コロナ禍下、Spotifyで最多DL数の「意外な」ビートルズ楽曲とは?
‡2022(令和四)年02月05日(土) 11:30 Forbes JAPAN
現在、定額音楽聴き放題サービス最大手「Spotify」でもっともダウンロード回数が多いビートルズの楽曲が何か、知っているだろうか。驚いたことに、「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」などの超ヒット曲におおきく水を開け、ほぼ2倍の回数聞かれているその曲は、「ヒア・カムズ・ザ・サン」なのだ。その理由には、「コロナ禍」という時代背景があった。「アメリカ国立衛生研究所」ディレクターが弾き語り、デトロイトの医療機関が退院時に再生──アメリカ国立衛生研究所(NIH)ディレクターのフランシス・コリンズ博士が「ヒア・カムズ・ザ・サン」をギターとピアノのデュアル演奏で、そして「NIHのみんな、長く寒く、孤独なコロナの冬だったね、テレワークが1年も続くとは予想もしただろうか?、ワクチンが出来て、希望がついに見えてきた……」と替え歌で、弾き語りしている。 また、米国内で感染状況がもっとも深刻な都市のひとつデトロイトにある、ミシガン州南東部で最大の医療機関バーモント・ヘルス(Beaumont Health)病院では、コロナ感染患者が退院するたび、また、人工呼吸器を外して自力呼吸ができるようになるたびに「ヒア・カムズ・ザ・サン」を再生していた時期があったという。ほかにもマサチューセッツ州のビバリー(Beverly and Addison Gilbert)病院では、コロナが癒えて退院する患者に「Here Comes the Sun」のロゴがプリントされたTシャツをプレゼントするのが習慣になった。看護師たちがこの曲を歌いながらTシャツをたたむ様子の映像は、フェイスブックで1.5万回再生されている。この楽曲の歌詞は、「太陽が昇る……うまくいくさ、大丈夫、長く寒く、孤独な冬だったが、氷がゆっくり融けていくのがわかる、みんなの顔に微笑がもどってきたね」といった内容。まさに「雪解け」を心待ちにするわれわれ21世紀の地球人の気持ちを代弁しているようだ。1969年に発表されたこの曲が21世紀の今、米国を中心につよく愛し直されている理由に、そんな時代性が関連していることは間違いないだろう。
■ある音楽関係者はこう見る■VOZ Records(ボズレコード)代表、堀克巳氏は、自身のブログ(まいにちポップス)で以下のようなことを書いている。
「実は『ヒア・カムズ・ザ・サン』人気はコロナ以前からのものだ。2019年9月の集計を見てみると、イギリス国内で一番ストリーミング再生され、ダウンロードされたビートルズの曲がこの『ヒア・カムズ・ザ・サン』だったそうだ(5000万再生。『レット・イット・ビー』は2600万回)。
(George Harrison, Paul McCartney, Ringo Starr and John Lennon at All You Need Is Love TV Show from Abbey Road June 1967, Getty Images)
もっとさかのぼると、iTunesで『ダウンロード販売開始週にトップになった』初めてのビートルズの曲も、この曲だった(2010年)。それを考えると21世紀、世界でもっとも人気のあるビートルズ・ソングは『ヒア・カムズ・ザ・サン』だと言っていいのかもしれない。しかし、ビートルズのオールド・ファンにしてみると、これは意外なことなのではないだろうか。だいたい、この曲は当時シングルになってさえいない。音楽のダウンロード販売が始まった2010年に初めてチャート入りしたのだ。これは、いわゆる『ビートルズ神話』とは離れたところで、この曲が聴かれているということなんじゃないだろうか。そこには、Spotifyをはじめとする『定額聴き放題』サービスの構造にも理由があるような気がする。『聴き放題』サブスクリプションサービスの中心は『プレイリスト』、すなわち、『あるテーマのもと、誰かが選曲したもの』だ。そして、元になるテーマの多くは、元気を出したいときに聴く曲とか、ドライブで聴きたい曲といった、『気分』や『聴く状況』だ。『ヒア・カムズ・ザ・サン』は、『明るく、いい気分になりたい』ときに聴く曲としての定番になっているのではないか。それはポップスのそもそもの存在意義ともいえるかもしれない。そしてコロナ禍は、そういう気分への希求を後押ししたのだろう」堀氏は、『ジョージ・ハリスン自伝 I・ME・MINE』(2002年、河出書房新社刊)から以下の箇所を引用している。「『ヒア・カムズ・ザ・サン』はアップル(注:ビートルズが設立したイギリスの企業アップル・コアのレコードレーベル、『アップル・レコード』のこと)が学校のようになってしまっていた時期に書いた。僕らは毎日オフィスに通い、ビジネスマンのようにあっちの書類、こっちの書類にサインしなければならなかった。それはまるで冷たい冬が永遠に続くようなもので、春が来るのをひたすら待ちこがれていた。そんなある日、意を決してアップルを『フケる』、つまり無断欠勤することにした。ぼくはエリック(クラプトン)の家に行き、庭を散歩した。会社に行って間抜けな会計士たちと顔を合わせなくていいというだけで、すばらしくやすらかな気持ちになった。そして、エリックのアコースティック・ギターを一本借りて庭を歩き、『ヒア・カムズ・ザ・サン』を書いたのだ」。
