■1986(昭和61)年5月31日(土)はれ 昨年の夜から今日にかけての俺の行動パターン。
5月30日18時からいつもの信濃町のスタジオでボーカル・ダビング。歌い馴れた曲ばかりなので何と4曲も録ってしまう。ミキサーの助さん(助川さん)が1日で4曲録ったのは初めてだと驚いていた。因みにその4曲は"遠くへ" "19のままさ" "もうひとつの土曜日" "LONELY"。途中で高橋が、12インチシングルジャケット用の写真と出たばかりの渋谷陽一氏の文庫本"ロックは語れない"を持って来る。写真は今ひとつ雰囲気が違うので撮りなおすことにする。"LONELY"を録る前に腹ごしらえにフライド・チキンにコーラの夜食を摂る。終わってからクマさん(岩熊氏)須藤君(ディレクター)を送り古村の家へ行く。"路地裏の少年"のアレンジうちあわせ、次のツアーの話などをして家に戻ったら4時近く。ビールを飲みながらシャワーを浴びベッドに入る頃にはもう外は完璧に明るい。それでも11時頃起きてレコードを聴きながら新曲の詩を書いていたらいつのまにか寝てしまう。目が覚めたら夕方、シャワーを浴びたらもうスタジオに行かないといけない時間になっている。そして又レコーディング。こんな日々が6月一杯続くのだろう…。
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┃ 浜田省吾 #21 プリプロ顛末記 ┃
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‡2016(平成28)年05月30日(月)
1984(昭和59)年、浜田省吾のアルバム「Down By The Mainstreet」のレコーディングに向けてのプリプロ作業が始まりました。今回はその顛末記です。
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1984(昭和59)年の春、浜田省吾とThe Fuseからの残留メンバーは、ニューアルバムのプリプロダクションの為に、河口湖畔の貸し別荘で数日間の合宿を行うことになった。ぼく達は車数台と楽器を積んだトラックで河口湖のコテージに到着した。まだ寒さの残る日だった。そのコテージは河口湖沿いの人気(ひとけ)のない森の中に何棟も点在していた。すでにあたりは日も沈んで暗くなってきていた。さっそくぼく達はコテージに楽器を運び込んでセッティングを開始した。ようやく楽器のセッティングが完了して軽く音を出して諸々確認をしてみた。さしたる問題もなく一通りの楽器の音が出た。ようやく一息ついて、これから数日間の合宿プリプロに向けて士気も高まってきた矢先、浜田さんから爆弾発言が飛び出た。「何かさぁ、ここって思ってた感じとちょっと違うなぁ。フィーリングが合わないと言うかさぁ…。ん??…やっぱり帰ろう!!」えぇぇぇぇ????!!???「やっと楽器のセッティングも済ませたばかりなのに帰るってマジっすかぁ??」誰からともなくほぼ同時にみんなの口から似たような言葉が出た。どうも浜田さんはこの場所とコテージの感じがしっくり来ないらしい。「せっかく楽器もセットしたのに悪い!、ホント申し訳ないけどここではやりたくないんだ。」確かそんなような内容のことを浜田さんは言った。本人がやりたくないというのを引き止めるわけにも行かず、ぼく達は渋々組んだばかりの楽器をバラし始めた。結局河口湖には一泊もせずにその日のうちに東京に戻った。河口湖でのプリプロがドタキャンになって、さてどうしたものかと思っていたところに、またしても浜田さんから爆弾が投下された(笑)
「板倉の家は部屋が何個かあったよね?リビングも広いし。そうだ!板倉の家でプリプロやろう!!」
えっ!?…えぇぇぇぇ????!!???
何ですってぇぇ?!?
