過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1960(昭和35)年08月26日(金) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (10日目)
②1961(昭和36)年08月26日(土) ライヴ演奏:エインツリー・インスティチュート/リヴァプール
③1962(昭和37)年08月26日(日) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール
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①1960(昭和35)年08月26日(金) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (10日目)
 平日の夜は、
 08:00pm~09:30pm
 10:00pm~11:00pm
 11:30pm~00:30am
 01:00am~02:00am 以上、4時間半の演奏良好だヨ(=^◇^=)
②1961(昭和36)年08月26日(土) ライヴ演奏:エインツリー・インスティチュート/リヴァプール
 写真◆エインツリー・インスティチュート 1961年夏 日付は不詳
 写真◆エインツリー・インスティチュート 1961年夏 日付は不詳
 ビートルズはエインツリー・インスティチュートに、1961年01月07日から1962年1月までの間に合計31回出演している。
 1961(昭和36)年01月07日 13日 14日 18日 21日 27日 28日
 1961(昭和36)年02月08日 10日 15日 18日 22日 25日
 1961(昭和36)年03月01日 04日 08日 11日
 1961(昭和36)年07月21日 28日
‡1961(昭和36)年08月04日 12日 18日 19日 26日
 1961(昭和36)年09月02日 09日 16日 23日
 1961(昭和36)年10月28日
 1961(昭和36)年11月11日
 1962(昭和37)年01月27日
④1963(昭和38)年03月01日(金) ライヴ演奏:オデオン・シネマ/サウスポート
 ヘレン・シャピロ (Helen Shapiro) を主役とするUKツアーは、この日ランカシャー (Lancashire) のサウスポート (Southport) にやって来た。
 会場となったオデオン・シネマ (Odeon Cinema) はサウスポートのロード通り (Lord Street) にあるが、1979(昭和54)年に映画館としては閉館した。老朽化したその建物は翌年取り壊され、セインベリーズ (Sainbury's) のスパーマーケットになった。ビートルズは、この年の
‡1963(昭和38)年08月26日(月)にもう一度この会場に戻り、6夜連続で公演するヨ(=^◇^=)
 1963(昭和38)年08月27日(火) 2夜
 1963(昭和38)年08月28日(水) 3夜
 1963(昭和38)年08月29日(木) 4夜
 1963(昭和38)年08月30日(金) 5夜
 1963(昭和38)年08月31日(土) 6夜連続で公演するヨ(=^◇^=)
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600817_live_indra1.html
  https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600818_live_indra2.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610826_live_aintree_institute.html
  https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610107_live_aintree_institute.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630301_live_Odeon_Southport.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|August 26|238
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|8月26日|
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①1964(昭和39)年08月26日(水) コロラド州デンバー レッド・ロックス・アンフィシアター公演
 ★観客数7,000人 宿泊先はブラウン・パレス・ホテル
 ★楽屋にジョーン・バエズが訪れた。
 ★ポールのコメント、、、「標高が高いとは聞いていたけど、そこに着くと息をするのが辛いくらいだった。慣れてなかったからだろう。Long Tall Sallyを歌いながら「最高だぜ、文句なしの過呼吸じゃないか!ゼェ、ゼェ」と思ったのを覚えているよ。汗をかいたけど切り抜けることができた。体力的に興味深い体験だったよ。」
②【エピソード】
 ★1965(昭和40)年08月22日(日)の移動で乗っていた飛行機にアクシデントが起きた。ツアー中都市間の移動に使っていたアメリカン・フライヤーズ・エアライン社のロッキード機がミネアポリスから目的地のポートランドに到着する直前にエンジンのひとつが火を噴いた。
 ★同乗していた記者、、、「ジョンとポールはシートベルトを締めてジッと座り硬い表情をしていた。リンゴは真っ青な顔で、何が起きたのか、もし墜落したらどうすればいいのか尋ねていた。ジョージは非常口のそばに立って皮肉を一言「ボクらがあとどのくらい生きられるかなんて冗談は言わないほうがいいんだろうね。」と。」
 ★周囲にいた人の証言によるとジョンは「ビートルズと女性と子供が優先だぜ!」と叫び、「俺たちはバディ(ホリー)のところへ行くんだ。」とも語ったという。
 ★この出来事はメンバーにとって相当ショックだったらしく、
‡1965(昭和40)年08月23日(月)~26日(木)はロサンゼルスに滞在予定だったが、ハリウッドのベネディクト・キャニオン・ドライブにある借家で休暇を取ることに変更された。パーティも開かれ、訪れた映画俳優のピーター・フォンダとのLSDの経験は楽曲「She Said She Said」が誕生するきっかけにもなっている。
 ★広報のトニー・バーロウによると、シェア・スタジアムの控え室でインタビューを受けている最中に、突然ポールが演奏曲目を決めていないことに気がついたという。すっかり忘れていたそうである。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17106
