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┃ 村上春樹長編小説 ┃
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01 1979(昭和54)年07月23日 講談社『風の歌を聴け』『群像』1979年6月号掲載
02 1980(昭和55)年06月17日 講談社『1973年のピンボール』『群像』1980年3月号掲載
03 1982(昭和57)年10月13日 講談社『羊をめぐる冒険』『群像』1982年8月号掲載
04 1985(昭和60)年06月15日 新潮社『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮社
05 1987(昭和62)年09月04日 講談社『ノルウェイの森』上下二分冊で刊行
06 1988(昭和63)年10月13日 講談社『ダンス・ダンス・ダンス』上下二分冊で刊行
07 1992(平成四)年10月05日 講談社『国境の南、太陽の西』
08 1994(平成六)年04月12日 新潮社『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』『新潮』1992年10月号~1993年8月号掲載
09 1994(平成六)年04月12日 新潮社『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』
10 1995(平成七)年08月25日 新潮社『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』
11 1999(平成11)年04月20日 講談社『スプートニクの恋人』
12 2002(平成14)年09月10日 新潮社『海辺のカフカ』上下二分冊で刊行
13 2004(平成16)年09月07日 講談社『アフターダーク』講談社
‡14 2009(平成21)年05月30日 新潮社『1Q84 BOOK 1』新潮社
‡15 2009(平成21)年05月30日 新潮社『1Q84 BOOK 2』新潮社
16 2010(平成22)年04月16日 新潮社『1Q84 BOOK 3』新潮社
17 2013(平成25)年04月12日 文藝春秋『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
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●核URL●https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9#.E9.95.B7.E7.B7.A8.E5.B0.8F.E8.AA.AC
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┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
‡2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
『Sgt. Pepper』の who's whoのインタラクティヴ・ヴァージョンはこちら(日本語非対応)
写真◆Beatles Sgt Pepper Map
01: Sri Yukteswar Giri(スリ・ユクテスワ・ギリ)『The Holy Science』(1894年刊)の著者。同書は「全ての宗教には根本的な一貫性があることをできる限り明確に示す」ことを試みている。スリ・ユクテスワ・ギリは、Sri Mahavatara Babaji(スリ・マハー・アヴァター・ババジ:No. 27)とParamahansa Yogananda(パラマハンサ・ヨガナンダ:No. 33)のグル(導師)だった。彼が左上隅という重要な位置にいるのは、ジョージ・ハリソン(No. 65)がインド哲学への関心を高めていたためだ。1967年8月、アルバムのリリースから2カ月後、ザ・ビートルズはロンドンのパーク・レーンにあるヒルトン・ホテルでマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーと初対面を果たした。4人はここで、ノース・ウェールズのバンガーで超越瞑想を学ぶよう勧められた。
02: Aleister Crowley (アレイスター・クロウリー)非常に多くの作品を残した作家。オカルティズム(神秘主義)に共感し、セレマ(Thelema)という自身の宗教を創設した。クロウリーの中心的信条は「汝の意志することを行うことが、法の全てである。愛は法であり、愛は意志の下にある」。
03: Mae West(メイ・ウエスト)メイ・ウエストは当初、アートワークへの写真使用を拒んだ。ハリウッドの黄金時代にその名を轟かせた魅惑的な彼女は、自分は決してロンリー・ハーツ・クラブには入らないと思っていたのだ。しかし、ザ・ビートルズが直々に手紙を書き、4人全員がファンであることを説明すると、彼女は写真の使用を許可した。1978年、リンゴ・スター(No. 63)はメイ・ウエスト最後の作品となった『結婚狂奏曲セクステット(原題:Sextette)』(1978年)に出演し、恩返しをした。なお、同映画の中では『The Beatles』(通称ホワイト・アルバム)収録の「Honey Pie」のカヴァー・ヴァージョンが使用されている。
写真◆Mae West Sgt Pepper's◆Mae West(メイ・ウエスト)
04: Lenny Bruce(レニー・ブルース)レニー・ブルースは、後年のコメディアンの多くに影響を与えた個性的なスタイルで、50年代、60年代のコメディに革命を起こした。『Sgt. Pepper』のジャケットに登場した頃にはわいせつ罪で逮捕されていたが、こうした逮捕によって、彼はザ・ビートルズだけでなく、ビートニックス(*訳注:1950年代の米国のサブカルチャーを支持する若者たちの総称)やボブ・ディラン(No. 15)にとってもさらに反体制文化のヒーローと化した。1966年8月に薬物中毒死。
05: Karlheinz Stockhausen(カールハインツ・シュトックハウゼン)50年代から60年代、電子音楽を先駆的に利用したドイツの作曲家で、今もアヴァンギャルドのゴッドファーザーであり続けている。限界を押し広げるシュトックハウゼンの音楽に影響を受けたザ・ビートルズは、『Revolver』の「Tomorrow Never Knows」でのテープを使った実験的手法を皮切りに、スタジオで画期的な実験をするようになった。ポール・マッカートニー(No. 64)がシュトックハウゼンの作品を他のメンバーに紹介すると、ジョン・レノン(No. 62)がファンとなった。レノンとオノ・ヨーコは1969年、シュトックハウゼンにクリスマスカードを送ったほどだ。
06: WC Fields (W.C.フィールズ)アメリカのライター/コメディアン/俳優。無声映画とトーキー映画の両時代に活躍したW.C.フィールズは、万能エンターテイナーの典型例だ。彼の喜劇映画はザ・ビートルズ自身のユーモアを加速させ、また、彼の出自となったヴォードビルの世界は「Your Mother Should Know」といった楽曲に影響を与えた。
