過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

2022(令和四)年十月二日(日)の初記事ですヨ(=^◇^=)O♂


 削除URL◆昭和の動画 昭和60,61年  http://youtu.be/RDEHGkhZFPg
 削除映像◆1985 昭和60年ニュースダイジェスト  http://youtu.be/LpjhqCtZQ4s
 日本航空123便墜落事故 発生当時は謎だらけで、事故直後米軍が墜落位置を把握していた事から、ミサイル誤射説-まで飛び交いました。生存者がいたのが奇跡だった。
 NTT発足 国鉄分割民営
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 ユーザーレビュー大募集!今の時代(2021年)にコミットするBOφWYの楽曲ってなに?
 BOφWYの数々の作品の中から、あなたの思う「今の時代にコミットする楽曲」を教えて下さい!対象となるのは、BOφWYがリリースした全楽曲。ご応募お待ちしています!
‡2021(令和三)年10月02日(土) 募集開始
 2021(令和三)年10月22日(金) 募集終了
※メッセージは必ず掲載されるとは限りません。予めご了承ください。
※寄せていただいたメッセージは、Twitterなどの各種SNSで告知させて頂く可能性があります。
■ユーザーレビュー大募集!今の時代にコミットするBOφWYの楽曲ってなに?
 ♪WORKING MAN♪
 35年前の西暦1986年9月29日に発売されたB・BLUEのB面のこの曲の飛び跳ねっぷりは、曲の頭からTHE END.まで聴けば16から17だった高校生にBACK TO THE FUTUREできますヨOK♂♀ 最高のJ.ROCKバンド・その名はBOφWY!ウルトラミラクル超最高!
 https://reminder.top/monthly-202110-boowy/


    LED ZEPPELIN
 WILD WEST SIDE [Disc 1] 
 1972.10.04 大阪フェスティバルホール
 1972.10.09 大阪フェスティバルホール ♪Stand By Me♪
 Wild West Side [Disc 2] 
 1972.10.04 大阪フェスティバルホール
‡1972.10.02 武道館 ♪Communication Breakdown♪
    LED ZEPPELIN

