過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃ 『HERE'S LITTLE RICHARD』  ┃
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‡1955(昭和30)年09月14日(wed) Start recording
 1956(昭和31)年10月15日(mon)  End recording
 1957(昭和32)年03月XX日(mon) released
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Here%27s_Little_Richard
 https://music.amazon.co.jp/albums/B01L84OJOY
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 ビートルズ(The Beatles)が『アビーロード』の次のアルバムについて話し合う音声を発見!!
 2020(令和二)年10月01日(木)
‡2019(令和元)年09月14日(土) その音声データをビートルズの歴史研究作家マーク・ルウィソーンがガーディアン紙に公開したとのこと。令和元年の秋、話題になっていますね。この音声の存在は前から知られていたという話もありますが、これほど大々的に取り上げられるのは初めてじゃないでしょうか?いやー、驚きました。いままでのビートルズの解散通説がひっくり返る内容です。通説だと『アビーロード』が最後の作品と"覚悟"して制作されたことになっているのですが、この音声の内容を見る限り、そうじゃなかったのね。これまでにビートルズに関連する色んな書籍を読んできましたが、この内容に触れられているものはありませんでした。もしかすると、解散直前のビートルズストーリーが書き換えられる可能性もあるかもしれませんね。 読むのが面倒な方はYou Tubeでどうぞ
 https://liverpoolsumitai.com/13thalbum
 動画◆ビートルズのラストアルバム『アビーロード』の次の作品があった!?[リバプールに住みたい!] https://youtu.be/QcEqJviRY0E
 1969(昭和44)年09月08日(月) ロンドン・アップル本社ビル
 ◎ジョン、ポール、ジョージの3人の会話録音。リンゴは腸の検査で入院中
 ◎次回作の担当はジョン提案:ジョン4曲、ポール4曲、ジョージ4曲
 ◎ソングライターチーム:レノンマッカートニーの解消を提案+別々の名義にする提案
 ◎ポールのジョージ批判:『アビーロード』を作るまで、ジョージの曲はたいして良くないと思ってた
 ◎ジョンのポールの楽曲批判:♪MAXWELL'S SILCER HUNMMER♪バンドの誰一人として良い曲だと思っていない。メリーホプキンなんかの別の外部のパフォーマーに提供すべきだった
 ◎ポールはお気に入りだ。口喧嘩!
 1969(昭和44)年09月13日(土) ジョン、トロントでのイベントに参加 
 1969(昭和44)年09月20日(土) ジョン、ザ・ビートルズ脱退をメンバーに伝える
 

 映像◆The Beatles 1回限りのCM ①https://youtu.be/-0zjVnqRgHs
‡2009(平成21)年09月14日(月) OA 日本テレビ
 I Saw Her Standing There 
 If I Fell 
 In My Life 
 A Day In The Life 
 While My Guitar Gently Weeps 
 The Long And Winding Road
 

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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1960(昭和35)年09月14日(水) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (29日目)
②1961(昭和36)年09月14日(木) ライヴ演奏:リザーランド・タウン・ホール/リヴァプール
③1962(昭和37)年09月14日(金) ライヴ演奏:タワー・ボールルーム/ワラジー
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①1960(昭和35)年09月14日(水) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (29日目)
 平日の夜は、
 08:00pm~09:30pm
 10:00pm~11:00pm
 11:30pm~00:30am
 01:00am~02:00am 以上、4時間半の演奏良好だヨ(=^◇^=)
③1962(昭和37)年09月14日(金) ライヴ演奏:タワー・ボールルーム/ワラジー
 これはワラジー (Wallasey) のニュー・ブライトン (New Brighton) にあるタワー・ボールルーム (Tower Ballroom) へのビートルズの21回目の出演であった。これは「オペレーション・ビッグ・ビート V (Operation Big Beat V)」と名付けられ、プロモーターのサム・リーチ (Sam Leach) が主催した。ビートルズは1960年代の初期に、彼の主催する数多くのイベントに出演している。タワー・ボールルームはニュー・ブライトン遊歩道にあり、5000人の収容能力があった。ニュー・ブライトン・タワー (New Brighten Tower) は1900年にオープンし、567フィートのその高さはブラック・プール・タワー (Blackpool Tower) のそれを凌いだ。1000トンの鉄格子展望タワーはウィラル半島 (Wirral Peninsula) を見下ろし、完成時には英国随一の高層建築物であった。だがその運命は多難であった。第一次大戦中は閉鎖されていたが、その間に腐食が進み安全上の問題から再オープンは断念され、1919年~1921年の間に解体された。しかしタワーの土台部分の建物にあったボールルームは、50年近くに渡って利用されたが、1969年に火災により倒壊している。その跡地はリバー・ビュー・パーク (River View Park) として再開発されている。
