過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

今日、産まれた犬作の本性だヨ(=^◇^=)


池田大作の本性について
2012(平成24)年07月15日(日)
平成19年に出版された、原島 崇氏(元創価学会教学部長)の『絶望の淵より甦る』この本を読み返してみた。池田大作を師匠と仰ぎ、また、池田大作も原島崇氏を一番弟子としたほど頼りにした存在であったようだ。
その一番弟子の原島崇氏が昭和55年創価学会から脱会したが、昭和35年の会長就任より、側近中の側近として、20年間に亘って池田大作に仕え、表も裏も知りつくし、池田の本性を痛いほど見尽くして来た氏の遺言ともいえる書ではないかと思う。
ぜひご一読願いたき本だ。氏の書きとどめた “ 池田大作の本性 ” を原文から少し紹介したいと思う。
 ■すべては幼少期のコンプレックスに発している ⇒ 昭和55年に入り、私は池田大作に直接会って、数多くの誤ちを諫言しなければならないと心に誓いました。間に人を介してはダメだ、私自身がじかに池田に会うしかないと決断し、私の意思が通じて、2月26日、本部一階の応接室で、一対一で6時間にわたって私の思いをありったけぶつけました。
「本尊模刻」の大謗法と「正本堂が御遺命の戒壇」と偽った大謗法を鋭く指摘しました。
また、池田大作の人間性についても、私の感ずることを「生理的嫌悪感を感ずる」と直言しました。 
これにつての詳細は別の機会に譲ることとして、ここでは池田大作の本性について、最側近にいた私のありのままの真実の告白を綴らさせていただきます。
 ■1.コンプレックスの固まりのような存在 ⇒ これは彼の幼少期の体験が大きく影響しているようです。彼は母の「いち」さんには様々な機会にふれていますが、父のことについては、ほとんど言及していません。ただ氏名が「子の吉」であること、「ノリ業者」であること、「強情様」といわれたことぐらいの記述しかわかりません。 
昭和20年代後半に池田は父のもとを去ってアパート生活をしていたこと、父を最後まで日蓮正宗の信仰につけさせることができず、結局、真言宗の葬儀をするという結果に終わったのです。池田は一番大切な実の父すら折伏できなかったのです。
結局、母に対しては信頼し、尊敬をしていましたが、父には何かしら憎悪すらいだいていたように受けとれます。こうした「父親不在」ともいうべき幼少期、青年期を経た人特有の「暗い影」すら池田には漂っています。 
加えて、彼は病弱であり、貧しい家庭環境にあったこと、高学歴を経てないことなど複合的原因が、彼の「コンプレックス」を形成したものと思われます。 
それが、たとえば実際には卒業していないのにもかかわらず、東大出身の桐村泰次氏に、40歳代になった昭和40年代の前半、卒論を「代作」させて、富士短大卒としたり、最近では、数多くの勲章とともに「名誉博士号」を取得し、「池田博士」といわれることでご満悦になっている根っことなっているのではないかと思います。
 ■2.「ウソつき」の天才 ⇒ すべてがウソで固められているといっても過言ではないくらいです。
・彼の「入信神話」のウソ
・「戸田二代会長からエレベータ相承を受けた」というウソ
・「池田本仏化」の自作自演の数々のウソ、
・すべてての著述等を自分で書いてきたという大ウソ
・会員から一銭も寄付を受けないと約束したことのウソ
・学会としてお墓を作らないといったウソ
・「名誉もいらない、勲章もいらない」といったウソ
・「言論出版問題」で大誠実を装い「関係者の方々に直接お詫びしたい」 と宣言した ことを実現しなかったウソ
・日達上人をごまかした数多くのウソ、政教分離を約束したウソ などなど、数えあげればきりがありません。
 ■3.全くの無反省体質 ⇒ 私は、池田が心から反省したことなど、ついに一度も見たことがありません。彼が社会や宗門に誓った様々な「お詫び」を口にした「猛省」など、ことごとく虚偽です。
自己をを省みる尊さ、強さなど、まるでわかっていません。
 ■4.権力欲の権化 ⇒ 彼は若い頃から「天下を取る」ことが口癖でした。仏法は権力欲とはまったく関係がありません。むしろ仏法の始祖・釈尊は、王たる身を捨てて出家し、仏道を成就したのです。 末法の御本仏日蓮大聖人様も、世俗の権力者を諌められましたが、みずから権力者になることなど毛頭考えておられませんでした。
檀越の方々にも「天下を取れ」とか、それに類いすることは一切仰せられていません。むしろ「御みやづかい(仕官)を法華経とおぼしめせ」と仰せられたように、良き社会人であることをご教示になられているのです。 
