松田聖子、18年ぶりの『Mステ』出演に大反響!「最高でした!」「歌詞が沁みた」
‡2020(令和二)年10月03日(土) 10:15配信 掲載:エムオンプレス
【動画】松田聖子「風に向かう一輪の花」のティザー映像
■「18年ぶりですよ」(タモリ)、「はい、18年ぶり、本当に緊張しています」(松田聖子)
2020(令和二)年10月02日(金)、松田聖子が、テレビ朝日『ミュージックステーション』に18年ぶりに登場。MCのタモリと久々の再会を果たした。
「18年ぶりですよ」との問いに松田は「はい、18年ぶり、本当に緊張しています」と答えた。他の共演者の上白石萌音からは「(共演させてもらい)夢のようです。先日『瑠璃色の地球』をカバーさせていただいて、今絶対必要な曲だと思って強く希望させていただいて、恐縮ですが、歌わせていただきました」と思いを告げられ、「本当にきれいな歌声でかわいらしくて、うれしかったです。ありがとうございます!」と笑顔で答えた。そして、K-POP界のアベンジャーズとして世界中で人気を博しているSuperMのテヨンは「僕は『青い珊瑚礁』が大好きです。子どもの頃、お母さんがカセットテープで聴くときに聴いていて、その頃からすごく素敵な曲だと思いまして、今でもすごく好きな曲です。最高です!」とアカペラで歌いながらエピソードを披露した。松田はこの日、
2020(令和二)年09月30日(水)にリリースした40周年記念アルバム『SEIKO MATSUDA 2020』に収録されている新曲「風に向かう一輪の花」をパフォーマンス。この楽曲は、ファンへの感謝の気持ちを松田聖子自身が綴った楽曲で、「白いパラソル」「夏の扉」を手がけた財津和夫と37年ぶりにタッグを組んだ。歌唱後、SNS上には
「日本中、世界中に愛されている歌姫。本当に素晴らしい歌声でした!」
「最高でした!」
「歌詞が沁みた」など多くの声が寄せられた。
2020.09.30 ON SALE
ALBUM『SEIKO MATSUDA 2020』
【関連記事】
Super M、『Mステ』再登場!テヨンが松田聖子「青い珊瑚礁」の思い出を語る場面も
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb64bac43524a53b7165e971e530a9d0e9fd22ae
40th Anniversary Seiko Matsuda 2020 "Romantic Studio Live"
2020(令和二)年10月03日(土) 19:30配信開始 | 20:00開演 | 4,000円 購入済み
ライブを視聴 テスト動画再生 購入前にご確認ください ご利用の端末やネットワーク環境によっては、購入したライブの視聴ができない場合があります。テスト動画が問題なく再生できるかをご確認の上、購入してください。
今年デビュー40周年を迎えた“永遠のアイドル”松田聖子。一夜限りの特別ライブを開催!
見どころ ⇒ デビュー40周年記念アルバム『SEIKO MATSUDA 2020』を軸に「赤いスイートピー」「瑠璃色の地球」そして、「あなたに逢いたくて~Missing You~」ほか誰もが知っている大ヒット曲の歌唱に加え、素顔がみえる貴重なスペシャル映像&インタビューなど盛りだくさんの内容でおとどけします。
ライブ販売終了までに購入された場合、見逃し配信も視聴可能となります。配信期間となりましたら、マイページの購入済みからご確認ください。
見逃し配信期間:2020年10月3日(土)23:00頃?2020年10月4日(日)23:59
注意 ⇒ ライブ配信には1時間に最大約5.5GBの通信量を消費します。当日は容量制限のないWi-Fi環境での視聴を推奨します。LIVE視聴可能デバイス:スマートフォン / タブレット(U-NEXTアプリ)・パソコン(Google Chrome / Firefox / Microsoft Edge / Safari)・テレビ(Android TV / Amazon FireTV / FireTV Stick / U-NEXT TV / AirPlay)
2020(令和二)年10月03日(土) 23:59まで配信 cfelicia club lnc.
