RQ-⑤⑤2 松下ナショナルラジカセ
音のマック。スーパーパーマロイLHヘッド、12cmのスピーカを採用したモデル。448の高級モデル、という製品位置だったと思う。上部についているスイッチ類も、とてもキッチリ造ってあり、そこはかとない高級感が漂う。艶消しブラックがなかなか美しい。当時、松下はテクニクスのコンポも造っていたが、あちらのほうでも艶消しの黒を使った美しい造形のアンプやチューナーがあった。黒といえば山水であるが、この時代は松下も黒がお好きだったようだ。ポーズボタンは448のような電気式ではなく小気味よい押し味のメカニカルポーズになっている。また、ミュージックセレクターという曲間の無録音(ブランク)部分をサーチする機構もついている。部品類もいいものを選んでいるなぁ、と思う。サイドのカンガルーポケットには、448で大ヒットしたFMトランスミッターが装着されている。美しい造形である。448ではポケットオープンはサイドのボタンを押して開けたものだが、この機種では前面にオープンボタンがついている。まあここまで凝らなくてもいいのだが。マイクの表面にもポケットにも「液漏れするから6ヶ月ごとに交換しなはれや」と書いてある。448の購入者から苦情が相次いだんだろうなぁ。で一応書いとこう、ってことになったんでしょう。このマイク、内蔵のコンデンサマイクとして使うときにも単3電池が入っていないとダメで、そこだけは改良して欲しかったなぁ。私は448を持っていたのだが、ワイヤレスマイクとして使うよりも、テープの音を他のラジオに飛ばすトランスミッターとしてよく使ったという記憶がある。ご丁寧に、周波数を変えるコアを回すための小さいドライバが蓋の裏に貼り付けてあるぞ。背面はシンプルである。NSBクリスタ(ル)の端子があるだけ。電源コードのソケットが背面にないのは改良というか、実用上当たり前です。やっと気がついたか松下。 とても良い機種なのだが、39800円と高かったから、当時の私の興味の対象外だった。ハナタレ小学生のオレにはこの機種の良さは良くわかんなかったのさ。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/1123/RQ552.htm
写真①◆http://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/8882/S51CAN.htm
写真②◆http://plaza.harmonix.ne.jp/~ita/8882/n4902_45.jpg
平成とともに産声を上げた三つのビル、それぞれの運命 福岡流通戦争モノ語り(1)
2019(平成31)年01月08日(火) 03:00 福間 慎一
2019(令和元)年06月26日(水) 20:50 更新
‡1992(平成四)年05月05日(火)写真◆ユーテクをめぐる混乱を伝える本紙記事。<安売り合戦が売り物の秋葉原商法は地方でも通用する」との発想から生まれた福岡進出だったが、予想以上の売り上げ不振がまず第一の誤算だったようだ>とある
■ユーテクよ、安らかなれ■ソラリアプラザとイムズの開業を控えた
1989(平成元)年03月11日(土)。「第2次天神流通戦争」の火ぶたを切ったのは、屋上に赤い看板を掲げた8階建てのビルだった。キャッチフレーズは“九州の秋葉原”。「ユーテクプラザ天神」は、101店が入居する電器専門店街としてオープンした。
(大塚)第2次流通戦争で最初に誕生したユーテクが、最初に脱落してしまったんですよね…。福岡に秋葉原を作ろう、というコンセプトが、うまくいかなかった。秋葉原といえば、客と交渉したり、にぎやかな市場のような雰囲気。でも、そうはなりませんでした。ソラリアとイムズが客足を伸ばす中、ユーテクは売り上げ不振に苦しんだ。ビルを所有する第一生命に家賃が支払えず、訴訟に発展。
1992(平成四)年07月15日(水)の本紙は<「一番大きな誤算を招いた要因は大手家電量販店、ベスト電器の入居」>という、当時のユーテク運営会社社長のコメントを紹介した。そしてこう続ける。<テナントは零細業者が多い中で、豊富な資金、品ぞろえを誇るベスト電器がプライスリーダーとなり、家電では秋葉原商法が影を潜めてしまったというのだ>
(大塚)ユーテク撤退後の1994年、ビルはCDや本、靴などホビー関連の専門店を集めた「ジークス天神」に衣替え。男性をターゲットにした青い看板のジークスは04年、女性向けのファッションブランドを導入したオレンジ色の看板に変わりました。それでも苦戦し、最後はロフトになって、ついに成功しました。ロフトを入れたのはビルを所有する三菱地所。第2次流通戦争の「戦友」でもあったイムズを建設した三菱地所が結果的に、この施設を助けることになったのは感慨深いですね。ユーテクプラザが家電専門店街としての道を閉ざされた後、ベスト電器もヤマダ電機などの新興勢力との争いで低迷し、家電業界の再編が進んだ。
(大塚)今、ロフトに近い西鉄の高架下にはビックカメラが進出して、ある意味で家電の集積地になりました。「秋葉原を」の旗は、ビックカメラに受け継がれたと言えます。ユーテクはもしかしたら、時代を先取りしすぎていたのかもしれません。それでも、3施設の誕生は天神に大きなインパクトを与えた。このころから、天神に集まる若者は福岡県内だけにとどまらなくなる。若者たちは福岡と九州各地を結ぶJRの特急や高速バスの名前を冠して「かもめ族」「つばめ族」「フェニックス族」と呼ばれた。
(大塚)第2次天神流通戦争は、天神を「福岡の天神」から「九州の天神」にスケールアップさせました。その立役者に、ユーテクもきっと入っていたと信じています。ちなみにギンギラはジークス開業のCMに出演。劇団で導入したパソコンもジークスで買いました。それでも公演では「国体道路を(南に)越したら天神じゃない!ジークス天神じゃなくて、ジークス『南天神』だ!」というセリフが、お客さんの共感を得ていました。
https://www.nishinippon.co.jp/item/o/502820/
削除映像◆1980 昭和55 ニュースダイジェスト http://youtu.be/XNH3HWQ0xlg
なんと言っても驚いたのが、大平首相の急死 派閥抗争激化で解散総選挙 街頭演説直後に入院回復するかに見えたが、ついに永眠 数少ない政治家らしい政治家でしたな。 日中国交正常化はこの人が根回しに奔走し なしえました。新宿バス放火事件も特異な事件で記憶にあります。事件事故の多い年だったような。
■1996.05.05 アントニオ猪木
「俺が持つ特殊体質とは・・・恐怖を撃退する脳内麻薬の作用」
それは移民時代の医者も薬も無いジャングルでの生活が、体の中の自然治癒力を高めたせいだと自分では思っている。
ベータエンドルフィンは人間の脳内で作られる脳内麻薬の一種で、痛みを和らげたり、気分を高揚させたり、肉体の若さを維持する作用まで持っている。
俺はいままで闘いや事業への挑戦のなかで味わった数々の挫折を生来の楽天性で全て自分にプラスの出来事と捉え直して乗り切ってきた。自分の生き方を肯定する前向きな発想こそが、脳内でベータエンドルフィンを代謝させる一番の方法。
「闘魂戦記~激白 格闘家・猪木の真実」
1996年5月5日発行 木村光ー著より
https://kissatalk.web.fc2.com/meigen.html