──今、1970~80年代のディスコブームを牽引したといってもいいR&Bの名曲、アース・ウインド&ファイアー の「セプテンバー」がリバイバルしている。TikTokerたちが踊りをつけて歌い始めたことから、21世紀のティーンエイジ層に受け入れられているのだ。この再流行にも音楽が「ストリーミング」「サブスクリプション」で聴かれるようになったことが関係していそうだ。そしてなにより「明るく、いい気分」を感じる音楽が時代や世代を越えてリスナーを獲得することが、この現象によっても示されている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a22183c3caa921f4205f6bfbb3a9516bab8abc01
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
┌─―――――――――┐Second row <二行目>
17| Sir Robert Peel |『Wikipedia』
17|サー・ロバート・ピール|『discovermusic.jp』
└─―――――――――┘現代の保守党を創始したサー・ロバート・ピールは、1834年~1835年、1841年~1846年の2回にわたり、英国首相を務めた。また、英国内務大臣に在任中は、近代警察の基礎を築いた――その名残は今日でも残っており、警察官(複数)はイギリスでは「ボビーズ(訳注:ボビーはロバートの愛称)、アイルランドでは「ピーラーズ」と呼ばれているヨ(=^◇^=)
‡1788(天明八)年02月05日(tue) Born
1850(嘉永三)年07月02日(tue) Died. 62 years old
┌─――――――――――┐Second row <二行目>
26| William S. Burroughs |『Wikipedia』
26|ウィリアム・S・バロウズ|『discovermusic.jp』
└─――――――――――┘ ボブ・ディラン(No.15)からデヴィッド・ボウイ、トム・ウェイツからスティーリー・ダンにいたるまで、ビート・ジェネレーションの作家、ウィリアム・バロウズは何十年にもわたって多数のソングライターに影響を与えてきた。あまり知られていないことだが、ウィリアム・バロウズ本人によれば、ポール・マッカートニー(No. 64)が「Eleanor Rigby」を書いているところに立ち会っていたという。ヴィクター・ボクリスと共著した対談集『ウイリアム・バロウズと夕食を―バンカーからの報告(原題:A Report From The Bunker)』の中で、ポール・マッカートニーがモンタギュー・スクエア34番地にあるザ・ビートルズのアパートに泊めてくれたと語っている。「曲が出来ていくのを見ていたよ。またしても、私は音楽のことなど詳しくないのに、彼が万事を心得ていることが分かった」ヨ(=^◇^=)
‡1914(大正三)年02月05日(thu) Born
1997(平成九)年08月02日(sat) Died. 83 years old
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https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
‡https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Peel
‡https://en.wikipedia.org/wiki/William_S._Burroughs
https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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LP「オールディーズ」
‡1967年02月05日 発売 OP-8016 \2000 2200
1969年03月 発売 AP-8016 \2000 2200
1976年06月20日 発売 EAS-80557
1992年05月27日 発売 TOJP-7078
https://ameblo.jp/bp-jrg/entry-12684726007.html
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The Beatles アルバム備忘録 8『Oldies』
2013-09-02 00:39:07 テーマ:The Beatles アルバム
ビートルズのアルバム備忘録、第八弾は「A Collection Of Beatles Oldies」。
1966(昭和41)年12月10日 英国発売(ステレオ・モノ)。
‡1967(昭和42)年02月05日 日本発売(ステレオ)です。
ビートルズ初の、そして現役時代では唯一のベスト盤ですね。1966年のクリスマス・セールに出せるアルバムがなかったために急遽企画されたアルバムで、アメリカでは発売されていません。このアルバムは「Rubber Soul」同様、塾の講師にダビングしてもらったテープのうちの1本に入っていました。同じ2500円で4曲多く、アルバム未収録のシングル曲が聞けることもあって人気があったのか、所有人口はかなり多かったようです。イギリスでの評価とは大違いですね。当時は全く気にしていませんでしたが、ヒット曲をただ年代順に並べるのではなく、結構凝った造りになっています。“Help! ”(まだアルバムを持っていなかった)や”Day Tripper”が好きで繰り返し聴いていたのを覚えています。“Can’t Buy Me Love”や“Paperback Writer”も好きだったんですが、歌詞を読むのが速すぎて、その当時はついていけませんでした。今思うと、その頃はこれがベスト盤だという認識を全く持っていませんでしたね。「オールディーズ」が何の意味かもわかってませんでしたから(笑)ただジャケットが妙なイラストでメンバーの写真もないので、ずいぶん変わったアルバムだなあとは思ってましたけど。
