過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)

 

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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1976(昭和51)年02月04日(水)中村紘子
②1977(昭和52)年02月04日(金)武満徹
③1980(昭和55)年02月04日(月)嵯峨善兵
④1981(昭和56)年02月04日(水)南美江
⑤1982(昭和57)年02月04日(木)井上ひさし
⑥1983(昭和58)年02月04日(金)早乙女勝元
⑦1985(昭和60)年02月04日(月)西村晃
⑧1986(昭和61)年02月04日(火)大地真央
⑨1987(昭和62)年02月04日(水)明石家さんま
⑩1988(昭和63)年02月04日(木)池乃久里子
⑪1991(平成三)年02月04日(月)小沢昭一
⑫1992(平成四)年02月04日(火)C・W・ニコル
⑬1993(平成五)年02月04日(木)石井苗子
⑭1994(平成六)年02月04日(金)キリ・テ・カナワ
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑮1997(平成九)年02月04日(火)淀川長治
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
⑯1998(平成十)年02月04日(水)岩下志麻
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 2月 4日(月) 乙武洋匡 |第回
 └─―――――――――――――――――┘http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-2-4.html
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 |2003(平成15)年 2月 4日(火) 中澤裕子 |第回
 └─―――――――――――――――――┘
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-2-4.html
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 |2008(平成20)年 2月 4日(月) 森 光子 |第回
 └─―――――――――――――――――┘「73年の芸歴支える生活術は?」「徹子の部屋」は今日から放送開始から33年目に入る。芸歴73年になる森光子さんがお祝いの花束を持参して登場!今年88歳になる森さんは、現在も舞台「放浪記」で主役を務める。毎日の舞台では芝居の中で、本当にお芋とご飯を食べるシーンがあるので、ほぼ毎日同じ時間に食べることになる。実際に食べながらの芝居、これからも元気に舞台を努めるため、必死のスクワット運動など体力作りはもちろん丁寧な歯磨きも欠かせないと語る。
「放浪記」1月7日~3月30日すでに完売しております。悪しからず。
お問合せ:東宝演劇総合サイトホームページhttp://www.tohostage.com/
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/080204.html
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 |2009(平成21)年 2月 4日(水) 爆笑問題 |第回
 └─―――――――――――――――――┘「黒柳のお宝映像に大興奮…」人気漫才コンビの爆笑問題を迎える。テレビ朝日開局50周年weekに因み、今日もテレビ朝日の蔵出し映像を大放出! 今から15年前、“新星”として勝ち抜きネタ番組に出演した爆笑問題。懐かしの映像を見て2人の反応は…!?一方、今から約40年前、黒柳が出演したTVドラマ「鬼退治」もお披露目。テレビ女優時代の黒柳の映像にご期待を!爆笑問題と黒柳。遠慮のない3人の笑いのキャッチボールはまるで漫才トリオ!?
★ テレビ朝日開局50周年記念 50時間テレビ
雑学王スペシャル 2月4日(水)19:00~(第1部)、23:15~ (第2部) ※一部地域を除く
雑学王スペシャル(第1部) 「雑学の50年に挑戦!史上最強の芸能人№1決定戦!!」
※「今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王」 毎週水曜よる8時~8時54分 放送中★ 番組でご紹介したDVD「2008漫才 爆笑問題のツーショット」
※ 「20周年記念エディション」 価格:\5,250(税込)発売中 特典映像がつきます【特典映像内容】 舞台裏の爆笑問題に密着!
※ 「通常版」 価格:\3,990(税込)発売中 発売元:コンテンツリーグ/ビクターエンタテインメント
★「爆笑問題の検索ちゃん」 毎週金曜24:45~25:15放送 (一部地域を除きます)  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/090204.html
 http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=223914/

 2009年2月4日(水) 13:20~13:55 tv asahi 放送
 2009年2月9日(月) 19:00~19:30 BS朝日 再放送
 ゲスト:爆笑問題「黒柳のお宝映像に大興奮...」人気漫才コンビの爆笑問題を迎える。テレビ朝日開局50周年weekに因み、今日もテレビ朝日の蔵出し映像を大放出! 今から15年前、"新星"として勝ち抜きネタ番組に出演した爆笑問題。懐かしの映像を見て2人の反応は...!?一方、今から約40年前、黒柳が出演したTVドラマ「鬼退治」もお披露目。テレビ女優時代の黒柳の映像にご期待を!爆笑問題と黒柳。遠慮のない3人の笑いのキャッチボールはまるで漫才トリオ!?
