過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)


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 ┃『トットチャンネル~徹子の小さな放送局~』あいさつチャンネル┃
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 2005(平成17)年02月01日(火)津波被害視察へ
 2005(平成17)年02月02日(水)から
 2005(平成17)年02月06日(日)まで、インドネシアのバンダアチェへ出かけます。もっと早くと、思っていましたが、スケジュール調整に時間がかかりました。でも、まだまだ現地には問題山積で、多くの困難が残っています。少しでもお役に立てばと思っています。帰国後、
‡2005(平成17)年02月07日(月)に記者報告会をします。
 2005(平成17)年02月10日(木)にお昼のワイドショー『ワイドスクランブル』(テレビ朝日系)で報告します。『徹子の部屋』でも放送しますが、日にちは未定です。では、行ってきます。
 〈追記〉皆様からいただいた寄付の記事がユニセフの公式サイトで紹介されています。ありがとうございます。
 http://www.inv.co.jp/~tagawa/totto/message.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1977(昭和52)年02月07日(月)市川猿之助
②1978(昭和53)年02月07日(火)池部良
③1979(昭和54)年02月07日(水)森下洋子
④1980(昭和55)年02月07日(木)犬養道子
⑤1983(昭和58)年02月07日(月)山本陽子
⑥1984(昭和59)年02月07日(火)村野武範
⑦1985(昭和60)年02月07日(木)松島トモ子
⑧1986(昭和61)年02月07日(金)隆星奇
⑨1989(平成元)年02月07日(火)吉田日出子
⑩1990(平成二)年02月07日(水)北見治一
⑪1991(平成三)年02月07日(木)森瑤子
⑫1992(平成四)年02月07日(金)加藤雅也
⑬1994(平成六)年02月07日(月)高嶋政伸
⑭1995(平成七)年02月07日(火)杉村春子
⑮1996(平成八)年02月07日(水)野際陽子
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑯1997(平成九)年02月07日(金)森英恵
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
 2001(平成13)年02月07日(水)柳家花緑
 2006(平成18)年02月07日(火)保阪尚希
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
 ┏━━━━━━━━━┓    テレビ朝日
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:15~1:55放送
 ┌─――――――――――――┐
 |1986(昭和61)年 2月27日(木)|
 └─――――――――――――┘1986(昭和61)年には『徹子の部屋』に出演(2月27日放送分)。司会の黒柳徹子にインタビューを受けながら、エアブラシで黒柳の10指にアートを施し、その技術を紹介している[10][11]。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E5%B4%91#.E6.84.9B.E5.A6.BB.E3.83.BB.E7.91.A4.E5.AD.90
  February 04, 2008 ⇒ 東京の都心では最低気温が氷点下0.1℃まで下がる厳しい冷え込みの週末だったそうですね。東京に帰省されていた方が、自宅前で雪だるまが出来る程の雪だったので欠航が心配で新幹線に変更して帰って来ましたとおっしゃってました。今日は「立春」、少し陽が長くはなりましたが、この調子では当分寒さが続きそうですね。私は1月生まれのくせに、寒さに弱く、頭も身体もまだ冬眠中です。外出もしないし、世間との接触もなく、さして珍しいニュースもないので、ブログもスローダウン。必要があって過去の写真を捜してたら、こんなのが見つかったので恥ずかしながらご披露します。 私がネール・アーティストとして張り切っていた頃のものです。1986年、【徹子の部屋】に出演してインタビューを受けながら徹子さんの10本の爪にエアブラシでペインティングをさせて頂いた時のスナップから。...写真が古くて変色してしまってますね...豪華な生け花のバラは私の名前に因んでその名も"Y O K O". http://blog.livedoor.jp/cantayoko/archives/50897894.html
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
 ┌─――――――――――――――――┐
 |2002(平成14)年 2月 7日(木) 小林旭 |第回
 └─――――――――――――――――┘http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-2-7.html
 ┌─――――――――――――――――――┐
 |2003(平成15)年 2月 7日(金) 中村鴈治朗 |第回
 └─――――――――――――――――――┘ 
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-2-7.html
 ┌─―――――――――――――――――┐
 |2006(平成18)年 2月 7日(火) 保阪尚希 |第回
 └─―――――――――――――――――┘「両親の事故死を乗り越え」
 http://up-beat.pos.to/tetsuko/t_calendar.htm#2006年
 ┌─――――――――――――――――――┐
 |2008(平成20)年 2月 7日(木) 島田 祐子 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「引退を決意した意外な理由」ソプラノ歌手の島田祐子さんは、2007年「徹子の部屋コンサート」の舞台の上で歌手生活を引退する事を告白した。40年間にわたりソプラノの声帯を保つためには、並々ならぬ努力の日々だったという。風邪に注意するのは勿論、日常の話し方や食事法など様々な制約は想像を絶するもの。また、私生活では双子の育児にも追われた。紙おむつを当てながら歌ったエピソードなど、今だから話せるエピソード満載で! 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/080207.html
 ┌─――――――――――――――――――┐
 |2011(平成23)年 2月 7日(月) 梅沢富美男 |第8906回
 └─――――――――――――――――――┘「祝35年! 女形で初トークを」「下町の玉三郎」でお馴染みの梅沢富美男さんを迎える。梅沢さんが女形を演じるようになったのは『徹子の部屋』が始まった1976年のこと。今日は特別に女形姿で登場し、お祝いの舞いを踊ってくれる。美しさに興奮した黒柳がインタビューを試みるが、妖艶な女形の肉声を聞くことは出来るのか?“女形人生”初となる試みの行方は?
