過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


 映像◆『The Beatles: GetBack』The Rooftop Concert in IMAX https://youtu.be/xXNv9CwrAOk
 
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 映画『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』公開劇場でCDを買うと『レット・イット・ビー/ゲット・バック』両面ジャケット・ポスターが特典に
‡2022(令和四)年02月08日(火)
 映画『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』のIMAX劇場での公開は明日から今週いっぱいの5日間限定! そして公開劇場でCDを買うと『レット・イット・ビー/ゲット・バック』両面ジャケット・ポスターが特典になるようです。ぜひ劇場へ!
 映画『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』公開劇場でCDを買うと『レット・イット・ビー/ゲット・バック』両面ジャケット・ポスターが特典に。ザ・ビートルズの最後のライヴとなった “ルーフトップ・コンサート” をとらえた65分の長編映画『ザ・ビートルズ Get Back:ルーフトップ・コンサート』が2月9日(水)から2月13日(日)までの計5日間、全国39か所のIMAXR シアター限定で公開されるのに合わせて、劇場の売店でザ・ビートルズ『レット・イット・ビー』〈スペシャル・エディション〉のCDを購入すると、『レット・イット・ビー/ゲット・バック』両面ジャケット・ポスターが購入特典としてつくことが決定した。特典付き対象劇場は全国22館となる(対象劇場のリストは以下に掲載)。『レット・イット・ビー』は、1970年5月8日に発売されたザ・ビートルズの最後のアルバム。『ゲット・バック』は1969年1に行なわれた「ゲット・バック・セッション」で演奏された楽曲を収録して発売される予定だったが、最終的に未発売となったもので、2021年10月に発売された『レット・イット・ビー』〈スペシャル・エディション〉には、『ゲット・バック』のステレオLPミックスが収録されて話題となっていた。また『ザ・ビートルズGet Back:ルーフトップ・コンサート』公開劇場にて、ディズニー・プラスで独占配信中の『ザ・ビートルズ:Get Back』の公式告知ポスターと、そのライヴの模様を撮影した写真で作成された公式ポスター(いずれもB2サイズ)の2種類のポスターが映画公開の5日間限定で、発売されることも発表となった(映画が公開される全39館の映画館で販売)。
■期間■
 2022(令和四)年02月09日(水)から
‡2022(令和四)年02月10日(木)
 2022(令和四)年02月11日(金)
 2022(令和四)年02月12日(土)
 2022(令和四)年02月13日(日)までの計5日間
■劇場特典詳細■
『レット・イット・ビー/ゲット・バック』両面ジャケット・ポスター
・イメージ:添付の2枚のジャケット写真
・サイズ:30cm x 30cm *数に限りがありますので、なくなり次第終了となります。
■対象商品■
・『レット・イット・ビー』スペシャル・エディション スーパー・デラックス・エディション 5CD+1ブルーレイ 商品番号:UICY-79760
・『レット・イット・ビー』スペシャル・エディション 2CDエディション 商品番号:UICY-16030/31
・『レット・イット・ビー』スペシャル・エディション 1CDエディション 商品番号:UICY-16032
■特典付き対象劇場・全国22館■
 ユナイテッド・シネマ札幌
 109シネマ菖蒲
 ユナイテッド・シネマ浦和
 ユナイテッド・シネマテラスモール松戸
 ユナイテッド・シネマとしまえん
 109シネマ木場
 T・ジョイPRINCE品川
 109シネマズ二子玉川
 109シネマズグランベリーパーク
 109シネマズ川崎
 横浜ブルク13
 109シネマズ湘南
 ユナイテッド・シネマ豊橋18
 イオンシネマ大高
 109シネマズ名古屋
 109シネマズ大阪エキスポシティ
 109シネマズ箕面
 ユナイテッド・シネマ岸和田
 広島バルト11【IMAX】19:00~20:15 シアター10
 シネマサンシャイン衣山
 ユナイテッド・シネマキャナルシティ13
 ユナイテッド・シネマPARCO CITY 浦添
■劇場販売ポスター情報■
・The Beatles Get Back B2 Poster (USZZ-15487) 1,650円(税込)*商品画像添付 縦728mm x 横515mm 用紙:コート135kg、つやアリグロスニス表面仕上げ
・The Beatles Rooftop Concert B2 Poster (USZZ-15508) 1,650円(税込) *商品画像添付 縦728mm x 横515mm 用紙:コート135kg、つやアリグロスニス表面仕上げ
 https://www.musiclifeclub.com/news/20220208_04.html
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 ┃『THE BEATLES GET BACK』┃
 ┗━━━━━━━━━━━━┛Disney+
 2021(令和三)年11月25日(thu) Part 1: Days 1?7
 2021(令和三)年11月26日(fri) Part 2: Days 8?16
 2021(令和三)年11月27日(sat) Part 3: Days 17?22
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles:_Get_Back
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■『ザ・ビートルズ:Get Back』伝説の復活に、熱いコメントが続々!※敬称略
 ピーター・バラカン(ブロードキャスター/ラジオDJ)『Let It Be』というアルバムが1970年にイギリスで発売された時、デビューの時から、ずっとリアルタイムで聴いていた、かなりのビートルズファンでした。ただ解散が決まっていて、なんとなくシラけたムードの中だったので、正直言って、そんなに好きなアルバムではなかったです。今回の『ザ・ビートルズ:Get Back』は予告編を観ましたが、「え、こんなに違うのか!」ってびっくりする程です。トーンも明るいし、なんか冗談を飛ばしあっているような雰囲気で、あのアルバムがどのようにして出来上がっていったのかを覗かせてもらえるというだけでも、ワクワクしてきます!