 http://bakushoumondai.com/database/tv/000627.html
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 |2009(平成21)年 2月 4日(水)|放送34年目突入&テレビ朝日開局50周年記念3日目
 └─――――――――――――┘2009年2月4日は爆笑問題が出演した『GAHAHAキング爆笑王決定戦』の映像と黒柳が出演したドラマの映像を放送
  備考・・・2009年2月2日から2月6日までは、放送34年目突入とテレビ朝日開局50周年を記念し、その日に放送される『50時間テレビ』の出演者などが出演。2日は『Qさま』からさまぁ~ずと優香。3日は『ロンドンハーツ』からロンドンブーツ1号2号。4日は『クイズ雑学王』から爆笑問題。5日は『いきなり!黄金伝説。』からココリコ。6日は『スーパーJチャンネル』から小宮悦子が出演
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B#.E8.8A.B8.E8.83.BD.E4.BA.BA.E9.96.A2.E4.BF.82
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 |2010(平成22)年 2月 4日(木) 大竹まこと |第回
 └─――――――――――――――――――┘「超秘蔵映像(1)嵐寛寿郎・岩下志麻ほか」「35年目突入ウィーク」4日目の今日は、これまでの貴重な蔵出し映像集を「秘蔵ライブラリー」と題して放送する。様々なジャンルで活躍するゲストたちが明かした『徹子の部屋』ならではの名言を、大竹まことさんと振り返る。今日は女優の岩下志麻さん、俳優の嵐寛寿郎さん、漫画家の赤塚不二夫さん、冒険家の植村直己さんなど多彩な顔ぶれが! 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/100204.html
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 ┃ 『徹子の部屋』秘蔵ライブラリー ┃|2010(平成22)年 2月 4日(木) 第1回|
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛└─―――――――――――――――┘放送35年目を迎える2010年から過去に放送された著名人とのトークの映像をVTRにまとめて特別企画として放送(名前の五十音順で構成)。スタジオゲストは大竹まこと。 
 嵐寛寿郎、淡谷のり子、新珠三千代、赤塚不二夫、市川房枝、岩下志麻、植村直己、植木等 
 当番組で放送された映像のうち番組初期のものについては、当時の放送用VTRが機器・テープとも高価だった上、著作権法等の縛りで番組の資料保存も安易に行えなかった事情から、大半が現存していない(現存するものは黒柳自身が個人的に家庭用ビデオデッキで録画し保存していたもの。画質は余り良くない)ものの、番組出演時のスチール写真と音声を収録したカセットテープについては保存されているという[1]。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B#cite_note-1
 ゲストもタレント・俳優・女優・歌手・お笑いタレント・作家・政治家など幅広く、テレビ朝日の情報・報道番組で著名人の訃報が伝えられる際、ニュース映像に故人が当番組に出演した際の映像が必ずと言って良い程使用されているヨ(=^◇^=)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B#.E7.95.AA.E7.B5.84.E6.A6.82.E8.A6.81
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 |2011(平成23)年 2月 4日(金) 野際陽子 真瀬樹里|第8905回
 └─―――――――――――――――――――――┘「親子で初登場! 愛娘が語る野際陽子」“スペシャルウィーク”の最終日は野際陽子さんが女優で娘の真瀬樹里さんと登場する。樹里さんは番組が始まった1976年の前の年に誕生。50年来の友人である黒柳に樹里さんの成長ぶりを報告するため数多くの出演をしてくれた野際さん。すっかり母の表情で子育てを語る野際さんの映像に、樹里さんの反応は? 娘が語る母の意外な素顔とは?
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/110204.html
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 |2013(平成25)年 2月 4日(月) 浜 木綿子 |第9411回
 └─――――――――――――――――――┘「息子の歌舞伎界入りに母の胸中は」 今日から「徹子の部屋」は38年目に突入!記念すべき日のゲストは、女優の浜木綿子さん。今年で芸歴60周年を迎えた浜さん。宝塚の娘役トップとして活躍した浜さんが、今日の記念になんと!黒柳と共に“♪すみれの花咲く頃”を歌ってくれる。また昨年、一昨年と浜さんの周囲では様々な出来事があった。息子で俳優の香川照之さんが孫と共に、歌舞伎界入りを発表。「この船に乗らないわけにはいかない」と襲名会見で語った息子に母としての複雑な心境を語る。
☆舞台「人生は、ガタゴト列車に乗って・・・・・」
3月28日(木)~4月7日(日)北千住・シアター1010(センジュ) 
《問い合わせ》シアター1010チケットセンター 03-5244-1011
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130204.html
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 |2014(平成26)年 2月 4日(火) 司 葉子 |第9666回
 └─―――――――――――――――――┘「94歳…現役弁護士の夫と2歳の孫」
記念週の2日目を飾るのは、女優の司葉子さん。38年前、番組の一回目を飾った森繁久彌さんとは数多く共演を繰り返した仲である。初回のため緊張する黒柳に粋な気遣いで励ました森繁さんの貴重映像を披露する。司さんの夫・相沢英之さんは94歳の今も現役弁護士として活躍する。今日は、司さんの母親としての素顔を、医者である息子が厳しく採点!? 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/140204.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2015(平成27)年 2月 4日(水) 山中伸弥 |第09895回 ※解説放送
 └─―――――――――――――――――┘「初登場!黒柳が“ラブ”のお方・・・意外な素顔を」iPS細胞の作製に成功し、ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんが「徹子の部屋」に初登場! 実は黒柳は山中先生が大好き! それは、山中先生の○○が好きだから・・・一体何が? 学生時代は、柔道、ラグビーを、そして今は、マラソンをするなどスポーツマンである山中先生、ノーベル賞受賞までの挫折の日々など、知られざる素顔を明かす。また、山中先生の小学校の卒業文集を紹介。小学6年生とは思えない文章に、黒柳も感嘆の声を・・・。 
☆京都大学iPS細胞研究基金について
・資料請求のみ TEL 0120-80-8748
・基金について詳しい情報を知りたい方は TEL 075-366-7152

 本人が語る「徹子の部屋」の40年!「仕事の辞めどきはマッチが」
 2015(平成27)年 2月2日(月)19時2分『webザテレビジョン』配信 
「毎回、どんなお話だろう? どんなお洋服着ていらっしゃるだろう?と、いろいろ考えながら現場に来るんですよ」と黒柳/(C)テレビ朝日 
2月2日で放送開始から40年目に突入した長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)。この大きな節目に、司会の黒柳徹子がインタビューに応じ、「いちばんの収穫は、私も仕事を頑張って続けていってもいいのかな、と思えたこと」と意外な感慨を明かした。
【写真を見る】2月4日(水)の放送では、黒柳徹子が山中伸弥教授と念願の対面!