07: Carl Jung(カール・ユング)スイスの精神科医。進歩的な思想家であるユングは、世界に新種の心理学を紹介した。彼が創始した分析心理学は、1900年初頭に個性化と自己実現という概念の先駆となった。
写真◆Edgar Allen Poe Sgt Pepper「Man, did you see them kicking Edgar Allen Poe?」 (『I Am The Walrus』歌詞より)
08: Edgar Allan Poe(エドガー・・アラン・ポー)「I Am The Walrus」で名前を出される前に、エドガー・アラン・ポーは『Sgt. Pepper』のコラージュで最上段の右側に登場していた。彼が1820年代から1840年代にかけて執筆した詩と短編小説は、モダンホラーというジャンルを創設し、現代のSF小説や探偵小説の土台を作った。
09: Fred Astaire(フレッド・アステア)
写真◆メイ・ウエスト(No.3)とは対照的に、フレッド・アステアは 『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケット登場の依頼を受けて喜んでいたと伝えられている。最初は姉と舞台で踊っていたが、ジンジャー・ロジャースと共演した『トップ・ハット(原題:Top Hat)』や『有頂天時代(原題:Swing Time)』などのハリウッド黄金時代の映画で大成功を収めた。フレッドはまた、ジョン・レノンとオノ・ヨーコとともに1972年のテレビ映画『Imagine』にも出演している。
10: Richard Merkin (リチャード・マーキン)アメリカの画家/イラストレーター。1938年生まれのリチャード・マーキンは、自身が生まれる前に流行した草創期のジャズに魅了された。彼のモダニストなスタイルは、ジャズの抽象性とマッチしており、1966年にピーター・ブレイクが制作したトリビュート作品『Souvenirs For Richard Merkin』のインスピレーションともなっている。
11: A Vargas Girl (バーガ・ガール)ペルーの画家、ホワキン・アルベルト・バルガス・イ・チャベスは、1910年代から30年代にブロードウェイを飾った『ジーグフェルド・フォリーズ』のポスターをデザインして名声を手にすると、ピンナップ・ガールを描いた作品の数々を制作した。「バーガ・ガールズ」として知られる一連の作品は、40年代にエスクワイア誌で大々的に取り上げられたほか、第二次世界大戦の戦闘機に描かれた絵の多くをインスパイアした。
12: Leo Gorcey(レオ・ゴーシー)レオ・ゴーシーは、ハンツ・ホール (No.13)とともにバワリー・ボーイズの一員だった。バワリー・ボーイズは、デッド・エンド・キッズとイースト・サイド・キッズから派生したギャング役を演じる映画俳優のグループだ。バワリー・ボーイズの映画シリーズは、40年年代から50年代にかけて合計48作品にのぼった。レオ・ゴーシーの演じたギャングのリーダーは、ギャング役の原型となり、多くの俳優のお手本となった。なお、彼はザ・ビートルズに写真使用料を求め、この要請は却下されたため、写真使用を認めなかった。
13: Huntz Hall (ハインツ・ホール)ハンツ・ホールもバワリー・ボーイズの一員だった。お調子者のギャング、ホレス・ドビュッシー・ ‘サッチ’・ジョーンズを演じたことで有名。
14: Simon Rodia (サイモン・ロディア)1879年、イタリアに生まれたサイモン・ロディアは、15歳の頃に兄とアメリカに移住した。その後35年間はさまざまな場所に住んでいたが、1920年にロサンゼルスのワッツ地区に定住し、翌年からワッツ・タワーの建築に着手した。相互に結びついた17の彫像によって構成される同タワーの完成までには33年を要した。
15: Bob Dylan(ボブ・ディラン)ボブ・ディランとザ・ビートルズは60年代を通じて影響を与えあっていた。お互いを刺激しあいながら、限界を押し広げ、シンプルな‘ポップ・ミュージック’で可能と考えられていたことを変革する音楽を作っていたのだ。ジョン・レノン(No. 62)に「Help!」という形でより私的な曲を書くきっかけを与えたのはボブ・ディランだった。また、ザ・ビートルズはフルバンドを擁してできることをボブ・ディランに示し、これをヒントにボブ・ディランは1965年、エレクトリック路線へと進んだ。しかし、ボブ・ディランと最も長く友情が続いたのはジョージ・ハリソン(No. 65)で、2人はその後もしばしば一緒に演奏し、トラヴェリング・ウィルベリーズを結成したほか、お互いのプロジェクトにゲスト参加しあっていた。
16: Aubrey Beardsley (オーブリー・ビアズリー)19世紀のイラストレーター。オーブリー・ビアズリーのペン画の影響は、クラウス・フォアマンが手がけた『Revolver』のジャケットにも感じ取れる。オーブリー・ビアズリー自身のスタイルは日本の木版術に影響を受けており、耽美主義者として同年代に活動していたオスカー・ワイルド(No. 41)と遠からぬスタンスを取っている。
17: Sir Robert Peel (サー・ロバート・ピール)現代の保守党を創始したサー・ロバート・ピールは、1834年~1835年、1841年~1846年の2回にわたり、英国首相を務めた。また、英国内務大臣に在任中は、近代警察の基礎を築いた――その名残は今日でも残っており、警察官(複数)はイギリスでは「ボビーズ(訳注:ボビーはロバートの愛称)、アイルランドでは「ピーラーズ」と呼ばれている。
18: Aldous Huxley(オルダス・ハクスリー)1954年に刊行されたオルダス・ハクスリーの『知覚の扉(原題:The Doors Of Perception)』は、1960年代を生きる反体制文化のエリートにとって必読の書だった。メスカリン(幻覚剤)を使用した自身の経験を詳述した同著は、当時流行していた意識拡大の風潮と一致していた。また、ザ・ドアーズは同著にちなんでグループ名をつけた。オルダス・ハクスリーはノーベル文学賞に7回ノミネートされ、『With The Beatles』のリリース、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺と同日の1963年11月22日に死去した。
19: Dylan Thomas(ディラン・トマス)人々に愛されたウェールズ著述家。1953年死去。『Sgt. Pepper』のジャケット制作に取りかかる頃までに、ザ・ビートルズの4人はディラン・トマスの詩のファンとなっていた。「4人ともディラン・トマスのファンだったんだ」とポール・マッカートニー(No. 64)は後に回想している。「僕も彼の作品をたくさん読んだ。確かジョンは、彼がきっかけで詩を書きはじめたんじゃないかな」。故サー・ジョージ・マーティンもトマスのファンで、1988年にトマスのラジオ・ドラマ『Under Milk Wood』のミュージカルをプロデュースした。
写真◆Dylan Thomas ポール・マッカートニーによるとジョン・レノンが、作詞するきっかけとなったウェールズの詩人Dlylan Thomas(ディラン・トマス)
