過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年12月09日(土) ライヴ演奏:パレス・ボールルーム/アルダーショット
③1962(昭和37)年12月09日(日) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール ※ジョージ・マーティンがビートルズのパフォーマンスを見る
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①1961(昭和36)年12月09日(土) これはビートルズが南イングランドで行った最初のショーであった。会場はハンプシャー州アルダーショット (Aldershot, Hampshire) のパレイ・ボールルーム (Palais Ballroom) であった。このパレイ・ボールルームでのイベントは、すでにマージーサイド地区 (Merseyside) では数多くビートルズのショーを成功させているサム・リーチ (Sam Leach) の企画だった。彼の考えは、レコード会社の幹部やA&R* の人間がビートルズを見にリヴァプールに来ようとしないので、彼らを連れてこっちの方から南東部に乗り込んでやろうという、ややシンプルで楽観的なものだった。*レコード会社における職務の一つ。Artist and Repertoire(アーティスト・アンド・レパートリー)の略。アーティストの発掘・契約・育成とそのアーティストに合った楽曲の発掘・契約・制作を担当する。しかしながらリーチの善意も、彼の地勢的な知識の欠如により惨憺たる結果となる。彼はビートルズをグレーター・ロンドン地区でプロモーションするのではなく、パレイ・ボールルームでのショーに彼らをブッキングした。それも5週連続の土曜の夜にであった。アルダーショットはロンドンから37マイルも離れた軍事都市であり、しかもパレイ・ボールルームは地元住民のボブ・ポッター (Bob Potter) による個人運営のホールであった。この夜のショーのポスターやビラには『リヴァプール vs ロンドン バンド対決』と銘打たれ、出演者はビートルズとアイヴァー・ジェイ&ザ・ジェイウォーカーズ (Ivor Jay & The Jaywalkers)、それに名前は記されなかったが「さらに2つのスターグループ」と書かれた。リーチはまたアルダーショット・ニュース (Aldershot News) という新聞に、かなり大きなサイズの広告を載せたつもりでいた。ところが広告料としてリーチが送った100ポンドの小切手は、新規の顧客は現金払いに限るという社内規定により、新聞社はその小切手を現金化することができなかった。さらにリーチは自分への連絡方法について何も知らせていなかったため、新聞社は支払いについての規定を彼に説明することもできなかったのである。こうして遂にその広告はなされずに終わった。その結果としてビートルズは、
ほとんど空の会場で演奏するはめとなる。リヴァプールから9時間の移動に耐えてはるばるやって来て、いざステージに上ろうという時に、彼らは町の喫茶店に行って彼らのショーの入場券を無料で配って歩いた。にもかかわらず会場に現れた観客はたったの18人であった。さらには出演者のアイヴァー・ジェイ&ザ・ジェイウォーカーズも現れないという、泣きっ面に蜂となった。
 ピート・ベスト『Beatle!』1曲を半分くらい演奏したところで、ジョージとポールは上着を着てフロアに降りて行き、フォックストロット (foxtrot) を一緒に踊り始めた。残りの2人は、彼らとわずかな見物人のために必死でバック・ミュージックを取り繕ったよ。ショーの後半は僕らは道化師に徹した。ジョンとポールはわざと音やコードを間違え、オリジナルの歌詞には無い言葉を加えて歌っていた。
 レコード会社のA&Rの人間に出席を呼びかけていたサム・リーチは意気消沈した。彼はアルダーショットの仕事のために派手な車をまる一月借りきり、リヴァプールとアルダーショット間の自分の往復のために、デイヴ・ジョンストン (Dave Johnstone) というおかかえ運転手をも雇っていた。一方ビートルズは、リーチの友人テリー・マッキャン (Terry McCann) が運転するヴァンでそのイベント会場に移動した。
 テリー・マッキャン ⇒ 僕らはとても早く出発した。サムはデイヴの車で、僕はビートルズとヴァンに乗った。ジョンはもちろん前の席に乗ったが、ピートとポールも前に乗ったのでギューギュー詰めで僕は運転できなかった。だから誰かがジョージとうしろの席に行かなければならなかった。結局うしろに行ったのはポールだったと思う。 当時は高速道路は無かったので僕はA1道をロンドンに向かった。途中スタッフォード州のカフェで休憩したんだが、その入口でのすれ違いに僕らに眼を付けてきた連中がいたのを覚えている。ビートルズの古びた黒革の服装を見ればある意味当然で、僕は彼らを責められないね。金を払ってその店を出る時、誰かが「ここにビートルズがいる」と引っ掻いてあった。アルダーショットには夕方5時~6時頃に着いて、会場を見つけたが鍵がかかっていて、解錠されるのを待たなければならなかった。だから僕らは腹ごしらえに行った。サムは外に出て、僕が数日前に貼り付けたポスターが引き裂かれているのを見つけた。それから新聞に広告が載ってないことにも気付いた。誰かがキャンセルしたのかなと僕は思ったよ。それは一つのトリックで、当時よくやってた手法だったんだ。気にせず会場に入り、荷物を降ろして、彼らをアンプをセットアップして、観客が群れてやって来るのを待った ... 辛抱強く待った ... が誰も来ない。サムのとっさの対応は道路の向かいのパブに飛び込んで、そこの客をこっちに引っぱってくるというものだった。彼はビールを会場に運び込んだ。それが写真に写っているだろ。また彼は通りがかった人を、誰かれ構わず呼び止めてはショーのことを宣伝した。彼らは一応入って来たが、ちらっと見てはつまんないと言って、どこかに消えていった。ビートルズはさすがにうんざりの様子だったが、演奏は続けた。彼らのいつものナンバーをやってたはずだ。チャック・ベリー (Chuck Berry)、ジェリー・リー・ルイス (Jerry Lee Lewis)、エディ・コクラン (Eddie Cochran) なんかだ。ジョージはチャック・ベリーの曲のイントロを全部知ってたので、それは十八番芸だった。ポールはたぶん「Till There Was You」を歌ったと思う。他のみんなは嫌ってたが、ポールはそれだけは譲らなかったんだ。僕は観客が興味を感じていないことに驚きはしなかった。特に僕がドラムを叩いた15分位の間はね