なので、1987年のCD化の際にラインナップを見て「何で『オールディーズ』がないの!?」と本気で思っていました。CDでビートルズを聴くようになるまでは、このアルバムがビートルズの8作目という認識をしていたので、「Revolver」の後すぐに「Sgt. Pepper's ~」が続くのは正直、未だに違和感があります。ジャケットといえば、本家イギリス盤などは裏ジャケットの写真が裏焼きなのが有名です。ポールが着ている羽織の「寿」の文字が逆になっているのですが、漢字を使わない国では気付かなかったんでしょうね。もちろん、日本盤ではしっかりと修正されています。万一これがリマスターで復刻されるとしたら、裏ジャケはどうするんでしょうか?個人的には敢えて裏焼きにして欲しいんですが。
https://ameblo.jp/njfsc/entry-11604801035.html
Vol.3 似たもの同士のジャケット(シングル編)
(Oct-5,2000記)
1960~1970年代に東芝からリリースされたBeatlesのシングル盤のジャケットを見ていると、同じ写真のデザインを変えて何回も別々のシングル盤に使用しているものが見受けられます。
1986年9月にシンコーミュージックから出版された『ザ・ビートルズ日本盤ディスコグラフィ』ピーター・インガム著 をテキストにして、そうした「似たもの同士」を探してみましょうか。
タイトルはA面曲の邦題で表示。レコード番号は発売当初のものとしました。またリリース日は初版時のものです
1. OR-1041,1964-2-5 「抱きしめたい」の再版
OR-1078,1964-5-5 「ツイスト・アンド・シャウト」初版
同じ写真だが並び方が変わっている。
2. OR-1058,1964-4-5 「シー・ラヴズ・ユー」初版
OR-1076.1964-4-5 「キャント・バイ・ミー・ラヴ」
この2枚は同じ日にリリース。
3. OR-1143,1964-10-5 「アンド・アイ・ラヴ・ハー」の初版
OR-1156,1964-11-5 「マッチ・ボックス」
写真は同じだが、OR-1143は十文字に割り、OR-1156は縦に割っている。
4. AR-2207,1969-3-10 「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」
AR-2279,1969-6-01 「ゲット・バック」
ホワイト・アルバムのピンナップと同一の写真を編集して使用。プロモーション用の写真が少ないのに、シングル盤発売のペースが速かったため写真の手当てが間に合わず、やむなく同一の写真を使用したのでしょう。後に1~3までは再版時に別の写真と差し替え(OR-1076とOR-1156を除く)されています。それにしても、日本デビューがアメリカより遅れていたこともあってか、1964年のBeatlesの日本盤シングルは驚異的なペースでリリースされました。東芝盤だけで13枚。4月と5月にはそれぞれ3枚ずつ一挙に出ています。それだけ「消費者のニーズに応えた」ということなのでしょうか?(作り手は苦々しかったかも…)
http://moving.la.coocan.jp/yabunirami3.htm
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ Exclusive:WITH A LITTLE HELP FROM THEIR FRIEND ┃By Mark Edmonds
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2005(平成17)年03月20日(sun)『The Sunday Times Magazine』に最初に掲載されましたヨ(=^◇^=)
First published in『The Sunday Times Magazine』20 March 2005
‡1970(昭和45)年02月05日(thu) February 5: "Bed this morning late.Up at 1 to phone. Conversation with Paul, something like this: 'Malcolm Evans' 'Yeah Paul' 'I've got the EMI [Abbey Road studio] over this weekend - I would like you to pick up some gear from the house' 'great man, that's lovely. session at EMI?' 'Yes but I don't want any one there to make me tea, I have the family, wife and kids there.' "
