過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1966(昭和41)年11月 9日(水)|「ヨーコとの出会い」
 |2008(平成20)年11月 7日(金)|甲虫日記更新日 No.035
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ロック音楽で名声を得たイングランド北部出身の男性と、前衛芸術家で日本の裕福な銀行家の娘との出会い。しかし、ファンは必ずしも2人を祝福したわけではなかった。
1966年11月9日、ジョンは友人のジョン・ダンバーが経営するロンドンのインディカ画廊に現れた。その夜、オノ・ヨーコの個展「ヨーコ・オノによる、未完の絵画と彫刻」の初日前のプレビューが開かれていた。
学習院大を中退し、ニューヨークの名門女子大サラ・ローレンスで音楽を専攻したヨーコは、美術の分野でも活躍し、風変わりな芸術家としての名声を高めていた。黒い袋に人が押し込められていたりする、ちょっとしたハプニング・アートを見せる「驚嘆すべき女性」――。それが出会う前のジョンのヨーコに対する印象だった。
画廊のなかをぶらぶらしていたジョンは、入り口の近くにあった梯子(はしご)に目が行った。それは天井にぶら下がっている1枚の絵を見るための梯子で、その端に小さな虫眼鏡が鎖でぶら下がっていた。
絵は無地の白いキャンパスのように見えた。ジョンは梯子を登り、虫眼鏡をのぞくと、絵には小さな文字で「YES」と書いてあった。
「僕は救われたような気分になった。『NO』とか『FUCK YOU』とかの言葉じゃなくて『YES』だったんだから」
この作品がジョンの心を大きく揺さぶった。
ハンマーでピアノを粉々にしたり彫刻を壊したり。当時の前衛芸術を「アンチ主義の連続で退屈だった」と否定的だったジョンにとって、ヨーコの作品群は新鮮に映った。
1個のリンゴが200ポンドで売られていた。台の上に新鮮なリンゴが乗っていて、そのリンゴがやがて腐っていくのを見る料金だった。
「彼女のユーモアが僕を直撃した」
『釘(くぎ)をハンマーで打ち込め』と書いた掲示板があった。「僕は、やってもいいか」。ジョンはたずねた。ヨーコは断った。そこへ店の主人が出てきて、小さな声でヨーコとヒソヒソ話をしていた。
結局、ヨーコが「5シリング出してくれたらやってもいいわ」と言った。
機転の利いた返しこそ、ジョンの得意技だ。
「わかった。5シリング君にあげたつもりで、釘をハンマーに打ち込んだつもりになるよ」
「その時、本当の意味で2人は出会ったんだ。2人はお互いの目をしっかり見つめあった」(『プレイボーイ』1981年1月号)
ジョン26歳、ヨーコ33歳。
ヨーコはジョンに会ったとき、ビートルズが何者であるか知らなかったと主張していた。しかし、ヨーコはビートルズが誰なのかを十分に知っていた。
約2カ月前、ポールの自宅をヨーコが訪れた。ポールによれば、その日は米国の前衛音楽家ジョン・ケージの54歳の誕生日だったという。今年の文化功労者に選ばれた作曲家の一柳慧氏は、ヨーコの最初の夫である。一柳氏は米国留学中、ジョン・ケージの影響を強く受け、帰国後、五線譜によらない図形楽譜など音楽の概念を覆す実験に挑んだ。
ヨーコは、そのジョン・ケージにプレゼントするため、いろいろな作曲家の楽譜を手に入れたいのだと説明し、ジョンとポールの楽譜を求めた。
ポールはやんわりと断った。「そうだなあ、僕はいいけど、ジョンにも聞かなくちゃならないよ」
そして彼女は……ジョンの腕をとり、個展を案内して回った。ジョンが帰るときも連れて行ってとせがみ、彼の車に乗り込もうとしたくらいだった。
「ヨーコと出会った当初は、彼女に恋したことに気づかなかった。芸術上の協力者と考えていた」(『アンソロジー』より)
ジョンとヨーコが男女の仲になるのは、それから1年半後の68年5月20日とされる。2人が全裸になったジャケットで知られるアルバム「トゥ・ヴァージンズ」が1日がかりでジョンの自宅で録音された日だ。妻シンシアはイタリア旅行に出かけていた。
イングランド北部の封建的な風土で育ったジョンに対し、独立心の強いヨーコは、対等に女性の権利を主張した。ジョンはそこにひかれた。自分を育てたミミおばさんや自由奔放な母親ジュリアに共通する強さを感じたのだろう。ヨーコがジョンに近づいた動機は何であれ、2人の出会いは運命的だった。
ただ、不幸なことに、ジョンのパートナーがポールでなくなってしまったため、「終わりの始まり」と受け取られてしまっている。
ビートルズは68年5月30日から、「ホワイト・アルバム」の制作に入った。スタジオの中でもヨーコはジョンのそばを離れず、曲づくりにも口を挟むようになる。ヨーコが病気になるとスタジオに彼女のベッドが置かれた。ジョンはヨーコなしでいられなくなっていた。