舞台 明治座二月公演「梅沢武生劇団 梅沢富美男 特別公演」ゲスト 瀬川瑛子  特別出演 中村玉緒
 2月2日(水)~28日(月)明治座【問合せ】明治座チケットセンター 03-3666-6666(10:00~17:00) 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/110207.html
 ┌─――――――――――――――――――――┐
①|2012(平成24)年 2月 7日(火) 追悼特集(1) |第9158回
 └─――――――――――――――――――――┘「二谷英明さん内藤陳さん他 珠玉の追悼特集」今日と明日の2日間、「追悼特集」をお送りする。 日活のアクションスターからTVドラマへ活躍の場を移し、渋い演技で人気を博した二谷英明さん。東北弁と大きな身ぶり手ぶりで歌う独特のスタイルで親しまれた民謡歌手の岸千恵子さん。コメディアン・俳優として活躍し、また読書家としても知られた内藤陳さん。料理写真家の第一人者、佐伯義勝さん。 以上の方々を珠玉の映像で偲ぶ。
  ②黒柳は追悼特集をすることについて「直前の姿ではなく、元気いっぱいで喋ってらっしゃる姿を心に留めてほしい。それもテレビの役割です。」語っている[6]。
 ①http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/120207.html
  ②http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B#.E9.80.B8.E8.A9.B1.E3.81.AA.E3.81.A9
 ┌─――――――――――――――――――┐
 |2013(平成25)年 2月 7日(木) 野村 萬斎 |第9414回
 └─――――――――――――――――――┘「人気狂言師が初登場!野村萬斎の素顔と家庭」映画、ドラマと狂言以外での活躍でも知られる野村萬斎さんが初登場!黒柳は祖父の野村万蔵さんの大ファン。スタジオにお持ちいただいた幼い萬斎さんと万蔵さん、父の野村万作さんと3世代で並ぶ写真に感慨ひとしおだった。野村家では3歳で猿の役で舞台を踏むのが習わし。幼いころから狂言の型を仕込まれ、調教されているような感覚もあったという。3人の子の父でもある萬斎さんだが妻からはある願いごとをされているという。そのお願いとは…!?
☆舞台 『マクベス』2月22日(金)~3月4日(月) 世田谷パブリックシアター
  お問い合わせ  世田谷パブリックシアターチケットセンター 03-5432-1515
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130207.html
 ┌─――――――――――――――――――┐
 |2014(平成26)年 2月 7日(金) 剛力 彩芽 |第9669回
 └─――――――――――――――――――┘「愛溢れる父の言葉に止まらぬ涙…」ドラマやCMなど大活躍の剛力彩芽さんが初登場を飾る。黒柳は剛力さんの華奢な身体と苗字が持つ印象のギャップに着目!黒柳と“名前談義“で盛り上がる。ダンスの上手さでも定評のある剛力さん。姉と組んだパフォーマンスをVTRで披露する。剛力さんの自慢は仲良しの家族。今日は大好きな父から手紙が届くが、愛情溢れる文面に涙をこらえきれず… 
☆新曲「あなたの100の嫌いなところ」2月26日発売
☆ドラマ 金曜ナイトドラマ「私の嫌いな探偵」金曜よる11時15分 ※一部地域は放送時間が異なります 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/140207.html
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2017(平成29)年 2月 7日(火) 中村メイコ |「祝42年目突入ウィーク! 昭和の大スター名場面スペシャル(4)」
 └─――――――――――――――――――┘「徹子の部屋」が42年目に突入したことを記念し、秘蔵映像を大放出する「昭和の大スター名場面スペシャル」を、昨日に引き続きお送りします。大女優・山田五十鈴さんは、「恋と芸」について赤裸々に告白。松田優作さんは、「ジーパン刑事」の誕生秘話を。藤圭子さんは、娘 宇多田ヒカルさんが作った秘蔵曲を披露。他にも、松本清張さん、小森和子さん、元大関 貴ノ花さんなど、様々な分野のスターたちが登場。珠玉の映像を盛りだくさんお届けします。お楽しみに。 
☆著書「人生の終いじたく まさかの、延長戦!?」1,400円(税別) 青春出版社
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20170207.html
 ┌─―――――――――――――――――――――――┐※解説放送
 |2018(平成30)年 2月 7日(水) 西川きよし 西川ヘレン|「昨年金婚式を・・・格差婚、浮気騒動を乗り越えて」
 └─―――――――――――――――――――――――┘「おしどり夫婦」の西川きよしさん、ヘレンさんは、昨年金婚式を迎えた。しかし結婚生活はここまで順風満帆できたわけではなかった。知り合った10代の頃、ヘレンさんは吉本の大スター、一方きよしさんは着ぐるみの中に入っていた大部屋俳優。会社の反対は勿論、ヘレンさんの母も大反対。その心労もあり、ヘレンさんはきよしさんと無理心中を図った事もあったという。その後「やすしきよし」で大ブレークしたきよしさん。しかしその頃は浮気が激しく、ヘレンさんは愛人宅まで乗り込んだこともあった。今だから語る、浮気騒動の顛末に黒柳も爆笑! 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20180207.html
 ┌─―――――――――――――――――┐
 |2019(平成31)年02月07日(木) 竹内都子 |※解説放送
 └─―――――――――――――――――┘「同棲11年 を経て…俳優夫婦の「食卓」は」
女優として大活躍の竹内都子さんが、着物姿で登場する。珍しい色の大島紬は、この日のために夫の母が貸してくれたものだとか。夫は俳優の 菅原大吉さん。11年という長い同棲期間を経て結婚し24年になる。揃って食いしん坊という夫婦の「食卓」を公開する。今日は、愛犬の2匹が親子で登場。普段は警戒心の強いプリマベーラは初めて会った黒柳に… 
☆舞台「夫婦漫才」2月8日(金)~17日(日) 明治座
