過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今夜の『夜のヒットスタジオ』だヨ(=^◇^=)

「松田聖子」のシングル曲で一番好きな作品は?
‡2021(令和三)年06月30日(水) 
 2021(令和三)年07月13日(火)  
 https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/271749/
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「松田聖子」のシングル曲で一番好きな作品は?
‡2021(令和三)年06月30日(水) 20:05配信 ねとらぼ 高橋マナブ
 昨年デビュー40周年を迎えた松田聖子さん。抜群の歌唱力はいまも健在で、若い世代にもファンを広げています。豪華な作家陣によって作られた楽曲は、いまなお歌い継がれる名曲ばかり。
【画像:ランキング79位~1位を見る】
 今回は、そんな松田聖子さんのシングル曲から3作品を紹介します。
●あなたに逢いたくて~Missing You~●1996年にリリースされた楽曲。ミリオンセラーを達成した作品で、オリコン調べによると、松田聖子さんのシングル売上ランキングでは現在も1位に輝いています。美しいピアノの音色によって構成されているバラードとなっています。
●赤いスイートピー●1982年にリリースされた松田聖子さんの代表的な楽曲で、徳永英明さんや宮本浩次さんなど多くのミュージシャンにカバーされている名曲です。作詞が松本隆さん、作曲が呉田軽穂(松任谷由実)さん、そして編曲が松任谷正隆さんという豪華な作家陣で作られ、この曲をきっかけに女性ファンが急増したと言われています。
●大切なあなた●本人が主演したTBS系ドラマ「わたしってブスだったの?」の主題歌として1993年にリリースされた楽曲です。ロマンチックな歌詞が魅力で、結婚式ソングとしても多くの人に愛されています。
●「松田聖子」のシングル曲で一番好きな作品は?
 松田聖子さんがこれまでに発表してきたシングル曲から、代表的な3作品を紹介しました。このほかにも「夏の扉」や「渚のバルコニー」など、さまざまなシングルをリリースしてきました。あなたが一番好きな松田聖子さんのシングル曲はなんですか?
 https://news.yahoo.co.jp/articles/fad883dd08fc6eacb6bca7cb2afe7d5fcfcc447b
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 ┃ 『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』 ┃
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 2015(平成27)年09月09日(水) 第016回 山口百恵引退 覚悟のラストソング
 1980(昭和55)年10月05日(日) 日本武道館ファイナルコンサート
 1980(昭和55)年10月06日(月)『夜のヒットスタジオ』引退特集番組
‡2010(平成22)年06月30日(水)『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』DVD発売
 1980(昭和55)年10月13日(月)『山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング』日テレ『NTV紅白歌のベストテン』特別番組
 1980(昭和55)年10月15日(水) 公式完全引退ホリプロ20周年記念式典♪いい日旅立ち♪歌唱
 1980(昭和55)年11月19日(水) 三浦友和と結婚
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%99%BE%E6%81%B5
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA_%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E5%88%86%E5%B2%90%E7%82%B9
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 映像◆https://youtu.be/UFwRw2vs8yY
 

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 ┃ 過去の今日の松田聖子様 ┃
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‡1979(昭和54)年06月30日(土) 一路上京し、サンミュージックに強い決意を伝える
 1996(平成八)年06月25日(火) 09回目 日本武道館
 1996(平成八)年06月26日(水) 10回目 日本武道館
 1996(平成八)年06月27日(木) 11回目 日本武道館
 1996(平成八)年06月29日(土) 12回目 日本武道館
‡1996(平成八)年06月30日(日) 13回目 日本武道館
 1996(平成八)年07月01日(月) 14回目 日本武道館
****************** http://www.seikomatsuda.co.jp/index.html
 http://www.universal-music.co.jp/matsuda-seiko
 http://www2a.biglobe.ne.jp/~seikofan/html/text/his1b.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
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 1985.6放送『石原裕次郎芸能生活30周年』http://youtu.be/6ZiAtrWLUYI
 ♪ハワイアン・ウェディング♪
 