20: Terry Southern (テリー・サザーン)風刺に富んだ小説家/脚本家。ビート・ジェネレーションとザ・ビートルズの橋渡しをした。彼はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでビート・ジェネレーションと交流し、1966年にロンドンへと居を移した後は、ザ・ビートルズと親交を結んだ。『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(原題:Dr. Stranger Love Or: How I Learned TO Stop Worrying And Love The Bomb)』、『イージー・ライダー(原題:Easy Rider)』など、60年代を象徴する映画の脚本も手掛けた。
21: Dion DiMucci(ディオン・ディムチ)ディオン・アンド・ザ・ベルモンツのリーダーだったディオン・ディムチは、「The Wanderer」、「Rundaround Sue」などのヒットでソロ・アーティストとして成功を収めた。ロックン・ロール時代を特徴づける彼のドゥワップ曲は、ザ・ビートルズに大きな影響を与えた。
写真◆Tony Curtis『お熱いのがお好き』の役柄で知られる Tony Curtis(トニー・カーティス)
22: Tony Curtis(トニー・カーティス)魅力に溢れた多才多芸のトニー・カーティスは、ハリウッドのアイドルだった。1949年から2008年の間に、目もくらむような数の映画(100作品以上)に出演した。ジャック・レモン、マリリン・モンロー(No. 25)と共演した『お熱いのがお好き(原題:Some Like It Hot)』(1959年)での女装姿が忘れられないが、バート・ランカスターと共演した1957年のフィルム・ノワール『成功の甘い香り(The Sweet Smell Of Success)』で演じた早口のプレス・エージェント、シドニー・フィアスコ役も印象深い。
23: Wallace Berman (ウォレス・バーマン)アメリカのヴィジュアル・アーティスト、ウォレス・バーマンは、アルバム・ジャケットの歴史に名を残す以上の功績を残した。彼が先駆となった「アッサンブラージュ・アート」は、立体的な手法のコラージュ・スタイル。これはピーター・ブレイクが得意とするもので、『Sgt. Pepper』のアルバム・デザインにもこの手法の影響が感じ取れる。
24: Tommy Handley(トミー・ハンドリー)マックス・ミラー(No.37)と同様、トミー・ハンドリーも戦時中に活躍したイギリスのコメディアンだ。リヴァプール生まれの彼は、ザ・ビートルズにとっては地元の英雄だった。BBCのラジオ番組『ITMA(”It’s That Man Again”)』は、1939年から1949年に彼が脳内出血で急逝するまで、10年にわたって放送された。
25: Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)メイ・ウエスト(No.3)的な雰囲気を持つマリリン・モンローは、『お熱いのがお好き(原題:Some Like It Hot)』でトニー・カーティス(No.22)と主演を務め、50年代ハリウッドのピンナップ・ガールとなった。彼女の衝撃的な死について、いまだに陰謀説が囁かれている。『Sgt. Pepper』は、マリリンにとって41回目となる誕生日(1967年6月1日)に正式リリースされた。
26: William Burroughs(ウィリアム・バロウズ)ボブ・ディラン(No.15)からデヴィッド・ボウイ、トム・ウェイツからスティーリー・ダンにいたるまで、ビート・ジェネレーションの作家、ウィリアム・バロウズは何十年にもわたって多数のソングライターに影響を与えてきた。あまり知られていないことだが、ウィリアム・バロウズ本人によれば、ポール・マッカートニー(No. 64)が「Eleanor Rigby」を書いているところに立ち会っていたという。ヴィクター・ボクリスと共著した対談集『ウイリアム・バロウズと夕食を―バンカーからの報告(原題:A Report From The Bunker)』の中で、ポール・マッカートニーがモンタギュー・スクエア34番地にあるザ・ビートルズのアパートに泊めてくれたと語っている。「曲が出来ていくのを見ていたよ。またしても、私は音楽のことなど詳しくないのに、彼が万事を心得ていることが分かった」。
27: Sri Mahavatara Babaji (スリ・マハー・アヴァター・ババジ)スリ・ユクテスワ・ギリ(No.1)の教え子だったスリ・マハー・アヴァター・ババジは、クリヤー・ヨガの瞑想を復活させたと言われており、クリヤー・ヨガの瞑想はその後、パラマハンサ・ヨガナンダ(No. 33)によって西洋に伝えられた。自叙伝『Autobiography Of A Yogi』の中でヨガナンダはバジジについて、まだヒマラヤに住んでおり、真に神聖な者の前にしか姿を現さない、と記している。
28: Stan Laurel(スタン・ローレル)スタン・ローレルは、オリヴァー・ハーディ(No.30)とともに107本の映画に出演した。その大半は1920年代から1940年代半ばの映画で、『底抜け極楽大騒動(原題:Block-Heads)』や『宝の山(原題:Way Out Wes)』といったアイコニックな作品も含まれる。2人とも『Sgt. Pepper』がリリースする前に死去している(オリヴァー・ハーディは1957年8月7日、スタン・ローレルは1965年2月23日)。
29: Richard Lindner (リチャード・リンドナー)リチャード・リンドナーは1901年にドイツで生まれたが、ナチスから逃れるため、1941年にアメリカへと移住した。1950年代、彼は表現主義とシュルレアリスム、ニューヨークで出合った極めて性的なライフスタイルを取り入れた絵画スタイルを生み出した。『Sgt. Pepper』のジャケットに登場後、彼の抽象的なスタイルは、アニメ映画『Yellow Submarine』にも影響を与えた。
30: Oliver Hardy(オリヴァー・ハーディ)ローレル&ハーディで、口ひげを生やした背の高い方がオリヴァー・ハーディだ。不運なスタン・ローレル(No. 28) を引き立てる短気な役柄を演じた。2人のレコード(「The Trail Of The Lonesome Pine」)は1975年12月、イギリスのシングル・チャートで第2位に入った。
31: Karl Marx(カール・マルクス)多作な著述家、哲学者、経済学者のカール・マルクスは、1848年のパンフレット『共産党宣言』で最も良く知られている。同書はマルクス自身の学説の中心的な信条を概説しており、この1冊だけで政治運動が始動した。彼の作品は、現在の経済思想にも影響を与え続けている。
32: HG Wells(HGウェルズ)エドガー・アラン・ポー(No.8)とともに、HGウェルズは現代のSF小説を形作った。1800年代後半に『タイム・マシン(原題:The Time Machine)』、『宇宙戦争(原題:War Of The Worlds)』といった画期的な小説を発表した後、彼はより政治的な作品を執筆するようになり、ノーベル文学賞に4回ノミネートされた。
