過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

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 ┃『NORTHERN LIGHTS』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━┛The Beatles【CD】
 ユニコーン・レーベルの最新作が入荷しました。今回は、最近発掘のレアトラックを収録したもの。目玉は何と言っても1963年5月24日Granada, Walthamstow公演より、「Please Please Me」と「Some Other Guy」の2曲を収録していることでしょう。短いサンプル収録ながら、貴重なロイ・オービソンとのツアーにおけるライヴ音源です。永久保存のがっちりプレス盤。
‡01. Please Please Me (Roy Orbison Tour 24/5/63)
‡02. Some Other Guy (Roy Orbison Tour 24/5/63)
 03. I Want To Hold Your Hand (Adelaide 64 upgrade)
 04. I'm Happy Just To Dance With You (Glasgow 64)
 05. If I Needed Someone (Entomology Different Mix)
 06. That Means A Lot (Stereo Reverb Edit Complete)
 07. Eleanor Rigby (Entomology Demo)
 08. Penny Lane (Overdub Sessions January 1967)
 09. Sound Of The Stars (Flexi Commercial Ad)
 10. Tonight Show (John & Paul 14/5/68)
 11. While My Guitar Gently Weeps (Multi Tracks)
 12. While My Guitar Gently Weeps (Bass Track)
 13. Let It Be (RS1FS + RS2 stereo)
■BONUS TRACK■
 14. Band On The Run (8" Capitol Acetate 25/3/74)
・ Label/No unicorn/UNI-07
・ 販売価格3,500円(税込)
・ 在庫数 SOLD OUT
 https://www.teenagedream-record-3rd.net/?pid=40553855

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 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─――――――┐Top row <一行目>
15| Bob Dylan  |『Wikipedia』
15|ボブ・ディラン|『discovermusic.jp』
 └─――――――┘ ボブ・ディランとザ・ビートルズは60年代を通じて影響を与えあっていた。お互いを刺激しあいながら、限界を押し広げ、シンプルな‘ポップ・ミュージック’で可能と考えられていたことを変革する音楽を作っていたのだ。ジョン・レノン(No. 62)に「Help!」という形でより私的な曲を書くきっかけを与えたのはボブ・ディランだった。また、ザ・ビートルズはフルバンドを擁してできることをボブ・ディランに示し、これをヒントにボブ・ディランは1965年、エレクトリック路線へと進んだ。しかし、ボブ・ディランと最も長く友情が続いたのはジョージ・ハリソン(No. 65)で、2人はその後もしばしば一緒に演奏し、トラヴェリング・ウィルベリーズを結成したほか、お互いのプロジェクトにゲスト参加しあっていたヨ(=^◇^=)
‡1941(昭和16)年05月24日(sat) Born
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 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
‡https://en.wikipedia.org/wiki/Bob_Dylan
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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 ポール全公演中止が決定 体調回復せず
 2014(平成26)年05月20日(火) 10時0分配信 日刊スポーツ
 体調不良で東京・国立競技場公演を2日間とも中止したポール・マッカートニー(71)が
 2014(平成26)年05月21日(水)の日本武道館公演、
‡2014(平成26)年05月24日(土)の大阪・ヤンマースタジアム長居公演を含めた全公演を中止することが
 2014(平成26)年05月20日(火)、決まった。
【写真】13年、幕内土俵入りを見つめるポール・マッカートニーとナンシー夫人
 2014(平成26)年05月17日(土)の公演延期の際に発表した「ウイルス性炎症」による体調不良が回復せず、
 2014(平成26)年05月19日(月)、引き続き静養に専念すべきとの医師の判断の結果を受けた。これを受けてアーティスト側、招へい元および日本公演主催各社で協議を重ね、ここで無理してステージに立つよりも、ポール本人の完全な体調回復を最優先すべきと判断した。今後は、ポール本人も希望している早期再来日公演の実現に向けて協議していく。チケットに関しては、
 2014(平成26)年05月22日(木)午前10時から
 2014(平成26)年6月9日(月)まで、購入先で払い戻しをする。詳しくは公演公式サイト、テレドーム(自動音声案内)で案内する。
 公演公式サイト http://outthere-japantour.com/テレドーム(自動音声案内)0180・99・3335
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 ポール全公演中止……怒らず体調気遣う日本ファンにポール側は驚き!?
