過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

2024(令和六)年壱拾弐月壱拾日(火)曜日の初記事ですヨ(=^◇^=)

 

 映像◆【BOOWY】DOWN TOWN SHUFFLE(GIGS at BUDOKAN)https://youtu.be/LOwodRuGxEQ
 
 映像◆【BOOWY】BLUE VACATION(GIGS at BUDOKAN)https://youtu.be/qd_L2bvaOw0
 
 映像◆BAD FEELING ~ SUPER CALIFRAGILISTIC EXPIARI DOCIOUS https://youtu.be/uszGwEOg_GQ
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ 『GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ┃
 ┃  ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR    ┃
 ┃  1986.11.11~1987.02.24』    ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1986(昭和61)年12月10日(水) 録音:日本武道館
 1987(昭和62)年02月24日(火) 録音:日本武道館
 2004(平成16)年02月24日(火) VHS TOVF-1413
 2004(平成16)年02月24日(火) DVD TOBF-5307
 2012(平成24)年12月24日(月) BD TOXF-4016 BD-BOX『BOΦWY BLU-RAY COMPLETE』収録
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ 『GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ┃
 ┃  ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR    ┃
 ┃  1986.11.11~1987.02.24』    ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 2004(平成16)年02月24日(火) CCCD TOCT-25361~2
 2008(平成20)年08月02日(土) MP3DL 
 2012(平成24)年12月24日(月) Blu-spec CD2 TOCT-98009~10
 https://ja.wikipedia.org/wiki/BOOWY


 紅白歌合戦トリビア 歴代最高視聴率81.4%の立役者は?
‡2019(平成31)年12月10日(火) 07:00 週刊ポストNET
 2019(平成31)年12月20日(金)号週刊ポスト
 2019(平成31)年12月27日(金)号週刊ポスト
 写真◆♪一週間に十日来い♪は大ヒットした(写真/共同通信社)
 2019年大晦日、放送70回を迎えるNHK紅白歌合戦には、その歴史の長さ故に知られざる過去がある。最新刊『紅白歌合戦ウラ話』が話題の合田道人(ごうだみちと)氏に、意外な紅白のウラ話を聞いた。
■紅白は「GHQ」から潰されかけたことがある?■終戦を迎えた1945年暮れ、国民を元気付けようと「紅白歌合戦」が企画された。当時は番組の制作にGHQの検閲が入ったが、通訳が「レッド&ホワイト ソングバトル」と訳したところ“敗戦国がバトルとは何事だ!”と却下。タイトルをマッチ(試合)と変更することで、「紅白音楽試合」として放送された。
 写真◆GHQのマッカーサー元帥(時事通信フォト)
■第1回の紅白は「1月3日」に放送された?■紅白歌合戦の第1回は
 1951(昭和26)年01月03日(水)にお正月番組として放送された。ラジオの生放送で1時間だった。第3回まではお正月、テレビ放送が始まった第4回から大晦日に放送されるようになり、1953年には年始と年末の2回、紅白が行なわれた。
■毎回違う名前で出演したのは?■木梨憲武。とんねるず(第42回)、憲三郎&ジョージ山本(第47回)、野猿(第50回)の3回とも、異なる名前だった。
■歴代最高視聴率81.4%は、五月みどりのおかげだった?■81.4%と驚異の視聴率を叩きだした第14回。瞬間最高視聴率は五月みどりの『一週間に十日来い』で85.3%を獲得。
■「紅組」「白組」両方で出場したことがある歌手は「5組」いる?■シルヴィア(第34回に菅原洋一と白組出場)、サザンオールスターズでは白組だった原由子(第42回にソロで紅組出演)、紅組トリをつとめたこともある和田アキ子(第56回にm-floと白組出場)、男女混合グループのAAA(紅・白交互に出場)。「和田弘とマヒナスターズが白組で出場した第16回当時は男女混合グループが認められず、一緒に歌っていた田代美代子は出られませんでした。第19回のピンキーとキラーズからその縛りが解かれ、第40回にマヒナスターズは松尾和子と紅組で出場しました」(合田氏)
 https://www.news-postseven.com/archives/20191210_1504854.html?DETAIL

