「お前の胸があと5センチ大きければ…」気心知れた同僚への"鉄板ネタ"がある日突然セクハラ認定されたワケ
‡2022(令和四)年05月28日(土) 10:16 プレジデントオンライン 大槻智之
セクハラ、パワハラなどのハラスメントと指導の違いは何なのか。特定社会保険労務士の大槻智之さんは「相手を尊重した上での必要範囲内の指導はハラスメントにならない。逆にやりすぎたり、TPOをわきまえていないものは、たとえ信頼関係のある間柄でもハラスメントになる可能性がある」という――。※写真はイメージです PRESIDENT Online
※本稿は、大槻智之『働きやすさこそ最強の成長戦略である』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■不快に思うかどうかの判断基準は自分ではなく相手にある■「俺が若いころは……」なんて、言葉が口癖の人は要注意です。パワハラを悪気なく引き起こしてしまうタイプでしょう。パワハラの原因の多くが「俺的にはセーフ」「私の感覚では問題ない」という考えに起因するといいます。加害者となった方の多くが「自分もそうやって育てられた」と発言するように、根本には「若い子を育てたい」という前向きな発想があるのですが、そのやり方が現代の職場では通用しないことが多いのです。これはセクハラも同様です。不快に思うかどうかの判断基準は自分ではなく相手にあることを忘れてはいけません。自身にとっては過去に努力した経験が今の財産であったとしても、同じことを部下にさせるとハラスメントになってしまうことがあるのです。
■気心知れた同僚への発言を第三者が不快に思うこともある■「ええっ? 彼女は関係ないのにあれがセクハラだって?」思わず大声で叫んだのは営業部のAさん(35歳)。人事部長に呼び出され、「社内の懇親会の行為がセクハラに当たる」といわれたのがその理由でした。Aさんは「お酒の席とはいえ、社内の飲み会であることはわきまえています」といい、「セクハラを指摘されるような言動は記憶にありません」とキッパリと否定したそうです。しかし、人事部長は「Bさんに『お前の胸があと5センチ大きければすぐに彼氏ができるのにな』といったそうだね」と返します。すると、Aさんは「はい、確かにいいました。でも、Bとは同期入社でお互いに冗談をいい合える間柄です。いつも同期の飲み会では鉄板のネタです。Bがそんなこというなんて信じられません。だって……」と。そこで、人事部長は話をさえぎるようにこう告げました。「セクハラを訴えているのはBさんじゃないんだよ。それを聞いていたCさんからだ」こうして冒頭のように、Aさんは思わず叫んでしまったのでした。Aさんとしては「お前の胸が……」というセリフがセクハラなのは理解していたそうですが、「信頼関係がある相手を選んで発言した」ので問題にならないと思っていたそうです。しかし、Aさんから直接いわれたわけではなくとも、それを隣で聞いていたCさんが不快に感じて、人事部にセクハラだと訴え出たそうです。いくら「気心が知れている」「合意の下だ」なんていっても、TPOをわきまえないとセクハラ認定されてしまうのです。このように、ハラスメントは当事者だけではなく、第三者からも訴えられることがあります。実際に、自分に対してではなく、同僚に怒鳴り散らしている上司を見て体調を崩し、パワハラを訴え出た事例もあります。
■部下に激高しから揚げを投げつけた部長■映像制作会社の企画部での出来事です。この部署では定期的に飲み会を開催しているのですが、部長だけはその飲み会に誘われていなかったようです。ある日、飲み会の話を偶然聞いたD部長は「俺もたまには呼んでくれよ」と飲み会を企画しているE君に頼んだそうです。メンバーの中には反対した者もいたそうですが、「さすがに断りづらい」ということでD部長も誘ったそうです。飲み会はいつも通り盛り上がっていたのですが、突然、D部長が立ち上がり、E君の顔めがけて“から揚げ”を投げつけてしまったそうです。静まり返った居酒屋の個室で部長はE君に不満をぶつけました。その理由は一番の上司であるにもかかわらず
1.乾杯の挨拶をさせなかった
2.ほぼ無視をされている
3.お酌をする者すらいない とのこと。部長が退席すると、「パワハラじゃないのか?」「明日から職場でも無視しよう」といった声が上がったそうです。たしかに、部長の行動はパワハラといわれても仕方ありません。しかし、無視や飲み会メンバーから外すなどの一連の行為も“逆ハラ”といわれる可能性のある行為です。このことから、両者に対する注意勧告が行われるにとどまり、いったん決着しました。ただし、その後、D部長のマネジメント能力が問われることとなったのはいうまでもありません。
■咎め方によっては自身がハラスメント加害者になりうる■「みんなに謝罪してください」ある精密機器メンテナンス事業を行う会社の朝礼での出来事です。専務に謝罪を迫られているのは営業課長のFさん。話によると、このFさん、女性の派遣スタッフに対し日頃から横柄な態度を取り、また、セクハラと思われる言動をしていたそうです。Fさんは女性スタッフに直接謝罪をし、「今後、改めてくれるのなら」ということでその場は収まりました。ところが、この報告を受けた専務は怒りが収まらず、「全社員に対して謝罪をするべきだ」となったそうです。針のむしろに座る思いをしたFさんはその後体調を崩し、退職したそうです。この話はこれで終わりではありません。ほどなくしてFさんから会社に対して「パワハラを受けて退職せざるを得なくなった」として、あっせんが申し立てられたのです。“セクハラ”は確かに問題行為ですが、それを注意や処分することも適切に行わなければなりません。“悪を成敗する”といったようなスタンスで指導をしていると、それ自体“行き過ぎた指導”となり、パワハラとなってしまいます。セクハラやパワハラを取り締まるはずの第三者がパワハラの加害者になってしまうこともあるのです。