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/008/0826.html
①https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-64.html
②https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-65.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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  ┛ THE BEATLES 1968 Mono tape copying  ┛Studio 2 (control room only)
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 ┃ ♪Revolution 9♪  ┃       of mono copy 2, 
 ┗━━━━━━━━━━━┛from edit of remix stereo 2
  Producer: not assigned
  Engineer: Ken Scott
  2nd Engineer: John Smith
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 https://beatlesdata.info/11/12_revolution9.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Revolution_9
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 ┃ A-side      ♪sour milk sea♪  ┃JACKIE LOMAX
 ┃ B-side ♪THE EAGLE LAUGHS AT YOU♪  ┃  Writer(s) George Harrison
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛Producer(s) George Harrison 
 ‡Released (mon)26 August 1968 https://en.wikipedia.org/wiki/Sour_Milk_Sea
  Recorded (mon)24  June 1968 EMI Studios, London; Trident Studios, London
  Recorded (tue)25  June 1968 EMI Studios, London; Trident Studios, London
  Recorded (wed)26  June 1968 EMI Studios, London; Trident Studios, London

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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1964(昭和39)年 8月28日(金)|「煙に包まれた初対面」
 |2011(平成23)年 8月26日(金)|甲虫日記更新日 No.095
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「大御所」といわれる数少ないロック・スター、ボブ・ディラン。ビートルズが彼と初めて会ったのは、1964年8月28日の金曜日だった。場所はニューヨーク。摩天楼マンハッタンのパークアベニューに建つデルモニコ・ホテルだ。その年2月の初渡米で「全米制覇」を成し遂げたビートルズの人気は、とどまるところを知らなかった。4月に音楽チャートの上位5曲を独占。8月から始まった約1カ月間の全米ツアーはどこも熱狂の嵐だった。その日、フォレスト・ヒルズ・テニス・スタジアムでは、1万6千人の観衆がジェット・エンジンンなみの絶叫を巻き起こした。両者を引き合わせたのは、アル・アロノヴィッツという米国人の音楽評論家だ。「サタディ・イブニング・ポスト紙」にビートルズに好意的な特集記事を載せたばかりの彼は、ビートルズのマネジャー、ブライアン・エプスタインから厚い信頼を得ていた。電話でジョンと直接話したアロノヴィッツによると、「ボブ・ディランに会いたいか」と聞かれたジョンは「もちろん」と即答したという。「ボブ・ディランは僕らのヒーローだった。ジョンがボブのレコードを聴かせてくれた。すごい曲をつくる、粋な若者だった」。リンゴがアンソロジーで回想したことは、初渡米直前にビートルズが公演のため滞在していたパリでの出来事だと推測できる。彼らはホテルで、地元ラジオ局のDJから借りたディランの2枚目のアルバム「FREEWHEELIN' Bob Dylan」を夢中で聴いていたという。「風に吹かれて」「激しい雨が降る」など全曲オリジナルで構成された名盤だ。ジョンは流行に左右されやすい自分の性格を「カメレオン」と例えたが、この頃の彼は「ディラン時代」なのだという。パリ滞在中のジョンの写真には、ファースト・アルバムのジャケットでディランがかぶっているようなつば付きの帽子をしたカットが残っている。ジョンの心酔ぶりがうかがえる。ポールは「FREEWHEELIN'~」以前からディランの存在を知っていたが、それほど胸に響く印象はなかったようだ。「ディランの回りくどい言い回しや詩の世界がジョンの琴線に触れたんだ。ジョンは『これこそ僕の世界だ』と感じたんだろう」ジョンによれば、「I'm A Loser」や「You've Got To Hide Your Love Away」あたりから、「僕は自分自身の感情を曲に表現するようになっていた」という。それまでは自著「In His Own Write」(64年3月出版)で表現していた「自分の世界」を、自作曲のなかでも展開するようになった。そのことをジョンに気づかせたのがディランだ。「話し合いとかしたわけじゃなく、彼の作品を聴くうちに気づいたんだ」ディランがビートルズを知ったのは、全米初のナンバーワン・ソング「I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)」がきっかけになる。63年のクリスマスの翌日に発売され、最初の3日間で25万枚を売り上げると
1964(昭和39)年1月10日には計100万枚を突破。
1964(昭和39)年1月25日、ついに全米ヒット・チャートの1位に立った。
