過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

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 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(wed)30 January 1963
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 Concert: Cavern Club, Liverpool (lunchtime)
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 Brian Epstein's letter to Stowe schoolboy David Moores:
 BE/FK: 30th January, 1963.
 Dear Dave,
 Many thanks for your letter. It would be a great pleasure for the boys to appear at Stowe, but I must advise you that they are heavily booked and I cannot make much allowance with regard to their fee. However, I am prepared to arrange a mid-week appearance for a fee of £100.
 Yours sincerely,
 Brian Epstein.
 correspondence continues on 9 February
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 http://www.multiplusbooks.com/630130.html
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年01月30日(月) ライヴ演奏:レイサム・ホール/リヴァプール
②1962(昭和37)年01月30日(火) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
③1963(昭和38)年01月30日(水) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (昼)/リヴァプール
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①1961(昭和36)年01月30日(月) ライヴ演奏:レイサム・ホール/リヴァプール
 ビートルズはレイサム・ホールに11回出演しているが、1960年5月14日はシルバー・ビーツ (The Silver Beats) としての出演であった。 
 1960(昭和36)年05月14日 (as The Silver Beats) 
‡1961(昭和36)年01月07日 20日 21日 28日 30日
 1961(昭和36)年02月04日 06日 10日 11日 25日
③1963(昭和38)年01月30日(水) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (昼)/リヴァプール
 1963(昭和38)年01月にキャバーン・クラブで撮影されたと思しき写真集3
 撮影場所:キャバーン・クラブ (Cavern Club)
‡撮影時期:1963(昭和38)年01月30日(水)と31日(木)の可能性が濃厚か?
 撮影者 :マイク・マッカートニー (Mike McCartney)
 アンディ・バビアック (Andy Babiuk) はその著書『Beatles Gear』の中で、リンゴがドラムのロゴを変えたのは
 1963(昭和38)年の01月だと言っている。
 ジョージは自分のグレッチ製 (Gretsch) デュオ・ジェット (Duo Jet) ではなく、借り物のジェット・ファイア・バード (Jet Fire Bird) を弾いている。このギターは
 1963(昭和38)年01月21日(月)にEMIハウスで撮影された写真にも見ることができる。
 マーク・ルイソン (Mark Lewison) はその著書『The Complete Beatles Chronicle』の中で、ジョンとポールは
 1963(昭和38)年01月26日(土)に♪Misery♪を書き始めたと言っている。
 ビリー・シェパード (Billy Shepard) は1964年の著書『The True Story Of The Beatles』の中で、下の写真は『Misery』を家庭用のテープレコーダーに録音しているシーンだと書いている。
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1963/0history_index-1963.html
  http://gejirin.com/beatles/history/1963/196301XX_Cavern_photos3.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃| January 30|030
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃| 1月30日 |
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 1961(昭和36)年01月30日(月) リヴァプールのレイソム・ホールに出演した。
 1962(昭和37)年01月30日(火) キャバーン・クラブのランチタイム・セッションに出演
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16897
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/001/0130.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15625072.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる      朝日文庫
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛  2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡No.46 P.258 1969年01月30日「屋上のラスト・ライブ」◎映画『LET IT BE』の「Rooftop Concert」シーン撮影日◎
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1969(昭和44)年 1月30日(木)|「屋上のラスト・ライブ」
 |2008(平成20)年 1月30日(水)|甲虫日記更新日 No.017
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映画「レット・イット・ビー」(80分)のクライマックスを飾る「ルーフ・トップ・コンサート」は、1969年1月30日、背広発祥の地で有名なロンドンの中心街サビル・ロウにあるアップル・ビル本社屋上で撮影された。
寒風をついての昼時の演奏。リンゴは妻モーリーンの赤いレインコートを借り、ジョンはヨーコの毛皮のコートを着た。風の音が入るのを防ぐため、マイクには女性用ストッキングがかぶせられた。演奏の合間、リンゴが鼻をかんだり、手がかじかんだジョンが「うまくコードが弾けない」とぼやいたりする。