■何でも「○○ハラ」とレッテルを張る行為もハラスメント■セクハラ、パワハラ以外にもマタハラ(マタニティー・ハラスメント)やアカハラ(アカデミック・ハラスメント)、煙草の煙に対するスモハラ(スモーク・ハラスメント)など多くの○○ハラが増えました。とはいえ、今は少しでも不快なことがあると「それって○○ハラだよね」と何でもハラスメントに結び付ける人が多いような気がします。たとえば、臭いに対するスメハラ(スメル・ハラスメント)。強烈な香水を使用していたり、悪臭を放つ食材などを持ち込んだりしているのであれば「スメハラである」と注意しても良いでしょう。しかし、体臭のように本人の意思に関わらないものまでもハラスメントとして糾弾するのは問題です。その糾弾する行為そのものがパワハラとなる可能性があります。また、ささいなことでも大げさに「それ○○ハラ」といってレッテルを貼る行為もそれ自体がハラスメントになるかもしれません。まさにハラハラ(ハラスメント・ハラスメント)といってもよいでしょう。自分は冗談で「それって○○ハラだよね」といっても、本当にそうなのか判断するのはいわれたほうです。“ハラハラ”にならないように注意しましょう。
■相手を尊重した上での指導はハラスメントにはならない■まず、理解しておきたいことは、何でもかんでも“ハラスメント”になるわけではないということです。たとえば、業務上必要なことと認められるのであれば、ハラスメントではないのです。本来は必要ではない、余計なことを付け足したり、やり過ぎたりするからハラスメントになるのです。そして、それを受け入れられるかどうかは自分では決められないということです。同じセリフ、同じ方法だとしても、誰に言われたかによって“コミュニケーション”と“ハラスメント”に分かれるからです。したがって、信頼関係の度合いに応じて指導方法やコミュニケーションの取り方を変えるなど工夫することが必要です。信頼関係を築いていなくても、相手の人格を尊重したうえで業務に対する指導を行うのであればハラスメントにはなりません。ハラスメントを恐れるあまり「指導ができない」なんてことにならないよう、何がハラスメントになるのかを理解しておくことが肝要です。
■パワハラ防止法でも何がパワハラかの基準は抽象的■2020年6月、職場における「いじめ・嫌がらせ」を防止するための「パワハラ防止法(正式名称:改正労働施策総合推進法)」が施行されました。ここには、どんな行為がパワハラにあたるのかといった内容や、企業が防止のために講じなければいけない対策が記されています。しかし、該当するパワハラ行為においても、優越的な関係を背景とした言動/業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動/労働者の就業環境が害される言動など、やや抽象的な基準になっています。そこで各社がより明確な基準づくりを進める必要があります。この基準を会社が一方的に決めるのではなく、グループディスカッションによって決めると成功しやすいと思います。被害に遭いやすい社員も含めてさまざまな層が意見を出し合うようにすると理想的です。パワハラ防止法の施行により、社内でハラスメントの防止対策を講じるように義務づけられました。その義務とは、事業主の方針等の明確化及びその周知・啓発/相談(苦情を含む)に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備/職場におけるパワーハラスメントに係る事後の迅速かつ適切な対応、と定められています。ここでのポイントは、「相談窓口を設けなさい」という点です。大企業であれば「コンプライアンス部」などがその窓口として最適ですが、中小企業の場合は、社員同士が互いに顔をよく知っていたり、いつも同じフロアにいるといったこともあり、なかなか社内で中立的な窓口を設置することは難しいのが実情です。では上層部はどうかといえば、かえって相談しづらいことも考えられるのです。また、通報してももみ消されるのではないか、むしろ状態が悪化するのではないか、といった不安から、ハラスメントがあっても積極的な通報ができなくなります。このようなことから現在では、外部の専門業者に委託することもできます。外部団体であれば、被害を受けた人は通報しやすくなります。コストはかかりますが、社内の人間関係のしがらみとは関係なく、社内のハラスメント事情を把握し改善することができます。
■ポイント■人事教育の観点からもハラスメントの防止を考えてみます。この場合、特に注意すべき対象者は、管理職候補などで入社してくる中途入社の社員たちです。中途入社の場合、前職での基準をそのまま活かせると勝手に判断している人がいるのは事実です。したがって中途入社の人には、人事教育の一環として、自社のハラスメント基準や禁止行為などを明確に伝えておく必要があります。もちろん中途入社の人だけでなく、部下を持つ管理職者全員に対しても、定期的なハラスメント防止研修を行うようにしましょう。
---------- 大槻 智之(おおつき・ともゆき) 特定社会保険労務士 1972年、東京生まれ。日本最大級の社労士事務所である大槻経営労務管理事務所代表社員。オオツキM 代表取締役。OTSUKI M SINGAPORE PTE,LTD. 代表取締役。社労士事務所「大槻経営労務管理事務所」は、現在日本国内外の企業500社を顧客に持つ。また人事担当者の交流会「オオツキMクラブ」を運営し、220社(社員総数18万人)にサービスを提供する。 ----------
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad8083b2e70ca4bb54ee03c1272b5d5bfb400dcd
「昭和の方が幸せだった」は本当か? 東京の統計データで見えてきた時代の実相とは
2021(令和三)年05月30日(日) 19:33配信 アーバン ライフ メトロ ライター:鳴海汐