ピートはある時点で嫌になって、代わりに僕がステージに上って数曲を演奏したんだ。それは以前にもやったことがあった。僕はリズムをキープすることはできたけど、けっして良い物じゃなかったよ。あの夜はこんな感じだったのさ。ビートルズは何もかもに失望して、ステージに上ったり下りたりしてた。それでジョージがフロアでワルツを踊って、ジョンがビールを飲んでいる写真が残っているというわけだ。ディック・マシューズ (Dick Matthews:マージー・ビート誌のカメラマン) はその間ずっと撮影し続けていたはずだ。それが彼の仕事だったからね。ジョージがポーズを取っている写真には、彼の靴に開いた穴がはっきり写っていた。でも掲載される時にはその部分はトリミングされていたよ。たった4人が踊り、他の6人は部屋の縁に立ってつまらなそうな顔をしているという状況が、ビートルズにとってどんなものだったか想像できるだろ。かれらはベストを尽くしたが、報われなかった。彼らは9:30pm頃に荷物をまとめた。それからサムはビールとビンゴボールをフロアに投げ散らし始めた。まさに「リヴァプール vs アルダーショット」だった。
 地元では満席の会場でプレーすることに慣れていたビートルズだが、この時はまばらな観衆を前にしての演奏だった。サム・リーチは広いフロアを埋めるために「もっと散って下さい! 広がってください!」と、踊っている人々に言って回った。
 サム・リーチ ⇒ 残念ながら彼らのダンスは死人のシャッフルみたいだった。また僕はレコード・プレーヤーを入手できなかった。だからビートルズの休憩はたった15分に切り詰めざるを得なかった。
 リーチの友人のリチャード・マシューズ (Richard Matthews) が撮影したこのイベントの写真では、ビートルズの演奏中の顔は幾分むっつりしているように見える。ショーの終了後、彼らはワットニーのブラウン・エール (Watney's Brown Ale) を飲み、ダンスフロアでビンゴボールのフットボールをして、自らを慰める。そしてその会場で狂わんばかりに騒ぎまくった。付近の住民は警察に通報し、彼らが1:00amにボールルームから外に出てみると、3台のパトカーと4台の警察のヴァンが待機していた。彼らは町から出て、戻ってこないように言われる。
 サム・リーチ ⇒ そのわずかの観客は興奮を味わい、次の週も仲間を連れてやって来ると約束してくれた。当時若者だった彼らが、ビートルズがアルダーショットに現れて、ほとんど誰も彼らを見に集まらなかった事実を、今どんな風に語るのだろうと思うことが時々ある。僕にはこう聞こえてくる「ああ、僕らはそこにいたんだ。たった18人でビートルズのステージを見たんだ。彼らは1曲アンコールにも答えてくれたんだ。」
 どこに行くあてもないので彼らは車でロンドンに向かい、ソーホー区 (Soho) のブルー・ガーディーニャ・クラブ (Blue Gardenia Club) 行き、そこで即興的な演奏を行った。それはすでに
 1961(昭和36)年12月10日(日)の早朝である。そのクラブは、カス&ザ・カサノバス (Cass & The Cassanovas) の前のシンガー、ブライアン・カッサー (Brian Cassar) が経営していた
 1961(昭和36)年12月16日(土) 翌週の土曜日、リーチによる5週連続の企画の第2弾として、ロリー・ストーム&ザ・ハリーケーンズ (Rory Storm & The Hurricanes) がパレイ・ボールルームで演奏する。この時はアルダーショット・ニューズ紙は広告を掲載し、210人の観客を集めた。しかしリーチはあまりにも多くのトラブルに、残り3回のショーをキャンセルすることを決めた。
  写真◆上からディック・マシューズ、ジョン、ジョージ、サム・リーチ
  パレイ・ボールルームはアルダーショットのクイーンズ通り (Queen's Street) とペローン通り (Perowne Street) の角にあった。後に焼失して新たな建物が建てられている。
②オッド・スポット・クラブ (Odd Spot Club) はリヴァプールのボールド通り (Bold Street) 89番に所在し、この日ビートルズは初めてこのクラブに出演した。このクラブは
‡1961(昭和36)年12月09日(土)にオープンしている。
 ビートルズはオッド・スポット・クラブには2回出演しているヨ(=^◇^=)
 1962(昭和37)年03月29日(木) 
 1962(昭和37)年08月11日(土)
③1962(昭和37)年12月09日(日) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール ※ジョージ・マーティンがビートルズのパフォーマンスを見る