4日前に発案された5階建てビル屋上でのライブ・パフォーマンスには、2つの目的があった。ひとつはテレビで放送予定だったドキュメンタリー番組のクライマックス・シーンの撮影であり、もうひとつは新作アルバムに収録する新曲のレコーディング(録音)だった。最初から映画制作の目的で撮影したのではなかった。
約42分間の屋上ライブでは3曲が複数回演奏された。「ゲット・バック」はリハーサルとオープニング、エンディングの計3回。「ドント・レット・ミー・ダウン」と「アイヴ・ガッタ・フィーリング」が2回ずつ。ほかに「ワン・アフター・909」と「ディグ・ア・ポニー」。キーボードにビリー・プレストンが参加している。
アルバム「レット・イット・ビー」には、この日演奏された「アイヴ・ガッタ・フィーリング」(1回目)と「ワン・アフター・909」「ディグ・ア・ポニー」の3曲が収録されている。
この「ライブ」が開かれるまでの物語を語るとき、長く複雑で、痛ましいエピソードにふれなければならない。
世間には伏せられていたが、68年に発表された「ホワイト・アルバム」を制作する過程で、リンゴが一時脱退するなどバンド内には亀裂が生じていた。
グループ活動を促す役回りになっていたポールが思い悩んだ末に考えついた解決策は、バンドの原点に立ち返ることだった。ギター、ベース、ドラムというロックンロールの基本スタイルに立ち返り、聴衆を前にしたライブを撮影し、全世界にテレビ放映する。
こうして動き出した「ゲット・バック・セッション」は当初、3つのライブのベスト場面をつなぎ合わせて全世界に放映する計画だった。これとは別にドキュメンタリーを制作するため、演奏のリハーサル模様はすべて撮影することになった。
年明けの2日からトゥイッケナム・フィルム・スタジオでリハーサルが始まった。ビートルズは新曲を8曲準備した。テレビ・ショーで初めて新曲を披露し、そのライブ盤を発売するという斬新な手法を考えていた。ジョージ・マーティンもその手法に価値を認めていた。
事件はまもなく起きた。ジョージの演奏に対するポールの注文に、ジョージがかんしゃくを起こす。その場面は映画にも登場する。「君がそうしろと言うなら何でも弾く。でなければ何も弾かないよ」という有名なセリフを吐くシーンだ。10日、ジョンとも衝突したジョージはバンドを抜けてしまう。
数日後、全員がジョージの家に行って話し合うことで復帰はかなったが、彼が乗り気でなかったテレビ・ショーの計画は中止になった。4人ができることは、新曲を完成させてアルバムに使うことと、録音場所をアップル・スタジオに移してもドキュメンタリーの撮影は続けることだった。
撮影されたフィルムは96時間分に及んだ。1時間のドキュメンタリーを2本制作し、2夜連続でテレビ放映する計画もあった。膨大な撮影フィルムを活用するため、映画制作が決定されたのは6月以降になる。おそらく、映画会社ユナイテッド・アーティスツとの契約に残されていた、「3本目の主演映画」問題をクリアするためだったのだろう。
僕が30数年前に初めて映画をみた時、端からアルバム制作の録音模様を撮影した映画だと信じていた。ところが、映画の前半にあるトゥイッケナム・フィルム・スタジオでの様子は、テレビ・ショーのためのリハーサルだったわけだ。気合いの入っていない演奏シーンが多いのもうなずける
屋上ライブが始まると、ビルの周辺は人だかりができて交通渋滞を引き起こした。何の告知もなく出し抜けに行ったライブは警察の介入を招く。ビルの屋上に上がってきた警官を前に、彼らは最後の曲「ゲット・バック」の演奏を始める。自分たちが逮捕されることを期待したのだ。映画のエンディングにふさわしいシーンになると。
ハプニングが起きた。演奏の途中でジョンとジョージのギターの音が出なくなる。映画ではその後、ジョージがアンプのスイッチを入れ直すシーンをみることができる。
アンプが故障したという説がある。だが、状況からしてアップル役員でもあったマル・エバンスが、演奏をやめさせようとスイッチを切ったのだろう。
ポールがアドリブで挑発的に歌う。
「また屋上で演奏したね、ママはこれが嫌いなのを知っているだろう、そのうち逮捕されちまうぞ」
しかし、警官は「音を下げろ」と注意しただけで帰ってしまった。
曲が終わった。「ありがとう、モー」。ポールは熱心な拍手と声援を送ったモーリーンに軽く礼を言う。ジョンは芝居がかった口調で、こう付け足す。
「グループと自分たちを代表してお礼を申し上げます。オーディションに合格したかな」
小さな笑いが起きた。誰一人として、これがビートルズ最後のライブ・パフォーマンスとなるとは想像できなかった。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は、2月9日です(更新は8日)。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ 「レット・イット・ビー」
1998年3月11日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/list.html
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①┃ The Savage Young Beatles 1950s 1963 ┃
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‡Probably ●30-31 January 1963 The Cavern Liverpool
 Photographer: Mike McCartney
 These photos might date from two separate sessions but here's what we've got. Andy Babiuk, in Beatles Gear, dates these photos as January 1963. He also states that it was in January 1963 when Ringo changed his drum logo. George is playing a borrowed Gretsch Jet Fire Bird instead of his Duo Jet.
 This guitar is seen in photos taken at E.M.I. House 
on 21 January 1963.
 Mark Lewisohn, in The Complete Beatles Chronicle, states that John and Paul began writing "Misery" 
on 26 January 1963.
 In his book The True Story Of The Beatles (June 1964), Billy Sheperd captions...
 photo #1 (right) "...busy putting yet another tune on to tape".
 photo #2 "...taping "Misery" at the Cavern".
 photo #3 "George...listens to a playback of one of John and Paul's tunes..."
 The Beatles played The Cavern 
on ●30 and 31 January 1963. In one publication, Mike McCartney date these photos as 1962 but that cannot be accurate.