■緊急宣言下で懐かしまれる、輝かしき「昭和」■
昭和後期に撮影された子どもたちの写真のイメージ。「昭和の方が幸せだった」と思うことはありませんか? 果たして本当にそうなのでしょうか(画像:写真AC)
【懐かしい】昭和を思わせる子どもたちの古い写真(16枚)
‡2021(令和三)年05月28日(金)、東京では、3度目の緊急事態宣言の延長が決定されました。経済的な打撃を受けている人、そうでなくても外出自粛で悶々と考え事をする時間が増えた人の中には、「昔は良かった」と時代を憂える人もいることでしょう。新型コロナ禍に見舞われたこの1年は特に、「日本はもはや先進国ではない」「他の先進諸国は平均賃金がアップしているのに、日本はこの30年間横ばい」といったニュース記事を目にする機会がぐっと増えた気がします。失速した状態が続くと、日本が最も活気づいていた、豊かな昭和の時代が懐かしくなります。令和になる直前ですが、NHKが世論調査で「昭和と平成はどちらがよい時代か」と聞いたところ、「昭和」を選んだ人が55%、「平成」が42%でした(「特集 平成は『戦争がなく平和な時代』79%」NHK世論調査)。年代別に見ると、昭和を実際に経験した40代以上は昭和を選ぶ傾向にありました。
■「平成のほうが幸せの総量は多い」■そんななか、テレビやYouTubeなどで活動する 実業家のひろゆき氏が、
2021(令和三)年05月21日(金)配信ダイヤモンド・オンラインのインタビューで「僕より上の世代は、『昔はよかった』と話す人が多い。しかし、ちゃんとデータを見ることができれば、昭和の時代より平成のほうが、殺人事件や餓死が少なく幸せの総量は多いことがわかる」と話し、ネット上でもさまざまな議論が起こりました。そこで東京の幸せを「昭和時代」対「平成・令和時代」のデータで比べてみます。
■2つの死亡率に見る東京の“幸せ”■ 幸せを計る指標は本当にさまざま。そのなかでまずは、人生のエンディングである「死」をベースに昭和と平成・令和について見てみることにしました。みなさんは、「最も幸せな死に方」は何だと思いますか? 天寿をまっとうする「老衰」と答える人が圧倒的に多いと想像されます。この老衰によって人生を終えた人の割合はどう変化したのでしょうか。
東京都の1985~1987(昭和60~62)年の老衰による死亡率(人口10万対)の平均は10.6。約30年経った2017~2019(平成29年~平成31/令和元)年は71.7にアップしています。
※参照:e-Stat 都道府県別にみた死因(簡単分類)別死亡率(人口10万対)
背景にあるのは、やはり医療の進歩などでしょう。日本人の平均寿命も年々伸び続けており、不意の死を遂げる人が格段に減っていることが分かりました。
⇒ 次ページは:治安が向上し、他殺件数も激減
■治安が向上し、他殺件数も激減■一方、対極にある「不幸な死に方」については、何らかの事件に巻き込まれて亡くなる「他殺」として両時代のデータを比較してみます。事件の発生状況は治安という観点からも人々の幸福度を大きく左右します。東京都の1985~1987(昭和60~62)年の他殺による死亡率(人口10万対)の平均は0.7。約30年経った2017~2019(平成29年~平成31/令和元)年は0.1に下がっています(同統計)。現代でも事件に関する報道があるたび「物騒な時代になった」「凶悪な事件が増えている気がする」といったコメントがネット上に書き込まれますが、実際には他殺によって亡くなる人が大きく減ったことが分かります。実際、時期は多少ずれますが、東京の殺人の平均認知件数は、1975~1984(昭和50~59)年の10年間は189.4件(参照:法務省 犯罪白書)だったものが、2015~2019(平成27年~平成31/令和元)年の5年間は、96.2件(参照:警視庁 統計)と半減しています。これらのデータを見る限りは、昭和より平成・令和の方が幸せ度が増していると言えそうです。
写真◆東京都における、刑法犯全体の認知・検挙状況の推移(画像:警視庁)
■東京のインターネットの利用率■今度は、生きている今、幸せを感じるものを考えてみたいと思います。現代のわたしたちの生活に欠かせないものといえば、インターネットです。これを使って出来ることと言えば、「情報を探す」、「人とコミュニケーションを取る」、「情報を配信する」、「動画を見る」、「音楽を聴く」、「ゲームをする」、「読書をする」、「お金を稼ぐ」、など無限大。非常に便利で、もはや、それなしでは生きられない体になってしまった人がどれだけ多いことでしょうか。インターネットは、昭和の時代に発明されたものの、一般への普及は0%です。そんなインターネットの現在の利用者(割合)を東京で見てみると、驚愕の95.7%になります。日本全体では89.8%で、利用者の割合は全国1位です。
※参照:総務省 令和2年 情報白書、都道府県別インターネット利用率及び機器別の利用状況(個人)(2019年)
インターネットをするためのデバイスは、「スマートフォン」74.5%、「パソコン」65.1%、「タブレット型端末」33.2%、「携帯電話(PHSを含む)」が10.4%となっていて、ひとりでスマートフォン、パソコン、タブレット型端末を用途に合わせて使いこなしている人も少なくありません。これらのデータも、平成・令和の幸せを改めて知らしめるものでした。
写真◆ひとり1台、もしくはそれ以上が当たり前になった、スマホをはじめとする現代のデジタルデバイス(画像:写真AC)
