過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年02月26日(日) ライヴ演奏:カスバ・コーヒー・クラブ/リヴァプール
②1962(昭和37)年02月26日(月) ライヴ演奏:キングズウェイ・クラブ/サウスポート
③1963(昭和38)年02月26日(火) ライヴ演奏:ゴーモン・シネマ/トーントン
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①1961(昭和36)年02月26日(日) ライヴ演奏:カスバ・コーヒー・クラブ/リヴァプール
 ビートルズは1960(昭和35)年から1962(昭和37)年の間に、カスバに37回出演しているヨ(=^◇^=)
 1960(昭和35)年12月17日・31日
 1961(昭和36)年01月15日・29日
‡1961(昭和36)年02月12日・19日・26日
 1961(昭和36)年03月05日・12日・19日・26日 
 1961(昭和36)年08月06日・03日・27日
 1961(昭和36)年09月10日・24日
 1961(昭和36)年10月22日
 1961(昭和36)年11月19日・24日
 1961(昭和36)年12月03日・17日
 1962(昭和37)年01月07日・14日・21日・28日
 1962(昭和37)年02月04日・11日・18日・25日
 1962(昭和37)年03月04日・11日・18日・25日
 1962(昭和37)年04月01日・07日・08日
 1962(昭和37)年06月24日
②1962(昭和37)年02月26日(月) ライヴ演奏:キングズウェイ・クラブ/サウスポート
 ビートルズはキングズウェイ・クラブに8回出演しているヨ(=^◇^=)
 1962(昭和37)年01月22日 29日
‡1962(昭和37)年02月05日 26日
 1962(昭和37)年03月05日 12日 19日
 1962(昭和37)年07月23日
③1963(昭和38)年02月26日(火) ライヴ演奏:ゴーモン・シネマ/トーントン
 この日ビートルズはヘレン・シャピロ (Helen Shapiro) を主役とするUKツアーに戻っている。彼らは1963年2月2日の初日からそのUKツアーに参加しているが、途中『Please Please Me』アルバムのレコーディングが入ったり、ビートルズ単独のショーが入ったりして、一時的にツアーの戦列を離れることはしょっちゅうであった。しかしこの日はヘレン・シャピロ自身が重い風邪のためコンサートを欠場しなければならなくなった。花形スターである彼女が抜けた穴はダニー・ウィリアムズ (Danny Williams) が埋め、また『Tell Him』がヒット中のビリー・デイヴィス (Billie Davis) を戦列に加えて補強することになった。このゴーモン・シネマ (Gaumont Cinema) はサマセット・トーントン (Taunton, Sumerset) のコーポレーション通り (Corporation Street) にある。ビートルズは
 1963(昭和38)年09月05日(木)にもう一度この会場で公演しているヨ(=^◇^=)
④1963(昭和38)年02月24日(日) ライヴ演奏:コヴェントリー・シアター/コヴェントリー
 ヘレン・シャピロ (Helen Shapiro) を主役とするUKツアーの一行はワーウィックシャー (Warwickshire) のコヴェントリー (Coventry) にやって来た。ビートルズは1962年11月17日のメイトリックス・ホール (Matrix Hall) でのショーでこの町に来たことがあった。この日の会場コヴェントリー・シアター (Coventry Theatre) は、コヴェントリーの町のヘイルズ通り (Hales Street) にあり、1937年11月にニュー・ヒッポドローム・シアター (New Hippodrome Theatre) としてオープンし、1955(昭和30)年にこの名前に変更された。この劇場は1階正面に1,014の座席があり、2階正面の特等席に640席、3階の桟敷に462席、さらにそれぞれに20の追加座席があった。ロックミュージックに人気の会場で、ザ・バーズ (The Byrds)、ジミ・ヘンドリックス (Jimi Hendrix)、ピンク・フロイド (Pink Floyd)、ディープ・パープル (Deep Purple)、クイーン (Queen) などがここでコンサートを行っている。しかしながらこのアールデコ調の劇場は、この町のミレニアム土地再開発 (Millennium Place redevelopment) のために2002(平成14)年に取り壊された。このコンサートの後ビートルズは稀なオフ日をもらい、
‡1963(昭和38)年02月26日(火)にランカシャー (Lancashire) のリー (Leigh) で開催されるショーでUKツアーに戻る。彼らは
 1963(昭和38)年11月17日(日)にもう一度コヴェントリー・シアターで演奏するが、それは彼らが初めてこの町で演奏した日からちょうど1年後の日に当たる。
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630226_live_Gaumont_Taunton.html
 ④https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630224_live_CoventryTheater.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─―――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃| February 26|057
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃| 2月26日 |
