過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の氷室さんとBOφWYだヨ(=^◇^=)


☆55,000人が狂喜乱舞したTOKYO DOMEを後に、いざ全国ツアーへ…。『KYOSUKE HIMURO TOUR 2004 "SOUL STANDING BY~』四国公演まであと1ヵ月!!
●去る8/22、東京ドームで一夜限り開催されたスペシャル・ライブ『21st Century Boφwys VS HIMURO』。そのタイトル通り、彼のソロ・アーティストとしての楽曲のみならずBOφWY時代の楽曲も演奏されるという事で、開催前からも異常な盛り上がりを見せていた。チケットは何と発売後たったの5分でソールドアウト!!まさにプラチナ・ライブ。バンド活動時からアーティストの中のアーティスト、カリスマ的存在として君臨し続ける氷室京介ならではの、揺るぎない注目度の高さであった。バックを務めたのは永井利光(Dr.)/西山史晃(Ba.)/本田毅(G.)/DAITA(G.)と、数多くのビッグ・アーティストのツアーに参加するベテラン・ミュージシャン達が脇を固めた…それだけでもこのライブのスペシャル感がお分かり頂けるだろうか?気になる1曲目は'88年4月、BOφWYの解散公演『LAST GIGS』と同じナンバー『B・BLUE』というニクイ演出、本人もかなりリラックスした様子で約2時間30分、全30曲を軽快かつドラマチックに歌い上げた。
「クタクタです。燃え尽きています。でも凄く楽しかったです。皆の盛り上がってる姿を見て達成感はありましたよ」とはライブ終了後の氷室京介の言葉。それにしてもこの日の東京ドームには激震が走った?!特殊なイベントだったので、お客さんのスタイルもかなり気合いが入っていたし、何よりも歌声が尋常ではなかった。それは東京ドームからクレームが来たほど。公式HPで彼はこんな風に語ってい。「マジであれほどとは思わなかったよ…いや、みんなの歌う声がドームからは異常な音のデカさをなんとかしてくれって何度もクレームがきたらしいけど、ハッキリいってファンの歌声はPAのシステムじゃコントロール出来ないからな…(笑)まさに5万5千人のカラオケボックス状態だぜ!」それにしてもこれだけの観客を魅了し続ける氷室京介のキャリアの中で、改めてBOφWYというバンドはどんな風に映っているのだろう?
「何をやっても楽しい時期ですよね。あまり責任感もなければ、計算で何かを汲み上げて結果を期待して動いて行くというのではなくて、瞬間瞬間を楽しめればいいやって。それがたまたま結果に繋がってたというだけで…最後の子供だった時期じゃないですかね。もっといい言い方をすればピュアだった。ロジックでは語れない事だけで何かを表現していこうという最後の時期…そういうものが人に受け入れられて、あれだけのエネルギーを持って。凄い事ですよね。ある意味ラッキーだったと思いますよ(笑)」(氷室京介)そしてその結果は16年が経った同じ場所で、あの時以上に測り知れないパワーを放ち、彼に語りかけてくれたことだろう。
「そういう意味ではこの15年間でシーンの中では誰もいない所に来たという…かなり特殊な歌い手ではありますよね。あまりプロモーションもやらないのに…それはそれで自分はかなりマイノリティなところにいるなというのはあります。それが結構悦に入ってるというか。ファンとの関係を凄くプライドに思っていますから」(氷室京介)相手があって初めて成立する事、ドームでのあの盛り上がりを見ればそれは必然と見えてくる。彼がどれだけ求められ、そして観客がどれだけ彼の期待に応えているのかが。それは今も昔も変わらない、ファンと氷室京介の深い、深い契りの結果だろう。
「凄いパワーだったじゃないですか。全員歌を覚えて来てて、あれだけ盛り上がれるというのは段取りじゃないですよね」(氷室京介)
 これだけ素晴らしいライブを見せられると、否応無しに次のライブが待ち遠しくなってくる。「なんにしても楽しみにしていたライブが終わっちゃったぜ。次のツアーでまた皆の楽しそうな顔が見れる様に、あまり時間がないけど頑張らなくちゃな!」(氷室京介)  現在は
 9/19からスタートした全国ツーアーの真只中、今もなお輝き続けるBOφWYのナンバーは、さてどんな風にセットリストに組み込まれるのだろうか?そんな予想を立てながら、あと1ヵ月に迫った四国でのライブを楽しみにするとしよう。伝説は色褪せる事無く、その伝説に立ち向かい続けた氷室京介、類い稀な才能を持つヴォーカリストの快進撃は、まだまだ物語の途中のようだ。
 KYOSUKE HIMURO 
 "21st Century Boφwys VS HIMURO"
 An Attempt to discover new truths~史上最強のトリビュート~SET LIST
 01.B.BLUE★
 02.ROXY
 03.RUN AWAY TRAIN★
 04.WILD AT NIGHT
 05.JUSTY★
 06.Claudia
 07.LONGER THAN FOREVER★
 08.BLUE VACATION★
 09.B.E.L.I.E.V.E.★
 10.Welcome To The Twilight★
 11.MEMORY★
 12.ROUGE OF GRAY★
 13.Weekend Shuffle★
 14.NATIVE STRANGER
 15.Wild Romance 
 16.Emphatic Line ~featuring DAITA
 17.Virus
 18.Love Shaker
 19.Girls Be Glamorous
 20.TO THE HIGHWAY★
 21.DOWN TOWN SHUFFLE★
 22.BEAT SWEET★
 23.RENDEZ-VOUS★
 24.ONLY YOU★
 25.IMAGE DOWN★
 EN-1 Gonna be Rogue?