https://video.unext.jp/genre/music?lc=LIV0000000119
♪小麦色のマーメイド♪
♪瞳はダイアモンド♪
MC
♪セイシェルの夕陽(40TH)♪
♪赤い靴のバレリーナ♪
MC
♪瑠璃色の地球♪
♪SWEET MEMORIES(40TH)♪
SEIKO MEDLEY 2020
♪野ばらのエチュード♪
♪秘密の花園♪
♪LaLa 明日に向かって♪
♪モッキンバード♪
♪天国のキッス♪
MC
♪風に向かう一輪の花♪
♪赤いスイートピー♪
MC
♪あなたに逢いたくて♪
1980(昭和55)年10月15日(水) 35年前の本日、山口百恵引退。裏方から見た山口百恵引退顛末記。
2015(平成27)年10月15日(木) 執筆者:川瀬泰雄
1980年10月15日山口百恵引退。あれから、もう35年も経ってしまったのだと心底驚いている。山口百恵の結婚・引退に関しては数々の番組やニュース報道などでも取り上げられているので、ご存知の方も沢山いらっしゃると思います。ここでは、あまり知られていないだろうと思われる裏方としての当時の顛末の一部を書きます。勿論、ホリプロのマネージャーやスタッフも大変な忙しさだったのだが、今回は音楽制作サイドの立場だけについて触れてみます。百恵引退の1980年の年末は、僕個人的にもすべてが変わった。まず当然ながら、百恵引退による自分の仕事の変化。第2の変化は自分の趣味のことなのだが、百恵の結婚後の約半月後12月8日ジョン・レノンが射殺されるという事件が起こった。密かに期待していたビートルズの復活は完全に断たれてしまった。そして3番目はよく比喩として、あの時生まれた子がもう何歳になる、というような表現があるが、実際にその1週間後の
1980(昭和55)年12月15日(水) これは自分にとっては嬉しい出来事だったが、娘が誕生する。こうして人生には仕事、趣味、私生活が一気に変わってゆく時があるんだと妙な実感を持ったことを思い出す。勿論、山口百恵の引退ということでは年末どころか、80年の3月の結婚・引退を表明した時から殺人的な忙しさが始まった。山口百恵のスケジュールはそれまでにお世話になったテレビ局や映画会社、雑誌、CMのスポンサーなどの恩返しのようなスケジュールで全部埋まってゆく。振り返ってみると、結婚・引退が決定した80年の春以降に限っても、我々が制作したレコードは、アルバムが『春告鳥』、『メビウス・ゲーム』、2枚組でA、B、C面の3面という不規則な形の『不死鳥伝説』、最後のスタジオ・アルバム『This is my trial』、映画『古都』のサウンド・トラック盤、そしてラスト・ライブの3枚組『伝説から神話へ…BUDOKAN AT LAST』、の6タイトル。約、月1タイトルのペースである。シングルも「しなやかに歌って」、「愛染橋」、「謝肉祭」、「.ロックンロール・ウィドウ」、「さよならの向う側」、「一恵」の6タイトルを制作し、発売された。オリジナル楽曲だけでアルバム・シングルを合わせると約50曲。それにプラスして3枚組のライブ・レコーディングと映画用のサウンド・トラック盤のための録音、ミックスダウン編集。前述のとおり山口百恵本人のスケジュールは真っ黒。どうやってレコーディングのスケジュールを空けてもらうのかが最初の問題であった。やっと空けてもらったスケジュールは百恵本人には申し訳なかったが、ほかの仕事が終わった後の深夜に2時間ずつ。引退までほとんどがこのスケジュールだった。その空けてもらったスケジュールも、歌に関しては何としても1時間で1曲を録音しなければならないという過密スケジュールだった。1曲を制作するレコーディングのおおよその手順としては、まずどんなイメージの曲にするかという企画を立てる。そして作詞家、作曲家と曲についての打ち合わせ。曲が出来上がるとアレンジャーと打ち合わせ。楽器ごとのスタジオ・ミュージシャンの決定。スタジオの押さえ。カラオケのレコーディング。そして歌の録音が終わるとすぐにミックス・ダウン。これを約半年の間に50曲作るのである。勿論、その間にライブ・レコーディングやサウンド・トラック盤のミックス・ダウンや編集作業が入ってくる。毎日休む隙間も無く、否応なしに常に山口百恵を考え、実際に業務をこなしていった。何かトラブルがあってもスケジュールの遅れは許されないのである。勿論、いつものように細かい仕事上のトラブルは起きていた。曲が上がってこない、アレンジャーのスケジュールが取れない、スタジオやミュージシャンが希望通りに押さえられない。次々と細かいトラブルは続いていくのだが、すべて、何とか解決させて行った。当時は、取材などで山口百恵の引退を知った時の感想を聞かれることが、何度もあった。空虚感とか寂寞感を伝えれば納得してもらえたのだろうけど、こんなスケジュールの中で引退や結婚を実感するのは難しかった。レコーディングの最後が近づいてくるとスタジオのロビーにも取材の記者や関係者なども多くなってきて妙に落ち着かない。勿論、録音中はスタジオの中にはスタッフだけなのだが、時間的な期限が決まっているための切迫した感じは、それまでのレコーディングでの、いつもの和やかな中にも百恵本人やスタッフや作家の間にあった緊張感とも微妙に違っていた。貰っているスケジュールは前述のとおり、絶対に1時間で1曲を仕上げなければいけなかった。百恵の声も仕事の忙しさの中で少しずつ擦(カス)れが見え始めた。しかし最後のスタジオアルバム『This is my trial』を聴いていただければ、判って戴けると思うのだが、このちょっとハスキーな感じが魅力的なのである。百恵本人が気力を絞って仕事をこなしてきた中での迫力さえ伝わってくる。そして