「僕ら4人の関係は密接で、家族のようなものだったから、ヨーコの登場は緊張を生んだ。僕らは他人からの度を越した干渉が嫌いだった。ヨーコは他人だった」(リンゴ)
「ふたりの絆(きずな)が育つにつれ、ジョンはポールや他のメンバーとの絆を縮小していった。以前のような親密な4人組――私を入れて5人組――ではなくなっていた」(ジョージ・マーティン)
「ジョンがグループを離れたのは、ヨーコとの関係の障害になるものすべてを精算するためだったんだと思う。彼は、ビートルズという大きな重荷を背負っていた。その重荷とは僕らとかかわりを続けることだった」(ポール)
「解散の全責任をヨーコに負わせるはフェアじゃない。みんな、自分の道を歩き始めていた。ヨーコはその状況を促進させる触媒のようなものに過ぎなかった。だけど、当時は彼女がいることが煩わしかった」(ジョージ)
「僕は、ツアーを辞めて以来、ビートルズから離れることをずっと考えていたのに、怖くてできなかった。ヨーコに出会って彼女が好きになった時、こう思った。ヒット・レコード以上だ」(ジョン)
 ◎『この日のビートルズ』の次回は、11月23日(更新は21日)です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ 映画「PEACE BED アメリカ vs ジョン・レノン」は、2007年12月8日に日本で公開された。「ベトナム戦争や人種差別、世界にあふれる貧困や暴力と闘うために何ができるのか」。1969年、その思いをジョンとヨーコは大胆な方法で表現する。新婚旅行先のアムステルダムで「戦争をする代わりにベッドで過ごそう 髪を伸ばそう 平和になるまで」と、有名な「ベッド・イン」でメディアに登場。斬新な意見広告のさきがけともなったメッセージ“HAIR PEACE BED PEACE”は世間を驚かせ、若者たちを戦争反対へと動かす大きなムーブメントとなった。
商品写真◆(C)2006 Lions Gate Films Inc. All Rights Reserved.PEACE BED アメリカ vs ジョン・レノン
2008年12月8日DVD発売 メディアファクトリー 
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/081107.html
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃ 上林 格  P.288      朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛‡2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫
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 | 人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。|
 | ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、            |
 | 文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。         |
 | 語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。    |
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓『dot.[ドット]』
 ┃ -世代を超えて愛される理由- ┃ 朝日新聞記者 上林 格 Kamibayashi Satoru
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛‡2013(平成25)年11月7日(木) 更新
拙著に収められた50本のコラムは、ビートルズの行動や関係する出来事を日付単位で綴ったものだ。出典は朝日新聞デジタルサイト「どらく」に足かけ7年更新を続けた同名の連載コラム。曲作りを中心テーマにした49本を選び、新たにジョージの誕生日をお題にした書き下ろし一本を加えた。
 偶然、ポール・マッカートニーの4度目の来日公演や、ビートルズの最新アルバム『On Air - Live at the BBC Volume2』の発売と本書の刊行時期が重なり、個人的には感慨深い。関連した内容としては、