 映像◆NHK紅白歌合戦の腐りきった裏側を元NHK職員の立花孝志氏が実名で告白https://youtu.be/q-_2yykzoM8
 2019(平成31)年08月16日(金) 596,211回視聴
 
 ┏━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『CELEBRATION DAY』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━┛LED ZEPPELIN
‡2007(平成17)年12月10日(mon) O2 Arena, London
 2012(平成24)年10月17日(wed) limited theatrical release
 2012(平成24)年11月19日(mon) released on several home audio and video formats
‡2012(平成24)年12月10日(mon) A triple vinyl LP was initially announced to be released on 10 December 2012 but
 2013(平成25)年02月XX日(XXX) distribution started in the middle of February 2013.
 https://music.amazon.co.jp/albums/B00A1TZ7JE
 https://en.wikipedia.org/wiki/Celebration_Day_(film)
 https://music.amazon.co.jp/albums/B07VWSTHXQ

 <アクリルアミド>スナック含有物質に発がん性…食品安全委
 2014(平成26)年10月04日(土)07時10分『毎日新聞 』配信 
 写真◆市販のポテトチップス(資料写真) 
 ポテトチップスなどに含まれる、化学物質のアクリルアミドのリスクを評価している内閣府食品安全委員会は
 2014(平成26)年10月03日(金)、次世代にも影響が及ぶ「遺伝毒性をもつ発がん物質」との評価案を示した。アクリルアミドに対する国内での評価は初めて。今後、メーカーでの低減策が求められそうだ。【小島正美】
【低ニコチンのはずが…】実際に吸った場合のニコチンは必ずしも低くない。そのからくり教えます
 ◇国内では初評価◇アクリルアミドについて、海外では2000年代初頭から、さまざまな調査結果に基づき、発がん性が認識され、消費者に注意を呼びかけている。食品安全委の化学物質・汚染物質専門調査会は、海外の動きを受けて、
‡2011(平成23)年12月から独自にリスクを検討していた。調査会は、国内外の各種動物実験の結果から、アクリルアミドは遺伝子や染色体の構造に変化をもたらし、次世代にも影響しうる発がん物質、と評価した。人に関するアクリルアミドの摂取量とがんの因果関係については、海外の疫学報告からは十分な証拠は得られなかった。国立環境研究所が中心となり、日本人のアクリルアミドの摂取量を調べ、どういう人の場合、リスクが高くなるかなどを推定し、最終的な評価書をまとめる方針。農林水産省によると、アクリルアミドは炭水化物を多く含む原材料を120度以上の高温で揚げたり、焼いたりすると発生する。これまでの調査では多く含むものにジャガイモの加工品、ケーキ・ビスケット類、トースト、コーンスナック、コーヒーなどがある。アクリルアミドは家庭内の調理でも発生するため、欧州食品安全機関(EFSA)は「揚げ物は揚げ過ぎず、トーストは焦がさず軽いキツネ色に焼く」など、発がん物質を減らす方法をホームページで公開、注意を呼びかけている。
 ◇アクリルアミド◇ジャガイモなど、炭水化物の多い原材料に含まれる、アミノ酸の一種のアスパラギンと糖類が、「揚げる」「焼く」「煎る」など120度以上で加熱調理されることにより、化学反応を起こして生じる。生の食材や、ゆでたり、蒸したりした食品には含まれていない。国際がん研究機関(IARC)は、発がん性の分類で、上から2番目のランクの「おそらく発がん性あり」に分類している。工業用に合成されたものもあり、土壌改良剤などに使われている。