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190207.html
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 |2020(令和二)年02月07日(金) 関根勤 関根麻里|
 └─――――――――――――――――――――┘「孫が2人に…関根一家は益々にぎやか!」※解説放送
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20200207.html
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 |2022(令和四)年02月07日(月)|放送休止
 └─――――――――――――┘
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20220207.html
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 |2023(令和五)年02月07日(火) 小松政夫  |
 |海老一染之助・染太郎 ケーシー高峰 早野凡平|
 └─――――――――――――――――――┘「昭和の笑いが蘇る ~あの芸をもう一度~」※解説放送
 https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20230207.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 2月 7日(木) 小林旭 |第回
 └─――――――――――――――――┘
黒柳「今度”さすらい”という本をお書きになったんですね。読ましていただいていろんなことを感じたんですけど本当のことを書いておこうとしたのにはわけがあるそうで」
小林≪昨今のテレビ事情の芸能界っていうんですかよく見させられますわね。普通のジャーナリストの方にスターさんはって聞かれるとまあ比べようが無いじゃないですか。お客さんにお金を持ってきてくださいと言ってた我々の時代のスターや看板とった責任感と学芸会の延長みたいに出てくる隣のアンちゃんたちと見てくれがよければあくる日にスターになってしまうテレビ界のスターと≫
「はっきりおっしゃる方なんですか小林さんは元々」
≪それでずいぶんにらまれたって言うか。≫
「そういうことで」
≪そんなものを多く見せられ始めたら30年の当時に責任を持っていらしたスターさん達がいずれ勝さんはこないだ亡くなられたけどいつかは誰かがあの時代のことを書かれるんじゃないかと思ってたんですよ。ところが勝さんにしても萬屋さんにしてもアレだけ面白い時代をしょってた人が何も書かずに世を去ってしまったと≫
「当事者が書いてないので残して欲しかったんですってねえ」
≪いわゆるお客様からお金をいただいて見せるという責任感を持ってた当時のプロとしての切磋琢磨というのはどんなんだったろと。それをどっかで言わなければなあと。。今の俳優さんですかスターさんですかプロ意識がなさすぎるという見てても学芸会の延長のような無責任な状態で一般の視聴者に物を見せていると思われちゃいけないんじゃないかという気がしてならなかったですね≫
「ずいぶん大変なときいきなりスターになったのかなと思ったら3年間以上の下積み。」
≪ニューフェイスという肩書きで会社に入りますよねきちっとした産業であるからお金が取れる俳優さんを育てようとするんですよ。入社してから半年の研修をする。3年間はどんなにいい役がつこうと給料は7千円と仕出し料って言うのが税込みで200円ですかこれを毎日もらっていくと合わせると当時の大卒の方と同じ月給になるという。それをやらされたわけですね≫
「時間的には大変でも」
≪それで楽屋に入るとエキストラをやらされながら僕とか二谷英明が同期ですけど。入ってすぐに役がついたほうなんですよでも役をもらってもねえ給料が増えるわけでもないし3年間は実習ということを兼ねて新人研修をしている間は会社の言いなりに動けと。≫
「どんなに個性が強い方でもその間は言うとおりにしてらっしゃる。日活でスターにおなりになられたんですけど最初は東映をお受けになられた」
≪たまたま親戚が東映の重役にいましたからね。その人の口利きでとにかく行ってみろよと言われていったら審査で隣に座られた方が立派な方で”ああ、こういう方が映画に出られる方だな”って思ってたらそれが高倉健さんだった。昭和29年ですね≫
「同じ時期にいらしゃったというわけであの方はお入りになったという。」
≪僕の右隣に立ってらしてすげえ背が高いし2枚目でかっこいいなと思ってたんですけどねえ≫
「それにしても歌手としてもヒット曲をだしてらっしゃるんですけど”昔の名前ででています”これがヒットしたことは小林さんにとっては良かったことだったんですってねえ」
≪それまでもヒット曲があったんですけどどこまでいっても映画の挿入かとかねえ主題曲とかでねその歌で一生懸命やらなければいけないという責任感が感じられなかったんですよ。で40年代を通過し始めた頃に映画が衰退して歌の世界がこう大きくなりましたよね。映画をやってたころと扱いが違ってましたその頃に北島にしてもすごい歌を歌ってましたよねヒット曲を飛ばす人はしっかりした歌い方をしなければいけないなっとそう思うと俺の中にはまったくねえなとちゃんとした歌を歌いたいなあという感触が自分の中にあったんですよ。それと生活環境が余計な仕事に手を出したためにゴルフ場が倒産して財布の中には千円のお金もないくらいにどん底におっこって明日からどうして暮らすかなと途方にくれてて女房子供に迷惑がかからないように弁護士先生の別宅に預けて自分は家の中にいたんですよ。そういうことで生活環境がイライラしてた時代だったんですよ。その時に星野先生が作られた≫
「星野哲郎さん。それこそ歌手として本気で歌った歌」
≪一生懸命歌ったんですよ≫
「それでも”昔の名前ででてます”で1日10ステージぐらい回ってしまいにはのどから血が出たので現金で最初にお金をもらいますって」
≪割とオイルショックのあととはいえ待ちの状態は流行ってましたよねだから大阪でも枚方だ今橋だって地方のキャバレーでも歌を歌えるキャバレーがあったんですよ。そうすると1区画でまとめて5件ぐらい仕事が出来たっていういい時代だったんですよ。5件ぐらいを2回りするんですよそうすると10ステージになりますよね。それで夜のショーが始まる前に10万円なら10万円をもらう。2回ステージなら20万円ですかね。そうすると20万円をもらうには1回目のステージが終わったときに貰っとかないと後やらないよっていう話ですよ。払ってくれないと困るから。だから全額頂戴という話ですよ。きちっと後の店を回って100万なら100万かせいで帰ってくると。≫
