過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)

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 ┃ドラえもんと『徹子の部屋』┃
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 1999(平成11)年12月31日(金)と
 2000(平成12)年02月11日(金)の放送では、CG映像でドラえもんが出演した。今のところ架空の人物が出演を果たしたのは、このドラえもんのみ。声は、当時のドラえもん役で、黒柳とは親友でもある大山のぶ代。声で出演した大山は、
‡1999(平成11)年03月04日(木)、
 2004(平成16)年03月05日(金)、
 2005(平成17)年05月24日(火)、
 2006(平成18)年06月02日(金)など数年に一度の割合で定期的に出演している。
 2009(平成21)年04月30日(木)には、夫の砂川啓介と夫婦で出演し、自身の脳梗塞の闘病秘話を告白しているヨ(=^◇^=)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B#.E6.9E.B6.E7.A9.BA.E3.81.AE.E3.82.AD.E3.83.A3.E3.83.A9.E3.82.AF.E3.82.BF.E3.83.BC
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1976(昭和51)年03月04日(木)山田美鈴
②1977(昭和52)年03月04日(金)吉岡たすく
③1980(昭和55)年03月04日(火)中山千夏
④1981(昭和56)年03月04日(水)日下武史
⑤1982(昭和57)年03月04日(木)村田千栄子
⑥1983(昭和58)年03月04日(金)田崎潤
⑦1985(昭和60)年03月04日(月)中尾彬
⑧1986(昭和61)年03月04日(火)小沢昭一
⑨1987(昭和62)年03月04日(水)高森和子
⑩1988(昭和63)年03月04日(金)菅原都々子
⑪1991(平成三)年03月04日(月)小坂一也
⑫1992(平成四)年03月04日(水)桜金造
⑬1993(平成五)年03月04日(木)曙太郎?
⑭1994(平成六)年03月04日(金)春風亭龍昇
⑮1996(平成八)年03月04日(月)瀬戸内寂聴
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑯1997(平成九)年03月04日(火)左時枝
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
⑰1998(平成十)年03月04日(水)イツァーク・パールマン
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 3月 4日(月) 永六輔 |第回
 └─――――――――――――――――┘ 
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-3-4.html
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 |2003(平成15)年 3月 4日(火) 夏川りみ |第回
 └─―――――――――――――――――┘
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-3-4.html
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 |2008(平成20)年 3月 4日(火) 沖縄懐石料理店主人 高木凛|第回
 └─―――――――――――――――――――――――――┘「珍しい沖縄懐石料理を披露」東京の下町育ちながら沖縄の豊な食文化を伝えるため、自ら「沖縄懐石料理店」を開いている高木さん。八重山諸島に自生する珍しい食材を駆使する高木さんならではの料理を紹介。興味津々で賞味する黒柳は?高木さんは、脚本家としての顔も持つ。売れっ子脚本家として多忙を極めていたが、ガンという病を得て沖縄へ。そこでの生活が人生を変えることとなったという。  
 ☆高木凛さんが経営している沖縄懐石料理屋 赤坂 潭亭(たんてい)東京都港区赤坂6-16-11浜ビル 03-3584-6646
 ☆高木さんが執筆した本を紹介しました「沖縄独立を夢見た伝説の女傑 照屋敏子」小学館から発売中 1500円  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/080304.html
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 |2009(平成21)年 3月 4日(水) 園 まり |第回
