過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)

 


 尾道ラーメンの老舗「朱さんの店」 休業発表で長い行列
‡2019(令和元)年06月08日(土) 11時28分 北村哲朗
 写真◆休業を知った客が駆けつけて長い行列ができた老舗ラーメン店「朱華園」=広島県尾道市十四日元町
 広島県尾道市十四日元町の老舗ラーメン店「朱華園(しゅうかえん)」本店が、19日から休業することを決めた。ご当地ラーメンとして尾道のラーメンが広く知られるようになる火付け役となった店で、週末を中心に観光客らの長い行列ができる店として知られていた。「本店は
 2019(令和元)年06月19日(水)よりしばらくの間休業……(福山市の)松永店は
 2019(令和元)年06月18日(火)をもって閉店」。
 2019(令和元)年06月07日(金)朝に店頭に貼り紙が出されると、ツイッターなどSNSで知ったなじみ客らが午前11時の開店前から長い行列をつくった。列の先頭に並んだ三原市の男性(42)は「店の近くで生まれ育ったので、慣れ親しんだ味。いつも2杯食べます。食い納めのつもりで来ました」。対岸の向島に住む40代女性は「見た目は豚の背脂で脂っぽいが、食べると意外とあっさり味なんです」。母親と並んで開店を待ちながら「さみしい」と何度も漏らした。観光客が多い週末になると行列が長くなるので急いで駆けつけたという。同店の「中華そば」は豚の背脂を浮かせたスープと自家製の麺が人気。先代が戦後に屋台で売り始めたのが最初で、創業から70年以上になる。「朱さんの店」として地元で親しまれ、尾道のラーメンが全国的に知られるようになって観光客らが列をなすようになった。(北村哲朗)
 https://www.asahi.com/articles/ASM674HCKM67PITB012.html

 映像◆末次利光 劇的!!逆転サヨナラ満塁ホームラン (1976.6.8) https://youtu.be/ejI1BfIbxi4
‡1976(昭和51)年06月08日(火) 末次起死回生の一発!
 
‡1976(昭和51)年06月08日(火)の阪神タイガース戦では、山本和行から劇的な逆転満塁サヨナラ本塁打を放った。
 1976(昭和51)年06月09日(水) 翌日の読売新聞朝刊スポーツ欄には、末次でなく、破顔一笑の表情で末次を出迎える長嶋茂雄監督を写した写真が掲載されていたほどであった[3]。ただ、同球団の歴史では特筆されているヨ(=^◇^=)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/末次利光
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 ┃ 今日は何の日? ┃※名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 2008(平成20)年06月08日(日) 東京・秋葉原で無差別殺傷 ⇒ 多くの人々でにぎわう休日の東京・秋葉原で、加藤智大容疑者=2015年2月死刑確定=がトラックで歩行者を次々とはねた後、車から降りてナイフで無差別に通行人を刺し、7人が死亡、10人が負傷した。逮捕された同容疑者は警察の調べに対し「誰でもよかった」などと供述した。写真は事件で騒然とする交差点付近【時事通信社】
 1929(昭和四)年06月08日(土) 福島競馬で出走した8頭全てが落馬してレースが不成立に
 2001(平成13)年06月08日(金) 大阪教育大付属池田小に刃物男、児童8人殺害
 https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=島田由明
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‡2003(平成15)年06月08日(日) 虎のベテラン・福留孝介が竜時代につくった大記録
‡2017(平成29)年06月08日(木) 11:10 プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月8日だ。 
 写真◆6回裏の三塁打はクロスプレーとなった。右は広島の三塁手・栗原健太
 好調な阪神の頼れる四番として攻守でチームをけん引する40歳の福留孝介。今回はユニフォームの違う福留が14年前につくった大記録だ。 
 2003年6月8日の中日─広島戦(ナゴヤドーム)で、中日・福留は初回二塁打の後、2回に満塁本塁打と大当たり。さらに6回の打球が左中間を破ると、一気に三塁まで激走。外野からの返球もよくクロスプレーとなったが、三塁打とし、サイクル安打に王手をかけた。 