33: Sri Paramahansa Yogananda(スリ・パラマハンサ・ヨガナンダ)スリ・パラマハンサ・ヨガナンダはクリヤー・ヨガをスリ・ユクテスワ・ギリ(No. 1)の下で学び、ユクテスワ・ギリはその教義をスリ・マハー・アヴァター・ババジ(No. 27)に伝えた。1920年、ヨガナンダはアメリカへ向かって出港し、アメリカでセルフ・リアリゼーション・フェローシップを創設。西洋世界に瞑想を紹介した。
34: Hairdressers’ wax dummy No.1(ヘアドレッサーの蝋人形 No.1)地元のヘアドレッサーから借りた蝋人形2体のうちのひとつ。こちらの人形は、レッドとイエローのストライプが入った帽子を被っており、もうひとつの人形(No. 36)はグリーンの帽子を被っている。
35: Stuart Sutcliffe(スチュアート・サトクリフ)ジョン・レノン(No.62)の友人でザ・ビートルズの初代ベーシスト。ジョン・レノンとの仲はリヴァプール・カレッジ・オブ・アートにまで遡る。グループがハンブルグに住み、街のクラブで演奏していた頃、スチュアート・サトクリフは写真家のアストリッド・キルヒヘルと出会う。アストリッド・キルヒヘルは、個性的な60年代前半のヘアカット(マッシュルーム・カット)をザ・ビートルズに広めた人物だ。スチュアート・サトクリフはハンブルグ・カレッジ・オブーアート入学のためにグループを脱退したが、彼は脳動脈瘤により21歳の若さで死去し、そのキャリアは悲劇的な終わりを迎えた。
36: Hairdressers’ wax dummy No.2(ヘアドレッサーの蝋人形 No.2)1体目の蝋人形(No..34)の逆側にいる2体目の蝋人形は、スチュワート・サトクリフ(No. 35)の横にいる。
37: Max Miller (マックス・ミラー)イギリスのコメディアンで寄席演芸のスター。マックス・ミラーは「The Cheeky Chappie(やんちゃで魅力的な人物を意味する)」という愛称を手に入れた。カラフルなファッション・センスと際どいユーモアで知られる彼は、ダブル・ミーニング(2通りの意味を持つ表現)の名人だった。また、1930年代を通じて、多数の映画にも出演した。
38: Petty Girl No.1(ペティ・ガール No.1)ホワキン・アルベルト・バルガス・イ・チャベスによるバーガ・ガール(No. 11)と同様、ジョージ・ペティによってデザインされたペティ・ガールは、1933年から1956年の間にエスクワイア誌に掲載されたピンナップ・ガールの絵画で、第2次世界大戦の戦闘機の前面にも描かれた。B17戦闘機に描かれ、『Memphis Belle(メンフィスの美女)』の愛称で呼ばれる絵が特に有名だ。
39: Marlon Brando(マーロン・ブランド)1953年の映画『乱暴者(原題:The Wild One)』で、ジョニー・ステイブラーという伝説的な役柄を演じたマーロン・ブランドは、ロックン・ロールを生み出した世代に募る欲求不満を見事に表現した。史上最高の名優のひとりとして称賛されている。なお、『乱暴者』でブランドと敵対する暴走族が、ザ・ビートルズとほぼ同名(The Beetles)も注目に値する。
40: Tom Mix (トム・ミックス)ハリウッドにおけるウェスタン映画の第1号スター。1909年から1935年の間に、291本もの映画に主演した。
41: Oscar Wilde(オスカー・ワイルド)劇作家、小説家、詩人。オスカー・ワイルドは多くの金言を残し、こうした金言のほかにも小説『ドリアン・グレイの肖像(原題:The Picture Of Dorian Gray)』や『真面目が肝心(原題:The Importance Of Being Earnest)』や『理想の夫(原題:An Ideal Husband)』といった演劇作品でも名を残した。
42: Tyrone Power (タイロン・パワー)30年代、40年代、50年代、ハリウッドで人気を博した俳優。向こう見ずなアドヴェンチャー映画『The Mark Of Zorro(原題:怪傑ゾロ)』で名ばかりのヒーローを演じたことで知られるタイロン・パワーだが、無法者のカウボーイ、ジェシー・ジェイムズを演じたほか、ミュージカル、ロマンティック・コメディ、戦争映画にも主演した。
43: Larry Bell(ラリー・ベル)光と空間で遊んだ大きな彫刻作品で有名なアメリカの芸術家。60年代に制作した「シャドウボックス」のシリーズでまず頭角を現すと、その後も80年代の「Vapor Drawings」や、それに続いたシリーズ「Mirage Drawings」と含む幅広い作品で高い評価を受けた。
44: Dr David Livingstone(デイヴィッド・リヴィングストン博士)リヴィングストン博士と探検との関係は、ザ・ビートルズと革新的音楽の関係と同じだと言ってもいいだろう。恐れ知らずで絶えず探求を続け、新たなテリトリーを見つけようとしていたのだ。「リヴィングストン博士でいらっしゃいますね?(Dr. Livingstone, I presume?)」という有名な台詞は今でも一般的に使われており、初出はリヴィングストン博士と探検家のヘンリー・モートン・スタンリーの対面時まで遡る。6年間行方不明だったリヴィングストンを探して、スタンリーは捜索に送り出されていたのだ。リヴィングストンはウジジ(現在のタンザニア)の街で発見された。
45: Johnny Weissmuller(ジョニー・ワイズミュラー)ジョニー・ワイズミュラーはハリウッドに視線を向ける前、水泳選手として名を馳せ、20年代のオリンピックで金メダルを獲得した。彼はターザン役でポピュラー・カルチャーに最大の功績を残し、ターザンのシリーズで主演を演じ続けると、ジャングル・ヒーローのトレードマークとなった特徴的な雄叫びを生み出した。
46: Stephen Crane (スティーヴン・クレイン)イッシー・ボン(No.47)の頭と手に隠れてほとんど見えないスティーヴン・クレインは、写実主義の小説家。1900年に28歳の若さでで死去したが、同世代で最も進歩的な考えを持つ作家のひとりと考えられている。彼の作品には日常会話が盛り込まれており、これが登場人物にさらなる現実味を与えた。また、彼の小説は、貧困をひるむことなく見つめている。
47: Issy Bonn(イッシー・ボン)マックス・ミラー(No. 37)と同世代のイッシー・ボンは、ユダヤ系イギリス人の寄席演芸スター。彼もBBCラジオで有名になった。
48: George Bernard Shaw(ジョージ・バーナード・ショー)近代劇を形作ったアイルランドの劇作家。ノーベル賞(1925年。文学賞)とアカデミー賞(1939年。『ピグマリオン(原題:Pygmalion)』で最優秀脚本賞)のふたつを受賞した初めての人物。彼の作品は、21世紀の今も舞台化されている。
49: HC Westermann(HCウェスターマン)アメリカの彫刻家。第2次世界大戦と朝鮮戦争で、米国海兵隊として従軍したHCウェスターマンは、大工として学んだスキルを使い、海外で戦っている間に目撃した恐ろしい出来事を批判する表現主義の彫刻作品を制作した。
50: Albert Stubbins(アルバート・スタビンズ)トミー・ハンドリーと(No.24)と同様、アルバート・スタビンズもビートルズの地元リヴァプールのヒーローだ。ウォールセンド生まれの彼は、1946年にリヴァプールFCのセンターフォワードとなると、翌年のリーグ・チャンピオンシップ優勝に貢献した。