 2014(平成26)年05月20日(火)13時12分配信 RBB TODAY
 2014(平成26)年05月15日(木)写真◆羽田空港に到着したポール(C)森リョータ 
 ポール・マッカートニーの全公演中止が明らかになった。ネット上ではファンの悲しむ声とともに、ポールの体調を気遣う声が多数あがっている。ファンにとっては待ちに待ったポールの48年ぶりの武道館公演もキャンセルされた。当初予定されていた
 2014(平成26)年05月17日(土)・
 2014(平成26)年05月18日(日)の国立競技場公演は、ウイルス性炎症による体調不良のため初日が
 2014(平成26)年05月19日(月)に延期されたが、その後も体調は回復せず、両日の公演とも中止になっていた。さらに
 2014(平成26)年05月21日(水)に日本武道館、
‡2014(平成26)年05月24日(土)にヤンマースタジアム長居での2公演が予定されていたが、
 2014(平成26)年05月20日(火)、それらの全公演の中止が主催者から発表された。チケットについては払い戻しが行われ、再公演については「今後は、ポール・マッカートニー本人も希望している早期再来日公演の実現に向けてアーティスト側と協議してまいります」としている。こうした事態に悲しむ声が多数あがったが、それ以上に「ポールの体調だけが心配です」「遠い異国で体調不良なんて辛いだろうなあ」「早く回復してほしいです」「早く帰国してゆっくり静養してほしいですね」と、ポールの体調を気遣う声がTwitter上にあふれた。また、そうしたファンについて音楽評論家の湯川れい子さんはTwitterで「土壇場で公演が中止になっても、怒鳴り声一つ無く、皆ポールの体調を心配して静かに散って行ったファンの姿に、ポールサイドはびっくりしたようです」と、急遽中止がアナウンスされた公演会場での様子をツイート。「その報告はポールの耳にも届いていたことでしょう。だからこそポールは諦めずに、最後まで日本の医師を信頼して頑張ってくれたのではないでしょうか」とコメントしている。
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 ポール全公演中止 払戻し30億円超?
 2014(平成26)年05月21日(水) 06時58分『デイリースポーツ』配信 
 2014(平成26)年05月20日(火)写真◆13:47、内藤絵美撮影『毎日新聞』ポール・マッカートニーさんが宿泊しているホテル前に集まるファン=東京都千代田区で
 元ザ・ビートルズのメンバーで英国の超大物ロック歌手、ポール・マッカートニー(71)が、ウイルス性炎症による体調不良のため
 2014(平成26)年05月21日(水)の東京・日本武道館公演と
‡2014(平成26)年05月24日(土)の大阪・ヤンマースタジアム長居公演を中止することを
 2014(平成26)年05月20日(火)、発表した。既に
 2014(平成26)年05月17日(土)、
 2014(平成26)年05月18日(日)の国立競技場公演も取りやめになっており、来日ツアー4公演は全てキャンセルに。振替公演の予定はなく、完売のチケット17万枚は払い戻しの対応が取られる。48年ぶりに聖地武道館に立つポールの姿は、幻に終わった。来日翌日の
 2014(平成26)年05月16日(金)に発症したポールは
 2014(平成26)年05月19日(月)に滞在している都内のホテルで医師の往診を受けたが、回復ぶりは思わしくなく、診断結果を基に
 2014(平成26)年05月20日(火)早朝に関係者が協議。「全世界にとって大切な方なので、大事があってはいけない」として残り2公演の中止を決断し、午前10時に発表した。関係者によると、この日もホテルで静養したポールは、早期の再来日公演を望んでいるという。自身のフェイスブックなどで「国立競技場に続いて、今後の公演も中止することは、僕にとっても非常に残念です。日本のファンの皆さんからの愛、励ましのメッセージと理解に感謝しています」とコメント。「皆さんにまた近いうちに会えることを信じています。愛を込めて」と、再会を約束する言葉で締めくくった。キャンセルとなった4公演で、17万枚のチケットが完売。武道館公演では最高10万円のアリーナ席が用意されるなど販売されたチケット代は30億円以上とみられるが、振替公演の予定がないことから払い戻しされる。1度もステージに上がることなく幕を閉じた、ポールにとって6度目の来日公演。日本のファンの前で、円熟味のあるパフォーマンスを再び披露する日が待たれる。


『COMPLETE DECCA AUDITION TAPES』
   型番 DAP-B001
 販売価格 3,500円(内税)
 ビートルズの歴史的記録として知られている62年デッカ・オーディション・テープ音源が過去最高クオリティの新音源ソースによるマスター・エディションとしてリリースです。 これまでにも音質向上やピッチ修正等の様々なバリエーションがありましたが今回のマスター・エディションでは最も未編集のオリジナル・ソースに近いマスター音源としてすでにコアな海外のビートルズ・コレクターでもベスト音源と話題になっているもので実際そのクリアな音質クオリティそしてテープ・スピードやレングス(曲の長さ)等のコンディションにおいて初めて陽の目を見た待望のマスター音源といえるでしょう。 後半ボーナス・トラックでは公式デビュー前のビートルズ・ドキュメントとしてトニー・シェリダン音源やEMIオーディションさらにキャバーン・クラブ・リハーサル音源等も収録されています。 結果的にオーディションを落としデッカとして歴史的痛恨を残した今となっては伝説の記録であるデッカ・オーディションの決定版となるマスター・エディションです! ビートルズ・コレクターにはすでにお馴染みのデッカ・オーディション音源ですがかつてアナログ時代にはデッカゴーン・シリーズとしてシングル盤が30年以上前に出回って以来数多くのLP盤がリリースされCD時代になると音質向上やピッチ修正等が謳われたタイトルもリリースされてきましたがいずれもマスタリングでリバーブ加工されたり一部の曲のエンディングがカットされたりしてオリジナル音源から劣化したものがほとんどで盤起こしではないテープ音源からのCDにおいても同様で結局デッカゴーン・シリーズのシングル盤が音質・内容共に一番良かったとも言われてきましたがこれまでこのアナログ・マスターの元となった音源を使ったリリースはなく今回リリースの音源はこのオリジナル・マスターからの初CD化となります。 実際に比較検証するとこれまで過去にリリースされた音源はオリジナルに近づける編集はなされていても今回のリリース音源と完全に一致するものはなく過去のコピー音源ではないことが分かります。 場合によって曲の時間がより長いものも見受けられますがピッチの違いによるものでこのオリジナル・マスターを超える内容のものはありませんでした。またオフィシャル「アンソロジー」に一部収録されたものと比較しても音質そのものもいっさいの加工や調整もない最もナチュラルでクリアなサウンドです。 また今回リリース音源でマスターから唯一補正されたのが「マネー」冒頭のテープヨレを本来の状態にした箇所のみでそれ以外はオリジナル・マスター通りの収録となっています。 