「それにしてもただならないお金なんですけどのどから血が出るまで歌うと数年のうちにお返しできた」
≪ええラッキーだとおもいます。カラオケのねえ第一興商の社長がデパートの1階のロビーっていうんですかカラオケの機械が出来たばっかりの頃で持ってって”昔名前・・・”が売れてることをいいことにデパートの有名店でただで歌って宣伝をしたという≫
「まあその間奥様のアオヤマキョウコさんも女優さんなんですけど本当に我慢してくだすったという事で本にも書いてありますけど巡り合ってよかったって。結婚してから32年ですか」
≪とっても辛抱強かったですよ。助けられましたね口も何にも言わずにやりたいことをやらせてくれた≫
「俳優で歌手なのになにもゴルフ場の経営をしなくても良かったのに」
≪ただ当時そういう職業にいるだけに何の保障もないじゃないですか。例えば顔に傷がついたら明日から俳優じゃなくなる、足が折れたら俳優じゃなくなる、声が出なくなれば歌手じゃなくなる。終わってしまったことを誰が保障するんだとすると生活権をちゃんと握っているという安堵感がないじゃないですか。それをやるためには浮き草稼業じゃだめだとちゃんと根っこを張って安堵感を持っていい仕事をしたいなという気持ちがあったんですよ。だから他の仕事で自分なりに何かを作って城を固めてのんびりと仕事をしたいなっというのがあったんですよ≫
「ちょっとコマーシャルを。このあと美空ひばりさんのことも聞きたいんで」
~CM~
「私は本の中で美空さんのことをたくさん書いてらっしゃるんですけど美空さんがたくさん歌の練習をされてたということを知らなかったんですよね。天才だからきたらすぐに歌えるんだよてみんな言ってたのね」
≪何かのうちに新曲が入ったときには知らず知らずに鼻歌めいた状態で口ずさんでましたよ。≫
「なにか1つにしても納得がいくまで練習してたって言う」
≪彼女の偉いところは仕事から帰ってきても僕に飯を食わそうと思うと本でも開いてね作るんですよ何時間かかっても9時になろうが10時になろうが待ってるんですよ。ただそういう本を読んで作るときは何人前ということを読まないで作るもんですから4人前の材料で作っちゃったこともありましたけど料理を作ってる時間帯にねん!とおもうと口ずさんでたりしてましたよ。≫
「小林さんがいらしゃらない時でも練習してらしたんでしょうね」
≪それから詩の感性ををつかむというのが天才的だったですね。映画の台本なんかもパッと見ただけで終わりですよ。いろいろ広げてねえ頭の中で広げているんでしょうね。言葉に関しての感性は天才的だと思いましたね≫
「彼女はできることなら奥さんになりたいと思った時期もずいぶんあったんですって」
≪まあ僕が一緒にいて同じ屋根の下にいたときはずいぶん感じたことがありましたね。一生懸命僕のために何かをしてくれてるということもありましたね。まあ結局はお袋さんや義理のお父さんのタオカさんがおっしゃる”天下のひばりや皆さんのとこに返したってくれや”と言われて納得したんですけど。≫
「そこで僕達の離婚は協議離婚ではなくて理解離婚ですと」
≪そういわざるを言えなかったと。≫
~CM~
「美空ひばりさんと初めてお会いなさったのは小林さんは児童劇団に入ってらして12歳ぐらいのときに放送劇にでてらして向うから歩いてらしてお付の方が10人ぐらいいて”わあ~すごいな”スターって大名行列みたいだってお思いになられたみたいですが2人ともスターにお成りになった時に月刊明星で対談があって」
≪そうですねえ集英社の明星が最初だったんですけどねえ人気スターベストテンというので彼女は上席だったんですねえNO.1が。で小林旭ていうのがたまたまNO.1になってそれでトップ対談というのを仕組まれて、初めての顔を見合わせてゆっくり話すという時でしたから僕は僕なりに緊張しましたよ。世間で言う大スターが話の相手ということでテレビを通してしか見てませんからガキの頃にちょこっとみてうわ~と思った人でしたからそんなこんなでどぎまぎしながら行ったら結構普通の人なんだなあと思って≫
「その時”恋人いるの”って」
≪うん、突然話とはまったく繋がらないのにそういう質問が飛んできたんですよでこっちも”いやいやいませんよ”と言っちゃたんですね。それからどうも狙いを絞られたみたいで≫
「”あなた私と親しくしましょうよ”って」
≪それから何回かトップ同士の対談が明星や何やに組まれて何回かあったんですね。そうしているうちに親しくなって一緒に食事をする時間も作って頂戴って言われて。それよりも撮影の連中に何も言わずに銀座なんかに飲みに行っているのにもかかわらず8時9時になるとその店に直接電話がかかってくるんですよ。≫
「どうやって調べて」
≪不思議でしょ。まあ・・その・・・≫
「情報網があった」
≪それで飲みに行ってたらそこの支配人や何かが小林さんお電話ですと。誰って言ったらいやわかりませんお電話ですと。電話に出てみたらいきなりね付き人の人がいるんですけど”若旦那”って言われたんですよ。日活じゃあマイドマイドとか旭とか言われてたけどそういう若旦那って呼ばれる世界にはなれてなかったですよ。それで”お嬢さんが1人じゃ食事がつまんないから一緒に食事をしたい”と言ってると。すぐに来て下さいと。初めはしょうがないと思っていってたんですけどこれが回を重ねすぎてしつこくなったんですね。≫
~CM~
「まあ美空ひばりさんはエリチエミさんも結婚して雪村いずみさんも結婚してそういう寂しさもあったんじゃないかっていわれてたんですけど離婚されてから世界中いろんなとこにいかれてたんですね。本に書かれてるんですけどこれは新潮社から出てるんですけどねえ。いろいろ話していただいたんですけど奥様によろしく」
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-2-7.html
 ┌─――――――――――――――――――┐
 |2003(平成15)年 2月 7日(金) 中村鴈治朗 |第回
 └─――――――――――――――――――┘
黒柳「中村鴈治朗さんでいらしゃいます。本当にまあつやつやとしてお元気で。つけてらっしゃるとか召し上がってらっしゃるとか?
中村≪いやもう全然ございませんそういうことは気を使わないほうです
「じゃあ特別に顔に何かつけてらっしゃるとかはないですか?
