過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)

 

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 ┃ 『トットちゃん!』 ┃テレビ朝日系列
 ┗━━━━━━━━━━━┛ 12:30~12:50
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 |2017(平成29)年11月20日(月) 第08週 第36話|演出・・・星田良子
‡|2017(平成29)年11月21日(火) 第08週 第37話|演出・・・星田良子
 |2017(平成29)年11月22日(水) 第08週 第38話|演出・・・星田良子
 |2017(平成29)年11月23日(木) 第08週 第39話|演出・・・星田良子
 |2017(平成29)年11月24日(金) 第08週 第40話|演出・・・星田良子
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93!
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1977(昭和52)年11月21日(月)小森和子
②1978(昭和53)年11月21日(火)本間一夫
③1979(昭和54)年11月21日(水)奥村チヨ
④1980(昭和55)年11月21日(金)音無美紀子
⑤1983(昭和58)年11月21日(月)五月みどり
⑥1984(昭和59)年11月21日(水)李恢成
⑦1985(昭和60)年11月21日(木)岡本信人
⑧1986(昭和61)年11月21日(金)仲代達矢
⑨1988(昭和63)年11月21日(月)松尾和子
⑩1989(平成元)年11月21日(火)若原瞳
⑪1990(平成二)年11月21日(水)嘉門達夫
⑫1991(平成三)年11月21日(木)ザ・ワイルドワンズ
⑬1994(平成六)年11月21日(月)野村昭子
⑭1995(平成七)年11月21日(火)今福将雄
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑮1996(平成八)年11月21日(木)仲代達矢
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
⑯1997(平成九)年11月21日(金)田中美里
 2001(平成13)年11月21日(水)伊藤俊人
 2006(平成18)年11月21日(火)賀来千香子
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年11月21日(木) 笑福亭小松 |第回
 └─――――――――――――――――――┘  
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-11-21.html
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 |2001(平成13)年11月21日(水) 伊藤俊人 |第回
 └─―――――――――――――――――┘
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2001/h13_11_21.html
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 |2006(平成18)年11月21日(火) 賀来千香子 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「夫婦円満2人でカラオケ」
 http://up-beat.pos.to/tetsuko/t_calendar.htm#2006年
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 |2007(平成19)年11月21日(水) 服部克久・服部隆之 |第回
 └─――――――――――――――――――――――┘「昭和の名曲が次々…」今年は“日本のポップスの父”服部良一さんの生誕100周年の年。同じく音楽家として活躍する息子の服部克久さん、孫の服部隆之さんを迎えて良一さんの曲の魅力や意外な素顔を語る。黒柳はバイオリニストだった父・守綱さんとの繋がりもあり、良一さんの音楽葬では司会を務めた。その時に流した良一さんのヒット曲「蘇州夜曲」にまつわる意外なエピソードも。
 ■CD『服部良一 ~生誕100周年記念トリビュートアルバム~』¥3,150(UPCI-1071)発売・販売元:ユニバーサルミュージック株式会社  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/071121.html
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 |2008(平成20)年11月21日(金) 間 寛平 |第回
 └─―――――――――――――――――┘「3年で世界一周仰天マラソン」今年の12月17日から世界で誰一人挑戦したことのない「アースマラソン」に挑戦するという間寛平さん。その内容とは陸はマラソン、海はヨットで渡り、その距離は陸20000キロ海16000キロの合計36000キロ。費やす時間は2年半から3年という途方もない内容だ。しかし数々の超過酷なレースを走破してきた寛平さんならできそうな気がするから不思議だ。しかし心配なのは情勢の不安な国を通るときだという。いきなり殺される可能性もあるだけに不安はつきないという。しかし一度日本を出ると、世界を一周するまで帰ってこない。リタイアしたときは死んだときというぐらい世界一周への思い入れは強い。数々の過酷なマラソンは走破してきた寛平さんだが、海をヨットで渡るのは初めて。そこでヨット経験者の元マネージャーと二人での挑戦となった。寛平さんも初めてのヨットを一生懸命練習しているところだそうだ。果たして無事に帰ってこれるのだろうか…二人は3年後に「徹子の部屋」での再会を約束した。
 間寛平さんが世界初、陸はマラソン海はヨットで世界一周するという『アースマラソン』に挑戦する。出発は12月17日(水)スタート時間は未定 スタートは大阪、しかし詳細は未定
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/081121.html
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 |2011(平成23)年11月21日(月) 森 昌子 |第9107回
 └─―――――――――――――――――┘「闘病時に百恵さんから 励ましメールが」今年デビュー40周年を迎えた森昌子さん。更年期障害からなる「うつ病」、そして「子宮筋腫」、さらに「子宮頸がん」と次々に病魔が森さんを襲った。ふとマンションから飛び降りようと衝動にかられた事もあったが、母や愛息が止めてくれたという。そんな彼女を支えたのは親友・山口百恵さんだったと語る。
 ☆CD森昌子さんの新曲「愛は流れる」発売:ホリデージャパン¥1,200(税込)
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/111121.html