長きにわたり、延べ1万人近いゲストを迎えてきた黒柳だが、「徹子の部屋」を始めたきっかけは「自分の子供に上手に絵本をあげられるお母さんになりたいと思ってNHKを受けたら、テレビ女優第1号として受かっちゃったから始めたようなものなんです」と明かす。「だからいつも、本当に望んで就いたんじゃない仕事は、続けちゃいけないんじゃないかと思っていた」というが、「徹子の部屋」を通じて、生きるために偶然俳優となって努力を続けている人が多いことを知り、自分も続けていいのかもと思えたそう。「人生なるようになっていくというか、誰かが糸を引いているように、開けていくものなんですよね」 黒柳はかねてから、90歳過ぎ、50周年までは「徹子の部屋」を続けたいと公言している。「それまで頭がハッキリしていないといけないのですけれどね。いよいよセリフが出なくなったり、頭が働かなくなったりしても、皆さんは『仕事辞めたら?』って言いにくいでしょうから、それは近藤真彦さんが言ってくれることになっているんです。でも最近、マッチの方が『それまで俺、生きてるかな』って言うんですよ(笑)」40年目も衰えを知らない黒柳の好奇心と話術で、ゲストの秘話を引き出し続ける「徹子の部屋」。40年目突入ウイークである今週は、3(火)に永六輔とピーコ、5(木)に美輪明宏、6(金)に萩本欽一と豪華ゲストをラインナップ。4(水)には黒柳の“あこがれの人”山中伸弥教授が登場するほか、夜7.00-8.54には「出張!徹子の部屋」第8弾を。市村正親、マツコ・デラックスとの食べ歩き企画などを放送する。
インタビュー全文は、発売中の「週刊ザテレビジョン」第5号に掲載。
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20150204.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2016(平成28)年 2月 4日(木) 永六輔 大橋巨泉|第10176回
 └─――――――――――――――――――――┘「テレビ初!ラジオの巨人vsテレビの巨人vs黒柳!」「40周年突入ウィーク」4日目のゲストは、ラジオの巨人こと永六輔さん、テレビの巨人こと大橋巨泉さん。実はこのお2人60年以上前からの友人。永さんは現在パーキンソン病と闘いながらのラジオ出演を続けている。一時は引退も考えたが大橋さんや友人の励ましで続ける決意をしたという。大橋さんは昨年がんの手術後、腸閉塞を患い体重が一時は48キロまで激減。本来ならテレビ出演も辞退するところだったが「永さんと黒柳さんのお呼びとあれば!」とお祝いに駆けつけてくれた。 
☆パンダの和菓子を作って頂いたお店 引網 香月堂 富山県高岡市にあります
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20160204.html
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 |2019(平成31)年02月04日(月) 酒井和歌子 |
 └─――――――――――――――――――┘「今年70歳に!誰もが驚く若さの秘密は」
今年古希を迎える女優の酒井和歌子さんが、変わらぬ若さで登場。20年前に父親を亡くして以来、最愛の母と暮らしながら2人で世界各国を旅した。北極や南極で撮った冒険心溢れる母娘の写真を披露する。母は90歳を過ぎても元気だったが、昨年9月にこの世を去った。今日は現在の心境とともに、かつて「乳がん」を患っていた事実をテレビで初めて明かす。 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190204.html
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 |2020(令和二)年02月04日(火) 落合博満 妻:信子 |
 └─―――――――――――――――――――――┘「三冠王」と「モーレツ母ちゃん」が15年ぶりに…」※解説放送
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20200204.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
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 |2021(令和二)年02月04日(木) 泉ピン子 |
 |              坂本冬美 |
 └─―――――――――――――――――┘「20歳差の意外な「大親友」!」※解説放送
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20210204.html
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 |2022(令和四)年02月04日(金) 岸惠子 草笛光子|
 └─――――――――――――――――――――┘「女学校時代からの親友同士が豪華競演!!」※解説放送
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20220204.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B
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 ┃ 『徹子の部屋』過去のお知らせ ┃No.009
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛Since 2014.3.24(mon)
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 |2015(平成27)年 1月29日(木)|情報配信
‡|2015(平成27)年 2月 4日(水)|19:00~20:54 40年突入記念!出張!徹子の部屋パート8 
 └─――――――――――――┘       夢トークお宝映像SP
「徹子の部屋」は、今年の2月2日で、何と40年目に突入!それを記念し、大好評の特番「出張!徹子の部屋」の第8弾をお届けします♪マツコ・デラックス食べ歩き!スペシャルゲスト・市村正親も合流!!更に、アスリート軍団と次々に「徹子の部屋」!?このほか、放送開始40年目を記念した豪華ゲストの方々からのサプライズメッセージも!どうぞ、お楽しみに!!
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/news/0009/index.html
 徹子の部屋 本人が語る40年!「仕事の辞めどきはマッチが」http://youtu.be/_wdljKln-Vs