 ビートルズはタワー・ボールルームに27回出演しているヨ(=^◇^=)
 1961(昭和36)年11月10日 24日
 1961(昭和36)年12月01日 08日 15日 26日
 1962(昭和37)年01月12日 19日 26日
 1962(昭和37)年02月15日 16日 23日
 1962(昭和37)年03月02日
 1962(昭和37)年04月06日
 1962(昭和37)年06月21日 29日
 1962(昭和37)年07月13日 21日 27日
 1962(昭和37)年08月17日
‡1962(昭和37)年09月14日 21日
 1962(昭和37)年10月12日
 1962(昭和37)年11月23日
 1962(昭和37)年12月01日 07日
 1963(昭和38)年06月14日
④ビートルズはメモリアル・ホールに6回出演している。
 1962年6月23日、9月15日、12月1日
‡1963年4月27日、7月06日、9月14日
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600817_live_indra1.html
  https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600818_live_indra2.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620621_live_Tower_Ballroom.html
  https://music.amazon.co.jp/albums/B00BKB6N3G
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620623_live_MemorialHall.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|September 14|257
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃| 9月14日 |
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‡1964(昭和39)年09月14日(月) ペンシルベニア州ピッツバーグ シビック・アリーナ公演)
 ★観客数12,603人 宿泊先は移動のためになし
 https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-64.html
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17125
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/009/0914.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(sun)17 March
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 "WHEN Carol Abell was 15 years old, she and two friends went to see The Beatles in concert at Peterborough's Embassy Theatre.... 
 By March 1963, when The Beatles came to The Embassy again, the group had had their first number one hit - Please, Please Me. 
 Carol said: "This time we went to the stage door before the show and told people working there we were in the fan club. 
 "They let us backstage and the group were in there practicing and drinking tea. John Lennon didn't say a great deal, but the other three were still very relaxed considering Beatle-mania had just struck. 
 "They had just bought a small record player but didn't have any records. So they paid for me to get a cab back to my house to pick up some of my records. 
 "We were really annoyed with ourselves afterwards that we didn't get any photos, but we didn't take a camera with us because we didn't expect to get so close to The Beatles again.""
‡Source:(tue)14 September 2004『Evening Telegraph』
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 http://www.multiplusbooks.com/630317.html
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
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 |1967(昭和42)年10月31日(火)|「愚か者」の正体とは?