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 |2012(平成24)年11月21日(水) 今 陽子 |第9363回
 └─―――――――――――――――――┘「ピンキラ恋の季節!懐かしい映像も」今年で芸能生活45年を迎える今陽子さん。“ピンキーとキラーズ”でデビューしたのは16歳で、ヒット曲「恋の季節」は17週オリコン1位を獲得し過去最高の記録を保持している。今日は、当時の映像を紹介しながら10代の頃の姿を振り返る。その後、メンバーとのケンカ別れや結婚・離婚を経てアメリカに渡った今さん。今だから明かす胸中とは。
 ☆紹介したCDは、「Love Seasons ~恋の季節たち~」発売:ワーナーミュージックジャパン 3000円
 ☆紹介した本は、「60歳からのフェイスブック」発売:マイナビ新書 830円+税 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/121121.html
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 |2013(平成25)年11月21日(木)  具志堅用高|第9618回
 └─――――――――――――――――――┘「亡母と4人の孫娘たち」ボクシング元世界チャンピオンで、現在はバラエティ番組に引っ張りだこの具志堅用高さんを迎える。2年前に愛娘が結婚したが、挙式の当日には「行かない」と駄々をこねたという具志堅さん。その娘にも長女が誕生し、現在は双子を含む4人の孫娘を持つ“おじいちゃん”となった。具志堅さんは沖縄の石垣島出身だが、厳しかった亡き母を語るとき目には涙が光る。
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/131121.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2014(平成26)年11月21日(金) 高島礼子 |第9847回
 └─―――――――――――――――――┘「夫の改造計画は!? 50歳の胸中は」今年50歳を迎え、ますます輝いている女優の高島礼子さんがゲスト。46歳で逝った母の年を越えたいま、自分の生き方を見つめ直した高島さん。異業種の女性が集う「女子会」に参加する事で大変な刺激を受け、「もう50歳だから」という発言を封印したと語る。そんな高島さんに、黒柳は夫・高知東生さんの「改造計画」を持ちかけるが…。 
 ☆土曜ワイド劇場『逆転報道の女4』11月22日(土)よる9時~放送
 ☆舞台『春日局』日時:2015年1月2日(金)~23日(金)場所:明治座 お問合せ:明治座チケットセンター 03-3666-6666
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20141121.html
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 |2016(平成28)年11月21日(月) 薬師丸ひろ子 |「人生の悩みが『500ドル』で解決!?」
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 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20161121.html
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 |2017(平成29)年11月21日(火) 高橋克典 |「52歳…愛息8歳の一言に人生を学び」
 └─―――――――――――――――――┘テレビに舞台に大活躍の俳優・高橋克典さんは子育てにも熱心な“イクメンパパ”。39歳で結婚をして44歳にして長男を授かった。いま小学校3年生の息子と過ごす微笑ましい暮らしぶりを明かす。息子同士が同じ学校に通うパパ仲間、市村正親さんとの交流も。高橋さんはドラマ『トットちゃん!』で、黒柳が恩人と語る劇作家の飯沢匡氏を熱演。新人時代、黒柳の個性を初めて認めてくれたという飯沢さん。40年前「徹子の部屋」に出演した時の貴重映像を公開する。一方、高橋さんの人生を後押ししてくれたという、意外な恩人とは・・・。 
 ☆帯ドラマ劇場『トットちゃん!』毎週 月~金曜 ひる12:30~
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20171121.html
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 |2018(平成30)年11月21日(水) 今 陽子|
 └─――――――――――――――――┘「恋の季節」から50年・・・今は母の介護を」
 ピンキーとキラーズの大ヒット曲「恋の季節」から今年で50年、ピンキーこと今陽子さんを迎える。大ヒットの当時、わずか16歳だった今さんは、すっかり「天狗」になってしまい、他のメンバーと不協和音が…。たった4年でグループから脱退した。そんな今さんを支えていた母は現在91歳。2年位前から認知症が進み、今では母の介護と向き合う日々を送る。 
 ☆CD「今の季節」発売:ワーナーミュージック・ジャパン
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20181121.html
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 |2019(令和元)年11月21日(木) 内山信二& 婚約者 琴 |
 └─―――――――――――――――――――――――┘「初登場!「どん底生活」乗り越え掴んだ幸せ」
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20191121.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
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 |2022(令和四)年11月21日(月) カルーセル麻紀 |
 └─――――――――――――――――――――┘「もうすぐ80歳!脳梗塞を機に生活激変!?」
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20221121.html
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 |2023(令和五)年11月21日(火) 齋藤悌子 |
 └─―――――――――――――――――┘ジャズシンガー「88歳!米軍統治下の沖縄で兵士たちに歌声を」
 ☆CD「A Life with Jazz」スケアクロウ・レコーディングス
 ☆コンサート「齋藤悌子 meets David Matthews -A Life With Jazz-」4月6日(土)・7日(日) 福岡 キャナルシティ劇場 4月19日(金) 兵庫 神戸朝日ホール 4月23日(火) 東京 EXシアター六本木 お問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337 受付時間 平日12:00~18:00(※土日祝休業)