「柿食えば・・・」の俳聖:正岡子規は、間違った「食」で夭折した。~フォイト栄養学の罪過~
 2014-03-24 20:42「食」の問題
「食べるほど」「栄養をとるほど」健康にいい――と信じている人は人々は未だに多い。「栄養をとらないと病気は治らない」と医師や看護師は本気で患者を指導している。食物とそこから摂れる栄養が、さも薬効があるが如く健康度を漸進化していくと信じて疑わないのは、前の記事で記した“近代栄養学の父”フォイトの残した悪夢であり、食に関する最大の偽情報である。文明開化の明治の頃、洋風志向でハイカラな進取の気性が強かったひとりの文豪が、この時代の粋である“フォイト栄養学”への信仰によって、若くして惜しまれるその命を落としている。俳人、歌人、国語学研究家として、俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼしたことで知られる「正岡子規(1867-1902)」は、結核と脊椎カリエスが死因となり、満34歳で早世したといわれるが、その死に至る病を決定的にしたのが、余りに過剰なる過食、美食、暴食にあるということはほとんど知られていない。それは、当時から変わらず未だに“フォイト栄養学”への無批判な信仰が続いている証左でもある。だが、子規は病床で書かれた日記『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』を残し、その中に日々の自らの食卓の詳細な記録を書き記している。これによって、子規の三度三度食していた内容がわかり、フォイトの偽った栄養学が病苦を生むことが明確になった今日、子規の逝った原因も誤った食生活にあったことが判明したのだ。また、そのことは、現代の我々の食生活も子規のそれに近似したものでもあることから、多くの警告と教訓を得て、健康に生きるための「食」の意識転換の必要性を示唆しているといえる。子規は、死の前年から筆をとったこの寝返りも独りではできない仰向けに寝たまま記した(仰臥)日記により、第一級の国文学の記録を生んだが、本人の意図とは別に、この日記ははからずも実は、栄養学の資料としても第一級となり得ている。ただ、内容を知れば知るほど、今や、あまりの栄養学に対する無知さ加減には悲惨を極めると言うしかないほどである。その壮絶なる“食べ間違い”は、文学ならぬ栄養学の、“症例”として特筆に値する。これが、病床の子規が『仰臥漫録』を書き始めた初日の日記に記された食事メニューだが、その後もおよそ毎日同じように食べていたことから、これが子規の献立のスタンダードいえよう。子規は痩身なれど無類の大食漢だったようで、痩せの大食いを絵に描いたような食べっぷりには、まるで寝たきりの病人らしからぬ、そのあまりの豪食ぶりは食欲旺盛というより、異様なほど病的なものだったことが窺える。食べ過ぎで苦しく、食後は吐いてまでも食べていたようで、腹痛も起こし、鎮痛剤まで飲んでも尚も食べ続けていたのである。それも、小食や断食すればゆうゆうと快復することをまったく知らずに、ただ迫りくる病魔に打ち勝つために、猛烈に過剰栄養を摂る為に食べ、まさに這いつくばっても餓鬼のように鬼気迫る食生活を続けていたのだ。
◆子規の病んだ脊椎カリエス◆子規は若くして吐血し、結核に罹患。さらに追い打ちを掛けるように脊椎カリエスの病魔に襲われる。「カリエス」とは「骨の慢性炎症」という意味で、脊椎骨が侵され、破壊され、変形する病気だ。さらに膿が身体の各部に溜まり、漏れ出る。そして、「打痛・圧痛・神経痛・運動麻痺などを伴う」、激痛を伴う疾患である。子規は一度に菓子パンを十数個、柿や梨なども十個前後も貪る大の甘党であった。菓子パンには砂糖が、果物には果糖が含まれる。糖分の異常なまでの摂取によって、骨からカルシウムが取られ、骨はスカスカに脆くなる。そこが病原菌に侵され始めたのがカリエスである。子規はまた、牛乳を愛飲している。当時牛乳といえば、たいへんな高級飲料であり、完全栄養食という“牛乳神話”を信じて、毎日がぶ飲みしていた。今も、「牛乳はカルシウムが豊富なので、飲むほど骨が丈夫になる」と信じて疑わない人が大多数だろう。ところがこれはまったくの大嘘であることが判明している。牛乳に含まれるたんぱく質や脂質を消化吸収するために、体内の骨からカルシウムが動員され、排泄されていく。つまり、カルシウムが摂れるどころか、逆に飲むほどに骨は粗密になり、骨折しやすくなる。骨粗しょう症は、牛乳を多く飲む人ほど罹り易い。子規はカリエスを益々悪化させる牛乳を、おしゃれにもココアを混ぜて愛飲していたのである。脊椎カリエスは、背骨から全身の骨が侵され、腐り、膿に変じていく。膿の排出口が身体の各所に開き始めると、ぐるぐる巻きの包帯で防ぐようになる。この包帯の取り換え時に、絶叫、悲鳴、落涙を誘うほどの苦痛を病人に与える。だが尚、子規は食べることが病状をさらに悪化させる仕組みを知らず、苦をさらにもたらす「食」に走るのである。これはもはや、生命欲、つまり生きたいという欲望そのものであろうか。
◆子規の癇癪、逆上、激昂の原因◆子規の寝ていた狭い和室で、かいがいしく介護をしていたのは、母(八重)と妹(律)である。身体の各部の膿の口に巻いた包帯を、病人が激痛に呻吟し悶絶するなか、毎日取り換える労苦や、病人の異常な食欲で胃袋に押し込まれ、消化もろくにされずに垂れ流される糞便の処理をするのも介護人の欠かせぬ仕事であった。また、もちろん大食漢で美食家の求めるまま、高価で貴重な食料を取り寄せ、調理し配膳するのも家人のふたりであった。ふたりは、かたや病人には有り余る豪奢な食材を提供しながら、自分たちは台所の片隅で、香の物をおかずに質素粗食な食事に甘んじ、介護には嫌な顔ひとつせずに懇切な世話に励んでいた。子規は、そんなふたりに感謝の気持ちをもちながらも、ときにとてつもない癇癪を起こし、逆上し、激昂して家人をもそのあまりの恐ろしさで近づけぬほどの、異常な怒りを露にすることがあった。特に、子規自身が告白するように、妹の律に対し、その欠点の枚挙に遑(いとま)ないことに腹を立て、時として彼女を殺そうとも思うほどになったと記している。悪態ををつき、罵り筆誅を加えることもあったと・・・。また、精神激昂し、乱叫乱罵するほどに頭が苦しく発狂するように異常を来たしたともある。さらに、突如襲う精神錯乱のうちに、不安煩悶を極め、自殺を本気で考え、小刀で喉をかき斬ることや、錐(きり)で心臓に穴を開けることまで思ったと、その凶器の絵図まで残している。いったい、ここまで仰臥する病人を、異常なまでの怒りに掻き立てているものは何なのであろう。『仰臥漫録』には、ほとんど毎日「菓子パン」の記述が続く。間食に菓子パン10個・・・、子規は菓子パンが大好物だった。あれだけの豊富なメニューの他に、菓子パンや梨、林檎、焼き栗、煎餅を一日に何度となく食べていた。甘いものの摂り過ぎの弊害は、子規の業病、脊椎カリエスだけではない。糖分の過剰摂取は血糖値を急上昇させる。すると、血糖抑制ホルモンのインスリンが分泌され、今度は血糖値を逆に急降下させる。正常血糖値以下になると、猛烈に甘いものが欲しくなる。そこでまたさらに菓子などを貪ることになると、また血糖値が急上昇・・・、この激しい上下動を繰り返すうちにインスリンが分泌されっぱなしとなり、低血糖の状態が続くことになる。そこで、身体は状況改善のために、副腎から“怒りのホルモン”アドレナリンを分泌させる。これは毒蛇の3倍といわれ、ムカムカ気分が悪くなる。さらに、“攻撃ホルモン”ノルアドレナリンも分泌され、よって「キレる」ことになるのだ。つまり、子規の突如襲う癇癪・逆上・不安は、低血糖症の典型症状であったのだ。
◆動物食が子規早世の元凶だった◆
‡10月2日「朝・・・はぜ蛤(はまぐり)佃煮」「昼・・・まぐろの刺身」「夕・・・鶏肉たたき、卵一個」子規の食卓に、まぐろや鰹の刺身はほぼ毎日必ず登場していた。鶏肉や鰻(うなぎ)などもよく並ぶ。動物性食品は、常に子規の食卓に載っている。「できるだけ栄養価の高いものを食べさせ体力をつけさせるように」というのが、おそらく医師の指導であったのであろう、母と妹はけなげにそれを守り、子規に毎日これらの動物性たんぱくの豊富な食べ物を食膳に並べたものと思われる。だが、この好意が仇になり、子規の命を縮めていたとは、なにより皮肉な結果となったわけだ。動物性食品の危険性は、前出の「マクガバン・レポート」と「チャイナスタディ」にあるように、キャンベル博士が述べる、「動物性食品はガンの最大の原因であり、この食習慣をやめれば、ガンばかりか、心臓病、脳梗塞、糖尿病、骨粗しょう症、関節リュウマチほかの様々な自己免疫疾患、アルツハイマー病、白内障、加齢黄斑変性(AMD)など、あらゆる病気を予防し、回復させることができる。」ということだ。つまり、もしも子規がベジタリアン(菜食主義)をこころがけていたなら、文豪は80~90歳の長寿を全うしたかもしれないのだ。また、このことは子規の例に留まらず、現在の我々自身の食卓でさえ、子規の教訓から見直すべきものがいくらもあると思えるのだ。「食」は命のもとだが、その「食」間違えは、逆に命をも落とすものであることを肝に命ずる必要ありということだ。旨いものをたらふくと求める強欲は、すなわち「業欲」となって我が身にかえる・・・。※徳間書店刊・船瀬俊介著 『「長生き」したければ、食べてはいけない』 をもとにまとめ、再編成した。- つづく -
 https://martin310.exblog.jp/19603312/
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 闇に葬られた二大栄養報告。「マクガバン報告」と「チャイナ・スタディ」
 2014-03-20 19:44 by martin310「食」の問題