 └─―――――――――――――――――┘「乳がん手術を…園まり涙の胸中告白」昨年の12月に行われた「徹子の部屋コンサート」では、復活を遂げた“三人娘”が登場。中尾ミエさん、伊東ゆかりさんとともにステージを大いに盛り上げた園まりさんを迎える。舞台では元気一杯の活躍だったが、実は一昨年に乳がんの宣告を受け、手術に臨んだばかりだったという。それまでは抱えていた恐れを捨て、がんと向き合っていくと決意したとき、手術に対する恐怖心が消えたという。「病気」という試練がもたらした自身の心の変化をつぶさに語る。また、園さんを支えた“三人娘”の友情秘話も。  
 ☆ライブ セルリアンタワー&JZ Brat 8th ANNIVERSARY
 5月22日(金)※入替制 ¥6000(税込)1st:Open 17:00 Start 18:30 2nd:Open 20:00 Start 21:00 電話でのご予約・お問い合わせ 03-5728-0168(平日15時~21時)
 備考・・・2009年3月4日放送、テレビ朝日徹子の部屋で、初期の乳がんだったことを告白。2007年に発見したが、翌2008年1月に手術し無事克服。早期発見の大切さを訴えた  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/090304.html
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 |2010(平成22)年 3月 4日(木) 馬頭琴奏者 セーンジャー|第回
 └─――――――――――――――――――――――――┘「大草原の楽器・馬頭琴に黒柳も感激」内モンゴル自治区出身の馬頭琴奏者セーンジャーさん。来日10年、日本の大学院を卒業するなど日本語は堪能でその優しい眼差しから、“馬頭琴界のヨン様”とあだ名がついているという。かつては、ゲルと呼ばれる遊牧民用の組み立て式住居に住み、馬やラクダなどを放牧しながら草原で暮らしていたという。今日は珍しい馬頭琴の演奏も。  
 ○ 紹介した展覧会 *チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展 江戸東京博物館1階 展示室 4月11日まで好評開催中!*セーンジャー Spring Concert「桜コンサート」 3月13日(土)江戸東京博物館 1階ホール 展覧会関連のお問い合わせ 03-3626-9974(代表)セーンジャーコンサート事務局 03―3567―8110 セーンジャーさんのCDなどはチンギス・ハーンとモンゴルの至宝展の会場で販売しています シングル「恋情」発売 アイプランミュージック価格1,260円(税込) 商品番号IPLA-0004
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/100304.html
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 |2011(平成23)年 3月 4日(金) 加藤 浩次 |第8925回
 └─――――――――――――――――――┘「夫婦ゲンカの仲直り法」様々なジャンルの番組で活躍するお笑い芸人の加藤浩次さんが初登場! 一目ぼれから始まった結婚秘話から夫婦喧嘩の解決法まで…加藤さんの私生活が明かされる。3児の父親としての素顔は?黒柳を襲った"あるハプニング"も手伝って、スタジオは大いに盛り上がる。
『映画 ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 ~はばたけ 天使たち~』3月5日(土)~ ロードショー 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/110304.html
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 |2013(平成25)年 3月 4日(月) 鳳 蘭  |第9431回
 └─―――――――――――――――――┘「祝!2年連続で娘が結婚&孫誕生の喜び!」 元宝塚の大スター鳳蘭さんが愛娘たちの嬉しい報告を!2011年に長女の由梨さん、2012年に女優で次女の由紀さんが相次いで花嫁に。美しい挙式での写真を披露してくれる。その娘たちの子育てに追われていた頃にも出演してくれた鳳さん。22年前のVTRが流れると…。また、今日は番組で初告白!生まれたばかりの初孫の話に目を輝かせる。 
  ☆舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」3月5日(火)~29日(金) 日生劇場 東宝テレザーブ(営業時間 午前9:30~午後5:30)03-3201-7777 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130304.html