 https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20231121.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋

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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
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 |2001(平成13)年11月21日(水) 伊藤俊人 |第回
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黒柳『よくいらしてくださいました。”ショムニ”、”お水の花道”、”さんま御殿”に出てらっしゃるんですが。メガネなんですけど』
伊藤「ドラマとかにですね出るときに監督にお尋ねするんですよ”メガネはどうしましょうって”すると”外してみて”、”はい”、”うわ~目つき悪いねえ”メガネをかけると”それでいこうかバカぽいよね”とか言われて。」
『メガネをつけるのとはずすのではあなたずいぶん眼光が鋭くなるのね外すと。外したときは犯人とか多いの』
「そうですねやっぱり目つきが悪くなってしまうんで」
『でもハンサムでいらっしゃるから。目がずいぶん大きいんですねえ』
「メガネをかけるとやさしくなるんですかね」
『普段はかけてらっしゃる方なんですか』
「はいかけてます。コンタクトの方が楽だとは思うんですがソフトもハードも持ってたんですが合わなくて。2週間ほど続けなくてはいけないらしいんですが続かなくて”辛抱足らないね”と言われて止めました」
『芝居のときはメガネがあってもなくてもかわらない』
「舞台ですと最前列から4,5列目まで見えちゃうんで上がっちゃうんで」
『じゃあ無い方が』
「はい舞台は無しでやってたんですかテレビは目つきがあれなんで”伊藤さんはメガネでしょ”って言われて」
『今舞台とおっしゃいましたが三谷幸喜さんの”東京サンシャインボーイズ”でずっとやってらしたかたなんんですけど(伊藤さんがいつのまにかメガネをかけてるのを見て)あなたメガネをおかけになったのね、そうすると突然違う人と話してるように思えて』
「よく言われるんですそれ」
『そうですよね振り返った時「わ~びっくりした(会場笑)」違いますよね。お家の中ではどうなんですか』
「かけてます」
『奥様は慣れてらっしゃる』
「そうですね」
『別に私みたいに驚かない(会場笑)』
「はい」
『お父様はあなたを野球の選手にしたかった』
「僕の”俊人”の”俊”と言うのは父親は”俊慈”というんですがその”俊”から来ているのですが”人”は南海の鶴岡一人の”人”をとって俊人となったんですが私は球技が苦手で玉が怖くて怖くて」
『お父様もビックリしたでしょ』
「はいすぐにしたの弟に託したみたいで」
『お実家は酒屋さんで場所は?』
「新潟市です」
『お父さんは映画が好きで』
「はい映画音楽がラジオから流れて気に入ったのを見に行ってたみたいです」
『あなたは映画館に行くのはいいんですけど2本立てというのが気に入らなかったんですって』
「はい。これみたいなあとおもっても同時上映がはあ~みたいな」
『例えば』
「”ゾンビ”が上映されてたんですが同時上映が”ケンタッキーフライドムービー”だったんです。」
『その時間に行って1本だけ見るっていうのはいやなんですね』
「はい」
『”007”が見たかったのに”エマニエル婦人”が同時上映だったんですって』
「中学1年の時に正月映画で007が公開されたんですが同時上映の”エマニエル婦人”がふさわしくないと言うことで我が校では見に行ってはいけませんということになりまして」
『校内放送で流れて』
「はいガクっとなりました」
『エマニエル婦人を見たかったでしょ』
「はい、いや」
『日大の芸術学部にお入りになったんですけど家族には違う学部に入ったと』
「両親にいってもうまく説明できないんでうちは酒屋なんで商学部に入ったといいました」
『その後お父様が亡くなられて』
「大学4年のときに亡くなりまして死因が肝臓ガンで」
『お酒をお飲みになってた』
「はい大好きで」
『じゃあ酒屋を継げと言われて』
「はい大学を卒業しろという意見と直ぐに止めて酒屋を継げと言う意見に分かれましたんですけどわがままを言わせて貰って卒業しました。大学を卒業するときに進路って書くんですけど僕は未定とかいたんですが教授から問いただされて進められた所に就職しました」
『アナウンサーとか俳優さんを養成する学校そこの先生に』
「でもこっちの世界に生きたいというのがありましたので1年3ヶ月で止めてしまいました」
『それでいよいよ高層ビルの窓拭きをされるんですが。あれは中とかみえるんですか』
「みえます。ですが我々は見えてないよと言う風にして。とんでもない所に出くわしたりしました」
『事件とかには』
「ありました。銃を見たことがありましてでも見てませんよおって感じで下に下りていって」
『ずいぶん高い所。何階ぐらい』
「僕がやってたのは17階」
『ずいぶん長くやってらした』
「10年弱。きついですから辞めていくんですね。冬は寒いし夏は暑いし。でも時間的に融通がきいたんですね早く終わったら早く帰れたり。ずいぶん長くやったものですから独立しないかって」
『これにならないかって』
「はい」
『でもその内ゴンドラの揺れかたが変わってきたんですって』
「横揺れは当たり前なんですけど縦揺れしてきましてこれはワイヤー部分に問題がありまして辞めさして下さいといったんですねするとホテル側が困ると言われたんですけど窓拭き会社の方から我々は人命を尊重しますということですったもんだがありまして1つ現場を失ってしまいました」
『それから俳優の方にいかれたんですけどタップが大変お上手』
「お上手と言うかすきですけど」
『ドラマでやったことあります』
「ないです」
『タップダンサーの犯人とか駄目かしら』
「いいですよね」
『新婚なんですけど奥様は衣装のほうをやってらした』
「”ショムニ”という番組で衣装のほうをやってまして僕の一目ぼれです」
『結婚していろいろなものを捨てられちゃったんですって』
「全部2枚重ねで着てたんですね半袖の上に長袖を着てたんですがお願いだから止めてといわれて全部捨てられてしましました」
『奥様若いの』
「5つ下ですね。34歳です」
『テレビに出るようになったらお母様に誰かが息子さんが出てるみたいっておっしゃたんですって』
「母親もそういう仕事に関して理解がなかったものですから”お前は東京で何をやっているんだ”といわれて7転8倒してたいへんなことになりました」
『今はお喜びしょう』
「なんとか」
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2001/h13_11_21.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
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 |2001(平成13)年11月21日(水) 伊藤俊人  |
 |2002(平成14)年 7月16日(火) 追悼特集2 |第回