1980(昭和55)年9月26日(金) スタジオでの録音はすべて終了。あとは武道館のラスト・ライブの録音である。万が一の武道館での録音トラブルに備え、予備の音源の収録のため、次の各地のライブへも同行し、録音の手順の予行演習や予備のための録音をした。
1980(昭和55)年9月30日(火) 札幌市真駒内アイスアリーナ、
1980(昭和55)年10月2日(木) 福岡市九電記念体育館、
‡1980(昭和55)年10月3日(金) 大阪厚生年金会館、
1980(昭和55)年10月4日(土) 名古屋市民会館。
そして本当に最後のライブ
1980(昭和55)年10月5日(日) 日本武道館の録音である。録音が順調に始まったのを確認し、この時は、自分のけじめの為に自腹で購入したチケットで、初めて客席で百恵のライブを観た。ただ感傷に浸っている余裕もなく、アンコール直前に録音の為に用意してあるミキシング・ルームに戻った。有名なマイクを置くシーンはモニターテレビの画面で観た。
1980(昭和55)年10月6日(月) 翌日からも百恵引退という一大イベントの報道を横で見ながら、3枚組のレコードの為のミックス・ダウン。マスタリング。たまに入ってくるテレビの特番の為、山口百恵のスタッフとしてのテレビ出演等々。この約半年という限られた時間の中で、よくもこの曲数を録音したということを今さらながら驚いている。そしてそして引退や様々な出来事が変わった1980年が終わり、少しずつその変化に慣れ始めたころ、百恵の引退後に発売されるレコードのミックスダウンや編集なども徐々に終了していき、百恵のためのスタジオワークがだんだん少なくなっていった。その頃になってやっと、「ああ引退したんだなァ」という実感がわいてきた。ちなみにまだアナログ・レコードの時代だったのである。CDの登場は引退の約3年後で、山口百恵の現役時代は1枚もCDが出ていない。このことをだけでも引退からの永い時間の経過が判るのだが、僕にとっての山口百恵は今後の僕の人生においてもビートルズと同様に色褪せていくことはないのだろう。
写真提供: 川瀬泰雄
写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
ソニーミュージック 山口百恵公式サイトはこちら>
http://music-calendar.jp/2015101501
ピンク・レディ― 極秘 VTR映像◆http://youtu.be/GV2Iuy-UR_Q
ピンク・レディ―が歌手をめざして上京する時VTRを撮ってくれた同級生の増井淑乃さん
常葉学園高等学校(放送部資料提供)
1978(昭和53)年4月10日(月)『夜のヒットスタジオ』第0492回放送
1976(昭和51)年4月12日(月) 歌手をめざして 上京
‡1976(昭和51)年10月3日(日) 静岡にてデビュー直後の発表会 ♪ペッパー警部♪
今夜映像◆https://www.youtube.com/playlist?list=PLoZBYqOCoN8sNgDa-Cf7d19pi4bjppGwc
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┃ 松田聖子様 TV御出演 西暦1980(昭和五十五)年 ┃
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|1980(昭和55)年10月 3日(金)|♪風は秋色♪『』02:06
└─――――――――――――┘
1980.10.3風は秋色 松田聖子02:06
****************** http://www.seikomatsuda.co.jp/index.html
80映像◆http://list.youku.com/albumlist/show/id_19385559.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
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┃ 過去の今日の松田聖子様 ┃
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1980(昭和55)年10月01日(水) ♪風は秋色♪発表、オリコン初登場一位を獲得
1980(昭和55)年10月02日(木) 過去の今日不明?