 和田唱(TRICERATOPS)予告編を何度見たか!伝説のGET BACKセッションが、こんな綺麗な映像で、全世界の人間が平等に見たことのない未公開シーンだらけの作品として、6時間にも渡って公開される。演奏シーン満載の密着ドキュメントを6時間!ビートルズの活動期間中も解散後の50年間も、こんなこと一度もないのだ。こういう大プレゼントをタイムカプセルに入れておいてくれたビートルズ....やっぱりすごい。皆さん、共にじっくり味わいましょう!
 真島昌利(ザ・クロマニヨンズ)映画「Let It Be」には秋から冬の寒さを感じましたが、この映画「Get Back」からは春の匂いを感じます。ジョンもポールもジョージもリンゴも楽しそうでよかった、よかった。どんどはれ。
 武部聡志(音楽プロデューサー)成功を収めたバンドが、解散ムードが漂う不穏な感じかと思いきや和気あいあいとした雰囲気で、最後に向かっていくとは思えない輝きを感じました。このドキュメンタリーを見ると「Let It Be」にしても「Get Back」にしても曲の持つ意味がちょっと違う感じで聴こえてくる。そして、彼らの名曲は今でも色褪せず、若いミュージシャンに影響を与え続けていることに改めて感心しました。素晴らしいドキュメンタリー作品です。
 松尾 レミ(GLIM SPANKY)(ミュージシャン)まるで同じ空間にいるかの様な、部屋の隅から覗き見しているかの様な距離の近さと鮮やかな映像に、ファン心が掻き立てられます。素の表情、リアルなレコーディング風景、素敵なファッションなど、至る所に魅力が溢れていて早く見たすぎる!
 安田顕(俳優)世界中で公開された世界一のバンドの映画が正式に観られなくなってからどれ程の月日が経ったんでしょう。彼らがいた、あの日あの場所へ、共に戻れるこの日が、遂に来ました。ずっと観たかったあの時の彼ら。誰も観たことのない素顔の彼ら。伝説の真実。お腹いっぱい、いただきます。
 糸井重里(「ほぼ日」代表)ピーター・ジャクソン監督の「予告篇」を見たとき、想像してなかった明るさにうれしい驚きがあった。映画『Let it be』は沈鬱で、これじゃ解散してもしょうがないと納得できるような内容だったからだ。しかし、どうやらそういうものではなかったようだ。とにかく、これは「バンド」だ!
 山田貴洋(ASIAN KUNG-FU GENERATION)(ミュージシャン)解散後に知ったビートルズの音楽は、彼らが実在してたかどうかすら朧げなままでも、少年時代の自分を虜にしていきました。数十年経ち情報量も技術も目まぐるしく発達した現代、時を超えてここまで鮮明かつリアルなドキュメントと生々しい演奏を体感できるのはまさに夢のよう。そして、これからの世代にも新たな影響を及ぼしていくことでしょう。この先、永遠に語り継がれる伝説を我々は目の当たりにしているのかもしれません。
 藤原さくら(シンガーソングライター)既に何度も何度も予告動画を見てます。わたしがイメージしていた後期のビートルズより、もっとずっと、皆でふざけ合い笑いながら音楽を作っていたんだなぁ。あの時代の些細なやりとりが綺麗な映像で見れることも感激ですし、ジョンとポールが手を取ってダンスするシーンにはホロっと来ました…。もう待ち切れません!
 リリー・フランキー(イラストレーター)あの時期にあのメンバーが屋上に集まっての最後の演奏になったライブを含む、未公開の映像がこれだけ大量な物量で出てくるというのは、本当にこれが最後だ 思いますし、ピーター・ジャクソン監督が、また新たにエディットしたということで、これは映画としても、大変すばらしい作品になっていると思います。ひとつの音楽、ひとつの世界を変えたグループの、最後の伝説の映像を、皆様に観ていただきたいと思っています。
 YO-KING(真心ブラザーズ)(ミュージシャン)全部観れてるわけじゃないけど、メンバーが楽しそうでいい。なんか、レットイットビーって暗い印象があるから。解散間近でバラバラでみたいな。例のポールとジョージの揉めてる場面とか。レコーディングって楽しくなきゃね!いいもの作るのは二の次で、その時間を味わって楽しむことを心掛けるのが、大事だと個人的には思っている。かえって、その方がいいものができる。そんな感じがふと伝わってきて、嬉しかった。
 浦沢直樹(漫画家/ミュージシャン)'70年公開の映画「Let It Be」を観た時、その険悪な雰囲気、倦怠感に、ビートルズも普通のバンドだったのか、と思ったものです。だけど、今回の明るく、創造性に溢れたビートルズを捉えた「Get Back」を観たら、まったく逆の意味で普通のバンドだったんだ!と嬉しくなりました。ただひたすら音楽が大好きな若者たちが集まった普通のバンド、ただしそれは人類史上最高にイカしたバンドだった、ということで全然普通ではないのは当たり前なんですが。今回、大量の映像と鮮明さが、伝説のベールを剥がし、本当のビートルズを観せてくれます。これを観たらまた、世界中にバンドがたくさん誕生しますね!