51: Sri Lahiri Mahasaya(スリ・ラヒリ・マハサヤ)スリ・ラヒリ・マハサヤはスリ・マハー・アヴァター・ババジ(No. 27)の弟子で、1861年にクリヤー・ヨガの規律を学ぶと、その後はその教えをスリ・ユクテスワ・ギリ(No. 1)に伝えると、ユクテスワ・ギリはスリ・パラマハンサ・ヨガナンダへとその教えを伝えた。なお、ヨガナンダについてマハサヤは「精神的なエンジンとして、彼は多くの魂を神の御国へと運んでいくだろう」と語っている。
52: Lewis Carroll(ルイス・キャロル)1965年に行われたBBCのインタビューで、ジョン・レノン(No.62)は『Alice In Wonderland(不思議の国のアリス)』と『Alice Through The Looking Glass(鏡の国のアリス)』への愛を表明し、「1年に1回は読んでいる。未だに好きだからね」と語っている。そうなると、「セイウチと大工(The Walrus And The Carpenter)」という詩を書き、レノンの「I Am The Walrus」の歌詞に影響を与えた人物が、『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケットで目立つ位置にいるのも納得がいくだろう。
53: TE Lawrence(TEロレンス)『アラビアのロレンス Lawrence Of Arabia』(1962年)で映画化された人物。映画では、ピーター・オトゥールが彼の役を演じた。イギリスの考古学者で軍人だったTEロレンスは、1916年から1918年のアラブ反乱中、アラブ側の連絡役となった。1922年に出版された『知恵の七柱(Seven Pillars Of Wisdom)』は、戦時中の経験を詳述しており、彼の伝説の多くについて下地を作った。
54: Sonny Liston(ソニー・リストン)ビートルズはフロリダ州マイアミで1964年2月、伝説的ボクサーのカシアス・クレイと一緒に写真を撮ったことが良く知られている。しかし、『Sgt. Pepper』のジャケットに登場しているのは、ソニー・リストンの蝋人形だ。クレイはビートルズと写真を撮った同月、リストンを破り、ヘヴィーウェイト級ボクシング・チャンピオンとなった。リストンはクレイに敗北を喫するまで、1962年から1964年までヘヴィーウェイト級のタイトルを保持していた。なお、クレイはこの後、モハメド・アリへと改名する。
55: Petty Girl No.2(ペティ・ガール No.2)ぺティ・ガール No.1(No.38)と同様に、このペティ・ガールもジョージ・ペティによる絵画シリーズのひとつだ。
56, 57, 59 and 60: wax models of The Beatles(ビートルズの蝋人形)完璧なポストモダン・タッチで、ビートルズはビートルマニア時代の自身の蝋人形を加えた。蝋人形のビートルズは、ミリタリーでサイケデリックな衣装に身を包む現在のビートルズを見つめている。ジョン(No. 57)、ポール(No. 60)、ジョージ(No. 56)、リンゴ(No. 59)の蝋人形は、『Sgt. Pepper』の写真撮影のためにマダム・タッソー館から借りたものだ。
◇58, 71 and 73: Shirley Temple(シャーリー・テンプル)女優、歌手、ダンサーと、まさに三拍子揃ったシャーリー・テンプルは、30年代に子役スターとなった。彼女は『Sgt. Pepper』のジャケットに3回登場している。ジョン・レノンの蝋人形(No. 57)とリンゴ・スターの蝋人形(No. 59)の間から、髪の毛が出ているのが1回目、ダイアナ・ドース(No. 70)の前に立っているのが2回目、右端に入る「Welcome The Rolling Stones(ローリング・ストーンズを歓迎)」というスローガンの入ったセーターを着た布製の人形が3回目だ。
61: Albert Einstein(アルベルト・アインシュタイン)ジョン・レノン(No.62)の右肩の上に辛うじて見えるアルベルト・アインシュタインは物理学者で、彼の相対性理論は何光年も時代を先取りしており、世界を永久に変えた。
◎62, 63, 64 and 65: THE BEATLES (ビートルズ)ミリタリー・シック(もしくはミリタリー・サイクとでも言おうか?)なまばゆい衣装に身を包んだジョン(No.62)、リンゴ(No. 63)、ポール(No. 64)、ジョージ(No. 65)は、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮しており、それぞれがフレンチ・ホルン、トランペット、コー・ラングレ、フルートをこれ見よがしに持っているため、サイケデリックなブラス・バンドのように見える。アルバム・ジャケットと同様に、ビートルズが着用したサージェント・ペパーのコスチュームは、史上最高に象徴的なバンド・コスチュームのひとつに数えられるようになった。一目でそれとわかるコスチュームは、我々の文化の中へと永遠に織り込まれたのだ。
66: Bobby Breen (ボビー・ブリーン)シャーリー・テンプル(No.58, 71, 73)と同じく、ボビー・グリーンも30年代の子役スターだった。軍隊に入り、第2次世界大戦中は軍隊の慰問をした後、彼はナイトクラブ・シンガーとなり、1964年にはベリー・ゴーディのモータウン・レコードでシングル数枚をレコーディングした。
67: Marlene Dietrich(マレーネ・ディートリヒ)ビートルズと同じように、マレーネ・ディートリヒも絶えず自己改革をしてきた。20年代のベルリンで撮影されたサイレント映画から、30年代のハリウッド大作映画へと移行した後は、舞台で勝負するライヴ・パフォーマーとして活躍した。1963年11月、彼女はビートルズ出演回の『ロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンス(Royal Variety Performance)』に出演し、よく知られているようにビートルズと記念撮影をした。
68: Mohandas Karamchand Gandhi (モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー)非暴力の不服従と、イギリス支配からのインド独立運動を率いたことで知られるマハートマー・ガンディは、『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケットから最終的に姿を消した。ガンディの写真使用がインドの人々の怒りを招くかもしれないという懸念によるものだ。
69: Legionnaire from The Royal Antediluvian Order Of Buffaloes(ロイヤル・アンティディルーヴィアン・オーダー・オブ・バッファローズの兵士)1822年に創立されたロイヤル・アンティディルーヴィアン・オーダー・オブ・バッファローズは、現在もその活動を続けており、北アイルランド、キプロス、アフリカ、南アフリカ、インド、中東、オーストラリア、ニュージーランド、カナダに支部を擁している。同組織のモットーは「何時も賢い者はいない」というもので、今も会員と、死去した会員の扶養家族の世話をし、慈善事業を行っている。