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黒柳「今日の追悼の最初の方は伊藤俊人さんです。40歳というお若さで本当に売り出し中というか本当にヒットするドラマにいろんなものに出てらっしゃいました。ただ役ではないこういったトークに出るのは初めてということですごく緊張してらっしゃたんですけども楽しい話をして笑わせていただきました。清潔感のあふれる若いハンサムな方だなっと思って私拝見していたんですけども、このでてくださったのが去年の11月でございます。ですからあの時はあんなにお元気だったのにと。40歳、ご結婚なさったばっかしだとその時もおっしゃっていましたけども残念です伊藤俊人さんご覧いただきます。」
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 ■2001年11月21日放送
黒柳「よくいらしてくださいました。”ショムニ”、”お水の花道”、”さんま御殿”に出てらっしゃるんですが。メガネなんですけど」
伊藤≪ドラマとかにですね出るときに監督にお尋ねするんですよ”メガネはどうしましょうって”すると”外してみて”、”はい”、”うわ~目つき悪いねえ”メガネをかけると”それでいこうかバカぽいよね”とか言われて。≫
「メガネをつけるのとはずすのではあなたずいぶん眼光が鋭くなるのね外すと。外したときは犯人とか多いの」
≪そうですねやっぱり目つきが悪くなってしまうんで≫
「でもハンサムでいらっしゃるから。目がずいぶん大きいんですねえ」
≪メガネをかけるとやさしくなるんですかね≫
「普段はかけてらっしゃる方なんですか」
≪はいかけてます。コンタクトの方が楽だとは思うんですがソフトもハードも持ってたんですが合わなくて。2週間ほど続けなくてはいけないらしいんですが続かなくて”辛抱足らないね”と言われて止めました≫
「芝居のときはメガネがあってもなくてもかわらない」
≪舞台ですと最前列から4,5列目まで見えちゃうんで上がっちゃうんで≫
「じゃあ無い方が」
≪はい舞台は無しでやってたんですかテレビは目つきがあれなんで”伊藤さんはメガネでしょ”って言われて≫
「今舞台とおっしゃいましたが三谷幸喜さんの”東京サンシャインボーイズ”でずっとやってらしたかたなんんですけど(伊藤さんがいつのまにかメガネをかけてるのを見て)あなたメガネをおかけになったのね、そうすると突然違う人と話してるように思えて」
≪よく言われるんですそれ≫
「そうですよね振り返った時「わ~びっくりした(会場笑)」違いますよね。お家の中ではどうなんですか」
≪かけてます≫
「奥様は慣れてらっしゃる」
≪そうですね≫
「別に私みたいに驚かない(会場笑)」
≪はい≫
「タップが非常にお上手」
≪大好きですけども。お上手というと≫
「ジム・ケリーがお好きだそうですけどもそういう役ってやったことあります?」
≪ないです≫
「テレビではねえ」
≪舞台ではミュージカルのお話がきた時にねえわがままを言ってタップシーンいれるんなら出てもいいよっていうことはいったことがありますけども。≫
「何かの時に入れてもらえばいいじゃないですか?犯人がやったらおかしいですけども(※伊藤さんが犯人役が多いということで)。タップダンサーの犯人とか」
≪いいですよねえ≫
「ご結婚なさって奥様は衣装の事をやってらして何の時にお知り合いになられたんですか?」
≪ショムニというドラマの衣装さんで一目ぼれです。≫
「でご結婚されたんですけどもなんてったって結婚する時にいろいろなものを捨てられちゃったんですって?」
≪服は全部2枚重ねに着てたんですね半そでの上に長袖。夏がくれば上着を脱げばいいし冬がくれば羽織ればいいわけですから。全部一貫してやってたわけなんですけおDもお願いだから止めてといわれまして。ダサいからといわれて全部捨てられてしまいました≫
「じゃあ今日のお召し物は奥さんのコーディネート」
※スーツにネクタイで出演。上着ポケットにハンカチが見える
≪はい≫
「私目の錯覚かと思いましたけどもこのYシャツもハンカチーフも薄いピンクなんですよ。だからこのネクタイがピッタシ来るんだなっと思って。ありがたいですよね奥様がお出来になるとね。それにあなた段ボールも集めていたんですって?」
≪集まってしまったんです。捨てられなくて。でもなんかあった時に役に立つのが段ボールだと思ってるんで≫
「どのくらい集めました?」
≪大体90弱・・・(会場笑)。東京に引越ししてきてから捨てたこと無かったんです。綺麗にたたんで置いておいたんですけども「何これ?」といわれて「いや引越しの時に・・・」「いいのよ今は業者の方がくれるからいいのよ!!」と言われてじゃあ捨てると≫
「(笑)奥様あなたよりも若いんですか?」
≪34です。5つしたですね≫
「この人は高層ビルの窓拭きをやってらしたそうで。ゴンドラに乗って。喜劇なんかではお部屋の中で何かやってるときにゴンドラが下りてきて中を覗いてるということがありますけどもあれ本当に見えるんですか?」
≪見えます≫
「見える。」
≪我々は見えないよっていう顔をしながら、なんかおかしいなっていう場合は逆光で見えないよっていう芝居をします。ですからとんでもないところに出くわした事もありますし≫
「ああそう」
≪木箱から銃を見たことがありまして≫
「その時はどうしたんです?」
≪見えてませんよという感じで降りていって。まあモデルガンだったかもしれえませんし≫
「これが長くなさったんですよね。何年?」
≪10年弱。きついものですから辞めていくんですね。夏は暑いし、冬は寒いし。でもお仕事で融通が利いたんですね。≫
「自分に芝居があるときは休ましてくれる」
≪それもありましたし早く終ると早くあげてもらえるといおうこともありましたし(早く帰らしてもらえる)。長く居たものですから独立しないかといわれまして。≫
「独立してそれにならないかと」
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-7-16.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
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 |2002(平成14)年11月21日(木) 笑福亭小松 |第回
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黒柳「関西の落語家でいらっしゃいます笑福亭小松さんまあよくいらしてくださいました。しかもお元気そうでピカピカお顔がしていらして
笑福亭≪ありがとうございます
「まぁ本当に私うれしいと思っております。お元気で。まあそれにしてもいきなりですけどもさっきも申し上げましたように39歳のときにがんの告知を受けてまあ40歳のときに手術なんですけども、普通だとこのごろがんもね随分皆さんねそれほどではなく手術して元気な方いらっしゃるんですが。あなたの場合はものすごいんですねなんだか
≪進行性のね末期に近い胃がんやったとかで。5年生存率が15%といわれましてね。どういう意味ですかといったらあなたの同じ病気の人で5年先生きられる人が15人、85人までが死ぬんですと言われた時のあのショックといったらなかったですね
「実際に手術をなさった後
≪した後ですね
「そうでしょうね、ご家族の方は手術のころなにかあと半年、余命半年。余命半年ですよ皆さん。ご家族はどんなにねえをつらい思いをなさったかって。今40?