 いつものありふれたキャバーン (Cavern Club) のイブニングショーであった。ただいつもと違っていたのは、観客の中にパーロフォン (Parlophone) のプロデューサー、ジョージ・マーティン (George Martin) がいたことである。マーティンとアシスタントのジュディ・ロックハート・スミス (Judy Lockhart-Smith:後にマーティンの妻となる) はこの湿っぽい地下クラブには似つかわしくない観覧者であった。マーティンがここに現れた理由は、ビートルズが故郷の群衆を前にして行う演奏を録音し、そのライブ録音を彼らのデビューアルバムとしてリリースすることを思いついたからであった。しかし結局彼はその思いつきとは異なる判断をし、アルバム『Please Please Me』をレコーディングして1953(昭和28)年のはじめにリリースする。ジョージ・マーティン (George Martin) の決断の鍵となったのは、このクラブの蒸し暑い環境がEMIの高価な装置に悪影響を与えることを恐れたためであった。ビートルズの他にはザ・フォーモスト (The Fourmost)、ザ・ブルー・ジーンズ (The Blue Jeans)、ゼニス・シックス・ジャズ・バンド (Zenith Six Jazz Band) が出演している。マーティンはザ・フォーモストのコメディ演芸に興味を示したことがブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) を促し、彼はザ・フォーモストに対してマネージメントの契約を提示している。
 デイヴ・ラヴレイディ (The Fourmost)「The Cavern」スペンサー・レイ ⇒ ジョージ・マーティンが、ロンドンに来てオーディションで演奏漫談をしてみないかと誘った時、僕らは吹き出しそうになったよ。あれは巧妙なもので僕らは自分たちの芸に満足していたが、ジョージ・マーティンは僕らが間違ったコードを演奏してると言ったね。 
 これは彼らの117回目のイブニングショー出演であり、ランチタイムショーを含めると265回目のキャバーン・クラブへの出演だった。ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていないが、1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
④1962(昭和37)年03月31日(土) ライヴ演奏:サブスクリプション・ルームズ/ストラウド
 この日ビートルズはサブスクリプション・ルームズ (Subscription Rooms) に初めて出演した。この会場はグロスター州ストラウド (Stroud, Gloucestershire) のジョージ通り (George Street) にある大きな建物である。これは南イングランドでは通算2回目のショーであった。1回目は
‡1961(昭和36)年12月09日(土)にアルダーショット (Aldershot) のパレイ・ボールルームで開催されたショーで、その時彼らは悲惨な思いを経験している。しかし今回は、初めてブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) のマネージメントによりブッキングされている。このイベントはサム・リーチが企画したアルダーショットのショーとは異なり、カーナ・バラエティ・エージェンシー (The Cana Variety Agency) というしっかりしたロンドンの企画会社によって開催されたものであったが、サブスクリプション・ルームズでのショーは好ましいものではなかった。この会社はジョン・[ジャック]・ファロン (John [Jack] Fallon) とビル・フレイザー・ライド (Bill Fraser Reid) が経営し、南イングランドでのイベントを企画/開催していた。
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 ①http://gejirin.com/beatles/history/1961/19611209_live_Palais_Ballroom.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620329_live_Odd_Spot.html
 ③http://gejirin.com/beatles/history/1962/19621209_live_Cavern.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620331_live_Subscription_Rooms.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|December 09|343
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|12月09日|
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 1960(昭和35)年12月09日(金)  初のハンブルグ巡業はジョージが18歳未満だったということ、またポールとピートの放火事件で強制送還になって、ジョンとスチュたちとは離ればなれに。
 1963(昭和38)年12月09日(月)  秋の全英ツアーでサウスエンド・オン・シーのオデオン・シネマでコンサート。楽屋でBBCテレビ・ニュースのスタッフがインタビュー
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17211
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/012/1209.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15583663.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
 ┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1975(昭和50)年12月
‡No.155(2) 1975-12-00(???) Lennon / Hit Parader (1 photo) Lisa Robinson talks with John about Beatles, Klein, and deportation. 