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 ┃ 『SUPREME』  ┃
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 松田聖子『SUPREME』「変わらない」という挑戦 
 1986(昭和61)年06月01日(日) CBSソニー/32DH-440
 1986(昭和61)年06月09日(月) オリコン週間LP&TAPESチャート第①位
 1986(昭和61)年06月16日(月) オリコン週間LP&TAPESチャート第①位
 1986(昭和61)年06月23日(月) オリコン週間LP&TAPESチャート第①位
‡1986(昭和61)年06月30日(月) オリコン週間LP&TAPESチャート第①位
 2005(平成17)年08月06日(土) 1. 螢の草原 2. 上海倶楽部 3. ローラ・スケートをはいた猫 4. チェルシー・ホテルのコーヒー・ハウス 5. 時間旅行 6. 白い夜 7. マリオネットの涙 8. 雨のコニー・アイランド 9. ローゼ・ワインより甘く 10. 瑠璃色の地球 みんなすっかり忘れていることだが、その昔、アイドルは、結婚すれば引退するものだと、みんなそう思っていた。1985(昭和60)年、松田聖子が結婚するという。「引退」。彼女は最後の最後までその言葉を口にしなかった。しかし、結婚を契機に休業するというアナウンスは、多くの人に「引退」と響いた。もし、再び表舞台に戻ってきたとしてもそこにあるのは間違いなく今までの「松田聖子」ではないだろう。 この年を最後に、松田聖子の時代は静かに終わりを告げるだろう。と。誰しもがそう思った。天地真理を嚆矢として日本の歌謡シーンに次々と登場したアイドル。80年代は、まさしくアイドルの時代であった。百花繚乱。日毎夜毎ブラウン管で華を競い合う彼女たち。しかし、そこに、結婚して歌いつづける者は、ひとりとしていなかった。偉大なる山口百恵をはじめ、南沙織、麻丘めぐみ、浅田美代子、石野真子……。彼女らはみな結婚を期に歌うことを断念した。アイドルは、時分の花。アイドルポップスは、その花の一瞬の香気を銀盤に閉じ込めたもの。だからこそアイドルは切ない。時がよどみなく流れるように、永遠のアイドルなど、存在しない。いつか卒業するのがアイドルというものなのだと。だが、松田聖子は違った。結婚・妊娠・休業。その状態で敢えて、松田聖子は歌うことを選んだ。そうして生まれたのが86年のアルバム『SUPREME』である。
◆松田聖子がその席を立ってわずか一年のあいだにアイドルシーンは激しい地殻変動を起こしていた。かつてのライバル中森明菜は、孤独なツッパリ少女から、時代を挑発する過激な淑女に変貌、優雅に女王の座に居座り、 さらに「おにゃん子クラブ」なる超新星が旧来のアイドル勢たちを押しのけ、チャート1位を独占、 そして、松田聖子を支えた作家陣の手による聖子的世界観を継承したアイドル( ex 南野陽子、松本典子、山瀬まみ )が、多数出現した。しかし、松田聖子はそのままの松田聖子でありつづけた。歌手として再び歌う決意をした松田聖子はプロデューサーに84年年末まで彼女の作品をプロデュースしつづけた松本隆をふたたび指名した。 そして松本隆は、あえて松田聖子をそのまま、松田聖子のままで、表現した。作曲には久保田洋司、玉置浩二、大沢誉志幸、安藤まさひろなど、 また編曲には武部聡志、井上鑑など、と、初顔合わせの作家が並んだが、 しかしあくまで全体のトーンは、結婚以前の松田聖子の続きという感じで、大きな変化はそこにはない。このアルバムのラストを飾る「瑠璃色の地球」のみが、人類愛、地球愛を表現し、結婚・出産する松田聖子を意識した曲となっているが、それ以外は、上質なサウンドで綴られる恋に揺れるガーリーな「松田聖子的世界」の曲でしめられている。 これは、大きな冒険だったのではないだろうか。結婚、出産。アイドルとしての賞味期限切れの指標といってもいい二点が灯っているのにもかかわらず アイドルでありつづけることは、空前の展開であった。しかし、松田聖子はそれを見事サバイブした。この『SUPREME』は彼女のアルバムで最高のセールスをあげ、1986(昭和61)年の日本レコード大賞のアルバム大賞を受賞、この年発売のアルバムの頂点となった。奇しくもレコード大賞――その年のシングル頂点となったのは中森明菜の「DESIRE ~情熱~」である。 (――松本隆はおそらくこのアルバムで「変わらない、聖子」というイメージを築きあげた後に このアルバムのラストを飾る「瑠璃色の地球」を糸口に「変わらないが、変わっていく、聖子」という展開を目指していたのではなかろうか、と、その後の「Strawberry Time」や「Citron」を聞くに 邪推するがこれは閑話休題。)松田聖子の「変わらない、という挑戦」はこのアルバムから始まった。そしてそれは今でも続いている。「結婚しても、子供を産んでも、君は永遠の少女でいなさい」松本隆はその言葉とともに松田聖子に一枚のチケットを手渡した。それを片手に、彼女は、長い長い旅に出ることになる。彼女はまもなく誰にも、松本隆の手すらも届かない遠い場所へとたどり着く。後ろを振り返っても、しいんと静まりかえって人っ子ひとりいない。しかし、彼女の乗った汽車は止らない。時間を止める魔法を使った彼女の孤独なみちのりのはじまりが、このアルバムだったといっていいだろう。
 http://wagamamakorin.client.jp/supreme.html
 https://music.amazon.co.jp/albums/B00FSB8B3Y
 https://ja.wikipedia.org/wiki/SUPREME
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 ♪瑠璃色の地球♪CM https://youtu.be/XNf9jWWiCGQ
 松田聖子19才 清水アキラ変態コントでピチピチ肌にペチッと叩く音に快感  すみれ色の涙 
 カリビアンウインド:カリブ・愛のシンフォニー ラジオ ライブ 岩崎宏美カバー曲 神田正輝  
 