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■昭和と令和、時代の空気感■このように、医療が発達して寿命が延び、犯罪は減少し、日常の便利なツールが格段に増えた現代ですが、人々が体感する幸福感は昭和と比べてどのように変化したのでしょうか。昭和の時代、特に後半になりますが、豊かで元気な時代だったと記憶している人は多くいるでしょう。戦後からの復興、高度成長期、バブル景気など経済は常に上り調子で、未来には期待感が満ちていて、ド派手なことが多く、お金があふれている。その一方で、集団行動が重んじられ、世間の常識からはみ出てはいけないプレッシャーは大きなものでした。たとえば「結婚はしなければならないもの」、「女性は寿退社」、「終身雇用、転職は負け組」といった外圧がとても強かった時代でした。令和の今は、確かに昭和のような好景気を全国民が体感できているとは言えません。「これから時代はどんどん良くなっていく」という将来への期待感も決して強くはありません。しかし「個人の考え」、「個人の選択」、「個人のペース」が理解される時代になりつつあります。「結婚はしなくてもいい」、「転職はキャリアアップ」という認識になりつつあります。性的少数者(LGBT)への理解がようやく広まりつつあり、人々の見た目についてのいじりが問題視されつつあります。また昔は夢の夢だったリモートワークができる時代です。心の自由度は格段に上がった令和。これでお金の不安がなければ最高なんですけれどね。
写真◆派手で、景気の良さも実感できた昭和後期。その半面、世間のプレッシャーという外圧は現代よりも強かった(画像:写真AC)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed527f4a9aaf43a3715a1009fa3c84fa24c48a15
現代レスラーの身体づくりに影響を与えた食事と肉体改造法「ハイブリッド・レスラー」船木誠勝選手インタビュー【レスラーめし】
‡2021(令和三)年05月28日(金) メシ通
食えたことも、食えなかったこともレスラーをつくる。新弟子時代から現在までの食にまつわる話を、さまざまなレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。今回は「ハイブリッド・レスラー」船木誠勝選手の登場です。
■「ハイブリッド肉体改造法」の船木は何を食べていたのか■15歳11カ月で新日本プロレスでデビュー。ヨーロッパ遠征後にUWFへと鈴木みのると共に移籍し、前田日明・高田延彦・藤原喜明らと並ぶ新星エースとして活躍。その後、藤原組を経て自らの団体パンクラスを鈴木らと旗揚げします。それまでの格闘技指向を究極まで突き詰めたスタイルのプロレス「ハイブリッドレスリング」をスローガンに掲げ、その結果として1分もかからずに勝負がつくこともしばしば。そういった試合を称した言葉「秒殺」は流行語にもなりました。また徹底的な肉体改造で絞り上げたパンクラス所属選手のボディは、これまでのプロレスラー像を覆すもの。その頃に沸き上がっていた総合格闘技ブームもあり、パンクラスは大きな話題そんな中で船木選手が書いた単行本『船木誠勝のハイブリッド肉体改造法』(ベースボールマガジン社)は、体の鍛え方から食生活までを詳細に解説したこれまでにないプロレスラー入門書としてベストセラーに。当時のプロレスラー志望者で読まなかったものはまずいないと断言出来ます。選手としての船木選手は、鈴木みのるにケン・シャムロック、バス・ルッテンといったトップ選手に加え、近藤有己ら後輩選手たちと激戦を繰り広げました。そして2000年には当時世界最強と言われたヒクソン・グレイシーと対戦するも、チョークスリーパーで破れ、その場で引退を表明。その後2007年に総合格闘技に復帰、2009年には全日本プロレスでプロレスラーとして再びリングに立ちます。そこから新日本プロレスやNOAHなどへの参戦、三冠ベルトの奪取などを経て、今も緊張感のある闘いを繰り広げています。
■蝶野・武藤とサボって連帯責任スクワット2000回!■15歳で新日本プロレスデビューした船木選手。寮に暮らす同期には三銃士(橋本真也・武藤敬司・蝶野正洋)、そして先輩に獣神サンダー・ライガーに高田延彦と、強烈なキャラクターに囲まれた環境でのスタートでした。ただ、前回の蝶野さんへのインタビューで聞くかぎりでは揃ってハートが強いというか図々しい世代だったようで……その辺りの話からスタートです。
──ちょうど前回が船木選手と同期の蝶野さんのインタビューで、船木選手のお話も出たんですよ。みんな豚ちりしか作らなくなっちゃて、新日本プロレスのちゃんこシステムが崩壊したという話も(笑)。
船木:ああ、そうなんですね。蝶野さんとめしの思い出っていうと、新弟子の頃はちゃんこはまず先輩が食べて、我々は一番最後に食べられるんですよね。12時半くらいに練習が終わって、自分たちが食べられるのが14時くらい。そこまでが長くって! それで蝶野さんが「そこのラーメン屋で自分らで金払って食えばいいだろう」って言い出したんですよ。まだ入門してそんなに経ってない時期に。
──自分たちのちゃんこの順番まで待てない、と。それはマズそうな……。
船木:それで武藤さんも「いいな! じゃあオレも」って言って、僕らでラーメンを食べに行っちゃったんです。練習直後だから美味しいんです。でも帰ってきたら高田さん(高田延彦)が立ってて、「お前ら、どこ行ってたの?」って聞かれて、武藤さんが「ラーメン食ってきました!」って普通に答えて。そしたら「他の新弟子も全員連れてこい」って言われて、橋本や笹崎さん(笹崎伸司)、野上さん(野上彰/現・AKIRA)ら全員呼んできて「はい、今からスクワット2000回」って。
──きつい連帯責任!
船木:もともと新弟子は外出禁止なんですよ。試合出るようになるまでは、先輩と一緒じゃないと外出しちゃいけないってルールがあったんです。橋本真也は「自分は食ってないです!」って言ったけど、全員がやらされましたね。その時は「とうとう始まったな!」って思いましたね。これが「プロレスの非日常か!」って。
──しかし蝶野さんもよく抜け出しましたね。
船木:「こんなことやらされるの、今だけだよ!」って言ってましたね。デビューしたらこんなことないから、って。そのあたり、先を見てるんですよね。
──その後、抜け出してラーメン食べに行ったりは?