 徒然その33☆花形敬のレクイエム☆
 2010-12-10 21:33:19 ☆格闘家カフェテラス☆
 この☆格闘家カフェテラスのコーナーは、ここだけの話、あんま人気ないんですよ。
 自分的には非常に気に入ってて、前回のルー・テーズ以外にもいろいろと暖めているネタはあるんですが、なにせ人気がない。アクセスしてくる方がとんとおられない。
 というわけでいま現在、必然的にやり甲斐のない、秋口のとぼとぼ散歩道的なたそがれページとなりつつあるんですが、実をいうと僕、どうにも好きなんですよねえ、このページ。
 ブログ、というジャンルであることを最大限利用してこれからも細々とやっていけたらなあ、なんていまのんきに思ったりしているのですが、今回のカフェテラスのゲストは凄いですよ---なんと、あの伝説の喧嘩師!---花形敬さんなんであります。
 うわーい、ぱちぱちぱち。(口笛、指笛等の高い音も)
 なぬ、この方をご存じない?
 話のそとだ、そんなのは、おとといおいで! と勢いにまかせていいたいところですが、そんな傲慢対応かましていた日にゃあ僕自身の明日もないし、わざわざ訪ねていただいたお客さんに対しても申しわけない、ということで改めて初心にかえって、この方のプロフィールを紹介させていただきませう。
-----花形敬。1930年小田急沿線の経堂に、良家の子息として生まれる。千歳中学校を自主退学ののち国士舘中学に移籍。そののち明治大学予科に進みラグビー部に所属。身長182センチ。1950年、渋谷の安藤昇の舎弟となり、無類の喧嘩の強さから大幹部に引きたてられる。前科7犯、22回の逮捕歴あり。相手が何人いようが刃物をもっていようが、自らは決して武器をもたない「素手喧嘩(ステゴロ)」で通し、いざ喧嘩となった際の凄まじさは、あらゆる暴力団関係者から例外的な伝説としていま現在も語り継がれているほどの特別の存在。いわば暴力世界のカリスマ。漫画「グラップラー刃鬼」の花山薫のモデル。東映映画「疵」では陣内孝則が、「安藤組外伝」では哀川翔が、それぞれ花形役を演じた。全盛期の力道山をビビらせたこともある。
 1963年9月27日、組関係の抗争から刺殺される。33才だった。どのエピソードも人間離れしていて凄いんですが、現(?)住吉連合常任相談役の石井福造氏のこの回想が極めつけにすさまじいので、この場を借りてちょっと紹介しておきませう。渋谷の盛り場で、この石井さんが若い衆に命じて、なんか金品巻きあげのようなことをやっていたらしいんですよ。で、ひとりになって靴磨きに靴を磨かせていると、いつのまにか10人をこえる土方の一団にまわりをすっかり囲まれていたことに気づくんです。めいめいがツルハシとかハンマーをもってて---要するにお礼まいりにやってきたというわけなんです---石井さんも普通のおひとじゃない、腕には自信がある、しかし、いくらなんでも相手が多すぎるし、皆、武装までしてるんだからこれは分がわるい。
----靴磨いてんだ。終るまで待ってろ。とはいったものの、さて、どうしたものかと困っていたら、そこに花形敬が現れたというんですよ。以下、本田靖春氏の著書より引用します。
「兄貴、どうしたんですか」花形は石井を立てるように、丁寧な物言いをした。
「いや、この連中が話したいというもんだから」
「ああ、そうですか。じゃあ、ここはまかせておいて下さい」土方たちをうながして先に立った花形は、渋谷大映裏の空地に入っていった。ここでも片がつくのに「何秒」しかかからない。リーダー格と目される男の顔面に、いきなり花形の右ストレートが伸びた。その一発で、男は横倒しになり、完全に失神した。パンチの勢いに驚いて、他の連中は四方へ逃げた。その中の一人を追い掛けた花形は、追いつきざま、相手の腰に飛びついた。千歳の生タックルである。三メートルは飛んだと石井はいう。地べたに叩きつけられた男の顔を三つ、四つ踏みつけておいて花形は石井に声を掛けた。
「さあ、行こうか」息も乱れていない。
「そういうとき、花形は格好つけないんですね。何事もなかったような顔してる。強いのも強かったけど、度胸が凄い。十人くらいいたって、平気なんだから。負けるなんて、全然、考えたことないんじゃないですか」これは、いまになっての石井の感想である…。(「疵-花形敬とその時代-」文春文庫より)
 ああ、楽しい。花形敬の最強伝説を語るときほど楽しいことって、僕にはそうありません。