  Note・・・『THE BEATLES Interviews Database』Last article in 1975
 John Lennon Interview: Hit Parader, December 1975
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 http://www.beatlesinterviews.org/db1975.1200.beatles.html
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  ┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-10:00pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ tape reduction from edit of takes 15, 
①┃ ♪Strawberry Fields Forever♪  ┃           24 into take 25, 
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛         overdub onto take 25
   No.5 前日のつなぎ合わせたテイクをリダクションして第25テイクを作成。リンゴのパーカッション類、ジョージのソード・マンデル(インドの卓上ハープ)などをオーバーダブ。そして特徴的な逆回転シンバルもこの日に録音された。
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     ┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Studio 2
     ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-10:00pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪Strawberry Fields Forever♪  ┃remix 4, from take 25
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  ┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-10:00pm
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①┃ ♪Strawberry Fields Forever♪  ┃overdub onto take 25
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  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Phil McDonald
 ‡1966(昭和41)年12月9日(fri)
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
②┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
 01.♪Strawberry Fields Forever♪ (demo sequence) (mono) November 1966 Kenwood, Weybridge, UK 1:42 
 02.♪Strawberry Fields Forever♪ (Take 1) 24 November 1966 EMI Studios 2:35 
 03.♪Strawberry Fields Forever♪ (Take 7 and edit piece)" (mono) 29 November & 9 December 1966 EMI Studios 4:14 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
②┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
 01.♪Strawberry Fields Forever♪ [Demo Sequence] 66.11. ここからはSGT. PEPPERSセッションより。この曲ももともとは同アルバムに収録される予定でレコーディングがスタートした。ジョンが自宅で一人で録音したデモ・バージョン。ギター1本で淡々と歌われてるけど、これがまた悪くない。この曲はご存知の通り、完成までに紆余曲折があったが(詳細はこちら)、その影響か、ここでも同じ曲のアウト・テイクばかり3テイクが収められている。 
 02.♪Strawberry Fields Forever♪ [Take 1] 66.11.24. こちらは4人揃って最初に録音されたテイク1。出来としては公式テイクの前半部分に近いが、メロトロンの音がそれほど前面に出ていない一方、ジョージのトレモロを使ったギターの音が耳に残る。出来自体は悪くなく、これで完成でもなんら問題ないほど。 但しジョンは満足しなかったんだろう、そのことが完成までの様々な試みに繋がる。 
 03.♪Strawberry Fields Forever♪ [Take 7 & Edit Piece] 66.11.29.&12.9. 後に公式テイクの前半部分となるテイク7のコンプリート・バージョン。ということで、出だしは公式テイクと全く同じ、ただ途中で転調せず(というか、アップ・テンポのバージョン、テイク26に繋がらない)、最後まで同じアレンジで演奏されている。ご存知の通り、これで一旦「完成テイク」とされていたこともあり、出来はとてもよいと思う。 一体ジョンはどこが気に入らなかったんだろう・・・。実は私は公式テイク後半のアレンジが好きじゃないから、このバージョンが公式に発表されていたら、この曲は「大好きな曲」になっていただろうに・・・。なお、ここでもANTHOLOGYならではの強引な編集があり、 エンディングに公式テイク後半、テイク26の、フェイド・アウト→フェイド・インに挟まれて聴けなかったリンゴの荒っぽいドラムと、それに乗せてジョンがアドリブで発したCranberry Sauseという声などが収録されている。これを入れることで、「I burried Paulと言ったわけじゃない」と証明したかったんだろうけど、私は前以上にI burried Paulと聞こえるような気がしてしまった(笑)。 なお、この曲に関しては、完成までに紆余曲折があった関係上、まだまだ多くの未発表テイクがあり、ブートでもいろんなテイクが聴けた。その中では、公式テイク後半のテイク26の、しかもテープの回転速度を下げていないアップ・テンポなバージョンが興味深いものだった。あれは曲の完成までの過程を辿る上でも、絶対ここにも収めるべきだったと思う。 
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 ①https://beatlesdata.info/9/08_strawberryfieldsforever.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Strawberry_Fields_Forever
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
 ②http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb21-2.html
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 ┃ The Savage Young Beatles 1950s 1961 ┃
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‡(sat)9 December 1961 The Palais Ballroom, Aldershot
 Photographer: Dick Matthews
 This is The Beatles' first London show. It's is the infamous show which was not advertised properly and resulting in only 18 people attending. The local newspaper, Aldershot News, neglected to feature Sam Leach's advertisement for the show. But, apparently, the band and friends had their own fun after the show. Subsequent shows at this venue were properly advertised and attendance was very good.
