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①┃塩田剛三┃
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1915(大正四)年09月09日(木) 生 誕
1994(平成六)年07月17日(日) 78歳没
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②┃木村政彦┃
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‡1917(大正六)年09月10日(月) 生 誕
1993(平成五)年04月18日(日) 75歳没
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③┃大山倍達┃
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1923(大正12)年06月04日(月) 生 誕
1994(平成六)年04月26日(火) 70歳没
①https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%94%B0%E5%89%9B%E4%B8%89
②https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%94%BF%E5%BD%A6
③https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%80%8D%E9%81%94
【古記事】 塩田剛三と木村政彦の対談(1987年)
1987(昭和62)年12月号『フルコンタクトKARATE』JUGEMテーマ:格闘技全般
前にも書きましたが週末は家にいないので、平日にちょっと記事書いてたりします。今回は「ゴング格闘技」の2011年7月号で最終回を迎えた、増田俊也先生の連載「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」に便乗し、達人として名高い合気道養神館の創始者塩田剛三先生と、最強の柔道家と謳われた木村政彦先生の対談記事を紹介したいと思います。 雑誌『フルコンタクトKARATE』の1987年12月号に掲載された物ですね。それでは、どうぞ。
ーーお2人は、拓大時代の同級生だとお聞きしましたが。
塩田 当時の拓大ではね、俺と木村ともうひとり空手の福井の3人が拓大三羽烏と呼ばれていたんだな。木村は人見知りする方で、福井とは口を聞かなかったが、俺はなぜか木村とも福井とも気があって、2人とつきあっていたんだ。
木村 福井はそんなに強かったか。
塩田 福井は、中山正敏さんや高木正朝さんと拓大に初めて空手部を作ったんだね。 ケンカは強いが、クセがあって柔道や、合気道はどうってことない、と言っていた。 じゃ、やってみようと俺が受けて、2人で体育館でやったんだ。 右の正拳突きから右の前蹴りを狙ってきたんだが、サッと左へよけて右腕で拳をはさむようにして左腕で、福井の右肘をたたいたらポンと飛んでいった。 奴は、肘をしばらく痛めてね、それで当時無名だった合気道を修行していた俺も三羽烏の仲間に入れさせてもらったんだ。(笑)
木村 塩田は俺と腕相撲で勝負したこともあった。 いや、強かったな。 俺は身長170センチで85キロだったが、塩田は154センチで47キロだった。
塩田 木村は、10回やって10回負けたとどっかでしゃべってたが、実際は3回やって初めの2回だけ俺が勝ったんだよ。 もっとも、3回目は手を抜いたけどな。(笑)
ーー塩田先生は、何か特別な鍛錬をしていたんですか。
塩田 いや、合気道はね、体によどみを作らないために筋肉を鍛えてはいけないんだ。 しかし、若い頃はそんなことわからないから、植芝先生に隠れて鉄アレイを持ち上げたりして、見つかるとよくおこられた。 しかし、若いうちは体に力をつけたいと思うのは自然で、理屈はあとでいいから、とにかく目一杯稽古してればいいんだ。(中略)朝5時から夜9時まで目一杯やったよ。 若い頃はそういう時期が必要だと思う。 ここにいる木村なんか”稽古の鬼”だったんだ。 有名な”3倍の努力”という言葉があるけど、彼は本当にそれをやり通した。
木村 まあ、人と同じように寝てちゃだめだね。 昭和15年の天覧試合の前は毎日10時間半はやっていたから寝る間はなかった。大学時代は、朝4時半に起きて、牛島先生の塾生だったから、掃除をして、そのあと巻きワラを左右千回ずつ突く。 巻きワラを突くとね、親指の握りがしっかりとするしね、腕や肘や、引きつけるときの手首も強くなる。それから警視庁に行って10時頃から稽古する。 1時間ちょっとぐらいかな。 それから拓大で3時間くらいやって,講道館で夜の6時頃からやって、8時から11時までは深川の町道場でやった。
ーーそれで稽古は終わりですか。