「マジっすかぁぁ!?ホントにオレんちでやるのぉ?」
「そう。我ながらグッドアイデアだと思わない?」ニヤッと笑いながら、勝ち誇ったように浜田さんは言った。
「全然グッドじゃ無い無い!!そんなの無理だよぉ?!」困惑しながらぼくは答えた。
「ん?、にゃ!もう決めたから。みんなもそう思わない?」浜田さんは一度決めたらテコでも動かないと言った様子で、みんなにも同意を求めた。
「そうね、板さんちだったらみんな近いし、環七沿いだからちょっとぐらい音出しても大丈夫そうだし、眺めも良いしいいかもね。」とかなんとか、みんなで調子のいいことを言って、強引にぼくの家でプリプロをやることに決めてしまった。かくして河口湖での合宿から一転、ぼくの家で浜田省吾の新曲のプリプロが行われることとなった。
1984(昭和59)年某月某日、浜田さんとバンドメンバー、スタッフはぼくの家に集結した。これから数日間に渡って新曲の骨格を練り上げて行くのだが、ぼくは自分の家でプリプロが行われることが心配で何か落ち着かなくて仕方がなかった。当時住んでいた僕の家は環七沿いの13階建てのマンションで、ぼくの部屋は10階の角部屋だった。間取りは2LDKで、六畳の部屋が二部屋と約15畳程度のリビングダイニングが付いていた。割と高台に建っているマンションだったので、部屋の窓からは素晴らしい眺望が堪能出来た。ベランダからは羽田空港に発着する飛行機や、空気の澄んだ日には房総半島までもが見えた。夜になると新宿の高層ビル群や東京タワーの夜景等がとても綺麗だった。そんな部屋に後に浜田省吾のモニターエンジニアを担当することになる、ヒビノ音響のMくんとルームシェアする形で住んでいた。そしてMくんが仕事で留守な時に合わせてプリプロの日程が組まれた。曲のアレンジを担当する者が中心となって、三つの部屋に別れて作業が始まった。例えばAという曲のアレンジは町支さんと浜田さんで六畳の部屋、Bという曲のアレンジはぼくと江澤くんでもう一つの部屋、Cという曲のアレンジは古村くんでリビング、といったような感じで部屋ごとに作業が同時進行していった。そしてある程度アレンジの骨格が出来たら、みんなで楽器を持ってそれぞれの部屋に集まり、軽く演奏して確認してみたりした。さすがに部屋にドラムは持ち込めないので、ドラムはドラムマシーンを使って代用した。あっという間にぼくの家は、楽器やケーブル、譜面等々がそこいらじゅうに散乱して足の踏み場も無いような状態になった。 そんな作業の様子を事務所のスタッフは、こたつに入ってみかんなど食べながら眺めていた(笑)ギターやベース、ピアノやサックス等、控えめながらも実際に音を出して作業していたので、遂にぼくが心配していた事態が起こってしまった。下の階の部屋と隣の部屋からクレームが来た。そりゃそうだ。防音も何も無い部屋で一斉に音を出して作業しているのだからうるさくないわけが無い。それでもぼく達は隣人からのクレームにめげることなく、数日間のプリプロを敢行した。夜になってその日の作業が終わると、近くの店にみんなでご飯を食べに繰り出したりした。さすがにぼくの家で合宿は出来ないので、みんな自分の家からの通いだったが、何だか学生のクラブ活動のようでとても楽しかった。そして新曲の骨格が完成したところで、ぼく達は今度は河口湖の貸別荘ではなく同じく河口湖にあるレコーディングスタジオで、数日間に及ぶ新曲のレコーディングを行うため、再び河口湖に向けて出発した。いよいよニューアルバム「Down By The Mainstreet」のレコーディングが始まった。しかしここでまた新たな問題が発生することとなる。以下続く。
写真◆1984(昭和59)年頃。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/05/21.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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┃ ON THE ROAD '88 FATHER'S SON ┃前半戦 日程
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‡029.1988(昭和63)年05月30日(火) 群馬県民会館
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http://www.flashandshadow.com/shogo/live/on/on1988.html
https://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11600186984.html
http://ameblo.jp/futabayama69/entry-10819384548.html
http://www9.plala.or.jp/bt-pearl/dear_memories.html