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②┃ The Savage Young Beatles 1950s 1963 ┃
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 January 1963 The Cavern Club, Liverpool
 Photographer: Les Chadwick
 I'm using this date because Lewisohn says photo 2 is January 1963. However, he also places photo 1 in a 1962 section of his book. In any case, Ringo still has his original drum logo which was changed in late January. Ringo's hair has grown considerably so this is surely well into his tenure with the band.
 The photos here might, in fact be from different dates.
 See below for a list of January 1963 Cavern dates.
 January 1963 Cavern dates:
 11 January 1963
 17 January 1963
 20 January 1963
 23 January 1963
‡30 January 1963
 31 January 1963
 UPDATE NOTE:Recent research has led me to believe that this is not January 1963 and, in fact, probably dates from late 1962.
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 ①http://www.beatlesource.com/savage/1963/63.01.30%20cavern%20reh/63.01.30cavernReh.html
 ②http://www.beatlesource.com/savage/1963/63.01.00%20cavern/63.01.00cavern.html
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①┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(mon)30 January 1961 Seaforth, England, Lathom Hall 
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 ┃ THE BEATLES Live 1962 ┃
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‡(tue)30 January 1962 Lunchtime engagement at the Cavern Club
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①┃ Winter 1963 UK Tour, Part 1 ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.18 (wed)30 January 1963 Liverpool, England,  The Cavern Club 
 Lunchtime performance at the Cavern Club.
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①┃ Winter 1964 France show ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.16 (thu)30 January 1964 Paris, Olympia Theatre (15)
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②┃ THE BEATLES' rooftop concert ┃(thu)30 January 1969
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 01.♪Get Back♪-sound check, jam
 02.♪Get Back♪-"rehearsal"
 03.♪Get Back♪; ♪I Want You♪*; ♪Don't Let Me Down♪-jam
 04.♪Get Back♪
 05.♪Don't Let Me Down♪
 06.♪I've Got a Feeling♪; ♪Ooh! My Soul♪-tease (Richard Penniman)
 07.♪One After 909♪-jam
 08.♪One After 909♪
 09.♪Danny Boy♪-tease (Ernestine Schumann-Heink)
 10.♪Dig a Pony♪-tuning up, jam
 11.♪Dig a Pony♪-false start; ♪Dig a Pony♪
 12.♪God Save the Queen♪-impromptu few bars jam (Thomas Arne)
 13.♪I've Got a Feeling♪; ♪Rainy Day Women♪ #12 & 35-single line "Everybody must get stoned" sung twice by Lennon (Bob Dylan)
 14.♪A Pretty Girl Is Like a Melody♪-tease (Irving Berlin)
 15.♪Get Back♪-false start
 16.♪Don't Let Me Down♪
 17.♪Get Back♪
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 ①https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_rooftop_concert
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 ‡1967/1/30(mon) John, Paul and Brian attend a concert by THE WHO and Jimi Hendrix.
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  ┛ THE BEATLES 1967 Mono mixing  ┛Studio 3 (control room only)
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①┃ ♪A DAY IN THE LIFE♪  ┃remix 1, from take 6
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  Remix of ♪A DAY IN THE LIFE♪ only for demostration
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Richard Lush
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  ┛THE BEATLES 1967 Night shootings ┛
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②┃ ♪Strawberry Fields Forever♪  ┃
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  Night shootings for ♪Strawberry Fields Forever♪ clip, at Knole Park, Sevenoaks, Kent.
  The scene in which Paul jumps on into a tree cannot be shot due to bad light.
 ‡1967(昭和42)年1月30日(mon)
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓‡(mon)30 January 1967
③┃ ♪Strawberry Fields Forever♪『THE BEATLES 1』 ┃ (tue)31 January 1967
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 1967 Peter Goldmann Magical Mystery Tour Filmed on 30?31 January 1967, in Knole Park, Sevenoaks, UK 
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④┃ THE BEATLES on film and television  1967 ┃
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‡(mon)30 January 1967 ♪Strawberry Fields Forever♪
 (tue)31 January 1967 ♪Strawberry Fields Forever♪ Promo
 The Beatles filmed a promo for ♪Strawberry Fields Forever♪ in Sevenoaks, Kent.