木村 いや、家へ帰ってきて食事をしてフロに入ってから独りで稽古をやった。 腕立て伏せをまず千回、それからボディビル、80キロのバーベルをベンチプレスで600回挙げる。 これだけで1時間くらいかかった。それから、もみじの木に打ち込みを千回。 ものすごい太いもみじの木にね、柔道の帯を巻いて打ち込みするんだが、毎日千回もやってるとすぐ切れちまうんだな。 金がかかってしようがない。(笑) それでロープを持ち出してやってた。それから大外刈りの稽古。 当時、警視庁と講道館で、俺が大外刈りをやると、1日平均10人脳しんとうを起こしていたので、稽古のときは使ってくれるなと言う。 これを聞いて奮発してね。 よし、脳しんとうではおさまらないようにしてやろうと思ってね、大外刈りの研究を徹底してやることにした。(中略)こんなことをやってると、夜中の2時頃になってしまう。しかし、これですぐに寝てはダメだ。 人間は寝たら死んだのと一緒だ。 人が死んでも、自分だけは生きている稽古をしようと。 そういう訓練をすれば勝負に効果があるんじゃないかと思って。 体をつねって、寝ない訓練をする。 朝の4時頃までね。 いつも、朝の一番列車が通って、”あー、夜が明けるな”と思っていた。 一睡もしないときの方が多かったな。 でも、それには、秘訣があってね、学校で寝てた。(笑)
塩田 あんたは授業中いつも寝とったな。 木村が我々のクラスにいたから、誰も落第しなかった。 ケツから押し上げてくれたから。
木村 ふとんの中で、寝ないでいると1日の稽古の状況が頭の中に浮かんでくる。 だいたい100人くらいの人間と1日稽古をしたが、次から次へと人間が出てきて、あのときかけた技はこうで、どうだったか、というのが出てきて、技をかけた瞬間がストップモーションになる。 それでこの技は、いいとか悪いとかわかる。(中略)
塩田 まあ、今の若い人間にそれだけ稽古をしろと言っても無理だろうな。今の柔道の連中じゃ、木村にはかなわない。 今やらしても、山下や斎藤あたりはコロンコロンやられるよ。大外刈りひとつとっても、切れが違う。 今のような体力の競い合いじゃなくて、木村は技で投げていた。 どんなでかい奴でも、一発でふっとんでいたからな。
木村 俺はね、大きい相手とやると、これは投げやすいと思う。 日本人で百キロもある奴は、しまっていないからだ。 稽古不足だからこいつは脂肪がついていると思ったんだ。
ーー木村先生から見て山下や斎藤は稽古不足ですか。
木村 さー、技術面から見ると、真からその道を研究しているようには思えないな。(中略) 柔道をやるとガニ股になるため、左足を踏み出すとき、どうしても開きぎみになる。 これゃいかんというんで、俺は歩き方を変えた。 爪先をまん前に向けてスッスッと歩くんだ。 だから、普段歩いている時でも、足サバキの稽古になった。力を一点に集中しないと、上体の力で投げることになる。 だから今の柔道じゃ相撲には勝てないよ。 本当は相手がでかければ、それだけくずしやすい。 体重があるから、ちょっとくずせば自分の体重がかかっていく。
塩田 今の柔道にはくずしが無い。 だから階級制になって、小さい者が大きい者を倒すことができなくても良くなっている。
木村 柔道のとらえ方が違う。 俺らの頃は、相手が突いたり蹴ったりしてきても対応することを考えた武術だった。勝負には勝つか負けるかしかない。 山下が遠藤とやったときも、あの試合はハッキリと山下が負けていた。 試合開始直後に遠藤が山下にカニバサミをやって倒したが、なぜ引き分けで延長なのか? カニバサミが禁止技なら遠藤の反則であり、OKなら遠藤の勝ちだ。試合の結果は一生ついて回るものであり、主催者のルールの解釈で選手の勝敗が左右されるのはおかしいんだ。私らの頃は、試合はそのまま勝負だった。 雌雄が決するまで40分間、全日本の決勝で戦ったこともある。俺は、試合で敗けることは死ぬことと同じだと思った。 その覚悟でやっていたから、試合では1度も敗けたことはなかった。
塩田 死ぬと言っても、死に直面したことのない人間には、その覚悟もわからんよ。
木村 この前、拓大の総長がね、「木村さん、あなたは死んでも物事をやりとげると言いましたけど、死んでしまったら元も子もないじゃないか」と言うんだ。 私は、この人は武道を徹底してやったことがない人だと思った。 私が言いたいのは、本当に死ぬ覚悟があれば、訓練の度合いが違うんだ、ということだ。
塩田 頭で理解してもらおうとしてもダメなんだ。 命がけっていう言葉は簡単だけど、それを実行に移すには自分を無くさにゃいかん。
木村 そうだ。 本当に無くなるからね。 死ぬというのは、どういうものかと思ってね、自分が試合に負けたら死んで見せるという気持ちを見せるとはどういうことかと思ってね、短刀を机の上に置いておいたんだ。(中略)本当に死ねるかどうか、ある時、ウーッと自分の腹に短刀を刺して見た。(中略)よし、あとは短刀を引っぱれば自分はいくな、と思った。 そこから先は気合だからね。 一気に引けばいい。 そのときに安心した。 よし、自分は本当に死ぬことができると確信を持った。
塩田 真に迫ってる、木村政彦って男は本当に大したもんだよ。 そこまでいけば恐いものは無い。拓大もすごい男を出したもんだ。 木村のような武の神髄を極めた男を出した大学は拓大以外にない。 拓大はもっと誇りを感じるべきだな。 東大なんて知識だけだからな。(笑) 頭じゃなく、実際に自分を捨てて体験する、体得ってことはなかなかできないんだ。
