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┃♪BREATHLESS LOVE♪ ┃
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1988(昭和63)年05月11日(水) released
2005(平成17)年03月24日(木) released ※リサイズ版
https://ja.wikipedia.org/wiki/BREATHLESS_LOVE
https://music.amazon.co.jp/albums/B00FS7X20U
ジャンクフードを食べる犯罪者
2010(平成22)年07月30日(金) 20:05
http://www.1616bbs.com/bbs/taku223_tree_p_564.html
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┃ 浜田省吾 #31『CLUB SURFBOUND』 ┃
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2016(平成28)年10月21日(金)
1987(昭和62)年06月28日(日)に発売された浜田省吾さんのミニアルバム『CLUB SURFBOUND』のレコーディングの話です。
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1987(昭和62)年5月08日(金)~20日(水)まで、集中的にダビング作業が行われた。
1987(昭和62)年5月08日(金)は信濃町ソニースタジオで江澤くんの曲のダビング、
1987(昭和62)年5月09日(土)は信濃町で梁くんの曲のリズム録り、
1987(昭和62)年5月10日(日)は六本木ソニースタジオでぼくの曲のダビング、
‡1987(昭和62)年5月11日(月)と
1987(昭和62)年5月12日(火)は信濃町でシンセのダビング、
1987(昭和62)年5月14日(木)は六本木セディックスタジオで町支さんのギターダビング、
1987(昭和62)年5月16日(土)と
1987(昭和62)年5月17日(日)は浜田さんのボーカル録り、
1987(昭和62)年5月18日(月) はビクタースタジオでギターの土方さんにぼくの曲を弾いてもらった。そして
1987(昭和62)年5月20日(水)~23日(土)の間にトラックダウン作業を行い、アルバムは完成した。息つく間もない日々だった。アルバム『CLUB SURFBOUND』は全7曲入りのミニアルバムで、作曲はバンドのメンバーが一曲ずつと浜田さんが二曲、作詞は全曲浜田さんが担当した。江澤くん作曲の、後に「プールサイド」とタイトルが付くナンバーは、ちょっとブラコンっぽい(ブラックコンテンポラリー)サウンドで、ちょうど当時流行っ ていたクール&ザ・ギャングのようなテイストの、独特のグルーブ感が難しい曲だった。江澤くんの書いて来た譜面は、ピアノの和音の積み重ね方も指定して あって、彼のこだわりが譜面を通して感じられた。ドラムはリズムマシンによる打ち込みで、シンバル類を高橋くんが叩いた。あとからスネアの音色をサンプリングして足したりもした。町支さん作曲の、後に「Gear Up409」となるナンバーは、タイトルからも分かるようにビーチ・ボーイズテイスト満載の楽しい曲で、エンディングにはビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」のフレーズもパロディで挿入された。古村くん作曲の、後に「Hot Summer Night」と名付けられたナンバーは、いかにも古村くんらしい骨太のロックな曲で、古村くん本人もちょっとだけ曲中でボーカルを披露している。梁くん作曲の、後に「曳航」とタイトルが付くナンバーは、梁くんのコンテンポラリーなテイストが良く出たお洒落な曲で、浜田さんもボーカルをオクターブにして二本入れる等、普段とはちがったアプローチをしていて大人な雰囲気を醸し出していた。「二人の夏」と「Little Sufer Girl」は浜田さん作詞作曲のナンバー。二曲ともビーチボーイズへのオマージュ。「二人の夏」は愛奴のデビュー曲のリメイクで、ぼくも当時からとても好きな曲だったので、レコーディングしていてとても嬉しかった。ぼくが作曲の「Harbor Lights」と名付けられたナンバーは、当時傾倒していたデビッド・フォスターやマイケル・オマーティアン等のLAサウンドを下敷きにした曲。江澤くんの弾くシンセベースが素晴らしい。コーラスはぼくと江澤くん、町支さんの三人で歌った。他のメンバーの曲はそれぞれ作者を彷彿とさせる歌詞だったが、ぼくの曲だけは作者は歌の中に全然登場していなくて、浜田さんが書いた詞を読んで「この曲の登場人物は全然オレじゃない」と思った(笑)浜田省吾のアルバム『CLUB SURFBOUND』は