 PUFFY(アーティスト)音があんなに前のものなのに、なんであんなに良いのだろうっていう驚きと、映像が本当に奇麗。ああいう風に、今となってはすごいレジェンダリーなバンドのレコーディング風景を映像に残しておいてもらって、よかったなって思うし、私たちもこれから思い出を残したいと思います。当時のあの雰囲気をそのまま知れる映画だなと思いましたので、是非みんなで見よう!
 はっとり(マカロニえんぴつ)「ジョン!帰ってこいよ!」ポールがそう込めたGet Back。ビートルズが最後にもう一度 “バンド” になったアルバムLet It Beレコーディング。予告編・先行映像からすでに釘付けです…。しかも監督は大好きなロード・オブ・ザ・リングのピータージャクソン!ワクワクが止まらないッ。
 中川絵美里(フリーアナウンサー)当時を再現した新作映画のような本当に綺麗で鮮明な映像で驚きました。私にとってビートルズは伝説的な偉大すぎるロックバンドで現実味がなかったんですが、動いている彼らを拝見できて本当に存在していたんだなと改めて実感できました。往年のビートルズファンの皆さんにとっては、思い描いていた、知っていたビートルズの歴史が変わってしまうかもしれない、それぐらいの新発見がきっとあると思いますし、ビートルズに詳しくないという方にも、新鮮な気持ちで6時間楽しむことができると思います。
 ハマ・オカモト(OKAMOTO’S)信じられないぐらいの映像や音や色で、とてもあの時代のものとは思えないような蘇り方をして本当にビックリしました。本の中で読んだ世界を鮮明な映像で見られて、“こんな日が来るのか”と思っていますし、ワクワクする内容で本当に楽しみにしておりました。本当に素晴らしい技術で、蘇るべくして蘇った映像たちだと思うので、みなさんもぜひ楽しんでいただければなと思います。
 亀本 寛貴(GLIM SPANKY)(ミュージシャン)後期の彼らのバンドらしい姿を多くは見たことがなかったのでとても貴重な内容ですし、予告映像だけでもライブ演奏の生々しさはやはり別格に感じました。6時間全く目と耳が離せない内容なんじゃないかなという気がします!50年以上経ってもこうしてまだまだ彼らの音楽にインスピレーションを受けて、新しい音楽が生まれてくる機会があると思うととてもワクワクします!
■感動と絶賛コメントが到着!※敬称略
 宮永正隆(金沢大学オープンアカデミー ビートルズ大学学長・音楽評論家)どの場面も情報や意図が満載だ。字幕を日本語と英語と切り替えながら観てしまい、なかなか観終わらない。「こんな事が起きたらいいけど、夢のまた夢」という事をやった、このべらぼうさこそビートルズ。もはや第一世代も解散後の世代もない。我々はビートルズ年表の更新に立ち会えた幸運な世代である。実現させた配給元にも拍手喝采だ。「ビートルズとディズニーの夢の顔合わせ」とはこういう事か。胸が熱くなる。
 山崎洋一郎(ロッキング・オン編集長)3篇で計6時間に及ぶ完璧なドキュメンタリー作品。これ以上にリアルなビートルズ・ドキュメントはあり得ないだろう。膨大な未公開の映像と、現在の優れたデジタルレストア技術は、まるで身近な物語のような温度感でビートルズの真実を僕らに見せてくれた。4人が、4人それぞれの誠実さで最後までビートルズであろうとする姿が胸を打つ。ピーター・ジャクソン監督に拍手を。
 曽我部恵一(ミュージシャン)ロックはじめアートのすごいところは、受け手に「自分もなにかやってみよう!」と思わせること。ここにいるビートルズはぼくにまた「オレもなにかやらなきゃ!」と奮い立たせてくれた。ありがとう、ビートルズ。最高のクリスマスプレゼントだ。
 藤本国彦(字幕監修担当者)半世紀以上も前に解散したのに、なぜ未だに現役感があり、魅力を全く失わないのか?お茶目なジョンや、真面目なポールや、無邪気なジョージや、寝ているリンゴなどを眺めているだけでも幸せになれるこの究極のドキュメンタリー作品に、その答えがあると実感しました。ビートルズを知らない若い方にもぜひ観てほしい。強くそう願っています。
 SUGIZO(ミュージシャン)半世紀前の伝説の時が信じられないほど美しくレストアされた映像で蘇った!これほどジョン、ポール、ジョージ、リンゴをリアルに感じるのは初めてだ。ノーカット版ルーフトップ・コンサートの存在は、もう奇跡と言っていいと思う。この映画は涙モノの至上の喜びだ!