 続く7回裏の打席ではフルカウントからセンター前。セ・リーグ28人目、中日では5人目の大記録達成となった。満塁弾を含むサイクルはセ史上初だ。福留は5打席目もヒットを放ち、打率も.357まで上昇。最終的には、打率は.313で2年連続首位打者は逃したが、34本塁打は自己最多、11三塁打はリーグ最多と打撃好調のシーズンだった。 
「素直にうれしいです。最後の打席は思い切り意識しました」と笑顔の福留。この試合、中日は10対0の大勝。先発・岡本真也がプロ初先発で初勝利、リリーフの久本祐一がプロ初セーブと初物ずくめだった。 
 福留は、16年にも虎のユニフォームで2度目のサイクル安打もマークしている。サイクルは、アベレージと長打力、さらに足も速い福留らしい勲章と言えるだろう。 
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2007(平成19)年06月08日(金) 守備の人・英智がバットで輝いた日
‡2018(平成30)年06月08日(金) 7:00 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は6月8日だ。 
 写真◆喜びを爆発させる英智
 現中日外野守備走塁コーチ。現役時代は俊足と驚異的な肩の強さで“守備の人”として落合博満監督時代の中日で活躍した外野手が、英智(蔵本英智)だ。 
 04年には107試合の出場ながら落合竜初優勝に貢献し、ゴールデン・グラブにも輝いているが、バッティングでのキャリアハイは打率.278の07年だった。 
 開幕から代打、代走、守備固めが多かった英智だが、5月に月間打率.417でスタメンを奪取して迎えた6月8日、交流戦の西武戦(ナゴヤドーム)がそのハイライトになる。 
 試合は6対5と中日リードで9回表西武の攻撃となるも、守護神・岩瀬仁紀が逆転2ランを浴びる。その裏、二死一、二塁で打席に入ったのが、この日、4打席無安打(1死球)と当たっていなかった英智だ。 
 球場にややあきらめムードが漂う中、英智が西武・小野寺力のストレートをとらえ、ライト線への三塁打。走者2人がかえって中日のサヨナラ勝ちとなった(8対7)。 
「積極的に行くのが、僕のベースボールスタイル。うまく抜けました」(英智) 
 英智は、その後も好調を維持したが、終盤故障離脱。落合監督は巨人に届かず2位に終わった理由の1つに英智の離脱を挙げた。 
 なお、スタイルで思い出したが、英智は引退後小社から『英智スタイル48』という書籍を出し、自らイラストも描いていた。 
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2009(平成21)年06月08日(月) プロ初アーチがプロ野球史上2000本目の満塁弾
‡2019(令和元)年06月08日(土) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は2009年6月8日だ。 
 写真◆プロ初本塁打が満塁弾となった北川
 この日、行われたロッテ戦(横浜)、3点を追う5回一死満塁のチャンスで横浜の北川隼行に打席が回ってきた。カウント2-1からの4球目、ど真ん中のストレートにバットを一閃。打球は右翼席へ一直線のラインドライブを描いた。7連敗中のチームを救う逆転弾は自身プロ初本塁打。プロ野球史上通算2000本目の満塁本塁打でもあった。 
 03年に川崎製鉄水島からドラフト6巡目で横浜に入団した北川。だが、08年までの一軍最多出場は06年の11試合だった。08年は一軍出場なし。7年目の30歳。「これが最後かも。今の流れを変えたい」と登録名を「利之」から「隼行」に変更して臨んだシーズンだった。 
 2月には第一子が誕生し、「ホームランボールは子どもにあげます」と満面の笑みで余韻に浸っていた。 
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20170608-01
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180607-01
 ③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190608-11
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.113 ┃  30円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1960(昭和35)年6月08日(水)号 特集 物議を醸した監督たちの発言