 オールナイトニッポン20周年その① http://youtu.be/lehIoO_WEpQ
 DJ:松田聖子 1986年?『SUPREME』
 
 オールナイトニッポン20周年その② http://youtu.be/qPZOHJDikc8
 
 オールナイトニッポン20周年その③ http://youtu.be/EXRcjd5M3FY
 
 オールナイトニッポン20周年その④ http://youtu.be/kfWVHHwbdn8
 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/SUPREME

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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会一代目:前田武彦・芳村真理  ┃
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①|歴代出演歌手-前田武彦・芳村真理司会時代Ⅰ(1968~1969)|
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‡第0035回 1969(昭和44)年 6月30日(月) 北島三郎、水前寺清子、梓みちよ、布施明、
                   小川知子、中村晃子、梢みわ、川奈ミキ
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②|歌謡曲黄金時代と夜のヒットスタジオ-曲目リスト(4)69年5~6月|改訂版
 └─―――――――――――――――――――――――――――――┘
    ♪私のシュヌー♪ 梢 みわ
   ♪花は泣いている♪ 川奈ミキ (初出演)
  ♪渚のシャ・ラ・ラ♪ 梓みちよ
    ♪星のみずうみ♪ 布施 明
      ♪加賀の女♪ 北島三郎
 ┌─―――――――――――――――――――――――┐
③|【総括】夜ヒット・②②年史年表Ⅰ(1968,11~1971,3)|
 └─―――――――――――――――――――――――┘はしだのりひことシューベルツが「さすらい人の子守唄」を演奏中、当初流される予定となっていたバッグのイメージ映像が機械故障により流れないというトラブルが発生。確認される限りではこれがヒットスタジオ放送内での機械トラブルによる放送事故の最初の事例
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/cfa22197162eba79b973b135a5bd830e
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/781ac428d56837bd1ef713c224ec8bbb
 ③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/beea63089ecfd0c24b4fb4621db5b91d
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会二代目b:芳村真理・三波伸介  ┃
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①|歴代出演歌手―芳村真理・三波伸介司会時代(1974~1976)|
 └─―――――――――――――――――――――――――┘
‡第0347回 1975(昭和50)年 6月30日(月) 菅原洋一、布施明、山本リンダ、
                   にしきのあきら、天地真理、麻丘めぐみ、ほか
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜ヒット・初出演データ(10) 司会者不在→芳村・三波・朝丘時代(1973,10-1976,3)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
 ※本日は初出演歌手はありま千と千尋だヨ(=^◇^=)
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/01012ceff2b26199c8c4289afd6a847e
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/e9076525754d4fda5df0b443ce4adea8
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 ♪ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ♪ 鹿取容子デビュー曲
 1980.03.01 A面はディーゼルのカバー。オリコン最高42位
‡1980.06.30『夜のヒットスタジオ』初出演
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%8F%96%E6%B4%8B%E5%AD%90
 参考音源◆『夜のヒットスタジオ』https://youtu.be/JcNEDpwpIOE 
 