≪とんでもございません全然それはもう。
「女形で白く塗ってらっしゃると何かは肌に悪いような気がしますけど。ビンヅケ油がいいんですかね。
≪どうなんでしょうかね。そういうこと全然気をつかったことはございません。
「なにしろ昭和28年ですからちょうど50年前に曽根崎心中をお父様と一緒になさって10年。間もなく1,200回。その1,200回はモスクワか何かで
≪そうなんです。6月にねロシア興行がございましてね近松座という私が主宰している公演が行くんですけどもねそのときにね曽根崎心中をやりますので1,200回目がロシアであるなと
「お父様が生きてらしたらずいぶん大喜びだったと思いますけども
≪びっくりしてるんじゃないかと思いますよ向こうで。50年もやってるのかといって
「これはお父様の時と初演のときのお写真なんですけども良かったですねこの写真撮っておきになって
≪はい
「お父様の鴈治朗さんと。あの時は後ろから付いていかなければならないはずなのに写真をが出来上がったら前を歩いていらっしゃった(笑)
≪あのこういうことなんですね、あのいわゆる原作通りというかな後ずっと引っ張られていきまして最後はオハツが手を引いていく。いわゆる何て言うんだろう女性が男性をですよねリードするというか。
「心中物というか。
≪あのそういうこと戦後女性上位というかな
「そうなんですかここはそういうものになるものなんですか
≪なるというか、これは新作というか復活したから新しい新作なんですよね。もちろん近松門左衛門の原作なんだけども復活上演してこれが1番新しい形というかいわゆる新作同様のことでしょう。だから新作という形で50年間続けさせていただくということがね今までなかったということ。
「あのだいたいこれはこのうちのものというのがずいぶん出し物によってもあるそうですけどもこの曽根崎心中に関しては新しくできたそちらのお家のもの。
≪内のものというとちょっと違うような気がするんですけども。
「(写真)でもおきれいですね今日の鴈治朗さんは左側の女方でいらっしゃるんですけどもを通すことご一緒に。お父様の鴈治朗さんとご一緒なんですけども。
≪あの家のものというよりもそういうつもりで作ったものでも毛頭ございませんので。近松門左衛門の作品を復活上演しようという気持ちで作ったらそれがずっとお陰様で皆様からの何といいますか愛情ある応援みたいなものがございましてそれをずっと私がさせていただいているという形なんですけども。
「なるほど。ウノノブオさんがあれを脚色というものでもないですね
≪うーんいわゆるまとめられたというか。そういう形で。
「新たに今ふうにみんなが分かりやすく。まあもともとは近松のものであるという。【写真】宇野信夫さんが真ん中にいらっしゃるんですけども
≪ちょうどこれはねこれは600回の記念の時。ちょうどその時にね初めてねご一緒にこの番組を出してもらったらしいです。
「そうだったんですか。そうでしたか。
≪だから非常に記念の写真だと思って。
「昭和28年といいますからテレビが始まったのがそのちょうど昭和28年で今年がちょうど50年に。NHKが50年だったんですけどもほぼ同じだけやってらっしゃるのででどれぐらいの長さかというのが私も分かるんですけども。初めから出ています。
≪いやもう徹子さんもあれじゃないですかその時分からずっとおやりになっていたですからね。
「お陰様で。そのころやっていてまだ現役の方もちろんいらっしゃるんですけどもレギュラーをもって今でもやっている人はいない。
≪あのそういう時に巡り合わせてしゃべらせてもらって出してもらうというのは嬉しいなと思います。
「でも間にお父様がお亡くなりになって随分その徳兵衛の役のお父様がいらっしゃらなくなってお困りかと思ったらすぐに息子さんが
≪ええ、倒れたときにはでちょうど昭和55年でした。その時途中で10日目ぐらいだった。京都で父が倒れましてね急遽ね子供が変わったんです。でもそのほかには徳兵衛の役は菊五郎さんとか団十郎さんとかばんよくさんとかとご一緒しましたけども今はカンジャクがずっと持ち役のようにさせていただきましてね。
「でもいろんな方がなさったんだけどもやっぱりその息子さんだから、初めはおかしいですよね恋人がお父様だったんですけども。後に息子さんになるというふうな女形の方の面白いところだと思いますけども。
≪親子というので、これは本当に舞台というのだからとくに歌舞伎の場合なんでしょうかその親子という感情はもうとうございませんね最初から。
「なろうと本当に単なる、たんなるというとおかしいけども俳優同士の
≪そうです先輩後輩という形でぶつかってやるんだからね。
「息子さんと一緒にやってらっしゃる曽根崎心中の最近のVTRがちょっとあるそうなのでこんなふうに息子さんとカンジャクさんとやってらっしゃるところなんですけどもご覧いただきます。~VTR~
≪いま体がどうかなと思って心臓がどうかなと思ったけども全然なんともないですよ。
「お元気でいらっしゃるんですね。
≪本当に同じことでね。だからずっとやらせていただけるんですけどもね。
「でしかもキレイだから今でも女形をおやりになる。
≪元気だというのは幸せですね。やっぱりそれは。
「でもお顔につけたり何か特別な召し上がりものはないそうですけども体操とかもやってらっしゃるんですか?
≪そういうことはあまり気を使わないんです。やはり舞台をやるために何かしようというよりも精神力というのが1番大事だと思うんです。
「舞台をやるんだという。
≪あのこの役なら役をお初をやろうというこの人物になろうというね。やっぱりね病は気からというからじゃないですか、やっぱり精神力というのはしっかりしていないと。
「やりたいという気持ちがまず最初にあるんでしょう。
≪それがやっぱり大事でしょうからね。
「お好きだという事もあるんでしょうね
≪もちろんそうですよ。まあだいたいどんな役でも好きになる方ですけどもね
「やっぱり好きでないと体が病気になったりするだそうですね。いやだなと思うのがどっかにあると。
≪それは絶対にいけませんね。やっぱりその役にほれ込んで大好きにならないといけませんね。
「なるほどね。
≪お初だけじゃなくてもね。好きになるんですよなんとなく。
「やってらっしゃると。
≪その人がいとおしくなったりね。
「そうですね。でも1,200回もやってらっしゃるのに全然飽きるとかいうこともなく毎回新鮮
≪本当にそれはもう。本当に演舞場でこの月やっておりますでしょう50年前の初演のときもあそこだったでしょう。余計に思いがね。やっぱりね前の劇場じゃなくてまわりが全部変わりました。あそこはずっと川が流れておりましたからね。
「今はもうあそこ高速になっちゃっているから。
≪今度は自動車が流れている方だけども。そういう昔から裏に川が流れているんじゃないかなと思ったりするんですよ。だから何というかな気持ちですねやっぱり。
「そうですね。でも奥様の扇千景さんという方もお元気な方で
≪いやもう一生懸命にひとつの仕事を頑張ってやっております。
「だってご結婚なってからもうじき金婚式
≪そうですねあまり考えたことがないからよく分かりませんけども
「だいたい計算すると45年くらいだそうなのであと5年で金婚式で。こんなにお若いのに金婚式って。(写真)扇千景さんは今もきれいですけどもこのころもきれいでいらして。何か共演なさったんですね映画で。
≪ええ、あの東宝の映画でね共演いたしておりました。
「ちょっと小さな役でも共演をなさってその後琴の爪というお琴の爪ですね、それでお2人が主役をやるということで。これはもう46年前だそうですけど。
≪そうですか。
「そうなんですよ。可愛いお二人でね。
≪なんだかね月日が経っていくというのが分からなくてね
「毎日毎日でね。
≪毎日毎日次から次から考えますでしょ。ですからすることはあまり思わなかったですけどね。
「でも奥様いつの間にか国土交通大臣におなりになってらっしゃるんですからまあ大変だと思うんですけども。それから長男二男がいてそれぞれに子供がいて孫がいてということで。そのお孫さんと一緒にまた歌舞伎にもお出になろうというのですから
≪今度は孫が徳兵衛をやってね私がお初やろうかなと思ったりしていますからね。
「全然そんなのお年の問題じゃなくて。
≪もうないですないです。
「この間は小さなお孫さんから、パパと呼ばせてらっしゃるパパとママでおじいさまおばさまじゃないそうなんですけども。パパと一緒にやりたいものってというのがきたんですって?
