過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今夜の『夜のヒットスタジオ』だヨ(=^◇^=)


 映像◆1000人ROCK FES.GUNMA - B・BLUE & DREAMIN'(Official Video) https://youtu.be/TCiu-hqI95Y
 2017/06/13 に公開
 一般社団法人 渋川青年会議所 創立50周年記念事業
 1000人ROCK FES.GUNMA 1000人ロック フェス グンマhttp://www.1000-rock.com/
 1000人ROCK FES.GUNMAでは1000人のバンドメンバーを募集し、群馬県 渋川市 伊香保グリーン牧場にて全員で一斉にBOOWYの代表曲「B・BLUE」を演奏しました。当日はサプライズとして同じくBOOWYの「DREAMIN'」も演奏しました。
 -主催-一般社団法人 渋川青年会議所http://shibukawa-jc.info/2017/
 -後援-渋川市http://www.city.shibukawa.lg.jp/
 -演奏会場-伊香保グリーン牧場http://www.greenbokujo.co.jp/
 -開催日時-2017年6月3日(土)14時演奏開始
 ※当動画は一般社団法人 渋川青年会議所に帰属するものであり、無断転用及び転載等はご遠慮ください。

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 ┃ 『水曜歌謡祭』 ┃フジテレビ系列
 ┗━━━━━━━━━┛ 19:57~20:54
 ┌─―――――─――――――――――┐
 |2015(平成27)年⑥月 3日(水) 第⑥回 |司会・・・森高千里 渡部建(アンジャッシュ)
 └─――――――――─―――――――┘
 オープニング
 M01 TRUE LOVE(1993年)藤井フミヤ
 M02 恋するフォーチュンクッキー(2013年)AKB48. 綾小路 翔が選ぶ リスペクト!昭和アイドルゴキゲンソング ベスト3
 M03 おまえにチェックイン/沢田研二(1982年)綾小路 翔×Flower Cho:水曜シンガーズ
 M04 DAYBREAK/男闘呼組(1988年)綾小路 翔×DAIGO Cho:水曜シンガーズ
 M05 STAR LIGHT/光GENJI(1987年)綾小路 翔×柏木由紀・小嶋陽菜・高橋みなみ・松井珠理奈・山本彩・横山由依(AKB48)Cho:水曜シンガーズ
 出張歌謡祭!!
 M06 みずいろの手紙(1973年)あべ静江×安倍なつみ
 藤井フミヤ
 M07 I Love you, SAYONARA(1987年)藤井フミヤ×藤井尚之
 M08 白い雲のように(1996年)藤井フミヤ×クリス・ハート×藤井尚之
 M09 友よ(2015年)藤井フミヤ&憲武とヒロミ
 AKB48
 M10 僕たちは戦わない(2015年)AKB48
  初回宣伝映像◆https://youtu.be/8kTcYjq6Ssw
  
  
***************** http://www.fujitv.co.jp/kayosai/index.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9B%9C%E6%AD%8C%E8%AC%A1%E7%A5%AD
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 ┃ 『芳村真理の夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃1935(昭和十)年4月3日(水) 生誕
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 ┌─――――――――――――┐P.197 扶桑社
 |1988(昭和63)年 6月?日(?)|初版 出版社:フジテレビ出版
 └─――――――――――――┘芳村真理夜ヒット司会勇退記念で出版された本。…ということは、この本が出版された時点(1988年)では、夜ヒットはまだ放送されていたわけです。この本でインタビューを受けている人たちの誰もが「夜ヒットは今後も永遠に続く」ことを前提に語っています。しかし…その2年後に番組が終わっちゃうんだから皮肉なものですね。ではもしも2010年も夜ヒットが続いていたとしたら…まずニューブリードのやることが無くなりますね。最近のアーティストはわざわざビッグバンドアレンジで曲を披露しないですものね。オープニングメドレーも成立するのかなぁ。今のアーティストと名乗る連中はワガママだからねぇ。やっぱり今の「Mステ」みたいな感じになるのでしょうね。そういえば夜ヒットDXって午後9時スタートだから、そもそもスマイレージが出られないではないか(笑)ところで番組がスタートした1968年頃は集団就職で地方から上京する若者が多くて、彼らが仕事を終えてホッと出来る時間はだいたい午後10時頃ではないか、と考えたスタッフ。そんな彼らにいい音楽を紹介してあげる番組があってもいいんじゃないかというコンセプトで、当時は深夜同然だった午後10時には珍しい生放送の音楽番組がスタートしたのだそうです。オープニングで司会者が登場する時に、ニューブリードが童謡や唱歌をアレンジした曲をバックで演奏してますけど、それもコンセプトは同じのようで、地方から都会へ出てきた人が何となく懐かしい気分になってくれれば、というスタッフの意図があったのだそうな。もちろんワタクシの生まれる前の話ですが、なかなかいい話です。仕送りと給料だけで貧しくとも一生懸命働く若者たちが大勢いたのですね。叙々苑なんて夢のまた夢…ってそれはさておき(苦笑)