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89.1.28♪ON THE ROAD♪映像◆http://www.nicovideo.jp/watch/sm13810282#
コブクロ、カバーアルバムはコブクロ・フィギュアorピック付
2010-05-30(sun) 14:44:10
コブクロがカバーアルバム『ALL COVERS BEST』を8月25日(水)にリリースする。
◆コブクロ画像
ストリートでパフォーマンスをしていた10年以上前から、様々なアーティストのカバーを行なってきた彼らだからこその作品だ。ライヴツアーのみならずTV番組などでカバーが披露する度に、リリースを熱望するファンの声が寄せられてたという事実がある。今回はワーナーミュージック・ジャパンの創立40周年を記念し、40万枚限定でリリースとなる。
「コブクロとして初めて、カバーアルバムを作っています。幼い頃から聴いて育った、沢山の「歌」たちは、今も心の中に鳴っていて、記憶や景色と共に、その時々の自分を連れてきてくれます。それぞれの好きだった歌には、こだわりも強く、こうして久しぶりに2人で歌ってみることで、コブクロの中に流れる「血管」が太くなるような、そんな感覚を覚えます。小渕、黒田、まるで静脈と動脈のようなそれぞれの音楽性の違いも、体の中で流れる「音」として混じり合い、とても濃い内容に仕上がっています。このアルバムで、懐かしくも新しいコブクロの音を感じてもらえたら、とても嬉しいです。」──コブクロ
ペプシネックスCM曲「Layla」、カバーして欲しい曲ファンクラブ投票1位「I LOVE YOU」ほか、「三日月」「卒業写真」といった名曲がおおよそ18~20曲、2枚組としてリリースとなる。AとBの2タイプが用意され、Aにはコブクロ・オリジナルフィギュア(2体1セット)が、Bにはコブクロ・オリジナルピック(2枚1セット)が付属、それぞれ20万枚ずつの限定生産だ。
以下はコブクロ本人からのコメントである。
「I LOVE YOU」尾崎豊さんという存在そのものが、それぞれの胸に、そしてコブクロの真ん中にあります。音楽性も生き様も、そのものがメッセージとして焼きついたまま、少しも色褪せない、特別なシンガー。その尖った部分とは裏腹なこの優しい歌が、2人とも大好きです。路上時代から歌い続け、2009年のツアーでもカバーし、今回アコースティックギターメインで収録しました。
「三日月」デビュー曲「I believe」で絢香ちゃんの歌声を聴き、歌唱力に度肝を抜かれ、この「三日月」では、さらに歌詞の世界に2人とも引き込まれました。2009年のツアーでカバーしてみて、この曲の深みを強く感じ、収録を決めました。絢香ちゃんとは、何度も一緒に歌ってきました。その声を、一番近くで聴いてきた、僕等ならではのアプローチを目指しました。
「卒業写真」この歌には、目を凝らしてもにじむようなセピア色の風景と、誰もがずっと心に抱くような鮮やかな記憶とが、連続して描かれているように思います。まさに、コブクロとして楽曲を書く時に、一番想う所であり、そういう意味では、教科書のような歌です。もう2度とこんな歌には出逢えないだろうし、自分でも作れない。そんな憧れも息づく楽曲です。アレンジも、限りなく原曲に忠実に、そこに少し、懐かしさをまぶしたような仕上がりにしました。
カバーアルバムに収録されるであろう予定曲・候補曲は下記の通り。6月1日から予約スタートとなるが予約数が上限に達し次第、受付終了となる。
ALL COVERS BEST(完全生産限定盤A)(オリジナルフィギュア付)コブクロ
ALL COVERS BEST(完全生産限定盤B)(オリジナルピック付)コブクロ
『ALL COVERS BEST』2010年8月25日(水)発売
限定盤A(20万枚)2CD+コブクロ・オリジナルフィギュア(2体1セット)WPCL-10810/11 税込価格¥3,800
限定盤B(20万枚)2CD+コブクロ・オリジナルピック(2枚1セット)WPCL-10812/13 税込価格¥3,300
「Layla」 Derek & the Dominos
「三日月」 絢香
「I LOVE YOU」 尾崎豊
「卒業写真」 荒井由実/ハイファイセット
「もうひとつの土曜日」 浜田省吾
「ANSWER」 槇原敬之
「ピンクプリズナー」 UNICORN
「いつまでも変わらぬ愛を」 織田哲郎
「California Sun」 RAMONES
「遠い恋のリフレイン」 T-BOLAN
「こんな風にして終わるもの」 小谷美紗子
「しあわせのランプ」 玉置浩二
「運命船サラバ号出発」 ザ・コブラツイスターズ
「The Love We Make」 SING LIKE TALKING
「気球に乗って」 THE BOOM
「Lovin' you」 渡辺美里
「Superstition」 Stevie Wonder 他