 |2011(平成23)年10月31日(月)|甲虫日記更新日 No.097
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 写真◆映画撮影の途中、マジカル・ミステリー・バスの前でジョン・レノン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター=
  1967(昭和42)年9月14日(木)、Photo by David Redfern/Redferns
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1966(昭和41)年 9月14日(水)|「ジョージ、シタール修業のためインドへ」
 |2007(平成19)年 9月14日(金)|甲虫日記更新日 No.008
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1966年9月14日、口ひげを伸ばしたジョージ・ハリソンは妻パティ・ボイドを伴ってインドへ向かった。ビートルズは8月の米国ツアーを最後にライブバンドとしての活動に終止符を打つ。帰国すると、ジョンが映画「ジョン・レノンの僕の戦争」のロケでドイツ、スペインへ飛ぶなど、メンバーは単独活動を活発化させていた。
ハリソン夫妻はムンバイ(ボンベイ)のタージ・マハール・ホテルに「サム・ウェルズ夫妻」という偽名でチェック・インした。だが、新聞記者に身元を見破られてしまい、ジョージは、1000キロ近く離れたヒンドゥー教の聖地バラナシで、シタールの名手ラビ・シャンカールのレッスンを受けるためにインドへ来たことを仕方なく明かした。
シタールは9本の弦、稼働可能なフレット、下部の振動弦が備わったインドの弦楽器である。
ジョージがシタールに興味を持ったのは、前年の65年に制作された映画「ヘルプ」の撮影がきっかけだ。インドレストランで、インド人の楽団が演奏する中、男がスープの中に投げ込まれるギャグ・シーンがあるが、この撮影の合間に初めてシタールを手にとってみて「変な音がするな」と思ったらしい。
シタールを手に入れると、今度はラビの名前を何度も耳にするようになった。そしてザ・バーズのデヴィッド・クロスビーと話していてラビの名前を聞いたときには、即座にラビのレコードを買いに行った。
「ぼくの中のある部分が強く揺さぶられているのがわかった。ぼくの知性は理解していなかったんだけど、ぼくの残りの部分はなぜかそれと一体化していたという感じかな」。22歳。インド音楽に魅了される。
ビートルズが初めてシタールを採り入れたのは、65年12月に発表したアルバム「ラバー・ソウル」の収録曲「ノルウェーの森」だ。
しかし、シタールを入れようと言い出したのは作者のジョンだった。曲に彩りを添えるため、ジョージが持っていたシタールで「ディー、ディドリー、ディー」というフレーズを弾けないかと考え、実際にギターで「こんな風に」と弾いて見せた。
ジョージは「自信はないけど、何とかやってみるよ」と答えた。ジョンの期待に応えようと一生懸命に練習をしたのだろう。アルバム「アンソロジー2」に収録された初期の別テイクを聴くと、その自信のなさがつたない旋律とともに伝わってくる。
さて、ジョージが持ち前の探求心の強さを発揮するのは、ここからだった。
66年8月に発表されたアルバム「リボルバー」では、シタールのための初めての自作曲「ラヴ・ユー・トゥ」を発表する。シタールのほか打楽器タブラも採り入れ、インド音楽とロックを融合させた意欲作だ。「脱アイドル」の方向性を象徴する曲になった。
このころロンドンではちょっとしたシタールブームが起きていた。キンクスとヤードバーズがインド音楽に影響を受けたシングルを出し、ローリング・ストーンズはブライアン・ジョーンズが達者なシタール演奏をみせる「黒くぬれ」で、3枚目の英国ナンバーワンを獲得した。
ジョージがラビに初めて会ったのは、「リボルバー」の録音が最終段階に入った同年6月。場所はロンドンにある共通の知人宅だった。
ラビは、ジョージに、シタールの独学は愚行であるとただし、弟子入りをすすめた。そして、インド音楽の「言葉」にすんなりとけ込むために、インドを訪れ、生活のリズムを肌で感じるべきだとを主張した。
ジョージはラビの言葉に素直に従った。それまでジョンとポールに逐一指示を受ける不快さに常に耐えていたが、そうした忍耐とは明らかに違う謙虚な態度だった。
ハリソン夫妻はインドに約5週間滞在し、10月22日にロンドンに戻った。カシミールでハウスボートに宿泊したり、バラナシで宗教的な祭りを体験したりしてインドや東洋思想への興味を広げた。
この旅の成果は、67年6月発表のアルバム「サージェント・ペパー」に収録された「ウイズイン・ユー・ウイズアウト・ユー」で聴くことができる。シタールや打楽器タブラのほか、弓で弾くディルルーバ、琴に似た形のソードマンデル、弦楽器タンブーラといった「インド土産」がちりばめられている。
ジョンは「ジョージの最高傑作のひとつ」と率直に才能を認めた。
68年3月に発売したシングル盤「レディ・マドンナ」のB面「ジ・インナー・ライト」は、ジョージ初のシングル・リリース曲となった。インド人ミュージシャンでボーカル以外の全パートが録音されている。サイケ映画「ワンダーウォール」のサントラ盤であり、ジョージ初のソロ作品「不思議の壁」もインド音楽に取り組んだ成果といえる。
バンド解散後の71年には、ラビの頼みを受けて「バングラデシュ難民救済コンサート」を開催した。ラビの父の出身地がバングラデシュにあり、親類や友人が難民のなかにいた。
ラビはジョージの単なる音楽の師にとどまらず、信仰の指導者になり、父親代わりの存在にもなっていく。
 ◎お知らせ『不思議の壁』1992.6.24発売 EMIミュージック・ジャパン
 『ザ・ビートルズ/リメンバー』クラウス・フォアマン プロデュース・センター出版局 ビートルズの「リボルバー」のジャケット・デザインを手がけた、画家でありベーシストのクラウス・フォアマンのイラスト&エッセイ集「ザ・ビートルズ/リメンバー」が発売されました。著者はビートルズの初期時代からの知り合い。一緒に青春を過ごしてきた人物です。
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/070914.html
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 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
①┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1964(昭和39)年9月14日(月)
‡No.055(39) 1964-09-14(mon) Beatles / Pittsburgh, Pennsylvania (1 photo) The Beatles' press conference at Pittsburgh's Civic Arena. 