Tony Sheridan Recording Sessions At Friedrich Ebert Halle, Hamburg, Germany 
 22-24 june 1961&may 1962 
 17. My Bonnie 
 18. The Saints 
 19. Cry For A Shadow 
 20. Why (Can't You Love Me Again) 
 21. Nobody's Child
 22. Ain't She Sweet 
 23. If You Love Me Baby (Take Out Some Insurance On Me, Baby) 
 24. Sweet Georgia Brown 
 25. Sweet Georgia Brown (backing track) 
 26. My Bonnie (german intro) 
 http://strangelove-records.com/?pid=121366349


 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1967年、オスロ。
 ┃ 『Yesterday イエスタデイ』 ┃ビートルズに憧れる
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛少年たちの青春ムービー!ほか全国順次公開
 2016(平成18)年10月01日(sat) 東京・新宿シネマカリティ 
‡2017(平成29)年05月24日(wed) TSUTAYA先行(DVD)レンタル開始!!
 2017(平成29)年05月26日(fri) 札幌・シアターキノ 1日限定上映
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 ビートルズに憧れ、バンドを組んだ4人組。でも彼らの青春はいつも空回り…『イエスタデイ』
 2016(平成18)年09月29日(thu) 23時19分配信 紀平照幸  映画ライター
 日本タイトルは『イエスタデイ』ですが、原題はなんと『BEATLES』というすごいもの(原作小説のタイトルだそうです)。1967年、ノルウェーのオスロを舞台に、ビートルズに憧れた少年たちの青春を描いた作品です。主人公のキム(ルイス・ウィリアムズ)はポール・マッカートニーそっくりと言われ、髪形を真似ている高校生。実際にもかなり若き日のポールの雰囲気を出していて、いい感じの個性の持ち主です。美声の持ち主であるジョン役のグンナー(オレ・ヨハン・ヨルゲンセン)、ジョージの真似をして内気なフリをしているセブ(ホーヴァール・シャクウィッツ)、リンゴ役のオラ(ハルヴォー・シュルツ)は楽隊のドラマーで、やや早く叩きすぎるきらいあり。こんな4人の高校生が、セブの船乗りの父親がいち早く買ってきてくれたビートルズのニューアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を聴いた時から物語は始まります。この、あまりにも先鋭的なサウンドに魅せられた彼らは決意するのです。「ビートルズのようなバンドを組んで有名になろう。世界を手に入れるんだ!」しかし、先日日本公開された『シング・ストリート/未来へのうた』とは違い、バンドが猛練習の末にサクセスを手にする物語…ではありません。夏休みに入ると彼らはろくに練習もしないままあっけなくバラバラに過ごすことになってしまい、キムは映画館で出会った謎の少女ニーナ(エッマ・ウェーゲ)のことが気になって仕方がなくなるのです。この時、ニーナは幻のように現れ、キムに突然のキスをして去っていきます。“もう一度会いたい”と思っても、もう彼女は現れません…。そんなキムは新学期になると、転校してきた美少女セシリア(スサン・ブーシェ)のピンチを救ったことから彼女と急接近。友達以上恋人未満の微妙な関係にも胸を焦がすことになります。傍目で見てもまったく“イケてない”4人組。いちおう「スネイファス」というバンド名は付けますが、華麗な演奏を見せるのは想像の中でだけ。夢を語るばかりで一向に動き出そうとはしない、このグダグダしている感じが、なんとも“青春”なんですよね。特にキムがセシリアの前で見せる醜態とか、彼女と仲直りしようとしたところにニーナが突然現れてさあ大変という展開など、笑っちゃうような情けなさ。しかしそんな、空回りはしていても無邪気で純粋でいられた日々はいつしか終わりを告げます。4人は次々とつらい現実に直面していくのです。そして時代もまた、変わろうとしていました…。甘さの後にはほろ苦さもあり、痛みを知って少年たちは成長していく。それでもビートルズという同じ夢を見て過ごしたこのひと時は、彼らにとって生涯忘れられないものになったことでしょう。この映画、音楽をa-haのマグネ・フルホルメンが担当していますが、すごいことに本物のビートルズの演奏による楽曲を3曲も使用しているのです。実はビートルズの曲を映画で使用するのは権利的に非常に難しく、別人の歌や演奏によるカバーバージョンが流れることがほとんど。この作品の場合にはプロデューサーが何年もかけて交渉し、やっと実現したのだそうで、その熱意と努力には心から敬服したいと思います。(付記)日本映画でも『悪霊島』と『ノルウェイの森』でビートルズの曲が使われました。しかし前者は契約の関係で使用期限が決められていて、現行のDVDではビリー・プレストンやレオ・セイヤーによるカバー曲に差し替えられました。後者は、世界の村上春樹の原作ということでヨーコさんの特別な配慮があったらしいです。 
(付記2)でも実はいちばん印象に残った使われ方をしている曲はレナード・コーエンの「スザンヌ」だったりします…。 
(『イエスタデイ』は10月1日から公開) 
(C)2014 Storm Rosenberg. All rights reserved. Exclusively licensed to TAMT Co., Ltd. for Japan Distributed by MAXAM INC.
 紀平照幸 映画ライター ⇒ 愛知県出身。早稲田大学第一文学部卒業後、1984年に(株)近代映画社に入社、「スクリーン(現SCREEN)」編集部員に。2003年から07年まで同誌の編集長に就任。現在はフリーの映画ライターとして活動。映画周辺の雑学や裏話を収集するのが好き。映画雑誌「シネマスクエア」にて「紀平照幸のムービー・ジョッキー 白黒つけるぜ!」を連載中。