 立川直樹(プロデューサー/ディレクター)映画というメディアの魔法によって僕達は1969年1月のロンドンに飛んでいける。名声と富を手にした男がロック・ミュージシャンとして交わす会話と演奏は本当に興味深く、それを短く編集しなかったことで、本当に伝説のセッションを覗き見しているような感じで楽しめ、たくさんの発見ができる。ヨタ話と名言が次々と飛び出し、驚きのカバー曲も…。でもこの時ジョンがまだ28歳だったことを考えると、それも当然か。「僕らはバンドだ」というポールの言葉が全てを表している。
 佐橋佳幸(ミュージシャン)大志と野心を抱いて、そして何より自分たちの音楽のチカラを信じて世界に躍り出た20代の若者たちの夢が、少しずつ綻びを帯びていく様を、新たな視点で描いたこの作品に触れ、涙を禁じ得ませんでした。まさに「Band On The Run」。創造の神に後押しされるかの如く、背水の陣ながら新たな作品を生み出していく彼らの情熱と葛藤が、見事に描かれたドキュメンタリー。
 佐藤竹善(ミュージシャン)中一の時、青森の名画座で観たLet It Beの映画はとてもとても悲しかった。大ファンになったばかりの13歳のぼくには、あまりに酷な寂しい終焉のドラマだった。でも!実際はこんなにハッピーな瞬間にも満ちた時だったんじゃないか!アルバムLet It Beはこの歳になって、ぼくの中でまたまた色を変えた。
 SETA(シンガーソングライター/クリエイター)あの名曲が録音された瞬間に。あの伝説の屋上ライブに。まるであの日あの場所にいたかのような体験ができる作品。世界中の人達が知っている数々の名曲を生み出したそのパワーと魂に鳥肌が止まりませんでした。最新技術で、より鮮明になった映像と音の迫力にも驚きました。ビートルズのディープなファンに、ライトなファンに、観る人全てに、元気と勇気が届くと思います。
 https://disneyplus.disney.co.jp/program/thebeatles.html.html
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 ビートルズ映画『Get Back』の12時間版を! ディズニーにネットで要望続々
 2022(令和四)年02月07日(月) 17:00 石井節子 FORBES JAPANウェブ編集部 エディター
 ビートルズの「最後のライヴパフォーマンス」までの日々を追った記録映画「ザ・ビートルズ: Get Back」が昨年11月、Disney+(ディズニープラス)で「全3話・計6時間独占配信」され、ビートルズファンの間で大きな話題となった。この作品は、かつて1970年に公開された映画「レット・イット・ビー」(マイケル・リンゼイ=ホッグ監督)のために撮影された素材のなかから、「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン監督が3年間をかけて映像をリストアし、編集したもの。映像のなかには長らく封印されていた約60時間の未公開映像も含まれただけに、配信時のファンの熱狂は推して知るべしである。
■最後のライヴまでの克明記録■作品のクライマックスは、
 1969(昭和44)年01月30日(木)、ファンにとっては「聖地」ともいえる場所、ロンドンのサビル・ロウにあったアップル・コア(アップル・レコードを含むビートルズが設立した会社)社の屋上での、予告なしゲリラライヴの模様だ。この日の歴史的ライヴ「ルーフトップ・コンサート」は、事実上ビートルズの最後のライヴ・パフォー??マンスとなった。「ザ・ビートルズ: Get Back」にはそのライヴ画像はもちろん、新年から始まりその当日までのスタジオでの様子が「実録」の形で生々しく残されている。なによりも、カメラが捉えたビートルズの4人の表情から伝わる情報の質と量が圧倒的だ。また、この映画はビートルズとして最後に発表したアルバム(最後に録音されたのは「アビー・ロード」で、こちらが先に発表されている)「レット・イット・ビー」収録までの3週間も収められており、アルバム用の曲をつくって演奏もしなければならないという彼らのプレッシャーがうかがい知れる。「ゲリラライヴ」が決まるまでの苦悩や緊張が伝わる生々しい会話も残された、貴重な記録なのである。
■「Change.org」でファンたちが──■この映画の「配信のみ」という公開方法に多くのファンが不服を申し立てた結果でもあるのか、実はこの
‡2022(令和四)年02月09日(水)~13日(日)の5日間限定でIMAX上映が決定された。実は、ファンたちの「配信だけとは納得いかない」気持ちは、キャンペーン・サイト「Change.org」を通してある種のムーブメントとなって伝わっていった。「Change.org」は世界196カ国の4億人超が、発信者あるいは賛同者として参加する国際的なオープン・プラットフォームだ。そして目下、さらに同じ「Change.org」で、「全3話・計6時間」では飽き足らない熱烈なビートルズ・ファンの1人であるマーティン・ゲリーが、Disney+を運営するディズニーに対して、12時間のエクステンデッドディレクターズカット(ブルーレイ・4K ブルーレイ・DVD)のリリースを訴えるページを立ち上げた。すでに「投票」が続々と進行中で、本稿執筆の時点で4500人超が「賛同」している。12時間におよぶブルーレイディスクのリリースを果たしてディズニーは承諾するのか。見守りたいところだ。
 https://forbesjapan.com/articles/detail/45718?