≪連獅子をやりたいというのでね親子であの
「長男のお子さんですか?
≪そうですそうです。
「これはおじいさまとおばさまとご一緒で、本当はパパママですけども。
≪あの大きくなりましてね一緒にパパと踊りたいと言ってね誕生日のお祝いにねメッセージのレターをくれたんですよ。だからやろうかなと思っているんですけども
「それにしても12月31日なんですって。お誕生日が
≪そうなんです。
「ずいぶん差し迫った時にお生まれになったんですね。
≪だからあわてものかもしれませんね。あの元旦がねぇに生まれるだろうと思ってみんな安心していたら急に夕方になって飛んで出てきてということで
「ちょっと早めに行ってみようかなってお思いになったんでしょうけども。元旦になると大変でしょうからねきっとね歌舞伎のお家だと。
≪まあなんと言いましょうかそれもひとつのいろいろ運命なんでしょうかね。その日をね祖母がねみんな元旦に昔は12月31日に生まれたら元旦に届けて元旦にするじゃないですか。私の祖母がねその日を運の強いいい日だと。こんなにいい日に生まれているのになぜ変えるんだと言って父も母もしかられて祖父にもしかられてその日にちゃんと生まれた日にするんだと。
「鴈治朗婦人が
≪初代の鴈治朗夫人。そうらしいですよ。
「でもその方が元旦というよりも差し迫って面白いかもしれませんね。
≪まあねなんといいますか大晦日に誕生日なものだからいろいろなところにお参りに行きますでしょう。いろんなところというか先祖のお墓とかそれから神様にも。それで全部で初もうでのちゃんときれいにお掃除をなさった後なんです。ところで初詣に行っているような気がしましてね皆さん初もうでにいらっしゃる前になんだか初詣をしているような気がするんですけども。
「お誕生日なんですからね。そういうことで。本当にさっき申し上げたましたように曽根崎心中は50年。現在もやってらっしゃるんですけどもまだまだ孫とも一緒に恋人をやろうかなということだそうですけども本当に。奥様とももうじき金婚式という。珍しいですねこんなにお元気でね。何事もなくあっと言う
≪本当にあっという間という気もしますね50年。しかしひもといてみるといろいろあったんでしょうけどもね。なにしか本当に毎日ね曽根崎心中をやっていてもその50年前のことを思い出しますね。やっぱり初演の時評判をいただいてその時は2代目中村センジャクでしょ。あのセンジャクに負けてやるもんかと思ったりするんですよ。
「なるほど
≪初演の時に評判をとったやつによく考えてみたら私なんですけども
「自分になるんですけどもね。
≪でもで負けるもんかと思うとねこう力がわいてきましてね
「なるほど

黒柳「まあちょっと国土交通大臣のことばっかりうかがうようですけども、奥様はあのお召し物や何か舞台の歌舞伎のお召し物は別として普段のものはどんどんこれとこれがいいとかどんどんおやりになる方なんですって。
中村≪まああのなんといいますか自分が夜家庭夫人というのかなそうやっぱりそういうことを忘れないでね。だいたい何といいますか自分の仕事というのも大変だけども家庭に帰るとね自分ということになるということなんでしょう。
「そうなんでしょうねご自分のお召しになるものもそうなんですけどもご主人のもこれがいい、今日も奥様が
≪ええ
「すごいですよ扇さんという方は。お忙しいのにね。お元気なんですよねあの方は。
≪元気ですね。お互い元気だけども元気というのは何かひとつので徹子さんもそうですよひとつのものをちゃんとおやりになっているから、何かこう目標があるというのが違うんでしょうかね。
「でも扇さんはですね昔ドラマご一緒にやったことがあって何回かご一緒になったことがあるんですけども本当にあの方はお元気でしたね。ある日ね集まったんですよドラマで。4人が主役で女の人4人が主役でお一人が急に病気になってあのその日に来られないからこれはちょっと延期になりますと言って朝10時ごろに行ったらも今日はやらないとなったんですよ。そしたら扇さんがじゃあ皆様こんな早くに家を出てきてまたかえるわけにはいかないので映画を見ましょうということになってみんなで男の人もいっぱいいたんですけども入ってぞろぞろ連れていかれてピカデリーの方に行って、うんこれは上と下が両方ありますわたしもそこでみたかったんです。で私はしたの方みたい、そうですかじゃ上と下では時間がこれぐらい違いますから早く終わった人はここで待っていることとか言って彼女が全部仕切ってですね。私ねこんなにかわいい顔をしてこんなに仕切る方は少ないなと思って。それでみんな見終わってそれでバラバラででてまして、ハイハイ並んで並んでそこの数寄屋橋センターの上にご飯を食べるところがありますからそこでみんな食べましょうそこへどんどんいって下さいとかいってそこであのおにぎりのお昼のご飯を食べた覚えがあります。
≪そうですか。
「それでじゃあ今日はこれでここら辺で解散をしましょうと彼女が言ったので
≪そうですね昔よくご一緒させていただいて。
「そのときね私宝塚をおでになったお嬢さんだと思っていましたからずいぶんこんなにおかわいいのに取り仕切りがとてもお上手なの。でかわいいのそれでしっかり先頭に立ってねはいどんどんこっちですからとかいって。だから忘れられないんですそのことが。だからあの方はのちに政治にお入りになったときもねそうかもしれないと思いましたものね。あれだけ取り仕切りが
≪まあねいろいろ向こうからの向こうからというか
「政府の方から
≪政府の方からお話しがありましてねこういう形になったんですけどもね。
「でもああいう宝塚をおでになって、そしてお綺麗な女優さんとしてやっていらっしゃった方でもって珍しいケースですよねやっぱり。政治家におなりになって随分ねいろんな時期があったんですけどもまあ今は大変な役についてらっしゃるということで。
≪やっぱりねなんといいますか女性の方でも仕事をお持ちになってちゃんとやるという時代ですしそれがひとつの流れだしそういう時ですよね。何か家庭夫人というのもそれも結構なんですけどもやはりお互いに仕事をもってをやるということもいいことなんでしょうね。
「ご主人のあの鴈治郎さんをとても尊敬してらっしゃるということもあるんでしょうけども。本当にあの方は家に帰ると今度は本当にいいお母さんおばあさんなんですけども、おばあさんとは言わせてないそうなんですけども