◆アメリカ国民の健康と長寿を願った「マクガバン報告」は、既得権業界の圧力に見事に封印された。1975年のカーター政権下、当時、アメリカでは心臓病の死亡率が一位で、癌は二位だったが、心臓病だけでもアメリカの経済はパンクしかねないと言われるほど医療費が増大していた。(1977年には1180億ドル=約25兆円)そんな財政的危機を何とか打開しようということで、医療改革が進められた。そして、その一環として上院に「国民栄養問題アメリカ上院特別委員会」を設置し、全世界からよりすぐりの医学・栄養学者を結集して「食事(栄養)と健康・慢性疾患の関係」についての世界的規模の調査・研究が7年間の歳月と数千万ドルの国費を投入して行なわれ、5000ページに及ぶ膨大な報告がなされた。それを「上院レポート」又は委員長の名前をとって「マクガバンレポート」と呼んでいる。(このアメリカ建国以来の栄養調査の指揮をとったのは、民主党のマクガバン上院議員)この『マクガバンレポート』では、「心臓病をはじめとする諸々の慢性病は、肉食中心の誤った食生活がもたらした【食原病】であり、薬では治らない」と結論づけ、更に「我々はこの事実を率直に認めて、すぐさま食事の内容を改善する必要がある」として7項目の食事改善の指針を打ち出している。その内容を要約すると、高カロリー、高脂肪の食品つまり肉、乳製品、卵といった動物性食品を減らし、できるだけ精製しない穀物や野菜、果物を多く摂るようにと勧告している。つまり、当時世界を席巻していたフォイト栄養学の伝道前の初期アメリカの食事に戻せ!と提案しているのである。また、この『マクガバンレポート』を補足する形で発表されたのが『食物・栄養とガン』に関する特別委員会の中間報告だが、そのレポートで特に注目されるのは、「タンパク質(肉)の摂取量が増えると乳ガン、子宮内膜ガン、前立腺ガン、結腸・直腸ガン、膵ガン、胃ガンなどの発生率が高まる恐れがある」として「これまでの西洋風な食事では脂肪とタンパク摂取量との相関関係は非常に高い」と述べている。そして、我々日本人が大いに注目すべきは、このレポートで報告されているのに、「この地球上で最も理想的な食事は、元禄時代以前の日本人の食事である」ことが明記されているのである。元禄時代以前の食事と言うのは、精白しない殻類を主食とした季節の野菜や海草や小さな魚介類といった内容のことだ。日本の伝統食が、この地球上で最も理想的な食事であることが『マクガバンレポート』で認められていることは、西洋風の食生活に侵されている現代の我々には、逆に、日本古来の「食」に回帰することが、命を保つ道であると示唆されていると感ずる。さて、『マクガバンレポート』では、20世紀初めの古き懐かしき食事に戻すと、次のようにアメリカ人の健康は改善すると予測している。
●ガン・・・発生も死亡も20%減らせる。
●心臓病・・・発生も死亡も25%減らせる。
●脳卒中・・・発生も死亡も25%減らせる。
●糖尿病・・・約50%減(または約50%症状を改善)
つまり、「アメリカ人は、今食べている量を半分にすれば、今よりスリムで、健康で、長生きでき、医療費も激減できる」と、5000ページもの報告書で伝えたのだ。だが、これほどの優れたアメリカ人の食生活改善するレポート、いや、それだけに留まらず、実際に多くのアメリカ人の命を救えたであろう報告書を、時の食品業界、農業団体、医療業界、マスコミまでが猛反対し、『マクガバンレポート』を完全黙殺して歴史の闇に封印したのである。そして、国民救済の立役者であるところの、大統領候補で優秀な政治家のマクガバン上院議員は、その政治生命をも絶たれる結果となったのである。
◆「たんぱく質は、史上最悪の発ガン物質である」という
驚愕的事実を立証した『チャイナスタディ』・・・業界メジャーの不都合な真実
1970年代末、中国の首相がガンだったこともあり、治療法を解明するため中国政府は1973年から1975年まで8億8千万人を対象とした12種にわたるガン死亡率に関する調査を行なった。65万人の作業員が関与するという前代未聞の途方も無い大規模調査である。このデータを元にして、中国予防医学研究所、オックスフォード大(英)、コーネル大(米)によって、更に1983年~1988年にかけて食習慣と病気に関する膨大な調査が行われた(米英中共同研究で約10億円近い巨費が投じられた栄養研究プロジェクト)。対象は中国全土と台湾から1万6千700人を対象にして「食事と健康状態、ライフスタイル、社会的経済的特徴に関する1367項目」を調査。それをまとめた書物の原書名が『チャイナスタディ』である。陣頭指揮をとったT・コリン・キャンベル博士(コーネル大学)は「栄養学のアインシュタイン」と称えられるアメリカ屈指の栄養学者であった。この中で、「たんぱく質は、史上最悪の発ガン物質である」という驚愕的事実が立証されている。中国農村の食事と、アメリカ人の食事をもとに、米中の栄養比較調査は驚くべき事実を明らかにしている。
●心臓麻痺の死亡率は・・・。アメリカ男性は、中国男性の17倍も心臓発作で死亡していた。
●女性の乳ガン死亡率でも・・・。アメリカ女性は5倍も乳ガン死していた。
●たんぱく質を2倍とると、ガンは11倍に激増する。
●5%から20%に増やすと、発ガン率は約20倍と爆発的に増える。
中国には、同じ漢民族でありがなら、実に多様な食習慣があり、ガンの発生率も地域によって100倍も開きがあったので、調査にはうってつけだった。その結果は、驚くほど明確に、動物性食品を摂取すればするほど、病気を発症することを示していた。しかも、比較的少量しか食べなくても動物性食品は有害な影響を及ぼしていた。一方、植物性の食べものを最も多く摂取していた人々は、健康で慢性の病気から免れる傾向がはっきりと証明された。「人の健康には、動物性タンパク質が必要だ」という神話が、完全に崩壊してしまうような結果に、各業界が震撼した。
「肉、卵、牛乳などの動物たんぱくは、史上最悪の発ガン物質だった・・・」この結果から、同僚の研究者たちは食品業界からの猛反撃を恐れて、一斉に背を向けた。博士の他の共同執筆者は、博士の子息、トーマス・M・キャンベル一人だった。我々が知らねばならない「食」の世界の隠蔽の真実は、これら「マクガバン報告」と「チャイナ・スタディ」の封印によって成し遂げられたのである。こんな歴史があったことすら、我々には知らされていないのだ。“超情報化社会”と言われながら、実際はほとんどの人類は、“操作された情報”の「柵」の中で飼われている“家畜”にすぎないのである。家畜にはそれを抜け出す情報を与えないのが、世界支配の主の鉄則である。だが、時は我々にこの「柵」を自ら抜け出る契機を与えつつある。情報の封印の箍(たが)がはずれかけて来ているのだ。断食のずば抜けた効能や、不食の事実が表に出て来て、我々が信じ込んでいた「食」の世界を揺るがせている。今や、そこから我々自身が独自に情報を選び取り、よりよく生きるために実践する時期に達しているのだ。
【2014/4/3追記】ワールドフォーラム2010年6月の船瀬俊介氏による講演のダイジェスト版が
 2014(平成26)年04月02日(水)にYouTubeで公開されたので、ここへ追加掲載しておこう。船瀬俊介氏『 アメリカ食は早死にする!!』ダイジェスト版ワールドフォーラム2010年06月https://www.youtube.com/watch?v=w-7mT1f-ntY
『 クスリは飲んではいけない!? アメリカ食は早死にする 』薬剤医療と食産業の虚妄を鋭くえぐった新刊を著者が語る!
― ハンバーガー・フライドチキンはおやめなさい ―地球環境・医療問題評論家 船瀬俊介氏
◆「アメリカ型食生活は、まちがっていた!」『マクガバン報告』 (『マクガバン報告』―米上院栄養問題・特別委員会リポート 食源病―なぜ、西洋医学は現代病に無力になったのか )
◆動物たんぱくは、最大発ガン物質!―『チャイナ・スタディ』 の衝撃(大崩壊―ついに栄養学は完全崩壊した!正しく食べる―それが、あなたの命を救う(キャンベル博士))
◆ 偽りの栄養学―"栄養学の父"フォイトの深き罪(肉食を絶賛―「肉を食え!」「炭水化物は食うな」...の狂気:兵士と家畜―それは「戦場の栄養学」「肥育の栄養学」だ-つづく-
 https://martin310.exblog.jp/19588943/
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 先人の智慧・・・「断食療法(fasting)」の奇跡の効果
 2014-03-26 11:33 by martin310「食」の問題
「何も食べない」で「食」を断つことで、治療になるなんて考えれられない?
そう思う人も決して少なくはないだろう。
だが、断食療法は、洋の東西を問わず、古来から人類が行なってきた最も自然な医学療法で、特に、東洋に限らず西洋でも行われてきたことは意外に思うかもしれない。
英語で朝食のことを、“Breakfast”というが、“fast”とは「断食」のことだ。つまり、一晩寝ている間の「断食(“fast”)」を「破る(“Break”)」で、それが縮まって“Breakfast”(朝食)になった。
そこから断食療法を英語で“fasting”という。近年、改めて現代医学の薬物療法、手術療法、放射線療法では、命を救うどころか死亡率を高めている現実が取り沙汰されるにつけ、多くの人々がこの“三大療法”の危険な正体に気づきはじめている。人々は、生命の真理に沿った真実の治療法を求めているのだ。その代表格が断食療法なのである。ヨガでは、“万病を癒す妙法”として推奨されている。
自然の一部である人体は、自然のものだけを体内に摂り入れることを求めているが、現代の自然に背いている文明社会では、自然の法則にそぐわない異物を体内に摂り込むことが多くなる。すると自然の法則が壊され、身体は生命のリズムが狂い、調和を乱すことになる。最も大きな因子として働いているのが食物だ。「断食」の最大の目的は、この自然に背いた身体を、自然の身体が持つ本来の機能を使って浄化することである。断食は、食べ物を消化吸収する身体のとても大きなエネルギー(なんとフルマラソンを走破するほどのエネルギーを要するといわれている)を、食べないことですべて、治癒・排毒エネルギーに転換して、自然治癒力、免疫力、排毒力を飛躍的に強化する有効な仕組みなのである。