 Beatles Press Conference: Pittsburgh, 9/14/1964
②━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
‡1965(昭和40)年9月14日(火)
‡No.079(20) 1965-09-14(tue) Starr / Queen Charlotte Hospital, London (2 photos) Ringo talks with the press following the birth of his first son, Zak. 
 Ringo Starr Press Conference: Queen Charlotte Hospital 9/14/1965
Zak Starkey was born at Queen Charlotte Hospital in London, seven months after Ringo and Maureen's February wedding. The proud new Dad held a press conference and granted interviews on 
●September 14th with the ever-present press at the hospital.
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 http://www.beatlesinterviews.org/db1964.0914.beatles.html
 http://www.beatlesinterviews.org/db1965.0914.beatles.html
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 音源◆矢沢永吉(えーちゃん)ヒストリー②ビートルズにしびれた話  https://youtu.be/UL679B1ob0E?list=PL-x3yYkRpVgOyKxVbZzamg1j9u6ECLZYS
 
 ┏━━━━━━━━━━━━┓ BBC's radio
 ┃ 『SCENE AND HEARD』  ┃‡1967/09/14(thu)   rec.
 ┗━━━━━━━━━━━━┛ 1967/10/14(sat) trans. broadcast
                Ringo Talks with Miranda Ward 
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
 http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html http://www.webers-records.com/134_1420.html
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 ┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
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‡No.71 (sat)14 September 1963 Northwich, England, Memorial Hall 
  Note・・(mon)10 June 1963 から足掛け4ヶ月に渡る、THE BEATLESの演奏良好はTHE END.ですが、明日はイベント『THE GREAT POP PROM』に御出演されますヨ(=^◇^=)
  紫陽花色■The Beatles September 1963 Concert Programme (UK) £180.00 22:01 2017/03/18 An original concert programme from The Beatles performances in Worcester, Taunton, Luton and Croydon in September 1963. Other artists who appeared on the bill for these shows included Rockin’ Henri & The Hayseeds, Fourmost and Mike Berry & The Innocents. The pink programme has 4 pages and measures 18cm x 24cm (7 inches x 9.5 inches). There is some wear to the cover and a crease in the lower right corner. Condition is very good.