1962(昭和37)年3月07日(水)のコラム「スーツ姿を初披露」で、彼らがBBCのラジオ番組に初めて出演した時の公開録音の模様を取り上げている。また、
1963(昭和38)年5月24日(金)のコラム「前代未聞の大抜擢」では、ラジオ番組を宣伝の場だけでなく、演奏技術向上の場として活用していたことに触れた。
 ネタの卵のほとんどは、筆者が熱心にビートルズを聴いていた中高生の頃、ライナーノーツや雑誌などから得た知識が基になっている。例えば、ビートルズ最大のヒット曲♪ヘイ・ジュード♪は、両親が離婚することになった、ジョンの息子ジュリアンを励ますためにポールが書いた曲として知られている。ポールがジュリアンと母が住む家へ向かう車中で構想を練ったとされ、「ヘイ・ジュリアン」と口ずさんでいるうち、何かの拍子で♪ヘイ・ジュード♪に変わったとされている。その後、筆者はジョンの元妻シンシアによる自伝を読み、ポールは一本のバラを携えて母子に会いに行った事実を知った。彼の優しさが嬉しかったと書いてあった。ドキュメンタリー・ビデオ「ザ・ビートルズ・アンソロジー」を紹介するテレビ番組で、ポールはこの曲の詞を初めてジョンに見せた時のことを「思い出すといつもセンチな気分になる」と語っていた。生前のジョンは「この曲は僕に向かって書かれた曲だ」と雑誌のインタビューに答えていた。こうした断片的な情報の蓄積が「いつの日付で何を書くか」のヒントになった。♪ヘイ・ジュード♪のレコーディングを開始した
「1968(昭和43)年7月29日(月)」を日付に選び、事実関係を調べて原稿として構成していった。
 驚異的なレコード・セールスで外貨獲得に貢献したビートルズは、
1965(昭和40)年10月26日(火)、英国女王からMBE勲章を授かる。だが4年後、ジョンは勲章を女王に返還した。調べてみると、彼は勲章を授かることに抵抗があったが、王室に対し非礼があればビートルズとはいえ許されないことも理解していた。返還は、いわば彼のけじめの儀式だった。
 リンゴ・スターの誕生日は1940(昭和15)年7月7日(日)。彼は4人の中では最も貧しい地区で育った。幼少の頃から病弱で入退院を繰り返したため、学校は欠席がちとなり満足に文字も書けなかったと告白している。社会人になっても彼は職を転々として苦労を重ねる。無職になれば、いつ徴兵されるかわからない不安を抱えてもいたという。1960年まで徴兵制度があった英国で、若者は兵役という逃れられない束縛を感じて生きていた。
 1963(昭和38)年1月11日(金)のコラム「ヒットの予感」では、ビートルズの成功を手助けするプロデューサーとの出会いを書いた。絶対音感を持つ長身の英国紳士ジョージ・マーティン。意外にも彼は、ジョンとポールの才能を当初は低くみていた。だが、不思議な魅力を持つ青年たちの素顔を知りたくなり、彼らの本拠地であるライブハウスを密かに訪れる。そうしたぎこちない関係も、最年少メンバーのジョージの「あんたのネクタイが気に入らない」というジョークで一気に打ち解けることになる。
 日本の英語教科書に初めてビートルズが登場したのは、三省堂の1978(昭和53)年度用中学教科書『ニュー・クラウン』だった。そこには、部屋でビートルズのレコードを聴く息子とレコードを止めさせようとする父親との対立する会話が1ページにわたって載せられている。ビートルズとはいえ、日本ではまだ世代を超えて評価される存在ではなかった。
 1965(昭和40)年6月14日(月)のコラム「名曲は落とし物?」では、そんな時代にロック音楽を聴きだした筆者にとって、「イエスタデイ」は「ロック嫌いの大人を完膚無きまでに黙らせるキラー光線だった」と書いた。しかし、いまやビートルズを「不良」と呼ぶ大人はいなくなった。彼らの現役時代を知るリアル世代は、本書で当時の自分自身を思い出していただけるかもしれない。最近、ビートルズの曲を好きになったという若い世代は、成功を掴もうと悩む等身大の彼らを身近に感じるかもしれない。ビートルズは世代を超えて楽しめる存在になっている。 
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/list.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
①┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1963(昭和38)年11月7日(木)
‡No.011(10) 1963-11-07(thu) Beatles / Dublin, Ireland (3 photos) Beatles interview at Dublin Airport by Frank Hall. God bless Freddie Bell. 