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 http://yesterday-movie.com/
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/kihirateruyuki/20160929-00062716/
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 ┃ THE BEATLES ON ED SULLIVAN 1964-1970 ┃
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 | 『The Ed Sullivan Show』 |4th broadcast
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 1964(昭和39)年05月24日(sun) TV broadcast 8:00pm 
 ♪You Can't Do That♪ film clip shown with THE BEATLES interview 
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 http://www.rarebeatles.com/photopg7/sullivan.htm
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Ed_Sullivan_Show#The_Beatles
 https://www.uta-net.com/song/4221 https://www.uta-net.com/song/46551
 https://www.uta-net.com/song/38557 https://www.uta-net.com/song/51514
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 ┃ Out There! Japan Tour 2014 ┃■中止■
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 2014(平成26)年5月17日(土) ■中止■国立競技場
 2014(平成26)年5月18日(日) ■中止■国立競技場
 2014(平成26)年5月21日(水) ■中止■日本武道館 ※追加公演
†2014(平成26)年5月24日(土) ■中止■ヤンマースタジアム長居 
 ◎当初、2014(平成26)年5月17日(土)に国立競技場で行う予定だった公演においては、ステージが設営され、グッズ販売も実施されるなど準備が整えられていたが、同日の開場直前になって、ポール本人の急病により急遽中止となった。
 2014(平成26)年5月19日(月)に振替公演を行うとし、
 2014(平成26)年5月17日(土)のチケットはそのまま有効となると発表された(希望者にはチケットの払い戻しも実施)。この時点では、
翌2014(平成26)年5月18日(日)以降の公演は予定通り行うとされていた。しかし
 2014(平成26)年5月18日(日)も前日と同じく開場直前になって中止が発表され、延期で開催される予定であった
翌2014(平成26)年5月19日(月)の公演についても中止となった。この発表があった直後、招聘元であるキョードー東京は「延期」と表現していたが数時間後に「中止」と訂正した。ただし、チケットの払い戻しは一度停止されていたことから、事実上「日程未定の延期」となった。この時点では日本武道館公演とヤンマースタジアム長居公演は予定通り実施するとしていた。
 2014(平成26)年5月20日(火)になって、キョードー東京は「日本武道館公演、ヤンマースタジアム長居公演を含めた全公演を中止する」と発表された。
 2014(平成26)年5月22日(木)から
 2014(平成26)年6月09日(月)までチケットの払い戻しに応じた[19]。
 ◎別項記述の通り、この再来日公演直後に予定されていた初の韓国公演(ソウルオリンピック主競技場)、6月に予定されていたアメリカでの7公演についても並行して中止が発表された。この後、アメリカの7公演については同年10月に振り返られ、後に開催された。国立競技場はすでに
 2014(平成26)年5月31日(土)で改築に伴う使用停止が決まっていたためこれ以上の延期ができず、「幻の国立競技場公演」となってしまった。
 ◎キョードー東京はポールの病名を「ウイルス性炎症」と発表。詳細については公表されなかった。
 2014(平成26)年5月23日(金)、ポール側は都内の病院で治療を受け順調に回復していることを明らかにするが[20]、その後も報道は過熱。日刊ゲンダイは、ポールが腸閉塞を発症し緊急手術を受けていたと報道[21]。また産経新聞は、腸捻転により緊急手術を受けていたと報じた[22]。招聘元関係者の一人である湯川れい子は、自身のTwitterで、これらの報道は公式発表ではなく、本人は回復して次のツアーに備えていることを強調。詳細については守秘義務のために公表できない状況であることを認めた[23]。
 ◎キョードー東京の発表によると、
 2014(平成26)年5月26日(月)にホテルをチェックアウトし、空港へ直行してチャーター機で離日した[19]。出国は極秘に行われ、渡航先も公表されなかったが、翌27日にロンドンでナンシー夫人と散歩している姿がパパラッチによって撮影され、イギリスに帰国していたことが判明した[24]。
 ◎キョードー東京は再来日公演が開催直前に中止となったことや、主催者発表の大幅な遅れ、情報が二転三転したことを謝罪した。この一連の動きの後、ポール本人も希望している早期の来日公演実現に向けて協議が行われ、翌年の再来日が実現している。
*********************** http://www.asahi-net.or.jp/~wa5y-knn/
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・マッカートニー#日本公演日程
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 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(fri)24 May
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 UK Single release:♪My Bonnie♪/♪The Saints (When the Saints Go Marching In)♪
 Polydor NH66833
 Photo◆second pressing