船木:さすがになかったですね。ただ、先輩から怒られるのはしょっちゅうです。理由もなく集合かけられて「お前らたるんでる!」って怒られたり。ただダラケないために、ってだけだと思うんですけど、そういうのも何回かありましたね。
■高田延彦直伝のチーズ&バナナ■
──新弟子時代のちゃんこの話は蝶野さんからもうかがったんですけど、船木選手の場合は入団が15歳ですから、本当に体が大きくなるのはそれからですよね。
船木:自分が入ったときは体重が75キロ。それをまず3ケタ、100キロに乗せろってずっと言われてて、最低ちゃんこを5杯、ごはんを5杯ずつ食うのがノルマでしたね。ただ、ちゃんこも自分が食べる最後の方は肉がなくなってて、野菜ごはんって感じでしたけどね。
──ひたすらちゃんこで体を大きくしていった感じですか。
船木:あとは6Pチーズを1箱と、バナナ1房をノルマにして毎日食べてました。巡業に行っても昼夜分けて食べたりして。これは高田さんからのアドバイスだったんです。
──体をより大きくするメニューを。
船木:寮に入って1カ月くらいですかね、「もうこいつは辞めないな」って思われた頃だと思うんですけど、地方で「船木、めし行こうか」ってお昼ごはんに連れていかれたんです。いろいろ話を聞いた後「チーズとバナナを買いに行こう。これ食べて鍛えると、大きくなるよ」って言われて、それからですね。
──高田さん直伝のメニュー。それは初めて聞きました。
船木:そうですよね。それは高田さんのオリジナルで、新日本では自分のところで止まってると思います。他にも話してなかったんじゃないかな? 実際、効果はありましたね。入団時に75キロだったのが、それから1年弱でデビューする頃には95キロになっていましたから。
──その後、肉体改造の本も書かれてますけど、その頃からいろんなものを食べた経験が生きてるんですね。
船木:でもやっぱりちゃんこですね。体を作るのに一番いいです。肉と野菜、あとごはんをつければ完全食ですから。日本の場合は元は相撲で、日本独自の体を作る食事として鍋という食べ方が一般的になったと思います。これがアメリカだと鶏を焼くか蒸すかになって、それにライスやパスタ、ポテト、それと野菜をつけるんですよね。
■橋本真也にアイスピック掴んで「なんだアンタ、次に言ったら殺すよ!」■
──しかし船木選手は中学を卒業して、すぐ新日本プロレスという大人の世界に入ったわけじゃないですか。同期も年上ばっかりですし、大変じゃなかったですか?
船木:でも楽しかったですね! 個性の強い人ばっかりだったし。怖い人ってすぐわかるじゃないですか。だから「この人は大丈夫そうだ」って人に近づきましたね。そうなるとやっぱり、ライガーさんの下につくしかない。ライガーさんの側だと怒られないから。
──ライガーさんは「大丈夫な人」。
船木:でも練習のときは怖かったですけどね。「辞めちまえ!」って何回言われたことか。練習と試合に関しては怖かったです。でも練習が終わったら、ごはんにもよく連れてってもらいましたよ。よくステーキを食べに連れていってくれましたね。スエヒロとか、もうなくなっちゃったけど上野毛のステーキ屋とか。
──ライガーさんとはイギリス遠征も一緒ですよね。
船木:イギリスでめしのいい思い出はないですね。昼はチャイニーズレストラン、夜はインディアン(インド料理)、そればっかりですよ。しかもライガーさんとは3カ月もの間、家にいるのも試合に行くのもめし行くのもずっと一緒で、さすがに息が詰まりましたね。ぜんぜん話さなくなって「お前達、喧嘩してんのか?」って周囲に気を使わせるくらい。
──あと三銃士と同期ということで、さっき蝶野さんと武藤さんの話が出ましたけど、橋本さんと食の思い出ってありますか?
船木:橋本さんは……物騒な話なんですけど、試合終わってブッチャー(橋本さんの愛称)が外でお酒を飲んで楽しんでからホテルに帰ってきたんですよ。それで廊下でなんだかんだ叫んでて、ブラックキャットさんが「うるさいよアンタ!」って注意したら、「うるせえブタネコ!」って反射的に言っちゃって。そしたらブラックキャットさんが手元にあったアイスピックを掴んで「なんだアンタ、次に言ったら殺すよ!」って。
──それは怖い!
船木:自分は蝶野さんと同じ部屋で、ふたりで覗いてて。「ヤバいよ、どうする?」って言ったら「いいよ、やらせとけば」って。そしたらジョージさん(ジョージ高野)が「まあまあ」ってその場を収めてくれたんですけど。その後、その件で橋本さんは坊主になって。
──罰で坊主!
船木:もう橋本さんはデビューしていましたけどね。3回くらい坊主になってます。身近にそんな人がいたから「橋本さんみたいなことはしちゃダメなんだな」って思いましたけどね(笑)。また蝶野さんは蝶野さんで冷めてるな~って。
──反面教師がいっぱいいたんですね。しかしお酒もまわりはみんなかなり飲んでますよね、当然。
船木:お歳暮なんかでビールは何ケースも送られてくるから、道場には常にお酒があったんですよ。だから上の人も練習が終わったら昼間からビールを飲んだりしてましたね、水代わりに。そして夜になったらちゃんことビールで。ホント、ずっと飲んでましたね。
■船木選手が見た熊本旅館破壊事件■
──お酒と言えば、この連載でその場にいらした選手全員にうかがってるんですが、新日本プロレスの選手とUWF選手を交流させようとして皆が酔っ払って旅館をボロボロにしたという伝説の「熊本旅館破壊事件」! 船木選手もその場にいらしたんですよね。
船木:あれは自分がデビューして2年くらいの時期でしたね。新日本とUWFの間があまりにもギクシャクしていたんで、旅館で宴会をやろうとしたんです。
──言い出しっぺは猪木さんですか?