 Beatles Interview: Dublin, Ireland 11/7/1963
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‡1969(昭和44)年11月7日(金)
‡No.140(10) 1969-11-07(fri) McCartney / Life Magazine, Paul Is Dead (2 photos) Paul's statements from Life's cover feature about the rumors of his death. 
 McCartney Interview: Life Magazine, 11/7/1969
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 ①http://www.beatlesinterviews.org/db1963.1107.beatles.html
 ②http://www.beatlesinterviews.org/db1969.1107.beatles.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡(tue)07 November 1961 Liverpool, England, Merseyside, England, Civil Service Club The Cavern Club 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES Live 1962 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡(wed)07 November 1962 Hamburg, Germany, Star-Club ?(1~14 November 1962)
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Autumn 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.07 (thu)07 November 1963 Dublin, Ireland, Adelphi 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 1964 Autumn UK Tour ┃THE BEATLES SHOW
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.24 (sat)07 November 1964 6:30pm and 8:50pm.
 Cardiff, Wales, Capitol Centre ※『Gold Tour Programme』(6)
  参考パンフ■23:04 2017/03/18 1963 Gold Tour Programme (UK) An original concert programme from the Beatles UK tour of 1st November 1963 to 13th December 1963. The 12-page programme has the gold cover and contains various information and images of The Beatles and their support acts including Peter Jay & The Jaywalkers and The Brook Brothers. There is some mottling to the cover and a 19.5cm (7.75 inches) split down the spine. Condition is very good.
  https://www.tracks.co.uk/product/b23325-the-beatles-1963-gold-tour-programme-uk/
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Late 1963 Concert Reference Guide ┃
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‡写真◆November 7 Adelphi Cinema, Dublin ※A portion of this show survives on film.
 Note・・・It is planned to continue The Savage Young Beatles  through to the end of 1963. However, this will focus only, as was the original intention of the site, on "performances". This page is simply both a preview and a quick-reference to date and venue of The Beatles' concert performances through the rest of 1963. For 1963 television appearances, see here Radio appearances will be forthcoming. What this page is NOT...At this point, unlike the rest of The Savage Young Beatles... - Photographers are not named. That will be added later. - There are no enlargement links. - These are not all the photos I have but all dates are represented - These are not intended to be the best quality or most complete photos - The layout is not as concise as the rest of this site MANY thanks to Marcelo Ravello for his considerable help with this page. An additional thanks to Jules, Grinch, Murray15 and Trini.
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 http://www.beatlesource.com/savage/1963/63.zz.zz/63.xx.xxConcerts.html
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 ┛THE BEATLES 1966 Stereo mixing ┛Studio 1 (control room only)
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-5:30pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪I Want To Hold Your Hand (抱きしめたい)♪  ┃remix 1, from take 17
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛『REVOLVER』の発売後。この曲はジョージ・マーティンにより再度ステレオリミックスされた。ビートルズ初のベストアルバム「オールディーズ(未CD化)」のためである。ミックス自体は65年の物とほぼ変わらない。
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Mike Stone
 ‡1966(昭和41)年11月7日(mon)
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ ♪This Boy (こいつ)♪  ┃■BEATLELinksにはない情報■
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛『REVOLVER』の発売後。この曲はジョージ・マーティンにより再度ステレオリミックスされた。このリミックスはビートルズ初のベストアルバム「オールディーズ(未CD化)」のためなのだが、スタッフが「バッド・ボーイ」と「ジス・ボーイ」を取り違えてしまい、アルバム「オールディーズ」に収録されるのはこの「ジス・ボーイ」と勘違いして、ステレオ・リミックスしてしまったのである。オーストラリア盤のシングル「抱きしめたい」のB面に収められていたステレオバージョンはこれなのかも?