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 http://www.beatlesource.com/savage/1961/61.12.09%20aldershot/61.12.09aldershot.html
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 ┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(sat)09 December 1961 Aldershot, England, Palais Ballroom
‡(sat)09 December 1961 London, England, The Gardenia Club
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 ┃ THE BEATLES Live 1962 ┃
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‡(sun)09 December 1962 Liverpool, England, The Cavern Club 
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 ┃ Autumn 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
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‡No.33 (mon)09 December 1963 Southend-on-Sea, England, Odeon 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┃ THE BEATLES' 1965 UK tour  ┃
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‡No.11 (thu)09 December 1965, Birmingham City, Odeon Cinema  (Afternoon)
‡No.12 (thu)09 December 1965, Birmingham City, Odeon Cinema (Evening)
   01.♪I Feel Fine♪
   02.♪She's a Woman♪
   03.♪If I Needed Someone♪
   04.♪Act Naturally♪
   05.♪Nowhere Man♪
   06.♪Baby's in Black♪
   07.♪Help!" (Lennon)
   08.♪We Can Work It Out♪
   09.♪Yesterday♪
   10.♪Day Tripper♪
   11.♪I'm Down♪
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1965_UK_tour
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 音源◆John Lennon Singles/Plastic Ono Band Demos (1969/70) https://youtu.be/ffn-w70jsZM
 01 - Cold Turkey [0:00]
 02 - Give Peace A Chance (1st Demo) [3:38]
 03 - Give Peace A Chance (2nd Demo) [4:16]
 04 - Oh Yoko! [4:42]
 05 - God (1st Demo) [9:18]
 06 - God (2nd Demo) [11:37]
 07 - Love [13:49]
 08 - Mother [16:17]
 09 - Well, Well, Well [20:52]
 10 - I Found Out [22:11]
 11 - Look At Me [26:10]
 12 - I'm The Greatest [29:17]
 

 映像◆Man punches a kangaroo in the face to rescue his dog (Original HD)  https://youtu.be/FIRT7lf8byw
 
<目撃>カンガルーを殴る話題の動画に「命落としてたかも」と専門家
2016(平成28)年12/9(金) 7:20『ナショナル ジオグラフィック日本版』配信 
猟犬にヘッドロックするカンガルーに飼い主が反撃、どうなる? ⇒ オーストラリアで6月に撮影された動画が今週、インターネットで大きな注目を集めている。大きなオスのカンガルーと人間の男性が対決する劇的な場面を収めたものだ。この男性はグレイグ・トンキンスさん(34歳)と報じられており、友人たち数人と猟犬とともに、豪ニューサウスウェールズ州郊外でイノシシ狩りをしていたという。その最中、トンキンスさんは自分の猟犬が大型のカンガルーにヘッドロックをかけられているのを目にし、犬を助けようと駆け付けた。驚いたカンガルーは、犬を解放。だがトンキンスさんは、続けてこのカンガルーの顔面を殴った。メディアには、「カンガルーを脅かして遠ざけ、犬が逃げるチャンスを作りたかった」と話している。「この男性はとても幸運でした。命を落とす可能性もあったからです」と話すのは、ナショナル ジオグラフィック協会が支援するエクスプローラーで、カンガルーを研究するマーコ・フェスタ・ビアンチェット氏だ。同氏はカナダ、ケベック州にあるシャーブルック大学の生物学者でもある。一般のイメージとは異なり、カンガルーは普通、ボクサーのように互いに殴り合うことはないとフェスタ・ビアンチェット氏は説明する。むしろ、丈夫な尾でバランスを取りながら、力強い後ろ脚でキックを繰り出すことが多い。「今回のカンガルーが同様のキックを男性に食らわせていたら、彼はお腹を裂かれていたかもしれません」とフェスタ・ビアンチェット氏。カンガルーが時々使うもう1つの技は、相手の目を爪で引っかこうとするというもので、この攻撃を受けるとトンキンスさんは重傷を負うところだった。このカンガルーは明らかに大型のオスだと、フェスタ・ビアンチェット氏は話す。動画から、立ち上がったときの高さは約180センチ、体重80キロ近くにもなると推定される。体格からしておそらく9~15歳であり、最も血気盛んな時期だと思われる。野生では、オスのカンガルーは交配相手のメスをめぐって1対1で戦うことがよくあり、一方が死に至ることさえある。だが、普通はどちらかが負けを認める。その場合、グルーミングをしたり、せき込むような音を出したりする従属のサインがしばしば見られる。「パンチは間違いなく痛かったでしょう」とフェスタ・ビアンチェット氏。「カンガルーが『おっと、今のは何だ?』と言わんばかりなのがわかります。カンガルーは普通しない行為ですし、カンガルー同士で通じるサインも人間は出しませんから。面白い映像ではありますが、本当に危ない状況でした」報道によれば、カンガルーは茂みの中に逃げ込み、目につく傷はなかったとトンキンスさんは語ったという。
次ページは:男性の行動の是非は? 