 https://news.yahoo.co.jp/articles/3401022674a865d6f2e9446630f9e550653068a6

 

 1963(昭和38)年08月14日、ジョンとポールは、
 1963(昭和38)年02月28日から3年契約で全楽曲の著作権まで譲渡してしまった。ジェイムズが自分の会社として経営するディック・ジェイムズ社は、ノーザンソングス社のマネジメントの仕事を引き受ける手数料として、総売上の10%を何と10年間、
 1973(昭和43)年02月10日まで受け取るという契約を締結しました。まだセカンドシングルがチャート2位をとったばかりのバンドと10年間もの長期契約を締結したとは驚きです。だって、一発屋で終わってしまう可能性の方が高かったわけですし、殆どのミュージシャンがそうやって消えていきましたから。よくまあこんな長期間の契約を締結したものだと思います。
 https://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2021/01/30/120000
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 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─―――――――――┐Front row <最前列>
58|  Shirley Temple  |『Wikipedia』
58|シャーリー・テンプル|『discovermusic.jp』
71|  Shirley Temple  |『Wikipedia』
71|シャーリー・テンプル|『discovermusic.jp』
73|  Shirley Temple  |『Wikipedia』
73|シャーリー・テンプル|『discovermusic.jp』
 └─―――――――――┘ 女優、歌手、ダンサーと、まさに三拍子揃ったシャーリー・テンプルは、30年代に子役スターとなった。彼女は『Sgt. Pepper』のジャケットに3回登場している。ジョン・レノンの蝋人形(No. 57)とリンゴ・スターの蝋人形(No. 59)の間から、髪の毛が出ているのが1回目、ダイアナ・ドース(No. 70)の前に立っているのが2回目、右端に入る「Welcome The Rolling Stones(ローリング・ストーンズを歓迎)」というスローガンの入ったセーターを着た布製の人形が3回目だヨ(=^◇^=)
 1928(昭和三)年04月23日(mon) Born
†2014(平成26)年02月10日(mon) Died. 85 years old
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 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
†https://en.wikipedia.org/wiki/Shirley_Temple
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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 ┃  『LIVE IN NEW YORK CITY』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛
 1972(昭和47)年08月30日(wed) at Madison Square Garden
‡1986(昭和61)年02月10日(mon) released
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Live_in_New_York_City_(John_Lennon_album)
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 映像◆John Lennon  Live in Madison Square Garden 1972  https://youtu.be/pyisavj9iV4
 

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 ┃ A-side ♪PLEASE PLEASE ME♪ ┃Single record by THE BEATLES
 ┃ B-side ♪ASK ME WHY♪    ┃
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 1963(昭和38)年01月11日(fri) UK released ※(mono)
 1963(昭和38)年02月07日(thu) US released ※Wikipedia English version
 1963(昭和38)年02月20日(wed) US released ※THE BEATLES RECORD COLLECTION
 1963(昭和38)年02月25日(mon) US released ※Wikipedia Japanese version
‡1964(昭和39)年02月10日(mon) JP released ※THE BEATLES RECORD COLLECTION
 1964(昭和39)年03月05日(thu) JP released ※Wikipedia Japanese version
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Please_Please_Me_(song)
 http://rock-t.info/beatles-discography-pleasepleaseme-askmewhy.html
 英http://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/single/single_original_p1.html##2-1
 米http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single_noncapiol_vj.html##1-1
 日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/single/or_1024.html
 https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT5QSR3
 https://music.amazon.co.jp/albums/B07FSQBYW1
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 ┃ 『Introducing…THE BEATLES』Ver.2 ┃THE BEATLES
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 1964(昭和39)年01月10日(fri) US released ※Wikipedia English version
 1964(昭和39)年01月27日(mon) US released ※Wikipedia Japanese version
‡1964(昭和39)年02月10日(mon) US released ※THE BEATLES RECORD COLLECTION
 1964(昭和39)年04月09日(thu) Even with the replacement of the two Beechwood Music songs, Vee-Jay and Capitol battled in court throughout the early part of 1964. Injunctions against Vee-Jay's album were issued, lifted and restored more than once.[26] Because the album was often pressed quickly between restraining orders, there are almost two dozen different label variations, including mono and stereo copies, manufactured at numerous pressing plants.[27] Finally, on 9 April 1964, the two labels settled. 
 1964(昭和39)年04月27日(mon) Even with the replacement of the two Beechwood Music songs, Vee-Jay and Capitol battled in court throughout the early part of 1964. Injunctions against Vee-Jay's album were issued, lifted and restored more than once.[26] Because the album was often pressed quickly between restraining orders, After the settlement, the Beechwood songs were issued by Vee-Jay as a single, on 27 April on Tollie. 
 1964(昭和39)年10月15日(thu) Vee-Jay was granted a license giving it the right to issue the 16 Beatles' songs it controlled, in any way it saw fit, until 15 October 1964. At that time, its license expired, and all rights would revert to Capitol.[28] During the time Introducing... The Beatles was available, it sold approximately 1,300,000 mono copies and approximately 41,000 stereo copies. Because only 3.1 percent of all of the LPs were in stereo,[29] true stereo copies are rare. 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Introducing..._The_Beatles
 http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_vj_intro2.html
 http://www.beatlesebooks.com/introducing-the-beatles
 http://rock-t.info/beatles-discography-ulp-introducingthebeatles.html
 http://www.geocities.jp/mr_tako_seijin/page_lp/US_LP/introducing_THE_BEATLES.html#
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 ┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃
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 1996(平成八)年3月18日(mon) JP Released
 1996(平成八)年3月18日(mon) UK Released
 1996(平成八)年3月19日(tue) US Released
◇Disc two (CD2)
◎LP D-side (Record Disc 2)
 1967(昭和42)年01月19日(thu) EMI Studios 5:05
 1967(昭和42)年01月20日(fri) EMI Studios 5:05
‡1967(昭和42)年02月10日(fri) EMI Studios 5:05
  05."A Day in the Life" (Takes 1, 2, 6 & orchestra)
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 https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHE4YS
 https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTBJ8VJ
 https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
 https://music.amazon.co.jp/albums/B00H77Z0I6
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 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(sun)10 February
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 The Helen Shapiro tour continued this evening at the Embassy Cinema in Peterborough, with Peter Jay and the Jaywalkers taking over The Beatles' spot for one night. The lads spent the day traveling to London in anticipation of a long day of recording for their first LP at EMI Abbey Road on 11 February.