 なんしろ強いんです。ハンパないんです。しかも、僕ら素人がそう評するのじゃなくて、花形の場合、むしろ暴力のプロの方々のほうがそうおっしゃられるわけなんですよ。自分はいついつのどこで花形と喧嘩して負けた、とかね。普通だったらそういうことってありえないんです。負けても勝ったといいはらねば、たちまちメシが喰えなくなる業界です。
 しかし、そうした修羅界の常連さんがたにとってすら、花形は別格の存在なんです。
 花形が相手なら負けて当然と誰もが思ってる、だから、自分がいかに簡単に花形に叩きのめされたかを得々と語るのです。これは、きわめて異常な事態です---つまり、花形敬とは、まさにそのような異常な語られ方をされるような、「特別な」男であったというわけなんですよね。
 この「特別さ」は、このエピソードに端的に顕れていると思います。
 ええ、あまりにも有名な、例の花形銃撃事件です。
 1958年、渋谷宇田川町のバー「どん底」の前で花形は背中から声をかけられます。
「敬さん」青白い疵だらけの顔が振り向いた。特徴のある目は深い酔いで焦点が定まらないようであったが、向けられた銃口にはすぐ気づいた。
「いったい何の真似だ、それは」ドスのきいた低い声に動じた気配はない。恐怖にかられたのは牧野の方であった。身体の正面を彼に向け直した花形が一歩一歩迫ってきたからである。撃たなければ殺される。牧野は夢中で引き金をしぼった。しかし、弾は花形をそれた。
「小僧、てめえにゃおれの命はとれないぞ」後ずさりしながら牧野は二発目を発射した。弾はその掌を射抜き、衝撃で花形の長身が半回転した。続いて第三弾が左の腹部に撃ち込まれた。さしもの花形もその場に崩れ落ちる。
「やりました」
「やったか」これで、やっと枕を高くして眠れる。そう思って石井が安堵の胸を撫で下ろしていると、花形の動静を探らせるために放っておいた森田の若い衆二人が、血相変えて現れた。花形が石井と森田の居所を探し求めて、渋谷の街をうろついている、というのである…。(「疵-花形敬とその時代-」文春文庫より)
 驚異---撃たれても死んでない。さらには、運び込まれた病院を脱走して、自分を撃った相手を探して渋谷中歩きまわってたっていうんですから…。
 これには、撃ったほうの一団もまっ青だったと思います。これはコワイよ。しかも、花形のこのときの怪我の具合をあとから分析してみると、決して軽いものじゃないんです、弾の一発は左掌の人差し指と中指近くを貫通して穴をあけてましたし、腹に撃ちこまれたほうの弾は左腰貫通して坐骨骨折を起こしてました。通常でいうなら最低でも4ケ月の入院が必要なところだったとか。
 けれども、花形さんはそうしない、それどころか仇の居所を夜更けすぎまであちこち探しまわり、そのあいだも酒を煽り、焼き肉を二人前平らげ、夜明けには女をつれて宇田川町の旅館にしけこんだというのだから絶句です……。
 これはもう空手何段だとかベンチプレスで120キロあげれるとかいったレベルじゃぜんぜんんない。恐らく、脳天のさきまで響くような歯痛の極みみたいな激痛が、一晩中、身体中のすみずみまで駆けまわっていたはずです。
 1秒1秒が地獄だったと思います。歩くたびに限界致死の痛みが脳髄の奥までギチギチと響きわたってくるというのに。なのに、焼き肉を食べ、あまつさえ女まで抱いてるんですから---これは、異常な耐久力であり異常な根性ですよ。僕は歯医者とかにいくたびに彼のこのエピソードを思いだして、痛みに耐えようとまあ思うんですが、いつも2.5秒あまりで挫折しちゃう。花形はちがう。恐らく、麻酔抜きで歯を全部抜いても悲鳴すらあげないんじゃないでせうか。そんな人間はいないと僕も以前なら思ってた。でも、花形なら、やっちゃうと思いますね。
 東興業の安藤昇さんがこの事件を知ったのは、翌日の昼すぎに事務所にでてきてからでした。すぐにひとをやらせて花形を呼んだそうですが、いくら尋ねても花形はなんにもいわない。そのうち、花形が身体を動かしたとき、何かのはずみかでそのズボンの裾から、撃たれた拳銃の弾が床にコロンとこぼれ落ちたということです---。ルー・テーズの師匠であるジョージ・トラゴスは、若いころ、よくテーズにこういっていたそうです。