木村 塩田も、命がけを何度も体験してるんだろ。 当時はいろいろあったからな。
塩田 命がけねえ……。 まあ、もう昔のことだから話してもいいだろう。(中略) それまで、合気道の練習をしてても自分が強くなったかどうかわからなかったんだが、日本を発つ時、先生が、「塩田はん、あんたはもうどこへ行っても負けんから」と言ってくれた。 それでも自信はなかったんだが、この事件をきっかけに、死に直面したとき、いかに自分を捨ててしまうかを学んだような気がする。日本へ帰ってから、日本全国の警察予備隊に指導に回ったが、1度もおくれを取ったことはない。
木村 命を捨てるっていえばね、俺は本当に自分の命を捨ててしまったような不思議な経験があるんだ。(中略)稽古に行ったとき、学生が82名もおってね、全員が猛練習していた。 当時は強かったんだ。 高等師範といえば。 よろしくお願いしますって言ったら道場に上げてくれてね、かかり稽古だ。 俺が学生選手権をとったもんだから、こいつをブッ倒せって相手は向かってくる。 こっちは投げられまいと必死だ。 膝でも着いたら一本になると思ったからね。1人5分でやって、70人目くらいかな。 やってるうちに気が遠くなって、それでも奮起してやってたら意識不明になって、前のめりにブッ倒れた。 しかし、自分の体は動いてるんだな。 気を失ったけども攻防の技術を尽くして戦っている。 それから自分がどこに行ったのかわからない。 見ると、高等師範の学生が15人くらい集まって、道場の片隅で何か見てるんだ。 俺は稽古をしながら、あいつら何を集まって見てるんだろうと思って、ソーッと見ると、誰かが長々とノビている。 上からのぞいて見ると、アッ俺じゃないか。(笑)ノビてる俺の顔を見ると安心立命だね。 本当ににこやかに寝ている。 その寝姿がいいんだよ、本当に魅力的に感じた。
塩田 どっちが現実なんだろう。
木村 それがね、どっちが本物かと思いつつ俺がここにいるなら死んだのは誰かなと思いながら稽古は終わった。人間っていうのは、死ぬ寸前、霊界に行く前にね、何かがあるんじゃないのかな。
塩田 よく死ななかったな。
木村 7時間ぶっ続けだからな。 一度も膝を着かなかった。 もうろうとしていたが、帰るときには鼻歌を歌いながら帰っていったら、みんなびっくりしていた。(笑)
塩田 今、木村が言ったように、霊というか精神力の驚異を俺も目のあたりにしたことがある。(中略)肉体は滅びても精神は向上せにゃならん、というのが、先生の考えだったから、だから”ワシが昇天する前が一番強い”と先生は言っていたが、それも証明する話がある。先生はガンで亡くなられたんだが、死の数日前、もう骨皮スジエモンになっているのに、いきなり「稽古しよう!」と布団からハネ起きた。 絶対安静なものだから屈強の内弟子が止めようとすると、4人とも家の中から庭先までブン投げられたんだ。木村がさっき無意識で戦っていた話をしたけど、それは合気道の極意でもあるんだ。
ーーお2人の達人に、一般の人がどのように稽古すれば、その極意に近ずけるのか、そのヒントを教えて下さい。
木村 むろん稽古するしかない。 しかし、今の人にただ稽古をしろっていったってダメだろう。 ムダな稽古はしたくないだろうしな。 ただし、これだけは知っておくといい。 稽古には段階があるんだ。始めは強くなろう強くなろうと思って稽古をするけど、それじゃ芸がない。 ある段階になると、人はまわりの人から強く思われたいんだ。 強いところを見せたいから相手を投げたい。 でもそれじゃダメだ。 自分はどういう技をマスターしたいのか、その意志をはっきり持ったら、相手から投げられようが、どうしようが関係ない。俺は大外刈りにこだわってきたから、負けても大外刈りだった。 その技をマスターしようと思ったら、初心を貫徹する。 稽古で裏を取られてカーッとなるんじゃ、せっかくの技が我流で固まってしまう。 そこで、今まで研究したもんが何もならなくなる。
塩田 基本だよな。 基本を身につけないうちに絶対にその先に行けない。俺が植芝先生に教わったときは、毎日何を教わるのかわからなかった。 ものすごい高度なことをやる日もあれば、翌日は基本的なことをやる。今、自分が合気道を指導する立場になって自分の経験から数少ない基本を取り出して、まずそれを徹底して身につけさせるようにしてる。
木村 俺が独りで練習してるときも、ほとんど基本の繰り返しだった。でも、ある程度のところまで行ったら、伝統的な型をそのまま反復するだけじゃなく、その動作の持つ意味を理解しなくちゃいけない。どこに相手を投げるか、こっちに投げるか、投げる方向が違ってくると、それによって手の引きとか腰の落とし具合が全然違ってくるんだよね。 ここに投げるんだと決めれば、それに対する手の引き、腰の位置、脇のしめ方、腰の入り方が決まってくるわけ。 それを今の人は研究せず、昔の型をそのまま繰り返している。 人間は背の高い人もいれば低い人もいる。 それによって、技も変わってくるんだ。 理論を理解できないと、その人にあった技を研究することはできない。