男性の行動の是非は? ⇒ トンキンスさんのパンチに対して、インターネット上には批判的なコメントが寄せられた。中には、「カンガルーが犬を放したとき、なぜすぐに逃げなかったのか」という疑問の声もある。だがフェスタ・ビアンチェット氏は、その場にいなかった人々の分析には否定的だ。「男性は明らかに興奮状態にありましたし、難しい一瞬の判断を迫られていました」とフェスタ・ビアンチェット氏。「カンガルーに危機感を抱いたのは確かで、かつ自分の犬を守ろうとしていたのです」「それでも、私なら殴る以外の選択肢を勧めますが」とフェスタ・ビアンチェット氏は付け加えた。これまでのところ、ナショナル ジオグラフィックはトンキンスさんへの取材はできていない。今回、なぜカンガルーと犬が争いになったのか正確にはわからないものの、フェスタ・ビアンチェット氏によれば、ディンゴがカンガルーを捕食することはよくあり、カンガルーもディンゴとの戦いに慣れているという。「カンガルーはディンゴを地面に組み伏せて自分の身を守ることが多く、この動画でもまさにその行動を見せています」とフェスタ・ビアンチェット氏
勤務先の動物園もコメント ⇒ 実は、トンキンスさんは野生動物に関わる仕事をしており、タロンガ・ウエスタン・プレーンズ動物園の飼育員も務めていることが、同園の声明で明らかにされた。タロンガ動物園は、今回の件について調査中とのことだ。声明によれば、トンキンスさんの雇用が危うくなることはないという。6年の勤続の間、トンキンスさんは「動物のケアと福祉に対し、当園が目指す模範的なアプローチを常に実践してきました」と評価されている。「しかしながら、最高水準の動物福祉とケアは当園が大事にしている価値観であり、野生動物との関わり合いにおいても、スタッフには常に守ってほしいと期待する点の1つです」「当園は動物に攻撃を加えることには強く反対しており、狩猟に犬を用いる慣行も支持していません。狩猟対象と犬の双方の福祉を悪化させる可能性があるためです」と、動物園側は記している。トンキンスさんの友人たちは、「あの状況で自分自身、犬、仲間たちを守るために必要な行動を取った」として、彼の行動を支持する発言をしている。彼らが連れ立って出掛けたのは、病気の友人がイノシシ狩りに出るのを助けるためだったという。その後、その友人は亡くなった。オーストラリアでは外来種のイノシシが生態系に悪影響を与えており、イノシシ狩りが広く行われている。狩りに犬が使われることもある。犬にイノシシを捕らえさせてからナイフで殺すと、銃を使わずに済むためだ。
 映像◆Kangaroo Boxing Fight - Life Story - BBC https://youtu.be/WCcLMNcWZOc
 

 映像◆1988『イマジン』http://video.fc2.com/content/20140215uCp263HF


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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
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 |1967(昭和42)年 1月19日(木)|「真夜中のクレッシェンド」
 |2009(平成21)年 1月19日(月)|甲虫日記更新日 No.041
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†1980(昭和55)年12月9日(火)、学校から帰宅した僕は、夕方からラジオを付けっぱなしにしてFEN(現AFN)を聴いていた。ビートルズと解散後のジョンのソロ・ナンバーだけが流れていた。時折流れるDJの暗く沈んだ声が、ジョンが射殺されたことを繰り返し伝えていた。
自分の中で、何かが崩れた。部屋にはったポスターを眺めながら、この追悼番組が放送されている間は、ジョンが死んだことを受け入れなくても許されるんじゃないか、と自分に甘く慰めてもいた。
午前3時が近づいていた。「あと1曲で最後かも知れない」。予感がした。この曲名が自然と頭に浮かんだ。ジョンが弾くアコースティック・ギターのイントロの音がラジオから聞こえてきた。
「この世の終わりのような音」が永遠に続くようにと、心の底から願って聴いていた。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は、2月3日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ ポールは、休暇から帰る飛行機のなかで架空のバンドになりすましてアルバムをつくることを思いついた。機内食の塩・こしょう(ペパー)を見て楽団のリーダーをペパー軍曹と名づけ、当時流行っていた長たらしいバンド名を考えた。タイトル曲には、ショーを演出するため歓声や効果音を入れた。ロード・マネジャーだったニール・アルピノールの発案で、ショーの終わりのあいさつとしてタイトル曲のリプリーズを入れることになった。そして最後の曲「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」につながる。
アルバム制作の録音は66年11月、シングルのみの発売となった「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」から始まる。個々の曲はペパー軍曹やショーとは関係ないが、「ストロベリー……」の録音が終わるころには、時代の象徴である「サイケデリック文化」をアルバム全体のコンセプトにすることが決まった、とジョージ・マーティンは語っている。全英チャート(ミュージック・ウィーク)では22週1位、全米チャート(ビルボード)では15週連続1位を獲得した。
 『SGT PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND』1998年03月11日  EMIミュージック・ジャパン 