‡1980(昭和55)年10月03日(金) ABCおはよう朝日です、NHK昼のプレゼント
****************** http://www.seikomatsuda.co.jp/index.html
http://www.universal-music.co.jp/matsuda-seiko
http://www2a.biglobe.ne.jp/~seikofan/html/text/his1b.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E8%81%96%E5%AD%90
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No.⑧ 司会六代: 古舘伊知郎・加賀まりこ
1989(平成元)年10月18日(水)~
†1990(平成二)年10月03日(水)『夜のヒットスタジオSUPER』
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映像◆加賀まりこさん、夜ヒット生放送で連発した驚愕の問題発言。古舘も忘れられない番組最後の1年間を語る。https://youtu.be/W1XHRmZgQK0
2022(令和四)年02月07日(月) 87,571回視聴3:17 2022/02/16(水)
【聞き手】○寺坂 直毅さん:今回は加賀まりこさんの忘られない話をお届けします。夜のヒットスタジオが終わる最後の1年間について。"毒舌"な発言の連発。古舘も苦労した生放送でのフォローなど、番組の思い出を語ります。
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┃ 『夜のヒットスタジオ』司会三代目:芳村真理・井上順 ┃
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┌─―――――――――――――――――――――――――┐
①|歴代出演歌手―芳村真理・井上順司会時代Ⅰ(1976~1977)|10周年記念月間 第1週だヨ(=^◇^=)
└─―――――――――――――――――――――――――┘2時間放送
‡第0465回 1977(昭和52)年10月 3日(月) ザ・ドリフターズ、森進一(99)、五木ひろし、沢田研二、布施明(99)、梓みちよ、小柳ルミ子、和田アキ子、
内山田洋とクールファイブ、野口五郎、西城秀樹、郷ひろみ、森昌子、山口百恵、桜田淳子、
高田みづえ、キャンディーズ、ピンクレディー
┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(9) 芳村・井上時代前期①(1976,4-1978,3)|
└─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
※本日は初出演歌手歌省はありま千と千尋だヨ(=^◇^=)
┌─――――――――――――――――――――――――┐
③|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅳ(1976,4~1978,3)|
└─――――――――――――――――――――――――┘放送10周年突入を記念して2時間の特別番組を放送。森進一・五木ひろし・布施明・沢田研二の"ビッグフォー"による「マイ・ウェイ」の共演、ザ・ドリフターズ各メンバーの「ご対面」企画、中3トリオ・新御三家のデュエット大会、ゲスト歌手の往年のヒット曲の披露、などの特別編成で10年の歩みを回顧。出演は他に和田アキ子、梓みちよ、ピンクレディー、小柳ルミ子ほか
03;39沢田研二 五木ひろし 森進一 布施博の東京混成合唱団♪MY WAY♪映像◆15th year anniversary http://v.youku.com/v_show/id_XNTcxNjU3Nzgw.html
番外!ピンクの物真似特集! ♪渚のシンドバッド♪ 桜田淳子&山口百恵
ピンク・レディがリハーサルに間に合わない時に㊤↑のお二人が変わって歌唱した当日映像が本番でオンエアされ話題に
08:00映像◆15th year anniversary http://v.youku.com/v_show/id_XNTcxNjU3Nzgw.html
番外!ピンクの物真似特集! ♪カルメン77♪ 仲本工事・加藤茶
09:06映像◆15th year anniversary http://v.youku.com/v_show/id_XNTcxNjU3Nzgw.html
┌─―――――――――――――┐
|『夜ヒット』今夜のエピソード|http://youtu.be/I5cl2ZGi0gI(07:17)
└─―――――――――――――┘森進一(99)、布施明(99)
今夜の森進一と布施明は、夜ヒット最多出場⑨⑨回で同時タイ。さて、来週はどうなるカナ?(=^◇^=)
新御三家と三人娘デュエット http://youtu.be/NakNStTtz_k
<てんとう虫のサンバ>郷ひろみ 山口百恵、<昭和枯すすき>野口五郎 森昌子、<YESTERDAY ONCE MORE>西城秀樹 桜田淳子
映像◆1980.10.6.山口百恵 最後の夜のヒットスタジオ ノーカット 版https://youtu.be/0MpnbRyWLqE
16分台「夜のヒットスタジオ 珍場面集」
映像◆山口百恵1980.10.6『夜のヒットスタジオ珍名場面集』https://youtu.be/_u9pyaOQD0k
第0492回 1978(昭和53)年 4月10日(月) 桜田淳子と♪渚のシンドバッド♪
第0508回 1978(昭和53)年 7月31日(月) ♪プレイバック-Part2♪
第0514回 1978(昭和53)年 9月11日(月) 郷ひろみ22才♪ハリウッド・スキャンダル♪歌唱㊥に山口百恵を誘ってスローダンス
‡第0465回 1977(昭和52)年10月 3日(月) ♪てんとう虫のサンバ♪ with 郷ひろみ
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夜ヒット 特別編集 80年代、昭和のアイドル歌謡http://v.youku.com/v_show/id_XMTQ4MzY2OTk2.html
第1059回 1989(平成元)年 4月 5日(水) フジテレビ開局30周年記念特別企画・今夜だけ総集編
■2度と見られない?!秘蔵!貴重!編■