----いいか、ルー、世の中、上には上がいることをを決して忘れるな…。(ジョージ・トラゴス:米国のレスラー。サブミッションの達人)ええ、花形敬とは、トラゴスがこのようにいっていた「上の上」---ぶっちゃけていうならまさに喧嘩の天才だった、とイーダちゃんは思ってます。
 どんな分野にも天才っていますから。そして、とっても悔しいけど、天才には凡人は絶対敵わない。この花形銃撃事件は、僕はたまたま起こった銃撃事件を花形自身があえて「演出」して、自分をとりまく新たな「伝説」作りに利用したんじゃないか、と解釈しています。痛みはすさまじかっただろうけど、彼自身は案外新しいタイプの喧嘩みたいなつもりで、やっててけっこう楽しかったんじゃないのかな。
 闘いのために生まれてきたようなこんな男に勝てる奴なんて、まず、いなかったでせう。ランクがちがいますもん。知り合いのムエタイ・マスターは、僕がこの説を述べると怒るんですが、僕は、喧嘩の強さっていうのは、生まれつきあらかじめ決定されてるもんだと思ってます。後天的な鍛錬やら格闘技の習得である程度までならこの溝を埋めることは可能でせうが、完璧に埋めきることは恐らくむりでせう。
 この花形敬という男には、結局、誰もかなわなかった。格闘技のチャンピオンだとか暴力世界で名を知られた無類の喧嘩名人とか---ちょっと比類のないランクの強者たちであればあるほど---逆に、生前の花形とは注意深く距離をおいて、徹底的に対決を避けてました。
 恐らく、強い奴には強い奴がわかるんでせうね。本能でもって。安藤組の武闘派ななかでも極めつけといわれていた、50人からの舎弟頭、空手4段の西原健吾氏も、花形と喧嘩になりそうになったとき、運転手に耳打ちしてクルマを停めさせ、ドアをあけるなり一目散に逃げだしたそうですから。
---あの喧嘩の強いのが、物凄い勢いで逃げましたからねえ。必死なんてもんじゃない。いまも目に浮かぶようです…。(元安藤組幹部、M氏の証言)あの世界チャンピオン、ルー・テーズも喧嘩の強者として認めていた、全盛の力道山にしても、花形をまえにした際には、対処法は西原さんとごいっしょでした。引用いきます。
 昭和三十年の暮れ、そうした新しいビルの一つに、キャバレー「純情」がオープンする。その挨拶がないというので、開店の当日、花形が出向いて行き、マネージャーに経営者を呼ばせた。
 ところが、出て来たのは、力道山であった。
「何の用だ」
「てめえに用じゃない。ここのおやじに用があるんだ」
「この店の用心棒はおれだから、話があれば聞こう」
「てめえ、ここをどこだと思ってるんだ。てめえみてえな野郎に用心棒がつとまるか」
 花形に野郎呼ばわりされて、力道山の顔に血が上った。怒りで両手がぶるぶる震えていた。
 朱に染まったような力道山の顔面に花形がぐっと鼻先を寄せて、初対面の二人のにらみ合いが数秒のあいだ続く。
「中に入って飲まないか」 
 折れて出たのは力道山の方であった…。(本田靖春「疵-花形敬とその時代-」より)
 セメントマッチの強者・力道山は、このとき、花形の目のなかの「ただならぬもの」をたしかに目撃したんだと思います。
 それは、いったん目にしてしまったら、あの力道山すら一歩引かざるを得ないような類いの危険なものでした。
 花形の映像はそう残ってはいませんが、僕がこのページの冒頭に掲げた写真からも、それなりの「鼻」があれば、花形のその種の危険な匂いが嗅ぎだせるのでは、とイーダちゃんは感じてます。
 というのは、この写真なかの花形、顔の表情にリミッターがなんもかかってないんですよ。
 リミッター---ええ、僕ら、一般人って普段の自分の表情にもある限界線を決め、そこから先に感情が暴走しないよう案外入念にコントロールしてるもんなんです。普段の笑いならせいぜい大笑いまで、酒の席でならまあ馬鹿笑いまで、しかし、狂的な笑いまでにはいかないようにって常に注意深く自粛してる。
 日常生活をつつがなく送るために我々が調整してる、いわゆる理性作業の表情抑制リミッター---それが、この写真の花形の顔には見事なまでにありません。
 これは、行くとなったら、とことん行くところまで行く顔ですね。
 命が惜しいとか、迷いとか、そんなことはまったく思ってもいない、修羅の顔であり鬼の顔である、とイーダちゃんは思います。
 しかし、この鬼ときたらふしぎな鬼ですよ。死んでから何十年もたつというのに、ずいぶんいろんなひとから愛されているやうじゃないですか。