http://www.barks.jp/news/?id=1000061479
いつかもうすぐ(弾き語り)http://youtu.be/qdOpxgPHVqM
【日付不明・ラジオ局不明】1980年頃アルバム「君が人生の時・・・」発売後のスタジオライブより
★いつかもうすぐ(弾き語り)★いつかもうすぐ ★とぎれた愛の物語
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┃ 『浜田島Ⅰ』 ┃ |2009(平成21)年 7月 3日(金)|第1回 横浜市 赤レンガ倉庫 開幕
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┃ 『浜田島Ⅱ』 ┃ |2010(平成22)年 5月20日(木)|第2回 大阪市 中之島バンクス 開幕
┗━━━━━━━━┛†|2010(平成22)年 5月30日(日)|第2回 大阪市 中之島バンクス 閉幕
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┃ 『浜田島Ⅲ』 ┃ |2014(平成26)年12月19日(金)|第3回 名古屋市 ナディアパーク・デザインホール 開幕
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┃ 『浜田島Ⅳ』 ┃ |2015(平成27)年 3月13日(金)|第4回 福岡市 アジア美術館 開幕
┗━━━━━━━━┛ |2015(平成27)年 4月 5日(日)|第4回 福岡市 アジア美術館 閉幕
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┃ 『浜田島Ⅴ』 ┃ |2017(平成29)年12月21日(木)|第5回 東京・渋谷 ヒカリエホール 開幕
┗━━━━━━━━┛ |2018(平成30)年 1月 8日(月)|第5回 東京・渋谷 ヒカリエホール 閉幕
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E5%B3%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E7%94%B0%E5%B3%B6%E5%B8%82
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┃ よしだたくろう 全国縦断リサイタル '74 秋 (愛奴・春のツアー) ┃
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1974(昭和49)年5月29日(水) 06回 釧路市民会館
‡1974(昭和49)年5月30日(木) 07回 北海道厚生年金会館
1974(昭和49)年5月31日(金) 08回 函館市民会館
01♪おろかなるひとり言♪
02♪ひらひら♪
03♪君去りし後♪
04♪むなしさだけがあった♪
05♪親切♪
06♪竜飛崎♪
07♪もうすぐ帰るよ♪
08♪祭りのあと♪
09♪落陽♪
♪これからは君の世代だ♪
♪夏の光の中で♪
10♪今日もまたペニーレインで♪ ※♪ペニーレインでバーボン♪の原曲
11♪襟裳岬♪
12♪高円寺♪or♪リンゴ♪
13♪夏休み♪
14♪忘れかけた一日♪
15♪野の仏♪
16♪シンシア♪
17♪イメージの詩♪
18♪私♪ ※♪悲しいのは♪の原曲
概要・・・デビュー後初めて開催された単独コンサートツアーである。日本のファークシンガーとして初の全国ツアー。広島フォーク村の後輩である『愛奴[29]』をバックバンドに従えた全国縦断ツアー[30]。
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http://setlist.mx/concerts/215342
https://www.uta-net.com/song/51514
https://www.uta-net.com/song/44469
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ MTV Video Music Awards Japan ┃
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|第08回 2009(平成21)年5月30日(土)|司会者・・・劇団ひとり
└─―――――――――――――――┘会場名・・・さいたまスーパーアリーナ(4)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/MTV_Video_Music_Awards_Japan
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┃ 1993年の出来事 ┃