◆断食療法の目的◆断食療法の目的は以下のようになる。
1:内蔵器官の休養・・・食断ちで消化器や内臓器官を休ませる。
2:過剰栄養の排出・・・体内に脂肪などで蓄積された過剰栄養を排泄する。
3:毒物・老廃物の排出・・・「化学物質」「重金属」「医薬品」などを体外に排出する。
4:免疫力の増強・・・免疫力(白血球数)が飛躍的に増加する。
5:自然治癒力の増強・・・消化吸収エネルギーが回復治癒エネルギーに変換される。
6:生命力の増強・・・生体に備わっている潜在的な生命力の反発を呼ぶ。
◆断食療法のメカニズム◆では断食で、どうして身体はこのような働きをし出すのか、そのメカニズムを見ていこう。まず、断食によって食物の一切を断つことによって、身体には飢餓状態という大きなストレスが生じる。身体は、このストレスに対する反発力としてショック状態を引き起こす。断食は身体にとっては、このうえない迷惑な危険な仕打ちで、このまま放置したらたちまち死に追いやられると察知して、体内のあらゆる器官を総動員して、断食による飢餓状態に対して生命を守ろうと必死になってもがくのだ。「火事場の馬鹿力」という例えがあるが、これは人間が窮地に追い込まれた際、ときとして自分でも信じられないほどの力を発揮するという意味だ。これが我々の体内でも起きるわけだ。通常の食事を続けていると、後からの補給が期待できるので、吸収できる栄養分を排泄して少々逃がしてもかまわないが、断食では次の補給が期待できない。従って胃腸に入って来た食物は100%近く消化吸収して、それを身につけようと待ちかまえるようになる。このように、飢餓状態というストレスに対する反発力が、身体の仕組みを大きく変動させ、体質を変換する過程が、様々な病気や症状を治す力(治癒力)として現われるのである。
【断食による改善が期待できるもの】
 ・ダイエット効果
 ・アレルギーの病気(アトピー性皮膚炎・花粉症・気管支喘息)
 ・高脂血症、脂肪肝
 ・高血圧、動脈硬化
 ・脳卒中、心臓病
 ・糖尿病
 ・ウイルス性肝炎
 ・肝機能低下(鈍重肝臓)
 ・慢性胃炎
 ・関節リウマチ
 ・多発性硬化症、全身性エリテマトーデス、ベーチェット病
 ・慢性疲労症候群
 ・潰瘍性大腸炎
 ・心身症
 ・慢性胃炎、慢性腸炎、胃腸虚弱
 ・胃潰瘍、十二指腸潰瘍
 ・腰痛、肩こり、ひざの痛み
 ・冷え症
 ・妊娠中や産後のむくみ、妊娠性糖尿病
 ・ガン
 ・痴呆、老化予防と長寿など
◆半日断食からはじめよう◆断食とは本来、少なくとも三日以上の断食を行う「本断食」のことをいう。これには、断食に入る前に、あらかじめ何日間かの減食期間を設けて徐々に食事の量を減らしていき、その後に本断食に入る。この期間が最低でも三日間以上で、この間は水分以外には何もとらず、本断食を終えた後には少しずつ食事の量を増やす期間を設けてから終了となる。これには医師などの専門の指導者がいる施設でないと行えず、一般の人が自分ひとりで行うには不向きだ。そこで誰でもが、いちばん簡単で、かつ安全で、日常生活を送りながら行うことができる断食法が半日断食である。これには、午前中の断食、つまり朝食を抜く方法が最も理に適い、効果的である。
朝食を食べずに空腹の状態になれば、腸を活発に働かす“モチリン”というホルモンが分泌される。これは腸内容物の排泄を促進する消化管ホルモンで、午前中を空腹で過ごせば、それだけ排泄能力が活発化し、老廃物の排泄が促される。
逆に、朝食を摂りすぐの活動を続けることは、胃腸の働きを妨げ、活動を鈍らせることから消化不良から慢性的な胃腸障害を引き起こすことが多くなる。
朝は、前日の老廃物を体外へ完全に排泄する時間帯で、それから、昼と夜に栄養物を摂り入れるのが、天地の法則に適った物事の順序となる。「朝食はしっかり食べなさい」というのは、かなり欺瞞に満ちた情報である。
◆半日断食の基本(甲田式断食法)◆
1. 朝食を食べずに、午前中は水分のみをとる。 生水と柿の葉茶で、最低でも500ml以上を飲む。朝食抜きがつらい場合は、青汁(生野菜ジュース)を180ml飲む。市販のものでもよいが、できるだけ旬の野菜を使って手作りしたものを選ぶ。
2. 昼食と夕食の量はふだんより軽めにし、間食や夜食をしない。 朝食を抜いた分、昼と夜に多く食べてしまっては、半日断食の意味がなくなる。間食夜食がきっぱりやめられるかが鍵。
3. 水分は生水とか柿の葉茶で一日1.5~2リットルを目安にとる。 半日断食を行うと、食事からとる水分が少なくなるため充分に補う。
4. 慣れてきたら肉や乳製品を避け、油や刺激物も避ける。 慣れてきたら食事内容の見直しをする。理想的な半日断食のメニューは玄米菜食で、玄米を主食とし、海藻類、キノコ類、野菜を積極的にとるようにする。
◆一日断食◆先人の智慧・・・「断食療法(fasting)」の奇跡の効果_a0282620_11182594.jpg半日断食以外にも、家庭で手軽にでき、しかも安全で効果的方法に一日断食がある。一日断食とは、一週間のうちで一日だけ、液体のもの(水分)以外は一切何もとらない断食療法だ。これには、空腹感を少し満たすため、昆布と椎茸でだしをとった汁に醤油と黒砂糖を加えたすまし汁をとると快適に過ごせる。また、一日断食を実行すると体がむくむ人には、このすまし汁でむくみを防ぐことができる。断食を終えた後の食事のことを「復食」というが、これで胃腸に負担をかけないよう、梅干を一つ入れたおかゆをとることでもとの食事に戻ることができる。復食の際の食べ過ぎには注意が必要だ。半日断食と一日断食を併用すれば最強の健康法になる。- つづく -詳しくは、甲田光雄著 『軌跡が起こる半日断食』
 https://martin310.exblog.jp/19608976/
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「微食」と「不食」の人、その代表的3人のケースと体得したもの。
  2014-03-31 23:03 by martin310「食」の問題
●柴田 年彦(しばた としひこ)1944年、東京生まれ。東京農業大学農学部時代は、動物生態学を専攻。当時の体重は100キロを超える巨漢であった。研究を深めるうち、「生き物としての人間」の不自然さに気づき、マクロビオティック・玄米菜食などを取り入れつつ、独自の思索を開始する。実証を旨として、2007年5月30日から2008年5月29日にわたる「超低カロリー食」生活を展開。著書「ほとんど食べずに生きる人」でその成果を記し、各界を驚かせた。実験結果だけでなく、少食・微食により見えてきた新しい世界についても、その全容を明らかにしている。
◆「カロリー神話」洗脳への挑戦◆柴田氏が、一日わずか500キロカロリーの超低カロリーの「微食」で、一年間の人体実験をはじめたのは、食指導家として「マクロビオティック」の普及に積極的に携わっていたとき、“成人男子なら一日に2500キロカロリー、女性であれば2000キロカロリーを摂取しないと健康を維持できない”とする、いわゆる『カロリー神話』は間違っているのではないかと思ったことからという。メタボリック対策が進まない背景には、痩せることや、超低カロリー食への漠然とした不安があり、カロリーを減らして痩せれば健康になる、という認識がうすいことにあると、逆に、自分の身をもって「痩せれば元気になる」ということを証明しかったからだとして、この『カロリー神話』への挑戦をはじめた。近代栄養学では、人体(成人)の基礎代謝熱量を約1500キロカロリーと定義。この“常識”からいえば、柴田氏の身体は足りないカロリーを自らの脂肪や筋肉からまかなうため、どんどん痩せていき、最後は骨と皮になって餓死すると・・・。実際、ある運動生理学の医師からは、そんなことを続けるならば、四ヶ月後には死に至ると宣告されたそうだが、しかし、そうはならず、365日経っても餓死するどころか、健康レベルは格段に上がり、身体は引き締まり、肌の艶もよく、元気そのものになった。氏は、こうも述べている。体調がどんどんよくなり、体質が強化され、精神的な活性には驚かされた。痩せることで不健康になるどころか、逆に全身の細胞が甦り、人生が充実したと。食事内容が正しい超低カロリー食の「微食」によって、全身の潜在能力が引き出され、その力を利用すれば、自分自身の治癒が始まり、健康で元気になれるだけでなく、新しい可能性が開けると。
「引き算」の生き方革命を実践。超低カロリー食の実験をスタート。
 2007(平成19)年05月30日(水)開始(64歳、身長173cm、体重80キロ)
 ・貧血症状が出た1ヶ月目。
 ・1日中眠たかった2ヶ月目。
 ・「脱力感」など心身へ不安を感じた3ヶ月目。
 ・皮膚に不快な症状が出た4ヶ月目。
 ・皮膚から体質改善が始まった5ヶ月目。
 ・体質の変化を意識できた6ヶ月目。(ここから微食が心地良くなって来る)
 ・健康診断で異常が出ない7ヶ月目。
 ・客観的に健康を確認した8ヶ月目。
 ・歯周病まで治ってしまった9ヶ月目。(たまらない爽快感が出て来る)
 ・何かが変わってしまった10ヶ月目。
 ・体重増加策に転じた11ヶ月目。
 ・空腹感が心地よくなった12ヶ月目。
 2008(平成20)年05月29日(木)終了(体重57キロ)
 そして、柴田氏の到達した結論は――
●段階的に体重を落とせば、無理なく減量目標を達成できる。
●少食微食の食事内容(玄米菜食)でビタミン・ミネラルなど栄養素は不足しない。
●医学的検査でも異常値は出ない。
●1000キロカロリー以下という大幅に少ない摂取カロリーでも十分。(柴田氏は500キロカロリー)
●少食・微食には解毒や体質改善の効果がある。
●健康が増進し、五感が鋭くなり、脳が活性化し、やる気が横溢する。