 That evening, The Beatles held a lengthy photo session in Sloane Square with photographer Cyrus Andrews.
 Photo◆On the steps of the Royal Court Theatre.
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 http://www.multiplusbooks.com/630210.html
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年02月10日(金) ライヴ演奏1:エインツリー・インスティチュート/リヴァプール
②1961(昭和36)年02月10日(金) ライヴ演奏2:レイサム・ホール/リヴァプール
③1962(昭和37)年02月10日(土) ライヴ演奏:セントポール長老教会ホール/バーケンヘッド
④1963(昭和38)年02月10日(日) フォトセッション:スローン・スクエア/ロンドン (1)
⑤1963(昭和38)年02月10日(日) フォトセッション:スローン・スクエア/ロンドン (2)
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①1961(昭和36)年02月10日(金) ライヴ演奏1:エインツリー・インスティチュート/リヴァプール
 ビートルズはエインツリー・インスティチュートに、1961年01月07日から1962年1月までの間に合計31回出演している。
 1961(昭和36)年01月07日 13日 14日 18日 21日 27日 28日
‡1961(昭和36)年02月08日 10日 15日 18日 22日 25日
 1961(昭和36)年03月01日 04日 08日 11日
 1961(昭和36)年07月21日 28日
 1961(昭和36)年08月04日 12日 18日 19日 26日
 1961(昭和36)年09月02日 09日 16日 23日
 1961(昭和36)年10月28日
 1961(昭和36)年11月11日
 1962(昭和37)年01月27日
②1961(昭和36)年02月10日(金) ライヴ演奏2:レイサム・ホール/リヴァプール
 ビートルズはレイサム・ホールに11回出演しているが、1960年5月14日はシルバー・ビーツ (The Silver Beats) としての出演であった。 
 1960(昭和36)年05月14日 (as The Silver Beats) 
 1961(昭和36)年01月07日 20日 21日 28日 30日
‡1961(昭和36)年02月04日 06日 10日 11日 25日
③1962(昭和37)年02月10日(土) ライヴ演奏:セントポール長老教会ホール/バーケンヘッド
 これはセントポール長老教会ホール (St. Paul's Presbyterian Church Hall) で開催された「ビート・セッション (Beat Session)」と呼ばれるイベントに、ビートルズが出演した最初であった。このホールはバーケンヘッド (Birkenhead)・トランミア (Tranmere) のノース通り (North Road) にあった。ビートルズを花形出演者とし、ザ・ゼロズ (The Zeros) がサポートしている。入場料は4シリングで、7:30pmに始まり11:00pmまで続いた。彼らは
 1962(昭和37)年03月10日(土)に再度この会場に出演している。この教会ホールは後に取り壊されて現在は住宅となっている。
 写真◆セントポール長老教会の跡地
④1963(昭和38)年02月10日(日) フォトセッション:スローン・スクエア/ロンドン (1)
⑤1963(昭和38)年02月10日(日) フォトセッション:スローン・スクエア/ロンドン (2)
 1963(昭和38)年02月11日(月)の朝から予定されているアルバム『PLEASE PLEASE ME』のレコーディング・セッションのため、その前日の2月10日にロンドン到着したビートルズには、スローン・スクエア (Sloane Square) で長時間の写真撮影が待っていた。
  場所:スローン・スクエア (Sloane Square)
 撮影者:サイラス・アンドリュース (Cyrus Andrews)
⑥1963(昭和38)年02月09日(土) ライヴ演奏:エンパイア・シアター/サンダーランド
 これはヘレン・シャピロ (Helen Shapiro) と巡るUKツアーの6日目で前半最後の公演でサンダーランド (Sunderland) のエンパイア・シアター (Empire Theatre) で開催された。
‡1963(昭和38)年02月10日(日)のピーターバラ (Peterborough) の公演には、彼らに代わってピーター・ジェイ&ザ・ジェイウォーカーズ (Peter Jay & The Jaywalkers) が出演する。彼らが欠場する理由は、彼らのデビューアルバムとなる『Please Please Me』に必要な収録曲を録音するためのセッションが2月11日に組み込まれ、しかも1日で完了させるために朝一でロンドンのスタジオに入ることが要求されていたためである。ビートルズは
 1963(昭和38)年02月23日(土)のシェフィールド (Sheffield) の公演から再びツアーに加わる。彼らはこの日の公演の後、
 1963(昭和38)年11月30日(土)にもう一度サンダーランド (Sunderland) のエンパイア・シアター (Empire Theatre) で公演するが、その時はメインスターとしてである。また
 1963(昭和38)年05月14日(火)には同じこの町のリンク・ボールルーム (Rink Ballroom) に出演する。
⑦1962(昭和37)年04月10日(火) スチュアート・サトクリフ 死去
 スチュアート・サトクリフ (Stuart Sutcliffe)、ビートルズの萌芽期にベースギターを担当した才能ある若き画家は、この日脳出血により世を去る。彼はドイツ人の婚約者アストリッド・キルヒャー (Astrid Kirchherr) とハンブルグに住むようになって以来、次第にひどくなる頭痛と目の眩みに悩まさていた。スチュアートは過労だと思っていたが、原因はよくわからなかった。
†1962(昭和37)年の2月に美術大学の授業中に倒れた彼は大学を中退した。キルヒャーの家族は脳腫瘍の疑いを感じて病院でレントゲン撮影を受けさせるが、異常は発見されなかった。しかし頭痛はますます頻繁になり、場合によっては激しいひきつけを起こし、また一時的に目が見えなくなることもあった。精神も不安定で、普通に平穏な時もあれば自滅的な狂乱状態になる時もあった。彼は最後の2週間をほとんどベッドの上で過ごしている。
 4月10日、写真スタジオで働いていたアストリッドは母からの電話を受け、スチュアートが再び倒れ、これから病院に搬送されると告げられる。アストリッドは急いで帰宅し、スチュアートと一緒に救急車に乗り込んだ。彼はすでに意識がなく、病院に向かう途中で彼女の腕の中で息を引き取った。死因は右脳室の出血による脳性麻痺と診断された。スチュアートの病状について正確な原因は突き止められなかったため、さまざまが憶測が飛び交っている。その1つはケンカ中 (おそらくはジョン・レノンとの) に頭を打たれ、それが脳出血を引き起こしたというものである。しかしスチュアートは比較的長期に渡ってゆっくりと病状が悪化していることを思うと、外傷による脳出血というのは考えにくい。それよりもむしろ先天的な動脈瘤か動静脈奇形 (AVM) が原因である可能性が高そうである。