******************** http://ameblo.jp/nomu94/entry-10700008511.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B3%E6%9D%91%E7%9C%9F%E7%90%86
 http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/23fb3e7e5dde888cd22b652833d40328
 http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/545d14fdf552a4104734c642c9ed6a2d
 http://www.isec-j.co.jp/10intrvw/room0304/room07.html http://www.amazon.co.jp/dp/4594002528
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』司会二代目a:芳村真理・三波伸介・朝丘雪路  ┃
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 ※この頃よりスタジオに観客を入れての公開番組形式となる<1976(昭和51)年3月頃まで>
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
①|歴代出演歌手―司会者不在時代→芳村真理・三波伸介・朝丘雪路司会時代(1973~1974)|
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‡第0291回 1974(昭和49)年 6月 3日(月) 村田英雄、ザ・ピーナッツ、森進一、西城秀樹、
                   山口百恵、英亜里、あいざき進也、ほか
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜ヒット・初出演データ(10) 司会者不在→芳村・三波・朝丘時代(1973,10-1976,3)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
 ※本日は初出演歌手はありま千と千尋ですヨ(=^◇^=)
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
③|夜ヒット最大の存亡の危機・・・「バンザイ事件」とマエタケの“解任”(歴代司会者考Ⅱ)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
               「バンザイ事件」の日付は明確にわかっておりません
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/b96212e9c8c50dcb931d15868c21673e
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/e9076525754d4fda5df0b443ce4adea8
 ③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/7ff48d758b270f6a5ef553959061cb76#comment-list
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 ┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』司会四代目:芳村真理・古舘伊知郎 ┃1987年
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①|歴代出演歌手―芳村真理・古舘伊知郎司会時代Ⅱ(1987~1988)|※郷ひろみマンスリー5月から6月へ初?
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‡第0964回 1987(昭和62)年 6月 3日(水) 郷ひろみ(マンスリー5)、ルー・グラム、沢田研二、五木ひろし、田原俊彦、阿川泰子、
                   チャゲ&飛鳥、THE ALFEE、荻野目洋子、菊池桃子、長山洋子、KI.SU.KO-D
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②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(3) 芳村・古舘時代後期(1987,1-1988,2)|
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‡第0964回 1987(昭和62)年 6月 3日(水) ♪Midnight Blue♪ ルー・グラム
                   ♪マンボCHU-CHU NIGHT♪ KI.SO.KO-D
 ┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
③|歌でふりかえる夜のヒットスタジオ②②年史(2) 1987年4月-6月(第955-967回)|
 └─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0964回 1987(昭和62)年 6月 3日(水) ルー・グラム ♪Midnight Blue♪
                     沢田研二 ♪きわどい季節♪