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2017(平成29)年10月04日(水) 今回は1993年のことを。
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1993(平成五)年から94(平成六)年にかけては、ツアーとレコーディングの日々が続いた。ぼくがツアーサポートで参加したアーティストはinfix、久宝留理子さん、町支寛二さん。山本英美さん。93年の前半はinfixのレコーディングで多忙だった。ぼくは前作に引き続き、彼等の三枚目のアルバムのプロデュースも担当した。レコーディングは前作同様二子玉川のスタジオ・サウンドダリで行った。エンジニアも前作と同じ森元浩二くん。参加ミュージシャンはinfixの四人+キーボードでぼく+サックスの倉富義隆くん他。サウンド的には前作からの流れで、アメリカンロックっぽい部分をさらに押し進めた作品になった。infixの楽器にも新たな顔ぶれが加わって、ベースの野間口くんはヴィンテージのフェンダージャズベースを、ギターの晃くんもヘッドアンプやエフェクター群を一新してレコーディングに臨んだ。ぼくもこの時期、シンセサイザーやサンプリングキーボード等、機材を大量に導入してサウンド作りに勤しんだ。今回のアルバムでは新たな試みにもトライした。メンバーによるアカペラの曲や歌のないインストゥルメンタルの曲など、今までとは違う新たなことにチャレンジした。彼等はメンバー全員がボーカルをとれたので、コーラスはお手のものだった。そこで今回は今まで彼等がやったことのない、ドゥーワップ調のコーラスにもトライしてもらった。インストゥルメンタルの曲は、ぼくとギターの佐藤晃くんの二人で書いた。ピアノとアコースティックギターだけの曲で、「Innocent Age」と名付けられた。結果この曲はアルバムタイトルにもなった。アルバムタイトルはぼくが考えて、彼等やスタッフと協議した結果「Innocent age」に決まった。アルバムに先駆けて4月にシングル「WINNERS FOREVER?勝利者よ?」がリリースされた。これはテレビアニメ「機動戦士Vガンダム」のエンディング・テーマに採用されて、スマッシュヒットを記録した。この曲はシングル・バージョンとアルバム・バージョンではアレンジが異なる。シングルのほうはホーンセクションが入って、より派手な仕上がりになった。1993年の6月にinfixの三枚目のアルバム「Innocent Age」はリリースされた。infixのレコーディングが終了すると、すぐに久宝留理子さんのツアーが始まった。93年になって久宝留理子さんのバンドは何人かメンバーが代わった。ギターが高村周作くんから富塚和彦くんと長田進くんに、サックスが古村敏比古くんからスマイリー松本くんにスイッチした。長田くんとは佐野元春さんのレコーディング以来の再会だった。あの時はレコーディングスタジオでの一度限りのセッションだったが、今回は一緒にライブをやることが出来るので、音を出すのがとても楽しみだった。久宝留理子さんの93年ツアーは以下の通り。
1993(平成五)年05月22日(土) 銀座 SOMIDO ホール
1993(平成五)年05月23日(日) ヒューマンアカデミー大阪北校
‡1993(平成五)年05月30日(日) 新宿 日清パワーステーション
1993(平成五)年06月08日(火) 大阪 バナナホール
1993(平成五)年06月10日(木) 新宿 日清パワーステーション
1993(平成五)年08月07日(土) 神鍋高原特設ステージ
1993(平成五)年08月08日(日) 名古屋港ガーデン埠頭
1993(平成五)年09月23日(木) 新宿 日清パワーステーション
1993(平成五)年08月07日(土)の神鍋高原特設ステージでのライブは、前日の夕方に東京からバスをチャーターして鈴木雅之さん御一行と一緒に移動した。バスは深夜大阪に到着した。ぼく達は一旦大阪で宿泊して、次の日の朝早く神鍋高原入りした。神鍋高原は兵庫県の豊岡市にある広大なリゾート地で、コンサートは野外の広場のようなところに特設ステージを組んで行われた。真夏だったので高原と言ってもとにかく暑かった。ぼくは自分の楽器や機材が、暑さでどうにかなってしまわないかそればかり気にしていた。ぼくは
1993(平成五)年09月23日(木)の日清パワーステーションでのライブを最後に久宝さんのバンドを離れた。ぼくにとって久宝さんとのラストライブはとても素晴らしいものになった。
1993(平成五)年08月07日(土)神鍋高原特設ステージ。足元のペダルの数が凄い(笑)
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2017/10/1993.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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