≪本当に孫とか子供のことを本当によく見てねやってますね。
「みんなは恐れているようですか?子供たちでも。
≪そうでしょうかね。でもあのね何かあったら母親に相談をしたりしていますから
「そうでしょうねきっとね。
≪まああの奥さんたちがみんなやっていますからそれぞれがやっぱりいろいろ相談したりしているようですね。
「なるほどでそういうところがとても進んだ方だから嫁しゅうとめの関係とかじゃなくてやっぱり1番良いアドバイスをしてくれる。
≪そういうことなんですよね。嫁姑という感じじゃなくてね女としてのみたいなことなんでしょうか。
「息子よりもお嫁さんの方を大事にしてくれるようなところがきっとあるんだと思うんですけどね
≪まあどうでしょうかね。やっぱりそういうこともひとつの流れがある、うまく作れるんじゃないでしょうかね。
「そうですね。あの昔の鴈治郎さんとのお二方との可愛い写真からするとああこういう強いものを持ってらっしゃるんだなと思って
≪そうですね。
「それでみんな明るく育っていらっしゃるのでね。
≪みんながね歌舞伎が好きなんですよねもともと。
「そうなんですってね。
≪もういわゆる孫のカンジャクのところのカズタロウもそうだしセンジャクの所の虎之助というのもまたこれが歌舞伎が好きなんです。
「そうなんですお小さいのに。
≪みんなが歌舞伎が好きですね。
「全然鴈治郎さんは歌舞伎のうちに生まれた男の子だから歌舞伎俳優になりなさいとおっしゃってはいないのに
≪1度もそんなことはいったことはないですけどね。何か自分たちはやっぱりやりたいということなんでしょうね。それでびっくりするんですよですから。何でこんなにまた歌舞伎が好きなのかなと思って。
「でも心の中ではうれしくていらっしゃるでしょうね
≪うれしいというよりもねライバルがたくさん出てきたな
「おおすごい
≪それは思います。
「ライバル
≪思います。
「孫が出てきてもライバルと思う。おおすごいですねホホホ(笑)

黒柳「長男のカンジャクさんのお坊ちゃんのカズタロウさんというまだ小学校6年生だそうですけどもそのおばあちゃんが一緒に連獅子をやりたいというお坊ちゃんもですね何か黒子の洋服何かを作ってもらいになって
中村≪そうなんですよ。学校から帰ってまいりますでしょうで私の楽屋にきましてですね。おはようございますと丁寧に一応先輩後輩。それでちゃんと楽屋の隅っこに行きましてですね自分でちゃんと着替えてね私の舞台に出ていく時に後ろからついてお茶を出したりするんですよ。
「お好きなのね。頼んだわけでもないのに
≪頼むわけじゃないですけどね。
「でもこの子にしてみるとおじいさま・お父様・おじさん皆が出てらっしゃるということになる。おじさんというのはお父さんの弟。
≪あの虎之助というのも同じことをしているんですよ。
「それはセンジャクさんの息子さん。同じことをやっているんですかその子も。
≪同じこと。これまたびっくりしました。
「(写真)こんなに小さいの。まだ5歳とかいう。
≪そうですよ。黒いものきて同じことしているんですよ。びっくりしましたこの間。
「何か踊りとかいろいろなものも習いたいとか言って何かやってらっしゃるんですよね。
≪そうですねカズ太郎も踊り三味線包とかね。学校の勉強が終わってもう中学校ですからね。
「かわいいですね。小さい方のお嬢さんは何だかわけがわからないかもしれないですけども。
≪ももこといって女の子が初めてできたものだからすっかり喜びましたてね
「鴈治郎さんにとっては初めての女の子のお孫さんということになるんですか。そうですね男の子が多い子がお家族ですからね。でもそういうふうになりなさいと言ってなんなさいとかそういうことは全然言わないのに孫が自発的にやるというのですからやはり心強い感じがね。
≪まあそうですね歌舞伎全体にうちの子供というのじゃなくてやはり歌舞伎全体に若い人が育ってくるというのを見ているとで頼もしいしやっぱり一緒になって立派に歌舞伎というものを続けていかなければいけないなと思いますですね。
「やはり鴈治郎さんの場合は上方歌舞伎という、大責任がおありだと思うんですけども。一緒に東京の方とはやってらっしゃるんですけども。さっきもおっしゃったように近松座というものを自分で持ってらっしゃるので皆で一緒に若い子も一緒に
≪やっぱり今年は歌舞伎のハッショウ400年でしょう。
「400年ですってねおめでとうございます。大変ですよ皆さん歌舞伎ができて400年。
≪そうでございます。それでい歌舞伎というものは江戸歌舞伎と上方歌舞伎両方がやっぱり発展してこそ本当に
「江戸と上方とは
≪そうです。
「両方同じように発展してきたことが今日あるだと思うんですけども。それで私びっくりしたんですけども鴈治郎さんはお父様の鴈治郎お継になったからこれでも鴈治郎というお名前に定着なさるのかと思ったらお名前を変えようと。
≪ええ、変えようというよりも私は坂田トウジュウロウというものが上方歌舞伎のシンボル的存在。上方歌舞伎というものを作ったのが坂田トウジュウロウなんですね。
「トウジュウロウの恋というので有名ですからね。
≪菊池寛先生がねそういうのじゃなくてやはり上方歌舞伎を作った人ですからね憧れなんですよやっぱり。
「お名前はあいていた。
≪230年ほど空いているわけです。
「230年あいていた。
≪再来年と申しましょうかあの2005年に襲名させていただくことになって。
「それはもう決まってらっしゃるんですよね。
≪はい決まっております。
「坂田トウジュウロウさんにおなりになる。今度お会いするときはもしかするとトウジュウロウさんとお会いになるかもしれない。
≪ぜひよんでください。あのいろいろしゃべりたいと思いますから。
「そうですよねセンジャクさんでお会いして鴈治郎さんでお会いしてトウジュウロウさんでお会いして。ちょっとトウジュウロウさんどこでお伺いいたします。トウジュウロウの恋というのでなかなかもちろん菊池寛のそういうお話しではあってもいかにも俳優根性がやっぱり分かるようなちょっとコマーシャルです。

黒柳「でもまあこの次にお会いするときは坂田トウジュウロウとお会いするかもしれないんですけども2,000何年とおっしゃりました?