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 ①https://beatlesdata.info/8/13_adayinthelife.html
 ①US写真◆https://en.wikipedia.org/wiki/A_Day_in_the_Life
 ②https://beatlesdata.info/9/08_strawberryfieldsforever.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Strawberry_Fields_Forever
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_discography#Music_videos
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/1_(Beatles_album)
 ④http://www.tvtalkin.esy.es/fab4tv/1967.htm
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  ┛THE BEATLES 1969 Recording Sessions ┛Apple Studios (Roof)
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛Time unknown
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①┃      ♪GET BACK♪  ┃2 versions
②┃ ♪Don't Let Me Down♪  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛◎『レット・イット・ビー...ネイキッド』には1969(昭和44)年1月30日(thu)のルーフ・トップ・コンサートで2回演奏された物を組み合わせて制作されたものが収録されている。(ジョンが1度目の演奏で歌詞を適当に歌ったためであるw)このテイクで一番の聞き所は、ジョージのギターである。シングルで発表された物はギブソン・レスポールのために非常に甘い音で、こちらのバージョンはフェンダー・テレキャスター(オールローズ)の為に固くてシャープな音色なのだ。また、歌詞も一部がシングルとは違っている。
‡「アップル屋上コンサート」でも2回演奏されているが、この2つのテイクを組み合わせた物が『LET IT BE...NAKED』に収録
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ ♪I'VE GOT A FEELING♪  ┃No.0 
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛この日はアップル屋上での「ルーフ・トップ・コンサート」ビートルズはこの曲を2回演奏しており、1回目のバージョンが映画『LET IT BE』そしてアルバムに収録
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④┃ ♪THE ONE AFTER 909♪ ┃No.3 
 ┗━━━━━━━━━━━━┛■レコラス(ト)■この日はアップル屋上での「ルーフ・トップ・コンサート」ビートルズはこの曲をライブ演奏し、このテイクが映画「レット・イット・ビー」そしてアルバムに収録された。
 ┏━━━━━━━━━┓
⑤┃ ♪DIG A PONY♪ ┃No.4 
 ┗━━━━━━━━━┛■レコラス(ト)■突発的にアップルビル屋上でのコンサートが行われた。ビートルズ最後のライブパフォーマンスである。アルバム「レット・イット・ビー」にはこのライブパフォーマンスでのテイクが使用された。映画ではイントロから歌い出しの間、そしてエンディングなどに「All I Want is You」というポールとジョージのコーラスが入るが、これはフィル・スペクターがアルバム「レット・イット・ビー」に収録する際に編集でカットしている。したがって、映画とアルバムのテイクは同一のものである
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ♪God Save The Queen♪ ┃
③┃ ♪I'VE GOT A FEELING♪  ┃
②┃ ♪Don't Let Me Down♪  ┃
①┃      ♪GET BACK♪  ┃No.4 ■レコラス(ト)■
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛アップル屋上での『ルーフ・トップ・コンサート』
  Producer: George Martin     ビートルズは♪GET BACK♪を合計3回演奏
  Engineer: Glyn Johns
  2nd Engineer: Alan Parsons
 ‡1969(昭和44)年1月30日(thu)
  ♪I'VE GOT A FEELING♪, ♪THE ONE AFTER 909♪, ♪DIG A PONY♪, John's and Paul's comments at the end of 3rd version of ♪GET BACK♪: versions for『LET IT BE』LP. Version of ♪THE ONE AFTER 909♪ for『GET BACK』LP.
  ちなみにこの「ルーフ・トップ・コンサート」のセットリストは以下。
  01.Get Back (リハーサルテイク)
  02.Get Back
  03.Don't Let me Down
  04.I've Got a Feeling(映画、アルバムに使用されたのはこのバージョン)
  05.One After 909(映画、アルバムに使用されたのはこのバージョン)
  06.Dig a Pony(映画、アルバムに使用されたのはこのバージョン。)
  07.God Save the Queen(英国国歌。テープ交換の際に演奏された即興)
  08.I've Got a Feeling
  09.Don't Let me Down
  10.Get Back  ※後に『The Beatles Anthology 3』に収
  Note・・・『The Beatles Anthology 3』に、1969年1月30日のアップル屋上でのライブが収録されている。これはビートルズによる最後のライブの最後の曲であり、警察が屋上まで上がって来たためか、ジョンとジョージのギターアンプのスイッチがスタッフによって電源を落とされ、しばらくはリンゴ、ポール、ビリー・プレストンのみの演奏になっている。