  https://www.tracks.co.uk/product/b23711-the-beatles-september-1963-concert-programme-uk/
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 ┃ Summer 1964 United States & Canada Tour ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.21 (mon)14 September 1964 Pittsburgh, United States, Civic Arena 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┃ Lost Weekend 失われた週末は本当に失われていたのか・・・  ┃2012(平成24)年2月11日(sat)  
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛テーマ:ビートルズ
 1974(昭和49)年9月 74年はビートルズのアメリカ上陸から10年にあたります。この年キャピトルはビートルズに脚光を当てたキャンペーンを行なっていました。そんな中、元ビートルズのジョンのニュー・アルバムが発売されるとあって、キャピトルは最大限のプロモーションを行うことになります。題して「この~を聴け(Listen To This ~)」というキャンペーンでListen To This ~というコピーが上段、中段にはジョンの目許の写真、下段には「ジョン・レノン 心の壁、愛の橋」の文字というデザインが様々な場所に描かれました。「この~を聴けの」の~には媒体に合せ”ポスターを聴け”や”雑誌を聴け”、”バスを聴け”(バスの車体広告)、”Tシャツを聴け”といった具合です。TVコマーシャルも作られ、リンゴ・スターが出演、このお礼としてジョンは『グッド・ナイト・ウィーン』のTVCMに出演します。
‡1974(昭和49)年9月14日”ジョン・レノンなんて全然革命的じゃない。奴は呆れかえる程の大馬鹿、白痴だ。ただ革命、革命って叫んでるだけで、行動ときたら・・・・だもんな。人の気も考えて欲しいよ。皆あいつには気分が悪いんだよ。”メロディ・メーカー誌によるトッド・ラングレンのインタビューより。
 1974(昭和49)年9月『ヌートピア宣言』発売の際に貴重な忠告をくれたトニー・キングをアメリカに呼び寄せます。そしてリンゴとともにEMI/キャピトルのCEOバスカー・メノンに手紙を書きキャピトル内に立派なオフィスを設けさせます。ジョンは信頼していたキャピトル副社長でヒットを探す達人アル・コーリー、トニー・キング、メイ・パンを集めアルバムからのシングル・カット曲を検討します。最有力候補「夢の夢」をはじめ「予期せぬ驚き」から「ようこそレノン夫人」まで候補に挙げられますが最終的にアルが選んだ「真夜中を突っ走れ」に決定されます。ジョンはこの曲のヒットに半信半疑でしたが、結果はアルの耳の正しさが照明されることとなります。
 1974(昭和49)年9月メイ・パンは第1回ビートルズ・コンベンションに赴きます。『トゥー・バージンズ』がこれ以上市場に出回らないように買い占めるようにジョンから頼まれていたメイ・パンは会場でドイツの写真かユルゲン・フォルマーによる61年にハンブルグで撮られた写真を見つけます。ジョンにそのことを電話で報告すると旧知であるユルゲンにぜひとも会いたいということになり後日ユルゲンは当時の写真を持ってアパートに訪れます。『ロックン・ロール』のジャケ写はこうして決まったというわけです。
この再会の後メイ・パンと知り合いのレストラン・オーナー、リチャード・ロスのが所有するNY州エレンビルにあるロッジでジョンとメイ・パンは休暇をすごすことにしました。気持ちのいい秋の日ジョンはお気に入りのアイリッシュ・ニット・セーターを着てリチャードの飼い犬を連れ山道を散歩します。前を歩くジョンに声をかけ振り向いた瞬間を、メイ・パンが写真に撮ります。この写真を気に入ったジョンは75年10月24日(メイ・パンの誕生日)にイギリスで「イマジン」のシングルが発売される際にジャケ写として使用しています。
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 http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11161734029.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ON_THE_ROAD_2011_%22The_Last_Weekend%22_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
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 映像◆ビートルズ ♪ヘイ・ジュード(HEY JUDE)♪
 1968(昭和43)年7月31日(水) 録音 トライデント・スタジオ
 1968(昭和43)年8月 2日(金) 録音 トライデント・スタジオ
 1968(昭和43)年8月26日(月) アメリカ リリース
 1968(昭和43)年8月30日(金) イギリス リリース