≪45歳なりました
「ですから今おっしゃったように5年後生きている人は15%と言われたんですがそれから進行性で手術をしてみたらまあ随分たくさんおとりになったんですね。
≪胃と脾臓とすい臓の半分。それからリンパをきれいに掃除した体でつまりどうなってるんですかといったら食道と腸を直結しているらしいんですよ。
「じゃものをめし上がるときは少しずつしか召し上がれない?
≪はい、小鳥のように少しずつ。ひよこの気持ちがようわかります
「それで少し話がこれが大変なお話しでつまりこの方がそれ以後どうやって生きてらしたかということがとても重大なんですね。今お悩みの方も心配の方もたくさんいらっしゃるでしょう。ですがこの方のように15%の確率で5年後生きてないだろうと言われた方がこうやって元気なんでどんなことをなさったのかをこれから伺います。とにかく手術をなさいました、大変な手術ですよね。それはもう大変だと思いますが
≪9時間に及ぶ手術でしたからね
「そんなだったんですか。
≪私は知らなかったですけども。
「でお子さんがまだお小さいですよね?
≪はい当時子供が3年生と2年生でしたんで
「奥さんを大変だったと思います。でももともとはアレですよね笑福亭とおっしゃるんですから松鶴
≪松鶴
「師匠の
≪あの北向きの鬼瓦みたいな顔をした
「(笑)
≪恐い師匠でしたね。
「すてきな方でこちらにもおいでいただきました。”あああでちゃんでちゃんで”という方で。それで鶴瓶さんが兄弟子。
≪兄弟子2カ月早いんです。
「でご活躍はとても早かったんですがとにかくまあ飲む打つ買うと言ったらなんですが
≪もう放蕩三昧で明け暮れておりまして。
「女の方のアパートの鍵なんかジャラジャラいくつも。
≪7つぐらい持っていってどこ泊まろうかなと言って。そのとき私はねぇ芸人というあこがれ、初代桂春ダンジが酒を飲んで踊りくらわす。
「女房も泣かす~♪。という方ですよねえあの方ですよね。
≪そうです。あれが芸人やと思てね。それが芸人の美学やと心がけておりまして、もう女子、酒、ばくち
「競艇
≪競艇。やってやってやり尽くせと。そういう勢い、パワーをそっちに向けていたのが
「それがずいぶん長いんですよね。割とそれが10代からお仕事をはじめになりまして
≪そうです。15歳で弟子入りして初めてラジオに出たのが18歳、それからずっと行きかけたんですけどもね
「だから20年近くというものがこの若さで39までの間に20年ぐらい飲めや歌えの大騒ぎ。やってらしたんですけども(笑)まあ借金はあるは何はあるはってその最中のがん告知だった。もちろんお仕事はもちろんしてらしたんですけども。まあそうやってハルダンジのように
≪そうだけど私あのとき思いましたね告知された時、兄からね。お前はがんやといわれて。私本名は夏川鴈治郎というんですよ。
「そうなんですか
≪名は体を表すなと思いましたけどもね。
「でもお前はがんやと言われた時にそうだよ俺はがんだよ。俺は鴈治郎だ。
≪よう聞けとアホと。涙を目に食べながらお前は病気のがんやねん。嘘やろう!と言ったらばか野郎と冗談でこんなことが言えるか、実の弟に。末期に近いがんやねん。と言われた。
「そんなにはっきりおっしゃった?