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/10/28(mon) JP、UK
⑥┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 3』 ┃1996/10/29(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
 12.♪Get Back♪ (Live at The Beatles' rooftop concert) 30 January 1969 Apple Building rooftop, Savile Row 3:09 
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 ①https://beatlesdata.info/14/12_getback.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Get_Back
 ②https://beatlesdata.info/16/10_dontletmedown.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Don%27t_Let_Me_Down_(Beatles_song)
 ③https://beatlesdata.info/14/08_ivegotafeeling.html
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/I%27ve_Got_a_Feeling
 ④https://beatlesdata.info/14/09_oneafter909.html
 ④https://en.wikipedia.org/wiki/One_After_909
 ⑤https://beatlesdata.info/14/02_digapony.html
 ⑤https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_a_Pony
 ⑥https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_3
 ⑥https://www.amazon.co.jp/dp/B0000070GX
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ About from『GET BACK』to『LET IT BE』~アルバム発売までの経緯 ┃
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‡1969(昭和44)年1月30日(木) アップルビル屋上での「ルーフ・トップ」コンサート、そして翌日のスタジオセッションをもってセッションを中断。総時間、90時間以上の撮影・録音テープを残したまま、ビートルズはアップルスタジオを去った。
************************** http://getback.tv/
 https://beatlesdata.info/14/12_getback.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Let_It_Be#Get_Back_albums
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 ┃ ♪Get Back♪with Billy Preston『THE BEATLES 1』 ┃‡30 January 1969
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 1969 Michael Lindsay-Hogg Producer: Neil Aspinall Let It Be[B] Filmed on 30 January 1969, at the Beatles' rooftop concert at Apple in London Footage used in the film Let It Be 
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      ┃ ♪Don't Let Me Down♪『THE BEATLES 1』 ┃‡30 January 1969
      ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ Made for the release of『LET IT BE...NAKED』Recorded on 30 January 1969, at the Beatles' rooftop concert Footage used in the film『LET IT BE』
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_discography#Music_videos
 https://en.wikipedia.org/wiki/1_(Beatles_album)
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英警察、ザ・ビートルズのルーフトップ・コンサートを語る
2009-02-02 09:19:59
40年前の1月30日、ザ・ビートルズがロンドン、サビル・ロウにあったアップル社のビルの屋上で伝説のゲリラ・ギグ、ルーフトップ・ギグを行なった。ザ・ビートルズ最後のパフォーマンスとなったこの歴史的ギグを目撃していた警官が当時のことを回想した。
当日、ピカデリー・サーカス周辺で任務にあたっていたケン・ホウォーフ警官は、BBC6ミュージックにこう話している。「頭の固い巡査部長から“あの騒音が聞こえるか?”って電話があったんだ。私は“そうですね、ザ・ビートルズみたいですね”って答えたよ。実際、彼らが屋上にいるなんてことは知らずにね。でもみんな、ザ・ビートルズがサビル・ロウにスタジオを持ってることは知ってたから。巡査部長からは“誰か連れて行って、やめさせろ”って言われたんだ」
しかしホウォーフ警官は、この命令に従う気はなかったそうだ。周囲はお祭り気分で盛り上っており、警察が止めに入ったら暴動が起きてもおかしくない雰囲気だったという。「我々は公然と、続けるよう奨励していた」「周りのビルの屋上には(ギグを見ようと)どれだけたくさんの人が集まったことか。パーティー気分だった。それを止めようとする警官がいたら、屋上から振り落とされるんじゃないかって思ったね、正直言って」