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/090119.html
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 ┃ FABRICK(The Beatles Tribute Band) ┃
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 2003(平成15)年12月:John Lennon Forever In HIROSHIMA 2003 へ初参加。
 2004(平成16)年12月:John Lennon Forever In HIROSHIMA 2004 へ参加。
 2006(平成18)年12月:John Lennon Forever In HIROSHIMA 2006 へ参加。
 2007(平成19)年12月:John Lennon Forever In HIROSHIMA 2007 へ参加
 https://ja-jp.facebook.com/fabrick.jp/info?tab=page_info
 広島のビートルズコピーバンド、どういうグループが上手ですか?
 2013/5/29 07:46:42
 前に九州のイベントでご一緒したことがあるんですが、Fabrick (ファブリック)さんは完成度の高いコピーです。レパートリーも初期から後期まで、演奏はもとより全員歌えてコーラスもばっちりです。リーダーが経営なさっているショーパブで定期演奏なさっているようです。
 https://www.youtube.com/watch?v=M6b_Blijj0g
 映像◆FABRICK 「メドレーⅢ」 Cover  http://youtu.be/M6b_Blijj0g
 2012.1.14 ライブ、サードステージより。
 ①「パーティーはそのままに」久々の演奏でした。リンゴさん、シャッフルを刻む右手がしんどいです。
 ②「Till There Was You」これも久々でしたが、お得意のナンバーです。かんちゃんのギターは1963年の「ロイヤル・バラエティーショー」のコピーです。
 ③「夢の人」これも久々で、イント-ロこけちゃいました。
 ④「Yesterday」FABRICK独自のアレンジです。
 ⑤「You Wont See Me」これも超久々です。リクエストがこないと、まずやりません。
 ⑥「Act Naturally」リンゴさん、お得意のナンバーです。
 ⑦「ノルウエーの森」これも-久々です。マーサのシタールの音が素敵!
 ⑧「ジョンとヨーコのバラード」FABRIC-K初披露です。
 ⑨「This Boy 」FABRICKお得意のナンバーです。
 ⑩「Nowhere Man」これもお得意の3声コーラスナンバーです。
 ⑪「She Loves You」何百回演奏しても飽きない曲です。
 
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 ┃ 『知ってるつもり?!』 ┃日本テレビ系列
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛ 21:00~21:54
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 |1990(平成二)年12月 9日(日)       「ジョン・レノン」 |
 |2001(平成13)年11月25日(日)「オノ・ヨーコ&ジョン・レノン」 |
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********************* http://www.uta-net.com/song/175881/
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%81%A4%E3%82%82%E3%82%8A%3F!_%E6%94%BE%E9%80%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
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 ┃ THE RETURN -THE BEATLES Tribute Band- ┃
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  No.01 2015(平成27)年11月13日(金) 新歌舞伎座 17:00
  No.02 2015(平成27)年11月14日(土) 新歌舞伎座 17:00 8月10日 S席:5.000円 A席:3,000円 特別席:6,500円 新歌舞伎座テレフォン予約センターTEL.06-7730-2222
  No.03 2015(平成27)年11月15日(日) アワーズホール明石市立民会館 14:00 8月1日 S席:6,480円(指定)A席:4,320円(当日指定)B席:2,160円(当日指定) アワーズホール・明石市民会館TEL.078-912-1234グッドラック・プロモーションTEL.086-214-3777  
  No.04 2015(平成27)年11月16日(月) 岡山シンフォニーホール 18:30 8月1日 S席:6,480円(指定)A席:4,320円(当日指定)B席:2,160円(当日指定)グッドラック・プロモーションTEL.086-214-3777  
  No.05 2015(平成27)年11月17日(火) 広島文化学園HBGホール 18:30 8月1日 S席:6,480円(指定)A席:4,320円(当日指定)B席:2,160円(当日指定)清水芸能企画TEL.082-292-0080グッドラック・プロモーションTEL.086-214-3777  