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 Radio recording:『Pop Go The Beatles』episode one
 Studio Two, Aeolian Hall, New Bond Street, London
 rehearsal: 2.00 - 6.00 pm
 recording: 2.00 - 6.00 pm
 broadcast: 5.00 - 5.29 pm, (tue)4 June, BBC Light Programme
 ♪Pop Go The Beatles♪
 ♪From Me To You♪
 ♪Everybody's Trying To Be My Baby♪
 ♪Do You Want To Know A Secret♪
 ♪You Really Got A Hold On Me♪
 ♪Misery♪
 ♪The Hippy Hippy Shake♪
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 Concert: Granada Cinema, Hoe Street, Walthamstow, London
 This date was originally pencilled in for a concert at the Granada Cinema in Harrowgate, Middlesex. Instead, Walthamstow was moved up from 
 (mon)3 June.
 "I only saw Roy Orbison the once, when he was with the Beatles on their first tour.
 They were appearing at the Walthamstow Granada and my father took me and 3 pals there.
 As it was the first Beatles tour, Orbison was the headline artist who was going to close the show, the Beatles were supposed to close the first half.
 This, however, was about 4 venues into the tour and Beatlemania had really taken over. It was obvious from the crowd of fans outside who THEY had come to see and so a switch had taken place, Orbison closing the first half instead.
 I did not hear a single note the Beatles played, the screaming was deafening to my ears. However, Orbison gave a perfect performance, which was fully appreciated by the fans.
 One interesting fact. We (apparently) met the Beatles. I must admit that I did not know what any of them looked like at that time as I had ignored their music, thinking it was poor. (In his autobiography, Mcartney said he did not think they would make it as he thought their earlier numbers were rubbish)
 However, as mentioned above, the five of us set out to be at the theatre about two hours before the off. I was sitting in the rear nearside passenger seat as we drew up at the traffic lights at the Cock, Palmers Green, on the North Circular Road. As we sat there a blue Bedford type van pulled up alongside us and the passenger rolled down the window. "Do you know where the Walthamstow Granada is?" he asked. 
 My dad told him to follow us, as we were going there.
 My pal Roger, who was a Beatles fan then turned round and told us that it was Paul Mcartney who had asked the way!!
 The van followed us to Walthamstow, until it was pulled over by a police car that had evidently been waiting for it."
 Source: http://www.idf50.co.uk/clubhouse/music-our-lives/12892-roy-orbison.html 
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 "A blue autograph book page signed by The Beatles in blue ballpoint pen. Paul McCartney has added the word 'Beatles' above his name. The signatures were obtained at the Granada Cinema, Walthamstow, London, England on May 24th 1963. Comes with a letter from the original recipient. Measures 11.5cm x 9.75cm (4.5 inches x 3.9 inches). Very good plus condition."