塩田 技を徹底して体に浸み込ませれば、あとは相手に対しても自然に技が出る。 木村が無意識で戦ったというけど、それは徹底して技を体に浸み込ませた上でのことだ。 ああして投げてやろう、こうして投げてやろうと思っているうちはダメだ。おそらく木村のような達人は無意識にやってるんだろうけど、合気道では、それを呼吸力と言う。 力でない力、相手に併せて自然に出る力だ。 リズムといってもいいね。呼吸は3種類あって、「吸う」、「吐く」、「止める」がある。 吸う息は相手を誘うが、吐くときは極限の力を出すとき、止めるときは瞬発的な動きをするときなんだが、この3拍子に、中心線を合わせる。 どんなときでも頭と足の先を結ぶ中心線を崩さなければ、相手に投げられない。自分の方から、この技をかけてやろう、と気が先走ると技があとに来るから、そこにズレができる。 息との関連性がない。 しかし、呼吸と動作が一致すれば、あとは相手との呼吸を合わせるだけで良い。 相手の動きに応じて自分が反応できるわけだ。知らぬ間に相手の体を崩して、投げることができる。 これが自然体だ。木村が、どんなに大きな相手でも投げ飛ばすことができたのは、自然体をマスターしてたからだろう。木村が選手権をとったときは無になっていら。 相手が木村の思うように動いてくれるんだ。 自然が味方してるんだから。
木村 自然かどうか知らんが、自分は試合の前の日から勝つのはわかっていた。 勝つか負けるか試合の前の日に正座して考えるんだ。 禅と同じでね、すると自分の勝つ姿が浮かんでくる。 そうしたら神仏に明かりをつけて、勝利を祈願すると、翌日はどんな相手も小さく見えて、そして前の日に見た通りに勝つんだ。 試合の前の日には勝つか負けるか煩悩になやまされるからね。 塩田がいうように、煩悩を払って、自然体で臨むようにしていたのかもしれないな。
塩田 合気道も柔道も、動作は違っても、根本は同じなんだ。 山の登りにはいろいろあっても頂上は同じようにね。
木村 登るには稽古しかない。
塩田 若いうちは自分の持っているものを全てハキ出すくらいに打ち込め。 闘志でも腕力でも出しきることが大事だ。 極意だの自然体だのは、年をとってから考えればいいことで、若いうちはガムシャラに突進していくことだ。
木村 武道の国、日本の伝統を受け継ぐ若い人間に登場してきてもらいたいもんだな。
如何でしたでしょうか? ところで、増田俊也先生の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の最後の最後に興味深い話が出ていましたね。 実話なのかどうか、裏を取れる話では無いのですが、一挙に伝説が広がった感じがします。それと大山倍達総裁の話も少し出ていました。早く書籍化して欲しいものです。それから、今号の「月刊フルコンタクトKARATE」2011年7月号に、不動禅少林寺拳法の特集が載っていましたが、その中に元金剛禅少林寺拳法の白蓮会館館長 杉原正康館長と、元不動禅少林寺拳法の太道奥旨塾宗師 中井道仁宗師の対談がありましたが、この中でちょうど当ブログで連載中の「極真空手と少林寺拳法の抗争」について話しているところがありました。 それにしてもタイムリーな記事だwそれでは、また。
参考文献:
1987(昭和62)年12月号『月刊フルコンタクトKARATE』福晶堂
2011(平成23)年07月号『月刊フルコンタクトKARATE』福晶堂
1972(昭和47)年『ケンカ空手 世界に勝つ』大山倍達著 スポーツニッポン新聞社
http://www.masoyama.net/?eid=85&fbclid=IwAR1XjrTr_3PNsE6rEZHzBkSEwnxdquiETIgSYfN1vfu40dHnhaVnRgV7Kxk#gsc.tab=0
『おじいさんとおばあさんと薬のお話』
昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。二人とも歳はとっていましたが、飲むだけで元気になるという噂の薬を毎日飲んでいました。おじいさんはそれを薬だと思っている。もちろんおばあさんも同じようにずっと薬だと思って飲んでいたのだけども、なかなかこれといった効き目がないものだから、なんかおかしいなと思い始めました。そして同じようにその薬を飲んでいた近所の人に訊いてみたら「あれは薬じゃない。何にも効かないよ。まだ飲んでたの」と言われました。おばあさんはビックリして、他の多くの人にも訊いて回ったのですが、みんな「あれは薬なんかじゃないよ。みんなそれがわかったから、あの薬屋には行かないようになった。行ってるのは何も知らずに薬だと信じている年寄りだけだよ」と言っていました。それでおばあさんはよくよく考えてみることにしました。自分のこれまでの体験にも照らし合わせてみたところ、それが薬じゃないと仮定したら、みんなつじつまが合うのでした。そこでおばあさんはおじいさんのことを思って「それはじつは薬じゃななかったんだよ」と言いました。おじいさんは思ってもみないことを言われたのでビックリすると同時に、おばあさんは頭がどうかしたんじゃないかと心配になりました。ついこのあいだまで一緒にこの薬を飲んでいたのに、なんで今さらそんなことを言うのかわかりませんでした。おじいさんは薬屋から「これは絶対よく効く薬です。でも元気になると信じて飲まなければ効きません。