 参考音源◆シングル作品 https://youtu.be/bQnCcupMNuk
 
 参考音源◆シングル作品 Going Back to China - Yoko Katori  https://youtu.be/xmavMMGxZNk
 
 参考音源◆Goin' Back to China」/DIESEL https://youtu.be/9yaNKJD5RiM
 
■「Bad Feeling」 from 「BOφWY」  
 「Goin' Back to China」/DIESEL from 「Watts in a Tank」(1979)
 ”Oh Yeh!アッパッパーなLady Feel So Bad About Me”の部分が、「Goin'~」の”Hey Lee,What's the deal.You're goin' back to China”に似てる。元Punkの暴威だけに、こ れは本家のDIESELではなく、それをカバーし、立派な歌謡曲に仕立て上げた鹿 取洋子バージョン(「おしえてアイドル ポリドール1」)から頂いてるのだろうか。(from BOOさん) 
 http://music.geocities.jp/gimi10jp/pack04.html#booy
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会三代目:芳村真理・井上順  ┃
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①|歴代出演歌手―芳村真理・井上順司会時代Ⅲ(1980~1981)|
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‡第0607回 1980(昭和55)年 6月30日(月) 吉田拓郎、五木ひろし、八代亜紀、シャネルズ、
                   田原俊彦、河合奈保子、鹿取洋子、ほか
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②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(7) 芳村・井上時代中期(1980,4-1982,3)|
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‡第0607回 1980(昭和55)年 6月30日(月) ♪あの娘といい気分♪/♪いつか夜の雨が♪ 吉田拓郎
                   ♪哀愁でいと♪ 田原俊彦 
                   ♪大きな森の小さなお家♪ 河合奈保子
                   ♪ゴー・イン・バック・トゥ・チャイナ♪ 鹿取洋子
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③|歌でふりかえる夜のヒットスタジオ②②年史(38) 1980年4月-6月(第595-607回)|
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‡第0607回 1980(昭和55)年 6月30日(月) 吉田拓郎 ♪あの娘といい気分♪/♪いつか夜の雨が♪
                   八代亜紀 ♪雨の慕情♪
                  シャネルズ ♪トゥナイト♪
                   田原俊彦 ♪哀愁でいと♪
                  河合奈保子 ♪大きな森の小さなお家♪
                   鹿取洋子 ♪ゴー・イン・バック・トゥ・チャイナ♪
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④|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅵ(1980,4~1982,3)|
  └─――――――――――――――――――――――――┘◎フォーク界の第一人者として、フォーライフレコード設立、つま恋ライブの開催など邦楽史上に残る伝説の1シーンを作り続けた吉田拓郎が待望の初出演
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⑤| 『夜のヒットスタジオ』 通算出演回数  |
  └─―――――――――――――――――――┘
 順 位 回 数   歌手名  出演期間 
‡第⑥位 158回 田原俊彦  1980(昭和55)年 6月30日(月)(第607回)~1990(平成二)年 9月19日(水)(第1130回)
‡第15位  87回 河合奈保子 1980(昭和55)年 6月30日(月)(第607回)~1990(平成二)年 6月27日(水)(第1118回)
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⑥| 田原俊彦の『夜のヒットスタジオ』 |
  └─―――――――――――――――――┘フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に初出演したのはデビュー9日後の●1980(昭和55)年 6月30日(月)放送の回[1]である。それ以降、原則月1回~2回のハイペースで出演を続け、番組終了 1990(平成二)年10月までの間に158回の出演回数を記録。番組が『夜のヒットスタジオDELUXE』と改題され、2時間枠に放送時間を拡大したのを機に新設されたマンスリーゲストにも歴代最多の3回 ⇒ ①:1985(昭和60)年 5月、②:1986(昭和61)年12月、:③1989(平成元)年 6月抜擢された。『教師びんびん物語』主演当時には教え子役の子役との共演ともに主題歌でもある『ごめんよ涙』を披露したり、座長公演の最中での出演時にはその舞台でのいでたちで番組に登場したり、渡辺貞夫・久保田利伸などとのセッションを行うなど、パフォーマンスを数多く番組内で披露した。レギュラー放送最終回である1990(平成二)年 9月19日(水)放送では、トリを任されスタジオを駆け回りながら♪ジャングル Jungle♪を熱唱したヨ(=^◇^=)
 ┌─――――――――┐通算出演 第001回
⑦| 今夜の田原俊彦 |♪哀愁でいと♪ (1回)
 └─――――――――┘MC ⇒ レコードが売れている話
 衣装 ⇒ ジャンプスーツ
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/e0403f6b10d86c22e354bc36e1195d06
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/09fc14fdd037230ecda073ff983d08fe
 ③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/fc8721c9b9b35d5d57290993760c7a20
 ④http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/95084c871cd6e65a8f5c2086673cc67a