‡1977.10.03 出ました!熟女・梓とルミ子10周年記念での艶姿!♪カルメン77♪梓みちよ&小柳ルミ子
1977.10.03 新御三家・三人娘の10周年記念デュエット大会♪てんとう虫のサンバ♪郷ひろみ&山口百恵
1977.10.03 野口五郎・森昌子♪昭和枯れすすき♪
1977.10.03 西城秀樹&桜田淳子♪イエスタディ・ワンスモア♪
1980.10.6「百恵_思い出の8年間」77.10.03オンエアVTR ♪てんとう虫のサンバ♪ with 郷ひろみ
http://page.freett.com/is42/ ⇒ テレビ番組プログラム
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※②時間スペシャル「放送10周年突入記念特番」10周年記念第①弾! ⇒ 1977年11月7日 10周年突入記念第②弾・総集編
※ジョイント…布施明×沢田研二×森進一×五木ひろし ♪MY WAY♪
梓みちよ×小柳ルミ子 ♪カルメン'77♪
花の高三トリオ×新御三家デュエット大会、ほか
井上順が司会になってからも最初の1年か2年ぐらいは派手な装飾とかは夜ヒットの場合はなかったですしね。80年代のヒットスタジオしか知らない世代としてはあまりの歌のシーンのシンプルさにちょっと驚いたりもしましたが…。夜ヒットで歌中にメインの階段セット以外で、その歌限定の映像効果・セットを本格的に組むようになったのはCS放送を見る限りでは●1977年の秋ころからだったと推測されます。確か布施明の「旅愁-斑鳩にて-」という歌のときに、歌の始まりのときは何もセットがなかったのに、サビに入ると突然すすき野のような風景が広がっている…といった演出だったように思います。
http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/ead00bf662e542507e0b55e5442c8b97
77年10月は特番 (churiburi) 2007-06-06 17:21:16
こんにちはいきなりのコメントすみません。77年の10月は夜ヒットの特番で、西城秀樹の項で書かれたように、秀樹は傷だらけのローラとYesterday Once More with桜田淳子を歌っていました。歌手として思い出の曲を歌っていたのですね。小柳ルミ子は「瀬戸の花嫁」でした。派手な白っぽいドレスで、ススキの穂の中で歌っていました。(あとでビデオで確認します)不詳となっていたのでコメントさせていただきました。これからも頑張ってください。
情報有難うございます。 (resistance-k) 2007-06-06 21:50:04
この77年10月3日放送は以前も他の記事へのコメントの返答でも買いたどおり、どちらかといえば「懐メロ大会」みたいな雰囲気だったみたいです。夜ヒットで(総集編以外で)全編新曲じゃない歌で構成されたっていうのは、確認取れている範囲では、この回と84年10月8日放送の2回だけだったと記憶しています。あくまでも、この時代の夜ヒットはそういった構成は「例外」という扱いで、純粋に「今話題の歌、今後知られていくであろう話題の歌」をシンプルに紹介してゆく、っていう番組でしたからね。本当に情報有難うございました。早速追加させていただきます。
http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/67c4a667fba60cf961d0364adafc02c9
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/8eb8c61b3dd6c8ee905f8ec74ef57900
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/016e6286c4ba4e9c143b86d62a61ea93
③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/ff3c27883816f8675069658869f43638
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『夜のヒットスタジオ』司会三代目:芳村真理・井上順 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─―――――――――――――――――――――――――┐
①|歴代出演歌手―芳村真理・井上順司会時代Ⅳ(1982~1983)|
└─―――――――――――――――――――――――――┘
‡第0776回 1983(昭和58)年10月 3日(月) マイケル・センベロ、北島三郎、谷村新司、
細川たかし、岩崎宏美、杏里、近藤真彦、中森明菜(09)
┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(6) 芳村・井上時代後期②(1982,4-1984,3)|
└─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0776回 1983(昭和58)年10月 3日(月) ♪Maniac♪ マイケル・センベロ
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③|歌でふりかえる夜のヒットスタジオ②②年史(10) 1983年10月-12月(第776-788回)|
└─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0776回 1983(昭和58)年10月 3日(月) マイケル・センベロ ♪マニアック(MANIAC)♪
北島三郎 ♪漁歌♪
細川たかし ♪矢切の渡し♪
杏里 ♪CAT'S EYE♪
近藤真彦 ♪ためいきロ・カ・ビ・リ・ー♪
中森明菜 ♪禁区♪(2) http://v.youku.com/v_show/id_XMjMyMzEzODI4.html
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/17add2638a1035ea17b96e640e6ee6bb
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/f82e2d5ac32b6a42cbfcf909edc780a0
