過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今夜の『夜のヒットスタジオ』だヨ(=^◇^=)


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 ┃ハン・ファン・メーヘレン  Han van Meegeren┃
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 1889年10月10日 生誕
 1945年05月29日 逮捕・起訴
 1947年11月12日 禁固1年の判決
 1947年12月30日 逝去
 映像◆世界をだました詐欺師Best3(30) https://youtu.be/_Bk040-4DaI
 
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3

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 ┃松田聖子様 TV御出演 西暦1982(昭和五十七)年┃
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 ┌─――――――――――――┐
‡|1982(昭和57)年12月30日(木)|01:41『』♪赤いスイートピー♪
‡|1982(昭和57)年12月30日(木)|07:47『ザ・ベストテン82年総集編』
‡|1982(昭和57)年12月30日(木)|03:11『』♪野ばらのエチュード♪
 └─――――――――――――┘
 1982.12.30赤いスイートピー 松田聖子01:41
 1982.12.30ザ・ベストテン82年総集編07:47
 1982.12.30野ばらのエチュード 松田聖子03:11
****************** http://www.seikomatsuda.co.jp/index.html
 82映像◆http://list.youku.com/albumlist/show/id_19385570.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会一代目:前田武彦・芳村真理  ┃
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 ┌─――――――――――――――――――――――――――┐
①|歴代出演歌手-前田武彦・芳村真理司会時代Ⅰ(1968~1969)|
 └─――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0009回 1968(昭和43)年12月30日(月) 西田佐知子、梓みちよ、森進一、小川知子、
                   千昌夫、中村晃子、ピンキーとキラーズ
 ┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(1-2)68年11~12月② |改訂版
 └─―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
      ♪涙の季節♪ ピンキーとキラーズ
  ♪あの人に逢ったら♪ 西田佐知子 (初出演)
     ♪愛せないの♪ 梓みちよ (初出演)
    ♪君がすべてさ♪ 千 昌夫
    ♪涙の森の物語♪ 中村晃子
 ┌─―――――――――――――――――――――┐
③|     NewsBox(ニュースボックス)     |
 └─―――――――――――――――――――――┘写真◆『夜のヒットスタジオ』の「相性テスト」が人気と報じた1969(昭和44)年2月8日(土)の『毎日新聞』
フジテレビでは、この(二月)十一日(火)『ザ・ヒット・パレード』(火)曜午後七時)が五回目を迎えるのを機会に、司会者を現在の木の実ナナから堺正章、梓みちよのコンビにかえる。‡この二人、実は昨年十二月三十日(月)放送の『夜のヒットスタジオ』で梓みちよがコンピューターで恋人を探したところ堺正章が選ばれたという間柄。正確にデータを駆使したものではないが、コンピューターによるキャスティングの第一号といえるだろう(=^◇^=)
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/cfa22197162eba79b973b135a5bd830e
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/3cf200437c58bfd4ad979d0ea641a217
 ③http://mainichi.jp/select/wadai/newsbox/box/etc/2010/02/20100205org00m040022000c.html
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会二代目a:芳村真理・三波伸介・朝丘雪路  ┃
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 ┌─―――――――――――――――――――――――――┐      ㊦↓はのちのマンスリー歌手の走りカナ?(=^◇^=)
①|歴代出演歌手―芳村真理・三波伸介司会時代(1974~1976)|※五木ひろし④週連続出演
 └─―――――――――――――――――――――――――┘
‡第0321回 1974(昭和49)年12月30日(月) 井上順、五木ひろし、和田アキ子、野口五郎、
                   アグネス・チャン、桜田淳子、西崎みどり、ほか
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜ヒット・初出演データ(10) 司会者不在→芳村・三波・朝丘時代(1973,10-1976,3)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0321回 1974(昭和49)年12月30日(月) ♪旅愁♪ 西崎みどり(現・西崎緑)◆
 ※上記歌手のうち、◆印が付いている歌手の初登場回については、
  当時のヒットチャートの推移や他の同じ事務所の歌手の初出演の状況、などを勘案して推定したものです。