彼の権勢欲と共に、名誉欲も他にぬきん出た激しいものがあります。彼はかつて「名誉もいらない、勲章もいらない」といっていたのです。それは表向きのきれいごとであって、本心は名誉欲の権化だったのです。これは今日の池田大作の勲章の数、名誉市民など名誉称号の数の多さが証明しております。彼はそれを誇らしげにしていますが、仏法では「名聞名利」を強く戒められています。 
第九世日有上人の「化儀抄」には「一、名聞名利は世事なり。仏法は自他の執情の尽き足る所なり。出家して此の心有る時は、清浄の仏法を盗んで名聞名利のあきないになす処は仏法を盗むなり。厳に然るべからず心中なり。尤も嗜むべし云云」とあります。
これは出家の戒めを説かれていますが、「法盗人」とまで厳しく言われています。
池田の場合も、勲章の数を誇り世界各地から名誉称号を数多くもらっていることを自慢のタネにしていることは「名聞名利」そのものであり、それは「世事」であって、しかも世間的にも卑しいことであって、仏法とはまったく関係ないのです。
しかも、そうした称号を得るために、会員から収奪した金を利用していることは、「法盗人」であり、世間的にも醜い根性の見本みたいなものです。
 ■5.支配欲の凄まじさ ⇒ 彼は、会員を彼に仕える「奴隷」のように扱っています。 池田は常々、「私のために死ねる人間」「私のために死ねない人間」と幹部を色分けし、池田のために死ねるという人間だけを重んじてきました。
“池田本仏化”も、第六天の魔王(他化自在天)のような、他も自在に操る魔性を持った人間の振る舞いそのものです。 
支配欲は、創価学会のみにとどまりませんでした。日蓮正宗までも支配下に納めようとしたのです。それは正本堂建立以後あらわとなり、日達上人を悩ませたのです。 さらに前述したように、国家支配を長年めざしてきました。若い時からの口癖は「天下を取ろう」であり、創価学会の「総体革命」もその路線そのものです。
 ■6.「慢心」のかたまり ⇒ 私は最側近にいて、彼が「どうだ、私はすごいだろう」「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」
と聞いたことがあります。「私の記憶力は抜群だ。そうでなければ、30年前の『人間革命』など書けるわけがない」(『人間革命』は故・篠原善太郎氏の代作)・・・ 
こうした慢心は著名人にも及んでいます。「中曽根康弘(元総理)はこちら(創価学会)の小僧だ。ケネディ気取りで、よしよしと言っておいた」「トインビーは過去の人で、また机上の空論の人だ。私は実践の人だ。そう、トインビーもいっていた」 
こうした池田発言を受けて、「聖教新聞」では「世界の偉人に並ぶ」といったマハトマ・ガンジー、キング博士、アインシュタイン等の人類の「偉人」を数多く並べ、それらの人々の偉大さを全部そなえた「偉人」として奉っているのです。 
第67世日顕上人は、御登座以来、「十四誹謗」「1にきょう慢、2に懈怠、3に計我、4に浅識、5に著欲、6に不解、7に不信、8に顰蹙、9に疑惑、10に誹謗、11に軽善、12に憎善、13に嫉善、14に恨善」(松野殿御返事)
を通して、第一の「きょう慢」の恐しさをご指南あそばされていました。御隠尊日顕上人は、27年間の長きにわたって御法主上人の重責を担われ、
2005(平成17)年12月12日(月)に日如上人に「唯授一人の血脈」をご相承あそばされました。
その日顕上人が最も憂えられたのが、池田大作の「きょう慢」謗法でした。正本堂にしても「御遺命の戒壇を私が達成した」とし、自分が大聖人さえできなかったことをやりとげた、自分は大聖人の「再誕」もしくはそれ以上の存在であると誇示していましたが、これこそきょう慢謗法の最たるものです。
 ■7.「人を信ずることができない」性格の持主 ⇒ 池田から「私は誰も信じない」という言葉を何度聞いたことでしょうか。私はその言葉を聞くたびに、「人を信じれない」ということは最も不幸なことだと哀れに思っていました。 
仏法上の「信」は「道の母」ともいわれ、仏法を会得する上で一切の源であることは、諸御書に明らかです。 
生活と社会の場においても、「信」は人間関係の基本であり、社会のルールも「信」を欠いては成り立ちません。家族も「信」によって結ばれてこそ、円満な家庭がありうるのです。
一般世間の師匠と弟子、学校の教師と生徒、会社の社長と社員、友だち同士、みな「信」を基本に置いてこそ、良好な関係がありうるのです。世の中に「信」というものをなくせば、殺伐とした社会になっていくことでしょう。 
池田大作が「誰も信じられない」というのは、人間関係の基本の欠如であり、より根源的には、仏法そのものの「信」が欠如しているからにほかなりません。彼が「信」という言葉を使うとき、必ず「無疑曰信」(疑い無きを信と曰う)という言葉で語るだけです。 