 EN-2 ANGEL2003
 EN-3 MARIONETTE★
 EN-4 DREAMIN'★
 EN-5 NO.NEW YORK★
 ※★印はBOφWYのナンバー
 ●『21st Century Boφwys VS HIMURO』 DVD/CDリリース決定!!12/24 ON SALE!DVD:¥7350 特典映像含む全3枚組 完全限定10万枚CD:¥3800 2枚組※CDDAでの発売となります
 ●SG『Wild Romance』NOW ON SALE!
 ★『KYOSUKE HIMURO TOUR 2004"SOUL STANDING BY ~"』 
 04/12/1(水)高知県民文化ホール・オレンジ THANK YOU SOLD OUT! 
 04/12/2(木)香川県県民ホール・グランド 
 ※参加ミュージシャン決定!!真矢(Dr.)/ 西山史晃(Ba.)/ 小森茂生(Key.)/ 本田毅(G.)/ DAITA(G.)
 https://www.duke.co.jp/DOMO/2004/11/himuro_0411.htm


 映像138◆Mr.Children「Documentary film」from“MINE”https://youtu.be/Far8LLATzx4
‡2020(令和二)年12月01日(火) YouTube公開
 2021(令和三)年06月02日(水) 3,824,828回視聴
 


 桜井和寿とGAKU-MC、この時代にこそ響くパワフルな歌とステージ ウカスカジー『アディショナルタイム』ツアー東京公演レポ
 2022(令和四)年01月17日(月) 12:04配信 新亜希子 リアルサウンド
 写真◆ウカスカジー(写真=樋口 涼)
【写真】肩を寄せ合い歌う桜井和寿とGAKU-MC
 Mr.Childrenの桜井和寿とラッパーのGAKU-MCによる音楽ユニット、ウカスカジー。本稿では、
 2022(令和四)年01月12日(水)に開催された『ウカスカジー TOUR 2021-22 アディショナルタイム』東京国際フォーラム公演を、ウカスカジーからのお土産ーー筋肉痛と掌の痛みを味わいつつレポートする。
「さあ始めようか東京!」「準備はいいかい?」とアミーゴ(ファン)を煽り、「コエノチカラ」でライブがスタート。2人はステージを縦横無尽に駆け回る。曲中、桜井は二度吠えた。それはまさに「コエノチカラ」。全身が痺れるような感覚を覚える。感染予防対策を徹底して行われた本公演。桜井のボーカルにも、GAKU-MCの煽りにも、アミーゴは声を返すことができない。桜井が「手拍子ちょうだい」と優しく、けれどどこか挑発的に呼びかけると、一斉にクラップが鳴り響いた。
「こんな時だからこそこの曲を! 拳ちょうだい!」と、続くは「We are not afraid」。会場に集まった5000人のチームメイトが、力強く握った拳を高々と掲げ、手を鳴らし、ジャンプする。〈支え合っていくんだ ひとりきりじゃない〉。こんな時代に、音楽で、ここにいるみんなで抵抗してやろうとでもいうような、パワフルなステージだ。
「世界に誇る日本の宝! 桜井和寿!」
「ラップで世界をプラスの方向に! GAKU-MC!」おなじみのフレーズで互いを紹介したあと、声を出せないコーラスアミーゴもといクラップアミーゴ(いずれもファンのこと)のもどかしさを慮り、桜井が語りかけた。「皆さんが飲み込んだ歌、声は、我々バンドアミーゴが音にします」。2人は「こんな(全員がマスクをした)ライブ、一生に一度か二度しかない」と、チャンスだと思って楽しもうとまでいうのだ。そうして、ファンを一気にバンドメンバーにしてしまう。間違いなくこの日、会場全体がワンチームだった。ウカスカジーのライブに初めて参加するアミーゴとの出会いを祝し、続くは「Anniversary」。サビのライムが心地よい、優しい曲だ。ライトが会場を虹色に照らし、GAKU-MCの動きに乗って皆が身体を揺らす。かつて漫画家・手塚治虫が想像した世界ーークローンやAI技術が、現実になっているという話から、「イメージできることは、現実にできる」と、想いを伝えた桜井。皆に目を閉じるよう言うと、ギターを抱え、優しい歌を歌い始めた。晴れ渡った空の下、そばには愛する人、その口元にマスクはないーー。桜井の歌声に乗せて、ほんのひととき見た世界。続く「サンシャインエブリデイ」もイメージの歌だと、優しく歌った。「イメージできることは、現実にできる」、改めてその言葉の意味を考える。
「青春 FOREVER」「DOWN TOWN」「PLEASE SUMMER BREEZE」と続く3曲は、それなりに長い時間を生きてきた大人にとってのリアルであり、エールだった。サウンドはむしろ清々しく、瑞々しくさえあるのだが、歌詞がぐっと胸を刺す。しかしそのあとには必ず、背中を押す言葉がある。ともに現実からエスケープするような時間、それがウカスカジーのライブの醍醐味でもある。重厚なバンドサウンドが身体の芯まで響く「言葉」「雪物語」のあとには、GAKU-MCのソロ「それでも日々は続く」。MCにも、コロナを受けて付け足したという歌詞にも、彼の優しさがあふれていた。自身もミュージシャンとして多大なダメージを受けながら、彼はどこまでも他者を思いやる。平日のライブに来てくれたこと、そのために協力してくれた家族や同僚のことにまで、想いを馳せる人なのだ。桜井は、岡崎体育の「エクレア」をカバー。歌う前に話していたなかで「いつか来るその日のために」という言葉が印象的だった。桜井は「その日」を誰よりも諦めていないし、イメージし続けている。〈いい曲はいい人と共に〉ーーこういうことかと、会場をぐるりと見渡してみたごきげんに歌い踊ったナンバー「HAPPY HOUR」、続く「上を向いて歩こう」では、2人のアプローチの違いが面白い。ひたすらにまっすぐなGAKU-MCの陽の声、パワフルだが、憂いをまとった桜井の声、まるで違うはずなのに重なり合う。きっと2人の想いと本質が、優しさとポジティブが「同じ」なのだろう。1曲ごとに深々と頭を下げる、2人のスポーツマンシップも清々しい。