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610107_live_aintree_institute.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600514_live_lathomhall.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620210_live_StPaul_Presbyterian_Church.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630210_Photo_SloaneSquare_1.html
 ⑤https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630210_Photo_SloaneSquare_2.html
 ⑥https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630209_live_Empire_Sunderland.html
 ⑦https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620410_Stuart_die.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─―――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃| February 10|041
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃| 2月10日 |
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 1960(昭和35)年02月10日 スチュワート・サトクリフがベースとして加入したものの、ドラマーが不在ということもあり、春ごろまで目立った活動はない。バンド名を「クオリーメン(The Quarrymen)」から、スチュの発案で「ビータルズ(The Beatals)」に改名した。
 1961(昭和36)年02月10日 リヴァプールのエイントリ・インスティチュートとレイソム・ホールの両方に出演
 1964(昭和39)年02月10日 プラザ・ホテルでインタビューを受けましたヨ(=^◇^=)
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16908
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/002/0210.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15644936.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ★ポールのコメント「初めての渡米では、どうなることやらわからなかった。あんな熱狂になるなんてわからなかったし、ボクらがエド・サリヴァン・ショーに出ると、さらに熱狂は加速したんだ。あのころのボクらはほんの子供で、「スゲエ!」としか表現しようがなかったよ。そのときの映像を見ると、今でもすごいことなんだと感じるよ。すばらしい思い出だし、ボクの人生の中でいちばんポイントの高い出来事なんだ。ビートルズや当時のミュージシャンのすごいところは、大ブレイクをする前にたくさんの仕事をやっていたということなんだ。最近の人は、ボクらほど活動していないようだね。ボクらは生意気で、自分たちが良いバンドだということを知っていた。だからアメリカに行くことになってエド・サリヴァン・ショーに出演したときも、ボクらは自分たちはただならぬグループだって知っていたんだよ。(2004年)」
 ★リンゴのコメント「当時はエド・サリヴァン・ショーに出るということが何を意味するのかわからなかった。どんなにそれが大変なことかなんて知らなかったんだ。ボクらは緊張していなかったと思うよ。曲も演奏したことがあるものだったしね。それに、テレビにもたくさん出ていたからね。でも、アメリカに行くという考えは、ショッキングなことだったね。アメリカ征服がどんなにすごい功績か、今じゃ誰も想像できないと思うよ。イギリス人ミュージシャンでそれを成し遂げたものはいなかったんだから。ボクらはただ、アメリカに行って認められて、レコードがいくつか売れるといいなと思って、自分たちの仕事をしただけなんだ。でも大変なことになってしまったけどね。7,300万人が見たんだ!ジョージはいつも、その日がアメリカでいちばん犯罪が少ない日だったと言ってたよ。そんなにたくさんの人が見たと思うと、衝撃的だった。ニューヨークの熱狂とピッタリ合ったんだね。」

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  ┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 1
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛8:00pm-1:00am
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band♪ ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛♪A Day in the Life♪のオーケストラ・セッションの際に録音された物を流用。冒頭の観客のざわめきは、アビイ・ロード・スタジオの倉庫にあったライブラリテープ『第28巻:観客の喝采と観客のざわめき、ロイヤル・アルバート・ホールおよびクイーン・エリザベス・ホールにて録音』から流用。次の曲、♪WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS♪へのつなぎ目部分に挿入された観客の絶叫は、この当時録音だけされて発表の予定もなかった『ビートルズ・スーパーライヴ!(The Beatles at the Hollywood Bowl)』未CD化から流用されたものである。このオーバーダブを終えて、この曲は完成に至るヨ(=^◇^=)
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ tape reduction take 6 into take 7, 
②┃ ♪A DAY IN THE LIFE♪  ┃        overdub onto take 7, 
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛        reduction of take 7
               with overdub onto take 6, edit piece takes 8-11