 ⑤http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA#.E9.80.9A.E7.AE.97.E5.87.BA.E6.BC.94.E5.9B.9E.E6.95.B0 ⑥http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8E%9F%E4%BF%8A%E5%BD%A6
 ⑦http://www.104ttdp.com/tt/musicpro/yoruhit/yh-80.html
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 ┃ 『山口百恵 in 夜のヒットスタジオ』 ┃販売元: エイベックス・マーケティング ¥ 19,950
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛2010(平成22)年 6月30日 リリース 時間: 357 分 6枚組
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 |♪夏ひらく青春♪から♪さよならの向う側♪まで 山口百恵の『夜ヒット』 蔵出し映像、57回分の放送を収録!|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘ 
『夜のヒットスタジオ』に山口百恵が出演した1975(昭和50)年 6月23日(月)~1980(昭和55)年10月 6日(月)の全56回の放映分から、歌唱やトーク、「歌謡ドラマ」コーナー、コンピューター占いといった番組内企画、さらには最後の出演となった「さよなら百恵」まで約7時間にわたり収録
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 http://momoe-yoruhit.com/index.html http://www.amazon.co.jp/dp/B003IHV2T0/
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
************************* http://blog.goo.ne.jp/resistance-k
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%87%BA%E6%BC%94%E6%AD%8C%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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あともう1点、この回の出演者データは一応7組の歌手名が掲載されていますが、そのあとについては「ほか」という記載となっていたらしいので(月曜時代のゲスト出演者数は基本的には8組という場合が多かったということもありますが)、もう1~2組ゲスト歌手がいたはずで、当時の歌手の格であるとか、前後の出演履歴を見る限りでは、この「ほか」に該当するのは、上記のご提供くださった出演者のメンバーを見る限りでは梢みわじゃないかな・・・という気がします。彼女もこれから4週後の●6月30日の放送分での出演者リストには名前が出てくるんですが、常連組ではない、それこそ新曲発売時に1回だけ出演機会を与えられるというぐらいの位置付けの歌手でも、たまに突発的に1曲に付き2回以上の出演機会を与えられることもあったことを考えると、多分、梢みわはこの6月2日放送にも出演していたと高い確率で断言できるような気がします(なので、一応、早速、これについては当日放送分の出演者データのほうには追加させていただきます)。今後とも是非こういった形で色々情報交換や質問などをさていただきながら、色々と教えを請いたいと思っておりますので宜しくお願いいたします! 写真日付記入もいい加減で、申し訳ありません。 (昭和の名盤!アナログ日記) 2008-04-14 17:45:39 日付、違っていましたか!スミマセン。坂本九、中村晃子、黛ジュン、梓みちよの出演日は5月26日分ですか。どうもいい加減な日付記入をしていたようです。それでしたら「梢みわ」の出演日は5月26日となります。彼女は上記4人と一緒に写真に納まっていますから。これで「梢みわ」の出演日は5月26日で完璧ですね! ザ・ワイルドワンズ (昭和の名盤!アナログ日記) 2008-04-14 18:25:13 新聞などの出演者欄などで思うことなのですが、グループなどの長い名前などの場合、他の歌手の名前が書けなくなるので省かれてしまうというケースなどは考えられないでしょうか?ザ・ワイルドワンズであったりザ・ドリフターズなど、これらだと2人分の字数を取ってしまいますよね。それから出演者データに70年の12月頃に「オービューティフル・ディ」で出演したワイルドワンズが欠けていると思いますが・・・ついGSには目が付くもので・・・余計な事を言って申し訳ありません。 新聞ラテ欄の表記 (resistnce-k) 2008-04-14 23:02:20 確か、新聞のラテ欄における人名(グループ名も含む)の文字数上限というのがあって10文字以内に表記することになっているという話を聞いたことがあるんですが・・・。確かに当時の新聞のテレビ欄を見てみても、どうしてもグループであっても、タレントとしての格を考慮する限り、上位に表記せねばならない場合は、ある程度簡略化して表記がなされてことが多かったようです。ムード歌謡グループでよくありがちな「○○○○(リーダー名)と××××(グループ名)」の場合は大抵「××××」のところしか表記されていなかったり、間に「・」が入るグループや歌手などの場合は「・」を省略して、一続きで表記されることも多かったようです。こうやって何とか一組でも多く歌手名を記載するように一応の工夫はなされていたみたいです。新聞欄の「ほか」という表記は本当にデータを重視する私としては本当に厄介なものです(汗)。この「ほか」という部分に一体どれだけの希少価値の高い情報が隠されているのか・・・ということを考えると、ホントに気が遠くなってしまうこともしばしばあります。新聞のラテ欄の中の「夜のヒットスタジオ」の項目の中に一度も名前の記載がなかった歌手(つまり「ほか」の中に一まとめにされてしまった不遇な人々(汗))でも、実際には出演実績はあるという歌手がかなりいるんですよね・・・。こういう歌手の初出演日の推定の作業はかなり苦労しました。どこの事務所に所属していたのか、他の(初出演の特定がすぐにできた)新人がデビュー曲からどのぐらいのスパンでヒットスタジオに初出演したのか、とかそういうところをかなり吟味しながら、そして追加情報でヒントになる事柄を総合して、現時点ではそういった「不遇な」歌手の初出演回も大抵は推定がついているのですが、それでも、例えば江夏圭介とか加島美抄とか、まだ全くいつ出演したのかが推定のつかない歌手もいるんですよね・・・。まだまだ私のブログは「不完全」の域を達していないというのが現状なので、より「完全」に近づける、という意味においても、指摘してくださるのは大いに歓迎します。これからも是非何か気になることがあればコメを残してくださいね。
 http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/781ac428d56837bd1ef713c224ec8bbb