 2015(平成27)年 2月2日で放送開始から40年目に突入した長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日-系)。この大きな節目に、司会の黒柳徹子がインタビューに応じ、「いちばんの収穫は、-私も仕事を頑張って続けていってもいいのかな、と思えたこと」と意外な感慨を明かした-。長きにわたり、延べ1万人近いゲストを迎えてきた黒柳だが、「徹子の部屋」を始めたき-っかけは「自分の子供に上手に絵本をあげられるお母さんになりたいと思ってNHKを受-けたら、テレビ女優第1号として受かっちゃったから始めたようなものなんです」と明か-す。「だからいつも、本当に望んで就いたんじゃない仕事は、続けちゃいけないんじゃな-いかと思っていた」というが、「徹子の部屋」を通じて、生きるために偶然俳優となって-努力を続けている人が多いことを知り、自分も続けていいのかもと思えたそう。「人生な-るようになっていくというか、誰かが糸を引いているように、開けていくものなんですよ-ね」
(C)テレビ朝日引用元:webザテレビジョン
 
 
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 2月 4日(月) 乙武洋匡 |第回
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黒柳「この前に来ていただいたときは学生さん。早稲田の3年生。あの時はまだ有名って言うかねえ~」
乙武≪そうですね本を出しましたって言うときだったのであれからテレビにも出さしていただきましたし、雑誌にも新聞にも取り上げてもらいましたしなんだか≫
「そうなんです”五体不満足”という本をお出しになりましてベストセラーになりまして何百万部?」
≪500万部ぐらい≫
「外国にも翻訳されて英語版、フランス、ドイツ、イタリア、韓国タイ、台湾ぐらいですか」≪はい≫
「そういう意味ではフランスへいらっしゃってフランスでもインタビューされてただあの本をお書きになってみんなとってもすばらしいことだって知ったんですけど書いたことは誤算じゃないかってテレビでおっしゃってましたよね。どういうことで」
≪やっぱりね僕のメッセージを伝えたいということではあるんですけど予想以上に多くの方に読んでもらってしまったために自分自身の立場とか環境が思わぬほうに持っていかれたためにさすがに戸惑ってしまったという部分がありましたね≫
「みんなはあの本から勇気を教えてもらったりしたんだけどあなた自身としては不便ではあるけど不幸ではないといつもおっしゃってる。みんなもいいと思ったんだけど以上にみんなが聞くことはフランスにいらっしゃっても結局聞くことは同じことの繰り返しなんですって」
≪そうですね”その生きるパワーはどこからくるんですか”とか”お母様がすばらしい”とか、”なぜそんな笑顔でいられるんですか”とか”今までで一番困ったことはなんですか”とかどの方も判を押したように同じことを聞くので日本でもそうですし他の国でもそうですし何百回と同じインタビューをしていただいたんでさすがにへきへきしましたね(笑顔で)≫
「毎回違う答えをしようとしてもあまりにも数が多いと疲れますし、結婚となると相手の方のとこまで押しかけられると」
≪大変でしたね自分自身はメディアに出ている立場なので覚悟はしていたんですが妻のほうは普通に学生生活を送っていて彼女の方にインタビューがいったり彼女の実家のほうにもいったりしたことがあったのであれは参りましたね≫
「あの本をお書きになった後なんですけどいっしょに歩いてらっしゃたら女子高校生があなたたちを取り囲んじゃったら彼女が後ろづさりしてみんながいなくなってみたら泣いてたんですって」
≪やっぱりねパートナーがいきなり注目される存在になったということで僕自身も戸惑いはありましたけど彼女自身も戸惑いがあったんでしょうね≫
「長くお付き合いされて学校のときの後輩?ですから長くお付き合いされてきたのにこれから先どうなっちゃうのだろうって。でご結婚なさったんですけどとても素敵な日に入籍なされたのね」
≪はい。ぼくらが入籍に選んだ日は新月といいましてよく満月というのは聞くと思うんですけど月がだんだん満ちていって満ちた常態を満月、でどんどん欠けていって見えなくなった状態を新月というんですけどだいたい30日に1日あって昔の人はこれから何か始めるときに月がだんだん満ちていくという意味でこの日に始めると上手くいくと信じてたみたいですね。でそのことを前に聞いていたので何とかこの日にと。たまたま彼女の大学の卒業式の日と重なったのでその日にしようかなっと≫
「まあいいわね。まあそれでご結婚されてこれもマスコミにとりあげられて大変だったと思うんですけどあなたの書かれた本を読んだら奥様という方は”別に”ってあっさりした人だって」
≪そうですね≫
「そこがとっても良かったんですって。”ふ~ん別にいいよ”って」
≪そうですね僕の仕事になんかも口を出すほうでもないですし割と自分の世界をもっている人なんでお互いべったりというわけでもないですし良い関係が築けているのかなっと≫
「仕事はしてらっしゃらないんですけどあなたの仕事が上手くいくようにバックアップしてらっしゃるそうなんですけど、いつも笑ってる僕なんだぞ・いつも元気な僕なんだぞっと思われることが五体不満足をお書きになった最大の誤算の1つだと」
≪そうですね書いたものをご覧になった方にはすごくいつも元気で明るい乙武君っていうイメージを持たれていると思うんですけど彼女の場合は僕が本を出す前から付き合いはありましたし僕の弱い部分やかっこ悪い部分をしってますしそういう部分では”素”をだせますし楽ですね。≫
「うちに帰るとほっとしますし楽ですね。あなたが弱音を吐くとメールなんかで”あなたが弱音を吐いてどうするんだ”ってくるんですって」
≪ホームページ宛によくそんなメールもいただくんですけどやはり自分も弱音を吐きたくなるときもありますし≫
「人から過大に評価されたようにお思いになるんですって、私たちはそんな風には思ってないんだけど自分はそんなに偉い人間ではありませんといってもみんながそう見てしまう。さっきスポーツライターとご紹介したけど今そういう仕事をされているのね」
≪あのNumberというスポーツの雑誌があるんですけど毎号連載を持たせていただいて僕自身がインタビューをして原稿を書いて≫
「この局でもそうですけどスポーツを見に行って」
≪行ったりします。レポートしたりとか≫
「インタビューなさる選手の方に。お父様が結婚なさってから2ヵ月後に」
≪亡くなりまして≫
「あなたにとっては本当に偉大なお父様だったんですってねえ」
≪本当に今の自分があるのは父の多大な影響があったおかげだと思いますし父の死っていうのはショックでしたね≫
「建築家だったんでしょ。お父様はお若かったでしょ何歳?」
≪ちょうど60になった翌週ぐらいでしたかね≫
「でもお父様の棺の中にあなたが一番上手く書けたと思うNumberの記事のページを開けて入れたんですって」
≪そうなんですよ不謹慎に聞こえたらあれなんですけど僕は父の死によってパワーを与えられたという思いがしてまして、悲しかったしショックもあったんですけどそのNumberを父の棺に入れたことによって当然向うでね時間もたっぷりあるでしょうから読んでくれると思うんですよね。だから恥ずかしい記事は書けないなって気持ちになって以前より一生懸命仕事するようになりました≫
「それは金城龍彦さんていう野球選手のことで”輝きだした原石”というタイトルをお付けになって私も野球のことはわからないんですけど彼もずいぶん大変な道のりで新人王と首位打者を獲得。そんなこと無いんですって」