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 |2014(平成26)年 3月 4日(火) 宮川一朗太 |第9690回
 └─――――――――――――――――――┘「男手一つで育てた娘たちが…」昨年、俳優生活30周年を迎えた宮川一朗太さんが初登場。“神童”と言われていた宮川さんは東京でも有数の進学校に入学したが、俳優に憧れ17歳のとき映画『家族ゲーム』で鮮烈なデビューを飾った。23歳の時“授かり婚”で結婚して2女に恵まれたが、波瀾の家庭生活が…。今日は男手ひとつで育てた愛娘から手紙が届き、宮川さんの目から感動の涙が。
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/140304.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2015(平成27)年 3月 4日(水) コブクロ |第09915回
 └─―――――――――――――――――┘「山あり谷あり…人情秘話と熱い歌声に黒柳は」結成17年の大人気デュオ・コブクロが初登場! 今や日本を代表するアーティストとなった彼等の秘密に迫る。17年前、2人は不思議な縁に導かれ大阪の路上で知り合った。最初に作った曲「桜」が評判となり多くのファンを路上に集めたが、自信が打ち砕かれる事件が次々と起きた。そこに運命の人物が現れて…。今日は黒柳の前で熱唱を披露してくれる。 
 ☆CD「奇跡」3月4日発売 初回限定盤CD+DVD 1,167円+税
 ☆コンサート情報 KOBUKURO LIVE TOUR 2015 “奇跡”5月12日(火)13日(水) 横浜アリーナ お問合せ:ディスクガレージ 050-5533-0888(月-金 12:00-19:00)
 ☆木曜ドラマ「DOCTORS 3 最強の名医」3月5日(木)よる9時放送 最終回拡大スペシャル
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20150304.html
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 |2016(平成28)年 3月 4日(金) 加山雄三 |第10197回
 └─―――――――――――――――――┘「戦前の貴重なフィルムを初公開!」番組最多出演を誇る加山雄三さん。最近、自宅から父・上原謙さんが撮影していた戦前のフィルムが見つかった。幼少時代の加山さんや母・小桜葉子さんが映る貴重なプライベート映像をテレビ初公開する。また、これまで23隻の船を設計してきた加山さん。かねてより公言していた夢は「自然エネルギーだけで動く船を設計し80歳で世界7つの海を渡る」こと。今年79歳、残り1年では中々厳しいという現実も認めつつ、“本気”の夢へ具体的な計画を語る。 
 ☆加山雄三 55周年記念 ゴー!ゴー!若大将 FESTIVAL 出演アーティスト
【DAY1】4月7日(木)THE King ALL STARS ケツメイシ 斉藤和義 ももいろクローバーZ
【DAY2】4月8日(金)加山雄三 さだまさし 鈴木雅之 ひめ風(南こうせつ&伊勢正三) 水谷豊 会場:東京フォーラム ホールA
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20160304.html
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 |2019(平成31)年03月04日 真野響子&柴本幸 |
 └─―――――――――――――――――――┘「母娘で初登場!俳優一家のドタバタ私生活」
 ともに女優として活躍する真野響子さんと娘の柴本幸さん。柴俊夫さんと共演歴がある黒柳は、家族ぐるみの仲で、幸さんとは15年来の文通友達でもある。思った事をハッキリ口にする両親の元で育った幸さんには、ある葛藤が…。30歳で遅い「反抗期」を迎えた時、我慢を爆発させて母を戸惑わせたと明かす。母娘で出演する初トーク番組にご期待を! 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190304.html
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 |2020(令和二)年03月04日(水) 岸谷五朗 |
 |              寺脇康文 |
 └─―――――――――――――――――┘「前世は夫婦!? 35年来の盟友が」
 ☆地球ゴージャス二十五周年祝祭公演『星の大地に降る涙 THE MUSICAL』【東京公演】舞浜アンフィシアターにて間もなく開幕!大阪公演あり