「時代」「春の歌」では演出も最低限に、じっくりと音楽を、声を聴かせる。本編ラスト「mi-chi」では、またも桜井が吠えた。その声量と迫力に、拍手が巻き起こった。ここからライブが始まるのではと錯覚するほど、パワフルなアンコール。「手を出すな!」「勝利の笑みを 君と ~日本サッカーのために~」と、ハイテンションなアンセムに会場が揺れる。桜井とGAKU-MCも、肩を組んでジャンプした。
「また会う日まで」のあとには「優しさで出来てます! 桜井和寿」「サービス精神で出来てます! GAKU-MC」と、またも互いを紹介し合う。桜井はGAKU-MCに歌っているときに彼を見ると楽しいと、「ははっ」と目を細めた。
『どんなことでも起こりうる』。
‡2021(令和三)年12月01日(水)リリースの、ウカスカジー最新アルバムのタイトルだ。ダブルアンコールに登場した桜井は、同作収録曲を歌いながら「首をかしげるところがあった」と明かした。ツアーを開催するころにはコロナが収束しているつもりで作った作品だといい「完全に先走っちゃった」「前のめっちゃってる」と、2人で笑った。次に会うときはきっとマスクを外していると、「それまでの約束の曲として」最後に選んだのは「Let's get together ~ウカスカクラスター~」。歌い出しから、そこはもう明るい未来。ハッピーを感染させる、ウカスカジーらしさ全開の楽曲だ。
「どんなことでも起こりうる」、それは悪いことばかりではなく、良いことだってそうだと、2人は繰り返す。2022年、ウカスカジーは確信している。夢見るのではなく、確かにやってくる明るい未来を信じている。
「また始めようね」。そう締めくくったウカスカジー。次回ツアーの1曲目、皆がマスクを外し、肩を組み、大きな声でともに歌うーーそんな光景をイメージした。だからきっと、現実にできる。その日までのパワーと、未来への希望をくれた時間だった。
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 https://news.yahoo.co.jp/articles/eb3778f36bc10ee476b6139c9176cb1988925561
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 セトリ ⇒ https://report-newage.com/28849
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「ウカスカジー」チケットぴあ抽選先行受付
 2021(令和三)年12月22日(水) 20:00~ 受付開始
 2022(令和四)年01月10日(月) 23:59 受付終了 ※月・祝
 2022(令和四)年01月13日(木) 20:00頃から順次 結果発表開始日時
 https://ticket-lot.pia.jp/pia/membmng/CardAuthAction.do

 ウカスカジー New Album『どんなことでも起こりうる』
 2021(令和三)年11月19日(金) TFCC86786 ウカスカジー 5年半ぶりのNew Album「どんなことでも起こりうる」発売決定!さらに、全国ホールツアー「ウカスカジーTOUR 2021-22 アディショナルタイム」開催決定!!!アルバム早期ご予約者にはツアーチケット優先応募シリアルナンバープレゼント!
『どんなことでも起こりうる』ウカスカジー
‡2021(令和三)年12月01日(水)発売 税込3,500円
 01.コエノチカラ 
 02.PLEASE SUMMER BREEZE 
 03.DOWN TOWN 
 04.言葉  
 05.敗戦の夜に 
 06.上を向いて歩こう 
 07.時代 
 08.We are not afraid 
 09.青春FOREVER 
 10.雪物語 
 11.Let’s get together ?ウカスカクラスター? 
 12.Hi-Five 
 13.また会う日まで 
 14.勝利の笑みを 君と ?日本サッカーのために?
 2019年に配信限定リリースしたミニアルバム「金色BITTER」収録の7曲に加え、2019年に開催したツアーに密着したライブ&トラベルムービー「ウカスカジーの大冒険 ~TOUR “WE ARE NOT AFRAID!!”~」特典でDEMO ver.が届けられた「コエノチカラ」、前ツアーの移動中キャンピングカーの中で制作された「PLEASE SUMMER BREEZE」、そしてまたもやオフサイド!?前のめり気味に来年2022年のカタールW杯に向けて「勝利の笑みを 君と ?日本サッカーのために?」を新録、さらに名曲・シュガーベイブ「DOWN TOWN」、坂本九「上を向いて歩こう」のカバー2曲を加えた全14曲入り。さらに
 12/3からは全国ホールツアー「ウカスカジーTOUR 2021-22 アディショナルタイム」開催も決定!
 https://tf.lnk.to/donnakotodemookoriuru
 2021(令和三)年08月16日(月)CD予約期間開始
 2021(令和三)年08月29日(日)CD予約期間終了
 2021(令和三)年08月16日(月) 12:00~ ツアー応募期間
 2021(令和三)年09月05日(日) 23:59迄 ツアー応募期間
 応募の受付期間は、8/16(月) pm12:00~9/5(日)pm23:59となっておりますので、このチャンスをお見逃しなく!