************* https://www.uta-net.com/song/44469
http://www.angelfire.com/band2/bffh/news/malsdiaries.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/マル・エヴァンズ
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映像◆アホな放尿犯 昔の空耳 その0435 https://youtu.be/mR1VIdGveAg
アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンドbyザ・ビートルズ「アホな放尿犯」こういう空耳の時につくづく感心するのは「放尿犯」って言葉はないんですよね。でも、確かに言われてみるとあっという間に意味がわかる。そういう言葉を作り出す才能ってあると思います。
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┃ ♪I WANNA HOLD YOUR HAND(抱きしめたい)♪ ┃
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1963(昭和38)年11月29日(fri) UK released B-side ♪THIS BOY♪
1963(昭和38)年12月26日(thu) US released B-side ♪I SAW HER STANDING THERE♪
‡1964(昭和39)年02月05日(wed) JP released B-side ♪THIS BOY(こいつ)♪
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https://en.wikipedia.org/wiki/I_Want_to_Hold_Your_Hand
英http://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/single/single_original_p1.html##5-1
米http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single_1964.html##1-1
日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/single/or_1041.html
英http://rock-t.info/beatles-discography-iwanttoholdyourhand-thisboy.html
米http://rock-t.info/beatles-discography-iwanttoholdyourhand-isawherstandingthere.html
英http://www.geocities.jp/mr_tako_seijin/UK_Single62_66.html#I_Want_To_Hold_Your_Hand
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┃ 『A COLLECTION OF BEATLES OLDIES』 ┃BUT GOLDIES!
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1966(昭和41)年12月09日(fri) UK released ※THE BEATLES RECORD COLLECTION
1966(昭和41)年12月10日(sat) UK released ※Wikipedia English version
‡1967(昭和42)年02月05日(sun) JP released
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英Mhttp://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_mono_p3.html##8-1
英Shttp://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_stereo_p3.html##8-1
日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/lp/lp_op_8016.html
http://www.geocities.jp/mr_tako_seijin/page_lp/oldies.html#
https://en.wikipedia.org/wiki/A_Collection_of_Beatles_Oldies
音源◆https://music.amazon.co.jp/my/playlists/オールディーズ+ビートルズ/8737774b-78ea-4758-9e8a-add85953fd06
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┃ 『ABBEY ROAD』 ┃Limited Edition No.2
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‡1979(昭和54)年02月05日(mon) JP released
特別限定版 スーパー・ピクチャー・レコード 聴いて素晴らしく見て楽しい。■したらもうサイコー!!