≪史上初ですね≫
「ですから五体不満足をみましたっていう方よりNumberを読みましたって言う人にであうとうれしくなるんですって」
≪ちょうどこの前も電車に乗ってたら斜め前にサラリーマンの方がNumberを読んでらっしゃって向うも僕に気付いてあわてて僕のページを開いて読んでくれて降りようと思ったらよかったよって言う意味だと思うんですけど親指を上に突き出してくれてうれしかったですね≫
「でも大学を卒業されてこれから何をしようと思ってる時に自分でスポーツの道をお選びになったんでそれで評価をうけるんだったらいいとお思いなんでしょうね」
≪やっぱり自分自身には恐怖感というものがありまして今はこうね本出したことでメディアに取り上げていただいてるんだと思うんですけどねえ世間というかマスコミは飽きが早いですし冷徹なものだと思うんですねその時に五体不満足を出した乙武ですて言ってもだれも見向きもしなくなる日がくると思うんですねそういったときに自分は何をしているのかなと確固たる物を作っておきたいなっていうのがありましてスポーツライターとして五体不満足という肩書きが付かなくてもきちっと生活していけるようにという思いがありまして一生懸命やらせてもらってますね≫
「インタビューしても五体不満足の乙武さんということではなくてスポーツが好きで情熱をもってる乙武さんだからインタビューを受けるという風にみなさん思ってると思うんです。」
~CM~
「スーパーJチャンネルという番組でシドニーへいらっしゃってよかったですね」
≪いい試合ばっかりで選手の熱い戦いを間近でみれてよかったですね≫
「あなた自身もスポーツをおやりになって」
≪そうですね中学校のときにバスケットボールを≫
「こうこうではアメリカンフットボールのマネージャーをやってらしてスポーツは詳しいんだけど一番詳しいのはサッカーと野球」
≪その2つが今のメインですね≫
「でもあれですねアナウンサーじゃないのに言語明晰ですね。気を使ってらっしゃる」
≪そうですね学生4年生のときに夕方のニュース番組でお仕事させていただいたんですけどあまりにも口をあけてハキハキしゃべるものですから学芸会しゃべりといってバカにされてたんですけど≫
「口をあけないで何言っているかわからないよりはいいと思うですけどねえ」
≪以前聴覚障害の方からお手紙をいただきまして私たちは唇の動きで言葉を理解するのですごくわかりすいですとお手紙をいただきまして≫
~CM~
「本を出して誤算だったというひとつにお父様のお葬式の時にご家族の姿を望遠レンズで狙ってる。たまんない事だったんですって」
≪本当に結婚のときもそうだったんですけど僕だけならいいんですけど父をなくしたばかりで悲観にくれている母のね姿なんかを望遠で狙われたりしたもんであの時は悲しみを通り越して憤りを感じましたね。≫
「仕方が無いからあなたが出て行って記者会見を開くんで妻とか母にインタビューなんかは止めて欲しいといったらやめてくださったんですって」
≪そうですねでもそういうインタビューをする場であればきちんとした喪服で来るのが筋なのかなったって思ったら本当にみなさん普段どおりのラフな格好でいらっしゃるもので常識って無いのかなってちょっとがっかりしました≫
「普通そういうときはちゃんとした格好をしてくるものだと思いますけどねえ。でもお母様が寂しいでしょう」
≪僕も結婚で家を出てしまいましたし父もいなくなりましたしすごく今は寂しい思いをしているとはおもうんですけど≫
「そのお母様もあなたが有名になっても1度もテレビにおでになることはなくお母様はもし自分たちがテレビに出るようなことがあったらやっぱり世の中っていうのはそういいことばっかしじゃなくてあなたがいつか傷つくときもある」
≪そのときまで私たちまでマスコミにでていると帰ってくる場所がなくなるからということでかたくなにね講演依頼からテレビの出演依頼から多くの主演依頼を父母にいただいていたんですけど1つも受けずに≫
「あの本を読ませていただいたらお母様があなたを初めて見たときに”まあ可愛い”とおっしゃたことから始まってどんなお母様なんだろうってみんな思うと思うんだけどまあそういうお気持ちで。まあどうですかね奥様と歩いてらっしゃるとみなさんどうですか」
≪やっぱり気持ち的に楽ですね。結婚前はコソコソしてしまうとこがあったんですけど今は2人で歩いていてもそうみなさんの目が気になることもないですね。だいぶ楽にはなりましたね≫
「奥様としては急に有名になった旦那様が」
≪もう結婚して3年半近くなるのでだいぶ彼女のほうもなれてきましたし何とか今は2人で≫
「また。ありがとうございました」
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-2-4.html
 ┌─―――――――――――――――――┐
 |2003(平成15)年 2月 4日(火) 中澤裕子 |第回
 └─―――――――――――――――――┘中澤裕子
黒柳「どうもしばらくでございました
中澤≪はい
「中澤裕子さんです。おととしのベストテンの年末の特別番組のときにモーニング娘を卒業してらしたんですけども
≪そうですね。
「元大先輩ということでリーダーということで一緒に入っていてくださって一緒に歌ってくださったんですけどもあの時にお会いしたんです。でもその時はずいぶん人数が多かったですけども10何人
≪そうですね私が卒業した時点でもう10人・・何人いたんでしょうねも2ケタです。
「あれは面白いのは決まったものじゃないですよね。別に何人って
≪あの最初は5人だったんですよ。デビューは。モーニングコーヒーという曲がデビュー曲でその時は確かに5人だったんですけども2枚目からはそこからはオーディションが始まって2枚目出したときは8人になっていて気がついたら16日
「そうこの間の2月1日のNHKですごく大きなテレビが始まって50周年というときにひょっこりひょうたん島のテーマをお歌いになったことでご一緒したんですけどもなんだかいっぱいいらっしゃいましたよ。
≪そうなんですよついこの間も第6期ということで新メンバーが決まってて5月に今のメンバーの保田圭ちゃんが卒業するんですけどもこの時点で16人ですから
「そうですよね。でもずいぶん小さい方もいらっしゃったから私があなたにお会いしたときも13歳という方もいらしたりしたんでずいぶん年齢の差はちょっとみたら全然わかないんですけども年齢の差は随分ある
≪ずいぶんあります。モーニング娘の特徴だと思うんですけどもそれは。私がデビューしたのは24歳なんですけども、その時点でも当時メンバーだった福田明日香という女の子がいたんですけども彼女が14歳中学生でしたから
「それをみんな一緒に移動したり旅したりとかいらっしゃいますよね小さいとも一緒にいるとをリーダーとしてはずいぶんそういう小さい子の面倒を見ることはあったんですか?
≪いや、年齢が1番上なのでまとめ役だったりしっかり者だったりというイメージで見られがちなんですけども実はそうではなくてわりとみんなそれぞれがしっかりしている子たちなのでリーダーだから大変なことをしたという感じもなく、もうどっちかと言うとメンバーたちが私を助けてくれたところの方がたくさん。わがままなんですね私。
「あなたが?