しかし結局のところ、別の署の警官が止めに入ったという。その場にいたEMIのサウンド技術者デイヴィッド・ハリスはこう話している。「警察が来て、“中に入れないなら、ここにいる全員を逮捕する”って言ったんだ。ジョージ・マーティンは真っ青になってたよ。ものすごく、面白かった。僕は、そりゃ愉快だって思ったね。“ザ・ビートルズと一緒に逮捕されるんだ。テレビに出られるぞ”ってね」
ハリスによると、彼らはできるだけ大きな音を出そうと目論んでいたという。「車の流れや通行人を止めるほどにね。道にいてもザ・ビートルズが聴こえるようにさ。EMIからでかいスピーカーをいくつか持ち込んだ。1月の凍える朝の4時にね。スピーカーを屋上において、下にある器材と繋いだ。スタジオは地下にあったからさ」
結局、ザ・ビートルズは47分間の演奏を敢行。このときの模様は映画『Let It Be』に収められている。
先週金曜日このギグの40周年を記念し、ザ・ビートルズのトリビュート・バンドThe Bootleg Beatlesが同じ場所でパフォーマンスすることを計画したが、警察や市議会から許可が下りず断念したという。
https://www.barks.jp/news/?id=1000046725


 映像◆The Beatles Rooftop concert  https://youtu.be/f7cMARkgWPQ
 
 映像◆☆ビー☆トルズ☆アップル☆屋上☆ライブ☆1969☆01☆30 http://video.fc2.com/content/20140330D499uXbB/
  アニメ◆動画:☆ビー☆トルズ☆アップル☆屋上☆ライブ☆1969☆01☆30
  ダイジェスト◆動画:☆ビー☆トルズ☆アップル☆屋上☆ライブ☆1969☆01☆30
  静止画◆動画:☆ビー☆トルズ☆アップル☆屋上☆ライブ☆1969☆01☆30
  音源◆http://youtu.be/OEjDa-xz0a4
  
  Original "Get Back" Album音源◆http://youtu.be/4XkfCWYK1FQ
  
  GET BACK 1st mix音源◆http://youtu.be/dXHl_Y_rt7U
  
  Get Back (Aborted Studio Album Re-Edit)音源◆http://youtu.be/TBk4QCCV5QQ
  
  http://applejamjam.web.fc2.com/
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 ┃ 『Magical Mystery Tour』  ┃
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 Capitol (S)MAL 2835 - November 27, 1967
 Parlophone PCTC 255 - November 19, 1976
 (Originally released in the UK as an EP, (S)MMT 1)
 Parlophone PCTC 255 (Yellow Vinyl) - May 1979
‡Mobile Fidelity MFSL 1-047 - January 30, 1981
 (CD) Parlophone CDP 7 48062 2 - September 22, 1987
 Capitol C1-48062 - July 1, 1988
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 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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 ┃ ビートルズ登場とメッセージ・ソング ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛1960年代初期には音楽としてのロックは次第に社会に定着。またモータウン・サウンドなど「ポップ調R&B」もビルボード・チャートを賑わせていましたが、これを幸いにビルボードにとって問題曲の多い「R&Bチャート」を1963(昭和38)年11月に終了させます。ところが1964(昭和39)年に「ビートルズ」が米国に進出しチャートを独占。米国の保守的な人々にとっては「ビートルズ」も反社会的象徴で、ビルボードは[好ましくない耳障りな音楽」の飽和状態になり、1965(昭和40)年1月には再び「R&Bチャート」を復活させます。また1960年代中頃からアフリカ系米国人による人種解放をテーマとした曲、及び1960年代後半からベトナム戦争に対する反戦ソングが登場。しかし米国では保守層の抗議や政府によるオンエア自粛依頼などがあり、チャート決定にオンエアーを加味(比率は非公開)しているビルボードは大衆と離れたチャートとなっていきます。尚、1960年代中頃から通称「ポップチャート」と呼ばれるようになっています。
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 http://yougaku-data.com/a-guide/guide-hot100.php
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1963年に書かれた ビートルズ4人のサイン 
コメント・・・1963年に書かれたビートルズ4人のサインです。
4人とも青のボールペンでサインを書いています。それぞれ”xxx”マークを書き入れています。
サインが書かれているのはスケジュール帳から切り離された1ページで
■1963年6月5日~8日■のページです。
サインはまだ字体が固まっていない頃のもので、1963年初頭に書かれたものだと思われます。
ビートルズは前年暮にドイツ巡業を終えたばかりで、1月のUKのツアーに出ていた頃です。
ビートルズ4人揃った貴重なサイン!紙のサイズは15cm x 9.5cm。
コンディションは、紙に多少のよれと経年黄ばみ、折りたたみ跡があります。
白黒写真と白黒ブロマイドが一緒に額装されています。額のサイズは60.5cm×47cm。
上の写真はサイズ20×25.4cm、サイン右横にブロマイド(13.5×17.4cm)。
保証書、鑑定書、額装付き。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w203851401
http://www.tracks-japan.com/autograph/beatles-autograph.html
 

1969年1月30日、ビートルズのラスト・ライヴがアップル・ビルの屋上で行われた
2017年01月30日 執筆者:藤本国彦