----拘置所に面会に行きますね。他の連中は番号で呼ばれて出てくるのに、花形さんだけは名前で呼ばれるんです。そのアナウンスがあると、百人からの面会人のあいだから、何ともいえないどよめきが起こるんだな。来ているのは、ほとんどが稼業人ですから。花形さんというのは、そういう存在だったんです…。
 今宵の僕のこのページも、そういった拘置所のどよめきのなかの小さな声のひとつです。
 強い者に憧れるごく単純な心理でもって、ここまで綴ってきたこのささやかなページを---たぶん天国にいるだろう花形敬さんにむけて、こっそり捧げたいと思うイーダちゃんなのでありました。m(_ _)m
 2010-12-11 04:34:21 参上!! (チェ・ジバラ) よお、あんたよお、花形さんて、バキに出てくるアンちゃんだろが、しってるぜ、バキからぬけて、ピンでも漫画の主役張ってるからよお、でもよ、あんたよお、好きなのわかるけどよお、銃撃事件の年、変じゃねえの、書いたらもっかい読みなおせっちゅうの、ったくよ…。
 2010-12-11 06:08:20 チェ・ジバラさんへ (イーダちゃん) >参上!!とアドバイスありがとう。ほんとだ、1931年じゃなくて1958年でした。さっそく訂正します。多謝(^^)あけまして (ユーヂ)
 2011-01-01 23:18:25 あけましておめでとうございます。新年のご挨拶がてら、書き込みをしようと覗いてみたら、なんと話題が「花形」・・・。いやぁ、イーダちゃん節爆発ですね。今時「花形敬」で記事一本書く人なんて、それこそ”そういう本”を書く人たち以外にいたのね(笑)。お見事です。格闘技、ってものを10ウン年もやってくると、何と言いますか殴る、蹴るの速さや強さだけではない、言い方悪いけど「狡さ(これは業界内では「上手さ」になる」みたいなものが出てくる訳ですよ。自分は状況作りが上手い、という表現をするんですが、簡単に言うと打たせない、蹴らせない、相手に好きにさせない。喧嘩の強さってのは、そういう類の「強さ」なんでしょうね、と言えるようになるまで、私は10ウン年かかりました。そういう意味では私は「凡人」なんでしょう(笑)。今年も宜しくお願いします。
 2011-01-03 13:05:49 ユージさんへ (イーダちゃん) >あけましておめでとう! ほんと、いろいろあった1年ですけど、訪問、カキコありがとうです。<(_ _)>状況作りが上手いっていうのは面白い表現ですね。格闘技のみならず、交渉事、戦争とかでも極意はそれかもね。「達人」テクの基本ってもしかしてそんなところにあるのかも。それはそうと、そっち側の世界で修行をしこたまつみ、しかも、あくまでクールで謙虚な立ち位置のゆらがないユージさんみたいな人材はやっぱすごいって。そのような「克己」への努力は、いつの世もオトコの基本だと思います。こちらこそ宜しく---今年、いい年にしたいね。
 2012-01-07 23:32:18 お初です。 (イワオ) 初めまして、僕が花形さんを知ったのは、去年くらいだったと思います。サイトで花山 薫のモデルになった人物で検索すると花形さんの事がかかれてました。花形さんも握力は強かったのでしょうか?でしたら花形さんも握撃みたいな技は使えたのでしょうか?イーダさん、お願いします。
 2012-01-08 23:42:20 >イワオさんへ (イーダちゃん) >握激は、あれは花形のというより、漫画家・板垣恵介さんの空想内での必殺技なのではないのかな?実戦って容赦ないですから、相手の手首をつかんで1秒でもじっとしてたら、それはもう自分を撃ちぬいてくれ、といってるのとおなじ意味でしょ。その居着きの刹那、つかんだほうの「敗戦」はほぼ決定。そんなおろかな自殺技を使う「喧嘩屋」は、まずいないはず。見栄えのする技で実戦に効く技ってほとんどないといっていいのではないかしら。もっとも、オラウータンみたいに握力が500キロもあったら、そりゃあ話は別ですが。でも、それでも「握激」はたぶんやらない。腕を握りつぶす力があるなら、それを用いて相手を崩すか投げる、もしくは関節技に入るか首締めを狙う、というのが実戦的な、正しい格闘のあり方だと思います。
 https://blog.goo.ne.jp/iidatyann/e/604626c52dcc6675a050599675726133