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 https://beatlesdata.info/15/06_iwanttoholdyourhand.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/I_Want_to_Hold_Your_Hand
 https://beatlesdata.info/15/07_thisboy.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/This_Boy
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      ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
      ┛THE BEATLES 1967 Stereo mixing ┛Studio 2 (control room only)
      ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-5:45pm
 ┏━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪Blue Jay Way♪ ┃remixes 1, 2, from take 3
②┃    ♪Flying♪ ┃remix 1, from take 8
 ┗━━━━━━━━━━┛♪Blue Jay Way♪ ステレオとモノラルの両方のミックスダウンが行われた。ステレオで試した事を、モノラルにも適用しようとしたがあきらめたそうだ。これによって、モノラルとステレオではミックスの違いが出る事になる。
         ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
         ┛THE BEATLES 1967 Editing ┛Studio 2 (control room only)
         ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-5:45pm
 ┏━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪Blue Jay Way♪ ┃of remix stereo 2
②┃    ♪Flying♪ ┃of remix stereo 1
 ┗━━━━━━━━━━┛
  Producer: George Martin
  Engineer: Ken Scott
  2nd Engineer: Peter Mew
       ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
       ┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Studio 1
       ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛9:00pm-4:30am
 ┏━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪Blue Jay Way♪ ┃remixes 20-28, from take 3
 ┗━━━━━━━━━━┛
      ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
      ┛THE BEATLES 1967 Stereo mixing ┛Studio 1
      ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛9:00pm-4:30am
 ┏━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪Blue Jay Way♪ ┃remixes 10-12, from take 3
 ┗━━━━━━━━━━┛
         ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
         ┛THE BEATLES 1967 Editing ┛Studio 1
         ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛9:00pm-4:30am
 ┏━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪Blue Jay Way♪ ┃of remix mono 27, of remix stereo 12
 ┗━━━━━━━━━━┛
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
 ┛THE BEATLES 1967 Stereo mixing/Recording┛Studio 1
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛9:00pm-4:30am
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ ♪MAGICAL MYSTERY TOUR♪ ┃remixes 5, 6, from remix stereo 4 with new overdub
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛
  ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
  ┛THE BEATLES 1967 Mono mixing/Recording┛Studio 1
  ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛9:00pm-4:30am
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ ♪MAGICAL MYSTERY TOUR♪ ┃remixes 8-10, from remix mono 7 with new overdub
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛
      ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
      ┛ THE BEATLES 1967 Tape copying ┛Studio 1
      ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛9:00pm-4:30am
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
④┃       ♪I Am The Walrus♪ ┃of remix mono 23
⑤┃   ♪Your Mother Should Know♪ ┃of remix mono 25
②┃            ♪Flying♪ ┃of edit of remix mono 6 and of edit of remix stereo 1
③┃     ♪MAGICAL MYSTERY TOUR♪ ┃of remix mono 10 and of remix stereo 6
①┃         ♪Blue Jay Way♪ ┃of edit of remix mono 27 and of edit of remix stereo 12
⑥┃     ♪The Fool On The Hill♪ ┃of edit of remix mono 12
⑦┃  ♪Strawberry Fields Forever♪ ┃of remix stereo 3
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Graham Kirkby
  Recording of sound effects for ♪Magical Mystery Tour♪. 
  Copies of ♪I Am The Walrus♪, ♪Your Mother Should Know♪, ♪Flying♪, ♪Magical Mystery Tour♪, ♪Blue Jay Way♪, ♪The Fool On The Hill♪ and ♪Strawberry Fields Forever♪, for Capitol
 ‡1967(昭和42)年11月7日(tue)
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 ①https://beatlesdata.info/9/04_bluejayway.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Blue_Jay_Way
 ②https://beatlesdata.info/9/03_flying.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Flying_(Beatles_instrumental)
 ③https://beatlesdata.info/9/01_magicalmysterytour.html
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/Magical_Mystery_Tour_(song)
 ④https://beatlesdata.info/9/06_iamthewalrus.html
 ④https://en.wikipedia.org/wiki/I_Am_the_Walrus
 ⑤https://beatlesdata.info/9/05_yourmothershouldknow.html
 ⑤https://en.wikipedia.org/wiki/Your_Mother_Should_Know
 ⑥https://beatlesdata.info/9/02_thefoolonthehill.html
 ⑥https://en.wikipedia.org/wiki/The_Fool_on_the_Hill
 ⑦https://beatlesdata.info/9/08_strawberryfieldsforever.html
 ⑦https://en.wikipedia.org/wiki/Strawberry_Fields_Forever
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Lost Weekend 失われた週末は本当に失われていたのか・・・  ┃2012(平成24)年2月11日(sat)  
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛テーマ:ビートルズ
‡1972(昭和48)年11月7日 マクガバンが大統領選挙に破れた夜、ジョンとヨーコはジェリー・ルービンのパーティに招かれる。NY中のリベラリストが集まった様なパーティでジョンはしこたま酔っぱらいとある女性とロッカー・ルームに閉じこもってしまう。ジョンと女性の行為は薄い壁を筒抜けでヨーコは強いショックをうけます。この出来事によってジョンとの間の「何か」が失われてしまったと感じたヨーコは自分の気持ちの整理を付けるためにジョンと別居し冷却期間を置くことを考え出します。
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 http://ameblo.jp/sugarmountain/entry-11161734029.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ON_THE_ROAD_2011_%22The_Last_Weekend%22_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
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【IN TOWN】こちらは1963(昭和38)年11月7日(木)に放送されたニュース映像である。空港に降り立ったビートルズのメンバーが、迎えられた関係者に紹介されているシーンから始まり、空港での一室だろうか、簡易的なソファーに座ってインタビューを受けている。マイクは司会者の持つ1本のみで、飛行機が飛び立つ騒音でインタビューが中断するなど、今では考えられない状況でのインタビューである。その他、ビートルズが宿泊しているホテルに詰めかけた若い女性ファンを必死で整理する警官や、その様子をレポートするアナウンサーの様子が収録されている。インタビュアーがファンにもみくちゃにされているのが面白い。
 IN TOWN November 7, 1963
 (thu)01. 1963 News Clip
 http://www.teenagedream-record-3rd.net/?pid=97095830

 久しく世間の話題から遠ざかっていたジョン・レノンでしたが、彼が使用し、50年以上行方が分からなくなっていたギターが、
‡11月7日米ロサンゼルスで競売に掛けられ、241万ドル(約3億円)で落札されたというニュースが届きました。虎は死して皮を留めるといいますが、さすがジョン・レノンというところ。バンド結成時から、ジョン・レノンとポール・マッカートニーとは、その高い音楽性において、よき理解者であり、かつライバルであったとようです。