③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/e3140b13fa0fab59126289c8ce84cf6f
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃『夜のヒットスタジオ SUPER』司会六代目:古舘伊知郎・加賀まりこ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
■最終回 ③時間特番 ②②年間にわたる歴史に幕(=^◇^=)
②②年最後の歌は若手最多出演者・田原俊彦♪ジャングル Jungle♪
┌─―――――――――――――――――――――――――――┐
①|歴代出演歌手―古舘伊知郎・加賀まりこ司会時代(1989~1990)|※今日で夜ヒットはThe End.だヨ(=^◇^=)
└─―――――――――――――――――――――――――――┘
†第1131回 1990(平成二)年10月 3日(水) 歴代司会者:芳村真理、前田武彦、井上順、柴俊夫出演
「ありがとう・さよなら夜のヒットスタジオ」・電話リクエスト総集編スペシャル
ドリカム チャゲアス 永井真理子 久保田利伸 小泉今日子 TUBE 五木ひろし 松本伊代
宇崎竜童 中村雅俊 大江千里 南こうせつ 田原俊彦 中森明菜 荻野目洋子 渡辺満里奈 THE ALFEE
●㊤↑はわしの目視調査●
┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(1) 古舘・加賀時代(1989,10-1990,10)|
└─―――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
※本日は初出演歌手歌省はありま千と千尋だヨ(=^◇^=)
┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――┐
③|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅹ(1988,2<第1001回>~1990,10<最終回>)|
└─―――――――――――――――――――――――――――――――――┘「ありがとう&さよなら夜のヒットスタジオ」と題し、3時間に特別番組を放送。歴代司会者の芳村真理、前田武彦、井上順、柴俊夫が特別出演、ほか加山雄三、堺正章、松田聖子、田原俊彦、細川たかし、宇崎竜童、中森明菜、小泉今日子、チェッカーズ、アン・ルイス、久保田利伸ほか歴代出演歌手がかけつけ、各司会者ごとにコーナーを設け電話による視聴者からのリクエストなどに往時過去の名場面の数々を放送。この放送を以て、22年間に及ぶ夜のヒットスタジオは完全終幕を迎えたヨ(=^◇^=)
┌─――――――――――――――――――┐『夜のヒットスタジオ』終了後のスペシャル番組
④|ありがとう&さよなら夜のヒットスタジオ|‡1990(平成二)年10月 3日(水) 21:00-23:48
└─――――――――――――――――――┘最終回特番。歴代司会者、主な出演歌手らがスタジオに集合。フジテレビなど系列8局で電話リクエストを受け付けた。関東地区では1990(平成二)年11月 3日(土)の12:00~14:55に再放送されたヨ(=^◇^=)
┌─――――――――――――――――――――――┐
⑤|オープニング映像と番組内でのテロップ表記の変遷|
└─――――――――――――――――――――――┘1989(平成元)年10月18日(水)~●1990(平成二)年10月 3日(水) さまざまなポーズをとった多数のCGイラストが回転し、シンセ音で「come It,s Me」と2回声を発し、それらが消え、ロゴが現れるヨ(=^◇^=)
┌─――――――――――――――┐
|夜ヒットのオーケストラ演奏なし|
└─――――――――――――――┘ちなみに、オーケストラを配置しなかったのは1988年3月30日、1989年9月27日の『DELUXE』最終回、1990年10月3日、1987年・1988年・1989年の年末のスペシャル、あるいは全編総集編の回のみであり、それ以外の回は演奏時間に関係なく設置されていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA#.E6.BC.94.E5.A5.8F
※1974年以前の放送VTR現存確認OK♂♀ <2008(平成20)年現在⑤本目>
1990(平成二)年10月 3日(水)映像◆ありがとう&さよなら 夜のヒットスタジオ https://youtu.be/de0-tMNe7C4
本当に長い間 ありがとうございました そして さようなら
1988(昭和63)年 1月27日(水) ♪乾杯♪ 長渕剛
1989(平成元)年 4月 5日(水) ♪親父の一番長い日♪ さだまさし
1982(昭和57)年11月 1日(月) ♪待つわ♪ あみん
1986(昭和61)年12月 3日(水) ♪ONLY YOU♪ BOφWY
1980(昭和55)年10月 6日(月) ♪さよならの向う側♪ 山口百恵
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|加賀まりこの「暴言」から始まった番組の迷走|
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◎芳村から柴に司会が変わって以降視聴率の低下が始まっていた『DELUXE』に代わり『SUPER』が1989年10月からスタートした。司会は『DELUXE』から続投の古舘伊知郎と新たに参加した加賀まりこ。オープニングは司会者登場のシーンおよびトークが省略され、1968年の開始以来続いていた童謡の演奏がなくなり、司会者のトークを3分間にし、CMをはさんでオープニングメドレーに入る形式となった。1回の放送につきゲストとして出演するアーティスト数は初回(7組)をのぞいて5 - 6組という少数に限定、番組冒頭では「神田川」「関白宣言」「万里の河」といったかつてのヒット曲を紹介するなどの演出上のテコ入れが図られた。また、これを機に指揮者も新井英治から服部隆之(音楽監修兼任)になった。