 田原俊彦、還暦にして写真集発売「遂に、ヌード!? になっちゃいました」
‡2021(令和三)年12月10日(金) #TikTok#アイドル#ジャニーズ#ダンス#トシちゃん#写真集#田原俊彦#還暦
 2022(令和四)年01月28日(金) アノ、FRIDAYから来年1・28発売
 今年還暦を迎えた元祖アイドル・田原俊彦の写真集が、来年22年1月28日に発売されることがわかった。発売に先立ち、12月10日発売のFRIDAYで先行カットが特別掲載されるとのことで、今回、先行カット5点が公開された。
 https://www.moviecollection.jp/news/118123/

 

■猪木映像◆闘魂シリーズ第2弾&ワールド・タイトル・チャレンジ・シリーズ
‡1973(昭和48)年12月10日 東京体育館 NWF世界ヘビー級選手権試合
 ジョニー・パワーズ VS アントニオ猪木
 https://njpwworld.com/p/s_series_00002_1_1
■猪木映像◆第1回MSGタッグ・リーグ戦
‡1980(昭和55)年12月10日 大阪府立体育会館 第1回MSGタッグリーグ優勝決定戦
 アントニオ猪木&ボブ・バックランド VS スタン・ハンセン&ハルク・ホーガン
 https://njpwworld.com/p/s_series_00033_1_1
■猪木映像◆第2回MSGタッグ・リーグ戦
‡1981(昭和56)年12月10日 大阪府立体育会館 第2回MSGタッグ・リーグ優勝決定戦
 アントニオ猪木&藤波辰巳 VS アンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ
 https://njpwworld.com/p/s_series_00039_2_1
■猪木映像◆'85 IWGPタッグリーグ戦
‡1985(昭和60)年12月10日 愛知県体育館
 アントニオ猪木 VS ディック・マードック
 https://njpwworld.com/p/s_series_00063_4_03
■猪木映像◆'86ジャパン・カップ争奪タッグ・リーグ戦
‡1986(昭和61)年12月10日 大阪城ホール
 アントニオ猪木&藤原喜明 VS 前田日明&木戸修
 https://njpwworld.com/p/s_series_00073_2_03
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■1973.12.10 アントニオ猪木
「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」
 1973年12月10日、東京体育館でジョニーパワーズからNWF世界ヘビー級選手権を奪取したアントニオ猪木は「誰の挑戦でも受けられるチャンピオンになる」と発言した。しばしば口にするその発言が猪木の信念として次第にキャッチフレーズ化してこの言葉となった。
 https://kissatalk.web.fc2.com/meigen.html

くまモンとくまぞう コラボ
くまモンとくまぞう コラボ
くまモンとくまぞう コラボ
くまモンとくまぞう コラボ
 ┏━━━━━━━━━┓
 ┃くまぞう。について┃
 ┗━━━━━━━━━┛
 くまぞう。は、クマヒラグループのコーポレートキャラクターです!
‡   誕生日:12月10日(晴れ)☆\(=^◇^=)/☆
  生まれた所:安芸厳島
  好きな場所:日本各地のパワースポット
トレードマーク:胸にある白い鍵印
     趣味:森の中をお散歩すること、温泉巡り
     特技:誰とでも仲良くなれること
   好きな色:-ブルー
 好きな食べ物:お好み焼き、白くま印のハチミツ
 尊敬する人物:臥竜先生と森の長老
   なかよし:白くま君、もみじ谷公園のいのしし、バンビ、ちょうちょう
      夢:世界中みんなが安全・安心に生活できるようになること
 https://www.s-kumahira.net/company#kumazo

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