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 1961(昭和36)年02月26日(日) リヴァプールのカスバ・コーヒー・クラブに出演。
 1962(昭和37)年02月26日(月) サウスポートのキングズウェイ・クラブに出演。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16924
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/002/0226.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15658601.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ 
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1967(昭和42)年 2月27日(月)|「家出娘、美しく悲しい歌曲」
 |2010(平成22)年 2月26日(金)|甲虫日記更新日 No.068
 └─――――――――――――┘
親としては「子どものために」と思ったことであっても、子どもには親の押しつけとしか受け取られないことがある。子どもが自分らしさを求めて欲しがるものと、親が最重要視することの不幸なすれ違いは、いつの時代も繰り返されている。
世代間の価値観の衝突が深刻になったとされる1960年代、若者の間では「ドロップ・アウトしよう」と呼びかけるヒッピー文化がはやった。両親の世代が提示した物質主義に代わる何かを求めて、若者たちは家を飛び出した。
象徴的な事件が起きる。67年2月27日付の英国の日刊タブロイド紙デーリー・メールの1面に「Aレベル(大学進学試験)を目指す少女、車を乗り捨て失踪(しっそう)」という記事が載った。
ロンドン北部の裕福な家庭に育った受験勉強中の17歳の少女メラニー・コーが、ミンクのコートとダイヤの指輪と車を残して家出したという事件だ。うろたえた父親は「どうして出て行ったのかわかりません。何の不足もなかったはずなのに」とコメントしている。
この記事を読んだポールの頭のなかに、ひとつの物語が浮かんだ。「水曜日の朝、書き置きを残して彼女はこっそり家を抜け出す。目が覚めた両親はそれをみて取り乱す。どうしてこんな仕打ちができるのかしらと……」
これがニューヨーク・フィルの指揮者レナード・バーンスタインが、「シューベルトのどの歌曲よりも美しい」と絶賛した「She’s Leaving Home」ができるきっかけだった。
「彼女は何年もの間、孤独に過ごした家を出て行く」と歌う曲のハイライトは、10人編成の弦楽四重奏をバックにジョンとポールの美しいコーラスの掛け合いだろう。
「私たちの人生をささげてきたのに」
「人生のほとんどを犠牲にしたのに」
「お金で買えるものはすべて与えたのに」
こうした言葉は子どもに負担を感じさせることのほうが多い。ジョンの手によるこのパートは、世代間の断絶を鮮明に印象づけさせた。彼は自分が子どもの頃、伯母のミミからよく聞かされたフレーズを下敷きにしたと語っている。
 ◎メラニーとビートルズの関係は… 次のページへ
メラニーは、クラブで知り合った男とパディントン駅近くのフラットに部屋を借りる。だが、ほどなく両親に居場所を知られてしまい、家出から10日後、強制的に家に連れ戻される。
40代になったメラニーに会ってインタビューした、スティーブ・ターナーの著書を読むと、驚くべき事実がたくさんある。曲中で語られる物語と事実が違う点は、たった二つしかない。彼女が会ったのは「自動車販売業の男」ではなく、カジノで働いている男だった。もうひとつは、両親が眠っている早朝にではなく、2人が仕事で家を留守にしている午後に家を出たことぐらいだ。
「お金で買えるものは何でも与えてきた」のは本当だ。ダイヤモンドの指輪やミンクのコートだけでなく、彼女は専用の車まで持っていた。
「何年も孤独な暮らしを送ってきた」ことも事実だ。会社重役の父とヘアドレッサーの母が人生で重要視したことは、世間体、小ぎれいさ、それに金だった。友人を家に連れてくることも外出することも親には嫌な顔をされた。彼女は演劇の道に進みたかったが、親は歯科医師になることを望んでいた。
両親とはけんかばかりで顔を見るのも嫌になり、ましてや一人っ子だった彼女は家のなかで孤独感を味わっていたという。「私みたいな娘のことを歌っていると思ったが、本当に自分のことを歌っているとは夢にも思いませんでした」この曲のモデルが自分だと彼女が知ったのは20代になってからだ。「この曲は新聞の記事を見て書いた」とポールがテレビで話していたのを見た母親に教えられた。
新聞記事から受けたインスピレーションだけで曲をつくったにしても、ポールの想像力の正確さには驚かされる。こうした時代の空気を即座につかみ取る感覚が、若者の内面にリアルに迫る曲を生みだし、大勢の若者の支持を得たのだろう。
実は、ポールは曲をつくる3年前にメラニーに会っている。だが、その偶然に彼が気づかされるのは、20年以上も時が経ってからのことだ。
64年10月4日、ビートルズはテレビ番組「READY, STEADY GO!」に初出演しているが、メラニーはこの番組のレギュラー・ダンサーだった。この日、マイム大会で優勝したメラニーはポールから賞を手渡され、メンバーからサイン入りのメッセージも贈られている。リハーサルの間もずっと4人のそばにいた彼女は、意外にもポールを「無口だった」といい、ジョンは「よそよそしい感じ」と記憶している。
彼女はダンスが大好きだった。家を抜け出し、クラブで踊ることで、つかの間の自分らしさを取り戻していた。しかし、両親は彼女を探し歩いては家に連れ戻した。帰宅が遅れると、ぶたれたこともあったという。