 Source: Tracks 
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 "A MAGNIFICENT EXAMPLE INDEED, THIS RATHER LARGE 5?" X 4" WHITE COLORED AUTOGRAPH ALBUM PAGE WAS SIGNED BY THE BEATLES FOLLOWING A PERFORMANCE AT THE GRANADA CINEMA IN WALTHAMSTOW, LONDON, ENGLAND."
 Source: Fab 4 Collectibles
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‡Photo◆24 May 1963『Daily Mail』
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 http://www.multiplusbooks.com/630524.html
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年05月24日(水) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (54日目)
 7月1日のもうひとつの(土)曜日まで92日間、毎日演奏良好だヨ(=^◇^=)
②1962(昭和37)年05月24日(木) 録音:♪Sweet Georgia Brown♪ / ♪Swanee River♪
③1962(昭和37)年05月24日(木) ライヴ演奏:スター☆クラブ/ハンブルグ (41日目)
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②1962(昭和37)年05月24日(木) 録音:♪Sweet Georgia Brown♪ / ♪Swanee River♪
 1961(昭和36)年06月22日(木)~24日(土)にビートルズはハンブルグで、トニー・シェリダン (Tony Sheridan) とのコラボで7曲をレコーディングしていた。それからちょうど11ヶ月を経たこの日、彼らはふたたびトニーともう2曲をテープに収めた。このレコーディング・セッションは、1961年のレコーディングをプロデュースしたベルト・ケンプフェルト (Bert Kaempfert) とビートルズがサインした契約に則ったものであった。ブライアン・エプスタインがビートルズのマネージャーとなって彼らのレコード契約を模索し始めた時、彼はビートルズはまだ法律的にはケンプフェルトとの契約下にあることを発見した。エプスタインとケンプフェルトは、ビートルズが次にハンブルグに戻って来た際に、もう一度シェリダンとのレコーディング・セッションに参加すれば、ビートルズはその契約から解放されることで合意していた。そのレコーディングがこの日、ハンブルグ・トンドルフ (Tonndorf, Hamburg) のラーラウ (Rahlau) 128番にあるスタジオ・ラールシュテッド (Studio Rahlstedt) で行われた。録音された曲は♪Swanee River♪と♪Sweet Georgia Brown♪で、後者はポール・マッカートニーによりアレンジされた。ビートルズの4人に加えて、非公式にスター・クラブ (Star-Club) で彼らと共演していたロイ・ヤング (Roy Young) がピアノで参加している。しかしトニー・シェリダンの方はこの日の録音ではOKとならず、
 1962(昭和37)年06月07日(木)に♪Sweet Georgia Brown♪にオーバー・ダブでヴォーカルを重ねている。そしてそれは1962年の終り頃に♪Ya Ya♪というタイトルのEP盤としてドイツでリリースされた。シェリダンは、ビートルズのアメリカ上陸に先立つ
 1964(昭和39)年01月03日(金)に、再度ヴォーカル部分を録音し直している。新しいバージョンは歌詞を変えてビートルズのことを歌っている。
 旧バージョン
 ♪Fellas that she can't get♪
 ♪Are fellas she can't get♪
 ♪Georgia Claimed her, Georgia named her♪
 ♪Sweet Georgia Brown♪
 新バージョン
 ♪In Liverpool she even dared♪
 ♪To criticize The Beatles hair♪
 ♪With their whole fan club standing there♪
 ♪Ah, meet Sweet Georgia Brown♪
 ビートルズがレコーディングに参加した『Swanee River』はリリースされないまま、マスターテープが紛失している。シェリダンは後に別のミュージシャンを迎えての別バージョン『Swanee River』をリリースしている。
③1962(昭和37)年05月24日(木) ライヴ演奏:スター☆クラブ/ハンブルグ (41日目)
⑥1962(昭和37)年04月13日(金)~05月31日(木) ハンブルグ写真集(1)
 場所:スター・クラブ (Star-Club)
 撮影:ドリス・ケンプフェルト (Doris Laempfert)
 写真◆撮影日は未詳 ピアノを弾いているのはロイ・ヤング (Roy Young)
⑦1962(昭和37)年04月13日(金)~05月31日(木) ハンブルグ写真集(2)
 場所:スター・クラブ (Star-Club)
 撮影:マンフレッド・ヴァイスリーダー (Manfred Weissleder)
 写真◆1964(昭和39)年03月12日(木)~26日(木)発行FIRST BEATLES COLOURPICとタイトル付『MERSEY BEAT』にカラーで掲載(右)
 1964(昭和39)年03月12日(thu)~26日(thu) The photo to the right appeared in the March 12-26, 1964 issue of Mersey Beat with the caption, "First Beatles Colour Pic".