※CDショップ・オンラインショップでのご予約受付開始は、8月16日(月)を予定しております。店舗・ECによりスタート時間が異なりますのでご注意ください。受付開始前のCDショップ・オンラインショップへのお問合せはお控えください。
※店頭でご予約:シリアルナンバー入り応募用紙をご予約時にお渡しします。
※オンラインでご予約:早期予約期間終了後、メールにて順次発送いたします。TOWER RECORDS ONLINE、HMV&BOOKS onlineではマイページにてシリアルコードを順次記載いたします。お客様ご自身でマイページをご確認ください。
※店舗により、シリアルナンバー配布期間が異なる場合がございますのでご了承ください。
<対象商品>
‡2021(令和三)年12月01日(水)発売 ウカスカジー New Album「どんなことでも起こりうる」
※チケット優先応募シリアルナンバーは期間内であっても無くなり次第、配布終了となりますのでご了承下さい。
※一部店舗・ECサイトではチケット優先応募シリアルナンバーを配布していないこともございますので、
<先着特典>オリジナルステッカー
※一部店舗・ECサイトではオリジナルステッカーを配布していないこともございますので、CDのご予約は8/16(月)より開始→ https://TF.lnk.to/donnakotodemookoriuru店舗・ECによりスタート時間異なりますのでご注意ください。受付開始前のCDショップ・オンラインショップへのお問合せはお控えください。
 http://mifa.co.jp/info/6466.html


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 ┃BOΦWY STORY ARCHIVE【1986~1988:前嶋輝】Vol.08┃
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‡2016(平成28)年12月01日(木) 
 2016(平成28)年07月19日(火) @渋谷にて
関係者によるBOOWY伝説を裏付けるドキュメンタリー
映像ディレクター 前嶋 輝(株式会社フィッツロイ代表取締役)
BOOWYの魅力のひとつにデカダンスでファッショナブルな映像美がある。1986年2月1日にリリースした3rdシングル「わがままジュリエット」にて構築された、謎の洋館、封印された本、幼い少女が登場し、包帯巻きになるヴィジュアル・イメージの強烈な映像インパクト。本作の映像ディレクターを担当したのは、その後もサザンオールスターズ、松任谷由実、Mr.Childrenなど、日本のミュージック・ビデオ界のパイオニアとしてたくさんの作品を世に送り出した前嶋 輝(まえじまあきら)氏だ。続いて制作された1986年7月2日にリリースした『BOOWY VIDEO』では、伝説のツアー『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』を記録しつつも、敢えて武道館公演ではなく1986年5月1日高崎市文化会館公演にイメージ映像を加えて残されている。その後も、再発作品などBOOWYに関するライヴ映像のディレクション、編集を手掛け、バンドのビートをヴィジュアルに刻み続けているのが前嶋氏だ。
今も語り継がれるBOOWY映像作品に込められた編集による魔法めいた逸話。そんなBOOWY伝説を裏付ける貴重なトークをお届けしよう。
※クローズドなメディア掲載での発言、多くの登場人物が敬称略であることをご了承下さい。
テキスト:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)https://twitter.com/fukuryu_76
<本文>
――よろしくお願いします。まずは、前嶋さんが映像制作を志されたきっかけから教えてください。
前嶋:もともとは映画志向だったんです。でも、80年代初頭の邦画は斜陽産業というか、流行ってないわ、予算もないわで、当時はフリーで仕事をしていました。そんな頃に『ベストヒットUSA』という小林克也さんがMCの音楽番組がはじまりまして、音楽と映像が一緒になって紹介されていることに衝撃を受けました。たまたま知り合いの紹介でAD(アシスタント・ディレクター)で入れさせていただいて、もともと音楽も好きだったし、映像をやりたかった人間だったので天職だなと思ったんです。あと、僕の師匠に井出情児という方がいて、日本のロック映像の第一人者だったんですよ。当時僕がついていたときは甲斐バンドやARBなどを撮影していました。一番インパクトがあったのはYMOの映画『A Y.M.O. FILM PROPAGANDA』の撮影だったかな。
――それはまた、歴史に残る作品じゃないですか。
前嶋:当時、僕は井出情児について、時には助監督をやったり学ばせてもらってました。映画で好きだったのは、アメリカン・ニューシネマでした。映像でいうと、奇遇なんだけど、先週、イタリアのポンペイに、イギリスのプログレッシブ・ロックバンド、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアのソロ・ライヴを観に行ったんですよ。なぜかというと1972年にピンクフロイドがポンペイの遺跡で、お客さんを入れないでライヴ・レコーディングをやってるんですね。そのドキュメンタリー・フィルムに影響を受けてたんです。
――コンセプチュアルなライヴだったんですね。
前嶋:そうだね:円形ステージの真ん中に機材を組んでカメラで囲んで、ライヴ・レコーディングを撮影するっていう。そんなことを当時考える人はいなかったんですよ。
――まさに音楽と映像の融合からの影響ですね。その後、BOOWYとの出会いはいつ頃だったのですか?
前嶋:BOOWYとの出会いは、「わがままジュリエット」のプロモーション・ビデオを、当時、東芝EMIで映像面をみられていた三保谷(文彦)さんからお話を頂きました。たぶんその前に、バンドの事務所であるユイ音楽工房のプロデューサー糟谷(銑司)さんと、三保谷さんが相談をして推薦してくれたんだと思いますね。
――前嶋さんは、BOOWY以前もミュージック・ビデオの撮影はやられていたのですか?
前嶋:やってます。やってましたけど、まだ当時僕も世に出ていたわけではなくて、……でも、LAUGHIN’ NOSEとかは前だったかな。あと有名どころだとラッツ&スターとか。「わがままジュリエット」で印象的だったのは、はじめて糟谷さんにお会いしたときにおもしろいことを言われたんです。「君は(BOOWYの)音は聞くな。歌詞も見るな。『わがままジュリエット』ってタイトルだけで映像を想像して考えてくれ!」って言われて。それで生まれたのがあの作品なんですよ。
――そうなんですね。それはまたすごい指示ですよね。しかも、作品を観ると驚くほどに作りこまれた映像作品ですよね。BOOWYにとっても初めてのミュージック・ビデオだったという。
前嶋:そういえば、初めての映像作品だったんですよね。
――しかも包帯と少女、謎の洋館、封印された本など、印象的なパーツが登場することで記憶にも残りやすい作品になってますよね。
前嶋:タイトルだけで考えろっていう、糟谷さんからの発想のたまものですね。“メンバーが演奏するシーンはいらない!”ぐらい言われていたと思います。
――まだまだ当時は、メンバーを出してプロモーションで使う前提で考える映像が当たり前の時代のなか、作品の世界観を広げる為に映像を活用するというアーティスティックな試みに驚かされました。
前嶋:そうですね。楽曲の世界観を可視化することで広げるっていうことだったんでしょう。それにBOOWYのなかでも特異な曲だったと思うんですよね。
――ミディアムなナンバーですもんね。映像を観ていると予算が掛かってそうなプロジェクトに思えたのですが。
前嶋:いやいやいや……。そんなことはなくって、予算は苦労というか工夫しました。今はもう存在しない、当日使われていなかった駒沢の洋館で2日かけて撮影しました。
――その謎めいた洋館の中の、木、草などセットにもこだわられていますよね?