▼夜のヒットスタジオ 
1980年
出演日 出演回数 曲名 衣装 オープニングメドレー MC エピソード 
6/30 1 哀愁でいと ジャンプスーツ ? レコードが売れている話
7/21 2 哀愁でいと   ? たのきん集合   
8/18 3 哀愁でいと   ?     
9/29 4 青春ひとりじめ   ?  提供が森永だったため、グリコCMのハッとしてGood!が歌えず、B面を歌う。
10/27 5 青春ひとりじめ   ? ゲストのレイフギャレットに対抗してガールフレンドはいます発言!
12/1 6 青春ひとりじめ   パープルタウン FNS歌謡祭前で緊張中   
12/22 7 青春ひとりじめ   ? FNS歌謡祭新人賞受賞シーンVTR
http://www.104ttdp.com/tt/musicpro/mp_top.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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No.① 司会初代: 前田武彦・芳村真理       1968年11月 4日(月)~1973年 9月24日(月)『夜のヒットスタジオ』
No.② 司会者なし:ゲスト司会による輪番制     1973年10月 1日(月)~1974年 3月25日(月)『夜のヒットスタジオ』
No.③ 司会二代①:芳村真理・三波伸介・朝丘雪路  1974年 4月 1日(月)~1975年 3月31日(月)『夜のヒットスタジオ』 
No.④ 司会二代②:芳村真理・三波伸介       1975年 4月 7日(月)~1976年 3月29日(月)『夜のヒットスタジオ』 
No.⑤ 司会三代: 芳村真理・井上順        1976年 4月 5日(月)~1985年 9月25日(水)『夜のヒットスタジオ』&『夜のヒットスタジオDELUXE』
No.⑥ 司会四代: 芳村真理・古舘伊知郎      1985年10月 2日(水)~1988年 2月10日(水)『夜のヒットスタジオDELUXE』
No.⑦ 司会五代: 古舘伊知郎・柴俊夫       1988年 2月24日(水)~1989年 9月27日(水)『夜のヒットスタジオDELUXE』
No.⑧ 司会六代: 古舘伊知郎・加賀まりこ     1989年10月18日(水)~1990年10月 3日(水)『夜のヒットスタジオSUPER』
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会一代目:前田武彦・芳村真理  ┃
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①|歴代出演歌手-前田武彦・芳村真理司会時代Ⅰ(1968~1969)|
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‡第0035回 1969(昭和44)年 6月30日(月) 北島三郎、水前寺清子、梓みちよ、布施明、
                   小川知子、中村晃子、梢みわ、川奈ミキ
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(13) 前田・芳村時代前期(1968,11-1969,12)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0035回 1969(昭和44)年 6月30日(月) ♪花は泣いている♪ 川奈ミキ
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③|【総括】夜ヒット・②②年史年表Ⅰ(1968,11~1971,3)|
 └─―――――――――――――――――――――――┘はしだのりひことシューベルツが「さすらい人の子守唄」を演奏中、当初流される予定となっていたバッグのイメージ映像が機械故障により流れないというトラブルが発生。確認される限りではこれがヒットスタジオ放送内での機械トラブルによる放送事故の最初の事例
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/cfa22197162eba79b973b135a5bd830e
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/5f639404ab9a5b1b25a560b7bce38a08
 ③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/beea63089ecfd0c24b4fb4621db5b91d
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会二代目b:芳村真理・三波伸介  ┃
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①|歴代出演歌手―芳村真理・三波伸介司会時代(1974~1976)|
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‡第0347回 1975(昭和50)年 6月30日(月) 菅原洋一、布施明、山本リンダ、
                   にしきのあきら、天地真理、麻丘めぐみ、ほか
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜ヒット・初出演データ(10) 司会者不在→芳村・三波・朝丘時代(1973,10-1976,3)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
 ※本日は初出演歌手はありま千と千尋だヨ(=^◇^=)
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/01012ceff2b26199c8c4289afd6a847e
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/e9076525754d4fda5df0b443ce4adea8
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本日、7月24日は河合奈保子の誕生日
2017年07月24日 執筆者:丸芽志悟
本日7月24日は、河合奈保子の誕生日…あれれっ、誕生日に奈保子の記事は前にもありましたよね?  と言いつつ、コロムビアのアイドルコンピをまとめた責任上、もっともっと盛り上げろという使命を与えられましたので、喜んで乗らせていただきます。ただし、既に書かれたことを繰り返すわけにはいきませんので、ここは80年前後のアイドル事情を俯瞰しつつ、個人的な視点でまとめてみたいと思います。
筆者が奈保子の存在を初めて意識したのは、
1980年の6月30日。その最初の日に「大きな森の小さなお家」でデビューした記念すべき月間を、当時を代表する歌番組「夜のヒットスタジオ」への初出演で締めくくった。ちなみにその4週間前には、YMOが初めての「所謂歌番組」への出演を果たすという歴史的事件も同番組にもたらされ、ドキドキしながら観たのを忘れられない。
それと同じほど衝撃的だったのが、その
6月30日の放送回に、滅多にテレビに登場しない吉田拓郎が同番組への初出演を果たしたことである。その瞬間を目撃しようと、静粛な気持ちでブラウン菅を眺めていたら、最初に目に飛び込んできたのは当時ブレイク真っ只中だったシャネルズの面々。オープニングメドレーで彼らが歌ったのは、「大きな森の小さなお家」という可愛らしい曲。誰の曲だ? 彼らの紹介を受けて登場したのは、まさに初々しい雰囲気を湛えた新人歌手・河合奈保子だった。
結局、その数分後ギター一本で「旅の宿」を歌った拓郎さんに持って行かれてしまい、その後の記憶は定かではない。しかし、歌謡界にまた一つ、可憐な花が加わったなという印象は抱いた。この曲はオリコン最高36位という、当時のデビュー曲としては健闘した部類に入るポジションを記録したが、ベスト100に入った期間16週というのは、続く「ヤング・ボーイ」、及び83年の代表作「エスカレーション」と並ぶ最高タイ記録となっている。持続力で勝負した一曲となった。確かに、当時の中坊にとってこの歌詞は、秘密の扉の鍵を開けるような、素直に口にするのに勇気を要したものだった。大ブレイク間もなく「例の事件」を起こしてしまったシャネルズに歌わせた「夜ヒット」も罪なものだが、奈保子の歌声は、少年少女の恥じらいさえ健康的魅力で中和してしまうような、まさにヤングアイドルかくあるべしと思わせるものだったのだ。
78年~79年は、石野真子が新人として一人健闘していたものの、アイドルファンにとっては「冬の時代」としか形容できない時期だった。その隙間を縫うように、自作曲を歌ったり、ニューミュージック系の作家を主に起用して洗練した音楽性を打ち出した若い女性歌手達が数多く台頭し、人気を博した。個人的には、それも憎めなかったのだけど、テレビの中の華やかさと異質な世界に馴染めない人も多かっただろう。
そこに80年4月、松田聖子が現れる。彼女を最初に見たのは、普段はニューミュージック系の新人紹介に重きを置いているFM誌の一コーナーで、あたかもニューミュージックの人であるかのような紹介のされ方だった。ある意味それも当たっていたことを、後の作家起用面で証明したのだけれど、それでも年末の新人賞レースで話題を呼んだ仕草とか、男性アイドルと噂話がささやかれたことで、「やはり芸能界の人だな」というイメージが浸透することになる。結局、80年代アイドルのスタイルの雛形は、聖子のそんな面によって形成されていったのだが。