「無疑曰信」とは本来「疑うな」という意味ではありません。最高の仏法は「真実」であって疑いの余地のないことを指しております。「疑い無きを信と曰う」という意味も、疑って疑いぬいて、なおかつ疑うことのできないところを「信という」との意で、「信」の尊さを教えているのです。
むしろ、第26世日寛上人は「大疑は大悟に通ず」と仰せられています。疑うのは「信」のためであり、最終的には「信」に到達しなければなりません。そして疑うことのみで終始すれば、それはやましい「猜疑心」であり、ここには真実の幸福は生まれません。 
しかし、池田が使う時は、「私を疑うな、私を信じろ」ということの意であり、むしろ、これはあえていえば「不疑曰信」といえるでしょう。
 ■8.「被害者意識」がきわめて強い ⇒ 自分が加害者であっても、被害者を装うことが常でありました。言論出版問題の時も、〝創価学会=池田大作”が加害者であるにもかかわらず、「処女が強姦されたような心境です」と高瀬広居氏に語るなど、まさに「被害者」を装っています。
あの時も「法難」という言葉がしきりと語られました。法難というのは正法を広めて難にあうことであって、世間法を犯して社会から指弾を受けることは、法難とはいわないのです。 
日蓮大聖人は「世間の失一分も無し」と仰せられて、正法を護持し、広めていった結果の難であって、「世間の失」は一分たりともないと示されています。
池田大作の場合は、「世間の失」ばかりです。これでは大聖人のお叱りを受けるばかりであり、かえって大聖人の法を下げる行為といえましょう。 
大聖人の仏法は、みじんも「被害者意識」などありません。むしろ、「苦をば苦とさとり、楽をば楽と開き」という、いかなる事態にあっても悠然たる不動の境地に立つことをご教示になられています。
 ■9.批判拒否体質 ⇒ 彼は自身への批判を最も恐れおののき、すべて拒否します。これは池田の絶対化、無謬性と無関係ではありません。人間に絶対などということは、誰人もできません。また、「無謬」などといえる人もいません。みな等しく、誤ち多き人間の集まりです。 
しかし、もし誤ったとわかれば、即座に改めればよいのです。批判を拒否するというのは愚かな、本性は弱い人間のやることです。
すなわち、度量の小さい人物です。批判にも、正当な内容はたくさんあるのです。それを受け入れる度量をもつ人こそ、賢明な態度をもっているといえましょう。 
池田は批判に対して神経質なぐらい気にします。自分の人格が傷つけられると思うのでしょうか。かえって批判を受け入れて、もし誤ちがあれば改めることの方が、人格的にすぐれていると私は思います。 
その人の人格の泉、常日頃、「徳」を積んでいるかどうかにかかわっています。人がどう思うか、人々の評価がどうか、ということにこだわりすぎて、人々から称賛されたいとの願望のみに生きていることは、仏法上「八風におかされた人」というのです。
ちなみに「八風」とは「利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽」です。
 ■10.「万能感」「優越感」「ナルシスト」⇒ ナルシストは、自身の姿にうっとりし、自分はなんでもできる、他の人とはまったく違う存在であると思い込んでいる人間です。 
そしていつも他を意識して、自分が常にすぐれていると考えることが、習性のようになっているのです。
これに「それ仏法と申すは勝負を先とし」というご金言を悪用することが長いあいだ続いた結果、「勝他」(他に勝つ)との思いがありありとうかがえます。
これは劣等感の裏返しでもあり、これも仏法上「修羅のおごり」と教えられております。
 ■11.大衆の「人身操縦術」に長けている ⇒ 直観力は鋭く、鋭敏であり、人々の心理を巧みにキャッチし、うまく丸め込んでしまうのを得意としております。
しかし、それは「うまい」という印象にはなりましたが、同時に「ずるがしこい」という感想もいだいたこともあります。 
彼には英知も高邁な理想もなく、また仏法においては、全くトンチンカンな理解力しかないのです。何もかも知っているかのような言動が多くみられますが、本当はなにもわかっていないのです。 
 昭和55年、私は中西治雄氏と個人的に何回も話し合ったことがありますが、長年、池田に仕えきってきた中西氏は
「あの人(池田)は教学が全くないから」と言っていましたが、私の知っている限りにおいても、全くその通りでした。池田の本性を以上の諸点に絞りましたが、それ以外にも色欲のすさまじさ、金銭欲、物欲の執念等、数えあげればきりがありません。要するに、ことごとく「仏法違背」の本性をむき出しにしていたのです。
http://www.youtube.com/watch?v=oyzJ7yo2aTg

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