効き目を疑ったりしてはいけませんよ」とくりかえし言われてきたことを思い出して、薬をやめようとはしませんでした。おばあさんはそんなおじいさんの姿を見て、なんとか薬をやめさせなければと思い、客観的な証拠をたくさん集めておじいさんを説得しようとしました。しかしその薬を疑うことで効き目がなくなることを恐れたおじいさんは、おばあさんの話を聞こうとはしません。かえってそこまで言うおばあさんは自分のことを嫌ってるんじゃないかなどと疑心暗鬼に陥ってしまいました。そんな態度のおじいさんを見て、おばあさんはとても悲しくなりました。「おじいさんはどうして私の言うことを信じてくれないんだろう」とさらに考えました。そしておばあさんはこう思ったのです。「おじいさんは薬を信じているのではなくて、薬をくれている薬屋のことを信じているんだわ。だから薬が効いてなくても効いているような気になってるのよ」。おばあさんはその薬局のことを調べました。するとその薬局では、お客さんに「これはよく効きます。でも信じなかったら効きません。それに効かないと文句を言ったりしたら、今まで飲んだ薬の効き目もなくなってしまいますよ。そして薬を飲むのをやめたりでもしたら、病気になってしまいます。初めから飲まない人よりも悪くなるんです。ですから絶対この薬はやめないでくださいね。はい、今月のお薬代1万円」。おばあさんはビックリしました。「薬を飲まない人よりも具合が悪くなるだなんてどういうことでしょう」おばあさんはますますこの薬局は怪しいと思って、さらにいろいろと調べてみました。するとこの薬局はときどき薬の内容を変えていたのです。つまり仕入れ先ともめて、いままでの薬が仕入れられなくなったものだから、その薬の成分表を仕入れ先から盗んで、自分たちで勝手に薬をつくって売るようになりました。お客さんには「こんどお薬の中身が変わりました。今度の薬はもっと効きますよ。じつは今までの薬にはちょっと問題があったので、私たちでもっといい薬を開発したんです。今までよりちょっと高いんですけど、安心して飲んでくださいね。私たちがいい薬を作ったものだから、いままで作っていた仕入れ先が私たちのことを妬んで、あることないこと言ってますけど気にしないでくださいね。それから、飲んだことのない人にも紹介してくれたら、この薬はもっと効きますよ。これはそんなとってもありがたい薬なんです。でも効き目を疑ったりしたら毒になってとっても苦しみますから注意してくださいね。はい2万円」もうおばあさんはビックリ仰天です。ただの薬屋が、勝手に薬までつくって売ってるのですから、それは驚きます。これでその薬屋が完全に怪しいことがわかりました。「やっぱりこの薬屋は効きもしない薬を客に騙して売りさばいて金儲けをしているんだ」おばあさんはやっと気がつきましたが、おじいさんにそのことをいくら話しても聞こうとはしません。おじいさんはそんな話を聞いたら、今まで飲んできた薬が効かなくなるどころか、病気になると思って怖がっているからです。そしておじいさんは、あろうことかおばあさんが自分を病気にしようとしていると思い始めました。「こんなばあさんの話なんか聞いてられるか」と、あんなに仲の良かったおじいさんはおばあさんを憎むようになってしまいました。おばあさんは途方に暮れます。「おじいさんのためを思ってここまで言ってあげているのに、どうしてわからないんだろう。いままで何十年もいっしょに暮らしてきた私をさしおいて、あんな薬屋の言うことを信じるなんてあんまりだわ」おばあさんも、いいかげんおじいさんを嫌いになり始めました。おばあさんは、その薬を何十年も飲んできました。その薬を飲んで来たからこそ、たいした病気もせずに、おじいさんと仲良く暮らして来れたと、その薬に感謝もしていました。でもよく考えてみると、この薬のおかげで元気だった証拠なんてどこにもありません。それにこの薬をやめてずいぶんとたちますが、体調の変化もありません。ただおじいさんのことが心配で、不眠症になったぐらいです。そこでおじいさんが飲んでいる薬の成分が何なのか調べてみました。そしたらなんとただの小麦粉だったではありませんか。おばあさんは愕然としました。「私とおじいさんは何十年も何千万円も出して小麦粉を飲んでいたんだ」おばあさんは気が遠くなりそうでした。そこでおばあさんは気を取り直して、もう一度よく考えてみました。「おじいさんはどうしたら気がついてくれるだろう?」「もし自分がおじいさんの立場だったら?」「みんなどうしてあんな薬屋の言うことを信じてしまうんだろう?」いろんな疑問が次々に湧いてきました。そしてこう思いました。「みんな何かを信じている。何かを信じるには、それなりの理由があるのだけど、それは科学的な根拠だとか、目の前の事実だとか、そんなものは理由にならないんだ。どんなことであっても、いったんその人がそれが正しいと信じれば、その人にとっての真実になってしまう。たまたまこの薬を飲んだときと、病気が治ったことが重なって、この薬のおかげだと信じきってしまうのも当然だわ。だってそう信じたいんだから。信じるって、信じたい気持ちが、ものごとをそんなふうに見せるのね。でも、この世の中に何があっても動かない絶対的な真実なんてありはしないとお釈迦さまも言ってた。あるのはその人にとって都合のいいことを真実だと思い込んでしまうこと。