船木:坂口さん(坂口征二)が「明日UWFと一緒に飲むからよ」って言ってましたね。藤原さんが試合を休んでスープかなんか作ってました。試合が終わって宴会場に行くと、新日本の人が揃ってて、UWFの人たちは後から入ってくる。やっぱり雰囲気は硬かったですね。猪木さんなんかもいますから。
──その時点で和やかな雰囲気ではないですよね。
船木:会が始まって1時間するかしないかで、イッキ飲み合戦が始まったんです。それも日本酒で。それで猪木さんは最初に飲んで帰っちゃったんですよ。坂口さんは残ってお酒を飲んでたんですけど、実は水を飲んでて。
──まさかの荒鷲がそんなズルを!
船木:それがバレて、本物のお酒を飲まされるようになったら、坂口さんもけっこう酔っ払ってきて。で、なぜかわからないんですけど武藤さんと前田さん(前田日明)が……。
──険悪な雰囲気になってたと。
船木:前田さんが「オマエ、海外から帰ってきたからっていい気になってんじゃねえぞ!」って言ったんですよね。それに武藤さんが「アンタがやってることはプロレスじゃねえよ!」って返したら、前田さんがガーッと突っ込んでボコボコボコって……マウント状態で。それをみんなで止めて。
──壮絶! 前田対武藤は誰も止められない。
船木:たぶんですけど、荒川さん(ドン荒川)が「言いたいことがあるなら言ってやれ!」って焚き付けたんじゃないかな。そうじゃないと武藤さんも言わないと思うんですよ。
──だいたいそういう現場には荒川さんがいますね(笑)。
船木:それで途中で坂口さんが入ってきて、前田対坂口になっちゃって。自分は坂口さんを止めてましたね。
──坂口さんは武藤さんに目をかけてましたからね。
船木:それで坂口さんが「前田来い!」って寝転がって、寝技をかけようとしたと思うんですけど、そこに前田さんがストンピングしようとして、それをみんなで止めて。
──前田さん、一線越えすぎ!
船木:結局、誰か藤原さんを呼んで、藤原さんが前田さんを殴ってやっと止まったんですよね。
──組長しかもう止められない。
船木:そしたら坂口さんがまた怒って、僕らが止めて。坂口さん、一升瓶を持って前田さんのこと叩こうとするんですよ。話をしてる最中なのに、それを止めて……。凄かったですよ。
──あと、その事件の時は後藤達俊さんが荒れてたと聞きますが。
船木:後藤さんはその新日本とUWFがやりあってるのとは別の方向で、独自に酔っ払ってました。吐いて便器を詰まらせて、日本刀持って「猪木出てこい!」って言ってたんですよね。でも自分はもう坂口さんを止めるので手一杯で……。
■UWFと藤原組で食生活が大きく変化■
──そして船木選手はUWFに移籍しますが、そこでもごはんはちゃんこでした?
船木:昼はちゃんこです。たぶん新日本のちゃんこを見様見真似で作ってたんだと思うんですよね。前田さんや高田さんが「こうやって作れよ」って教えたのをそのまま作ってたんじゃないかな。
──前に鈴木選手にインタビューした時は「新日本プロレスからUWFに移って肉が減りました」っておっしゃってました。
船木:ああ~、それはありましたね! 新日本は毎日いい肉が肉屋から届けられるんですよ。使い放題、食べ放題って感じで、それも2、3枚ガバーッと掴んで焼いて食う。それに比べてUWFの肉はその辺のスーパーの肉って感じで。やっぱり会社の収入の差はありましたね。新日時代ももったいない食べ方してたなと今は思いますけど。
──夜もちゃんこですか?
船木:自分はUWFの事務所の近くに部屋を借りてもらってて、高田さんが居酒屋を開いたんで夜はそこに毎日行ってました。1,000円で定食を日替わりで作ってもらってたんでそれを食べてました。
──UWF時代は体も意識的に鍛えていったんですか?
船木:一回骨折をして、半年くらい休んだときにすごい太ったんですよ。それで締めようと思って、ごはんを抜いてちゃんこだけ食べるようにしたんです。その頃はまだ食生活について研究とかはしてなかったんですけど、ごはんだけ抜けば大丈夫だろうって思って、そしたら本当に減ってきたんです。
──今思えば、パンクラス以降の肉体改造の手がかりだったのかもしれないですね。
船木:ただ、一度締めたんですけど、次の藤原組で太っちゃいましたね。藤原組は選手が少なくてちゃんこ番がいなかったので、出前を取ってたんですよ。お金はあったんで。
──メインスポンサーがメガネスーパーですからね。
船木:朝、プロテインを飲んで、道場に行って練習が終わると中華屋か弁当屋で注文する。太りたくないなと思っても、レバニラ炒めと味噌ラーメンを毎日食べてたら、体作りにはよくなかったですね。お金に余裕があると、ステーキとか脂っこいものを食べちゃうんですよね。だから気づいたら太ってて。その時は「22歳だし、年取ると太ってくるものなのかな」って思って片付けようとしてましたけどね。
──藤原組長やカール・ゴッチさんはあんまり食生活にはこだわらない人だったんですかね?