1969年1月30日は、映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years』の最後の場面にも象徴的に登場する、アップル・ビル屋上で劇的な演奏が披露された日だ。66年8月にコンサート・ツアーを辞めて以来、ビートルズにとって初めての「公」のライヴともなったが、しかし、あれが、4人が人前で演奏するぎりぎりの選択でもあった。
その屋上でのライヴは、ゲット・バック・セッションの最後を飾るにふさわしい一大レコーディングでもあった。ゲット・バック・セッションとは、66年のライヴ活動停止後、ビートルズが徐々に崩壊に向かっていったことに危機感を抱いたポールが提唱したものだ。デビュー時に立ち戻り、シンプルな編成で4人が顔を合わせてセッションに臨み、もう一度初心に返る――。そんな思惑のもと、セッションはまず1月2日から15日までトゥイッケナム・スタジオでテレビ・ショーのリハーサルとして行なわれ、21日~31日までアップル・スタジオでの本格的なセッションへと続いていった。
しかし、途中でジョージ・ハリスンの脱退やビリー・プレストンの加入など、4人を取り巻く環境の劇的な変化もあり、いつ解散してもおかしくない険悪な状況が続いた。そうした中であの屋上でのライヴは行なわれたのだった。
こうして69年1月30日午後12時40分ごろ、マイケル・リンゼイ=ホッグ監督の“On a show day”のアナウンスに続き、ロンドンのサヴィル・ロウにあるアップル・ビル本社屋上から、昼食時でごった返す人々の頭上に、いきなり大音響が降り注いだ。タイム・マシーンがあったら行きたい場面はビートルズの歴史には数多くあるけれど、あの日あの時あの場所にいられたらと思う。演奏されたのは下記の9曲、計42分間だった(*はアドリブ演奏)。
ゲット・バック#1/ ゲット・バック#2/アイ・ウォント・ユー(シーズ・ソー・へヴィ)(*)/ドント・レット・ミー・ダウン/アイヴ・ガッタ・フィーリング/ワン・アフター・909/ダニー・ボーイ/ディグ・ア・ポニー/ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン(*)/アイヴ・ガッタ・フィーリング/雨の日の女(*)/ア・プリティ・ガール・イズ・ライク・ア・メロディ(*)/ドント・レット・ミー・ダウン/ゲット・バック
映画『LET IT BE』のクライマックスを観ればその素晴らしさがより実感できるが、ほとんど身内や関係者しかいない「ステージ」であったとしても、いきなりあそこまでの演奏ができるとは…。それ以前の散漫なセッションを耳にするとなおさら思うところだが、デビュー前からライヴで鍛え上げた職人技はダテじゃなかった。「さすが」と言うしかない。特に「アイヴ・ガッタ・フィーリング」「ワン・アフター・909」「ディグ・ア・ポニー」は、リハーサルを含むそれ以前のどの演奏と比べてみても、屋上のライヴがベストであるのは明らかだ。メンバー以外の誰かがいる人前でのライヴだったからこそ――“人前”と言っても、関係者+隣の建物の屋上などのわずかの“観客”だけだが――、演奏をここまで改善させることができたのだろう。
ビートルズの“ラスト・ライヴ”は、「オーディションに受かるかな?」というジョンの有名な一言で終了。数多くの伝説を生み出したビートルズ。解散間際のルーフトップ・セッションで、新たな伝説をもうひとつ作ったのだった。
≪著者略歴≫藤本国彦(ふじもと・くにひこ):CDジャーナル元編集長。手がけた書籍は『ロック・クロニクル』シリーズ、『ビートルズ・ストーリー』シリーズほか多数、最新刊は『GET BACK… NAKED』。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。 
GET BACK… NAKED
1969年、ビートルズが揺れた21日間
藤本国彦=著
A5変形312ページ
定価:3,000円+税
発行 牛若丸
〒107-0062 東京都港区南青山6-7-5
ドミール南青山601 株式会社マツダオフィス内
tel.03-3486-5125fax.03-3486-5197
発売 星雲社
〒112-0012 東京都文京区水道1-3-30
tel. 03-3868-3270fax.03-3868-6588
http://music-calendar.jp/2017013001


 ビートルズ解散50年経ってもなお語られる魅力 ジョブズやゲイツも彼らの世界観に浸った 
 2020(令和二)年07月08日(水) 09:50 東洋経済オンライン 里中哲彦:河合文化教育研究所研究員
 写真◆東洋経済オンライン 解散から50年経っても語られるビートルズの魅力とは?(写真:REX/アフロ) 
 ビートルズという、今でも世界中で愛されるロックバンド。ファブ・フォー(素敵な4人組)と呼ばれていた彼らの楽曲を聞いたことがない人はいないだろう。しかし、1970年4月の解散から半世紀が過ぎ、その楽曲は知られていても、ビートルズが世界中で愛される理由、その偉大なる足跡を知らない世代も増えている。「彼らがビートルズになるには、“神の手”としか説明がつかないような奇跡というほかない幸運に出会っている」と説くのは、『教養として学んでおきたいビートルズ』の著者、里中哲彦氏。「教養」としてビートルズについて解説した同書の中から、第1章の一部を抜粋して掲載する。
■インスピレーションの源泉■ビートルズは、ロック・ミュージック史上、最大にして最高のグループである。1960年代からこんにちに至るまで、性別も年齢も、人種も民族も、出自も職業も超えて、いまもなお多くの人びとに愛されている。もはや世界が共有する「教養」の一部である。だから、ジョン・レノンやポール・マッカートニーがビートルズのメンバーだったことを知らない若者がいるという話をはじめて耳にしたときは、信じられない思いがした。4人のメンバーの名を知らないとか、ビートルズの音楽が世代を超えて受け継がれていないとか……そんなことは考えてもみなかった。ビートルズは「常識」であり、「教養」ではなかったか。しかし、よくよく考えてみれば、当たり前のことである。ビートルズが解散してもう50年も経つのである。ビートルズを知らない若者がいても、なんの不思議もない。あるラジオのDJは「高校生にこれは誰の歌と聞かれたのが、ビートルズの〔ヘルプ!〕だった」と嘆いていたが、慨嘆(がいたん)するにはあたらない。そういう現実もまた、厳然たる事実として存在するのだ。逆に、ビートルズを知らなくても、スティーヴ・ジョブズの名を知らぬ若者はいないようだ。いわずと知れた「アップル」の革命児であるが、ジョブズは「音楽の聴き方」に革命をもたらしたことでも知られている。ジョブズは、ビートルズにインスピレーションを感じて、その生涯をまっとうしたひとりであった。