「何年もの間、心にしまったものはいつも否定されてきた」曲の終盤、コーラスの掛け合いに出てくるこの一節が、何とも痛々しい。インタビューを受けたころ、彼女は2人の子どもと一緒にロンドンの郊外に暮らしていた。自分が曲のなかで不滅の存在になったことは歓迎しながらも、「できれば家出よりもいいことでそうなりたかった」と答えている。17歳だった彼女も今年で60歳になる。
いまの時代、日本では「家出」は「ひきこもり」に代わった。僕も含めて、世の中の親や学校は妙に物わかりがよくなっている。だが、そこで生まれる世代の断絶は、より目に見えにくいものになっているのかも知れない。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は3月5日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ 「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」に収録された「She's Leaving Home」は、ジョージ・マーティン以外がストリングスのスコアを書いた初めてのビートルズの曲だった。マーティンの日程が合わないため、曲づくりを急ぐポールが独断で決めた。しかし、「別の仕事で忙しい」と断られたポールも、他人に依頼したことを後で知ったマーティンもお互いが傷つく結果になった。きらびやかなマイク・リーンダーのアレンジもファンには賛否両論あるだろう。
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
2009年9月9日  EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/100226.html
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 ┏━━━━━━━━┓‡1970(昭和45)年2月26日(thu) US
 ┃ 『HEY JUDE』 ┃ 1970(昭和45)年4月21日(tue) JP
 ┗━━━━━━━━┛ 1979(昭和54)年6月X日(???) UK
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Hey_Jude_(Beatles_album)
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる      朝日文庫
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛  2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
 No.49 P.274 1969年08月22日「最後のフォト・セッション」◎コンピレーション・アルバム『HEY JUDE』ジャケット撮影日◎
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
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 |1969(昭和44)年 8月22日(金)|「最後のフォト・セッション」
 |2009(平成21)年 8月21日(金)|甲虫日記更新日 No.056
 └─――――――――――――┘ビートルズのオリジナル・アルバム13タイトルとアルバム未収録曲などを集めた『PAST MASTERS VOL.1&2』をリマスターしたCDが間もなく発売される。より本来の音に迫ったサウンドがCDで聴ける喜びの半面、CD化もされていないアルバムについて改めて気になった。1970年2月、キャピトルから米国で発売されたコンピレーション・アルバム「HEY JUDE」もその1枚。大きな扉の前に4人が並んで立った「大人のビートルズ」が印象に残るジャケットだ。
この写真は69年8月22日、ロンドンの南西バークシア州アスコットにあるジョンの自宅ティッテンハーストで撮影された。ジョージ王朝様式の屋敷と、72エーカー(29.14ヘクタール)の広大な敷地があり、ジョンとヨーコは入居したばかりだった。
撮影者は、写真家イーサン・ラッセル、「デーリー・メール」紙のカメラマン、モンティ・フレスコ、ビートルズの助手マル・エバンズの3人。ポールの妻リンダも随行して16ミリフィルムを回した。臨月の彼女は6日後にポールとの最初の子どもメアリーを出産する。
ジョンとジョージはつばの広いカウボーイ・ハットをかぶっていた。撮影は母屋の前から始まり、前庭の小道を進み、背の高い草が生い茂る放牧場に向かった。ここで一列に並んだ4人の姿はアンソロジー映像版のラスト・シーンにも登場してくる。
『HEY JUDE』の表紙は、ビクトリア朝様式の集会室の正面扉で撮影したもの。裏面は、母屋の前庭で壁をバックにしたカットが使われた。1763年にできたこの屋敷の庭は「ティッテンハースト・パーク」と呼ばれ、非常に珍しい樹木があることで学者の間では知られている。69年当時、高さ約38メートルのセコイアや9種類の糸杉、7種類の松、5本のヒマラヤスギ、英国で2番目に高いオニヒバ(約34メートル)などがあり、ジョンとヨーコが入居するまでは一般に開放されていた。
なかでもヒマラヤスギの一種で、「しだれカーテン」のような2本のウィーピング・ブルー・アトラス・シダーが有名だ。『HEY JUDE』のジャケットには、アトラス・シダーの下で撮影した1枚を正面扉の上部分の枠のなかに合成写真としてはめ込んでいる。
4人そろった最後のフォト・セッションの場所となった。その2日前には、アルバム『ABBEY ROAD』のために4人そろって最後のレコーディングをすませてもいた。『ABBEY ROAD』は、4人とも最後の録音だと悟っていた。だが、ティッテンハーストでのフォト・セッションもそうだったとはわからない。リンゴは「『よし、これが最後のフォト・セッションだ』なんて思っていたわけじゃない」と語っている。