70: Diana Dors(ダイアナ・ドース)イギリスのマリリン・モンロー(No.25)と称されたダイアナ・ドースが出演した作品の大半は際どいセックス・コメディだったが、後に歌の世界にも進出し、1960年の『Swinging Dors』が特に有名である。70年代に入ると、彼女はキャバレー・スターとタブロイド誌を賑わす人物として、彼女のキャリアは息を吹き返した。
◇71, 73 and 58: Shirley Temple(シャーリー・テンプル)女優、歌手、ダンサーと、まさに三拍子揃ったシャーリー・テンプルは、30年代に子役スターとなった。彼女は『Sgt. Pepper』のジャケットに3回登場している。ジョン・レノンの蝋人形(No. 57)とリンゴ・スターの蝋人形(No. 59)の間から、髪の毛が出ているのが1回目、ダイアナ・ドース(No. 70)の前に立っているのが2回目、右端に入る「Welcome The Rolling Stones(ローリング・ストーンズを歓迎)」というスローガンの入ったセーターを着た布製の人形が3回目だ。
72: Cloth grandmother figure(布製のグランマ人形)ピーター・ブレイクの妻で、『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケットの共同制作者でもあるジャン・ハワースが作ったグランマ人形は、彼女が布から作った人形のひとつだ。
◇73, 71 and 58: Shirley Temple(シャーリー・テンプル)女優、歌手、ダンサーと、まさに三拍子揃ったシャーリー・テンプルは、30年代に子役スターとなった。彼女は『Sgt. Pepper』のジャケットに3回登場している。ジョン・レノンの蝋人形(No. 57)とリンゴ・スターの蝋人形(No. 59)の間から、髪の毛が出ているのが1回目、ダイアナ・ドース(No. 70)の前に立っているのが2回目、右端に入る「Welcome The Rolling Stones(ローリング・ストーンズを歓迎)」というスローガンの入ったセーターを着た布製の人形が3回目だ。
74: Mexican Tree Of Life candlestick(メキシコの「生命の樹」ろうそく立て)伝統的に、メキシコの「生命の樹」の彫刻は。メヒコ州メテペク産で、聖書からの場面が描かれている。『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケットに写っている「生命の樹」は、ろうそく立てでもある。
75: Television set(TVセット)「生命の樹」のろうそく立て(No.74)が、ストーリーを語る伝統的な手法だとすれば、ソニーのTV9-306YBポータブルTVは、1967年時点で極めてモダンなストーリーテリングの道具だった。
◇76, 77 and 78: stone figures (石像)シャーリー・テンプル人形(No.73)の足元に見える石像(No. 77)とともに、少女の石像(No. 76)はジョン・レノン(No.62)とジョージ・ハリソン(No. 65)がアルバム・ジャケットに入れようと家から持ってきた像のひとつだ。石像の中で最も目立つのは、バス・ドラムの右側に置かれている胸像で、これはレノンが1964年から1969年まで住んでいたサリー州ウェイブリッジにあるジョンの自宅「ケンウッド」にあったもの。
◇77, 78 and 76: stone figures (石像)シャーリー・テンプル人形(No.73)の足元に見える石像(No. 77)とともに、少女の石像(No. 76)はジョン・レノン(No.62)とジョージ・ハリソン(No. 65)がアルバム・ジャケットに入れようと家から持ってきた像のひとつだ。石像の中で最も目立つのは、バス・ドラムの右側に置かれている胸像で、これはレノンが1964年から1969年まで住んでいたサリー州ウェイブリッジにあるジョンの自宅「ケンウッド」にあったもの。
◇78, 76 and 77: stone figures (石像)シャーリー・テンプル人形(No.73)の足元に見える石像(No. 77)とともに、少女の石像(No. 76)はジョン・レノン(No.62)とジョージ・ハリソン(No. 65)がアルバム・ジャケットに入れようと家から持ってきた像のひとつだ。石像の中で最も目立つのは、バス・ドラムの右側に置かれている胸像で、これはレノンが1964年から1969年まで住んでいたサリー州ウェイブリッジにあるジョンの自宅「ケンウッド」にあったもの。
79: Trophy(トロフィー)「BEATLES」の「L」の曲がった部分に置かれているトロフィーは、ジョン・レノン(No.62)が子どもの頃にもらった水泳のトロフィー。
80: Lakshmi doll(ラクシュミー人形)アルバム・ジャケットの中心に置かれているのは、インドの女神で富、幸運、繁栄を司るラクシュミーの人形だ。
81: Sgt. Pepper drum skin(サージェント・ペパーのドラムヘッド)有名なサージェント・ペパーのドラムヘッドは、フェアグランド・アーティストのジョー・エフグレイヴがデザインした2種のうちのひとつ。2番目のデザインは、よりモダンなレタリングが使われており、バス・ドラムの逆側に付けられていた。こうして写真撮影中、バンドにドラムヘッドのオプションが2つ与えられたのである。
82: Hookah(フーカー/水パイプ)インドを起源とするフーカーはタバコを吸う道具で、水を通った後の煙を吸うようにデザインされている。『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケットに入ったのは、ジョージ・ハリソン(No. 65)のインド愛と、ジョン・レノン(No. 62)のルイス・キャロル愛を鑑みたものだ。(『不思議の国のアリス(Alice’s Adventures In Wonderland)』に登場するイモムシは、フーカーを吸う。)
83: Velvet snake(ヴェルヴェットの蛇)ソニー・リストン(No.54)の下に置かれた紫色のヴェルヴェットの蛇は、おそらくジャン・ハワースが布で作った作品のひとつだろう。
84: Fukusuke statue(福助人形)大きな頭と耳が特徴の福助人形は日本に由来し、幸運をもたらすと言われている。
85: Stone figure of Snow White(白雪姫の石像)福助人形(No.84)の前にあるのは、『グリム童話(Grimms' Fairy Tales)』の白雪姫像。
86: Garden gnome(ガーデン・ノーム)「BEATLES」のBの左側に辛うじて見えるのは、よくあるガーデン・ノームだ。19世紀のドイツで生まれた。
87: Tuba(チューバ)ビートルズの各メンバー(Nos.62, 63, 64, 65)が抱えているフレンチ・ホルン、トランペット、コー・ラングレ、フルートと同様、チューバもブラスバンドの演奏には欠かせない楽器だ。