◎新司会者の加賀は当時、バラエティー番組などでの歯に衣着せぬ毒舌ぶりが注目されていた時期であり、同番組でもその毒舌を遺憾なく発揮したが、B'zの稲葉浩志やCHAGE and ASKA、酒井法子、光GENJIの諸星和己、工藤静香、プリンセス・プリンセスの奥居香などの若手アーティストらに対して、音楽番組の司会者としては不適切と思われる問題発言を度々起こし[32]、本番中に吉幾三の頬にキスをして、吉がキスマークをつけたまま歌ったこともあった(1989年11月29日放送)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA#.E5.8A.A0.E8.B3.80.E3.81.BE.E3.82.8A.E3.81.93.E3.81.AE.E3.80.8C.E6.9A.B4.E8.A8.80.E3.80.8D.E3.81.8B.E3.82.89.E5.A7.8B.E3.81.BE.E3.81.A3.E3.81.9F.E7.95.AA.E7.B5.84.E3.81.AE.E8.BF.B7.E8.B5.B0
┌─――――――┐通算出演 第160回
⑥|今夜の田原俊彦|♪哀愁でいと♪ (5回)
└─――――――┘エピソード ⇒ 最終回オール電話リクエスト 22:00頃登場
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『ありがとう&さよなら夜のヒットスタジオ』■最終回■
†1990(平成二)年10月03日(水) 3時間特番(21:00-23:48)を放送。この日は、歴代司会者、主な出演歌手らがスタジオに集合した。全体進行は「SUPER」時代の古舘・加賀が担当し、各コーナー毎の進行を特別ゲストの歴代の司会者がリレー形式で行う形で放送された(尚、歴代司会者のうち、朝丘雪路と、既に故人となっていた三波伸介は不参加(オープニングではセピア色の写真を3DCGで立体化させ、その顔がウィンクをしたり笑ったりするモーション処理を施した歴代司会者の顔が映されたが、朝丘のみ除外されていた)。なお、既に歌謡番組としての機能を終えており、ゲストによる新曲などの披露は行わず、膨大なVTRを見ながらのトークを中心とした。そのためオーケストラボックスにバンドはおらず、代わりに翌年度にフジサンケイグループ各社へ入社が内定している者が招待された。当日は、フジテレビ系列8局[注 37]で電話リクエストを受け付けた。電話の受付を行う各局スタジオにも各地での仕事のためフジテレビに来られない出演歌手が多数出演した。また、
1990(平成二)年11月03日(土) 12:00-14:55 関東地区で再放送。なお、このスペシャルからは2日前にフジテレビ系フルネット局化したばかりのテレビ長崎がネット復帰した
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/6d7748c17008cded54b0f80448303f40
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/85ca8e6eabcdca1e05fba465570f3201
③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/b53c0a9c9a4360f59bbd422319982458
④http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA#.E3.83.AC.E3.82.AE.E3.83.A5.E3.83.A9.E3.83.BC.E3.82.B7.E3.83.AA.E3.83.BC.E3.82.BA.E7.B5.82.E4.BA.86.E5.BE.8C.E3.81.AE.E3.82.B9.E3.83.9A.E3.82.B7.E3.83.A3.E3.83.AB.E7.95.AA.E7.B5.84
⑤http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA#.E3.82.AA.E3.83.BC.E3.83.97.E3.83.8B.E3.83.B3.E3.82.B0.E6.98.A0.E5.83.8F.E3.81.A8.E7.95.AA.E7.B5.84.E5.86.85.E3.81.A7.E3.81.AE.E3.83.86.E3.83.AD.E3.83.83.E3.83.97.E8.A1.A8.E8.A8.98.E3.81.AE.E5.A4.89.E9.81.B7
⑥http://www.104ttdp.com/tt/musicpro/yoruhit/yh-90.html
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┃『夜のヒットスタジオ』レギュラーシリーズ終了後のスペシャル番組┃
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|ありがとう&さよなら夜のヒットスタジオ|
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†1990(平成二)年10月03日(水) 21:00-23:48
最終回特番。歴代司会者、主な出演歌手らがスタジオに集合。フジテレビなど系列8局で電話リクエストを受け付けた。関東地区では
1990(平成二)年11月03日(土)の12:00~14:55に再放送されたヨ(=^◇^=)
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①┃ 夜ヒットを彩った売野雅勇作品 ┃♪ラヴェンダー・リップス♪
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛河合奈保子/曲:林哲司 HC:5位
1985(昭和60)年10月 3日(木) リリース
‡1985(昭和60)年10月 2日(水) 第0878回『夜のヒットスタジオ』出演
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②| 売野 雅勇(うりのまさお) |1951(昭和26)年 2月22日(木) 生誕
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①http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9
http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/1d0956ff961df20a972b2e1604f32b04 曲目