 ◎撮影場所になったジョンの自宅はその後… 次のページへ
ジョンは1971(昭和46)年9月にニューヨークに移るまでの3年間、ここでヨーコと過ごした。英国に住んだ最後の家だ。♪Imagine♪のビデオ・クリップを見た人は、壁も内窓も白で統一された広いフロアで白いグランドピアノを弾くジョンの姿を思い浮かべるだろう。屋敷には8トラックのレコーディング・スタジオも設置され、アルバム「イマジン」が録音された。DVD「Gimme Some Truth」にその様子が詳しく収められている。
この家は1973(昭和48)年9月にリンゴに売却された。白亜館の自宅スタジオは「アスコット・サウンド」から「スターリング・スタジオ」と名を変えた。リンゴも88年にはこの家を出た。アブダビ首長国連邦の首長が新しい所有者になると、屋敷は大幅に手が加えられ、ジョンとリンゴが使っていた家具などはほとんど廃棄されたという。
こんなエピソードを拾い出しながら、30年以上前に買ったレコードのジャケットを見ていると感慨が深まる。キャピトル初の編集アルバムは、66年から69年にかけてシングル盤だけで発売されていた8曲と、キャピトルのアルバムには未収録だった初期の2曲の計10曲が収められている。
EMIは1987(昭和62)年にビートルズの音源をCD化したとき、英国盤12タイトルに米国編集盤『MAGICAL MYSTERY TOUR』を加えた13タイトルをオリジナル・アルバムとして統一した。その他に世界各国で独自に発売されたレコードは、米国盤キャピトル・シリーズ以外にCD化の日の目を見ていない。
解散後に発売されたベスト盤や編集盤も同様に狭き門だ。1973(昭和48)年に発売された通称『赤盤』『青盤』と呼ばれる2枚組だけが1993(平成五)年に実現した。アルバム『HEY JUDE』がCD化されるハードルはかなり高そうだ。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は9月5日(更新は4日)です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ アルバム『HEY JUDE』は、大々的な宣伝とベスト盤的な内容もあって米国では400万枚近く売れた。英国では1979(昭和54)年に発売。10曲のうち♪恋する二人♪(53位)、♪レイン♪(23位)、♪レボリューション♪(12位)、♪ドント・レット・ミー・ダウン♪(35位)、♪オールド・ブラウン・シュー♪(チャート入りせず)の5曲はシングルB面曲(かっこ内はビルボード誌最高順位)
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/090821.html
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 ┃ 『THE BEATLES (アニメ ザ・ビートルズ)』Season 1 ┃26 animated color episodes
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛in 30 minute format
‡Ep.23 1966(昭和41)年2月26日(sat) No.45 「♪Bad Boy♪」
 Sing-a-Longs ♪Please Please Me♪
‡Ep.23 1966(昭和41)年2月26日(sat) No.46 「♪Tell Me Why♪」
 Sing-a-Longs ♪Hold Me Tight♪
 Directed By・・・・・・Graham C. Sharpe & Ron Campbell / Jack Stokes
 Voice Cast・・・・・・・Paul Frees...John Lennon.......伊武雅刀
 Voice Cast・・・・・・・Paul Frees...George Harrison...田中秀幸
 Voice Cast・・・Lance Percival...Paul McCartney....小幡研二
 Voice Cast・・・Lance Percival...Ringo☆Starr......曽我部和恭
 Created By・・・Al Brodax & Sylban Buck 
 Songs By・・・・・THE BEATLES
**************************** http://beatlescartoon.jp/
 http://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_(TV_series)
 http://web.archive.org/web/20091028135843/http://geocities.com/garn13/beatles.html
 http://www.geocities.jp/thebeatlescometogether/gallery/photograph/animation.html
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 ┃ THE BEATLES on film and television  1964 ┃
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‡(wed)26 February 1964『Silent Film』Some silent footage from Abbey Road Studios was shot during recording of the takes of 'And I Love Her' being prepared for the Hard Day's Night soundtrack. 