≪はっきり言いました。兄はもっときついこといました。心配するなと私が泣いていましたらね、泣くなとお前の流す涙の30倍50倍の涙を流したうえで俺は告げておる。お前は子供に未練があるやろうけどもお前の子供は俺がちゃんと育ててやると。よしんば悪く転んであの世に行っても2年前に死んだ父親お父さんが待ってくれてはるし、お前の好きやったって松鶴師匠も待ってくれてはる。うまいこと転んだらこちらはに嫁も子供もおると。どっちに転んでもそう悪い話やない。往生せえとこう言われまして。
「あなたのお兄さんも落語家になったような方ですよね。
≪ほんまですねぇ。しかし往生せえといわれても死がもうそこまで来ているのかなと思ったらやっぱり涙が。
「そうですよね30代でいらっしゃるんですから。ちょっといくらなんでも
≪ちょっとつらいものがありました。
「ちょっとそれはつらいなと。
≪はい
「でもそれだけのさっきも伺ったような大変な手術をなされまして、それでまぁ一応退院なされましたときにいろいろお考えになったと
≪はい。あの好きな俳句が好きでしたので救われましたね俳句に。信州の小林一茶。やせガエル負けるないっさこれにあり。あの句には泣かされましたね。時代は違っても小林一茶が私にエールを送ってくれているような気持ちになってそれから種田山頭火、捨て切れない荷物の重さ前後ろ。私には自分の命よりも大切な宝、前後ろに重みがありますんでこいつらのためにいきたいなと思いましたね。天に祈りました。
「その時本当にやっぱり生きていることが必要だということを放蕩の時はお考えにもならなかったことでしょうね。
≪そうですね。胃なんか特にそうです。愚かなもんですねあるときにはある時のありがたみがわからなくて、なくしてしまったらウワー大切なもんやっただと思い知りました。
「でもさっきおっしゃったようにとにかく脾臓、胃をおとりになってすい臓も半分をおとりになったお体で。それでよし今度歩いてみようと。
≪そうなんです。よしどこまで力、気力で行けるものかと。山頭火が放浪したように私も何か日めくりのカレンダーではある今日やけどもこの時間を大切にしようと。生きている時間、そして列島の旅に出るんですね。鹿児島から北海道まで目指して歩くんですけどもやっぱり大事なものは旅日記でした。というのはお父ちゃんはがんにはなったけども最後ぐらいアッパレに死ぬぞという日記を克明に描いた。書いた旅日記それを子供に贈る旅日記と思いながら、また好きな俳句を読みながら。自作でこの道のどこまでいけるたびのガン。いろんな句を作りました
「その時なんかお金ももちろんたくさんそんなにあるわけでもないので。その前に蓄えがあるわけではないので、生活保護を受けるような。
≪そうです。生活保護を受けるあの時あの福祉の方がこられた時に生意気なこと言うてしまいまして。1回目はイヤ結構ですとお気持ちだけ拝受しますが私はまだまだお国の世話にはなりとうないからと1回にお断りしたんですが。兄がその所帯が曲がりそうな大事なお金で薬を買ってくれて運んできてくれる。その兄の気持ちがうれしくてよし潔く男らしくを国にお世話になろうと思ってでまあ2年近く生活保護を受けてその尊いお金でありましたけどもそのお金があったがゆえに気楽な列島の旅ができました。でも命をかけられたのもやっぱり家でその生活保護の尊いお金で生活してくれている。そんな思いで命をかけられましたね。
「そうですね。全工程3,000キロだったそうですけども。鹿児島から札幌までお歩きになって。そのとにかくお友達がカンパも集めて下さってお金を持ってたんだけども途中で取られたりなんかしてひどい目にあったりなんかして
≪ドライブインですってんてんになってしまいまして。
「そうしているときに岡山でなんとこれがやっぱり人生の本当に素晴らしい出会いだと思うんですけども。
≪本当にねぇこの扇子にも書いておりますが一期一会。私はうれしい人と出会いました。伊丹ジンロウ先生と申しまして生きがい療法というものを提唱されておりまして
「こちらにもいらして笑ってガンを直そうというそういう先生にお会いになった。先生本当にありがとうございましたその節は。NK細胞というナチュラルキラー細胞という人間が笑ったりなんかするとピュピュ頭のところなんかからねそういう細胞が出て免疫を高めるという
≪悪い細胞をみんなやっつけてくれるそうですね。
「末期のがんやなんかの方にはモンブランにお連れになって山に、それで登頂させたというとても面白い考えをお持ちの先生にお会いになった。
≪はい。
「これがやっぱりね。
≪だいたい普通のドクターは私が列島の旅に出ると行ったら自殺行為やと、やめなさいと。そんなことやったら確実にダンピング症候群が起きてきて
「ダンピング症候群とは?
≪低血糖になりまして気を失うようなことがあるんですね。手が小刻みに震えだしたり、甘いものを飲んだら治るんですけども1回旅の途中で鈴鹿で死にかけましたけども。あれ起こしてもらわなかったら死んでいたかも分かりませんね。
「とにかく甘いものやなんかをすぐに召し上がればいいですね。
≪そうですそうです。
「あのよく糖尿病の方で
≪もう逆ですね。でも
「でもその先生にお会いになったらその先生が落語をやってみないかと。
≪はい。そら先生無理ですと。笑いというのは皆さんの幸せの上に成り立つものですからと言いましたら先生がおっしゃるにはほど健康な人ががん患者にガンを笑いにしたら失礼かもしれないけども、がん患者からガン患者にメッセージとしてしゃべるんだからをそこに笑いが生じようがいいことですよと言われて。
「先生のところのがん患者に落語をやってほしいと。
≪はい。でその病院でやらしていただきましたらなんとまぁ皆さんが喜んでくれはりましてね。ドーという客席と私と一体となるあんな境地になったのは初めてでしたね。
「【写真】こんなふうにちゃんとしつらえてくださいましたね。伊丹先生が。
≪泣き笑いはほんまに近くにあるなと思いました。
「その時ずいぶん生きがいを感じになった
≪生きがいを感じましたで。なんか一体となるような言葉を発しましたがあの時は自分に言うて聞かせるつもりでした。生き方が死に方ですと。死んでいる場合やおまへんでと。でコトリと心臓が止まるまでは生きて生きていききりましょう。同病相励まし合って相暴れるものじゃなくて相励まし合って生きていきましょう。体は病になろうとも心に笑顔気持ちに健康がんで死ぬのはけったくそ悪い。天寿をまっとうしたと思って私にましょう。
「それは伊丹先生のお考えもそうですよね。どんな小さな目的でもどんなに自分が悪くなってもちょっとでもそうだ今日は看護婦さんを見て笑おうとかそういうような。それでもずいぶんナチュラルキラー細胞というのがそれが出て体をよくしていくんだとお考えをお持ちの先生なんですね。今まで高座は随分たくさんでてらっしゃるけどもそれほど熱心に言われたことはなかったんじゃないですかね。
≪なかったですね。
「皆さん笑ってくださって。
≪泣いて下さって笑ってくださって。その泣き笑いがねぇなんか後押ししてくださって長い長い列島の旅で寂しい道でした。
「でもそれでおしまいになったんじゃなくて伊丹先生は素晴らしい方でその後あなたはこれから落語をやりながらどんどん行ったらどうですかとおっしゃってくださって全部そういうふうに設定してくださったんですって?