彼は優秀な人材を集め、その融合から生まれるシナジー(相乗効果)を引き出すカタリスト(触媒)として優れていたが、そのインスピレーションの源泉はビートルズであったとCBSのインタヴューで語っている。「ビジネスの手本はビートルズだ。彼ら4人はお互いに問題を抱えながらもバランスを取り合い、全員がひとつになることで、それぞれの活動を合わせた以上に素晴らしい力を発揮した。これが、私の理想とするビジネスのあり方だ。ビジネスにおける偉業はひとりでは成しえない。それはチームによってもたらされるものなのだ」また、ジョブズが設立した会社は「アップル」(名づけ親はジョブズ)だが、その社名がビートルズがつくった会社「アップル・コア」に由来するのは間違いのないところだ。私生活においてもビートルズの影響は大きかった。ビートルズの好んだインドを旅し、導師を訪ね、禅に興味を持ち、瞑想し、マリファナを吸った。ビートルズの楽曲は愛用のiPod に入れていた。しかし、自宅ではレコードをかけることが多かった。過去のテクノロジーを否定するのではなく、現代のものと併用することで、ビートルズの音楽を享受したのだった。あたかも、それは、ビートルズはこう聴いてほしいという手本のようでもあった。
■「クレイジーな人たちに祝杯をあげよう」■1997年、売り上げや企業イメージでマイクロソフト社に大きく水をあけられていたアップルは、創業者スティーヴ・ジョブズを復帰させると、建て直しの一環として「Think different キャンペーン」を行った。アインシュタイン、ガンジー、ピカソ、ジョン・レノン、マイルス・デイヴィス、モハメド・アリなど、社会と意識に変革をもたらした天才たちが映しだされる白黒の画面に、「クレイジーな人たちに祝杯をあげよう」で始まるナレーションが流れた。「クレイジーな人たちに祝杯をあげよう。はみだし者、反逆者、やっかい者、変わり者、ものごとが世間の人たちとは違って見える人。彼らはルールを好まない。現状も肯定しない。人は彼らを引き合いにだし、同意しなかったり、賞賛したり、けなしたりする。でも、彼らを無視することは誰にもできない。なぜなら、彼らはものごとを変えてしまうからだ。彼らは人類を前進させる。彼らをクレイジーと呼ぶ人がいるが、わたしたちはそこに天才の姿を見る。世界を変えられると信じるクレイジーな人たちこそが、じっさい世界を変えているのだから」クレイジーな人(天才)たちが、ものごとを変え、人類全体を前に推し進めるのだと高らかに宣言したのだった。以後、ジョブズ率いるアップルが快進撃をつづけたのは周知の事実だ。キーワードは、Think different.(発想を変えるんだ)である。本来ならば、“Think differently.”とすべきところを、発想を変えて“Think different.”としたのが功を奏した。固定観念にとらわれず、見方を変えてものごとを見つめようというわけだ。ジョブズは、とりわけジョン・レノンが好きで(「ヒーロー」とまで崇めている)、ジョンが熱心だったプライマル療法(幼児体験に直面させ、自己鍛練によって殻を打ち破るという精神療法)にも通っている。ジョブズが禅や精神療法に心の平安を求めたのは、彼が養子で、本当の親を知らないという事情があったようだが、親と一緒に暮らせなかったジョンと自分自身を重ねていたのに違いなかろう。
■ビル・ゲイツも大のビートルズ・ファンだった■マイクロソフトのビル・ゲイツも大のビートルズ・ファンだ。ゲイツはスティーヴ・ジョブズとの関係を〔トゥ・オヴ・アス〕(アルバム『レット・イット・ビー』収録)の歌詞にたとえて、ビートルズが「常識」であり「教養」であることを示したのだった。わたしたち2人(トゥ・オヴ・アス)は、いいときもあったし、よくないときもあったといいたかったのであろう。実際ジョブズはビル・ゲイツを高く評価していたが、「ちょっと視野が狭いと思う」と批判するなど、気に障ることが双方にあったのである。ビル・ゲイツのビートルズへの“入れ込みよう”もかなりのものである。2019年、Netflixは『天才の頭の中:ビル・ゲイツを解読する』を全世界に向けて配信したが、その音楽を担当したのは、ジョージ・ハリスンと妻オリヴィアの息子、ダーニ・ハリスンだった。これもビートルズへのオマージュであったに違いない。アナログ時代のビートルズが、IT社会を創りだした天才たちのインスピレーションに関わっていたとは、なんとも不思議に思われるかもしれないが、これもまたビートルズ・マジックなのである。ビートルズが自分の人生の中でどのような意味を持ったのか、語っている人は枚挙にいとまがなく、ビートルズは人生の指針であり、インスピレーションの源泉である。数多くの人たちがビートルズを契機、あるいは根拠地として、人生でやるべきこと、やってはいけないことを決めたのである。こうしたビートルズの存在を、偉大といわずになんと呼ぼう。
◎ビートルズは、今や、世代、国籍越えて愛されている!嫌いな人がいて当たり前!若い世代にも、ビートルズが好きな人もいる!仮に、ポール、リンゴが亡くなっても、若い世代のビートルズファン、ミュージシャンが承けついて、伝えて行くと思う!異議を唱える人も、いるだろう!それでも、叶わない!でも、いい音楽には、かわりない!新しいクラシックロックだと思います! 
◎ポップグループが自分で曲を書いて歌ったのはビートルズが初めてだった。それまではポップアイドルはソングライターの書いた曲を歌うのが当たり前だった。しかもビートルズの場合はジョンとポールと言う二人の天才的なソングライターがいた事が奇跡的だった。1961年12月にビートルズをオーディションで落とした事で有名になったデッカレコードの部長、ディック・ロウはそれに懲りたので
 1963(昭和38)年05月06日(月)にまだ無名だったローリングストーンズとレコーディング契約をする。
‡1970(昭和45)年01月30日(金) 8年後にビートルズがビルの屋上でライブをやった時にジョンレノンが「私たちがオーディションに受かるといいのですが」と発言しているのは自分がデッカのオーディションに落ちた事を皮肉っているのだろうね。 
◎ビートルズはCDのベストで聴いてももちろんいいのだが、何と言っても1960年代のグループである。だからその時代の人々が聴いていたようにレコードプレーヤーで聴くのがいいと思う。そして「ラバー・ソウル」などのオリジナルLPももちろん素晴らしいが、私は彼等の本当の偉大さはシングルとしての佳曲の数々にあると思っている。ポールが歌う「Act Naturally」なと是非聴いてみて欲しい。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/32a672cfd7f34e504f045ff28401bd70f564aa86

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