中村≪2,005年でございます。
「じゃあまああと2年ですものね。でもそこに230年あいていたお名前で、しかも上方歌舞伎をお作りになった方が坂田トウジュウロウ。でも本当かどうかは分からないんだけどもトウジュウロウの恋いという
≪それは菊池寛先生がね小説をお書きになったんだけども。あの時の小説の題材と申しましょうかダイキョウジュ昔暦。あれはね自説というか本当はね本当はトウジュウロウが死んだ後の話なんですよ。それを持ってきて何か菊地先生のね作品に
「やっぱり俳優として女の人がそういう時に言ってみればベットシーンですかね昔でいう。
≪でもね私はこう思うんですよ坂田トウジュウロウの芸というのは上方歌舞伎というのは風情のなかのリアリティーみたいなものみたいなもので。そういうやっぱり役になり切るというねそういうことがやっぱり大事なんでしょう。
「その時の心理とか体つきがどんな風になるものかということを研究するために
≪見るんじゃなくてその役にそのときにどういうふうになるのかなということ考えた
「今演舞場であれやっていらっしゃるでしょう曽根崎心中どうぞお元気で。また本当にありがとうございました。
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-2-7.html

<剛力彩芽>『徹子の部屋』初出演 父の手紙で思わず涙
まんたんウェブ2014(平成26)年2月7日(金)13時59分配信 
写真◆『徹子の部屋』で父親からの手紙に感涙する剛力彩芽さん(左)と黒柳徹子さん=テレビ朝日提供
 女優の剛力彩芽さんが、7日放送のトークバラエティー番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に初出演し、番組中に父親からの手紙が突然、紹介されると、「本当ですか?」と驚いて顔を覆い、黒柳徹子さんが手紙を読み始めると、こらえきれずに大粒の涙を流した。現在も家族4人で実家に暮らす剛力さんは、家族の愛に包まれて育ち、今も仕事で忙しい日々を家族の愛に支えてもらっていると感謝した。父が母に送った手紙をお守りのように普段から大切に持ち歩いているというと、黒柳さんが「お父様からお手紙をいただきました」と、サプライズの父からの手紙を読み上げた。手紙の中で「もう少し睡眠を取ってほしい」と、父親からの剛力さんの体調を気遣う言葉が紹介されると、思わず剛力さんの目から涙がこぼれた。剛力さんは、涙をふきながら「すみません。私が社会人として働いているという目でも、娘としても見てくれる。ありがとうございます」と感謝。「うれしいです。お守りです」と手紙を受け取った。剛力さんの涙を見て、黒柳さんも「あなたのことを、本当に愛してらっしゃるのね」と思わず言葉を詰まらせる場面もあった。番組では、剛力さんの姉もVTRで登場。現在、出演中の同局の連続ドラマ「私の嫌いな探偵」でもダンスシーンが登場するなど、踊りが得意な剛力さんだが、姉と組んだパフォーマンスがVTRで紹介された。また、芸能界入りのきっかけや、ドラマ初出演時にロングヘアをばっさり切ったというエピソードも披露された。また、黒柳さんが剛力さんの名字について、華奢(きゃしゃ)な体とギャップがあると“名前談議”でも盛り上がった。

『世界ふしぎ発見!』29年目で初の“クイズなし”
 2015(平成27)年01月28日(水)6時0分『オリコン』配信 
‡2015(平成27)年02月07日(土)放送の『世界ふしぎ発見!』ではクイズの出題はせず、トークとVTRで構成される (C)TBS 
‡2015(平成27)年02月07日(土)に放送されるTBS系の長寿番組『世界ふしぎ発見!』(毎週土曜 後9:00)の特別版『世界で出会ったステキな日本人79分スペシャル』(後9:00~10:19)が、クイズを出題せず、トークとVTRのみでの構成で放送されることが
 2015(平成27)年01月27日(火)、わかった。クイズが出題されないのは1986年4月の放送開始以来、初めての試みとなる。
 <写真一覧>ミステリーハンターが出会った世界で活躍中の日本人たち
 今回は、絶景でもミステリーでもなく、世界で活躍している日本人4人を紹介し、成功までの道のりなどを届ける。これまでにもニュージランドで「星空を世界遺産にしよう」と提案した日本人の物語も扱ったが、パネラーなどから「もっとスタジオで、その人のことを知りたい、トークしてほしかった」との意見が寄せられた。また一部の出演者からも「もっとトークをしたい」との声があったため、“クイズなし”を踏み切った。クイズを取り入れない理由について、佐藤寿一チーフディレクターは「今回は、人物を扱うので、VTRからクイズというよりも、その人のことをもっと知ろうとするのが自然の流れだと思った」と説明し、「感動的なVTRがあっても、クイズ番組の宿命として、感想を言わずにクイズコーナーに移ってしまうと、これまでの余韻が言えないときもある」とした。“クイズなし”には「葛藤はなかった」というが「今後クイズがなくなるということは、もちろん考えていない」と話している。国外で活躍する日本人を取り上げる番組は他局でも放送されているが、佐藤氏は「他番組の差別化として、そこで“何かを成し得た人”に取材対象を絞った」といい、「我々の自負としては『こんなところに日本人が住んでいるの?』ではなく、現地の人に評価されるまでの人に出ていただくのがいいと判断し、一?踏み込んだものにしたかった」と語った。今回のスペシャルでは、内戦後のカンボジアで水道水を飲めるように下北九州市上下水道局の木山聡氏、日本人ではじめてローマ法王の銅像を作ったイタリア在住の彫刻家・奥村信之氏、エクアドルで糖度20という世界一甘いいちご「はるかルビー」を育てた西川公一郎氏、カンボジアで絹織物を復活させた友禅職人・森本喜久男氏の4人を紹介する。ゲストには、同番組初出演となるパラリンピック陸上女子の佐藤真海のほか、知花くらら、武井壮、陣内智則を迎える。

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