船木:「本当はちゃんこを作ったほうがいいんだけど、人もいないしお金もあるから出前でいいか」って感じでしたね。ゴッチさんもあまりうるさくはなかったですね。「フナキと同じもの食べるんだ!」ってラーメンを一緒に食べてました。ひとり2、3人前は食べてたから、毎日すごい量の出前をとってたんですよね。お店はずいぶん儲かったと思いますよ。
■ベストセラーになった『ハイブリッド肉体改造法』■
──そして1993年、船木選手らによるパンクラス旗揚げとなるわけですが、パンクラスの選手といえばギリギリまで引き締まった通称・ハイブリッドボディで知られています。船木さんの書いた『ハイブリッド肉体改造法』は当時のレスラー志望者のバイブルとなりました。
船木:パンクラスではそれまでのプロレスとはスタイルを変えよう、他と同じことをやってたら無理だと思ったんですね。ついにやるぞ、と。そうなると技を受ける必要はないと思ったんです。脂肪はいらない。それに一番近い体型だったのがシャムロック(ケン・シャムロック)だったんですね。
──パンクラスと並行してUFCでも活躍した総合格闘技黎明期のレジェンドですね。
船木:シャムロックと契約しに行って2泊したんですけど、体が綺麗で力もある。「何を食べてるの?」って聞いたら、パパパッとメモしてくれて、それと同じ食事を日本に帰ってからも続けたんですね。そしたら脂肪がどんどん取れていって、これはいいことを聞いたなと。
──それがハイブリッド肉体改造法のルーツ。
船木:でも最初はまわりに言うつもりはなかったんですよ。自分だけのものにしようと思ったんですけど、高橋義生が「船木さんの体、なんなんすかそれ」って聞いてきて、「自分もやりたいです」って言ってくるからその食事法を教えたら、彼もどんどん変わってきて。二人いるってことは、パンクラスの選手の体全員こうしたら面白くなるなと思ったんです。それで若手には強制でこれしか食べるな、って味なしのちゃんことか食べさせて。
──鶏ささみに卵の白身、味なしパスタ、ノンオイルのツナ缶といったメニューはハイブリッドボディの代名詞になりました。真似したレスラー志望者も多いはず。
船木:今のライザップなんかがやっていることに通じると思います。全地球人に当てはまる肉体改造法ですよね。アスリートは皆やってますよ。
──全員あのメニューで肉体改造したから、旗揚げ戦で揃った時のインパクトは凄かったです。
船木:練習生には1万キロカロリー近く食べさせてトレーニングさせてましたね。食べるのが遅いやつはちゃんこをミキサーにかけて飲ませたり、いろいろやりました。それで皆旗揚げ戦に向けて引き締まった体になったんですけど、鈴木だけが「俺は嫌だ」って言ってやらなかったんですよ。
──それも鈴木選手らしい(笑)。
船木:「それはそれで仕方ないかな、ひとりくらい太ったやつがいてもいいか」って放っといてたんですけど、最後の1カ月で「やっぱり自分もやります」って言って。ただ、最後にやったもんだからメニューを間違えて教えちゃったんですよ。
──うっかりミスで!
船木:本当は1カ月半で仕上げるメニューを1カ月でやらせちゃったんで、人より多くやって一番絞れちゃったんです。
──実際、鈴木選手の体も衝撃でしたが、そんな理由があったとは。しかも本にしたことでレスラー志望者や格闘家に広く伝わりました。
船木:本当はパンクラス独自の秘密にしておきたかったんですけど、週プロ(週刊プロレス)の記者が毎日来るじゃないですか。それで「これ本にしましょうよ」って言ってきて、「イヤですよ、自分たちのオリジナルだし書く時間ないですよ」ってずっと断ってたんです。ただ「1日2時間くらい喋るだけで、あとは写真撮らせてもらえればあとは原稿こっちで書きますから!」って言われたんで、社長に相談したら「印税きたら会社はすごく嬉しい」と。その頃は団体もお金なかったんで、ちょっとでもお金になればいいなと思って、それでシブシブやったんです。
──シブシブだったんですね(笑)。
船木:でもそれでよかったですね。結局シリーズになったんですけど、最初の1巻が14万部って言ってたかな。そのお金で余裕ができて、会場を早く押さえられたりできるようになったんですよね。いろんなレスラーから「当時読みました」って言われますし、今思えば出しておいてよかったですね。
■コロナのステイホーム期間は500キロカロリー落として生活■
船木:パンクラスで食事に関してはかなり勉強しましたね。一度引退して普通の生活に戻ってからも、その辺はずっと平行してやってます。
──プロレスをやってない時期も、調整したうえでの食事は続けてたんですね。
船木:ただ、同じものを食べていると飽きるんですよ。それで研究していって、カロリーと成分のバランスで体が決まるってのを2005年に発見したんです。タンパク質・炭水化物・脂肪といった成分の割合を考えればいろんなものを食べられるんです。
──今YouTubeで食生活についても発信されてますよね。朝昼は納豆にノンフライラーメンや、玄米・卵焼き・明太子のお弁当だったり。
船木:でもその分、夜は好きなもの食べるんですよ。たとえば「明日、寿司食べたいな」って思った時は食べたい分のカロリーと成分を全部出して何個までだったら食べられるって工夫してます。
──コロナによる自粛期間中は、食べるカロリーも落としてるんですよね。
船木: はい、基本は一日3000キロカロリーなんですけど、今は2500キロカロリーで。家にいたらトイレに行くくらいしか歩かないじゃないですか。あとはもう座ってるくらいで、極端に消費カロリーが減ります。動かなくなると500キロカロリーくらいは落とさないと、余分になっちゃうんで。「コロナ太り」ってのはそういうことですね。
──やはりそういう調整は大事なんですね。おすすめのメニューというと?