                     郷ひろみ ♪千年の孤独♪
                    THE ALFEE  ♪夜明けのLINDING BAHN♪
                   チャゲ&飛鳥 ♪SAILOR MAN♪
                     阿川泰子 ♪WHAT A WOMAN FEELS INSIDE♪
                     田原俊彦 ♪さようならからはじめよう♪
                     菊池桃子 ♪Dream'in Rider♪
                    荻野目洋子 ♪さよならの果実たち♪
                     長山洋子 ♪悲しき恋人たち♪
                    KI.SU.KO-D ♪マンボ・CHU-CHU NIGHT♪
 ┌─――――――――┐通算出演 第114回
④| 今夜の田原俊彦 |♪さようならからはじめよう♪ (1回)
 └─――――――――┘
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 ①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/8656d50951a618ed615a3ebb733fda6f
 ②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/76014af4fe0adde865baa590af25d1da
 ③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/1b20d720e6b062009de47bceb3b471c7
 ④http://www.104ttdp.com/tt/musicpro/yoruhit/yh-87.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
************************* http://blog.goo.ne.jp/resistance-k
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%87%BA%E6%BC%94%E6%AD%8C%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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 1987(昭和62)年6月3日(水)リリース
 映像◆中森明菜 / とことん ♪BLONDE!♪ 24分55秒http://youtu.be/mX-pV3ZfWJ8


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No.① 司会初代: 前田武彦・芳村真理       1968年11月 4日(月)~1973年 9月24日(月)『夜のヒットスタジオ』
No.② 司会者なし:ゲスト司会による輪番制     1973年10月 1日(月)~1974年 3月25日(月)『夜のヒットスタジオ』
No.③ 司会二代①:芳村真理・三波伸介・朝丘雪路  1974年 4月 1日(月)~1975年 3月31日(月)『夜のヒットスタジオ』 
No.④ 司会二代②:芳村真理・三波伸介       1975年 4月 7日(月)~1976年 3月29日(月)『夜のヒットスタジオ』 
No.⑤ 司会三代: 芳村真理・井上順        1976年 4月 5日(月)~1985年 9月25日(水)『夜のヒットスタジオ』&『夜のヒットスタジオDELUXE』
No.⑥ 司会四代: 芳村真理・古舘伊知郎      1985年10月 2日(水)~1988年 2月10日(水)『夜のヒットスタジオDELUXE』
No.⑦ 司会五代: 古舘伊知郎・柴俊夫       1988年 2月24日(水)~1989年 9月27日(水)『夜のヒットスタジオDELUXE』
No.⑧ 司会六代: 古舘伊知郎・加賀まりこ     1989年10月18日(水)~1990年10月 3日(水)『夜のヒットスタジオSUPER』
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃
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 1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
 1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃
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 1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
 1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
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 ┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃
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 1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