前嶋:予算無かったので富士山の樹海にトラック走らせて落ち葉や木を拾ってきたんですよ。洋館に全部敷き詰めました。体力勝負でしたね(苦笑)。洋館はどうやって探したんだったけな……。当時はネットもないし、いろんな伝手で探したんでしょうね。あ、映像に出てきますけど、洋館には地下室もあったんです。
――地下のシーンも印象的でしたね。あと、乳母車が印象的な使われかたをしていました。その辺は、プロットじゃないですけど何か設定みたいなのはあったんですか?
前嶋:いや、まあ……考えたんですよね。でも、資料とか残念ながらまったく残っていないですね。いろんな画集とか、見ながら考えたんですよ、きっと……。
――そうなんですね。実際「わがままジュリエット」はまったく聴かなかったんですか?
前嶋:いや、さすがに聴きました(苦笑)。でも、予備知識を入れないようにBOOWYの他の楽曲は聴きませんでした。
――そうなんですね。BOOWYについてそれまで認識はあったんですか?
前嶋:認識はありました。でもライヴを観たことはなかったです。名前を知っていた程度な感じでした。
――そんなこともあって、あのアバンギャルドな映像作品が生まれたのですね。
前嶋:自由にやらせてもらいました。“曲に対してストレートに考えてくれ”みたいな。
――ミュージック・ビデオでは氷室さんが、ストーリーテラーみたいな役回りなんですよね。布袋さん、松井さん、まことさんも、客観視した形で登場しているという。
前嶋:あの作品観ておわかりのように、BOOWYメンバーは映像にそんなに出演していないので、2日間徹夜の撮影だったのですが、数時間だけ参加してもらいました。メンバーは個々のワンシーンだけだったのに、みんな一緒に集まってもらったので、待ち時間を長くしてしまって“ごめんね”っていう(苦笑)。
――「わがままジュリエット」の世界観を描くにあたって、インスパイアされた作品などありましたか?
前嶋:写真集や映画だったと思います。包帯を巻いた少女がいて……。でも、マイナーな作品だったのか、ちょっと思い出せないですね。ごめんなさい。映画だったのか写真集だったのか……なんかそういうヴィジュアルに影響を受けました。あ、なんか、スウェーデンとかポーランドとか、あっち系の映画を当時よく観てたんですよね。ドイツだったかな……。ロマン・ポランスキーの映画だったかなぁ……。
――その後サブカルチャー界隈でも、包帯巻いた女の子っていうと『新世紀エヴァンゲリオン』で印象的に登場するシーンがありましたよね。答えはわかりませんが、「わがままジュリエット」からの影響?と書かれた文献もありましたよ。
前嶋:へ~。
――その後、反響はいかがでしたか?
前嶋:結果、振り返ると「わがままジュリエット」という楽曲がBOOWYの飛躍のきっかけになりましたよね。僕も、映像を作らせて頂いたことで、注目してもらえるようになり、その後、ミュージック・ビデオ制作等で声を掛けてもらえるようになりました。
――ちなみに「わがままジュリエット」の映像ラスト、CDヴァージョンはフェードアウトで終わっていくんですけど、ミュージック・ビデオでは最後まで演奏が続いていくんです。そして、ラストで乳母車が光るシーンがまた示唆的というか。ああいったシーンにもこだわりが?