A面の野性味、B面の叙情性、何人も否定し得ぬビートルズ・ミュージックの錬金術
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http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/lp/emi_lp_picture.html##3
Ohttps://music.amazon.co.jp/albums/B019GHCXYS
⑨https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT8JSPS
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┃ THE BEATLES of 1963 ┃(tue)05 February
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Concert: Gaumont Cinema, Hallgate, Doncaster, Yorkshire
The second date of the Helen Shapiro package tour.
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"THE Beatles were paid less than £100 for performing in South Yorkshire in February 1963 - but their autographs from that night could sell for £2,000 when they go under the hammer soon, say experts.
The Fab Four didn't even top the bill and were yet to become world-famous superstars when they appeared at the Gaumont Cinema, Hallgate, in Doncaster,
on February 5, 1963.
Now, 47-years later, the autographs of all four obtained that night are going to be sold at auction and they are expected to sell for up to £2,000.
The valuable signatures, on two pages of an autograph book, were obtained by a quick-thinking fan named Carol.
One page is signed 'To Carol, lots of love Paul McCartney (Beatles), John Lennon xxx and Ringo Starr xxx'. Another page is signed 'To Carol love from George Harrison'.
McCartney's insertion of the word 'Beatles' after his name proves the group was not so well known in the early days of 1963, and he probably wasn't sure people looking at the autograph book in years to come would remember who he was.
Despite the £2,000 estimate when the autographs go under the hammer one
June 24, the lot could have been worth much more.
If all four Beatles' signatures had been on the same piece of paper, they could have been worth an extra £1,000.
And if their signatures appeared on the back of the group's second album, With The Beatles, which was released in November 1963, they would be worth more than £7,000.
The Beatles performed at the Gaumont Cinema at the start of their first nationwide tour, which begun three days earlier at the Gaumont Cinema in Bradford.
They were on an eight-act bill that also included comedian Kenny Lynch and Moon River singer Danny Williams.
Top star that night was 16-year-old singing sensation Helen Shapiro, who had two number one hit records in 1961 with You Don't Know and Walkin' Back To Happiness."
Source:(fri)4 June 2010『The☆Star』
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(wed)29 September 2004; auctioned by Christies. Autographed menu from Punch's Hotel, where The Beatles stayed in Doncaster
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"Mick Longworth was only 15 when John, Paul, Ringo and George stayed at his father's hotel in Doncaster, South Yorkshire in 1963.
But after storing the valuable register in a bank vault for the past 15 years the grandfather-of-five is now planning to put it up for auction on the internet.
Mr Longworth hopes the sale could raise up to £30,000 to buy a family holiday home.
He said: "People tend to have an inflated view of what something like this is worth, but I am going to put it on the internet and see what happens.
"If I can get enough to buy a villa in somewhere like Spain for the family then it is much better than leaving it in a bank vault.
"Mind you, I could just as easily end up with enough money for a caravan in Cleethorpes."
The Beatles were touring with Helen Shapiro at the time of their one-night stay and had just reached number two in the charts with Please Please Me.
Mr Longworth said: "When I found out they were staying I cancelled my paper round and ended up serving John Lennon morning tea in his bed."
In the register each Beatle gives an address in Liverpool and under the nationality section Lennon jokingly scribbled "White Man" with McCartney scrawling "Green".
Mr Longworth added: "It's a piece of pop history and should be on display somewhere.""
Source:(tue)5 August 2003『BBC News』
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"Some rare early photos of the Beatles on their first national tour will be printed for the first time in a new edition of a book on the Beatles' British tours.
Author Martin Creasy is featuring them in the new edition of his book "Beatlemania! The Real Story Of The Beatles UK Tours," which was first published in April. According to the author, it is believed these are the only photos of the Beatles on stage during their first UK tour. (The book is also available from Amazon.co.uk.)
The photos were taken in dim lighting by rookie photographer Charlie Worsdale without using flash on the stage of the Gaumont Cinema in Doncaster on Feb. 5, 1963. According to Creasy, Worsdale, now 67, was working for the Foto News agency. He was shooting in the middle of a fierce British winter at a time when the Beatles' second single, "Please Please Me," was moving up the charts.