●人間には「飢え」に対する適応力がある。
●人は食べなくても生きられる。
 2008/10/21『ほとんど食べずに生きる人―引き算の生き方革命』三五館 柴田年彦:著   
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●森 美智代(もり みちよ)1962年、東京都生まれ。短大卒業後、養護教諭として小学校勤務をしていた1984年に難病の脊髄小脳変性症を罹患。以来、西式・甲田療法に専念し、難病をみごと克服。その後、鍼灸師の資格を取得し、大阪市八尾市で鍼灸院を開業。現在、森鍼灸院院長。甲田光雄医師の著書でたびたび紹介されている「仙人2号」のMさんとしても知られる。本格的な断食・生菜食療法を実施してからすでに27年、1日青汁1杯のみの生活になってからは丸16年を超えている。鍼灸治療のほか、講演などでも活躍中。2010年秋公開のドキュメンタリー映画『不食の時代―愛と慈悲の少食』(白鳥哲監督)の主人公でもある。一日青汁一杯で生きる奇跡の人――で、森美智代さんはメディア的には最も有名な存在かもしれない。体験記の著作はもとより、映画化もされているので、断食療法や生菜食療法、少食などを検索していれば必ず探し当たる人でもある。そんな森さんは、最初から食べることを「やめた」わけではない。そこには、21歳で襲われた不治の難病「脊髄小脳変性症」との壮絶な体験があったのだ。「余命5年、現代医学では助からない」と宣告された森さんは、絶望の淵から藁をも掴む思いで、断食療法を実践指導する甲田光雄医師のもとを訪ねた。甲田医師は、「おなかにガスがたまっているのが原因。だから断食すれば治る」と告げた。かくしてそこから、玄米菜食、断食、生菜食、少食療法、西式健康法・・・などによる闘病が始まった。病状は一進一退を繰り返しながらも、次第に回復していった。そして、最後に甲田式「生菜食療法」を開始――1日青汁1杯のみの生活になってからは丸16年を超えている。
◆森さんの現在の食事(一日一食)
【青汁】キャベツ:30g レタス:30g シロナ:30g ホウレンソウ:30g チンゲンサイ:30g 水:200ml 塩:3g※これらをミキサーにかけ、網でこして飲む。
・柿の葉茶:1~1.5リットル(1日あたり)
・エビオス(整腸用):20錠
・スビレン(藻から精製した錠剤):20錠
・ビタミンC剤:1錠(1000mg)森さんが玄米生菜食療法で治療を始めた当初のカロリーは、一日900カロリーだった。従来の「近代栄養学」では、成人女性は2000キロカロリーが必要とされ、1200キロカロリーを切ると次第に痩せて衰弱し餓死に至る、が定説とされる。なんと森さんは、それより低い900キロカロリーの食事でも体重が増えるので、玄米粉を抜いて野菜のみし、650キロカロリーにしたものの、ランニングで10㎞も走れたという。それでも体重が増えるのでさらに減らし、最終的には青汁一杯(50~60キロカロリー)になり、16年が過ぎた。“カロリー神話”がまさに神話化された実証である。人は50キロカロリーの超低カロリーでも充分に元気に生きられるのである。但し、森さんのようなケースは、長い年月をこの療法に専心して次第に身体が適応していったものであることは、明記しておくべきことだ。
◆科学が証明した驚くべき消化吸収機能
・まるで牛のような腸内細菌 森さんの腸内細菌を調べると、人間離れして特殊な細菌が多く、種類とバランスも桁外れに特殊のようだ。まず、植物の繊維を分解してアミノ酸を作り出す菌の「クロスリジウム」は、一般の人の腸には0.1%程度のところ、森さんの腸にはそれより100倍近い9.8%もいたという。他にも「ユーバクテリア」などの植物の繊維を分解できる菌は、普通30%くらいのところ、森さんは約60%だった。つまり、森さんの腸内細菌の機能はまるで「人間離れして牛並み」に、青汁の中の食物繊維まで分解して、たんぱく質や脂肪を作り出し、普通はダイエットのためのヘルシーフードである青汁を、しっかり栄養源にしているということだ。森さんの腸内の細菌構成は、イモ類などの植物性食品しか食べない、パプアニューギニアの人たちに近いという。さらに、生菜食や少食実行者は、普通なら捨ててしまう尿素を再利用し、栄養源として使うという研究結果もある。
◆ブドウ糖不足をまかなうケトン体が「強陽性」◆身体は飢餓状態に陥ったとき、体内にエネルギー源がなかったり不足していると、その代用として脂肪酸やアミノ酸の代謝産物の「ケトン体」を多く出す。糖尿病の人などは、ケトン体が多いのは危険とするのだが、森さんの場合は不調はない。断食をすると2~3日でケトン体が増えることはわかっている。これは、ブドウ糖が不足・欠乏しているとき、ケトン体であるアセト酢酸やβ-ヒドロキシ酸が、脳のエネルギー源として使われているからだ。つまり、超少食実行者の糖質摂取量の不足は、脳のエネルギーの低下を起こすことなく、かえって頭が冴え、脳の働きが活発になるという報告は、逆にこのブドウ糖不足を補う機能として、ケトン体の存在があるということだ。身体には、非常時に実に優れたバックアップ機能が用意されているものだ。ひょっとすると、これは脳を通じた意識の覚醒には、「超少食」が大きな鍵になる可能性が高いのではないだろうか。逆に、現代が陥っている飽食の欲の充満した食生活は、脳の活性を落とし、よって意識の低迷化を招いている元凶かもしれないということだ。古今の霊的覚者が必ず断食行を取り入れていたのは、ある意味、この脳の覚醒の為の体内バックアップ機能をONにして、有効化するためのものだったかもしれない気がする。現に森さんは、野菜や人のオーラが見えるようになり、ヒーリング能力も飛躍的に高まり、遠隔治療さえ可能になっている。また、手が自分の意志とは別に勝手に文字を記録するいわゆる“自動書記”も起こっているという。身体の健康度も高く、疲れを知らない身体になり、睡眠は一日4時間で足りるようになったとも。
 2008/04/15『「食べること、やめました」―1日青汁1杯だけで元気に13年』マキノ出版 森 美智代:著
 2013/11/28『「食べない」生き方』サンマーク出版 森 美智代:著
 映像◆映画『不食の時代―愛と慈悲の少食』予告編(2分バージョン)http://www.youtube.com/watch?v=fsxug-12fz0
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●山田鷹夫(やまだ たかお)
「食う・寝る・やる」という人間の根源的欲求の真の姿形求め、自分をさらした実験に挑み続ける実践思想家。「当たり前」を破壊し、「常識」を疑うことで、人間の新しい可能性をメッセージしてきた。デビュー作『人は食べなくても生きられる』で提示した「不食」という概念は、広く日本中に知られ、多くの共感者を生んだ。1951年新潟県生まれ。身長173ンチ。体重63キロ。髪型はスキンヘッド。そのスキンヘッドで精悍な風貌からしてもユニークな山田氏は、「不食」に関する言説でも、実にユニークで刺激的なメッセージを体験から発信してくれる。自ら“実践思想家”を名乗るほど、当たり前という常識を覆して、真実の世界を開く道を提案する迫力ある人物だ。山田氏が不食の探求を始めたのは、新世紀に入った2001年の7月からだ。氏は、「断食」という用語に対して新しい概念の「不食」という用語を作り出した。これが今では広く行き渡り、「少食」「微食」「不食」という用語は既に市民権を得ている。氏は4年間の実践探求の末、不食のもたらす効用は以下のものと記した。
 01. 頭が冴える
 02. 身体が軽くなる
 03. やる気が出てくる
 04. 疲労が消える
 05. 病気・不調が消える
 06. 眠くならない
 07. 肌が柔らかくきれいになる
 08. 柔らかい身体になる
 09. 老化を遅らせることになる
 10.免疫力が高まる  氏は、さらに不食の次なる可能性を“疲れない身体をつくること”に向け、疲れない生き方は結果、老いない身体へとつながると述べている。それにはまず、
●不食で疲れない体質を作っておく●疲れない体質とは精妙な細胞を持った身体のことである。精妙体の細胞は疲れを持たない。
●心的な苦痛や痛みは物質化する●だが、不食体は、その細胞がない。肉体の疲労を疲労として身体に刻む細胞が疲労を感知しないのだ。疲労を素通りしてしまう。
●肉体疲労がなくなるから、疲労回復機能としての睡眠は不要になる●よって、眠ってもいい、眠らなくてもいい、そして、食べなければならないでもなく、食べてはならないでもなく、どちらでもいい自由な身体で、この地球生活を颯爽と渡っていくことだと言う。そして、「不食」の彼方にあるものは、・・・。一つには、人間存在は肉体がすべてではないということ。しかも、それを検証するのは、今までは頭を使うしかなかったが、不食が登場したことにより、誰もがそれを検証でき体験できるところまで辿り着いたということだ。それを教えてくれる指導者もいらず、自分の身体があればそれで不食を通して人間の真実を体験できる。二つめに不食の結果、必ずついてまわるのが、今までなかった超常的能力の発露だ。これは元来、その個人に密かに備わっていたものが、不食を通じて開発されて来たものであり、この授かっていた能力を生かす道が新たな人生を開いていくこともありうる。不食は今の段階では、人間存在が肉体のみでなく、無限の存在であるということを体験的に実証できる唯一のツールである。
 2004/10『人は食べなくても生きられる』三五館 山田鷹夫 著
 2006/06『不食実践ノート―食べずに暮らす人たちの記録』三五館 山田鷹夫 著 - つづく -
【話題作】「「食べない」ひとはなぜ若い? 空腹でオン!「長寿遺伝子」の驚異」を世界一わかりやすく要https://youtu.be/lkDgEd1MC4s
 https://martin310.exblog.jp/19628968/