 2018(平成30)年2月17日(土) 11:08 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎対談は『司令長官の胸の中』
 写真◆表紙は大洋・桑田武
 今回は『1960年6月8日号』。定価は30円だ。巻頭特集は『物議をかもした監督たちの発言』。3人の監督の発言を起点とした話が紹介されている。 
 まずは大洋・三原脩監督。自打線を抑え込んだ投手に対し、いつも「こんどは打ち崩してみせるよ」と宣言。ほぼそのとおりになるという話だ。 
 理由について三原監督自身は何も言わないが、森球団社長は「三原君はなぜ打てなかったかをゆっくり考える。そしてこうすれば打てるという方法を引っ張り出すんだ。長年の経験、そして素晴らしい勘、思ったことを選手に実行させる貫録が次の成功を招くんだ」と説明している。 
 2つめは東映・岩本義行監督の「高野は酷使じゃない」。60年に32試合に投げ9勝12敗をマークした20歳の高野一彦だ。この数字だけ見ると、さほどではないと思うかもしれないが、実はほぼ序盤の登板。この時点では、まさに連戦連投で徐々に打ち込まれるシーンが目立っていた。岩本監督は「酷使では」の声に「とんでもない。19や20歳で3日も4日も間を置くのは愚の骨頂だ。それこそ早く老け込む原因ではなかろうか」と言っているが……。 
 3つめは水原茂監督の「社長令嬢と結婚するな」。ナインが、いわゆる逆玉状態で結婚すると守りに入って覇気がなくなるから、というのが理由。当時、野球選手の年俸はいまほど高くなかった。 
 12球団週間報告の南海ページでは、「名人守備大沢の秘密」。外野守備の名手・大沢昌芳(のち啓二)である。大胆なポジショニングからの神技のようなプレーが前年の日本シリーズで話題となった男だ。 
「わしの場合、勘が80パーセントくらい。間違ったことはない。ただ、わしが自慢できることは、ただプレーを忠実にやっていることや。その日の風の方向、試合内容、得点差の開いている場合と1点を争う場合で守備位置は変わってくる。ピッチャーのスピードのある日、ない日でも違う。それを忠実に守っているだけや。自分としてはファインプレーをしたとは思っていない」 
 対談は『司令長官の胸の中』。パで優勝争いを演じていた大毎・西本幸雄監督、南海・鶴岡一人監督の登場だ。西本監督は首位を走る要因を「ピッチャー、バッター、精神的なバランスが取れていること」と分析している。奇抜な言葉を探したが、マジメな受け答えのみ。 
 なお、以下は宣伝です。しばらく、まったく同じ文を掲載します。 
 現在、週刊ベース60周年企画として「週べでつづる12球団史」を制作中。第1弾は3月14日発売予定の巨人編です。 
 では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.315 ┃  50円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1964(昭和39)年06月08日(月)号 金田正一はなぜ怒るのか
 2018(平成30)年10月10日(水) 10:20 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎阪急の忍者戦法
 写真◆表紙は左から東京・小山正明、榎本喜八、巨人・王貞治
 今回は『1964年6月8日号』。定価は50円だ。 
 好調阪急の秘密に“忍者の飛び道具”という記事があった。 
 これはネット裏のスコアラーがワイヤレスマイクを使い、投手の傾向や審判のジャッジ傾向を伝えるというもの。画期的な新戦略とベタぼめしているが、要はスパイ行為だ。 
 ただ、当時なりに気を使ってはいたようで、阪急はパ・リーグ事務局に違反行為ではないかの問い合わせをし、「問題なし」の答えをもらい、加えて「決してサインを盗むような行為はしない。ネット裏からベンチに情報を提供するだけ」と強調していた。 
 いまなら違反という点では国鉄・金田正一の投球もすごいことになっていた。 
 5月23日の巨人戦だ。 
 この試合で巨人・王貞治は金田から20、21号の連続本塁打を放ったのだが、記事ではそのうち21号を写真で追っている。 
 金田は王の一本足を崩そうと、振りかぶったまま9秒ほど静止。だが、王は足を上げずにじっくり待って、一転して投げ込んだ金田の球を、ほぼすり足で右中間スタンドにホームラン。 
 まさに手がつけられない状態になっている。 
◎カネやん節、炸裂?