前嶋:ですね。その後、高崎で『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』でのライヴを撮影した『BOOWY VIDEO』の映像で、そんなつながりをイメージ映像で演出しています。当時、「わがままジュリエット」の撮影が終わってすぐに、高崎のライヴを撮影しようって話になったんですよ。
――「わがままジュリエット」の映像の世界観によってBOOWYのイメージの幅が確実に広がったと思いますからね。これまでのパンキッシュなビートロック的な世界観からの脱却であり飛躍ですよね。そして、4thアルバム『JUST A HERO』のツアーにおける1986年5月1日、ツアー10本目となる高崎市文化会館でのライヴをBOOWY初のビデオ作品『BOOWY VIDEO』に収録したという。
前嶋:この日は、ビデオを撮るためのコンサートだったんですよ。メンバーの故郷、高崎ならではのスペシャルな企画ですよね。
――撮影のために通しリハもおこなわれたようで、オーディエンスは2度ライヴを観れたと記録されています。映像では、珍しく氷室さんが髪を下ろしているのも印象的ですよね。ちなみに、パッケージの表紙写真はなぜか武道館公演の写真という。
前嶋:ツアーだと客席が決まっているので、当時は機材も大きかったので撮影しづらかったんですよ。でも、ライヴを撮影するためだったので、アングルにこだわってカメラを設置できました。花道を作ってもらったり、セットも細かくこだわったり、ちょっと通常のツアーとは違うんですよね。やっぱり、カメラをいろんな角度で置けるのがよかったんです。せっかくビデオのためのライヴだから、普段では撮れないアングルで撮影してみようってコンセプトだったと思いますね、確か。
――当時ビデオ・パッケージは販売価格1万円ぐらいしましたし、まだまだライヴ・ビデオを発売することが貴重な時代だったと思います。
前嶋:ライヴ・ビデオのためにコンサートをやることもかなり珍しかったと思います。当時だと、会場は普通のホールだからフロント側から撮影することが多くなるじゃないですか? 高崎ではバックショットをけっこう撮影したんですよ。ヒムロックのシルエットや、布袋君を後ろからのアングルで見たときや、静かな松井君、楽しそうなまことさんのたたずまいとかね。これこそがBOOWYのかっこいいヴィジュアルなんだってのを高崎で発見したんですよ。
――それは大きなターニングポイントですね。
前嶋:衣装もこだわってましたね。ヒムロックなんか重たかったし、暑かったと思いますよ。
――
●5月1日に高崎文化会館で撮影されて、ツアーラストは“ライブハウス武道館へようこそ!”で有名な7月2日の武道館なんですよね。で、武道館公演の翌日7月2日に、高崎で収録したライヴ・ビデオを発売してるんですよ。これって今から考えるとスケジュール的にかなりすごいことだと思ったんです。しかも、映像にもこだわりがありましたし。
前嶋:えっ、そうだったんだっけ? ははは(苦笑)。本当、無理ばっかりやってたんですよ(苦笑)。
一同:(笑)。
――でも、これってBOOWYが駆け上がっていくスピード感とシンクロしていたってことですよね。1986年にブレイクして1987年のクリスマス・イヴに渋谷公会堂で解散宣言だったわけですから。ほんと「わがままジュリエット」のミュージック・ビデオから、バンドの成長というかスピード感がさらに加速してるんですよね。しかも、結果にもあらわれはじめるという。
前嶋:ライヴもほぼ撮らしてもらっているので、1986年から解散までは、いっつもBOOWYを編集してた感じなんですよ。1年半ぐらいの出来事だったんですね。驚きです。
――『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』の武道館公演も撮られたのですか?
前嶋:撮ってます。押さえてますね。テレビ番組で使われたのかな?
――撮られていたんですね。でも商品化はされなかったという。
前嶋:それこそ、高崎で『BOOWY VIDEO』で作品として残したからなんでしょうね。それもあってか、ライヴ盤で限定発売して伝説化したわけですから、すごいことですよね。
――間違っていない考え方なのでしょうね。もちろん、武道館公演の映像はオフィシャルで観たいですけどね(苦笑)。そういえば、マネージャーだった土屋(浩)さんが、『BOOWY VIDEO』の完成度が高いから武道館公演の商品化は考えてなかったと話していたのを思い出しました。結果、氷室さんによる“ライブハウス武道館へようこそ!”のMCは日本で一番有名なライヴ中のMCとなりましたが、映像は今もリリースはされてないという。
前嶋:そうですね。土屋さんもいろいろ考えられる方でしたからね。
――高崎で撮られた『BOOWY VIDEO』のなかで、「わがままジュリエット」はもちろん「ミス・ミステリー・レディー」でもイメージ映像が差し込まれていますよね? 「わがままジュリエット」にも登場した女の子、LISA HEIDERが演じるシーン。
前嶋:もともと想定していたことではなかったんですよ。たくさん撮影した素材を活かしたんだと思います。
――なるほど、「わがままジュリエット」で使わなかったものを使用されたのですね。あと、『BOOWY VIDEO』で印象的だったのは、ドラムの下に5発のライトが仕込まれていて、いい具合のスモークによって氷室さんのシルエットが綺麗に映し出されていたんです。
前嶋:そこはけっこう意識的だったかもしれませんね。「BAD FEELING」のオープニングのヒムロックのシルエットなショットにも反映されていますね。あれからスモークは濃くなっていきましたね(苦笑)。
――そういえば、「わがままジュリエット」のミュージック・ビデオに登場した少女LISA HEIDERさんはその後どうなられたんですか?
前嶋:今はわかりませんが、その後、わりと有名なモデルさんになっていたと思いますよ。オーディションで選んだんですよね。
――そうなんですねぇ。そしてBOOWYは翌年の夏、 1987年7月31日の神戸ワールド記念ホールと、8月7日の横浜文化体育館での2日間行われたライヴ『“GIGS” CASE OF BOOWY』を撮影され、後に4本のビデオ作品としてリリースしました。
前嶋:当時のことで思い出すのは、通常はツアーで僕たちが撮影に入るとよそ者というか、ステージ・スタッフから見ると“めんどくせえ奴らが来たな”って感じだったと思うんです。舞台監督とか怖い人たち多かった時代だったんで。でも、BOOWYに関しては、メンバーも含めて、事務所サイドが“かっこよく撮れるのであれば、正面でもバックショットでもOK!”って言ってくれてたんです。通常撮れないぐらい、松井さんに近づいて撮った映像もあったり。メンバーも撮影中、布袋君だったら足を蹴り上げたり、ヒムロックもカメラなんか関係ねえぜみたいな感じで煽りまくってましたから。“来るんだったら来いよ!”っていう闘いみたいな感じでした。そこが彼らのかっこよさだと気がついてからは、こっちも相当、考えて撮影しましたね。トライの連続ですよ。
――BOOWYのライヴ映像は、観る者を飽きさせない決め所シーンの連続ですよね。それこそ、当時、僕は小学生だったので生でBOOWYのライヴは観れなかったんです。でもBOOWYって、数々の伝説や残されたライブ映像の結果、解散後からファンが増えつづけていったんですよね。もちろんメンバーそれぞれの、その後の活躍があったからというのもあるんですけど、ビデオで発売され残された『BOOWY VIDEO』、『“GIGS” CASE OF BOOWY』の存在は大きかったと思っています。あれを観てBOOWYのライヴの魅力を感じた方もってものすごく多かったんですよね。あと『“GIGS” CASE OF BOOWY』では、ちょっとドキュメンタリー風なシーンも挟み込まれていて、メンバーの人柄を伺えたんですよね。ああいうの、ファン的にたまらないですよね。ライヴが終わった後、メンバーがはける時に、布袋さんと松井さんが道を譲り合うシーンだったり、ヒムロックが本番でかけあがっていくハシゴを松井さんが登ろうとして、“わぁ 、怖くてこれ以上登れないや”みたいなやりとりとか。
前嶋:ありましたね、それ(苦笑)。
――あの辺のオフショット・シーンなど、たくさん撮られていたんですね。
前嶋:そうですね。ドキュメンタリー的な要素を持たせたい意向がありましたね。30分ずつ4本のVHSビデオに分けてリリースした手法も画期的でしたよね。
――あと、BOOWYのビデオ作品でいうと、たとえば1日目2日目な公演が同じ会場であると、作品にして販売するときには、両日の良いシーンを混ぜて編集したりしてましたよね?
