は実はベティ・ティンペイはブルース・リーと「燃えよドラゴン」の撮影前には別れていたという、一部マニアにしかわからないようなネタまで披露・・・。当時の香港の新聞には別れたことに気を病んだ(ふりした?)ティンペイが自殺未遂事件を起こした現代のメンへラさながらの醜態まで報道されていました(泣)まあ、あの硬派なイメージのチャック・ノリスまで、当時隠し子がいたそうなので、当時60年代の映画スターってみんなあんなだったのかなあ・・・。もう一つ驚きだったのが、リーが麻薬常用者だったこと!リーがお酒が飲めかったのは昔の日野康一先生の本で知っていたつもりだったけれど、実際には弱かっただけで、日本酒は好きだったらしく、更にはお酒より大麻の方がリーには合っていたようです。ちなみに大麻はマックイーンがすすめたようだけど、誰かの証言ではリーのそばによると、お香のにおい(大麻のにおいのことをそう呼ぶそう)がひどかったらしく、はじめて会ったときはリーをヒッピーか?と思ったとか。香港時代はハシシをよくかじっていたそうですが、実はリーの父親も重度の麻薬常習者だったらしい・・・。リーは麻薬の覚醒作用で得られる「研ぎ澄まされた感覚」を武術の力だけで身に付けたいとも語っていたそうですが、まあ、この時代は同時期にシアトルに住んでいたジミ・ヘンドリックスのようなミュージシャンの間でも麻薬をやるのは当たり前の時代だったので、仕方なかったのかもしれません。リーが亡くなったときも、リーの身体を解剖したとき、中から麻薬が発見されたらしいです。それがブルース・リー死亡の原因か?と香港とアメリカの医師では見解が違っていて、そのへんはビデオ「Deth by Misadventure」でも語られていますが、結局リーの死因は脳浮腫だった?ということにされています。また筆者のマシュー・ポリーの推理ではリーは今でいう熱中症で亡くなったのでは?とも書いていました。やはりこの点だけはファンには納得のいかないものに処理されてしまっていますが、ブルース・リーの死の真相が究明されるのは一体いつになるのでしょうか?レイモンド・チョウ社長が亡くなった今、勇気を出して語ってくれる人はいないのか?ティンペイさん、今度こそ頼むよ~さて話変わりまして、ファンが死因の次くらいに知りたいウォン・ジャックマンとの対決エピソードですが、今のジークンドー派の人がよく語られるお話だけに終始していたので、もう少しウォン側からの話も聞きたかったところです。まあ、この一戦のあとに本格的に自分自身の武術を創造していくきっかけになったのは間違いないようですね。あともう一つ気になるのが、この本でもリーはアメリカに来てすぐの時代、ルビー・チョウさんの店で皿洗いをしていたという話が出てきますし、ジェイソン・スコット・リーの映画でもそんなシーンが出てきますが、実際はどうだったかというと、ルビー・チョウさんの最晩年に俳優のスティーブン・アウさんがチョウさんのインタビューに成功しています。ルビーさんによると、ブルース・リーがルビーさんの店で働いたという事実はなく、いつも武術の練習をしていた印象だったそうです。しかし、リーのルビーさんをはじめ目上の人に対する態度は悪く、ルビーさんのことを呼び捨てにしたりしていたそうです。これは香港に凱旋して、「ドラゴン危機一発」の撮影をしていたころ、やはり監督のロー・ウェイを呼び捨てにしていたときと同じですね。リー自身はといえば、上の人には絶対屈してはならないというポリシーがあったようですがカッコいいなと思うと同時に、今の日本の会社でやったら呼び出しモノか即クビだなと思いました(笑)その他のエピソードとして、まだまだ興味が尽きないネタはたくさんありすぎますが、ファンにはよく知られた「ドラゴン危機一発」の主役は当初リーではなく、ジェームス・ティエンだったというもの・・・。ここでも現場ではひともんちゃくあったと書かれていますが、実際の主演はテイエンではなく、ショウ・ブラザーズの某俳優だったという説もあります。本当はどうなんでしょうね?それと、この「ドラゴン危機一発」や後の「燃えよドラゴン」でも披露することとなる、例の血なめは「弟子のひとりラリー・ハートセルから酒場の喧嘩で自分の血をなめたら相手がビビった」とこの本には書かれていますが、「ドラゴン危機一発」で武術指導をつとめたハン・インチェはすでに自分の出演作「残酷ドラゴン 血斗竜門の宿」でこの血なめを披露しているので、この説にも疑問が残ります。さて、そろそろキリがないのでまとめに入ります!!実際に読み終んでみて、これほど充実した内容のブルース・リーの伝記本は初めてだ思うと同時に本当に読み応えがあり、何度でも読み返したくなる素晴らしい本だと断言しておきましょう。しばらくはこの本だけで話題は尽きないんじゃないか?と感じました。567ページもの大作ではありますが、是非ともファンの方は完読し、感想などを語り合いたいものです!!ファンじゃない方も興味があったら是非です~!!!やっぱりブルース・リーは永遠です!!
 http://blue3baby.blog65.fc2.com/blog-entry-3474.html#comment5445

 ブルース・リー旧居取り壊しへ=保存の訴えかなわず-香港
‡2019(令和元)年08月23日(金) 15:04 配信 
‡2019(令和元)年08月23日(金) 17:20 最終更新 時事通信 
 香港の映画スター、ブルース・リーの旧居=2012年10月、香港(AFP時事) 
 【香港時事】香港メディアは23日までに、伝説的アクションスター、ブルース・リーの旧居が、来週にも取り壊されると報じた。
【写真特集】ブルース・リー
 建物の老朽化が進んでおり、ファンは保存を訴えていたが、政府の支援を得られなかったという。
 旧居は香港の九竜地区にあり、ブルース・リーが1973年に32歳で急死する前、家族と住んでいた。死去後、実業家の故余彭年氏が買い取ったが、一時はラブホテルとして使われていた。余氏は2008年、旧宅を記念館として開放するべく政府と折衝を進めたが、開発の方向性で意見が合わず、計画は頓挫。その後は廃屋となっていた。
 ファンらでつくるNPOは、建物は観光的価値があり「唯一無二の宝だ」として保存を求める署名活動を行っていたが、訴えはかなわなかった。 
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2019082300692

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