  もし間違っているということでございましたら、コメント欄にレスよろしくお願いいたします(=^◇^=)ゞ
 ┌─――――――――――――――――――――――――┐
③|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅲ(1974,4~1976,3)|
 └─――――――――――――――――――――――――┘◎昭和49(1974)年12月16日(月)(第319回)から昭和49(1974)年12月23日(月)(第320回)まで。同年より制定された「FNS歌謡祭・音楽大賞」特集を組む。同年の年間グランプリを♪みれん♪で受賞した五木ひろしは、この2回を含め、12月9日放送~12月30日放送まで4回連続で出演
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/01012ceff2b26199c8c4289afd6a847e
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/e9076525754d4fda5df0b443ce4adea8
 ③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/13bb4fd69591c7817f64b01cdbc248cb
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 ┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』司会四代目:芳村真理・古舘伊知郎 ┃初の「スーパーデラックス」版放送
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 |『夜ヒット』今夜のエピソード|提供はNOEVIR、Nestle、ライオン、TOYOTA、MEIJI明治乳業、松下電器
 └─―――――――――――――┘
 今夜OP映像◆https://youtu.be/n_9YpOe2FsE
 
          Opening 名曲かぞえ唄
          <夢の中へ>井上陽水
      <サザン・ウィンド>中森明菜
     <悲しみにさようなら>安全地帯
     <ff (フォルティシモ)>HOUND DOG
       <キスして欲しい>THE BLUE HEARTS ※THE BLUE HEARTSがテレビ生番組初登場
    <翼の折れたエンジェル>中村あゆみ
        <Casino Drive>RED WARRIORS
   <TIMEシャワーに射たれて>久保田利伸
        <華麗なる賭け>田原俊彦
  <泣いたままでListen To Me>バービーボーイズ
         <夢のように>渡辺 謙<孤独なハリケーン>本田美奈子
         <メリーアン>THE ALFEE
          <マークⅡ>吉田拓郎    備考・・・ ♪ロックンロール・ミュージック♪で芳村と古館が並んで御登場。今日は『夜のヒットスタジオ』スーパーデラックスということでございましてね。これはウルトラロックスペシャルという断面も抱えながらモノスゴイ2時間半のブッチギリ超豪華生放送だヨ(=^◇^=)と古館
 ┌─―――――――――――――――――――――――――――┐   「スーパーデラックス」
①|歴代出演歌手―芳村真理・古舘伊知郎司会時代Ⅱ(1987~1988)|2時間半のぶっちぎり生放送
 └─―――――――――――――――――――――――――――┘http://youtu.be/_xyJYWnTo90
‡第0994回 1987(昭和62)年12月30日(水) 渡辺謙(マンスリー5)、吉田拓郎、井上陽水、安全地帯、田原俊彦、
                   中森明菜(62)、久保田利伸、THE ALFEE、HOUND DOG、RED WARRIORS、
          バービーボーイズ、中村あゆみ、ザ・ブルーハーツ、本田美奈子、かまやつひろし
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(3) 芳村・古舘時代後期(1987,1-1988,2)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0994回 1987(昭和62)年12月30日(水) ♪リンダリンダ♪ THE BLUE HEARTS 
                   ♪It's BAD♪(田原俊彦・久保田利伸とジョイント)AMAZONS
  リンダ映像◆http://video.fc2.com/content/20140113LhkWWBKZ/
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
③|歌でふりかえる夜のヒットスタジオ22年史(29) 1987年10-12月(第982-994回)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0994回 1987(昭和62)年12月30日(水) 吉田拓郎 ♪アジアの片隅で♪
                    渡辺謙 ♪人間を写したFilm♪
                   安全地帯 ♪Juliet♪
                   中森明菜 ♪飾りじゃないのよ涙は♪(5) <演奏>安全地帯with井上陽水
             井上陽水with安全地帯 ♪ジャストフィット♪
                  THE ALFEE  ♪終わりなきメッセージ♪
                  HOUND DOG  ♪TOKYO♪
        田原俊彦×久保田利伸×AMAZONS  ♪It's BAD♪
        田原俊彦×久保田利伸×AMAZONS  ♪どうする?♪
               THE BLUE HEARTS  ♪リンダリンダ♪http://youtu.be/PHV3wuvjH4o
               バービーボーイズ ♪翔んでみせろ♪