それこそが人間の不幸の原因であり、不幸の始まりなんだと、2500年も前に教えてくれてる。だからまわりからどんなにあからさまな間違いを指摘されても、それが何を意味するものかがわからなくなるんだわ。おじいさんの都合では、あの薬屋の言うことが真実だから、それと違うこととなると、私がどんなに間違いである事実を言っても聞かない、聞こうともしないのは当然なのよ」おばあさんはそう納得してはみたものの、それではおじいさんを救えない。原因がわかったところで、このままじゃおじいさんはただの小麦粉に大金を払い続けることになる。それよりも何よりも、このままでは私とおじいさんの仲が壊れてしまう。私は優しかったおじいさんと一緒にいつまでも暮らしたい。なんとかしておじいさんの優しい心を取り戻さなければ…」おばあさんはおじいさんを説得する材料がないか、さらに調べました。その薬局のことも。そしたら、その薬局の社長がどうもそうとうな悪人らしいのです。その社長は自分のところの薬が効くことを客に信用させるために、ただの小麦粉を薬だと騙して売ったお金を使って世界中の著名人と会ったりしているところを写真に撮らせて、それらを載せた会報を有料でお客さんに売っていました。ただの小麦粉に高い値段をつけて売っているというのに、さらにそのお客さんの家族や友人知人にもその会報を購入させているのです。お客さんを自社の商品の販売員としてタダ働きさせているのでした。お客さんは、自分が飲んでいる薬が効くようにと、その薬を売ってまわります。どこまで欲深い社長でしょう。ところがなぜ会報を売ったら薬が効くのか、なぜかお客さんは何の疑問も持ちません。それはそういうものだと信じているからです。お客さんは薬が効きさえすれば何だってする気持ちになってしまっています。お客さんにとってはもはや理屈などどうでもよくなっていることに、おばあさんは恐ろしいものを感じました。それからその薬を飲んでいる人同士を集めて、その薬や会報をたくさん購入するにはどうしたらいいかを相談する会合を開くようになりました。たくさん薬を売ったお客さんが体験発表をして、まだあまり売れてない人を激励するようになりました。そのうち、あちこちにそんな集まりができて、お互いに競争するようになり、それがだんだんエスカレートしていくと、あろうことか売れなかった会報をひとりで何冊も買う人が出てきました。もうおばあさんは開いた口が塞がりません。薬が効くようにと会報を何冊も買う人の気持ちは普通の人には理解できません。でも、そんなことを言っても、お客さんたちは何の疑問も持ちません。それで自分が飲んでいる薬がいっそう効くのだと本気で信じているからです。おばあさんは思いました。「人間、信じるものを間違えると大変なことになる。もしかしたらおじいさんも一生このまま小麦粉を飲み続けて死んでしまうかもしれない」。おばあさんは寒気がしました。さらにその薬局の社長が今何をしているのか気になりました。なにしろ自分の大切なおじいさんに、バカ高いただの小麦粉を飲ませ続けているのですから。すると、どうもその社長は近頃人前に姿を見せないのだそうです。もうかれこれ4年半も。おばあさんはおかしいと思いました。「会社の社長が4年半も社員の前にすら顔を出さないなんてあるかしら。でも病気じゃないと言うし、あいかわらず会報には大量の執筆をしているし。でももっとおかしいのは、そんな社長のことを社員もお客さんも誰一人として心配していないことよ」おばあさんは、何かあると思いました。「社長がいなくても、この薬屋はどんどん小麦粉を売りさばいているし、社員も何一つ文句も言わずに働いている。会報には薬を飲んで幸せになったお客さんたちの満面の笑顔がびっしり載っているし、社長の文字だけのメッセージには、なぜか大昔の社長の写真が載っている」おばあさんは思いました「あまりにも不自然だわ」ある日のこと、おばあさんは結論を出しました。「おじいさんに正気に戻ってもらうには、この私を信じてもらうしかない。はじめから理屈なんかじゃどうにもならなかったのよ。私はおじいさんに元気になってもらいたい。以前の優しかったおじいさんに戻って欲しい。おじいさんは自分が信じているものを私が否定したから私を嫌って、ますます私のことを信じられなくなっているんだわ。だから私は何があってもおじいさんを信じなくちゃいけないの。私までその小麦粉にふりまわされてなんかいられない。私が大事なおじいさんを信じていけば、きっといつかおじいさんもわかってくれる日が来る」それからおばあさんは、その薬の話はいっさいしなくなりました。おじいさんの言うことにいちいち反論したり、冷たくしなくなりました。そしたら次第に優しいおじいさんに戻ってきました。おじいさんは優しくなったおばあさんの変化に少し気がつきましたが、薬をやめようとはしません。おじいさんにとって、おばあさんと薬はなんの関係もないからです。おばあさんは何事もなかったように、優しくおじいさんに接しました。おじいさんも何事もなかったように、仲良く暮らしました。それからさらに20年の月日が流れ、いよいよおじいさんの寿命が尽きようとしています。もう動けなくなったおじいさんに、いつもかいがいしく面倒を見てきたおばあさんも、別れの覚悟を決めるときが来ました。