奈保子と同じ日に「No.1」でデビューした柏原よしえ(芳恵)は、若さこそ強調していたものの、最初はスロースターターだった。7枚目に出したカバー曲「ハロー・グッバイ」まで、真のブレイクは訪れなかった。同じ月の21日にデビューした石坂智子は、それまで熱狂的岩崎宏美ファンだった友達が即夢中になったものの、大ヒットには恵まれず。さらにその日にデビューした甲斐智枝美は、2006年、悲劇的な最期に散ってしまう。
そして河合奈保子は、2曲目「ヤング・ボーイ」から親しみやすい路線を一貫して歩み始め、トップアイドル集団へと加わる。デビュー2年目に大きな怪我に襲われ、長期活動中止に至った時は、「麻丘めぐみみたいになっちゃうのかな?」と心配の声も上がったが、根性で新曲発表を続け、デビュー5周年記念曲となった21枚目のシングル「デビュー?Fly Me To Love」で遂に悲願の1位を獲得。「セーラー服を脱がさないで」の発売で時代がおニャン子色に染まり始めるまさに11日前、85年6月24日の出来事だった。
アイドルの世界がその時劇的に変わったのと同じように、奈保子の内部にも変化が起こり始めた。アルバムで自作曲を発表し始め、翌年にはアルバム全曲を自作曲で固めた『スカーレット』を発表。アイドルから、セルフプロデュースできるアーティストへと脱皮を始める。この時期の曲にも重要なものは結構あるけれど、瞼の奥に刻まれている彼女の姿にこそ、80年代の真の輝きはある。そんな全盛期の河合奈保子を堪能できる、貴重すぎる映像満載のDVD3枚組『河合奈保子プレミアムコレクション』がいよいよ、来月30日発売になります。殺伐とした世の中に落ち着かない皆さんこそ、けんかをやめて、じっくり彼女の世界に浸りませんか?
≪著者略歴≫丸芽志悟 (まるめ・しご) : 丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代?レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月24日、初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』(3タイトル)が発売された。  
http://music-calendar.jp/2017072401
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会三代目:芳村真理・井上順  ┃
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①|歴代出演歌手―芳村真理・井上順司会時代Ⅲ(1980~1981)|
  └─―――――――――――――――――――――――――┘
‡第0607回 1980(昭和55)年 6月30日(月) 吉田拓郎、五木ひろし、八代亜紀、シャネルズ、
                   田原俊彦、河合奈保子、鹿取洋子、ほか
 ┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(7) 芳村・井上時代中期(1980,4-1982,3)|
 └─―――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0607回 1980(昭和55)年 6月30日(月) ♪あの娘といい気分♪/♪いつか夜の雨が♪ 吉田拓郎
                   ♪哀愁でいと♪ 田原俊彦 
                   ♪大きな森の小さなお家♪ 河合奈保子
                   ♪ゴー・イン・バック・トゥ・チャイナ♪ 鹿取洋子
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
③|歌でふりかえる夜のヒットスタジオ②②年史(38) 1980年4月-6月(第595-607回)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0607回 1980(昭和55)年 6月30日(月) 吉田拓郎 ♪あの娘といい気分♪
                   吉田拓郎 ♪いつか夜の雨が♪
                   八代亜紀 ♪雨の慕情♪
                  シャネルズ ♪トゥナイト♪
                   田原俊彦 ♪哀愁でいと♪
                  河合奈保子 ♪大きな森の小さなお家♪
                   鹿取洋子 ♪ゴー・イン・バック・トゥ・チャイナ♪
 ┌─――――――――――――――――――――――――┐
④|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅵ(1980,4~1982,3)|
  └─――――――――――――――――――――――――┘◎フォーク界の第一人者として、フォーライフレコード設立、つま恋ライブの開催など邦楽史上に残る伝説の1シーンを作り続けた吉田拓郎が待望の初出演
 ┌─―――――――――――――――――――┐
⑤| 『夜のヒットスタジオ』 通算出演回数  |
  └─―――――――――――――――――――┘
 順 位 回 数   歌手名  出演期間 
‡第⑥位 158回 田原俊彦  1980(昭和55)年 6月30日(月)(第607回)~1990(平成二)年 9月19日(水)(第1130回)
‡第15位  87回 河合奈保子 1980(昭和55)年 6月30日(月)(第607回)~1990(平成二)年 6月27日(水)(第1118回)
 ┌─―――――――――――――――――┐
⑥| 田原俊彦の『夜のヒットスタジオ』 |
  └─―――――――――――――――――┘フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に初出演したのはデビュー9日後の●1980(昭和55)年 6月30日(月)放送の回[1]である。それ以降、原則月1回~2回のハイペースで出演を続け、番組終了 1990(平成二)年10月までの間に158回の出演回数を記録。番組が『夜のヒットスタジオDELUXE』と改題され、2時間枠に放送時間を拡大したのを機に新設されたマンスリーゲストにも歴代最多の3回 ⇒ ①:1985(昭和60)年 5月、②:1986(昭和61)年12月、:③1989(平成元)年 6月抜擢された。『教師びんびん物語』主演当時には教え子役の子役との共演ともに主題歌でもある『ごめんよ涙』を披露したり、座長公演の最中での出演時にはその舞台でのいでたちで番組に登場したり、渡辺貞夫・久保田利伸などとのセッションを行うなど、パフォーマンスを数多く番組内で披露した。レギュラー放送最終回である1990(平成二)年 9月19日(水)放送では、トリを任されスタジオを駆け回りながら♪ジャングル Jungle♪を熱唱したヨ(=^◇^=)
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/e0403f6b10d86c22e354bc36e1195d06
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/09fc14fdd037230ecda073ff983d08fe
 ③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/fc8721c9b9b35d5d57290993760c7a20
 ④http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/95084c871cd6e65a8f5c2086673cc67a
 ⑤http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA#.E9.80.9A.E7.AE.97.E5.87.BA.E6.BC.94.E5.9B.9E.E6.95.B0 ⑥http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8E%9F%E4%BF%8A%E5%BD%A6
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 ┌─―――――――――――――┐第0758回 1983(昭和58)年 5月30日(月)放送
 |『夜ヒット』今夜のエピソード|http://youtu.be/4x1CmCmFTEs
 └─―――――――――――――┘薬師丸ひろ子歌唱曲♪探偵物語♪ ⇒ http://video.fc2.com/content/20110714f7ztaPMY
♪オープニングメドレー♪:<裸のビーナス>薬師丸ひろ子 ⇒ <夏の扉>郷ひろみ ⇒ <ふられてBANZAI>松田聖子 ⇒ <私はピアノ>近藤真彦 ⇒ <夏に抱かれて>高田みづえ ⇒ <夜空>岩崎宏美 ⇒ <バラ色の月>五木ひろし ⇒ <バラ色の月>布施明
 ◎松田聖子 ⇒ 6/1~6/10までパリへ, 近藤真彦 ⇒ 6/6~6/23までハワイ、ラスベガス、アラスカへ, 郷ひろみ ⇒ 6/1~6/30までニューヨークへ, 五木ひろし ⇒ 6/1~6/22まで北京から西安、トルファン、ウルムチのシルクロードへ。ということは6月1日に松田聖子、郷ひろみ、五木ひろしが東京国際空港という名の成田空港でバッティングしたかもヨ(=^◇^=)
 ◎季節の風物としまして水槽の中の鮎が数匹登場、6月1日に解禁になるそうだヨ(=^◇^=)。英語でも鮎(ayu)というそうだと芳村