 1968(昭和43)年9月14日(土) 日  本 リリース
 アニメ◆動画:ビートルズ ♪ヘイ・ジュード(HEY JUDE)♪
 ダイジェスト◆動画:ビートルズ ♪ヘイ・ジュード(HEY JUDE)♪
 静止画◆動画:ビートルズ ♪ヘイ・ジュード(HEY JUDE)♪
 映像◆レアビデオ・ビートルズHey Jude レコーディングの様子The Beatles  https://youtu.be/w5mgyJbhmp8
 
 公式映像◆矢沢永吉が熱唱!HeyJude(ヘイジュード)【公式】  https://youtu.be/KJPB_F_O8K4
 2013/09/08(sun)公開 矢沢永吉さんが「ヘイジュード」を熱唱するプレモルの新CMです。
 
 公式映像◆Hey Jude by E.YAZAWA メイキングムービー  https://youtu.be/7Z_ig0svGg4
 2013/09/08(sun)公開 矢沢永吉さんが「ヘイジュード」を熱唱するプレモルの新CM「Hey Jude by E.YAZAWA」のメイキングムービーです。
 
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 ┃ ザ・ビートルズ 日本 シングル リリース ┃
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 35.1968(昭和43)年01月10日(水) 1 \370 ♪ハロー・グッドバイ♪/♪アイ・アム・ザ・ウォルラス♪
 36.1968(昭和43)年04月21日(日) 2 \370 ♪レディ・マドンナ♪/♪ジ・インナー・ライト♪ ※\370最後のレコード
‡37.1968(昭和43)年09月14日(土) 3 \400 ♪ヘイ・ジュード♪/♪レボリューション♪ ※\400最初のレコード
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 http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/single/single.html
 シングル写真一蘭◆http://d.hatena.ne.jp/hideaway_juju/20120717/1342515521
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81
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2013(平成25)年9月14日土曜日ポール・マッカートニー 「徹子の部屋」で「ハーイ!トットちゃん!」 
テレビ番組「徹子の部屋」の2013年9月13日放送回のゲストは音楽評論家・作詞家の湯川れい子さんでした。昨今はポール来日公演の事情通として注目を集めています。番組中でポール・マッカートニーへのインタビュー映像が放送されました。ポールが覚えている日本語は「こんにちは、おはよう、オッス」だそうです。
「当時は若かった」(黒柳徹子・談)湯川れい子さんがビートルズ来日時にホテルに潜入した時の話が興味深かったです。「日本武道館」と記載された腕章(ビートルズが興味を持ったらしい)を届けることを口実にカメラを持って単身乗り込んで、リンゴ・スターとのツーショット写真を撮りました。その場はポール・マッカートニーが仕切り、ジョージ・ハリスンが撮影したそうです。
黒柳徹子さんは自身も参加したビートルズ日本公演について以下のように語っていました。
「イヤー」という女性の叫び声と、リンゴ・スターのドゥンドゥンという体に響くドラム以外、何も音が聞こえなかった 
しゃがんでおしっこもらしちゃっている子なんかもいた。阿鼻叫喚とはああいうこと。 
ビートルズ日本公演については「うるさくて何も聞こえなかった」という人と「静かで演奏がよく聞こえた」という両方の証言をする人がいるのが長らく謎になっています。
ポールへのインタビューは後日文字に書き起こして公表されるようです。 
http://blog.kouchu.info/2013/09/Tetsuko-Paul.html

G・ハリスンさんのギター、5000万円=関心高く高額落札-英
2018(平成30)年/09/14(金)-06:27
【ロンドン時事】元ビートルズの故ジョージ・ハリスンさんが演奏で使用したギターが13日までに英国で競売に掛けられ、約34万7000ポンド(約5100万円)の高額で落札された。ビートルズファンからの関心も高かった。
このギターは1963年夏、ビートルズが地元リバプールの伝説的なナイトクラブ「キャバーンクラブ」などでライブ演奏した際にハリスンさんが使用した。
写真◆英国で競売に掛けられた元ビートルズのジョージ・ハリスンさん(右)のギター。写真は1963年夏、リバプールの「キャバーンクラブ」で撮影された。(競売商ガーディナー・フルゲート提供)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018091400190

 

 ビートルズの絵が20年間ベッドの下に隠されてしまった方法
 2012(平成24)年09月07日 デビッド・ウォルマン
 おそらく、ファブ・フォーのそれぞれによって作成され署名された唯一の芸術作品である「Images of a Woman」は、1989年に日本のコレクターによって購入され、来週オークションにかけられます。