②http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%B2%E9%87%8E%E9%9B%85%E5%8B%87
http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/35297ae7ed6102f16f815788cba51b99 経歴
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┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━┛1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
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┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃ 1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛●1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
************************* http://blog.goo.ne.jp/resistance-k
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%87%BA%E6%BC%94%E6%AD%8C%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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山口百恵、ピンク・レディー、小泉今日子、中森明菜…みんなこの番組から誕生した。1973年10月3日、オーディション番組「スター誕生!」放送開始
2015年10月03日 執筆者:馬飼野元宏
森昌子、桜田淳子、山口百恵、伊藤咲子、片平なぎさ、岩崎宏美、新沼謙治、ピンク・レディー、石野真子、柏原芳恵、小泉今日子、中森明菜、岡田有希子……文字通り数々のスターを輩出した、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』は、1971年10月3日に第1回放送がスタートした。
この番組の最大の功績は、一般社会に広く歌謡界への門戸を開いたことにある。70年代の歌謡曲シーンは、原石をまっさらな魅力のまま世に送り出すというスタイルが支持されはじめ、旧来の芸能界的なシステムに準拠した、内弟子やボーヤのような徒弟制、ジャズ喫茶やナイトクラブでのセミプロ経験を経てのデビューは、時代の流れにそぐわなくなりつつあった。そこに『スター誕生!』が、昨日までの素人が明日のスターになれる可能性を提示したのである。これは、番組審査員の1人であり、番組の企画・構成にも関わった阿久悠の意向が大きく、そのことは阿久自身の回想録『夢を食った男たち』(文春文庫)に詳しく記されている。
葉書予選から幾度の予備審査を経て勝ち残った14組前後が、後楽園ホールのテレビ中継へと進む。1回の放送で7組が出場し、ここで作詞家、作曲家といった審査員のほか、一般の会場審査員も採点に加わる。素人の目で見た判断が審査に加点されているのだ。
こういった“視聴者参加型形式”は日本テレビが得意とするところで、過去にも勝ち抜きの『歌のグランプリショー』『歌のチャンピオン』がある。『シャボン玉ホリデー』など音楽番組に強い同局は、『ホイホイ・ミュージックスクール』『あなた出番です』『スターへばく進!』などのオーディション番組も制作していた。だが『スター誕生!』は勝ち抜き形式と違い、複数の合格者が出るときもあれば、1人も合格しない回もあり、リアルな厳しさがあった。合格者は決戦大会に進み、ここでレコード会社と芸能プロダクションのスカウトマンが獲得の意思を伝えるプラカードを揚げれば指名成立、晴れて歌手への道が拓ける。この形式は「人買い」と批難も受けたが、この生々しさ、下世話さも日本テレビの持ち味といえるだろう。
こういったシビアな審査の中和剤となったのが、司会をつとめた萩本欽一。合格者にも落選した者たちにも温かく接し、中盤のコント・コーナーで会場を和ませる欽ちゃんのキャラクターは、辛口な審査員との好バランスとなっていた。
デビュー第1号歌手の森昌子は、ノスタルジックな青春歌謡の復権ともいえる「せんせい」で登場。彼女のショート・カットは、本来ジャネット・リンに似せたつもりがタワシ頭などと呼ばれてしまったのだが、結果、あの髪型が醸し出す庶民的なムードによって、芸能界のスターが手の届きそうな位置まで降りてきたと人々に思わせたのである。
続いて桜田淳子が73年2月に「天使も夢みる」でデビュー。原石を発見し育てる、という番組の目指す方向に1つの回答を与えた逸材であった。逆に、同年5月に「としごろ」でデビューした山口百恵は、素朴な横須賀のいち少女で、その後7年間に渡るダイナミックな変貌は、当初は誰も予想していなかった。この3人による「花の中3トリオ」の成功は、従来の芸能プロやレコード会社主導の売出しから、テレビ主導のユニットへと変化が起きたことを物語っており、同時に歌謡曲というジャンルが、テレビ・メディアに大きく依存していたことを証明する形となった。
番組の開始早々、審査員の1人で、若く二枚目でアーバンな雰囲気を醸し出す作曲家が、テレビ視聴者の目に留まった。その名は都倉俊一。番組が始まってほどなく「都倉さんガンバレ」の横断幕まで登場したほどで、『スター誕生!』の第1号スターは、都倉俊一だったともいえそうだ。
『としごろ』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
ソニーミュージック 山口百恵公式サイトはこちら>
http://music-calendar.jp/2015100301
【HD】 中森明菜 禁区
1983(昭和58)年 9月12日(月) 第0773回『夜のヒットスタジオ』出演
昭和58(1983)年10月03日 第0776回 中森明菜
昭和58(1983)年11月14日 第0782回 中森明菜
http://youtu.be/PVnsUwd7cpY http://youtu.be/e9O0Z6CgsvE http://youtu.be/CBQvPx2wMBs