"I'm proud to have Charlie's photos in the book. They are a fascinating glimpse of The Beatles going full pelt just as they were about to hit it big," Creasy says. "They were taken in difficult circumstances and Charlie was a teenager still learning his trade back then, but they are fascinating because they fill in a gap in The Beatles' story.
"The thing that catches my eye is John Lennon holding the harmonica up against that old style microphone. Beatles fans are more familiar with John having a harmonica holder around his neck, Bob Dylan style, but these pictures were from February 1963 before people in England had heard of Dylan!"
Worsdale was also allowed into the dressing room and says he was surprised by the music he heard the Beatles were listening to. "They were playing Ray Charles records on a portable player, and tracks by people like Chuck Berry and Bo Diddley. I was particularly chuffed they were listening to Ray Charles because I was quite a fan," he told Creasy.
"I remember them joking among themselves about how audiences were reacting to them. They were poking fun at an audience which was now largely screaming girls who practically drowned out their music.
"I took my pictures from the wings while they were playing, but you couldn't hear that much. What was obvious was the excitement they were creating in the audience. It was obvious they were going to be big. I was quite an inexperienced photographer at the time. I shot them on 400 ASA speed, so they were experimental shots. You couldn't use flash. You just did the best you could, but I think the pictures are quite atmospheric."
The Beatles, who were on a bill starring singer Helen Shapiro and also featuring Danny Williams and Kenny Lynch, were staying at the nearby Regent Hotel. Mick Longworth, then 15 years old, the son of the hotel's owner, recalled their visit to Creasy.
"They signed Parlophone promotion cards for us and for some of the waitresses and kitchen staff," said Longworth. "They had all signed the hotel register. There was a space for a name, date and nationality. George wrote George Harrison, British, February 5, 1963. But Ringo got the year wrong. He put Ringo Starr, British, February 5, 1962. The others also put the wrong year. John Lennon signed his name but under nationality wrote "white man" and Paul put "green man". Both followed Ringo in putting 1962.
"The funny thing was the next six people staying also put 1962 until one of them realised it was wrong and corrected it to 1963. I remember later saying to my dad and mum, who jointly owned the hotel, that we need to put the beds up for sale. Everything to do with the Beatles was wanted -- sheets they'd slept in etc. 'Don't be so bloody stupid,' my dad said.""
Source:(wed)2 November 2011 examiner.com,
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Brian Epstein's reply to Welsh promoter Eddie Tattersall; a concert would be arranged for 22 June in Abergavenny