1987(昭和62)年6月28日(日)に発売されると、アルバムチャートの一位を獲得した。同時に発売された、1985(昭和60)年のミニアルバム『CLUB SNOWBOUND』がカップリングされたCD『CLUB SURF&SNOWBOUND』も二位になり、チャートの一位と二位を独占した。
写真◆CLUB SURFBOUNDのレコーディング風景 at 観音崎マリンスタジオ。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/10/31-club-surfbound.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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┃ The History of Shogo Hamada "オリコン週間アルバムヒットチャートはNo.①"一蘭 ┃
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通算01回 1986(昭和61)年 9月15日(月)『J.BOY』連続第1位第一週
通算02回 1986(昭和61)年 9月22日(月)『J.BOY』連続第1位第二週
通算03回 1986(昭和61)年 9月29日(月)『J.BOY』連続第1位第三週
通算04回 1986(昭和61)年10月 6日(月)『J.BOY』連続第1位第四週
通算05回 1986(昭和61)年10月27日(月)『J.BOY』※LP&TAPESチャート
通算06回 1987(昭和62)年 7月 6日(月)『CLUB SURFBOUND』通算第1位第一週
通算07回 1987(昭和62)年 7月20日(月)『CLUB SURFBOUND』通算第1位第二週
通算08回 1988(昭和63)年 3月28日(月)『FATHER'S SON』
通算09回 1989(平成元)年 9月11日(月)『Wasted Tears』通算第1位第一週
通算10回 1989(平成元)年 9月25日(月)『Wasted Tears』通算第1位第二週
通算11回 1993(平成五)年 9月 9日(月)『EDGE OF THE KNIFE』
通算12回 1993(平成五)年 9月20日(月)『その永遠の一秒に』
通算13回 1996(平成八)年11月25日(月)『青空の扉~THE DOOR FOR THE BLUE SKY~』
通算14回 2000(平成12)年11月20日(月)『The History of Shogo Hamada "Since1975"』
‡通算15回 2015(平成27)年 5月11日(月)『Journey of a Songwriter~旅するソングライター』連続第1位第一週
通算16回 2015(平成27)年 5月18日(月)『Journey of a Songwriter~旅するソングライター』連続第1位第二週
音源◆♪浜田省吾『旅するソングライター』https://youtu.be/fU7SAvFh_xM
音源◆♪浜田省吾「Journey of a Songwriter」Trailer https://youtu.be/p0dZUazjvO0
音源◆♪浜田省吾『光の糸』Music Video / Short Version https://youtu.be/Qsndcc2_yis
音源◆♪浜田省吾「夢のつづき (Short Version)」 https://youtu.be/ojbN1UHeWWw
音源◆♪浜田省吾/Dream Catcher【新曲「夢のつづき」収録 映画『アゲイン 28年目の甲子園』主題歌 収録EP盤】https://youtu.be/7yofqGXO4qw
音源◆♪♪マグノリアの小径♪https://youtu.be/-yeXGbHoe9U
音源◆♪きっと今夜♪https://youtu.be/_-ERuLuXI-A
浜田省吾さんの、最新の(4月29日)アルバムは、 高校生にもあいますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10145307715
ヒットチャートはNo.① 1988映像◆https://youtu.be/9mAc-F2oGnE
ヒットチャートはNo.① 2011映像◆https://youtu.be/YS5v_DAXTzw