 写真◆2人の対決を伝える記事
 この対決について金田のコメントがないか、連載「プロ野球なで斬り帳」を見た。 
 タイムラグがあるのか触れた個所はなかったが、「怒り」をテーマにした回でなかなか面白い。 
 5月13日の広島戦で試合中、チームメートのエラーに激怒し、怒鳴りつけたらしい。 
 ただ、それはエラーに対してではなく、エラーした選手がベンチでヘラヘラ笑っていたからだ。 
 少し長めになるが、抜粋し引用してみる。個人的な趣味を出して恐縮だが、結構、カネやん節は気に入っている。 
 試合をしている者はしている者、ベンチにいる者はベンチにいる者、という十年以上もワシが国鉄で経験してきた物足りないものが感じられた。それが頭に来た。 
 グラウンドへ出ている者も、ベンチにいる者も、監督も一心同体になってやる。 
 それで勝ったら抱き合って喜ぶ。そういったものがワシはほしい。 
 役者は演技で泣いたり笑ったりする。腹の中と、オモテに出るものとは違っても、誰もそれを疑わん。 
 プロ野球でも、そういう演技をやる人がいるかもしれんが、ワシにはそれができん。怒ったら本当に怒って、それをぶつけていく。そういう真剣味が出てくるのを抑えることができん。そういう真剣味が、プロ野球の素晴らしさやと思っているからや。 
 ワシが怒るのは、チームを滅茶滅茶にしようなどと思っているわけやない。 
 ワシが怒ったのにこたえて、みんながハッスルしてくれたらそれでいいんやと思っている。しかしワシが怒るのは少し強すぎる。強すぎるから萎縮してしまうといわれる。萎縮して、陰でこそこそいうのは、ワシは一番嫌いや。 
 ワシは強すぎるかもしれんが、いいほうに解釈して、カッとしてくる人がいてくれれば、ワシはワンマンといわれないですんだんやないかと思う。 
 怒るな怒るな、また怒りやがった、と陰でこそこそいうからワンマンみたいになってしまう。ワシは決してワンマンやない。 
 自分ひとりでは勝てんことは、自分でもよく知っている。ワシにも至らんところはあるけれども、ワシよりもっと至らん者がいるのや。 
 人はみな性格が違う。十人が十人違う者を統率していくということはむずかしいことやろうけれど、みんなが一心同体になって、精根込めて試合ができたら、こんな面白い商売はない。やりがいのある仕事や。みんなで精魂込めてやれたら、何もいうことはない。 
 それなのに、ベストを尽くさず、ちゃらんぽんをしてエラーをする。これは、何も国鉄だけやなしに一般の問題やが、ワシはプロである以上、エラーは仕方ないということはいえんと思う。 
 サーカスは絶対にエラーしない。落ちたら命がないからや。野球もプロである以上、そのくらいの真剣さがなくちゃいかん。エラーして落ちたら命がない。そのくらいの真剣さがあって、ベストを尽くして、一生懸命でやったが、ほんのはずみでエラーした。これなら初めて、仕方がない、といえるんや。 
「まあええワイ」 
 という平和ムードは、勝つためのチームワークとはいえんと思っている。 
 では、またあした。<次回に続く>
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓  特大号
③┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.637 ┃  90円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1970(昭和45)年06月08日(月)特大号 池永正明、永久追放
 2020(令和二)年01月29日(水) 10:14 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎平和台での稲尾人気?