                 RED WARRIORS ♪Foolish Gamber♪
                  本田美奈子 ♪ONE SHOT♪
                  中村あゆみ ♪やせっぽっちのジョニーE♪
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
④|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅸ(1986,4~1988,2<第1000回・芳村勇退まで>)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘◎年末スペシャル・「スーパーデラックス」として2時間半に時間枠を拡大して放送。オーケストラは排除され、通常版よりもロック・ポップス色を強めた構成が採られる。吉田拓郎、井上陽水のフォーク界の二大巨頭の競演が話題に。また、田原俊彦・久保田利伸・AMAZONSの「It’s BAD」や、中森明菜・井上・玉置浩二による「飾りじゃないのよ涙は」など豪華なセッションが実現。・インディーズの世界から「リンダリンダ」などのヒットで一躍時代の寵児へと駆け上ったザ・ブルーハーツが初登場、ヴォーカル・甲本ヒロトが「売切れといったけど、実はまだ売れ残っている」「(メンバーの紹介のときに自身のことを)(藤井)フミヤです」と古舘伊知郎も予測不能な奇妙な発言を連発。この光景を見て芳村真理は「ちゃんと歌は歌えるんですか?」とキツイ一言
 ┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――┐
⑤|THE ALFEE をバックコーラスに従えての吉田拓郎による♪アジアの片隅で♪|
 └─―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
 今夜映像◆https://youtu.be/Lr973dcwsic
 
 ┌─―――――――――――――┐司会の古舘伊知郎から「インディーズから突然メジャーになった心境は?」の問いに
⑥| THE BLUE HEARTS の足軌跡 |「インド人のことはあんまりわかんないです」と答える甲本。
 └─―――――――――――――┘この1か月半後に初の日本武道館ライブを控えており「(チケットが)売れ残ってるんで買ってくれ」と発言。また、芳村真理は色々と奇異な発言をしていた甲本の姿を見て「ちゃんと歌は歌えるんですか?」と一言。この後、熱唱した「リンダリンダ」で♪ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真にはテレビにも写らない美しさがあるから♪と「テレビ」を足して歌っている。またこの時ベースアンプが不調で河口のベース音が鳴らないトラブルが発生した
 今夜青心映像◆https://youtu.be/9FF6ndImCcg
 
 今夜青心映像◆https://youtu.be/9FF6ndImCcg
 
 ┌─――――――――――――――――┐
 | 夜ヒットのオーケストラ演奏なし |
 └─――――――――――――――――┘ちなみに、オーケストラを配置しなかったのは1988年3月30日、1989年9月27日の『DELUXE』最終回、1990年10月3日、1987年・1988年・1989年の年末のスペシャル、あるいは全編総集編の回のみであり、それ以外の回は演奏時間に関係なく設置されていた。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA#.E6.BC.94.E5.A5.8F
 ※1974年以前の放送VTR現存確認OK♂♀ <2008(平成20)年現在⑤本目>
 ┌─――――――――┐通算出演 第119回
⑦| 今夜の田原俊彦 |♪どうする?♪ (4回)最後
 └─――――――――┘ ♪It's BAD♪ (6回)最後
            衣装 ⇒ 紺ジャケット、黒文字プリントパンツ
         エピソード ⇒ 1年の総決算、年末スペシャル
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/8656d50951a618ed615a3ebb733fda6f
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/76014af4fe0adde865baa590af25d1da
 ③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/5da79108c9852a367b622af9e0a37318
 ④http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/709775bd2cf570fb74385eafdd89fc36
 ⑤http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/dedc027cb770e9a636d85ccdd3d43912
 ⑥http://en.wikipedia.org/wiki/The_Blue_Hearts
 ⑦http://www.104ttdp.com/tt/musicpro/yoruhit/yh-87.html
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 きくち「わたしのほうです、それは(笑)。陽水さんとは7...8回目になるんですね、お仕事。
    『夜のヒットスタジオ』に、陽水・拓郎で来たときを含めて(『夜のヒット スタジオスーパーデラックス』1987年12月30日(水)3時間生放送)。
 陽水「えっ、それって陽水・拓郎で出たんですか? ...記憶にないなぁ。
 きくち「1987年の年末の、特番バージョンのときですね。2人共すごくカッコよくて。あの感じをいつか自分もやろうと、頑張って来たんですけど。
 陽水「すごかったですねぇ、あのころは。…とか言ったりして(笑)。でも全然どうしていいか分かんないですよ、テレビは。いまだにね今日なんかも...。
 きくち「すいません、ワガママに付き合わせて。
 陽水 悪いと思ってないでしょ(笑)?