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http://www.uta-net.com/song/9047/ http://www.ichiran.co.jp/index_hp.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/Journey_of_a_Songwriter_%E3%80%9C_%E6%97%85%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC
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浜田省吾、今なお人気を集める理由とは? 新アルバムが2週連続チャート1位を獲得
2015(平成27)年 5月13日(水)⑧時①〇分『リアルサウンド』配信
浜田省吾『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』(ソニー・ミュージックレーベルズ)
実力派のベテランミュージシャンが昨今、ヒットチャートを賑わしている。3月31日に発売されたサザンオールスターズの『葡萄』が、オリコンチャートの1位に輝いたほか、1月21日にリリースされた徳永英明の『VOCALIST 6』や、昨年9月10日にリリースされた竹内まりやの『TRAD』も、軒並み好セールスを記録した。そんな中、浜田省吾の10年ぶりとなるオリジナルアルバム『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』もまた、発売2週で10.5万枚を売上げ、5月11日付け、5月18日付けのオリコン週間アルバムランキングで2週連続首位を獲得。2週連続となる首位は60代のアーティストとしてシングル・アルバムを通じて史上初の快挙となった。浜田省吾もまたベテランミュージシャンとして、いまなお厚い支持を集めていることが改めて浮き彫りとなったが、なぜ彼の音楽は求められ続けるのか。その理由を、キャリアや音楽性、最新作の傾向から読み解いていきたい。浜田省吾がミュージシャンとしてデビューしたのは1975年。吉田拓郎らが中心となって結成したフォークサークル「広島フォーク村」を出自に持つバンド・AIDOのドラマーとして世に出た。しかし浜田は自身のドラムの腕前に限界を感じ、1976年にはシンガー・ソングライターに転身しソロデビュー。しばらくは巡業などをこなし、自身の方向性を模索することになる。その後、1979年に発表したシングル『風を感じて』がヒットし、翌1980年にアルバム『Home Bound』で音楽性を本格的なロックに定めていく。1986年にはアルバム『J.Boy』が初のオリコンチャート1位を記録。1992年にはテレビドラマ『愛という名のもとに』で多くの楽曲が使用されたこともあり、これまでの音源も改めて高く評価され、ロック・ミュージシャンとしての地位を確かなものにした。ビートルズやザ・ビーチ・ボーイズをルーツに持ちながらも、日本語による歌唱にこだわり、日本のロックのひとつの形を作ったとも称される浜田省吾。時代性に向き合いながら、情景や感性を丁寧に描写するスタイルは、ロックファンにとどまらない幅広い世代のリスナーを獲得し、尾崎豊やMr.Childrenの桜井和寿、福山雅治など、後進の多くのミュージシャンにも影響を与えてきた。35年ぶりのラジオ・パーソナリティとして、5月1日放送の『浜田省吾と山口智充のオールナイトニッポンGOLD』に出演した際、浜田はデビュー時のことを述懐し、「当時はロックシーン自体がなかったので、10年後のことなどはまったくわからなかった。いつも自分たちがやっていることが、シーンになっていったっていう感覚が強いですね」と語ったように、その活動の軌跡は、現在のシーンの礎を作り上げたといっても過言ではないだろう。音楽に向き合う姿勢もまた、いまも変わらずリスペクトされ続ける所以だ。浜田の詩世界は内省的でありながら社会派な一面も備えていて、たとえば1986年に発表された代表曲のひとつである「J.Boy」は、“JAPANESE BOY”という意味の造語をタイトルに冠した作品。ひとりの少年の成長物語を描きながら、成熟しない日本を否定的に捉えて歌うロックナンバーに仕上がっている。自らの体験や心象風景を題材としながらも、言葉の選び方やサウンドで時代を鋭く照射するスタイルは、時を経て聴くと、古びるどころかかえって人間の普遍的な心情が浮き彫りとなってくるから興味深い。もちろん今作『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』でも、浜田のそうした姿勢を伺うことができる。