この曲をディランは、コロラドの山岳地帯をドライブしているときに聴いた。放送していたラジオ局のヒット・チャートは、上位10曲のうち8曲がビートルズの曲だったという。「私には彼らが音楽の未来を切り開くように思えた」と賛辞すると同時に「いったい何が起きているんだ」と驚いている。 
 ◎ビートルズとディランの出会いにまつわる伝説とは… 次のページへ
ビートルズとディランの出会いに関して、伝説と呼ばれるエピソードは多い。ディランが「I Want To Hold Your Hand」を聴いた時、歌詞の一部「I can't hide」を「I get high」と聞き違え、「こいつら絶対にマリフアナをやっている」と勘違いしたというエピソードもその一つだ。逸話のせいで、ディランは「ビートルズに最初にマリフアナを教えた人物」にされている。そのため、ドラッグ文化に縁のない日本では、ディランの好感度を引き下げているように思える。どれだけ彼の描く詩の世界が素晴らしいと強調したところで、言葉の意味がわからなければ、早口で唱えるお経や念仏を聞いているようなものだ。音楽とはいえ、言葉の壁は大きい。初対面の日、ディランはアロノヴィッツとともにウッドストックにある自宅から車に乗ってビートルズが宿泊するホテルに向かった。しかし、ロビーに入ると警備の警官に足止めを食らう。すでにアルバム4枚を発表していたディランだが、警官は彼の顔を知らなかったようだ。米国でも知名度はビートルズに比べて、まだ雲泥の差があった。ディランはビートルズからサウンド面で影響を受けたと言われる。グループを組み、本格的にエレクトリック・サウンドを採り入れた。翌年の65年8月、「Like A Rolling Stone」が収録された「追憶のハイウェイ61」を発表している。ホテルのロビーで足止めをくったディランたちは、ビートルズのローディー、マル・エヴァンスの案内で、ビートルズとエプスタインが待つスイート・ルームに入る。その後のことは写真もテープも一切記録がないとされ、関係者の証言でしか伝えられていない。ジョンは、7カ月ばかり年下のディランが意外に小さな男だったことに驚いた。「歌から察すると、なぜか背の高い男に想像していた」からだ。そして、痩せていた。それでも部屋に架かってくる電話に出ては「こちらビートルマニアです」と答え続けたディランに対し、「彼とは、ユーモアのセンスと音楽の趣味が同じだった」と好印象を持った。初対面の男たちは、マリフアナを吸うために寝室にこもった。ディランのローディーがポケットに隠し持っていた。煙が漏れて警備の警官に感づかれないために、ドアのすき間にタオルを詰めて目張りをした。ディランは吸いやすいように準備してジョンに渡した。「君が試せよ」。ジョンはそれをリンゴに渡した。リンゴは毒味役になった。そのやり取りを見たディランは、4人の中でのリンゴの立場を感じ取った。本当に初体験だったリンゴは、たばこのようにスパスパと吸って最初にクスクスと笑い出した。ポールは、エヴァンスに「紙と鉛筆をくれ、ひらめいたんだ」と何度も言った。「その夜、僕は人生の意味を見つけた気がして落ち着かなかった」。後でポケットに入っていた紙を見た。「七つのレベルがある」と書かれていた。後になって、ジョンとジョージは、「この時が初体験だった」という定説を覆す告白をしている。初対面の彼らは、音楽をつくったり語り合ったりするような創造的な雰囲気をつくりだせなかった。気まずい時を過ごすことを避け、安易に「狂ったパーティー」に走った。現在、ポールは過去のドラッグ体験を積極的に語らない。「ドラッグは深刻な問題であり、いまの時代の人たちに影響を与えたくない」とまっとうな意見を述べる。ドラッグが「軽いもの」と誤解されないように慎重な態度をとっているようだ。しかし、始まりはいかなる出会いだとしても、両者はお互いに影響を与えあう存在になっていった。 
 ◎お知らせ ⇒ 全世界で3000万枚のセールスを記録したアルバム「ザ・ビートルズ 1」が最新リマスター音源で9月2日に世界同時発売される。ザ・ビートルズが英米で1位を獲得した楽曲全27曲を全て網羅している。税込み2600円。
  ザ・ビートルズ 1 2011年09月02日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/110826.html
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 ドーナツ盤音源◆THE BEATLES press conference VANCOUVER 1964  http://youtu.be/3KoSw4kK8Pk
‡August 26,1964 Press conference (With The Beatles) recorded at the Empire Stadium in VANCOUVER,CANADA on August 26,1964
 (Limited Edition Picture Disc "Timeless" p&c 1981 Silhouette Music)
 
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 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
 ┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1964(昭和39)年8月26日(水)
‡No.046(30) 1964-08-26(wed) Beatles / Denver, Colorado (5 photos) The Beatles' press conference and interviews at Red Rocks Amphitheatre. 
 Beatles Press Conference & Interview: Denver, Colorado 8/26/1964
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 http://www.beatlesinterviews.org/db1964.0826.beatles.html
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 ┃ Late Summer 1961  Aintree Institute Longmoore Lane Aintree ┃
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 Photographer: Dick Matthews? The exact date cannot be verified.