 一同 (爆笑)。http://otogumi.fujitv.co.jp/lovekp/E20120620001.html ⇒『きくちPの音組収録日記』より
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
************************* http://blog.goo.ne.jp/resistance-k
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%87%BA%E6%BC%94%E6%AD%8C%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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⑤┃ THE ALFEE をバックコーラスに従えての吉田拓郎による♪アジアの片隅で♪ ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛夜ヒット名シーン、今回は吉田拓郎さんの「アジアの片隅で」を紹介します。 このシーンは1987年最後の放送であった12月30日、初の「スーパーデラックス」版のときの一コマです。前年まで大晦日に放送されていた「世界紅白歌合戦」(1986年は夜ヒットの名義の下で放送)に代わる年末特別企画として編成されたのが、歌謡曲色よりも、ロック・ニューミュージック色を強くした一味違う夜ヒットの魅力を引き出す、という点に重点がおかれた「スーパーデラックス」版であり、その第1回目となる1987年の最大の"目玉"として用意されたのが、日本のフォーク界の二大巨頭ともいえる、吉田拓郎さん、井上陽水さんのテレビ初共演でした。拓郎さんは、この放送より前は、1年ほど充電期間に入っており(シングル発表は1985年12月発売の「ジャスト・ア・Ronin」、LP(アルバム)も1986年9月の「サマルカンド・ブルー」以降、新作の発表がないという状態でした)、充電明け最初のテレビ出演の場として、夜ヒット以外にもほかの放送局からも色々なオファーが入っていたそうですが、それらをすべて断り、夜ヒットへの7年半ぶりとなる出演という選択肢を選びました。夜ヒットでこの時に歌ったのは「アジアの片隅で」。この曲はちょうど拓郎さんが同番組に初出演した年である、1980年の11月に発表されたLP盤『アジアの片隅で』のタイトル曲で、オリジナルは計13分間にも及ぶ大作でした。久しぶりのテレビ出演に花を添えるかのごとく、「シンシア」などで共に仕事をしてきたかまやつひろしさんが特別に彼の応援ゲストとして出演、また、古くからの知り合いでもあるTHE ALFEEの面々がバックコーラスとして特別参加、という何とも贅沢なシーンがこのときに実現しました。このときのステージングは視聴者のみならず、このときにスタジオ内にいた出演者をも圧巻させ、1年間にわたる"沈黙"を破る堂々のステージを展開、終盤に曲が盛り上がるに従い、彼の後ろに陣取っていたほかの出演者たちもいっせいに立ち上がり、この曲を盛り上げるべくリズムを取ったりしていました。まさに「拓郎ワールド」にスタジオ全体、そしてテレビ画面全体が引きずり込まれたといっても過言ではないものでした。この夜ヒットでの"沈黙"を破る「アジアの片隅で」を通じての拓郎さんのメッセージは、多くの視聴者にも彼の健在ぶりを堂々と知らしめることとなり、そして、これを契機に翌年、拓郎さんは本格的な音楽活動を再開することとなりました。 1970年代前半に大ヒットとなった「旅の宿」や「外は白い雪の夜」、彼が一躍時代の寵児になった契機の曲「人間なんて」、そしてこの夜ヒットで歌われた「アジアの片隅で」、いずれを取っても、拓郎さんの作品にもその時代の人間像が映し出され、またその時代の人間に内在された本当の人間性のようなものが映し出されていますし、そして何よりも拓郎さんの曲にかける「魂」といったものが滲み出ています。