≪結構
「あなた集団がダメなんですってね。
≪ダメなんですよ。基本的に苦手なんですけども本当によく怒ったりするし結構短気だったりまあそういう性格のつきあいが長いメンバーだともう6年目になってだいたいわかってくれる。メンバーがフォローしてくれますね今は。
「じゃあみんな若くても小さくてもしっかりしていて
≪しっかりしていますね。
「まあそれはそうですよね。わりとプロの意識を持っていらっしゃると思うんですよね。でもなんといったってみんな入りたいのはモー娘ってどんな子たちだって何がしたい?というとモー娘というぐらいになっちゃったんで
≪そうですね。オーディションをすれば応募してくれる子たちがたくさんいるということはすごくうれしいことだなと思うんですけども。元メンバーとしても。でも私は客観的にモーニング娘というのを卒業するまで見たことがなかったんですよ。私が初代だったので。モーニング娘はないところから始まって
「あこがれて入るというのじゃなかったのでね
≪だから皆がどういうふうにモーニング娘を見ているのかというのがよく分からないんですけども。
「今でも。なにしろシャ乱Qの
≪ロックボーカリストオーディションというのを受けた
「そうなんですってね。シャ乱QのロックボーカリストオーディションというのがあってそれまであなたはOLをしていらっしゃって
≪はいしてました。
「あまりそのもちろん歌手になりたいというお気持ちはあったんだけども何でもオーディションを受けるというタイプでもなかったんですって?
≪そうですね。何かどうせ無理だろうとか、こういうお仕事って簡単にできることだとは思えないし勇気ないしああこのままOL生活のままそのうち結婚してお母さんになっておばあちゃんになって私の人生はこんなものなのかなってぼんやり考えていたんですけども。まぁそのオーディションに出会ってしまったので
「それはつんくさんが考えたオーディションだったんですか?
≪いやシャ乱Qというあのはたけさんにギターのはたけさんがプロでデュースという形であの平家みちよちゃんという女の子がグランプリをとってはたけさんをプロデュースでデビューしたんですけどもを私たちは落選組みだったので
「そうなんです。そこからモーニング娘ができたそもそものなりたちなんですけども。すごく不思議なのはあなたたちは落ちた組みなんですってね。
≪そうですそうです最終的に
「ロックボーカリストのオーディションにシャ乱Qのにダメで。だめだなって自分で思ったりなんかして。
≪そうですね結果が出たときにはでもやるだけのことをやれたし、この年齢で自分の最後のチャンスだと思って思いっきりできたのでも悔いはないと思っていたんですけどもまあ何か不思議な縁で。
「その落選、次のトップのグランプリの人の次の人たちぐらいが5人
≪その中であの当時の5人がデビューした当時のメンバーがもう1度呼ばれてあのすぐデビューさせてあげるというわけではなくてデビューするためにある試練を与えるけどもそれをやる勇気はありますか?やる気はありますか?というチャンスを与えられたわけなんですよ。その時点でメンバー全員がそれぞれ高校生だったに中学生だったりみんなこう東京出身の子もいたんですけども私以外は北海道だったりしたので学校と
「あなたはそのとき大阪
≪私は大阪です。みんな行ったり来たり行ったり来たり
「やったところがを大阪なんですかそのオーディションをやったところが?
≪ええと地方の大阪オーディション東京オーディションいろいろあったんですけども。で結局東京に集まってきて
「大阪だけじゃなくて東京でやったりそれから北海道から入った後にの中に。ああそうじゃお家から離れてくることになった
≪そうです。で1度はあきらめかけたものをそんな大きなチャンスを与えられたら結構みんな割とよし頑張るという子たちばっかりだったのでやります何が何でもやります。
「世の中ではモーニング娘というのはある種ちょっとみんながバッと集まって突然発生したようにちょっと思っているんですけどもそういった
≪ではなかったんですね。
「グランプリのオーディションのグランプリの人ではない次の人たちの、そのグランプリの人はその中に入っていなくて。
≪もうソロで
「グランプリはソロでいくということになったので。その5人でやりましょうということになって。その試練というものはどういうものなんですか?
≪試練というのはCDを”愛の種”というインディーズで1枚私たち出しているんですけどもその愛の種というCDを全国5カ所で何枚だっけ?誰に聞いてんだろう(笑)10万枚?いや違う違う(笑)5万枚、すごい昔のことなので、何かもうとにかくあり得ない状況と
「途方もない数ですよねあなたたち5人にしてみれば
≪ああそうだ1人10,000という計算で5人で50,000枚で5カ所で完売しましょうというのが
「1カ所10,000枚
≪目安として
「大変ですよね。だけど。
≪そうですねだけどでもお陰様で4カ所目で完売できたので、名古屋だったんですけどもその瞬間にデビューが決まったのが自分の中で分かるわけじゃないですか。みんなで抱き合って。
「そうじゃそれが試練だったの。でもあなたの昔お勤めしているOLの会社の方たちはご親切に大阪で売るという時はずいぶん買ってくださったんですってね
≪そうですねもうあの当時勤めていた会社の同僚とかもう本当に
「上司の方とか
≪もう上司、社長とか(笑)あの本当に応援するから頑張りなさい
「あなたOLだったんですけどもその前からずっと前に歌手になりたいけども一緒には言えなくていもんもんとしたOLで、集団も嫌だな。さっきおっしゃったこれから結婚して子供はできておばあさんになってああいやだいやだとか思ってオーディションを受けたときに向かってそれでその前に会社に辞めさせてくださいって?
≪いえ。オーディションを受けたもののまさかこういう状況になるとは思ってなかったので
「オーディションを受けて次のグランプリじゃない人たちを集めるというのはしばらくたってからなんですか?その場所ではなかった。
≪あのそうですねオーディションを受けました、地区予選から東京でみんなと各地で残った子たちがが集まって合宿をやるんですね。合宿をやってその結果グランプリが選ばれたわけなんですけどもその状況はテレビで放送されているのでもうみんな当然友達とか会社の人達とかは知っていますよね。
「わかっちゃうなあ、会社の人にはわかっちゃうなところがあったでしょう。
≪そうなんです。とりあえずテレビに放送されるまでは黙っていたんですけどもやっぱりあの仕事をしながらこういうことをやっている自分自身がいいのか悪いのか判断ができなかったところがあったしどうせそんなところまでいかないだろうと思っていたのでTVを見てみんなびっくりした
「でもまあ見ていない人もいたかなと思っていたんですって。
≪案外ばれないかなと思っていたんですけども
「で会社にいらっしゃったら
≪会社のその私が勤めていた会社の人ではなくてうちの会社と関係のある方がたまたまを会社にいらしていて内線で「あなた昨日テレビに出ていたね」ああ・・・みている人いたんだ言わないでください内緒にしておいてくださいとか言いながら、でもその日にお話ワット広まって
「会社中に広まって。
≪そうですね。それで後輩の子たちも「中沢さんどうするんですかこれから?」とか。すごく心配してくれてました。
「でもそのときに上司に辞めさせてくださいとおっしゃったの?