たとえばタイトルナンバーである「旅するソングライター」では、「成し遂げたことより / 今をどう生きるかって考えてる / 自分忘れの旅の途中で」という歌詞があるが、この一節からは浜田自身がキャリアを重ねたうえで、さらに新たな地平を目指していることを示唆させる。あるいは「夜はこれから」では、近年世界的に流行しているダンス・ミュージックに真っ向から挑戦、EDM風のヴォーカル・エフェクトを取り入れるなど、いまも変わらぬ音楽的探究心を見せている。大御所ミュージシャンとして確固とした成果を残しながらも、いまの時代の音楽と向き合い、新たな作品を生み出し続けている浜田省吾。本作『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』もまた、時を越えて多くの人に愛聴される一枚となりそうだ。http://realsound.jp/2015/05/post-3223.html
浜田省吾さんの、最新の(4月29日)アルバムは、 高校生にもあいますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10145307715
浜田省吾、マドンナの記録を7ヵ月更新
2015(平成27)年5月05日(火) 09:53:02
2015(平成27)年4月29日(水)に発売となった、浜田省吾の10年ぶりのオリジナルアルバム『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』が、初週で8.0万枚を売り上げ
●2015年5/11付オリコン週間アルバムランキング(集計期間:4/27~5/3)で初登場首位をマーク、オリジナルアルバム18年半ぶりの首位獲得により、マドンナの記録を7ヵ月更新しインターバル歴代1位となった。
浜田省吾にとって、シングル・アルバムを通じて首位は2000/11/20付のベストアルバム『The History of Shogo Hamada “Since 1975”』(2000年11月発売)以来14年半ぶり、アルバムでの首位獲得は通算で9作目となった。同時にオリジナルアルバムの首位は、1996/11/25付の『青空の扉~THE DOOR FOR THE BLUE SKY~』(1996年11月発売)以来18年半ぶりである。これまでマドンナが保持していた『オリジナルアルバムの首位インターバル記録』である17年11ヵ月(1990/6/25付『アイム・ブレスレス』~2008/5/12付『ハード・キャンディー』)を7ヵ月更新し、同記録で初の歴代1位を飾ることとなった。
浜田省吾にとって今作『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』は、2005年7月発売の『My First Love』(最高位2位)以来約10年ぶりのオリジナルアルバムだ。全17トラック、収録時間75分を超える大作で、完全生産限定盤・期間生産限定盤・通常盤・完全生産限定アナログ盤のラインナップでリリースとなり、完全生産限定盤は、アルバム収録曲のアコースティック・バージョンやリミックス・バージョンなどのボーナストラックを収録した特典CDと、ミュージックビデオなどを収録した特典映像(Blu-ray DiscまたはDVD)との3枚組の豪華仕様となっている。
また、今週付アルバムランキングでは、浜田省吾が1975年のデビュー当時ドラマーとして在籍していたAIDOのコンプリート・コレクション『AIDO Complete Collection』が0.5万枚で初登場11位を獲得、シングル・アルバムを通じ初のランクイン(=TOP300入り)にしてTOP20入りを果たしている。
■オリジナルアルバムの首位インターバル記録 上位TOP3
1位:18年半 浜田省吾1996/11/25付『青空の扉~THE DOOR FOR THE BLUE SKY~』
~2015/05/11付『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』
2位:17年11ヵ月 マドンナ1990/06/25付『アイム・ブレスレス』
~2008/05/12付『ハード・キャンディー』
3位:17年7ヵ月 徳永英明1991/10/14付『Revolution』
~2009/05/18付『WE ALL』
浜田省吾「Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター」
2015年4月29日発売
【完全生産限定盤】CD + 特典CD + 特典映像(Blu-ray DiscまたはDVD)価格:7,000円+税
特典映像Blu-ray版/品番:SECL2016-2018