 1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
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 http://blog.goo.ne.jp/resistance-k
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%87%BA%E6%BC%94%E6%AD%8C%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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 ┃ 夜ヒット最大の存亡の危機・・・「バンザイ事件」とマエタケの“解任”(歴代司会者考Ⅱ) ┃2006-08-06
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†第0291回 1974(昭和49)年 6月 3日(月) 
 前回は、夜ヒット創成期の看板司会者である前田武彦さんと芳村真理さんに焦点を当てて記事を書きました。今回はその続き、夜ヒット22年の歩みの中でも、番組の存亡にまで関わる一大事となった「共産党バンザイ事件」について重点的に述べたいと思います。前回記事でも取り上げたように、マエタケさんは、歌手に対する渾名付けや、ちょっとしたブラックユーモア、また生放送にも関わらず台本度外視のフリートークをふんだんに取り込む軽妙な司会スタイルで、番組の安定した人気を支えてきました。しかし、フリートークがヒートアップするあまり、時に誤解を招く恐れがある「余計な」一言を発し、相手役の芳村さんが方々の批判を最小限にとどめるべく火消しに躍起することもしばしばで、人気ナンバーワンの司会者としてキャリアを上げていく反面、守旧的な意見を持つ視聴者や業界関係者の間では「アンチマエタケ」ともいえる層が徐々に増えていきました。そんな中で1973(昭和48)年 6月、「共産党バンザイ事件」が勃発します。事の発端は、共産党の当時の書記長・宮本顕治氏がマエタケさんに会談の申し入れを行ったことに始まります。政党からの申し入れでしたが、彼の当時のタレントとしての格に似合ったギャラも支払って貰えるという条件の下で、あくまでもマエタケさんさんはテレビやラジオの番組司会と同じ「仕事」の一つと解釈して、その会談の申し入れを受諾。この会談は事の他、方々に評判がよかったらしく、その後も、共産党は「広告塔」のごとくマエタケさんに各種行事の司会やパネラーの仕事を依頼するようになりました。マエタケさん自身も思いのほか、各種行事の反応がよかったこともあり、快く共産党からの仕事依頼にもクビを縦に振るようになっていました。両者の間柄はすでに「ツー、カー」の仲になっていたようです。そして、このような流れで、1973年6月、共産党は今度は、参議院大阪選挙区補選で擁立した自党の候補者の応援演説をマエタケさんに依頼し、いつものようにマエタケさんはこの依頼を引き受けます。最初はいつもテレビ番組でよく見られる「余計な一言」は封印して、普通に「がんばってください」とだけ述べて帰ろうと思っていたようですが、やはり時の人気者。ここで安穏と帰ることもできず、さらに一言求められてしまいます。ここで彼は候補者の風貌から、「ボクシングのグローブ」とお得意の「渾名付け」を披露。そして「そのグローブで相手をノックアウトしてください」と、いかにもマエタケさんらしいアドリブで締めくくりました。しかし、その後、マエタケさんは候補者や演説を見に来た観衆に対して一つのある約束を交わしたことが後々、夜ヒットのみならずマエタケさんの司会者生命をも脅かす大問題へと発展していくのです。 その約束というのは、「Aさん(候補者)が当選したら、その生放送(=翌日の夜ヒット)の中でバンザイします。皆さん見ていて下さい」というものでした。この演説の翌日、開票され、マエタケさんが応援したA氏は見事選挙に当選。そして上記の「バンザイします」という約束を生放送内で必ず実行せねばならなくなりました。どのタイミングでバンザイをしようか悩んでいるうちに本番が始まり、いつものように芳村さんと番組を進めているうちに、進行にのめり込んでバンザイの約束などすっかり忘れていたのですが、番組エンディングのときに、トリで歌を披露した当時の番組レギュラー・鶴岡雅義と東京ロマンチカの面々が歌い終わって自分の前を通り過ぎてゆくときになぜかふと約束を思い出し、すでにマイクロフォンも生きていない状態の中で「三条(正人)くんお疲れ様。バンザーイ」と行ったのです。それを受けて三条さんもまったく真意など分からない状態でつられてバンザイをやったようです。当然、当事者であるマエタケさん自身、後にこの「バンザイ」という行為が大問題に発展することなど思ってもいなかったと思います。しかし、当の本人の意識とは裏腹にこのバンザイの真意を突き止めた当時のフジサンケイグループの総元締めである鹿内信隆氏の逆鱗に触れ、同月、まずは同局の映画番組「ゴールデン洋画劇場」の解説者役からマエタケさんを解任。そして、1973(昭和48)年 9月24日(月)放送を以って、5年間、256回にわたり司会を担当してきた夜ヒット司会からの降板(事実上の解任)を余儀なくされ、フジテレビにおける番組だけでなく、「東芝ヒットパレード」などほかの放送局でのレギュラー番組をもすべて解任されるという憂き目に遭います。全番組からの解任という極めて重いペナルティを課せられたこともあり、一部では「バンザイ事件」に便乗して、アンチマエタケ層の業界関係者らが一斉にマエタケ潰しに走ったのではないか、という「陰謀」説も主張されるなど、単なる番組内の一大事というレベルでは解決できない、もはや放送界全体を巻き込む一大事件となっていました。