船木:人それぞれの好みでいいんですけど、コンビニで買うときは脂肪の少ないサンドイッチや脂肪の少ないおにぎり、それにタンパク質として鶏のスティックとか売ってるんで、そのあたりですね。
あとは自分自身がカレーみたいな刺激的なものが好きなんですけど、カレーにも脂肪の少ないものがあるんですよ。レトルトで脂肪10グラムくらいのカレーがあるんで、それにパスタを和えて食べるのもおすすめです。
■激戦の後は3日間40度の熱が出てスポーツドリンクしか飲めなかった■
──パンクラスを引退されて、全日本プロレスで復帰した時は食生活も調整したんでしょうか。
船木:パンクラスの体だと、長い時間、戦っていられないですね。2010年に復帰した時、タッグマッチやったんですけど試合が20分越えたんです。15分経過くらいから意識が朦朧としてきて……糖分が足りなくなってきたんですね。すっごい疲れてきて、でもまわりの武藤さん・蝶野さん・鈴木の3人は普通に試合してるんです。すげえなって思って、それから少し脂肪つけるようになって、3年後には30分試合出来るようになりました。
──プロレスでは、やはり脂肪もある程度必要。
船木:やはりプロレスみたいに自分から技をかけるだけでなく、技を受けたりして20分、30分とやる競技には脂肪も重要です。途中で水も飲めないですから。マラソンだったら体重は軽ければいいけど、プロレスは技を受けなきゃいけない。そうなると体重もなくてはいけないですから。
──やはりパンクラスの体ではダメージも大きい。
船木:今までの試合で一番ダメージがキツかったのが、東京ベイNKホールでやったバス・ルッテン戦なんです。
──あの名言「明日からまた生きるぞ!」が出た試合ですね。
船木:終わって3日間、40度の熱が出て、スポーツドリンクしか飲めなかったです。あとは頭痛薬を飲んで、トイレと寝床の往復でしたね。
──それだけの壮絶な試合でしたからね……。
船木:今は食生活においては達人になりました。体を絞る時は脂肪や炭水化物をチェックするクセをつけなきゃいけなくて、それが面倒くさいんですけど、だんだんわかってきて、今はお店に入ってみて、例えばラーメンを見るとだいたいのカロリーがわかっちゃうんです。「肉がこれだけ入ってて、麺がこれだけ、だったらつゆ飲まなければ何キロカロリーくらいだな」って。
──ちなみに船木選手にとって試合後はごほうび的なごはんってあるんですか? それこそ昨日はNOAHの日本武道館大会でしたけども。
船木:美味しいものを食べたいなと思うんですけど、それがコロナ渦のせいで試合が終わってからだとどこも開いてないじゃないですか。昨日はコンビニで買ったカニカマボコとコールスローサラダだけ食べて寝ました。だから今日は帰ってゆっくり美味しいものを食べようかと思ってます。
──このご時世とはいえ、試合後コンビニめしだけなのは寂しすぎますからね……。
船木:最近はお店に行けないのもあってUber Eatsにハマって、寿司とか中華、イタリアンにタイ・韓国料理とか、いろんな料理を注文してたんですけどね。それも最近ちょっと飽きてきちゃって……自分でちゃんこを復活するしかないかな! 食生活って、そうやってグルグル回るとこありますよね。
写真提供:@闘宝伝承Y1968
現在のプロレス界のエース級の選手というと、いわゆる「アンコ型」は少数派、引き締まったマッチョボディが多くを占めます。それは船木選手がもたらした「ハイブリッドボディの衝撃」からの影響は計り知れません。そして今も自分の体で実験を重ねながら「ハイブリッド肉体改造」を続けていた船木選手。その研究はどこまで極められるのか? 船木選手にしか出来ないレスラーのあり方は今後も注目です。
■書いた人:大坪ケムタ アイドル・グルメ・芸能etcよろず請け負うフリーライター。メシ通での好評連載『レスラーめし』(ワニブックス・刊)が書籍版のみの追加エピソード、小林邦昭?獣神サンダー・ライガー対談も特別掲載して絶賛発売中!Instagram:@kemta
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/kemuta-otsubo/2021-00476
岡山知事、1年半ぶりマスクなし記者会見 政府の新見解受け
‡2022(令和四)年05月28日(土) 毎日新聞
2022(令和四)年05月27日(金) 09時11写真◆堤浩一郎撮影約1年半ぶりにマスクを着用せずに記者会見を開いた岡山県の伊原木隆太知事=岡山市北区内山下の県庁で
岡山県の伊原木隆太知事は27日、約1年半ぶりにマスクを外して記者会見に臨んだ。新型コロナウイルス感染対策のマスクについて、政府が「2メートル以上を目安に人と距離が取れている」など着用が不要なケースを示したことを受けた。県庁で開いた定例記者会見ではアクリル板を前に立て、感染対策を取った。マスクを外すメリットの一つとして、伊原木知事は「熱中症予防につながる」と語った。2020年12月以降の記者会見はマスク着用を続け、久しぶりに「素顔」を披露。「開放感がある」と笑顔を見せた。県はまた、運転免許証やパスポートの発給・更新手数料を徴収する際に使う収入証紙を、23年10月をめどに廃止すると発表した。キャッシュレス決済の活用で利便性を図るとともに、証紙の印刷などに年間約9800万円かかる経費の削減を目指す。県会計課によると、東京都、大阪府、広島県、鳥取県に次いで5例目という。【堤浩一郎】
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┃『ロッキー3 ROCKY Ⅲ』┃
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‡1982(昭和57)年05月28日(金) アメリカ 公開
1982(昭和57)年07月03日(土) 日 本 公開
1987(昭和62)年04月06日(月)『月曜ロードショー』21:02-23:04 TBS
2001(平成13)年05月04日(金)『金曜ロードショー』21:03-22:54 日本テレビ
1905(明治48)年04月07日(金) MICKEY GOLDMILL 生誕 0:52:27
1981(昭和56)年08月15日(土) 殺人マシーン・クラバーに敗北
1981(昭和56)年08月15日(土) MICKEY GOLDMILL 逝去 0:52:27
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映像◆アポロ肉体計画http://youtu.be/Kf8oZGHDTt4