 Late 1961 Aintree dates
‡(sat)26 August
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 http://www.beatlesource.com/savage/1961/61.08.XX%20aintree/61.08.XXaintree.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡No.59 (mon)26 August 1963 Southport, England, Odeon Cinema (1)
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 ┃ Summer 1964 United States & Canada Tour ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.06 (wed)26 August 1964 Morrison (Denver area), United States, Red Rocks Amphitheatre 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES  America Single Release ┃
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 27.1968(昭和43)年03月18日(mon) 1 19 Capitol 2138 ♪Lady Madonna♪/♪The Inner Light♪【米;3週4位/96位】
‡28.1968(昭和43)年08月26日(mon) 2 1 Apple 2276 ♪Hey Jude♪/♪Revolution♪【米;9週1位/3週12位】
*************************** http://www.uta-net.com/song/8783
 http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓The Quarry Men
 ┃ The Savage Young Beatles 1950s 1958 ┃The Quarry Men
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛The Quarry Men
 (mon)14 July 1958  Percy Phillips' Studio 38 Kensington Liverpool
 Photographer: Jean Cathrell (plaque)
 On this day, The Quarry Men made what would become known as The Beatles' first recording. In addition to John, Paul and George, the band still included Colin Hanton on drums and new member John "Duff" Lowe on piano. Previously, the date of this recording was generalized as mid 1958. Creation of the new plaque (above) reveals that the date has somehow been determined to be 14 July 1958. How this was determined is unknown. Perhaps studio documents or some long lost diary has been discovered. If I get any new details, I'll post them here.
 NOTE: It has recently been drawn to my attention that this is NOT the date of this session. A source close to "Duff" Lowe says Lowe recalls that the session was in cold weather, perhaps October or November, and specifically remembers the band having to wear scarfs. Also, in The Quarrymen by Hunter Davies, a similar story is related by Colin Hanton. Clearly, this indicate later in the year. I've left this page at this date simply because it is the "announced" date. Read the details of this event below. Large images and further details about the disc can be found - here
 "That'll Be The Day" can be found on『The Beatles Anthology 1』
 "In Spite Of All The Danger" is edited on『The Beatles Anthology 1』 Hear an edit restoring it to its original length - here
 Plaque installed outside Phillips' studio on 
●26 August 2005
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 http://www.beatlesource.com/savage/1950s/58.07.14%20phillips/58.07.14phillips.html
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 映像◆ビートルズ ♪ヘイ・ジュード(HEY JUDE)♪
 1968(昭和43)年7月31日(水) 録音 トライデント・スタジオ
 1968(昭和43)年8月 2日(金) 録音 トライデント・スタジオ
 1968(昭和43)年8月26日(月) アメリカ リリース
 1968(昭和43)年8月30日(金) イギリス リリース
 1968(昭和43)年9月14日(土) 日  本 リリース
 アニメ◆動画:ビートルズ ♪ヘイ・ジュード(HEY JUDE)♪
 ダイジェスト◆動画:ビートルズ ♪ヘイ・ジュード(HEY JUDE)♪
 静止画◆動画:ビートルズ ♪ヘイ・ジュード(HEY JUDE)♪
 映像◆レアビデオ・ビートルズHey Jude レコーディングの様子The Beatles  https://youtu.be/w5mgyJbhmp8
 

 公式映像◆矢沢永吉が熱唱!HeyJude(ヘイジュード)【公式】  https://youtu.be/KJPB_F_O8K4
 2013/09/08(sun)公開 矢沢永吉さんが「ヘイジュード」を熱唱するプレモルの新CMです。
 
 公式映像◆Hey Jude by E.YAZAWA メイキングムービー  https://youtu.be/7Z_ig0svGg4
 2013/09/08(sun)公開 矢沢永吉さんが「ヘイジュード」を熱唱するプレモルの新CM「Hey Jude by E.YAZAWA」のメイキングムービーです。
 

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 ┃ ORIGINAL MOTION PICTURE SOUND TRACK  ┃
 ┃ 『A HARD DAY'S NIGHT』  ┃
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 1964(昭和39)年06月26日(fri) United Artists-UAL6366 (mono)
 1964(昭和39)年06月26日(fri) United Artists-UAS6366 (stereo)
‡1980(昭和55)年08月XX日(???) Capitol SW-11921
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 http://en.wikipedia.org/wiki/A_Hard_Day%27s_Night_(album)#North_American_release
 米Mhttp://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_united.html##1-1
 米Shttp://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_united.html##2-1
 http://rock-t.info/beatles-discography-ulp-uaaharddaysnight.html
 http://www.beatlesebooks.com/hard-days-night-soundtrack
 Ohttps://music.amazon.co.jp/albums/B019GHCHCQ
 ⑨https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTFD8QC
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 音源◆US『A HARD DAY'S NIGHT』https://youtu.be/CmEExB2llBo
 

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