  No.06 2015(平成27)年11月19日(木) 関内ホール 18:30 7月18日 全席指定:5,500円 東京労音府中センターTEL.042-334-8471 
  No.07 2015(平成27)年11月20日(金) 木曽文化公園ホール 19:00 9月5日 全席指定:3,000円 高校生以下:1,500円※木曽広域連合主催の特別料金となっております。木曽文化公園ホールTEL.0264-23-8011 
  No.08 2015(平成27)年11月23日(月) ホクト文化ホール 中ホール ①11:30 ②15:00 9月1日 全席指定:7,000円 インデックスTEL.026-227-1320 
  No.09 2015(平成27)年11月25日(水) たましんRISURUホール(立川市市民会館) 18:30 7月18日 全席指定:5,500円 東京労音府中センターTEL.042-334-8471 
  No.10 2015(平成27)年11月27日(金) 仙台サンプラザ 18:30 8月7日 S席:5,500円 A席:4,500円 アイエスTEL.03-3355-3553 
  No.11 2015(平成27)年11月28日(土) 前橋市民文化会館 18:00 6月14日 全席指定:5,000円25歳以下:2,100円 ●※●1966年●ビートルズ武道館公演と同料金● 前橋市民文化会館TEL.027-221-4321 
  No.12 2015(平成27)年11月29日(日) 狛江エコルマホール 16:30 9月10日 全席指定:4,500円 狛江エコルマホールTEL.03-3430-4106 
  No.13 2015(平成27)年11月30日(月) よこすか芸術劇場 18:30 7月31日 S席:5,500円 A席:4,500円 アイエスTEL.03-3355-3553 
  No.14 2015(平成27)年12月 2日(水) かつしかシンフォニーヒルズ 18:30 8月7日 全席指定:5,500円 労音東葛センターTEL.047-365-9911 
  No.15 2015(平成27)年12月 5日(土) 御殿場市民会館 18:00 9月12日 S席(指定)4,500円(当日5,000円)A席(自由)2,500円(当日3,000円)※料金が変更になりました。御殿場市民会館TEL.0550-83-8000 
  No.16 2015(平成27)年12月 6日(日) 中日劇場 17:00 10月5日 A席:5,000円 B席:4,000円 中日劇場052-263-7171 
  No.17 2015(平成27)年12月 8日(火) 大宮ソニックシティ 18:30 7月25日 S席:5,500円 A席:4,500円 ちけっとぽーとTEL.03-5561-9001 
  No.18 2015(平成27)年12月 9日(水) 習志野文化ホール 18:30 7月31日 全席指定:5,500円 アイエスTEL.03-3355-3553 
  映像◆THE RETURN - I Want To Hold Your Hand (Dallas, GA 11-20-10)  https://youtu.be/aB1-KBQ0qOw
  
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 http://www.the-return.taps.jp/index.html http://blog.kouchu.info/2015/07/The-Return.html
 http://www.h-shimizu.com/geinou/event/2015/1117_return.html
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 エルヴィスの前には、何もなかった(ジョン・レノン)"Before Elvis, there was nothing." http://ameblo.jp/tnelvis/
 映像◆John's Aunt Mimi 1981 UK Interview https://youtu.be/LRqU2teFtw8
 


 映像◆John and Yoko - Love and Peace, Documentary 1990 (Part 6 of 7) http://youtu.be/fDoIHPwDZJQリクエストによる埋め込み無効 
 The Real Yoko Ono (Part 1 of 6) 素顔のジョン&ヨーコ http://youtu.be/8f5SbaMMI7U
 

 長時間版音源◆The Beatles: John Lennon Songs  http://youtu.be/45kIDd0FBqw
 
 PV(=^◇^=)映像◆The Beatles Lennon, John - The John Lennon Video Collection  http://youtu.be/X162r24hMIY

 映像◆The Comedy of John Lennon https://youtu.be/6NErU1WTEUE
 
「僕らの曲をオリジナルだなんていわないでくれありゃあ、全部パクリだよ!」ジョンレノン
 レイ・コールマンに語った言葉
「ぼくらは街いちばんの盗人だったのさ。盗作の天才だな」ポール・マッカートニー
 1984(昭和59)年12月『プレイボーイ』インタビュー
 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/3797/The_Beatles.html
 PAUL_MCCARTNEY_ROCK_SHOW映像◆http://video.fc2.com/content/20140108rAecRAYr

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