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http://www.multiplusbooks.com/630205.html
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┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年02月05日(日) ライヴ演奏:ブレア・ホール/リヴァプール
②1962(昭和37)年02月05日(月) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール with リンゴ・スター
③1962(昭和37)年02月05日(月) ライヴ演奏2:キングズウェイ・クラブ/サウスポート with リンゴ・スター
④1963(昭和38)年02月05日(火) ライヴ演奏:ゴーモン・シネマ/ドンカスター
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①1961(昭和36)年02月05日(日) ライヴ演奏:ブレア・ホール/リヴァプール
これはリヴァプール・ウォルトン (Walton, Liverpool) にあるブレア・ホール (Blair Hall) へのビートルズの初めての出演であった。 ブレア・ホールはウォルトン通り (Walton Road) の生協 (Co-operative) の3階にあった。地階には家具店と薬局があり、1階は食料雑貨やインテリア用品、2階は生協事務所と銀行の窓口があった。 このショーはピーク・プロモーションズ (Peak Promotions) によるブッキングで、この会社は北イングランドにある4つの会場でジャイヴのイベントを主催していた。4つの会場とは、このブレア・ホール、ウェバーツリー (Wavertree) のホリオーク・ホール (Holyoake Hall)、グレート・ジョージ・プレイス (Great George Place) のデヴィッド・ルイス・クラブ (David Lewis Club)、それにウィッドネス (Widnes) のコロンビア・ホール (Columbia Hall) であった。この内ビートルズはコロンビア・ホール以外の会場には出演している。
ビートルズはブレア・ホールに、5回出演しているヨ(=^◇^=)
1961(昭和36)年02月05日
1961(昭和36)年07月16日 23日 29日 30日
②1962(昭和37)年02月05日(月) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール with リンゴ・スター
リンゴ・スター (Ringo Starr) は公式には1962年08月18日(土)まで、ビートルズとしてプレーすることはないのであるが、この日おそらく初めて彼はビートルズの一員として公演した。リンゴは通常、ロリー・ストーム&ザ・ハリーケーンズ (Rory Storm & The Hurricanes) のメンバーとしてドラムを演奏していたが、この日ハリケーンズはめったにないオフ日であった。またビートルズのドラマーのピート・ベスト (Pete Best) はこの日具合が悪かった。そうした事情からリンゴ・スターは、このキャバーン (Cavern Club) のランチタイムショーと、この日の夜のキングズウェイ・クラブ (Kingsway Club) での公演で、ビートルズのためにピートの代役を引き受けることになったのである。ビートルズとハリケーンズは、どちらもハンブルグの同じクラブのステージに長期出演していたため、リンゴとビートルズの面々はすでにお互いを良く知る顔なじみであった。リンゴはハンブルグ滞在中にもビートルズと共演していた可能性が高いのだが、この日以前の共演は記録として残っていない。これは彼らの44回目のキャバーンのイブニングショーへの出演であり、ランチタイムショーと合わせると129回目の登板だった。キャバーン・クラブはリヴァプールのマシュー通り (Mathew Street) にある地下ライヴハウスであった。ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていない。しかし1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
③1962(昭和37)年02月05日(月) ライヴ演奏2:キングズウェイ・クラブ/サウスポート with リンゴ・スター
ビートルズはキングズウェイ・クラブに8回出演している。
1962(昭和37)年01月22日 29日
1962(昭和37)年02月05日 26日
1962(昭和37)年03月05日 12日 19日
1962(昭和37)年07月23日
④1963(昭和38)年02月05日(火) ライヴ演奏:ゴーモン・シネマ/ドンカスター
ヘレン・シャピロ (Helen Shapiro) を主役とするビートルズのUK全国ツアーは1963年2月2日にスタートしていたが、2月3日と4日はビートルズ単独でキャバーン・クラブに出演したため、この日のドンカスター (Doncaster)・ゴーモン・シネマ (Gaumont Cinema) の公演がツアー2日目となった。ビートルズはその会場に近いリージェント・ホテル (Regent Hotel) に滞在したが、そのホテルオーナーの15歳の息子は彼らがそこにいると知って興奮した。
ミック・ロングワース『Beatlemania!』マーティン・クリージー ⇒ そのショーのチケットはすでに持っていたが、母からビートルズはここに宿泊してると聞いて僕はものすごく興奮した。数分後、僕は上の階に上って行った。そこにはTVラウンジがあるんだが、ビートルズは部屋の中でギターをかき鳴らしていた。お客さんの邪魔をすることはできないので、部屋には入らなかった。でもガラス戸の所に行って聞いていた。この時彼らは初期のヒット曲を作っていたんじゃないかなと今思うよ。 僕はすぐに翌朝の新聞配達を休む電話を入れた。だから翌朝、兄と一緒に彼らの2つのツインルームにお茶を運んでいくことができた。残念ながら僕らがモーニング・ティーを持って上がっていった時には、彼らは全員寝ていた。僕らは近所にある学校へ行ったが、二人とも具合が悪くなってすぐに帰ってきた。たぶんビートルズがまだホテルにいると思って興奮してたためだ。とにかく帰ってみるとそこにビートルズがいた。4人ともレストランで朝食を終えようとしていた頃だった。