この夜ヒットでのステージングを通じて、「魂」がある歌、「魂」の入っていない歌の違いは何なのか、漠然ながら再認識した人も恐らく多かったのではないでしょうか。昨今の曲でも確かに多くの人々の心に訴えかける曲が多いのですが、それらがすべて「魂」の入ったものなのか、といえば疑問が残るところです。やはり感動を与えられる歌を歌えるアーティストの条件というのは、曲それぞれに「魂」や「情熱」というものを持っていることがまず第一ではないのか、とこの拓郎さんのステージングから感じるところがあります。「夜ヒット」という番組みいう観点から見れば、従前よりテレビ出演に消極的であり、しかも、それより前には充電期間に入っていた大御所アーティストが「夜ヒット」を自ら選択して出演してくれた、という点一つを取ってみてもいかに「夜ヒット」のネームバリューがほかの音楽番組よりも数段上を行っていたか、ということがよく分かるような感じがします。また、この「名シーン」の項目では何回も申し上げていることではありますが、夜ヒットという番組は、歌・歌手の個性を演出の重要なポイントとしていたわけで、このシーンでも下手に大掛かりな照明などといったものはなく、階段状に砂漠風景を模倣したものを少しおいただけ、照明は夕暮れ時を演出したという、歌のイメージに忠実なもので、その中で拓郎さんの「魂の歌声」がより際立って強調された、という感じがします。ここにも夜ヒットの演出力の高さが現れていると思います。
■コメント
2006-04-14 21:16:01 このシーン最近映像を入手しました。すごいですねえ。正に神がかりです。降臨と言うのでしょうか。これを見たら、他の芸能人なんて吹っ飛んでしまいますねえ。こういうアーティストと同じ時代を生きられたことを幸せに思います。 
2006-04-15 16:23:55 このシーンは、拓郎さんが1年ぶりに人前で歌を披露するということや、この「アジアの片隅で」という曲がそもそも持っている壮大な世界観、そしてその歌を披露した場が老舗だった「夜ヒット」であったということがすべて重複し、何とも凄い雰囲気をかもし出した、ということができるとおもいます。ほかの音楽番組で仮に「アジアの~」を歌ったとしても、あの雰囲気はなかなか出せなかったんじゃないかなあ、と思います。このシーンは「夜ヒット」らしくないという評価もあるようですが、それを当然変異的にやってしまう、そして番組カラーを大きく広げていく、それが夜ヒットという番組の醍醐味であったという感じがします。「らしくない」が実は一番「夜ヒット」の特色だったりするわけですねえ・・・。拓郎さんも近年体調を崩されたりして心配していましたが、今年は、盟友・こうせつさんとの野外コンサートを行うようなので、是非とも「オトナの歌」「魂の歌」を歌える近年稀有な存在としてこれからもがんばってほしいと、私も思いますね。名シーンでした。 (ベストテンマニア:K) 
2007-01-09 00:52:14 過去ログを見てて、この吉田拓郎さんの夜ヒット出演シーンを思い出しました。これ生で見てました。年末のスペシャルでしたね。豪華な顔ぶれで、アーチスト同士が競演したりと、名シーンの連続でした。この拓郎さんのバックにアルフィーでしたね。「アジアの片隅で」は、何か凄みと言うか、ホント神がかり的でした。これ見てて、鳥肌が立ったことも覚えてます。今でも心に残る「夜ヒット」の名シーンです。 
2007-01-09 11:34:57 夜ヒットの場合、他の歌番でもちょっと実現できない、「神がかり」なシーンが結構ありましたよね・・・。拓郎さんの「アジアの片隅で」もその一つですけど、今やファンの間では伝説となっている、スタジオ狭しと走り回るブルーハーツの「リンダリンダ」とかRCサクセションの「Rock'n Roll Show」、長渕剛さんの「STAY DREAM」、中森明菜さんが加藤登紀子さん、そして当時交際中の近藤真彦さんの目の前で涙を流して話題となった「難破船」なども「神がかり」的でしたね・・・。