 (thu)27 February 1964『Silent Film』Some silent footage from Abbey Road Studios was shot during recording of the takes of 'And I Love Her' being prepared for the Hard Day's Night soundtrack. 
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 http://www.tvtalkin.esy.es/fab4tv/1964.htm
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 ┃ Performances at The Casbah 1950s 1961 ┃
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 (sun)12 February 1961 The Casbah Club West Derby, Liverpool
 Photographer: Phillips (?)
 Performances at The Casbah January - March 1961 (Note: all dates are a Sunday)
‡(sun)26 February 1961
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 http://www.beatlesource.com/savage/1961/61.02.12%20casbah/61.02.12casbah.html
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 ┃ THE BEATLES  Live at The Casbah Coffee Club ┃
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‡No.07 1961(昭和36)年 2月26日(sun) The Casbah Coffee Club
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Casbah_Coffee_Club
 http://www.petebest.com/casbah-coffee-club.aspx
 http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19590829_live_casbahcoffeeclub1.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ OTHER VENUES PLAYED IN FEBRUARY 1962 ┃
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‡(mon)26.02.1962 Southport, Kingsway Club
 Note・・・The Beatles also played The Cavern several times and The Casbah one time but this is certainly neither of those clubs
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 http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.02.10%20birkenhead/62.02.10birkenhead.html
 http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.02.20%20Floral%20Hall/62..02.20floralhall.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Winter 1963 Helen Shapiro Tour, Part 2  ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.09 3 (tue)26 February 1963   Taunton City, England, Gaumont 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Winter_1963_Helen_Shapiro_Tour
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 参考パンフ■Beatles Helen Shapiro Original Tour Programme 1963 £300.00 22:22 2017/03/18 An original concert programme from the 1963 UK British tour that took place between 2nd February and the 3rd March. The tour was headlined by Helen Shapiro and the Beatles appeared as one of the support acts. Programme features a black and white group shot and a brief history of the group. Measures 21cm x 27cm (8.25 inches x 10.75 inches). There is some dirt staining to the cover and a small tear measuring 1cm (0.25 inches). Condition is very good minus.