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20200304.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
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 |2021(令和二)年03月04日(木) パックン |
 └─―――――――――――――――――┘「育児にも奮闘する良きパパ・・・波乱の少年時代は」※解説放送
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20210304.html
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 |2022(令和四)年03月04日(金) ロバート |
 └─―――――――――――――――――┘「“扮装芸”で大人気!黒柳と衝撃コラボ」
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20220304.html
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 |2024(令和六)年03月04日(月) 丘みつ子 |
 └─―――――――――――――――――┘「目指すは100歳!日課の運動で健康に」
 https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20240304.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 3月 4日(月) 永六輔 |第回
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黒柳「私はこういうものを受け取りました。”1月6日夜永昌子(永 六輔さんの奥様)が亡くなりました。胃がん。5月に発病入退院を繰り返してして最後の2ヶ月間は在宅医療スタッフの協力のもと自宅のソファーで安らかに。最悪の病状の中最善のみとり方が出来たと家族はホッとしています。泣いたり笑ったりした2ヶ月でした。その昌子の意思で家族だけの葬儀を済ませることにしました。この間永家にやさしい心使いを下さった皆さんに心からの感謝をこめてお伝えします。  永六輔・ちえ・まり”。お嬢さん2人ですね。これをいただいたんですがそこのところに永さんの直筆で”三越ホールの時昌子に電話をしてくれてありがとう。どれだけ助かったか”ということが書いてあったんです」
永≪末期のガンと言われて後数ヶ月ということで泣いたりして大変だったんです。でとにかく笑っていようと、笑いの多い家にしよう。暗い話は止めよう。映画を見れば映画の話をする。とにかく笑わせる。昌子さんていう人はよく笑う人なんです。≫
「ケラケラって良く笑う人で」
≪その笑うことについてあなたがですね三越ホールで僕に回転寿司を食べに行こうと言いました≫
「三越ホールに二人が出たんですね。あそこでコウリャンズケを食べたんですね。食べていて回転寿司がこの中(三越ホール)に出来ましたっていうから行こうっていってたら永さんがそのこと昌子に(携帯電話で)言ってくれないって私は全然知らなかったから永さんと回転寿司を食べに行くってグズグズ言ってるんですけどっていったら、前から言われてたのね赤ちゃん見にきてって孫を見にきてって言われてたのねで”ごめんなさいね赤ちゃん見にいけなくて”って言ったら”あんたもう子供になったわよ”ってケラケラ笑って言ってたから私は全然病気のことを知らなかったから回転寿司食べますからといってそのままお別れしました」
≪で僕が回転寿司から帰ってきてどういう風に報告したかが問題なんです。すみませんがあなたが永昌子さんをやっていただけますか”ただいま”って帰ってきますから。チャック(黒柳さんのこと)と回転寿司に行ってきた≫
永昌子さん役の黒柳「ふうーーん」
≪チャックが一人で行くのが恥ずかしいというから行ってきた。一人でというよりチャックとご飯を食べに行くのが恥ずかしいと言ってやった。後で文句があったらいってください。2人だけで行くのが恥ずかしいからもう2人足して4人で行った。行ったら回転寿司結構混んでてなかなか席が空かない。なかなか4人並んで空かない。黒柳さんも僕もそういうの嫌いなほうじゃないから”お二人様あちらのほうへ”、”お一人様はこちらへ”と我々が整理をしてたんです。そしたら向うも気がついて4人様ですね何とかしますからって詰めてもらって席が空いたんですね(黒柳さん、永さん、後の2人の順に座る)でも回転寿司って席が狭いじゃないですかチャックの横におじさんが座っててチャックの目の前に(おじさんが食べた後の)お皿が積んであったんですね。≫
黒柳(役を外れて戻る)「(笑)」
≪それをチャックが”まあかわいいお皿!!はい永さん、はい○○さん”てみんなに配ったんです≫