≪あのやっぱり会社勤めなので有給(休暇)とかあるじゃないですか。有給がある間はお休みがとれるんですけども本当に大阪と東京を行ったり来たりする生活が始またら当然お休みもなくなってしまうし迷惑をかけると思ってあの結果はよくても悪くても会社はもう退社しなくてはいけないなと思っていたんですけども上司がいやも頑張りなさい有給はもちろんないけどももうやるだけやればいいんじゃないのというのですごく回りの人はやさしく
「社長さんも?
≪社長さんも頑張りなさい、エレベーターとかで会うわけですよ。「ああ!社長だ」とか思って何か気まずいなと思っていたら「なにかいま大変みたいだね。応援しているから頑張りなさい」って
「いい会社ね
≪本当にいい会社で。もうあのみんなの協力がなければやっぱりなかなかこういう結果は出なかったんじゃないかなって思いますね。
「そこはお幸せでしたね。その集団がいやだなんだとか心の中で思っていたにしても。
≪そうですね(笑)
「そうやってレコード・・・CDですかそこで買っても下さって皆さんね。
≪ずいぶん並んでくれたという話は聞きましたね。
「ありがたいですね。
≪すごくありがたかったです。
「5年なさったそうですからOL生活も。
≪そうですね。
「だからわりとモーニング娘という派手なところにいらっしゃったんですけども実はその前にはそういった5年間のOL生活があったんですけどもちょっとコマーシャルをはさみましてそのもっと前から実は歌手になりたかったんだけども人には言えないで(笑)もんもんの日々があったそうでございます。ちょっとコマーシャルです
黒柳「中沢さんは京都のご出身。
中澤≪はい
「でピンクレディーのファンだったんですって?
≪大好きでした。
「まあね当時はピンクレディーのファンじゃなかった子はいなかったかもしれませんでした
≪そうですね保育園に通っているときから
「そんなに小さかった
≪お昼寝の時間の前は必ずピンクレディーさんのやっぱり絵本だとかそういうのがいっぱい出ていたので取り合いっこしながら見てたりとか。本当大好きで本当にあこがれの当時はお姉さん達ですよね
「音楽もよかったですしね。何かね。
≪本当に、今も好きですね。
「あんなふうになりたいなと
≪ずっと思っていました。というか私はピンクレディーになるんだって
「決めていた(笑)
≪今みたいにモーニング娘になりたいからとそういうオーディションがあるわけではないんですけども私はピンクレディーになりたいなるんだと思っていたんですけども。
「ただ回りの方にはそういうことをおっしゃるとダメだなと思って子供心にも秘密にしていらっしゃったんですって
≪やっぱり恥ずかしいですよね。歌を歌う仕事がしたいとかテレビに映っている当時アイドル全盛期といわれている時代で小泉今日子さんとか明菜さんとか私本当にテレビっ子だったのでまあこういうお仕事したいなとやっぱり夢はふくらむんですけども何を後本当に夢の夢の夢みたいな話だったのでやっぱり勇気がないというか口に出すことさえいけないことのような。わりと自分のこと話す方ではなかったので小さいときから、ずっと黙っていましたね。
「それとお父様を割と早くにおなくしになったんですよね
≪そうです。
「ずいぶん小さいときに
≪うちの父親は私が6歳のときに亡くなっているので父親自体は本当に若い年齢で
「29
≪29ちょうど私の今の年齢のときに
「29の時に。ちょっと不思議な感覚でしょうお父様がなくなってこの年なんだって
≪本当にあの自分自身29歳の誕生日を迎えたときに、ああお父さんと同い年になっちゃったと思って。ということは当たり前なんですけども来年はお父さんよりも年上になるんだと思いながら私も半年もすれば半年もないですね
「6月、
≪6月ですね30になるので。不思議ですよね。
「こんなに若くて死ななければならなかったというのはつらかったと思いでしょうやっぱり。
≪そうですね。小さいころは全くその年齢を自分にとっては遠い将来だったので想像もつかなかったですけども、父親、そうなんです父親のこともそうなんですけども母親がまだ30歳とかそれぐらいの年齢で私妹がいるんですけども2人子供を育てていかなければならない状況だったの今の私の年齢ぐらいで経験しているんだと思うとちょっと改めて考えるとうちの母親も大変だったんだろうなと
「考えてみればあなたぐらいの年齢のときには2人子供がいてご主人を亡くしたということだと思うとやっぱりすごいなって。
≪考えられないですね。自分の親のことなんですけども。全く違う人生を歩んでやっているので
「そういうこともあるけども余計にお母様が一生懸命やってらっしゃるから歌手になるとかなんとかそんなことは言えないなと。
≪そうですねよけいな心配はかけたくないということもあったし、やっぱり自分自身本当に自分の中で大切なことというのはなかなか口に出して言えないのでオーディションを受けたときもぎりぎりまで母親には言わなかったですね。でも言わなければだめだなというときに話したらそれはやっぱりびっくりしていました。知らなかったからそんな夢があったのを。
「でもおかあさまはそれを知ってくださったばお母様はとっても自立しなさいということをいつもおっしゃってる方なんですってね。
≪本当にそうでしたね。高校を卒業してから大阪に出たんですけども家を出たいんだと地元を離れたいと言ったらもういいよって。自分のやりたいことは私にしかできないんだろうし今というのは今しかないからやりたいことはやったほうがいいからいいよって。でもこの30代ぐらいで子供2人で育ててという生活を送ってきている人だったのでやっぱり女性は男性と暮らしていくということがすごく幸せなことだと思うんですけども自立した女性にならなければだめだよって。頼ってばっかりじゃダメだからねということは小さいときからずっと言われていましたね。だから今も自立しているかどうかわからないんですけどもでも1人でなんとか考えているなって。
「そのお母様がお母さんの影響が大きいということですよね。