前嶋:日本ではあまりなかった手法だったかもしれません。最初、実験的にやってみたんですよ。そうしたらメンバーも“いいじゃん!”って。“かっこよけりゃいいんだよ!”っていう。スタッフ含めてみんなの判断基準が“かっこいいかどうか”だったんです。
――ライヴ盤『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』で、ヴォーカルやコーラスの差し替えやキーボードの音、観客の歓声等をオーバーダビングしたのも、ライヴにこだわったバンドでありながらも、さらなるかっこよさの追求だったわけですもんね。渋谷公会堂での解散宣言のフィルムで撮影されたライヴ映像も、また違うベクトルでのこだわりですよね。
前嶋:あれはね、アート・ディレクターの永石勝さんと糟谷さんが最後の記録として残しておこうってとこから始まって撮ったんですよ。ただし撮ったはいいけど、そのあと何十年も埋もれていて……。その後、2000年だったかな? 糟谷さんから電話かかってきて、ごめんちょっと話したいことがあるからって言われて、“編集してみないか?”って言われて。“喜んでやります”って答えて。ただ、その当時カメラが何台も揃って撮っている環境ではなかったんですね。なんていうかドキュメンタリー映画的にカメラ4台5台だったんです。なので、作品として成立するかどうかも、やってみないとわからないっていう。でも、当日の張りつめた緊張感や想いがフィルムに刻み込まれていたんですよ。なので、ちゃんと作品としてかっこいいっていう。BOOWYはどうやってもかっこいいんだっていう証明となりましたね。
――衝撃的なライヴ・フィルムでしたね。
前嶋:編集して、最初に糟谷さんと観たときにお互い泣きそうになりましたからね……。
――日本ロック史上、最高峰のライヴ・フィルムだと思っています。
前嶋:編集させていただけて嬉しかったですよ。自分でやっててもちょっとすごいって思いましたから。
――氷室さんの表情がすごいんですよ。『“GIGS” CASE OF BOOWY』から4ヶ月かな? 半年も経っていないのに、全然表情が違うんです。いかに解散について悩んだかというあらわれですよね。
前嶋:あの時の表情、そして最後チラリと布袋君を見るっていう。もうすべてが凝縮された瞬間のシーンで。なんかもうこうグワッとくるよね。こんなドラマティックなバンドは他にないと思います。
――ライヴが終わったあとも、アンコールが止まないんですよ。お客さんもしっかり映していたり、入りきれなかったオーディエンスによる張りつめた雰囲気の屋外のシーンや、方やクリスマスムードな今は無きミスタードーナツが映っている公演通りのワンシーンとか。ほんと時間をあの時のままパッケージングしたドキュメンタリー映画って感じがしますよね。
前嶋:たしかに、あの瞬間の雰囲気が見事に映像で切り取られていてすごいですよね。撮影はフィルムで永石勝さんがやられているんです。あれを14年後ですか? 編集させていただけて感動しました。世に出すべき作品だと思いましたから。
――そして、この『1224』という解散宣言のシーンをおさめた映像がありながら、翌年4月には、完成したばかりの東京ドームで『LAST GIGS』が2日間おこなわれました。
前嶋:BOOWYは、ライヴに関するスタッフの一員みたいなもんだから最後も当然やらせてもらいました。でも、収録したものの発売はされなかったんですよね。それこそ、思い詰めた表情の『1224』のヒムロックと、もう次のステップに向かっている『LAST GIGS』でのヒムロックの表情は全然違いましたよね。
――なぜ『LAST GIGS』は、当時ライヴ盤は1ヶ月後にはリリースされましたが、映像パッケージは発売されなかったんですかね?
前嶋:当時は出す必要性がなかったんだと思いますよ。もうバンドは終わっていて次のステップにみんなそれぞれ向かってましたから。でも、とにかく記録として残しておこうっていう。カメラの台数も、あんな大きな東京ドームでしたけど、10台もなかったと思います。ライヴ中、リアルタイムにスクリーンに出さなきゃいけない会場映像があって、プラス数台という考え方ですよね。今から考えると、とても東京ドームで収録として出すようなカメラを揃えていませんでした。
――社会現象にもなった最後のライヴ映像がリリースされないということが、さらなる伝説を生み出しましたよね。狙ったわけでは無いと思うのですが、すべてが伝説的な方向へと作用しているんですよね。
前嶋:ほんとだよねぇ。でも、あの瞬間でほんとすべて終わったんですよね。
――前嶋さんのなかで、BOOWYで印象的な楽曲ってなんですか?
前嶋:この間、ヒムロックの最後の『LAST GIGS』公演を東京ドームで観た時に、何曲目だったかな。前半の方で「ハイウェイに乗る前に」をやったよね?