「(黒柳・会場笑)」
≪皿がこっちに来ちゃっていいのかなと思ってたらおじさんが”すみませんそれ私のお皿なんですけど、すみませんそれ私のお皿なんですけど”っていったらチャックが僕に”変なおじさん”って言うから”あんたが変なおばさんなんだよ”って言ってるうちにおじさんが”私のお皿なんですから”、チャックが”あなたのお皿なんですか?お店のお皿じゃないんですか?”、おじさんが”お店のお皿なんですけど私のお皿なんです”(笑)≫
「三越のお皿じゃないんですかっていったんですけどねえ」
≪でもあなたが”変なおじさん、変なおじさん”って言って大変だったってお話をしたの≫
「みんなに回すまでは行かなかったけどこのお皿で取るんだなって思って取ったら”止めて下さい”っていうから家から持ってきたのかなと思って(永さん笑)変だなと思ってまあいいやって返したんです」
≪あなたは目の前を動いてくるお寿司を取り皿の要領でこっちへ取るものかと思ったんだよな。どの回転寿司でもそうなんだけど円陣を組んでるからどの客からも見えてみんなが集中して見てるからもうチャックとご飯を食べに行くのはいやだって≫
「昌子さんは笑ったの?」
≪笑ったの。僕は笑って欲しかったの。家の中がいつでも笑っているようにね。本当に笑っていることが好きでねお葬式の写真も笑っている写真を変に気取っているより≫
「彼女は自分自身でどのくらいかっていうのも」
≪分かってましたね。それで僕が前に描いたあの人の笑っている似顔絵があるんです。あれを葬式のときに使って欲しいというからもって来ました≫
「新玉美千代さんて言われてた人ですから。これにしようとしたんですが娘たちが」
≪美しい写真のほうがいいって≫
「昌子さんはこれがいいっていってたんでしょ」
≪そうですね好きで鏡台の横に貼ってました≫
「あなたとねえ金沢でばったり会ってねえお食事をすることになってお店に行ったら突然永さんがすみませんって言って電話を借りて”今からチャックとご飯を食べるから”って昌子さんにいってんのそれであなたそんなにしょっちゅう電話してんのって放浪したら一切連絡しない人だと思ってたから」
≪家にいるのが大好きだったんですね官僚の娘っていうことと次から次へ引っ越してたでしょ北京にいて引き上げてくる残留孤児の世代ですから自分の家にいるのが大好きでチャックの芝居へ行くのも芝居そのものは楽しく行くんだけどまっすぐ家に帰る≫
「そのとき電話してあとで車に乗ってからも電話してたからそんなにしょっちゅう電話しているの?って」
≪大体実況中継してましたね≫
「永さんがわかんないことがあると字引を引くよりも奥さんに電話したほうが早かった」
≪はい。知らない音楽でもねえ聞けば見事に帰ってくるっていう人だった。≫
「あれほど永さんのことを理解している人はいなかったでしょうね」
≪あの電話だけじゃなくて毎日はがき書いてたんですよ≫
「あなたが」
≪はいどこからでも。いまでもやっているんですよ≫
「亡くなったあとでも」
≪今電話しても出てくれないけどはがきは書き続けられる≫
「私は今もショックが残っているんですけど」
≪我々の付き合いって昌子くんもそうだったけど自動車の免許も一緒に取って≫
「あの方(昌子さん)面白い方でねあんなにきれいでかわいい方なのに自動車の免許取るときに永さん乗せてガソリンスタンドに行ってそこのお兄さんが”すみません前を開けてください”って言ったら”はい”っ言って自分の服を脱ごうとしたら向うが驚いて”イヤイヤ!ガソリン入れるんで前のボンネットを開けてください”ってそういう方でそれが大げさじゃなくて素敵だったの。それにわたし良く思い出すのは朝の4,5時に中村八大さんだの渥美清さんだのと一緒に行ってお茶を出せだのなんだのって行ってたじゃないでも嫌な顔一つせずだしてくれて。本当にきれいで」
≪今日はのろけさせてもらいますけど本当にきれいだった。暖かかった≫
「あなたがあごが外れて夜中にあごが外れてどうしようもなかったときに」
≪どうするあの話する。つまりあの頃は忙しくて寝てないその時に目を覚まさせようと両手でほっぺたを叩くじゃないですか。書いてて目を覚まさせようと片っ方の手で叩いたらそのままあごが外れちゃってマッチ(昌子さん)にそのまま起こしたら驚くから新聞に”あごが外れた。病院に連れて行ってくれ”って書いて寝てるところまで行って起こして見せてでもご婦人だからいきなり外に行くわけにはいかないじゃないですかだから”一人で行く”って書いて外に出てタクシーを止めて乗りました。”あーーーーー(あごが外れて声が出ない)”って言ってるんだけど行き先がわからない。また急いで飛んで帰ってきてマッチを呼んで≫
「奥様と一緒にいったのね」
≪行って夜中ですから先生がボーとしたまま起きてきてあごをはめてくれたんですよ。で先生がマッチに僕の顔を両手で抑えてくださいって言って昌子が僕の顔(永さんのほっぺたを両手ではさむ)を抑えたんですよ。そしたら先生が僕の顔を見て”ああ、永さんですね”って≫