特典映像DVD版/品番:SECL2019-2021 ※三方背スペシャルBOX仕様
【期間生産限定盤】CD + 特典CD 価格:4,500円+税 / 品番:SECL2022-2023
【通常盤】CDのみ 価格:3,000円+税 / 品番:SECL2024
【完全生産限定アナログ盤】重量盤LP2枚組 価格:4,000円+税 / 品番: SEJL25-26 ※収録内容はCD通常盤と共通です。
AIDO「AIDO Complete Collection」
2015.4.29 Release!【完全生産限定盤】CD2枚組 価格:4,000円+税 / 品番:SECL1689-1690
※メジャーデビュー40周年記念7インチW紙ジャケット仕様http://www.sonymusic.co.jp/artist/Aido/
http://www.barks.jp/news/?id=1000115318
5月11日は「異邦人」久保田早紀の誕生日
2018(平成30)年05月11日(金) 執筆者:馬飼野元宏
5月11日は、シンガー・ソングライター久保田早紀の誕生日。彼女は1958年の同日、東京都国立市に生まれた。
「元・久保田早紀と必ず『元』をつけてくださいね。私はもう『久保田早紀』を引退したのですから」。新聞社のインタビューで彼女はこう答えている。現在は「久米小百合」としてキリスト教の教会音楽家、音楽宣教師として音楽活動を行っており、「久保田早紀」の名前は自身としては封印したともとれる、そんなニュアンスの発言だ。だが、ここでは「久保田早紀」時代の音楽活動を紹介するため、この名前を敢えて用いることにしたいと思う。
4歳からクラシック・ピアノを習い始め、13歳で八王子市に引っ越す。当時人気だったガロのコピー・バンドにキーボードで誘われるなど、彼女の音楽活動はこの頃から盛んになった。八王子出身の荒井由実、あるいは矢野顕子といったピアノ弾き語りの女性シンガー・ソングライターに憧れ、その一方で父親が仕事でよくイランを訪れ、現地の女性アーティストのカセットを買ってきてくれたという。そういった中近東系の音楽を日常的に耳にしているうち、彼女の中に独自の世界観が形成されていった。
78年に『ミス・セブンティーンコンテスト』出場のため自身のデモテープをCBSソニーに送り応募、これがきっかけで同社の金子文枝ディレクターと出会い、自作曲を書き溜めつつレッスンに通った。その中の1曲である「白い朝」に三洋電機のタイアップが付き、歌手デビューが決まる。
「白い朝」はもともと八王子から市ヶ谷のソニーに通う中央線の車中で、国立駅近辺の空き地で遊ぶ子供たちの姿を見て詞を思いついたそうだが、三洋電機のカラーテレビのCM映像はアフガニスタンで撮影され異国情緒を強調したものであったことから、アレンジは大幅にエスニック要素を加えたものになった。編曲の萩田光雄はイントロだけ2通りのアレンジを書き、どちらにするかをディレクター判断で決めてもらったという。1つは地味なアレンジ、もう1つが現在まで知られる、あの異国情緒溢れるアレンジであった。結果、後者の派手なアレンジに決定し、プロデューサー酒井政利の提案でタイトルは「異邦人」に変えられ、「シルクロードのテーマ」とサブタイトルが付けられて、79年10月1日にリリースされた。酒井政利は同年にジュディ・オング「魅せられて」を大ヒットさせており、いわゆるエスニック歌謡のブームを決定づけた人物でもある。
「異邦人」は、オリコン・シングル・チャート週間1位はもちろん、年間2位となるミリオンセラー超えの爆発的ヒットとなった。この思いもよらない大ヒットが、のちのち久保田早紀のキャリアに重荷となってのしかかるのだが、この時はまだ、世間も業界的にも、彗星の如く現れた女性シンガー・ソングライターが奏でるエスニックで神秘的な世界に目と耳を奪われるばかりであった。ちょうどその5年前、「あなた」でデビューした小坂明子の登場時と同様のインパクトがあったのである。
だが、本来「異邦人」は「白い朝」であったことを考えると、久保田早紀のメロディーそのものにエスニック要素があるわけではない。ファースト・アルバム『夢がたり』は、彼女の神秘性と浮遊性を湛えたメロディーと詞の世界に、萩田光雄が様々なアレンジを施し、世界観を統一させているのがわかる。マーチ風にアレンジされた「帰郷」や、レッド・ツェッペリン「移民の歌」風のリズム・パターン(竹内まりやの「プラスティック・ラブ」も同様)を用いた「サラーム」、カスタネットが軽快に響くタンゴ調で始まり、半音使いを強調してエキゾチズムを強めた「幻想旅行」など、彼女独自のメロディー・ラインを生かすサウンド面の工夫がみられる。ことにギターとピアノのアルペジオが寂寥感を奏でる「ギター弾きを見ませんか」は、曲想がタンゴやファドに顕著な「サウダージ」の感覚を呼び起こすものがある。