彼らは僕らの他にウェイトレスや厨房の人間にも、パーロフォンのプロモーション・カードにサインを書いてくれた。彼らは全員が宿帳に記入している。それには名前と日付と国籍の欄があって、ジョージは「George Harrison, British, February 5 1963」と記入した。だけどリンゴは年を間違えて「Ringo Starr, British, February 5 1962」と書いた。ジョンは名前をサインしているが、国籍欄には「white man (白人)」と書き、ポールは「green man (緑人)」と書いている。二人ともリンゴに続いて「1962」と書いた。おもしろいのはその後に続く6人の客も、誰かが間違いに気づいて「1963」と訂正するまで、みんな「1962」と書いているんだ。僕の父と母がホテルの所有者だったが、後年僕は2人に「ベッドを売りに出したら?」と言ったことがある。ビートルズに関わるものは何でもみんなが欲しがった。彼らが寝たシーツとかね。「どうしてそうバカなんだ」と父は言った。彼らが記入した宿帳は銀行の金庫に今は入ってる。でもそのコピーは展示しているよ。
フォト・ニュース・エージェンシー (Foto News Agency) のためにチャーリー・ワースデール (Charlie Worsdale) が、このコンサートの写真を撮っていた。彼は出演者のインタビューを取るキャロル・ループ (Carol Roope) と一緒に来ていた。
チャーリー・ワースデール『Beatlemania!』マーティン・クリージー ⇒ [楽屋で] 彼らはポータブル・プレーヤーでレイ・チャールズ (Ray Charles) のレコードを鳴らしていた。他にチャック・ベリー (Chuck Berry) やボ・ディッドリー (Bo Diddley) なんかも。僕は彼らがレイ・チャールズを聞いてることに興奮した。なぜなら僕は彼の大ファンだったから。彼らは観客の反応の仕方についての冗談を言い合っていた。彼らは観客をネタに楽しんでいた。それは今や大部分が絶叫する少女たちで、その絶叫に彼らの音楽は飲み込まれていた。僕は会場の両翼から彼らの演奏シーンを撮影したが、あまり演奏は聞こえなかった。明らかだったのは、彼らが観衆の中に興奮を創造していたということだった。彼らがBIGになるのは間違いないように思えた。
このアールデコ風の会場は1934(昭和九)年の9月にオープンし、2,020の座席と幅67フィートのステージを持つ。バディ・ホリー (Buddy Holly) やローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) など数多くのミュージシャンがこのシネマで演奏している。この建物は1964(昭和39)年に改築され、1987(昭和62)年にはオデオン (Odeon) となった。しかし2009(平成21)年11月に取り壊された。
ビートルズはドンカスターのゴーモン・シネマには3回出演している。
‡1963(昭和38)年02月05日
1963(昭和38)年03月22日
1963(昭和38)年12月10日
⑤ビートルズはドンカスターでは都合5回のショーを行っている。この日の他は
1962(昭和37)年08月08日(水)
‡1963(昭和38)年02月05日(火)
1963(昭和38)年02月20日(水)
1963(昭和38)年03月22日(金)
1963(昭和38)年12月10日(火)
https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620808_live_Co-op.html
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①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610205_live_blairhall.html
②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620205_live_Cavern.html
③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620122_live_Kingsway.html
④https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630205_live_Gaumont_Doncaster.html
⑤https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620808_live_Co-op.html
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┃ THE BEATLES HISTORY ┃| February 05|036
┃ ザ・ビートルズの今日の出来事 ┃| 2月05日 |
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1960(昭和35)年02月05日(金) スチュワート・サトクリフがベースとして加入したものの、ドラマーが不在ということもあり、春ごろまで目立った活動はない。バンド名を「クオリーメン(The Quarrymen)」から、スチュの発案で「ビータルズ(The Beatals)」に改名した。
1961(昭和36)年02月05日(日) ホリオーク・ホール、デヴィッド・ルイス・クラブ、コランバ・ホール、ブレア・ホールの4ヵ所でジャイブ・ダンス・パーティを主催していた会社、ピーク・プロモーションズとの契約による最初のステージをブレア・ホールで行なった。ビートルズはコランバ・ホールを除く3つのホールに出演している
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16903
http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/002/0205.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15641806.html
http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
楽曲資料https://beatlesdata.info/
歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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