「そういうふうにですね昌子さんは驚きもせず永さんが他の人にその話をするのを笑って聞いてたんですがさっき永さんからの亡くなった時のお知らせをいただいてまたその後いただいたんですが故 永昌子にいただいた御厚志は彼女自身が最後まで感謝し家族も感動した訪問診療の医師を通じて訪問医療医師会にその半分を、残りの半分は彼女の旧友黒柳徹子さんを通じて難民キャンプの子供たちに昌子を通じての皆様へのボランティアをご報告します。おとといアフガニスタンから帰ってきたんですけど今アフガニスタン零下20度近くになってます。難民キャンプの子供たちの毛布や手袋にさせていただきましたので」
≪でもあの人が家でいてくれたから僕が外でボランティアに飛び回っていられたということがありますね。飛び回るということについて訪問介護について言いますと遠藤周作さんが晩年とても辛い亡くなり方をしましたでしょ。心温かい医療っていうのはないのかということを訴えてその考え方に賛同した看護婦さんが介助ナースというのを始めたんです。いわゆる看護婦さんて大変な労働をしているじゃないですか私たちは介護の職人です職人としての支払いをしてくださいっていうグループなんですよ。本当に見事で昌子さんはクラッシックが大好きでそうするとクラッシックの話が合う人が来るんです。そこまで気を使ってくるんです≫
「いやだったら嫌と言ってくださいって」
≪それから娘も2人いますから変わりばんこに付くプログラムを組んでいったんですけど大変だったんですよそうすると家族も全部見てくださる。病院ではそれはないですよお見舞いに行った人を見てはくれないでしょ。だから遠藤周作さんは作品もそうですけど日本の医療を良くしていく事にこれだけあの方の仕事は役に立っているんだということを実感しましたね≫
「訪問医療っていうのはどの町にもあるんですって」
≪小さな町医者ががんばってるんですよ小さな町に行けば行くほどがんばってんの。で東京という町でそれが出来るのだろうかって思ったら出来たんですねそれが遠藤さんのお陰なんです≫
「沢村貞子さんも亡くなるまでは私ついてましたけどお母さんは病院では死なないって自宅で死にたいって言ったので私やマネージャーさんやみんなで介護してたんですけど一回お医者さんが来てよく分かってらっしゃる方が来てくださって」
≪結婚した当初に沢村さんに結婚した女房ですと言ったのそしたら沢村さんがあなた(六輔さんを)ちょっと向うへいってらっしゃいっていってちょこちょこと女房と2人だけで話をして戻ってきたんですよ。何言われたのって聞いたら”女房って者はじゅばんのえりですよ。出すぎちゃおかしい。出なくてもおかしい。覚えといてね”これを昌子さんは最後まで覚えてましたね≫
~CM~
「永さんが亡くなられるときの句をお読みになって”看取られるはずを看取って寒椿(かんつばき)”」
≪本当に看取ってもらえるかなと思ったら看取る羽目になってしまった。それから”今年から男やもめの日向(ひなた)ぼこ”。これ初めて知りましたけどやもめというのは女性のための言葉なんですね。男はやもおっていうんです。やもおという言い方が一般的ではなくてやもめ≫
「ああそうなんですか」
≪”妻逝きて半身そがれた空っ風”。なんか寒そうでしょ。あの昌子さんもそうだったんだけど今とても気がかりなんだけどテレビ見てるとガンという言葉が飛び込んできたりガンと戦っている方、ガンで亡くなった方とかが一杯出てくるじゃないですか。そのガンと戦ってる方にとってはズキーンとくるかっていうのが良く分かるんですね。そこで昌子さんが面白いことを言ったんですよ”私はガンで死ぬんじゃないのよ。ガンで死ぬ人は誰もいない。みんな寿命で死ぬのよね”ってとっても名ゼリフだと思うんですよ≫
「あなたが大抵心不全で死んだとか新聞に出るよねって言ったら”いや私の場合は胃がんで死んだ”って言っててあなたが先ほどお書きになったものを読んで知ったんですけど」
≪寿命。そう思いましょうよ。僕があなたを慰めている風でおかしいですけど≫
「あんなに素敵な女性は滅多にいるもんじゃなかったのでね不思議なんですけど永さんの奥さんがいらっしゃる限り私たちは安全だと思ってたので(涙。顔を覆う黒柳さん)」
≪はははははは(黒柳さんの手をたたいて慰める永さん)≫
  http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-3-4.html
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 |2003(平成15)年 3月 4日(火) 夏川りみ |第回
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黒柳「夏川りみさんですよくいらしてくださいました。去年紅白歌合戦にお出になったヒット曲は”まだそうそう”というんですけどもいかがでした紅白は?