――やりましたね。
前嶋:「ハイウェイに乗る前に」を聴いて鳥肌が立ったんです。後半は「PLASTIC BOMB」で鳥肌が立って。氷室京介の生声であの曲をライヴで聴けて感動モンでした。それこそ、これまでのライヴを編集していた時代を思い出しました。
――なるほどです。記憶に残り続けるBOOWYのライヴ映像作りの編集において、特にこだわったポイントを教えてください。
前嶋:BOOWYに気がつかせてもらったことがあるんですよ。ひとつ教えてもらったというか。それまでは音で切る、音で編集カット点を切るっていうのを割と普通に思っていました。小節ごとに、音で切っていくという。でもBOOWYでは、音ではなく“動き”=アクションで切っていったんです。まぁ音で切る所もあるんですけど、基本アクションつなぎっていうか、ヒムロックのアクションだったり、布袋君のステップとか。もう、音だけじゃないんですよ。それをやり始めたのがBOOWYが僕の中で最初でした。それ以降も割とアクションつなぎを大事にしてきました。
――あの映像のグルーヴ感の魔法めいた秘密の理由はそこなのですね。感動しました。では、最後の質問になりますが、前嶋さんにとってBOOWYってどんな存在ですか?
前嶋:う~ん、……僕の、映像ディレクターのきっかけを作ってくれたバンドなんですよ。いまもリリースがあるときは関わらせてもらってるし。ヒムロックや、布袋君ともたまに仕事したりして。ほんと人生において欠かせない大事な存在なんですけど、それこそメンバーの皆がいまもそれぞれ活動しているのが素晴らしいですよね。
――そうですよね。そういえば、来年2017年は『MORAL』のリリースから 35年なんですよ。
前嶋:またどっかの倉庫に行って一生懸命探さなくちゃいけないね(苦笑)。
――ははは(苦笑)。そういえば、前嶋さんはインタビューとかあんまり受けないのはなぜなんですか?
前嶋:正直苦手なんです(苦笑)
――ははは(苦笑)。それはとても貴重なお話をありがとうございました。それこそ「わがままジュリエット」や『BOOWY VIDEO』の映像についての記録や話って、あんまり残ってないんですよ。
前嶋:ああ、そうかもしれませんね。よしなに、お願いします。
<インタビューを終えて>『BOOWY STORY ARCHIVE』第8弾、映像ディレクター 前嶋 輝氏へのロングインタビュー。いかがでしたでしょうか。BOOWY躍進のきっかけとなったシングル「わがままジュリエット」のミュージック・ビデオ誕生秘話。いまもなお語り継がれるライヴ映像における、メンバーによるアクションでカットポイントを設定する編集テクニック。BOOWYのライヴ映像がなぜいまも語り継がれているのかの秘密を垣間みた瞬間でした。
引き続き、ロックの歴史を変えたBOOWY伝説の物語を、関係者の証言を追い求めていきたいと思います。これら記憶と記録が、次世代の音楽シーンへの正しい継承となることを信じて。
次回アップデート予告:音楽ライター 藤沢映子
 https://sp.boowyhunt.com/interview/?id=8

 ┏━━━━━━━━┓
 ┃ 『JUST A HERO』┃
 ┗━━━━━━━━┛BOφWY4枚目アルバム作品
 1985(昭和60)年10月24日(木)から 録音 ミュージックインスタジオ
 1985(昭和60)年10月28日(月)まで 録音 ミュージックインスタジオ
 1985(昭和60)年10月29日(火)から 録音 河口湖スタジオ
 1985(昭和60)年10月31日(木)まで 録音 河口湖スタジオ
 1985(昭和60)年11月15日(金)から 録音 伊豆キティスタジオ
 1985(昭和60)年11月20日(水)まで 録音 伊豆キティスタジオ
 1985(昭和60)年11月27日(水) 録音 KRSスタジオ
 1985(昭和60)年11月28日(木) 録音 KRSスタジオ
‡1985(昭和60)年12月01日(日) 録音 KRSスタジオ
 1985(昭和60)年12月02日(月) 録音 KRSスタジオ
 1985(昭和60)年12月07日(土) 録音 マグネットスタジオ
 1985(昭和60)年12月08日(日) 録音 東芝EMIスタジオ
☆東芝EMI/イーストワールド☆
 1986(昭和61)年03月01日(土) LP WTP-90389 LP初回生産分ピンナップポスター(LPサイズ)付属
 1986(昭和61)年03月01日(土) CD CA32-1226
 1986(昭和61)年03月01日(土) CT ZH28-1648 第5位
*****************************************
 http://sp.boowyhunt.com/history/?id=143
 http://sp.boowyhunt.com/discography/?id=13&category=1
 https://ja.wikipedia.org/wiki/JUST_A_HERO_(BO%C3%98WY%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
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 削除動画◆1:39:45 BOΦWY 日本武道館 ROCK'N ROLL Review Dr Feelmans Phycopathic Hearts Club Band Tour https://youtu.be/KoOZONXiaAc
 1987(昭和62)年11月30日(月)
 音源◆2:31:59 BOΦWY 日本武道館 ROCK'N ROLL Review Dr Feelmans Phycopathic Hearts Club Band Tour https://youtu.be/vTSW43TnFcI
 1987(昭和62)年11月30日(月)
 
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 ┃ 過去の今日のBOΦWYの出来事 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1987(昭和62)年11月30日(月)~12月01日(火) 日本武道館
 ※セットリストは1224参照
 BOΦWY最後の武道館2DAYSですね。1224の渋公が最高でしたが、解散宣言という悲しい結末で終わらない同ツアーのライブを、最高の形で見てみたいですね。 それが適しているのがやはりこの武道館ライブではないでしょうか。 写真では残っているんですがねー。 映像の存在は聞いたことはないですが、絶対あると思います。 これもいずれは発売されるんでしょうかね~???
 http://boowyblog.blog35.fc2.com/blog-entry-375.html

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