なかなか最近歌番組を見ていて「鳥肌が立つ」というのはないんですが、上記の場面は当時の映像を見るたびになぜか「鳥肌が立つ」んですよね・・・。ややこしい説明など必要なく、まさに「凄い」の一言で十分説明が付くぐらいのシーンじゃないかなあ・・・と感じます。夜ヒットスタッフもまた、ベストテンのスタッフもその雰囲気には大きな違いがあったようですが、やはり共通しているのは「歌番組を見ることで、どうやってその歌、歌手が引き立つか、そして視聴者にどうやってその歌の世界を訴えかけるか」という部分を相当熟知していたということかな・・・と思ったりします。「スーパーDX」版が「R&N」誕生のきっかけ? (resistance-k) 
2007-01-10 18:21:47 あと、この1987年12月30日放送の「スーパーDX」版は、まさに神がかり的場面の連続みたいな放送でしたよね。この拓郎さんの「アジアの片隅で」以外にも、いきなり最初から明菜さん・玉置さん・陽水さんのトリオで「飾りじゃないのよ涙は」を披露したり、田原俊彦さんと作者・久保田利伸さんの「It's BAD」、バービーボーイズの「飛んでみせろ」、そしてブルーハーツの「リンダリンダ」と、名場面・夢のジョイントの連続でしたよね。1987年秋より製作中枢を任されることになったプロデューサーの渡邊光行さん、構成担当の木崎徹さんは、それまでの夜ヒットの確立されたイメージを合えて否定してしまおうというコンセプトで番組制作を行っていたそうで(木崎さんのWEB上のインタビュー記事にそう書いてありました)、この演歌排除・ロック・ポップス中心という「スーパーDX」の構成は、芳村真理さんがこの放送の直前に1000回放送での司会勇退を発表した事と重なって、夜ヒットに確実に世代交代の波が押し寄せている、ということを視聴者に強く印象付けさせるものでした。このスーパーDX版は衰退期にあった夜ヒットでも好評価を得たこともあり、後に番組四分割により生まれた「ヒットスタジオR&N」にそのまま製作スタンスが継承されました。正直、正統派「ヒットスタジオ」の路線を受け継ぐ「SUPER」版よりも「R&N」版のほうが、管理人自身もまだ小学校3、4年ぐらいでしたが、数段面白かったかなあ、と思います(もしかすると製作中枢の渡邊、木崎両氏もひょっとしたら、「SUPER」よりも「R&N」のほうに本腰を入れてたかも・・・)。当時無名のロックミュージシャンが大量出演か、と思えば、時折、深夜の生番組にはまず登場しないだろうと思われるような大物・ベテラン(タイマーズ(忌野清志郎さんほか)、白鳥英美子さんなど)がいきなり登場したりで、深夜にしてはかなり豪華な作りだったように記憶してます。 
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
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 古舘伊知郎が見た〝伝説の一夜〟 井上陽水と玉置浩二、大御所2人を「黒子」にさせた中森明菜のすごみ
 2022(令和四)年05月19日(木) 17:00配信 夕刊フジ
 写真◆デビュー5年ですごみすらあった明菜
【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】
 NHK―BSプレミアムで
 2022(令和四)年4月30日(土)に放送した中森明菜のライブ「伝説のコンサート〝中森明菜スペシャル・ライブ1989〟(リマスター版)」が大きな反響を呼んだ。NHKの関係者がいう。
「よみうりランドEASTでのライブ映像でした。ただ、すでにYouTubeでもアップされているなど映像作品としてのインパクトは乏しく、放送前は局内でも『何で…』などと、どこか今さら感が漂っていたことは事実です。ところが放送後の反響は高く、この種のBS番組としては山口百恵さんの引退コンサート(2020年10月放送『伝説のコンサート〝山口百恵1980・10・5日本武道館〟』)を除いたらトップ・クラスの高視聴率になったのです」33年も前のライブ映像が話題になるのも明菜ならではパワーなのかもしれないが、実は、その一方で