⑧1962(昭和37)年04月13日(金)~05月31日(木) ハンブルグ写真集(3)
 場所:スター・クラブ (Star-Club)
 撮影:マンフレッド・ヴァイスリーダー (Manfred Weissleder)
 写真◆ジーン・ヴィンセントとのスナップ
 写真◆クラブの経営者で親友のホルスト・ファッシャー
 写真◆"Ruth"と呼ばれる女性らしい
 写真◆手に持つのは精力剤として当時流行ったプレルディン
⑨1962(昭和37)年04月13日(金)~05月31日(木) ハンブルグ写真集(4)
 場所:スチュアート・サトクリフのアトリエ (キルヒャー家の屋根裏部屋)
 撮影:アストリッド・キルヒャー (Astrid Kirchherr)
 写真◆右はありし日のスチュアート
 写真◆ジョンはどうしても同じ場所に立つ写真を撮りたがったという
⑩1962(昭和37)年04月13日(金)~05月31日(木) ハンブルグ写真集(5)
 場所:ハンブルグとオッシー (Ostsee) の間の地
 撮影:不明
 写真◆ジェリー&ザ・ペースメーカーズ (Gerry & The Pacemakers) と外に出かけた時のスナップ。
⑪1961(昭和36)年06月24日(土) 録音:「エイント・シー・スィート」他 with トニー・シェリダン
 トニー・シェリダン (Tony Sheridan) とビートルズ (The Beatles) は、前日・前々日とハンブルグのフリードリッヒ・エーベルト・ハレ (Friedrich Ebert Halle) で数曲のレコーディングを行ったが、この3回目のセッションは、ハンブルグ・トンドルフ (Tonndorf, Hamburg) のラーラウ (Rahlau) 128番にあるスタジオ・ラールシュテッド (Studio Rahlstedt) というプロ用のスタジオで行われた。フリードリッヒ・エーベルト・ハレのセッションでは、「マイ・ボニー (My Bonnie)」「ザ・セインツ (The saints)」「ホワイ (Why)」「クライ・フォー・ア・シャドー (Cry For A Shadow)」の4曲が生まれていたが、3日目のこの日は新たに「エイント・シー・スィート (Ain't She Sweet)」「Nobody's Child」「Take Out Some Insurance On Me, Baby」の3曲が録音された。「エイント・シー・スィート (Ain't She Sweet)」ではジョンがリード・ヴォーカルを取っていて、これは後1995年に『アンソロジー1』に収録された。他の2曲はトニー・シェリダンが歌っている。このレコーディング・セッションは、オーケストラリーダーのベルト・ケンプフェルトが (Bert Kaempfert) プロデュースしたものである。 ビートルズは後の
‡1962(昭和37)年05月24日(木)に、最後のセッションのためにスタジオ・ラールシュテッドに戻り、そこで「Sweet Georgia Brown」と「Swanee River」をアレンジした2曲を録音している。 
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610401_live_top_ten_club.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620524_Recording_SweetGeorgiaBrown.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413_live_StarClub.html
 ⑥https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413-531_Hanburg_photos1.html
 ⑦https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413-531_Hanburg_photos2.html
 ⑧https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413-531_Hanburg_photos3.html
 ⑨https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413-531_Hanburg_photos4.html
 ⑩https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413-531_Hanburg_photos5.html
 ⑪https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610624_rec_aint_she_sweet.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|  May  24|144
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|5月24日|
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 1961(昭和36)年05月24日(水) 2度の契約更新の後、2度目のハンブルグ巡業が4月1日より7月1日まで行われ、92日間、のべ503時間トップ・テン・クラブのステージに立つ。前回の最初のハンブルグ巡業と並んで、ビートルズのスタミナと実力を飛躍的に向上させた有意義な巡業となった。
 1962(昭和37)年05月24日(木) 3度目のハンブルグ巡業41日目。出演場所はオープンしたばかりのロック専門「スター・クラブ」。1時間演奏して1時間休憩というローテーションで3~4時間演奏した。今回は7週間の巡業で、そのうち2週間はジーン・ビンセントが競演した。
 1963(昭和38)年05月24日(金) ロンドンにあるBBCのエオリアン・ホール第2スタジオでビートルズ自身のラジオ番組シリーズ「ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ」の初収録。新人バンドがいきなりラジオ番組を持つのは異例。演奏曲は「From Me To You」「Everybody's Trying To Be My Baby」「Do You Want To Know A Secret」「You Really Got A Hold On Me」「Misery」「Hippy Hippy Shake」。
 1964(昭和39)年05月24日(日) 5月2日より長い休暇に入る。ジョンとシンシア、ジョージとパティはタヒチへ、リンゴとモーリーン、ポールとジェーンはヴァージン諸島へ。ジョンとジョージは26日、ポールとリンゴは27日に帰国した。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17012