 写真◆表紙は阪神・藤田平
 今回は『1970年6月8日特大号』。定価は90円。 
 黒い霧発覚後、平和台のヤジは熾烈を極めた。 
「ライオンズ解散しろ!」「また八百長か!」 
 選手たちは皆、屈辱に唇をかんだ。 
“黒い獅子”とも揶揄された西鉄ライオンズだが、このどん底から再建に向けた動きも始まっていた。 
 5月15日、平和台の外野席を無料開放。内野席3000人に対し、外野席5000人。無料とあってはそうもヤジれなかったか、球場は大いに盛り上がったようだ。 
 さらに翌16日の東映戦。西鉄は新鋭・東尾修の力投と東田正義、ボレスのホームランなどで3対2と勝利した。この日は内野席9000人、外野席1万人で、何年かぶりの大入り。 
 試合後には夜10時半を回ろうとしているのに平和台の玄関前に400人ほどが集まり、 
「稲尾(和久)監督にお礼を言いたい」「稲尾監督、ちょっとでいいから顔を出してくれ」と口々に叫んだ。 
 あまりの騒ぎに稲尾監督は二階の窓から顔を出し、携帯マイクであいさつした。 
「本日は声援どうもありがとうございます。皆さんのおかげで勝つことができ、心から感謝しております。早く家に帰ってお休みください」 
 日本中から総叩きを食らっているなかで、逃げずに指揮を執る稲尾の姿に、ファンは本気で感動していたのだと思う。 
 ただ、博多のファンは熱しやすく冷めやすいとも言われる。いつまでも、この熱気が続いたわけではない。 
 八百長疑惑選手への処分がついに下った。 
 5月25日16時25分、後楽園サロンでコミッショナーが会見。内容は、 
「与田、益田、池永を全国プロフェッショナル野球機構のあらゆる職務につく資格を永久に否認する。船田、村上両選手は本年11月末日まで一切の野球活動を禁止する。基選手は厳重に戒告する」   
 というものだった。 
 田中勉から100万円を預かっていたことは認めながらも、八百長を否定していた池永の永久追放は当時でも意外だった。開幕前の飲酒運転による交通事故や、もともと生意気な態度が災いしたとも言われたが、それはそれではないか。 
 国会議員の批判を浴び、決着を急ぎたかったコミッショナーの気持ちは分かるが、与田や益田とほかの選手はまったく別だ。時間がかかってもしっかり調べ、そのうえで処分してほしかった。 
 せめて与田、益田の処分を先に発表し、ほかは後日でもよかったのではないか……。 
 積極的に八百長にかかわったと言われる与田、益田は大のギャンブル好きではあったが、ふだんは大人しく、どちらかと言えば気が弱いほうだったという。だからこそ、藤縄という毒虫にいいように使われたのかもしれない。 
 いやな話は続く。ほかオートレースの八百長では阪神の葛城隆雄が逮捕され、近鉄では選手に八百長を依頼した渉外課長が謹慎中。すでにオートレースの八百長で逮捕されていた小川健太郎は球界の賭けマージャンの実態についてもしゃべり始めているらしい。 
 当時、賭けマージャン、賭けゴルフは当たり前だった。ただ球界では、そのレートが高く、かつ雀荘にはヤクザがつきものだった(あくまで昔だが)。 
 まだ面倒な話があった。 
 これは八百長ではないが、後楽園での東映─近鉄戦で東映の白仁天が露崎審判のストライクのジャッジに激高し、殴る蹴るの暴行。ただ、露崎審判は白に殴られた後もニヤリと不敵な笑みを浮かべていたという。 
 実は、露崎審判の前歴はボクサー。殴られながらも急所は外していたのかもしれない。 
 なお、当時の白は徴兵検査で韓国に帰国しなければいけない状況で、かなりイライラしていたという。 
 韓国軍に入れば、行先は泥沼のベトナムの可能性もある。  
 では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180217-12
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20181009-03
 ③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-2020128-02
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
①┃ プロ野球仰天伝説 No.167 ┃ ONLINE
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
 政財界を巻き込む大騒動の末、西鉄入りした大下弘
‡2018(平成30)年6月8日(金) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 借金を突き返し、「野球をもうやめます」
 西鉄・大下弘
 戦後、球界を揺るがしたのが大下弘の移籍騒動だ。 