≪セッティングしてくださいましてね、伊丹トウダイと呼んでおります。こっちこっち、難破船のような私をこっちこっちこちらへきなさいきなさいと導いてくださる。本当に慈愛に満ちた先生をであった。
「お若い先生ですけども伊丹仁朗先生とおっしゃる。この方が岡山でやった後京都名古屋東京高崎前橋福島仙台函館苫小牧旭川そして札幌と。全部そこでもってそういう方々に落語を聞かせるというものを設定してくださってですから歩いて行くのにも目的があるんですからただ歩くよりはずいぶんよかったかもしれませんね。
≪そして各地で出会うがん患者の皆様方の泣き笑いの顔がまた笑い声がね発電所で私はバッテリみたいのものでした。バッテリがもう切れかけてきたらも発電所によって充電していただいてそしてまた次の街へと行く。
「すばらしいです(拍手)。そしてとうとう完走なさいまして何日かかったんですか?
≪130日。
「3,000キロとおっしゃいましたね。
≪1日30キロ歩きました。
「すごいですねぇとにかく2月に出発なさいまして6月に札幌の
≪北海道庁
「の前で。その時出発するときは本当に小人数の方しか送って下されなかったのに、そこへ行ったときはとってもたくさんの方が
≪たくさんの方がですねぇ私は何か聞いたんです沿道でブワーゆうたはるから「きょう何かマラソンでもあるんですか?」言うたらあなたを待ってたんですよって言うからエー!!。それでゴールの前には伊丹先生が待ってくれてはりまして。
「待っていてくださったんですか
≪うれしくてうれしくてあの伊丹先生はね静岡で1回、金田一で遠い僻地まで点滴を持ってきてくださったですよ。あの薬の点滴の栄養分よりもあの先生の心が身にしみてずいぶん良薬となりました。私はもう伊丹スマイルは最高の薬やと思ってます
「はい、そこまで行っていらっしゃってでまだ手術が終わって全部まだ130日でございます。それからのこの方の生き方が、もちろん伊丹先生にお会いになったことがすごいんですがこれからがますますすごくなるのでちょっとコマーシャルです

黒柳「まあがん克服落語会として各地で落語会をおやりになりつつとうとう完走じゃない
笑福亭≪完歩
「完歩なさいました。目標は達成したんですがそこで孤独感に襲われたんだそうですね。
≪やっぱり祭りのあとの寂しさみたいなアレ!北海道北海道と思いながら歩いていたのにとうとうついてしもた。あれ私こんなどないしよう、これからどないして生きていこう。次の目標は何だろうさびしい気持ちになってましたんですよね。
「でその時になんとなく聞こえてくるのはあいつ有名なった。前から有名でいらっしゃるんですけども歩いて
≪なんかね知らないうちに旅が終わったら何かいろんなドキュメントの番組を作ってくださったりして放送されました。そしたら同業者がですねぇ楽屋スズメというんですがあいつは芸で売れよったんじゃないで。あいつは歩いてただ珍しいからただテレビに出ただけや。言われたんですね。
「がんになったからだとかね(笑)
≪あいつはがんでもうけよったとか。何かそんなこと言われたらチキショウと。よおし本芸で勝負しようと。落語、やっぱり本芸の落語それも最高峰の”ラクダ”といううちの師匠の松鶴の18番やった1番ロングの長い話。
「何10分でしたっけ?
≪正味70分です。90分やったんですけども枕が20分のネタが70分でしたから1時間半。
「1時間半!
≪はい。
「しかもゲストとか何もなくて独演会。お一人で
≪たったひとりで
「しかもラクダという落語をひとつ
≪1席だけ。私は大体ですねぇ提携が嫌いなんですよ。非提携が好きなんで前代未聞というのが好きなんですね。だから1席切り。1席やけどもその1席に命をかけますという”ラクダ”という落語をやりまして。
「ところが途中でさっきおっしゃったようにずっとやってらっしゃると血糖値が下がる。
≪そうなんです。途中で手が震えてセンスを落としてしまったり。
「でもその時ちょうど酔っぱらいの話をしていらっしゃって(笑)よかった
≪そうです。ちょうど幸いようているところやからセンスを落とそうが何をしようが所作にん
「でも自分でもすごく怖かったでしょう?これからやっぱりどうなるだって。
≪そうです。あと25分はあるけどもどうしようと思いながら。頭の中で半分不安な自分が
「そこのところにお茶の中に甘いものを入れておくとかいうわけにはいかなかったんですか?
≪いや入れておきました。入れておきましたので酒を飲む話ですのでたまにそれをぐっと口に含んではアドだましだましですね乗り切りました。
「まあそういうほとんど胃とかがいろんなものがない状態でですから力がはいるのも悪いかもしれませんがでも皆さん笑ってくださいました?