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/005/0524.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15735378.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる      朝日文庫
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛  2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡No.10 P.062 1963年05月24日「前代未聞の大抜擢」◎初のレギュラーラジオ番組の第一回収録日◎
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
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  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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‡|1963(昭和38)年 5月24日(金)|「BBC、ラジオで大抜擢」
 |2009(平成21)年 5月22日(金)|甲虫日記更新日 No.049
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デビュー間もないころのビートルズは宣伝媒体としてラジオを盛んに活用した。
当時、英国のラジオ放送はBBCによる三つの全国網チャンネルしかなく、ラジオ番組はいつも高い聴取率が約束されていた。毎週土曜日夜に放送された「サタデイ・クラブ」は、1千万人前後の聴取者がいた超人気番組だったという。
こうした状況に目をつけたマネジャーのブライアン・エプスタインは、精力的に売り込みをかけた。努力の甲斐あって、ビートルズは1962年3月、BBCの公開番組「ティーンエージャーズ・ターン/ヒア・ウイ・ゴー」で記念すべきラジオ初出演を果たす。続いて「サタデイ・クラブ」や「イージー・ビート」「フロム・アス・トウ・ユー」などに出演。65年6月までの3年3カ月にわたって、BBCの52のラジオ番組のために96曲のべ288回以上演奏している。
出演した番組のなかでも、とりわけ63年5月24日に1回目の収録がされた初のレギュラー番組「POP GO THE BEATLES」(全15回)の起用は、ビートルズの急激な人気上昇を象徴する出来事になった。
この時点で彼らのナンバーワン・レコードは、「Please Please Me」(2月)と「From Me To You」(4月)の2枚しかなかった。若者向けの番組に力を入れ始めたBBCの狙いもあったのだろうが、新人バンドがレギュラー番組を持つことは大抜擢(ばってき)といっていい。
当初は4回分の制作がされ、聴取者の反応をみてから3週間の休止期間をおいて追加の11回分が制作された。
番組は、毎週火曜日、ポップ番組のゴールデン・タイムだった午後5時から30分間放送された。レギュラー司会者がいて、毎回、BBCが選んだゲストが迎えられた。
番組タイトルのもとになった伝承曲「Pop Goes The Weasel」をロック風にアレンジした番組テーマ曲が、番組のオープニングとエンディングに流れた。番組はビートルズによる演奏とユーモア全開のトークで盛り上がった。
番組プロデューサーのテリー・ヘネベリーによると、4人はスタジオに入るとよくふざけていたという。床に寝そべってクスクス笑っていたり、スタジオを出てトイレに閉じこもったりしていた。ジョージ・マーティンが、親しみを込めて4人を「ボーイズ」と呼びつけていたころだ。スタジオはストレスを発散する最高の遊び場だったのだろう。
 ◎ラジオ番組で演奏した曲数は? 次のページへ
1回の番組でビートルズの演奏は5曲ぐらい放送された。演奏を事前に収録するのは、当時の英国にあったミュージシャンズ・ユニオンの規制があったためだ。ヒット曲のレコードを番組でかけることは、演奏家の雇用の機会を失うとして禁止されていた。
ビートルズにとっては、他人のヒット曲をラジオで演奏することで、自分たちのレパートリーを増やす絶好の機会となり、プラスに働いた。コンサートでは、レコーディング曲やヒット曲しか演奏できなかったが、ラジオではレギュラー番組の利点を生かして、過去に自分たちが影響を受けた曲や、最近のお気に入りを自由に演奏した。
コンサート活動中止後の「スタジオ時代」に彼らの音楽的多様性は見事に昇華するが、その下地はデビュー直後から約3年間の「ラジオ出演時代」に培われていたのだ。
また、番組を「市場調査」の場として利用していた形跡がある。
BBCに出演した52のラジオ番組で演奏した96曲のうち、レノン&マッカートニーのオリジナルは33曲、カバーは66曲にのぼる。そのうちレコードでの未発表曲はオリジナルの2曲を含む43曲あった。「POP GO THE BEATLES」に限ると、全15回の番組で56曲が演奏されたが、そのうち29曲はレコードで発表されることはなかった。
商品化されなかった未発表曲は、聴取者の反応がいまひとつだったのではないか。その一方で、「You Really Got Hold On Me」や「Money」などのカバー曲は、聴取者の反応がよかったため、コンサートで採り上げたり、レコードで発表したりすることになったのだろう。
半年間続いた「POP GO THE BEATLES」が9月24日に最後の放送を終えたころ、チャートのトップには60年代の英国で最も売れたシングル「She Loves You」が立っていた。
BBCには先見の明があった。大抜擢した新人バンドは3枚目のナンバーワン・シングルを記録したとき、英国を制覇する強力なポップ・グループに成長していた。
ビートルズは社会現象と化し、間もなく「ビートルマニア」という造語も誕生する。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は6月5日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ「ザ・ビートルズ ライブ!!アット・ザ・BBC」は、1963~65年にBBCで行われたライブ・セッションから、オリジナル、カバーを問わず選りすぐった56曲を収録している。
  ザ・ビートルズ ライブ!!アット・ザ・BBC
  2001年06月08日 EMIミュージック・ジャパン 
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/090522.html
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