「ばあさんや、わしもいよいよお迎えが来たようじゃよ。いままで本当にありがとう。いろいろ世話になったな。贅沢はさせてあげられなかったけど、こうして今までたいした病気もせずに、事故にもあわずに生きてこれたのは、ばあさんのおかげだよ。感謝してるよ。ありがとう」「いいえ、おじいさん。私こそ、いままでほんとうにありがとうね。私はおじいさんと生きてこれて幸せでしたよ。途中でいろんなことはありましたけど、おじいさんを信じて生きてこれた私は幸せでした。ほんとうにありがとう」「それとわしがこうして元気で来れたのも、若い時からずっと飲み続けてきたこの薬のおかげじゃよ。この薬にも感謝しないとな。まあ、ずいぶん高い薬ではあったが、命には換えられんものな」「そうね、感謝しなくちゃね。ほんとにいい人生だった。私もすぐあとから追いつきますからね。また一緒にくらしましょう」そうやって、ふたりは最後まで心を重ねたまま幸せに生涯を全うしたのでした。ただひとつ、おばあさんはおじいさんに言わなかったことがありました。それはおばあさんが薬の正体に気がついた20年前から、あの薬を別の小麦粉にすり替えてきたことでした。チャンチャン(^^)以上です。あらためて読むと、ちょっと切ないですね(笑)結局のところ、おじいさんは真実を知らないまま亡くなりました。それはおばあさんの愛情だとも言えます。創価が詐欺だと知らないまま死んでいく学会員。知らないままの方が幸せなんじゃないかと思うときもあります。真実を知って訪ずれる地獄のような後悔の日々。取り返しのつかない時間を失い、社会悪に加担してしまった事の後悔。片や真実を知らないまま幸せだと思い込んで死んでいく家族。どっちがいいんだろう。そんな問いかけの話です。おばあさんはおじいさんと昔のように仲良く暮らしたい。そのために真実を封印したんです。でもそんなおばあさんを誰も責めることはできません。おじいさんは幸せな気持ちで一生を終えることができました。幸せと幸せな気持ちは別なんだなと思いました。皆さんはどう思いますか?実はあの頃、私自身の鬱の症状がひどい頃で、仕事への集中力がなくなって困っている頃だったんです。自分が感じている創価のおかしさをなんとかして伝えたいという思いと、なかなかできない現実の狭間で苦しんでいたように思います。あからさまな現実をいくら叫んだところで、自分で気づけない人にとっては現実が現実ではなく、自分の都合の良い妄想が真実なんですね。まさにそれが創価脳だと思いました。そんな人に何を言っても無駄という焦燥感もありました。ここにコメントされる方の多くは、愛する家族がどう考えてもおかしな創価を正しいと信じていることに心を痛めていらっしゃいます。本人にとっては良かれと思って大切な家族よりも創価を優先する創価脳が本当に多いです。ではどうやったら家族の絆を取り戻せるのか。このことで多くの方が悩んでおられます。ということで、今回のテーマは「創価脳の家族にほんとうに言いたい事」」ということにします。創価が詐欺だと気づいたのに、何を言っても家族はいっこうに気づかない。真実を話せば話すほど信頼関係がなくなっていく。もうどうしていいのやらと、家族のことを思うたびにいつも暗い気持ちになってしまう。とてもよくわかります。言ったところで喧嘩になるだけ。「創価と私とどっちが大切なのよ」と喉まで出ている言葉を無理やり飲み込む日々。そんなやり場のない思いを、ここで思い切り吐き出してください。創価脳の家族にほんとうに言いたい事。いくら真実だと言っても創価脳は聞く耳を持ちません。創価脳にとっての真実は、創価から言われた事のみですから、人によっては離婚だ勘当だという話にもなります。せめてこの場で言えない創価脳の家族への気持ちを言葉にして消化できれば、気づかない家族への苛立ちも薄れて、優しく接してあげられるのではないでしょうか。そうすれば何かのきっかけで気づいてくれる時が来るかもしれません。上の話ではおじいさんは気づきませんでしたが、もしかしたらおじいさんはおばあさんの「ほんとう」の気持ちをわかってくれる日が来るかもしれません。自分は気づいたのだから、家族が気づかないはずがない。そう思いたいです。まだ間に合うなら、衝突してでも気がついて欲しい。そうも思っています。ただそれには自分がどこまで持ちこたえ切れるのかがわかりません。自分が死ぬまでになんとか創価の詐欺が社会に認知されるようになればと思っています。
https://signifie.wordpress.com/2016/12/09/%e5%89%b5%e4%be%a1%e8%84%b3%e3%81%ae%e5%ae%b6%e6%97%8f%e3%81%ab%e3%81%bb%e3%82%93%e3%81%a8%e3%81%86%e3%81%ab%e8%a8%80%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%84%e4%ba%8b/
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☆表彰状☆
事業所取次第2位
池本 秀一 殿
あなたは平成27年度8月事業所取次強化月間において四国ブロック地域スタッフ55名の中で優秀な成績を収めました