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 一日1.2食を実践した我が少食・微食の1ヶ月報告・・・健康度アップと脳の冴え★
  2014-04-02 20:22 by martin310「食」の問題
 今までのこの「食」シリーズの記事で示したように、「少食・微食・不食」という目指すべき道は、まさに今このときに差し迫ってやって来ている自分にとっての大きな食生活への転換期であると捉えている。いや、食生活のみならず、生命活動全体を俄かに変えていく大きな切り替えポイントが到来していると思えるのだ。むろんこの目的のうちには、肉体は健康で疲労を防ぎ、老化をできるだけ緩和し、スリムな身体で活力に満ち、免疫力を高めて病を寄せ付けず、頭が冴え意識も澄明に、ハイパーな肉体のうちに未知なる能力を開花させ・・・など、様々な可能性を期待するところがあるが、指向する意思として最も注力するところは、今まで信じ込まされていた「食べなければならない」という、生命維持の為の「食」信仰と、食生活に掛ける経済や労力から解放され、極限的少量の食物補給で、充分、いや今まで以上にパワフルに生きていけるという超越的展開にある。「人は食べる為に働く」のが当然という、金稼ぎを自動的に強いられる、まるで鎧のような人の掟による重圧感、拘束感からいくらか解き放たれる自由度を獲得できることは、この上ない喜びである。もし至るところ、「微食」が日常化し、「不食」でもだいぶいける――というようなことになれた暁には、もう、人がよく口にする・・・・「食べていけない」などという御託を言う必要がまったくなくなるのだ。「食べなくていい」生活をエンジョイできるなら、自分や家族の「食いぶち」を是が非でも得なければなどという不文律はもう成り立たなくなる。(もちろん、家計のうちの食費に関してのみに限られることではあるが)だが、少なくとも、「食べていく」ためにがつがつする生き方はもう止めることができるのだ。これは凄いことではないか。しかも、「食べない生活」は、今も今後も医療費にかける経費を除外でき、体にいいといわれる食物や飲料や、薬品やサプリメントや、健康器具や運動道具や施設費やなにやらを考えに入れなくて済むのだ。より自然の中に身をおくかたちで、健康増進できるものを取り入れていけばいいのだ。しかも、安全無害な食物を手に入れるだけでも至難な時代に、極力食べ物はいらない生き方が可能というのは、まさに危険物質から我が身を安全圏に確保できる、まったく優れて理想的な方策といえよう。身体に入れる食物が少なければ少ないほど、知らないあいだに危険物質を取り込む頻度は減少する。よって命を苛むリスクは極小になる。一方、「食べなくていい人間」になることは、つまりは「食」を媒介にしたメジャー、世界の大資本の支配から抜け出すことも意味する。食品・嗜好物・エネルギー・医療・化学・保険・・・産業の国際寡頭勢力は、もちろんのこと、この人間が永久に消費していくであろう「食」の生み出す利権を掌握し、コントロールして来た、この尊大なイミテーションの洗脳による支配権グリッドから、「食べない」という行為によって簡単に抜け出すことができるのだ。生まれてこのかた、散々、毎日三度、三度、「食べなければ、食べなければ」と追いたてられて、知らぬうちに支配権を掌握されていたマトリックスを一枚、簡単に剥ぐことが可能なのだ。まったく血も涙も流すことなく、逆に、健康で活力に満ち、疲れず、眠りも少なく、自由に活動できる時間を倍増することができるなんて、どんなに凄いことだろう。これは確実に、実践した個々人から生まれる極小規模パラダイムシフトだ!と、まえがきや講釈がだいぶ長くなったが、そういうわけもあって、もうこの「少食」「(やや)微食」の生活に入って、早1ヶ月になろうとしている。今まで、関連書籍を読んで思い描いていた少食体験のもたらす効果が、少しずつではあるが実感できつつあるので、それも含めて個人的体験の推移を記しておこう。
【私の少食・微食体験経過】最初にはじめたのは、休みの日に行う「一日断食」からだった。これはそれほど苦にはならずにはじめられた。もっとも前日まで、普通に夜もけっこう満腹に食べていたので、少し胃腸の為にも食休みした方がいいとも思っていたくらいだったからだ。これが「一日断食」のメニュー。
 朝食>スイマグ・・・カップ1杯 ※“スイマグ”とは商品名で水酸化マグネシウムのこと。これを水に溶いて飲むと、断食時の宿便の排泄を促すなどの効果がある。
 昼食>シイタケとコンブのすまし汁・・・どんぶり1杯
 夕食>シイタケとコンブのすまし汁・・・どんぶり1杯
あいだに水分補給とビタミンC摂取のため生水と“柿の葉茶”を1日に1.5~2リットルを目安に飲む。
※これらの一日断食法は、もちろん甲田式断食療法(甲田光雄医師)による。『軌跡が起こる半日断食法』 甲田光雄著/マキノ出版
 シイタケとコンブのすまし汁は、甲田式のレシピどうりにつくっていたが、どうも自分的にはシイタケの味や香りばかりが濃厚で、夕食分にも同じものを飲むというのがちょっと辛くなり、シイタケをやめてコンブだけにして、しょう油と黒砂糖で味つけしたものに変えたりして工夫している。そして2週目からは、この「一日断食」をこなせた感じから、毎日の「半日断食」もやってみようと、朝食抜きを決行した。まったく抜きというのもなんなので、野菜の青泥と自家製豆乳ヨーグルトを摂ることに。
※青泥とは、生野菜(我が家では、レタス・コマツナ・キャベツ・プチベール・ラディッシュ・チンゲンサイ・ケール・ダイコン葉などのうち5種類)を水100ccと塩1.5gを入れ、ミキサーにかける。味つけにリンゴやレモン、ユズ、カボスなどを少量入れる)
※自家製ヨーグルトは、さっと洗った玄米と豆乳を“ヨーグルトメーカー”に入れて作る。ちなみにヨーグルトメーカーは、YAMAZENのYMR-9100を使っている。(超安い)さらに、3週目からは昼食も抜くことにする。これは仕事場でのことになるので、まわりの人には“もう昼は食わない”とあらかじめ宣言しておいた。やってみると、昼休みが実に暇になった。今までのように、食後の消化作用のあの眠さやだるさがまったくないので、午後は実に快調で疲れを知らなかった。ないしろ頭が一日中冴えているのがいい。昼食後、まったく休むことなく何かをやれる。効率もいい。空腹感はいつもあるが、日に日に慣れていくので、どうということもなくなる。ときにお腹が鳴ったりもするが、胃腸が健康な印と、しめしめ飢餓状態に別回路が働き出す期待感にうきうきする。とにかく身体が軽くなり、気分もいつも爽快な感じで快調だ。夕食だけは今までとは量を減らしているものの、しっかり食べられるので、最初に固形物を口にしたときの旨さとありがたさは格別なものがある。主なメニューは、主食が玄米粥で、ほかに目刺やシラス入り大根おろし、オカラや五目豆、豆腐など、かなりシンプルな健康食だ。もちろん、動物性たんぱくの肉や卵、牛乳などはなるべく摂らないようにしている。添加物の入った加工食品やジャンクフード、清涼飲料水などはいっさい口にしない。もともとよくないのがわかっていたので、敬遠する体勢はできていた。少食・微食を続けていると、自然と身体がナチュラルフードしか受けつけなくなる感じだ。食材の持つ自然で素朴な味が旨い!という感覚になる。そして、昼食のまったく抜きというのも、午後のあいだの空腹度が多少気になることから、途中からバナナ1本と市販の野菜ジュース(200cc)、それに発芽玄米の生米を25g 食べることにした。まあ、これだけの少量なので食事時間は5分とかからない。それでも、かなり満腹感を得て、夕飯までなんともなくなるから不思議だ。2週、3週と経つにつけ、今まで多少メタボなお腹は見事にすうびてペシャンコになり、身体についた脂肪はかなり消費され痩せてきた。ズボンのベルトも穴が内側に下がり、首も細くなり丸首シャツが多少ヨレヨレになった。このまま続けて4ヶ月あたりまで体重減が進み、5ヶ月目には上昇カーブに変じるらしいが、やや痩せが目立つので方針を少し変更し、毎日朝0.1食、昼0.1食、夕1食はそのままに、 休みの日の一日断食は休止し、同じ一日1.2食を続けるようにしたところ、痩せ方は止まったようだ。このペースで様子をみながら、また改良していこうと思っている。休日は朝0.1食でも、一日庭仕事をしていられる。かなり疲労はしても、時間が経つと回復してしまう。今までは筋肉痛が翌日まで続いたが、それがない。気がつくと、もう違う作業をしている。やはり、身体の疲労回復のサイクルは数段早まった感じだ。それに、PCのモニタを見続けることが多く、本の文字を追うこともあり、さらに運転など、かなり眼の疲労度も高かったが、これもほとんど一日休めることなくいられるようになった。さらに、肌のすべすべ感は驚くほどにきれいになった。剃刀負けでかなり荒れていたところが、まったくツルツルで手触り最高に変わった。はじめて1ヶ月で体感できるのだから、女性なら痩身と美肌には最適な健康法なのではないだろうか。連れ合いは同じように続けていたが、やや痩せ方が目立つので、昼食を普通のレベルの量に変えて体重の減少を緩和させているところだ。人によっては身体の痩せ度の高いこともあるので、そのあたりは個々に調整する必要があると思う。いずれにせよ、今のところ健康度は以前より増していることは確かであり、食費にしても食品の数や量も減っているので、相対的には安価になっている感じだ。なにより調理時間は圧倒的に短くなったようだ。朝食用の青泥に使う野菜は、これから庭のキッチンガーデンでできたものを使おうと、4種類の野菜の種蒔きも済んで、既に芽が出はじめている。わずかなスペースしかないので、収穫期の時期にしか食材の足しにはならないが、野菜まで自家製にできるのは実によろこばしいものだ。「食」のミニマム化の実践は、今後まだまだ続く。
 https://martin310.exblog.jp/19635887/