≪そうですね。うちの母親の言葉というのはすごく印象に残っているし
「この前お母様と(笑)あの何でしたっけまずくなっちゃったんですってこの間。
≪ええ
「ちょっといいですかコマーシャルを挟んで。その大切なお母様とまずくなっているかという原因などをちょっとお伺いして

黒柳「かねがねお母さんはあなたに自立をしなさいと男の人に頼る生活じゃなくて自分でも生きられるようにとおっしゃってくださった方だけあって普段は私のことは放っておいて、私のことはいいから。妹さんがいらっしゃるでしょう。
中澤≪はいいます。
「妹さんも今も離れて、私のことはいいんだからとおっしゃっていたんですが去年の暮れあたりあなたが
≪私あの喧嘩というほどでもないと思うんですけどももともとこう連絡をとり合わないんですよ。私が電話とか手紙とかが苦手なのでもともと連絡をとらないところをたまたまお休みが近々あるのでちょっとでたまにはみんなと旅行とか行けたらいいかなとか軽い気持ちで
「おかあさまと一緒にね。
≪で連絡をしたところ「ああダメその日」とすごいあっさり、まあそれはそれでその時は何で私も怒こったのか分からないんですけども。
「あなたも休みがなかったから
≪まあ勝手なんですけどもね。
「やっと休みが取れたからじゃお母様と一緒に休みをすごそうかなと思ったらその日はダメと急に言われたから
≪言われて、なんだせっかくいこうと思っていたのにと勝手に私が計画を立て始めていたので私頑固なので1回怒こってしまうとその性格を母親も知っているのでなかなか連絡を取ってこないんですね。だから今現在も年明けても続いちゃっている。
「そしたらお母様ちゃんとその日を覚えていらっしゃってあなたに
≪そうなのまた連絡してきたんですね(笑)
「明日あのあなたどうするの?とお電話があったんですって
≪わざわざそうなんです。放っておいてくれたらよかったんですけども私も忘れかけていたのでどうするのってわざと、をわざとじゃないと思うんですけども心配して聞いてくれたんだと思うんですけどもいや「あのだからもう関係ないからもうええやん!!」ってすごい言って母親もそこまで怒ることではないのにと思っていると思うんですけどもどうもは素直になれなくて
「でもあれじゃないのお母様としてはせっかくの休みだったら友達とすごしたらいいのにって自分となんかね暮らして過ごすことはないのにっていうお気持ちだったんじゃないのかしら。
≪そういうのもあるかもしれないゆっくりしなさいっていうね。
「そうそうそうそう。でもあなたとしてはスケジュールを立てて一緒に過ごそうとしていたから
≪勝手なんです本当に。自分勝手なことだったんですけども。
「でもおかあさまとしてはだからその日はちゃんと覚えていて電話をしてあなた明日どうするの?って。ええやんって
≪予定は入っているの?と聞いてきてくれたんですけどももうまたその話に戻ちゃったなと思ってはい。
「関係ないヤンとなっちゃったものですからそのままになっちゃったんですって今も。
≪そうなんですよ。
「やっぱりなんとかしないとね。
≪もういいかげん話をしなければだめだよと回りも言っているんですけども。まあ親子ですからね何があっても何がで縁が切れるわけではないですから
「まだこれをご覧になっていればお母様もそういう気持ちだったんだなって。だから謝りたい気持ちもあるんですか自分勝手でごめんねみたいなぁ。
≪いや(笑)謝りたいというよりも家族なのでごめんねとなかなかいいづらいかったりするじゃないですか。でもまぁそのうち自然に
「なんとか。
≪なんとかしたいなって。
「でも何か大きな催しがあるときはお母様に来て欲しいって言う時はあります?
≪ありますよもちろん。わたし自身がモーニング娘を卒業するときのコンサートをだったりとか舞台だったりとか今も公演中なんですけども。
「その話しますけどコマーシャルをはさんでそれをお母様がみに
≪知っているかないっていないんです。
「ああそうですかじゃ今日ここで。それを仲直りのきっかけに
≪そうですね
「じゃコマーシャルです。

黒柳「今は芝居をやってらっしゃる。
中澤≪ええ
「明治座で
≪萩本欽一さんと江戸の花嫁というお芝居を始まったばっかりなんですけども。
「そうなの。2回目の舞台なんですってね。とても面白いんだそうですけども萩本欽一さんが出演そして演出なさっているんですけども。あなたはお雪という娘役で出てらっしゃるんですけども
≪そうなんです
「ですがこれがあのアレなんですってね坂上二郎さんも出てらっしゃる
≪そうなんですよ。
「共演なさってコントを55号もずいぶん久しぶりだと思うんですけども、でこれをお母様に見てほしいと思うんだけどもはしのえみさんダブルキャスト
≪そうなんです。あのうちのお母さんがどこかで舞台やっているというのを聞いてですね見に来てくれるのはいいんですけどもちゃんと言っておかないとはしのえみちゃんが出ているときだったらやっぱり
「せっかくお休みを作ってねお母様もお仕事をやってらっしゃるそうなので来てくださると申しわけないから。それはあなたチラシをこの日に出ているこの日に出ていると書いてそれでお母様のところに送るとかしたらどうかしら?
≪そうですね。それはさすがにし自分でやらなければだめですね。
「そりゃそうですよそれはダメですよ。あのファクスでもまたは
≪連絡してみます。
「それがきっとお母様の仲直りのいいきっかけじゃないですか。でも舞台面白いですか?
≪まああの刺激がたくさんあって勉強もいっぱいできるので
「即興の部分もずいぶんもう大変?
≪大変ですけども楽しんでやっています
「そうですか。なによりですよね。でも本当にお1人でお元気でなによりです。ほんとありがとうございました
≪ありがとうございました
「中澤裕子さんでした。
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-2-4.html

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