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https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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ジョン・レノンの伝記作家が暗い秘密を打ち明ける
‡2000(平成12)年05月30日(tue)
2000(平成12)年05月25日(thu) News LENNON BIOGRAPHER REVEALS DARK SECRETS
新しいジョン・レノンの伝記によると、彼の死のわずか数ヶ月前、ジョンはオノ・ヨーコに「spiritual quest」を贈られた後で娼婦と関係を持っていたという。
ロバート・ローゼン著『Nowhere Man』は、1975年からジョンが亡くなった1980年までの彼自身の日記を基にして書かれているようだが、そこにはジョンが「罪を清める改心の船旅」に出ることをヨーコが勧めていたという記述がある。ローゼンによると、ジョンは南アフリカに行き、そこで「原始的な衝動」に駆り立てられた。
「ジョンはひとりきりでいたケープ・タウンの自室に、現地の地元紙から切り抜いた売春宿のマッサージ・パーラーの広告を壁に留めておいた」とローゼンはいう。
「次の日、ジョンはマッサージ・パーラーを訪れた。しかし期待は裏切られた。相手の女性はただ自分の仕事をするだけでそれ以上は何ひとつとしてしてはくれなかった。全くそのことを楽しもうとはしなかったのだ」ローゼンはジョンが次に日再びそこを訪れたと伝えている。「今回はジョンは前回よりもはるかにいい思いをした。彼はロイウスという女性と関係を持ち、彼女は実に彼を興奮させてくれた。彼女はショーを見せてくれ、彼は満足して死んでいったのだ」
https://www.beatles.ne.jp/news2000-05-30.html
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■マッド・デイ・アウトとは、
1968(昭和43)年07月28日(日)にロンドンで行われたフォトセッションのこと。当時、ビートルズの4人は、激動の最中にいた。
4月 ビートルズが自身の新会社アップル・コアを設立し、映画、出版、レコード、小売など多角的な活動を開始する窶披?
5月 ジョン・レノンとオノ・ヨーコの中が深まり、
‡1968(昭和43)年05月30日(木)に行われたアルバム『ザ・ビートルズ』のセッション初日にヨーコをスタジオに呼んだほか、二人で数々の活動を開始する窶披?
6月~7月 メンバーの溝が深まり、各メンバーがバラバラにレコーディングするようになる窶披?
このような時期に行った”マッド・デイ・アウト”フォトセッションだったが、著者トム・マレーによれば、「メンバーは冗談を言い合うとても良い関係だった」という。本書では、激動の変革期に合ったビートルズ各メンバーの関係性や垣間見せる素顔などが赤裸々に映し出されている。
https://www.ymm.co.jp/feature2/thebeatles/maddayout.html
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音源◆The Beatles - Recording Session, https://youtu.be/OUt4vU8EQGk
June 4 1968
Studio 3, EMI Studios, London, June 4, 1968
01. Jam [0:00]
02. Jam [0:44]
03. Tuning & Dialogue [5:29]
04. Jam & Revolution Rehearsal [6:57]
05. Jam [15:00]
06. Revolution Overdubs [15:12]
07. Jam [16:21]
08. Jam [18:40]
09. Jam [19:44]
10. Jam [22:07]
11. Dialogue [23:27]
12. Dialogue [24:22]
13. Dialogue [25:03]
14. Dialogue [25:28]
15. Dialogue & Tape Loops [25:45]
16. Tape Loop [28:24]
17. Dialogue [28:40]
18. Revolution (Take 20 - Excerpt) [30:05]
The first recording sessions for what later became “The White Album”, began on
‡May 30, 1968 when the Beatles without George, recorded 18 takes of the rhythm track for “Revolution #1”, called “Revolution” at this point. The instrumentation for the original backing track
consisted of John’s acoustic guitar, Paul’s piano and Ringo’s drums, all recorded on track one of the four-track tape, with each take averaging around five minutes. The last of the rhythm takes, ‘18’ was the basis of the final LP version. This take kept on going and going, eventually running out at 10:17 with the last six minutes being more of a jam. Onto the remaining three tracks of the four-track tape, John added two vocals tracks and Paul added his bass overdub. A mellotron with the flute setting was also added onto track three, along with electronic squeaks recorded on track two and with that the session ended with all four tracks filled. During the next day, May 31, ‘take 18’ was bounced down with all the instruments on track one and John’s two vocals on track four. On this new reduction mix, ‘take 19’, John, Paul and George overdubbed their 50's like “Shooby-doo, whop-bow” harmonies. John also recorded his lead vocal again but this time lying on the floor to alter his voice.