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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃
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 1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
 1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃
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 1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
 1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃
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 1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
 1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
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 http://blog.goo.ne.jp/resistance-k
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%87%BA%E6%BC%94%E6%AD%8C%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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「⑨〇〇回 緊張しました! 初登場編」
 第0900回 1986(昭和61)年 3月12日(水) 第⑨〇〇回突破☆\(=^◇^=)/☆
 第0249回 1973(昭和48)年 8月 6日(月) ♪ひとりっ子甘えっ子♪ 浅田美代子 (初出演)
 第0380回 1976(昭和51)年 2月16日(月) ♪僕の思い出さん♪ 桂三枝 (初)
 第0598回 1980(昭和55)年 4月28日(月) ♪裸足の季節♪ 松田聖子 (初出演)
‡第0607回 1980(昭和55)年 6月30日(月) ♪哀愁でいと♪ 田原俊彦 
‡第0607回 1980(昭和55)年 6月30日(月) ♪大きな森の小さなお家♪ 河合奈保子 (初出演)
‡第0607回 1980(昭和55)年 6月30日(月) ♪いつか夜の雨が♪あの娘といい気分♪ 吉田拓郎 (初出演)
 第0656回 1981(昭和56)年 6月 8日(月) ♪もしもピアノが弾けたなら♪ 西田敏行 (初出演)
 第0684回 1981(昭和56)年12月21日(月) ♪パーブリング・ブギ♪ 川崎黄金猫舎(※アニメーションでの登場)(初出演)
 第0603回 1980(昭和55)年 6月 2日(月) ♪ライディーン♪テクノポリス♪ YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)(初出演)
 第0818回 1984(昭和59)年 7月30日(月) ♪前略、道の上より♪ 一世風靡セピア (初出演)
 第0854回 1985(昭和60)年 4月17日(水) ♪一気!♪ とんねるず (初出演)
 第0862回 1985(昭和60)年 6月12日(水) ♪無理だ!(決定版)♪ 爆風スランプ 
 http://www.youtube.com/watch?v=zLfr_8tC4Lg

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