 1948年、東急は前年に大映と合併し、急映となっていたが、49年の大映の独立により選手が大量離脱した。大下は球団に泣きつかれ、選手集めに奔走。それで、ずいぶんお金を使ってしまった。さらに母親が麻薬中毒で、その治療費も必要となり、やむなく球団に借金を繰り返した。 
 だが、球団は大下が誘った若い選手に契約金を渡そうとせず、それを大下が抗議すると、「君が借金を返したらな」と言われた。激怒した大下は家も担保に金をかき集め、借金を突き返し、「野球をもうやめます」と言った。 
 これに対し、「君は保有選手だから、勝手は許さない」と西鉄への移籍話を進める球団と、大下獲得を狙う近鉄、毎日、さらに政財界の大物たちが水面下で動き回る。 
 大下の失踪騒ぎもあったが、最終的には52年4月11日、西鉄移籍が決まった。すでに、この年のペナントレースは始まっていた。
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓『週刊ベースボール』
②┃ プロ野球仰天伝説 No.073 ┃ ONLINE
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛ 写真=BBM
   【助っ人トンデモ話 No.24】
 ヘッドギアをつけながら打ちまくった“赤鬼”【助っ人トンデモ話】
 2018(平成30)年3月6日(火) 11:05 長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 
 マニエル[1976-78ヤクルト→79-80近鉄→81ヤクルト/外野手]
 近鉄・チャーリー・マニエル
 もはや止めようがなかった。 
‡1979(昭和54)年6月08日(金)時点、まだ51試合しか出場していない段階ながら(130試合制)24本塁打、60打点。長打だけではない。打率は.371、直前の
 1979(昭和54)年6月07日(木)まで24試合連続安打。
 1979(昭和54)年5月23日(水)から27日(日)、
 1979(昭和54)年6月03日(日)から07日(木)と
 2度の5試合連続本塁打もあった。まさに、バッティングに関する、すべての日本記録を塗り替えんばかりの勢いで打ちまくっていた。 
 勢いが止まったのが、
 1979(昭和54)年6月09日(土)だった。日生球場でのロッテ戦で、投手・八木沢荘六の球がまともに右アゴに激突。マニエルはアゴから血をしたたらせながらマウンドに向かおうとしたが、西本幸雄監督らが必死に抑えた。すぐ入院。アゴの骨はグチャグチャに砕け、「シーズン絶望か」と言われた。 
 それまで「近鉄特急」と言われ、首位を快走していたチームは、この死球を境に一気に勢いを失い「鈍行」に。それでも「マニエルおじさんの遺産を食いつぶしながら」(西本監督)なんとか前期優勝。プレーオフでは後期優勝の阪急を破り、歓喜の球団初Vを飾った。 
 マニエルも1979(昭和54)年8月4日(土)にはアゴをガードするヘッドギアをつけ、復帰。ふたたび打ちまくって最終的には97試合の出場ながら37本塁打でホームラン王、打点94、打率も.324をマークし、MVPとなっている。 
 メジャー出場はあるが、ほぼ控えだったマニエルは、大きな期待をされることもなく、76年ヤクルトに入団。2年目に42本塁打、97打点、打率.316、3年目、78年のVイヤーにも38本塁打、103打点をマークしたが、広岡達朗監督は「走れない、守れない選手はいらない」と近鉄に放出した。西本、広岡両監督が電話で決めてしまったというが、パにはDHがあるから守る必要もなく、打撃のみに集中できるのは大きなプラスだった。 
 さらにマニエルにとって幸運だったのが西本監督との出会いだ。リラックスしたマニエルの構えとタイミングの取り方は西本監督の打撃理論とピタリと合った。性格的にも、いつも気難しい顔をしているが、意外と冗談好きな西本監督と気が合い、向こうは日本語、マニエルは英語なのだが、通訳も介さず、30分でも1時間でも話し続け、互いに腹を抱えてゲラゲラ笑っている姿がよく見られた。 
 マニエルは翌年も48本塁打、129打点で打撃2冠、打率も.325を残したが、契約でもめ退団。1年だけ古巣ヤクルトでプレーし、同年限りでアメリカに戻った。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180608-12
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180306-10
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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