‡1987(昭和62)年12月30日(水)にフジテレビ系で放送された年末特番「夜のヒットスタジオスーパーデラックス」にも注目が集まっている。当時、番組を担当していたプロデューサーの1人は「明菜さんの他に吉田拓郎さん、井上陽水さん、そして安全地帯(玉置浩二)らが出演しました」と振り返った上で、「拓郎さんは大作の『アジアの片隅で』を、コーラスにTHE ALFEEを従えて熱演し、陽水さんは安全地帯をバックに2曲、さらに明菜さんは『飾りじゃないのよ涙は』を陽水さんと安全地帯の演奏で歌い上げました」。ところが、放送からすでに35年が経過しているが、その時に放送したコラボシーンが現在、YouTubeにアップされているのである。
「拓郎ら何組かの部分がアップされています。その中で再生回数としては明菜が『飾りじゃないのよ涙は』を熱唱しているシーンが圧倒的ですね。しかも映像の遜色はありますが、複数がアップされていて、中には930万回再生に迫るものもあります」(音楽関係者)その盛り上がりを当時、タレントで女優の芳村真理とともに同番組の司会をしていた古舘伊知郎が、自身のYouTubeチャンネル「古舘伊知郎チャンネル」で「これは記念すべき展開だった」とし「まるで3人が、ずっとユニットを組んでやってきたのではないかと錯覚させるんですよ」と振り返っている。
「真理さんが明菜ちゃんの身元引受人のようになっているんですよ。明菜ちゃんの肩を抱くというフォロー役。大御所2人をバックに従えて『飾りじゃないのよ涙は』を歌うという、明菜ちゃんがテンパっているという、フォローで肩を抱いているんです。すると、僕は陽水さんと玉置さんの側につきながらインタビューをする。明菜ちゃん側にいた真理さんはひたすら聖母マリアのように、(これから)生で歌うことで緊張している明菜ちゃんをフォローする役なんですよ」その時の状況を言葉巧みに説明すると、続けて「陽水さんも玉置さんもあまり語らない。3人を送り出して歌が始まった。サスガだね。あの人は。あの大御所2人で緊張というのは?ばっかし。歌い始めた瞬間にもう別人ですよ。いつもより『飾りじゃないのよ涙は』の歌の盛り上がりのところで、ウワーッと声が出る。ものすごい大きなボリューム。これは音声さんがイジっている以前の問題で、ウワーッとビブラートをきかせて、振りもキレキレで素晴らしい腰つきと足のサイドへの運びで…。黒い、87年のバブル真っ盛りの肩幅を強調させるパットが入っている黒い上下のスーツを着ているわけですよ。だから、もうかわいいアイドルでもない、かといって、ある年齢を超えた妖艶な色気を出す人でもない。あの中森明菜を何風だとカテゴライズはできなかった。ただ中森明菜の魅力だとしかいえない。あまり衣装がゴージャスでカラフルな色だと振りに目がいかない。ものすごいミニマムな衣装を着て、振りに集中して歌い上げた。もう、2人が黒子でしたからね。2人を黒子にしてまでしてやったという中森明菜のすごみ…」と興奮しながら語ったのだった。 =敬称略 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)
■1965(昭和40)年7月13日(火)生まれ、中森明菜 東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。
【写真2枚】聖子ちゃんカット&初々しいビキニ姿の初々しい中森明菜
 写真◆https://www.iza.ne.jp/gallery/20200219-Y57OMWUUU5PDNL3HQRNQNHT4BE/
 https://news.yahoo.co.jp/articles/4b61e79f72885399a5a257b518c72a7481a4272d

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