当時のフジテレビの企業体質は、今のフジテレビとはまったく異なり、保守的な政治思想を持つ経営者側と比較的前衛的な思想の若手現場スタッフの間に根強い軋轢が生じ、労使交渉は毎年のように決裂し、スタッフたちがスタジオに布団を引き詰めて局内で長時間のストライキを行うのが常識化している、というような極めて暗いものであり、このような独特な局の体質もここまで事が大きくなった要因として作用していたと思います。そして、マエタケさんと共に、相手役の芳村真理さんも「バンザイ事件」で付いたダーティーなイメージを払拭したいとの当時の製作スタッフの思惑が働いてか、同時に連帯責任的に一時番組を降板。その後、1973(昭和48)年10月 1日(月)放送からの半年間は、特定の司会者をあえて設置せずに、ゲスト歌手2名で司会を行うという輪番制の方式で放送されることとなり、それまで安定した人気を誇った夜ヒットは一転して、迷走の時を迎えることになります。いろいろと番組長寿化に辺り、決して平坦な道を歩んできたとはいえない夜ヒットの歴史の中でも、この「バンザイ事件」~歌手輪番制による司会の時代はもっとも番組の存亡が危ぶまれた時代であったという気がします。番組開始から5年間、番組の屋台骨として活躍してきた両司会者が突如として番組から去ってしまう。夜ヒットの人気はマエタケ・芳村のパーソナリティー性に支えられていた部分がかなり大きかったせいか、この個性ある2人が消えるということは、ほかの番組における司会者降板の場合以上に番組製作の基盤を動揺させる出来事でもありました。同時に、この2人の司会、そして番組に対して高い信頼を寄せていた視聴者もこの事件を境に番組から離れていくようになり、視聴率も以前ほどに高視聴率が見込めなくなる状態に陥りました。歌手輪番制の司会スタイルも、番組の安定性という面からはかなり問題もあり、また、番組内部の迷走ぶりを象徴させる司会形式でもあったため、半年間で打ち切られ、1974(昭和49)年 4月 1日(月)の放送からは、一度番組を降板した芳村さんを今度は主軸の司会者として復帰させ、新たな相手役として、朝丘雪路さん、そして「笑点」(日本テレビ)などの司会で、お茶の間の人気を集めていた三波伸介さんを迎えて、新たな仕切りなおしを図ることとなりました。芳村・三波(・朝丘)司会の時代の話は次回に論を移したいと思います。テレビ番組の司会者にせよ、なんにせよ、どのジャンルにおいても「先駆者」は、歴史上に大きな業績を残す反面、大きな代償も払わなければならないのが常といえます。マエタケさんもまさに「新時代のの司会者像を確率した」という意味でまさに「先駆者」そのものであり、彼の司会がなければ、その後の井上順や「ベストテン」の久米宏、「トップテン」の堺正章などの個性ある次世代の男性司会者も台頭することはなかった。しかし、その大きな放送界に対する業績の反動として、夜ヒットを初めとする「全番組降板」というペナルティーを課せられたと見ることができるかもしれません。ただ、管理人もそうですが、その「全番組降板」というペナルティーは果たして「(共産党)バンザイ」という一行為と相当する代償であったのか、といえば大いに疑問が持たれるところです。一般の企業の社会において「生意気なやつだ」「余計なことを言ったな」「政治思想が経営陣とは相反する」などということだけで解雇を許すような労使関係があるとするならば、それは間違いなく労働法規に抵触しうる不当な関係であるということはいうまでもないだろうと思います。「常識が常識として通らないところ、それが芸能界だ」という意見を述べる識者などもいますが、タレントも結局は番組に、そして局に一時的であるとはいえ「使われる」身の上である以上、その番組、そしてその放送局とのつながりがあることが生活基盤の根幹にあるという点で、会社からの給与のみに経済的部分を頼らざるを得ない一般会社員のそれとはまったく異なるところはないように思います。やはり個人的な意見ではありますけども、「夜ヒット降板」は致し方なしであるにせよ、ほかの番組まで奪い去ってしまうという責任の取らせ方は問題となる行為と責任の重さの比較考量から考えても「不均衡」と断ぜざるを得ないでしょう。やはり上記の経緯からみて何らかの業界内の圧力がそうさせてしまったと見るのが自然かもしれません。
 テレビ放送初期より放送作家・司会者としてテレビの発展と共に歩み続けた前田武彦という偉大な放送人の一生を狂わせ、そして本来ならもっとクローズアップされてしかるべき彼の業績をも霞ませる結果となってしまったこのバンザイ事件における制裁は、日本のテレビ史上における「汚点」であると私は考えます。また、夜ヒットという番組の側面から見れば、同事件がなければ、その後も当然に、1000回までとは言わないまでも数年間はマエタケ・芳村のコンビで夜ヒットは続いていた、そうだとすれば後の本格的な音楽番組への転換という方向性が生じることはなかったのではないか、そういう意味では番組にとっても最大の時代の分岐点であったと思います。
 (追記)今回の記事作成に当たっては、"ごいんきょ"さんが運営されている「昭和テレビ大全集 Blog版・夜のヒットスタジオ」の項目を参照させていただきました。(URLはトラックバックの欄にあります)
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 http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/7ff48d758b270f6a5ef553959061cb76#comment-list
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