 

 

 

 削除動画◆氷室京介「最近俺の一番気に入ってる曲なんだけど、悲しい悲しい歌」https://youtu.be/CjAU-N6HHX8
‡1983(昭和58)年10月02日 柏クレイジーホース

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 ┃『ノンフィクションW デヴィッド・ボウイの愛した京都』┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
†2026(令和八)年10月02日(金)まで配信
 製作年:2016(平成28)年 67分 (C) Photo by Sukita
  出演:鋤田正義 山本寛斎 高橋靖子他
 ドキュメンタリー/教養 ノンフィクションW “デヴィッド・ボウイ逝去”の衝撃報道から1年。世界が知らないボウイの創造の源泉が京都に?!いま時空を超えてロンドン、ベルリンと京都がつながる…。
 1971(昭和46)年04月01日(木) 読者に伝えてくれ 僕が社会から反発されても判断するのは君たちだと
‡1972(昭和47)年10月 僕がさらに怖れているのは 消えゆく時代に 人々がしがみついていることだ
 1973(昭和48)年01月17日(水) 僕は極限状態を生きるのを楽しんでいる その興奮こそが必要なんだ
 1973(昭和48)年04月 常に新しいことをやっていたい 自分自身のやることに新鮮味がなくなるのは嫌なんだ
 1973(昭和48)年04月19日(木) コンサートの合間に訪れた京都 その日本の古都見たで満開の桜は見事だった 
 1974(昭和49)年01月 ジギー・スターダストは強烈なキャラクターだった
 1974(昭和49)年01月 ヤツを捨てたつもりだったが・・・どうかな?
 1975(昭和50)年 アメリカに行って本物のドラッグと出会った
 1975(昭和50)年 でも それは全くの失敗だった
 1976(昭和51)年09月06日(月)“ボウイのあるべき姿”なんて存在しない“ボウイ”はレゴみたいなものさ
 1976(昭和51)年09月06日(月)“デヴィッド・ボウイ”を定義することはできない
 1980(昭和55)年04月17日(木) 0:50:12 編集:遠藤 宝酒造CM 「純」 ピアノ編
  出演/音楽:デヴィッド・ボウイ NO.9388 30秒 カラー原版 TDEX
 1977(昭和52)年10月29日(土) 僕は今を ただ受け入れるだけだ 哀れみの中に救済があるといいが
 1977(昭和52)年10月29日(土) アルバム“HEROES”から哀れみの心を感じ取ってくれることを願う
 https://wod.wowow.co.jp/content/028934
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 ┃ボウイと歩いた京都1980年 追憶の旅 電話ボックスと路地┃
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 2021(令和三)年04月13日(火) Text by 樺山聡
 デビッド・ボウイが京都に暮らすかのような1日はどのように演出されたのか。写真家・鋤田正義さん(82)が
 1980(昭和55)年03月29日(土)に撮影した写真の場所を歩いた。
■電話ボックスは三条通沿いに■「ボウイの写真ねえ。何かで見たことあるわ。あの電話ボックスは、この先にあったんですよ」京都市営地下鉄の東山駅近くの三条通沿いで大正初期から営業を続けるという電器店「丹電機工業所」で店主(70)が語った。鋤田さんが80年にボウイと京都の街を巡って撮影した写真の中でも特に印象的なのは、道ばたの電話ボックスでボウイがたばこをくわえたまま受話器片手に誰かと話しているかのような白黒写真。浮世離れした美しい立ち姿でありながら、長年京都に住んでいるかのように風景に溶け込んでいる1枚だ。ボウイの向こうには、立ち話をしている女性2人。その頭上に看板が見える。「中出洋服店」。当時の住宅地図で確認して現地を訪れたが、その看板は見当たらない。「中出さんは隣。だいぶ昔に閉めはった」。当時、三条通上を走っていた京阪電車ものちに地下鉄になり、一帯にはマンションが増えたという。京都の美術館「えき」KYOTOで4月3日に始まった「時間~TIME BOWIE×KYOTO×SUKITA 鋤田正義写真展」では、鋤田さんが80年に撮影した京都でのボウイの写真とともに、現在のその場所を鋤田さんが再訪して撮った写真もあわせて展示されている。電話ボックスがあった場所の写真もある。「ありきたりの京都ではなく、普通の風景の中で撮ろうと、まずは三条通の電話ボックスから撮り始めた記憶がある」。写真展にあわせて会場を訪れた鋤田さんは当時を振り返った。
 写真◆ボウイが使った電話ボックスのあった場所cSukita
 鋤田さんによると、撮影はボウイが宿泊していた部屋から始まった。和室で浴衣姿のボウイが捉えられている。「いつの間にか記憶も薄れ、最近まで(ボウイの定宿だった)俵屋旅館だと思い込んでいた」と鋤田さんは明かす。
■「ボウイと歩いた京都」を体感するツアーを開催します。https://the.kyoto/article/Bowie-tour2
■撮影開始は都ホテルの部屋■今回の写真展にあわせて主催者が調べたところ、浴衣の柄などから三条通沿いにある都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)であることが判明したという。ボウイが来日のたびに足を運んだ東洋美術家ディヴィッド・キッドの邸宅「桃源洞」があった九条山のすぐそばにあるホテルだ。
「ボウイの運転で、彼のマネジャーとスタイリストのヤッコ(高橋靖子)と一緒に同乗して撮影に出かけた」。ホテルから三条通を西に向かい、その途中で車を止めて電話ボックスで撮影した流れが見えてきた。
「電話ボックスでいい感じだとなって、そのまま古川町商店街に足を運んだんだと思う」そこで撮られたのが、これもまたファンの間では有名な、商店街でゴボウをうなぎで巻いた「八幡巻」を買うボウイの姿だった。「当時はまだボウイも若い学生ぐらいにしか知られていなかったようで、サインを求める人もいなかった」
 写真◆うなぎ店「野田屋」で買い物をするボウイ
 残念ながらボウイが買い物をしたうなぎ店「野田屋」は2018年に閉店したという。周辺もシャッターを下ろした店が目立つ。
 写真◆現在の古川町商店街 (C)Sukita
 撮影では、京都の台所と言われる錦市場にも足を伸ばしたという。今回の写真展のために当時の撮影場所の確定で最も難航したのが、いかにも京都らしい細い路地で撮影した写真だったという。「決め手になったのが、わずかに背景に写った丸窓だった」と写真展のプロデューサーを務めた立川直樹さん(72)は語る。
■路地は祇園の小袖小路■その場所は、古川町商店街から少し場所を移した祇園で、観光名所とした知られる石畳の花見小路通から入った「小袖小路」であることが分かった。確かに今も、当時の写真に写った丸窓が残っていた。
 写真◆Photo by 樺山聡
「京都では変わらないものが確実にある一方で、やはり人間の生活は変化していることを実感した」
 写真◆現在の小袖小路 Photo by 樺山聡
 鋤田さんはそう語る。ボウイがこの世を去って5年。まるで京都で暮らすかのような1日が演出されたボウイと鋤田さんの旅は、古都に流れる時の重みを見る者に突きつける。「当時はフィルムの時代で、モノクロが多い。あらためて今回撮影した写真は、意識して色を上げて鮮やかにした。昔と今。その対比を味わってほしい」
 #鋤田正義写真展開催中 #京都市 #デビッド・ボウイ #鋤田正義 #九条山 #ディヴィッド・キッド #古川町商店街 #電話ボックス #1980年
 https://the.kyoto/article/bowie-sukita-walk