  No.3 映像撮影日。アビイ・ロード第1スタジオ。この日はまさにビートルズの歴史で忘れられないセッションになる。ポールの提案で、24小節の中間部分の空白を「●赤字●90人のオーケストラにそれぞれの一番低い音から最高音まで出してもらおう」という事になった。もちろんこの為のスコアを書いたのはジョージ・マーティンである。「●赤字●それぞれこの小節の間で最低音から最高音まで滑らかに上がって下さい。他人と同じ音を出さずに。」40人のオーケストラの前でこの説明をしたのだが、ずっとクラシックをやってきたオーケストラ団員は「(´・ω・`)モキュ? ( ゚д゚)ポカーン (゚Д゚) ハア?? 」という状態だったという。一番下の音から一番上の音まで上げるだけでギャラが貰える、という事実に目が点になるだけだった。この日のセッションの前に、ジョージ・マーティンはエンジニアのケン・タウンゼントに「●赤字●4トラックのレコーダーを2台同時に同期させる事は可能か?」という打診をしている。ケンは片方のレコーダーから信号を取り出して、もう片方のレコーダーに直に配線を繋ぐことでこれをクリア。これでビートルズの4トラックマスターを聞きながら、4トラックのオーケストラの録音が可能になった。オーケストラ人数は、ポールが望んだ90人の半分以下の40人だったが、この録音を4トラック全てで4回行ったために160名以上のサウンドになったのである。セッション中には期せずして巻き起こった拍手喝采の音も録音されている。この時点で第6テイクをリダクションして第7テイクを作成した。技術面だけでなく、この日は「●赤字●正装してレコーディングに来てくれ」という通達も出ていた。夜会服でこのスタジオに集まった人達は、その上に変なメガネや変な帽子をハゲヅラなどを被らされまた招待されたビートルズの友人(ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、マリアンヌ・フェイスフル等)も仮装させられて、スタジオの中にはふわふわとシャボン玉まで飛んでいる有様。この様子は映像「アンソロジー」にも収録されている。オーケストラが帰った後に、ビートルズと友人達はピアノの周りに集まって最後のコーダ部分をハミングで録音することを試みた。これは編集用テイクとして第8~第11テイクまで録音されたが、後日あの「ピアノ・コード」が録音されたためにボツ
  Orchestra overdub. 
  1st use of two 4-track machines running in sync.
  Initial idea for the end: a long "hummmmmm"
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Richard Lush
 ‡1967(昭和42)年2月10日(fri)
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
③┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
 05.♪A Day in the Life♪ (Takes 1,2,6 & orchestra) 19-20 January & 10 February 1967 EMI Studios 5:05 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
③┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
 05.♪A Day In The Life♪ 67.1.&2. これも強引なテイク。3つの未発表テイクを繋ぎ合わせて作り出された、全く新しいバージョン。曲が始まる前のメンバーの話し声やジョンのいい加減なカウントはテイク1。この辺は聴いていて微笑ましいものがあるし、ビデオのANTHOLOGYでも、 マーティンが笑顔で解説しながら流していた。歌い出しはテイク2。ビデオではマーティンがジョンの声を褒めていたのが印象に残る。オーケストラは入っておらず、マル・エヴァンスのカウントが入る。続いて登場するポールのボーカル部分はテイク6。ポールのラフなボーカルが新鮮。 そして最後は再びテイク2。うーん、個別に見ると面白いテイクなんだけど、それなだけに「後から手を加える」ことで、全然違うテイクを作り上げるというやり方が残念に思える。制作意図は理解できるが。 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
④┃ ♪A Day in the Life♪『THE BEATLES 1』 ┃10 February 1967
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛The Beatles Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band Filmed on 10 February 1967, in Studio 1, EMI Studios 
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 ①https://beatlesdata.info/8/01_sgtpepperslonelyheartsclubband.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band_(song)
 ②https://beatlesdata.info/8/13_adayinthelife.html
 ②US写真◆https://en.wikipedia.org/wiki/A_Day_in_the_Life
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
 ③http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb21-2.html
 ④https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_discography#Music_videos
 ④https://en.wikipedia.org/wiki/1_(Beatles_album)
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
 ┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1964(昭和39)年2月10日(月)
‡No.021(05) 1964-02-10(mon) Beatles / Plaza Hotel, New York City (2 photos) CBS News and the Associated Press interview the Beatles. 
 Beatles Interview: AP & CBS News, Plaza Hotel 2/10/1964
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 http://www.beatlesinterviews.org/db1964.0210cbs.beatles.html
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