 https://www.tracks.co.uk/product/b24475-beatles-helen-shapiro-original-tour-programme-1963/

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  ┛ THE BEATLES 1964 Mono mixing  ┛Studio 2 (control room only)
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①┃ ♪You Can't Do That♪  ┃remixes 1-4, from take 9
②┃ ♪Can't Buy Me Love♪  ┃from take 4
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛Remixes of ♪You Can't Do That♪ and ♪Can't Buy Me Love♪ for the UK and US
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  ┛THE BEATLES 1964 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
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③┃ ♪I Should Have Known Better (恋する二人)♪  ┃takes 4-22 [re-make]
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛No.2 ■レコラス(ト)■セッションでリメイクに取りかかり、22テイクを重ねた(ほとんど最後まで演奏できなかったらしい)その中から9テイク目(ジョンがハーモニカ抜きで歌った初めてのテイク)に22テイクのダブルトラック用ヴォーカルとハーモニカをオーバーダビングして完成に至った。
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  ┛THE BEATLES 1964 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00-10:00pm
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④┃ ♪And I Love Her♪  ┃takes 3-19 [re-make]
 ┗━━━━━━━━━━━┛
   Producer: George Martin
   Engineer: Norman Smith
   2nd Engineer: Richard Langham.
  ‡1964(昭和39)年2月26日(wed)
 音源◆And I Love Her (Rare take - Electric version) https://youtu.be/zG6WurzoQFI
 
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 ①https://beatlesdata.info/3/12_youcantdothat.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/You_Can%27t_Do_That
 ②https://beatlesdata.info/3/07_cantbuymelove.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Can%27t_Buy_Me_Love
 ③https://beatlesdata.info/3/02_ishouldhaveknownbetter.html
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/I_Should_Have_Known_Better
 ④https://beatlesdata.info/3/05_andiloveher.html
 ④https://en.wikipedia.org/wiki/And_I_Love_Her
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 ┏━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『Please Please Me』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━┛
 Parlophone PMC 1202; PCS 3042 - March 22, 1963
‡(CD) Parlophone CDP 7 46435 2 - February 26, 1987
 Mobile Fidelity MFSL 1-101 - January 1987
 Capitol CLJ 46435 - July 21, 1987
 ┏━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『With The Beatles』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━┛
 Parlophone PMC 1206; PCS 3045 - November 22, 1963
‡(CD) Parlophone CDP 7 46436 2 - February 26, 1987
 Mobile Fidelity MFSL 1-102 - January 1987
 Capitol CLJ 46436 - July 21, 1987
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『A Hard Day's Night』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
 Parlophone PMC 1230; PCS 3058 - July 10, 1964
‡(CD) Parlophone CDP 7 46437 2 - February 26, 1987
†Mobile Fidelity MFSL 1-103 - February 1987
 Capitol CLJ 46437 - July 21, 1987
 ┏━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『Beatles For Sale』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━┛
 Parlophone PMC 1240; PCS 3062 - December 4, 1964
†Mobile Fidelity MFSL 1-104 - February 1987
‡(CD) Parlophone CDP 7 46438 2 - February 26, 1987
 Capitol CLJ 46438 - July 21, 1987
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‡┃       『The Beatles and Frank Ifield On Stage』      ┃February 26, 1964
 ┃ a.k.a.『Jolly What! The Beatles and Frank Ifield On Stage』 ┃VeeJay VJLP 1085
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛1962(昭和37)年12月2日、ビートルズはピーターズバラの大使館シネマでフランク・イフフィールド氏の肖像画とともに法案に登場
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 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓1999(平成11)年 2月26日(金) United States
 ┃ 『eight days a week』  ┃1999(平成11)年10月 9日(土) France/Germany
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛https://en.wikipedia.org/wiki/Eight_Days_a_Week_(film)
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 ┃ 『EIGHT DAYS A WEEK  THE TOURING YEARS』 ┃
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 |2016(平成28)年 9月15日(木)|United Kingdom
 |2016(平成28)年 9月16日(金)|United States
 |2016(平成28)年 9月20日(火)|JAPAN
 |2016(平成28)年12月21日(水)|Blu-ray&DVD
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*********************** http://thebeatles-eightdaysaweek.jp/
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles:_Eight_Days_a_Week
 http://altbeatles.progoo.com/bbs/?pid=altbeatles&mode=pr&parent_id=1010&mode2=2
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