 ekie広島店限定「ブルーベリーチーズタルト」
‡2019(令和元)年10月02日(水) 広島駅北口にオープンしたekie KITCHENの中に出来たお店ですでにある広島駅南口のお店と合わせて南北両方の入口にお店が出来たことになります。広島駅南口にあるASSE広島店の限定では「瀬戸内レモンチーズタルト」があるようですがこちらのekie広島店の限定で「ブルーベリーチーズタルト」がありましたのでこちらを買って帰りました。焼きたてでは「サクッ、フワ」を味わえるようですが冷蔵庫で冷やすとずっしりとしたレアチーズケーキのようになるようですし冷凍するとチーズアイスのようになりオーブントースターで少し温めると焼きたての食感が味わえるようです。ここら辺は好みもあると思いますがやはり焼きたてを味わうのが一番でしょうね、こちらにはイートインスペースがありますのでそちらで食べる事が出来ます。私は持ち帰りにして冷蔵庫で冷やして食べました。食べてみるとタルトは冷たくしているのでしっかりとしていてしっかり甘いレアチーズケーキのような感じでした。
 https://tabelog.com/hiroshima/A3401/A340121/34026304/dtlrvwlst/B420217262

 映像◆闘魂シリーズ
‡1975(昭和50)年10月02日 大阪府立体育会館 NWA北米タッグ選手権試合
 ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ VS アントニオ猪木&坂口征二
 https://njpwworld.com/p/s_series_00010_1_1

 

 

「日本の未来」みんなで護る必ず防ぐ2023 申込み
‡2022(令和四)年10月02日(金) 14時~(開場13:30)広島県呉市 広市民センター(広島県呉市広古新開2丁目1-3)で開催される講演会の申し込みフォームです。
 講師は「ごぼうの党」代表 奥野卓志氏、「自然共生党」谷本誠一氏
 参加費は1000円で10月2日現金払いのみの対応になっております。
 お問合せは info.shinjitsu.kure@gmail.com まで
 広市民センター駐車場について ⇒ 広市民センター駐車場がご利用頂けます。当日は別フロアーにてPCR接種会場も設置されておりますので、できるだけ公共交通機関をご利用頂くか、広市民センター裏の下記地図の中国労災病院駐車場もご利用いただけます。
 講演会後、懇親会は広ステーションホテル( 広島県呉市広中町4)にて行います。そのまま広ステーションホテルにて宿泊をお考えの方はこちらでご確認ください。http://www.hiro-station.co.jp/hsh/index.html
 広ステーションホテル駐車場について ⇒ 広ステーションホテル横P1と下記地図のP2~P4までございますのでこちらをご利用ください。
 懇親会は定員に達しました。ありがとうございます。
 https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfUPVwdOm6aKb1eMNgGIMv8IhhzUulwurgldfJniSqD36zLGA/viewform

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