The third recording session for “Revolution”, a new reduction mix ‘take 20’ was made. Overdubs added onto this take includes some additional drum parts, organ played by Paul, an electric guitar with a tone-pedal played by John and “mama, dada” harmonies sung by Paul & George. Along with these overdubs, various tape loops were also fed live onto the track through separate machines. The loops consisted of “Aaaaaaah” at a very high register and a high A note played rapidly on an electric guitar. A single mono remix was made at the end of the session, but this unreleased RM was eventually scraped and the song was later finished and re-titled as “Revolution #1” on June 21st. Most of the strange sounds, such as the tape loops, in the second half of the song was later used as the basis for the band’s most controversial piece, “Revolution #9”.
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┃ New Brighton Tower ┃
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1896(明治29)年06月22日(mon) The ground breaking happened on 22 June 1896,[4] before the formation of the new company,
1896(明治29)年07月26日(sun) Completion of land purchase and announcement of contracts on 26 July 1896.
‡1898(明治31)年05月30日(mon) On 30 May 1898 the Tower Theatre was opened, sited between the legs of the tower.
1909(明治42)年09月07日(tue) On 7 September 1909 two visitors were left stranded at the top of the tower as the final lift car of the night descended without them. The woman and twelve-year-old child were not noticed during the final round of inspection and so, without a way to communicate with anyone on the ground, they spent the night on the tower until 10 am the following morning. They did not appear too concerned by the ordeal and left without giving their names to officials.[26]
1959(昭和34)年05月18日(mon) In another incident on 18 May 1959 five people were injured while watching a motorcycling stunt when a 10-foot (3.0 m) wide section of stands collapsed, causing the spectators to fall 15 feet (4.6 m) to the ground.
1919(大正八)年05月15日(thu) On 15 May 1919 a fire destroyed the grandstand.
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https://en.wikipedia.org/wiki/New_Brighton_Tower#Tower_Ballroom
http://gejirin.com/beatles/history/1961/19611110_live_Tower_Ballroom.html
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ステレオ!これがビートルズ vol.2 (WITH THE BEATLES)
1966.05.30 東芝音楽工業 Odeon OP-7549(STEREO) こちらも初来日に合わせて企画・編集された来日記念盤。英国デビュー盤"WITH THE BEATLES"の収録曲順を大幅に入れ替え、A、B面トップに日本で 人気のあった曲を据えて、ジャケットもまったく違う写真に差し替えられた。"PLEASE PLEASE ME"同様、当時まだモノラル音源でしか聴けなかった"WITH~"収録曲が、 リアル・ステレオ・ヴァージョンで聴ける。
JAPANESE EDITIONS 日本独自編集のアルバム ⇒ ザ・ビートルズが日本でデビューするにあたっては英国オリジナル・アルバムではなく、 我が国独自の編集によるアルバムが公式発売されていた。(日本でのデビュー盤、2枚目が 日本独自編集、英国オリジナル・アルバムを2枚はさんで5枚目が独自編集)現在ではむろん公式カタログには存在しないものの、当時の日本のビートルズ・ファンに はビートルズ唯一の公式アルバム・ラインアップとして親しまれてきたものだ。ビートル ズ解散後の1976年、東芝EMIが「EAS~」のカタログ・ナンバー(通称国旗帯)で英国本国盤 、米国編集盤、日本編集盤のすべてのラインアップをいっせいにリニューアル発売。英国オリジナルの"PLEASE PLEASE ME"、"WITH THE BEATLES"も登場し、この時点で日本の ファンは英国本国盤、米国編集盤、日本編集盤すべてを手にできる大変贅沢な境遇に置か れたわけだ。店主も、英国オリジナル盤以上に日本編集盤を愛していたファンのひとりだ。特に日本で のデビューアルバムとなった「ビートルズ!」はデビュー・アルバムであると同時に初期 のベスト・ヒット的な趣もあり、ロックのレコードがほとんどステレオでの制作に移行し 終わった時代、ワイルドで分厚いモノラル・サウンドの心地よさもあって愛聴した。今回はビートルズの活動初期に日本独自編集で発売されたアルバム3枚と、オリジナル・ア ルバムに手を加えて発売された2枚、さらにジャケットのみまったくオリジナルに製作した もの1枚の合計6枚をご紹介します。(レコードNo.はいずれも初回盤のNo.)
今でも、ビートルズを聴きたい時にはほとんどCDは使わない。アナログ・レコードをターンテーブルに乗せることの方が圧倒的に多い。その中でも、モノラルの東芝盤は格別に味わい深いものがある。なんといっても「雰囲気」があるのだ。店主がはじめて買ったLPは国旗帯の「4人はアイドル」だったが、いちばん多く聴いたの はおそらく「ビートルズ!」だったように思う。このレコードをはじめて買って聴いたときの高揚感は鮮明に覚えている。A面の1~4曲目で完全にノックアウトされた記憶がある。今でもここに挙げた日本編集盤は「味わいたい」気持ちになったときに必ずラックから引 っ張り出してくるレコードたちだ。
http://home.q04.itscom.net/hiropon/b_review6.htm
音源◆ステレオ!これがビートルズ vol.2 - WITH the BEATLES stereo LP japan edition https://youtu.be/hPGg2bUmMYU
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┃ 『WITH the BEATLES』 来日記念盤 ┃
┃ 『ステレオ! これがビートルズ VOL.2』 ┃
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‡1966(昭和41)年05月30日(mon) JP released (stereo) 東芝音楽工業 ODEON-OP7549
1969(昭和44)年09月10日(wed) JP released (stereo) 東芝音楽工業 Apple-AP8676
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https://ja.wikipedia.org/wiki/ステレオ!_これがビートルズ_Vol.2
http://rock-t.info/beatles-discography-jlp-withthebeatles.html
http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/lp/lp_op_7549.html
Ohttps://music.amazon.co.jp/albums/B07FTG35V1
⑨https://music.amazon.co.jp/albums/B019GHD69E
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