 https://anincline.com/john-lennon/

《ピート・ベストに首を言い渡した男「ブライアン・エプスタイン」とは 》
「ピート・ベストがビートルズを突然脱退した!!」と云うニュースはすぐに広まり、また、ピート・ベストを辞めさせる際に、当時リヴァプールでD.J.をしていたボブ・ウーラー(キャバーンの顔とも云われたD.J.)とエプスタインとの間に一般的に知られている以上の何かがあったらしく、激しい言い合いがあったことも世間に知られてしまいます。ボブ・ウーラーは「ピートの件は変な噂が広まるより真実を書いた方がいい!真実を書く!」と経緯の全てを公表する旨をエプスタインに告げ、彼は、それが、多くのファンのためにとるべきことだと主張します。彼とエプスタインは口論し、エプスタインは逃げ出すように去りますが、その場にいたテッド・ニップス(歌手ビリー・クレーマーのマネジャー)が、仲に入り「ピート・ベスト、エプスタイン、そしてビートルズに起きたことは、第三者が口出しすべきではない」とウーラーに語り、エプスタインが去った後、彼を説得します。ウーラーがどのようなことを書こうとしたのか不明ですが、エプスタインが必死にピートの「首切り」を行ったことは紛れもない事実で、それは、端から見れば「何とも非情な行い」に見えたとしても仕方がないのでしょう。エプスタインは、レコード店経営者からロックグループのマネジャーに転身したおそらく初めての人間で、「その世界での当然の常識に無知」であったと云うことが彼の行いに拍車をかけたのも間違いないでしょう。しかし、同時に「その無知さ」が、考えられないほどの成功をビートルズにもたらすことになったのも事実です。当時のエプスタインとしては、目の前の問題を自分なりに一つ一つ懸命にクリアーして行くしか無かったと云うことです。?ピート・ベストから交代したリンゴ・スターは、ビートルズにとって申し分のないドラマーだと誰もが感じます。特にジョージ・マーティンは、リンゴが有能なドラマーであることに満足します。ジョンとポールの邪魔をせず、しかもキュートでユーモラスな彼のセンスはグループとして全く違和感も無く、彼を選んだビートルズのセンスにもマーティンは改めて感心します。しかし、別の問題は依然存在しており、「ピート・ベストをクビにした男、エプスタイン」は、ファンたちの怨嗟の的になり、彼はキャバーン・クラブに近づくことさえできなくなります。普通の生活でも、ボディーガードに守られなければならないほど危険な状態に陥り、「ピート・イズ・ベスト(ピート・ベストがナンバー1だ!)」、「ピート・フォエバー、リンゴ・ネバー(ピートよ永遠に、リンゴは要らない)」、とが書かれたプラカードを持ったファンたちが、N.E.M.S.((ネムズ)エンタープライズ (N.E.M.S. Enterprise)とは、
 1962(昭和37)年06月26日(火)、ブライアン・エプスタインが弟クライブを共同経営者に、ビートルズのマネージメント実務を処理する組織として設立した会社)の前を一日中歩き回ります。しかし、ピート・ベストを「傷つけた(とされる)」エプスタインは、それ以上に「傷ついていた」のかも知れず、彼は、自分がピートにとった態度に自責の念を持ち、罪悪感に悩まさ心身ともに疲れて行きます。そして、彼の常識とピートの件同様であろうこれから起こる出来事は、彼の理解を超えたところで進んでいくのですが、普通の人間ならば、とても耐えられないようなことにも彼は我慢し続けます。何故なら、彼は誰よりもビートルズを素晴らしいと思い、崇拝すらしていたからで、彼は誰よりもビートルズを愛していた人間だからです。やがて彼は、ビートルズ流の毒を含んだ、ひねりの利いた言葉のセンスを楽しめるまでになります。彼は、一見どうしようもないただのチンピラにしか見えない若者達が、実はとてつもなく鋭い感性を持ち、頭の回転も人一倍早く、一目で真実を見抜く洞察力を持っている素晴らしい人間達だということに気が付くのです。当時のエプスタインをクラブのオーナーが語っています、「彼はステージ脇で、ビートルズを見つめ、楽しくて堪らないという様子でした。彼は、すべての音、すべての瞬間を逃すまいとしているようでした。彼はいかにも上品で物静かで、まるで俳優のようでした。でも、彼はできることなら自分もビートルズになりたいと思っていたのでしょう。見込みはありませんでしたけどね」そして、ブライアン・エプスタインは「5人目のビートルズ」として精力的に活動をし続けるのです。
《ジョンとジョージのGibson J-160E "Jambo"》
 1962(昭和37)年09月10日(月)
 1962(昭和37)年09月11日(火)、ビートルズはデビュー・シングルを再録音することになりますが、ぞの前日の
 1962(昭和37)年09月10日(月)、ジョンとジョージの二人は、トニー・シェリダン (Tony Sheridan) が弾いているGibson ES-175 'Jumbo' に感銘を受け、自分たちもとリヴァプール・ラッシュワース楽器店に発注していたGibson J-160E "Jambo"がこの日アメリカから到着したと云う知らせを受け、受け取りに行きます。このJ-160Eは、翌日の『Love Me Do』の収録ではジョージが、『P.S. I Love You』の収録ではジョンが演奏することになります(『P.S. I Love You』のジョンのギターはRickenbacker 325の可能性も大いにある)。右写真と下記写真はマージービート誌が同年
 1962(昭和37)年10月に掲載したもので、初めて手にした
 1962(昭和37)年09月10日(月)に撮影されたものかどうかは不明です(ギターのTOP面に傷がありストラップもすでに装着されていることから、マージービート誌のイベントにて後日改めての撮影の可能性があります。
<参考記事>1963年後半、ジョンのJ-160Eは盗まれたとされていましたが、現存するジョージのJ-160Eのシリアルナンバーは、ジョンに渡されたJ-160Eのもので、ジョンとジョージのJ-160Eはある時点で、入れ替わったことが分かっています。50年以上行方不明だったジョンのJ-160Eは、奇跡的に存在していたことが分かり、
‡2015(平成27)年11月07日(水)の米・ビバリーヒルズのオークションハウス・Julien’s Liveが主催したオークションのイベントにて出品され、241万ドル(約3億円)で落札されます。
 https://beatles-in-ashtray.jimdofree.com/1962-%E5%BE%8C%E5%8D%8A-08-16-11-26/

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