よってその功績をたたえここに表彰いたします
‡2015(平成27)年09月10日(木)
日本放送協会
松山放送局 営業推進部
法人部長 金子 一広
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20年前の9月11日、何が起きたのか ── 写真で振り返る
‡2021(令和三)年09月10日(金) 15:00 Pamela Engel, POLITICS 443,670
9.11アメリカ同時多発テロから20年。9.11は、日本の真珠湾攻撃以来のアメリカ本土に対する最悪の攻撃となった。死者数は3000人近く、ニューヨーク・タイムズは「アメリカ史上、最悪の自爆テロ攻撃」と伝えた。アメリカは今も、この悲劇を乗り越える努力を続けている。あの朝、何が起きたのか、写真で振り返ってみた。写真のほとんどは、当日のテレビの生中継をキャプチャーしたもの。
2001(平成13)年09月11日(火)の朝は、いつもの朝と同じように始まった。金融街にあるツインタワー(ワールトレードセンター)は30年間、変わらぬ姿を見せていた
写真◆911アメリカ同時多発テロ:朝のワールトレードセンター Fernando Llano / AP
8時46分、アメリカン航空11便がワールトレードセンター・ノースタワーに激突した。最初は、事故なのか、意図的な攻撃なのか分からなかった
写真◆911アメリカ同時多発テロ:ノースタワーに激突したアメリカン航空11便 REUTERS/REUTERS TV
9時3分、ユナイテッド航空175便がサウスタワーに激突。攻撃だと誰もが確信した。ニュース番組の生中継が、まさにその瞬間を捉えた
写真◆911アメリカ同時多発テロ:ユナイテッド航空175便がサウスタワーに激突 AP
ユナイテッド航空175便は搭載していたジェット燃料に火がつき、爆発・炎上。炎は2つのビルに燃え広がった
写真◆911アメリカ同時多発テロ:炎に包まれるワールトレードセンター AP Photo/Chao Soi Cheong
ビルに閉じ込められた人たちは窓から様子を探った。煙と炎が迫ったが、階段は破壊されていた
写真◆9.11 アメリカ同時多発テロ:ビルに閉じ込められた人 REUTERS/Jeff Christensen
9時38分、アメリカン航空77便が国防総省に激突。5分後、FAA(連邦航空局)はその歴史上初めて、アメリカ合衆国大陸部の民間航空機の離陸を禁止し、飛行中の民間機に近くの空港に着陸するよう命じた
写真◆9.11 アメリカ同時多発テロ:炎上するペンタゴン REUTERS/Hyungwon Kang
9時59分、サウスタワーが崩壊
写真◆9.11 アメリカ同時多発テロ:崩壊するサウスタワー REUTERS/Jeff Christensen
脱出する人たちは粉塵と灰にまみれた
写真◆911アメリカ同時多発テロ:粉塵と灰だらけの人々 AP
10時3分、ハイジャックされたユナイテッド航空93便がペンシルバニア州シャンクスヴィルに墜落。実行犯は合衆国議会議事堂を狙ったと考えられている。乗客は他のテロ攻撃を知り、協力して機を奪い返そうとした
写真◆9.11 アメリカ同時多発テロ:墜落したユナイテッド航空93便 AP Photo/FBI
10時28分、ノースタワーが崩壊。わずか12秒で崩れ落ちた
写真◆9.11 アメリカ同時多発テロ:崩壊直前のノースタワー REUTERS/Jeff Christensen
ニューヨークでは2753人が死亡
写真◆2001(平成13)年09月18日(火)。9.11 アメリカ同時多発テロ REUTERS/NYC Office of Emergency Management
死者数には救出活動に駆けつけた343人の消防士と救急救命士、60人の警察官が含まれる
写真◆911アメリカ同時多発テロ REUTERS/Anthony Correia
ペンシルバニアでは40人、ワシントンD.C.では184人が死亡、死者数は3000人近くにのぼった
写真◆911アメリカ同時多発テロ REUTERS/Larry Downing
9.11後、国民は攻撃の影響を受けた人々を助けるために協力した。血液銀行は献血する人であふれ、多くのボランティアがグラウンド・ゼロの瓦礫撤去作業に従事した
写真◆911アメリカ同時多発テロ:瓦礫撤去作業をするボランティア REUTERS/Ryan Remiorz
ブッシュ大統領は、テロ攻撃はテロ組織アルカイダによるものとし「テロとの戦い」を宣言した。アルカイダのリーダー、オサマ・ビン・ラディンは10年後に殺害された。アメリカの安全保障に関する取り組みは拡大した
写真◆911アメリカ同時多発テロ:ブッシュ大統領 REUTERS/Larry Downing
9.11から数年後、「Tribute in Light」がかつてワールトレードセンターがあった場所を示した
写真◆9.11 アメリカ同時多発テロ:ワールトレードセンターがあった場所を示すTribute in Light AP
現在も、9.11記念碑に多くの人が訪れ、祈りを捧げている
https://www.businessinsider.jp/post-175023