フィリップワイスオークション
1966年に東京ヒルトンで封鎖されそうになったとき、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴは「女性のイメージ」を描きました。ファブフォーは、有名な相撲会場の武道館で3つのショーを行うために日本にいました。しかし、地方自治体はビートルマニアに圧倒されていたため、イギリス人は演奏していないときはいつでもホテルに足を踏み入れなければなりませんでした。
ツアーを記録していた写真家のロバート・ウィタカーによると、バンドマネージャーのブライアン・エプスタインは、時間を過ごすのに役立つたくさんの画材を持ってきました。それからエプスタインはテーブルの上に大きな帆布を置き、真ん中にランプを置きました。グループの各メンバーは、コーナーのペイントに取り掛かりました。リンゴはコミックストリッピー、ジョンはサイケデリックスです。ウィテカーは後に、「彼らが落ち着いていて、今よりも満足しているのを見たことがない。彼らは立ち止まって、コンサートに行って、それから 『写真に戻りましょう!』だった」とコメントした。 -音楽史上最も電気的な世界ツアーの1つでの休息のように。
飼い犬の太郎はベッドの下に横になって暑さから逃れることが多いことに気づき、箱入りの絵を保管するのに良い場所だと考えました。
日本を離れる前に、ビートルズはランプが立っていた空白の円の中で彼らの名前に署名しました。それは、彼らが一緒に作った世界で数少ない絵画の1つであり、彼ら全員が署名した唯一の絵画であると言われています。少年たちは、東京のビートルズファンクラブのエンターテインメント業界の幹部兼会長である下山哲三郎に絵を渡した。下山さんが亡くなった後、妻はビートルズのグッズ専門の記念品店を開き、1989年に「女性のイメージ」を競売にかけました。
ビートルズがブダコンで演奏したとき、西野隆夫はわずか16歳でした。行きたかったのですが、当時大阪の学生でお金がありませんでした。 「私の友人の3人が行って、彼らは私にプログラムを持ってきました」と彼は最近私に言いました。当時の彼のお気に入りの曲は「シー・ラヴズ・ユー」でした。これは彼が初めて聞いたビートルズの曲であり、単に彼の心を驚かせたからです。その後、「In My Life」、「メロディーが大好き。20歳の時、歌詞で識別できると感じた」、そして「A Day intheLife」が西野に際立っていた。ジョンとポールの両方のクリエイティブなスタンプが付いています。
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西野はその後、盛んなレコード店事業の経営者となり、1989年には「Images of a Woman」に約28万ドル(現在は約50万ドル)を支払った。それは多額でしたが、西野氏は、それは気になる出費ではなかったと言います。とにかく、妻にわざわざ話すのに十分ではありませんでした。 「私はたくさんのお金を持っていました」と彼は笑いながら言います。 「それはバブルでした。」その上、絵はそれだけの価値がありました:「私はそれのようなもの、特にそれらすべてのサイケデリックカラーを見たことがありませんでした。」彼はそれが不思議な団結を明らかにすると信じています:4人の個人によって構成されたまとまりのあるイメージ。 「その意味で、真のコラボレーション作品として 『A Day in the Life』に勝ると思います」と彼は言う。彼の好きな部分は? 「リンゴの角はただ美しい。ジョージの角は変だ。私にはよくわからない。」西野の居間の壁には、3年間「女性のイメージ」が飾られていた。しかし、ウォーホルの大型リトグラフを多数購入した後は、すべてを収容するのに十分な壁のスペースがありませんでした。 「買った時、手入れが行き届いていないことに気づきました」と西野さん。 「長期的には、日本の夏の暑さと湿度が悪くなるので、この5,000ドルの湿度管理されたフレームを購入しました。」飼い犬の太郎は、ベッドの下に横になって暑さから逃れることが多いことに気づき、箱入りの絵を保管するのに適した場所だと考えました。
イエローサブマリンの映画の魔法
何年にもわたって、西野はそれを時々日本のテレビ局に貸して話をしていましたが、彼はいつも仮名でそうしていました。 「そんなに秘密にするつもりはなかったが、セキュリティが心配だった」と彼は言う。 2002年に、彼はそれをeBayで販売しようとしましたが、購入者が盗まれたIDを使用していることが判明したため、取引は失敗に終わりました。バンド結成から50年を経た今、西野は
‡2012(平成24)年09月14日のオークションで本物の絵を手放している。 「もともと、日本の文化遺産として保存するのが一番だと思っていました。46年もの間、日本の土壌を離れることはありませんでした。しかし、ビートルズの現象は世界的なものであり続けています」と彼は言います。
 https://www.theatlantic.com/entertainment/archive/2012/09/how-a-painting-by-the-beatles-ended-up-stashed-under-a-bed-for-20-years/262034/

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