≪後になるほどだんだんだんだんと笑おてくれました。
「よかったですね。そこでそれが終わってとにかくそれを乗り越えたということででこれが2カ月後ですか文化庁の芸術祭の優秀賞受賞なさるといういいことがあって。
≪本当に渾身の力であの今までそんな努力したことなかったんです。初めて一生懸命練習したけいこした落語がラクダでした。
「でも病気にさえならなければもしかしたら今でも飲んだり騒いだりやってらしてね。鍵をジャラジャラ女の人のアパートにね7つも持ってね
≪やってるでしょうね。
「女房を泣かすってね。これだけじゃないんですよし!というのでですね。ちょっとコマーシャルいっていいですか。
≪はいどうぞ
「まだ続きがどんどんあるんですちょっとコマーシャルです

黒柳「では本職の芸で勝負してやるぞということでそしてそ公演”ラクダ”をおやりになってアンコールしてほしいという声もあり、さっきも申しましたようでい文化庁の芸術祭の優秀賞もおとりになってそこで今度前にうまくいかなかったというか英語の落語ニュージーランドで
笑福亭≪そうなんです。1回目ねニュージーランドで落語しましたときに同時通訳をやってくださるんですけども5分僕がしゃべってシーンとしている、5分通訳の人がしゃべたらドーと受ける。次が僕しゃべるシーン、通訳しゃべるドーとを受ける。ちょっと待ってえなぁこれ通訳が受けているんや。私が受けているのとは違うんやと。それやったら自分で英語でやりますわというてしまったのが地獄の始まりで
「とにかくこれを英語でニュージーランドで
≪今度は英語でやったわけです。
「丸暗記
≪丸暗記で呪文を覚えるようなものでねぇ。英語のスペルさえ私は書けない大文字小文字の区別がつかない私がスポーツ・オーディエンス・ゲット・リアリー・エキサイト。サッカーファンズ・オールオーバーザ・ワールド。ゲット・リアリー・エキサイテッド。相撲の話なんですけどもねジャパニーズ・トラディショナルスポーツ・スモウレスラー。前褌を取れというのがゲット・サイド・オブ・ザ・パンツ。
「おもしろかったでしょうね(笑)
≪何かね舌かみそうでしたけどね
「でもマネジャーの方が全部かなでもってこうやってかなをふってくださって笑いました向こうの人?
≪爆笑でした。
「(拍手)よかったですね。
≪日本でやるより受けましたね。
「今ちょっともうちょっとカメラをひいていただけます。この方の爆笑でしたという時足が上がるんですよ。ちょっとよろしいですか。もう1回やっていただいて
≪爆笑でした。
「足があがるのが面白いんですけども。もうとにかく爆笑でまたそこで1つこれ目標を突破したやんと。でも英語で全部をおやりになってそれだけねみんなが笑ってくれるってすごいですね。
≪うれしいですね。それでまたひとつ山を越えると次また寂しい気持ちになって
「これからがすごいですよ。そこで寂しい気持ちになったときによしというので高校生になろうと。高校は行っていらっしゃらなかったの?
≪いってなかったんです。中学を卒業してすぐに松鶴の方へ行ったので
「15じゃそうですよね。
≪だから31年目の受験ですね。奈良県にあります県立タカラ高校という
「それもですね5年後生きている確率が15%という話だったからやることも短いことしかできなかった心配だったしね。
≪半年後ぐらいのことしか目標をたてられなかったんです。でもこの春お陰様で5年生存率の15%を突破させていただきましたのでほんま森羅万象に感謝してよし今度はロングラン、ロングプランで息子が中学3年生ですんで今年私が定時制に入学して実際4年後には息子と一緒に大学受験ができるだと
「はあ!そういうことですよね
≪始めてのロングプランで4年の計画を立てまして。
「その定時制高校にお入りになった?
≪はい。
「じゃ今は高校生
≪今は高校1年生です。
「ところがこれだけじゃないんです。今大学の先生もしてらっしゃるんですよ。高校生でありながら大学の先生をしているって訳わかんないんですけどもちょっとコマーシャルです
黒柳「まあとにかく息子さんと大学受験を一緒にして、じゃあ大学にも行ってご覧になるおつもりなんですね。
笑福亭≪いければいいなと思ってるんですがね。
「そうですね。高校は定時制高校の1年生でいらっしゃるんですけどもところが岡山大学の大学で先生をしてらっしゃる。これはどういうことから?
≪これはで伊丹先生の母校なんですよ。伊丹先生の生きがい療法の授業をしはるわけです。そこにちょっとお手伝いでお話しに行っている間に何か向こうの方からですね非常勤講師としていう手紙をいただいたんです。ええ!私中学しか出てないのに
「国立ですよあちら国立
≪国立岡山大学ですよ。これはあかんわと。もうちょっと努力せなあかんわと思って、今は因数分解ねサイン・コサイン・タンジェント1次方程式で悩んでいるんです。
「そんなこと先生で必要なんですか?
≪必要なんでしょうね。
「医学部保健学科の講師ということでいらっしゃって教えてらっしゃるんですけども。
≪ファイティングスピリットということですね。
「普段は高校生で定時制の高校に行ってらっしゃるんですね。まあそうはおっしゃっても130日終わる気になった後というのは並大抵のお疲れじゃなかったと思います。勉強してても何してもしょっちゅうそういう甘いものがすぐになければ大変な血糖値が下がるようなことを。ただお子さんがねお父ちゃんいいことしたら来世も一緒に生まれたらっていったんですって
≪あのヘビを踏みそうになったんですね車で。ブレーキを踏んだらコツン踏まないでよかったって言うたら下の娘がお父ちゃんええ事としたな、また人間に生まれてこられんな。そうやもっといいことをしたら同じ親子で生まれて来られんねんでって言うたらいっぱいいことをしようと。また同じ親子で生まれたいから。
「ねえ。いいことしてまたいっぱいいいことしてまたお父ちゃんと一緒に来世も生まれるやねって。子供というものはそういうものだと思います。まあお母様がいらっしゃるんですがお母様はどんなに心配なさったことかと思いますが今の元気な姿をご覧になったらそしてあんなふうにいろんなことを体験をご本人もなさいました。もしがんにならなかったら今でも飲めや騒げや?
≪いや私はがんに感謝しております
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-11-21.html

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