久保田早紀の曲想には浮遊感、神秘性、寂寥感に加え、内省的な少女の感性とロマ的な大陸放浪の感覚も強くみられる。この感覚は前者が荒井由実~松任谷由実の影響を感じさせつつ、後者は矢野顕子のもつ大陸的スケール感とも共通するものがある。セカンド・アルバム『天界』はさらにエスニック要素が強まり、中近東的な色彩に加えてアコギ2本のファド風「碧の館」やサンバのリズムに乗せたトロピカル風の「真珠諸島」、タンゴ調の「みせかけだけの優しさ」とバリエーションが加わっている。シングル第2弾として発表された「25時」やタイトル・チューン「天界」の2曲には、彼女独自の宇宙観と時間感覚、異文化への憧れが強く歌われている。「異邦人」と『夢がたり』の大ヒットの影に隠れあまり目立たないこれらの作品は、久保田早紀独自の世界をさらに深めた内容となっているのだ。
アルバム3作目『サウダーデ』はアナログ片面5曲でポルトガル録音を敢行。ファドのもつ「サウダージ」=懐かしさ、郷愁、憧れといった意味を併せ持つポルトガル語=の感覚は久保田早紀の世界に合うものであり、「異邦人」の再録を始め、ギターラと呼ばれるポルトガルギター2本にクラシック・ギター、ベースという編成が織りなす、弦楽器の美しい響きが、メロディーの哀愁と繊細さにマッチしている。ただ、彼女のヴォーカルにファディスタ的な要素は薄く、「アルファマの娘」など、詞のイメージをややファドに寄せすぎた曲もあるが、この時代、こういった世界観を歌にできるアーティストは久保田早紀を置いてほかにはなかったのである。
だが、このアルバムのB面、東京でレコーディングされた作品群は様相が異なっている。シングル化された「九月の色」は、太田裕美の「九月の雨」を思わせる北欧ディスコ風のサウンドで、歌謡曲的な色が付けられている。この方向性は翌年のシングル「オレンジ・エアメール・スペシャル」と同作を収録したアルバム『エアメール・スペシャル』でより顕著になる。「オレンジ・エアメール・スペシャル」はキリンオレンジのCMソングに起用されたが、これもまた前年の太田裕美「南風」に続くもので、キラキラと明るい西海岸サウンドとなっている。それまでのエスニック要素や虚構性は一気に薄まり、ことに前半はキャラが変わったのかと思うほどポップで明るい久保田早紀が歌われているのだ。この後にリリースされたアルバム未収録のシングル「レンズ・アイ」は男言葉で歌われており、そんなところも太田裕美的な世界を制作者側が踏襲したかのように思える。
この路線を推し進め、日常的な風景を歌うシティ・ポップ的なアプローチを見せていくのがアルバム『見知らぬ人でなく』。そして再び自身の宇宙観を、内省的な形で描いた『ネフェルティティ』と続く。セールス面では「異邦人」の頃のような派手さはなくなっていったが、ことに『ネフェルティティ』は東欧を舞台にした「ソフィア発」や古代エジプトを歌う表題曲、ボレロ風に展開される「砂の城」、プログレ風の「ジプシー」、トロピックな音色が印象深い「ジャワの東」など、若草恵のアレンジを得て、一種突き抜けた世界が広がり、ここに来てようやく彼女は「異邦人」の呪縛から逃れられたように思えた。そして、伴侶となる久米大作をアレンジに迎えたアルバム『夜の底は柔らかな幻』では、これまで彼女が歩んできた神秘性と日常性が、タイトル通り柔らかに、時にハードな打ち込みサウンドで融合されており、この盤を「久保田早紀の最高傑作」と呼ぶファンも多い。
久米小百合となった現在も、時折彼女はテレビやラジオ番組に出演し、当時のことを語る機会があり、教会を訪れる人々に請われ、「異邦人」を歌うこともあるそうだ。自身にとってはその名を捨てるほどに葬りたい過去であったが、ここ数年は「異邦人」と久保田早紀時代を多くの聴き手が大事にしてくれていることを、素直に嬉しいと感じられるようになったという。
久保田早紀が残した7枚のアルバムを聴くと、そこには豊かな感性とメロディー・メーカーとしての才能、そして「異邦人」の大ヒットとその呪縛に苦しめられながらも、自身の世界を追求していったアーティストとしての挟持をみることができるのだ。
久保田早紀「異邦人」『夢がたり』『天界』『夜のそこは柔らかな幻』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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≪著者略歴≫馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)がある。
http://music-calendar.jp/2018051101