夏川≪はい小さい時からの夢で私は物心つく前から歌を歌っていたみたいなんですけどもまず歌手になりたいというのが1番の夢だったんですね。その後に父と約束していたんですけども歌手になったら今度紅白にでようでという話になって、なのでその夢の紅白のステージに立ててもの凄く嬉しかったです。
「でも時々はあまりなされませんでしたか?
≪いやもうあのリハーサルのときから凄い緊張して本番はどうなるのかと思うぐらい大変でした。
「でもあなたの衣装綺麗な衣装でしたね。
≪ありがとうございます。
「あれは沖縄の生地が前の方に
≪そうなんです。八重山ミンサー織りといいましてあの5つと4つの模様があるんですけども。
「四角いダイヤモンド模様が5つそれは
≪5つはいつのという意味で、4つは世までもという意味で。いつよいつよまでもあなたと末永くという意味で昔は愛する人思いながら女性が気持ちを込めてそれをおって好きな男性にプレゼントする
「いつの世の中の世ですよね。いつの世の中までご一緒にといういいですね。そういう模様だったんだそうです。でもあなた堂々とお歌いになったので全くそういうふうに緊張してらっしゃるとは思わなかったんですけども。あれを司会者もそうなんですけどもNHKホールの紅白歌合戦というのは特別で出ていたとたんにすごいひしひしと何かね。
≪そうなんですじわじわとだんだんだんだん緊張してきて。
「マイクロホンなんかに触れちゃう歌手の方がいらっしゃるぐらいなんですよ。でもあなたペンライトみんながふっていてお父様とお母様がいらっしゃるところが分かったんですって。お二人が石垣島からいらっしゃって。
≪でできていて。でまず司会者の方と話をしている時ものすごく緊張していてどうしよう次歌だ歌だと思っていたんですけどもイントロが流れて歌に入っていたらペンライトとがあちこちでゆれていたんです。いろんな方がふってくれているんだなと思いながら見ていたらうちの両親が目の中に入ってきたんです。あそこにいたんだと思ってなにかそうしたら急に見守られているなという気持ちであとは気持ちよく歌えることができました。
「なかなかステージの上から客席の中のましてやペンライトふってらっしゃるから暗くなっていたでしょうからそこでご両親を見つけるというのはすごいんですけども。でお父様、お父様自身も音楽をおやりになる
≪あのまあもともとは歌が大好きで本当は自分がサンシン、蛇皮線を引きながら八重山民謡の歌手になりたかったらしいんですけどもなぜか私が歌い出したのでこの子に歌を教えたらどうにかなるかもしれないと思って自分の好きな歌をやめちゃって私にその夢を託すというか。
「あとで夏川りみさんに歌っていただきます。あの”まだそうそう”をアカペラで歌っていただくんで大変なんですけども。そのお父様写真に写っていらっしゃったんですけどもまぁあなたをでご自分の夢を託したという歌をやりお父様は厳しい歌に関しては。
≪もうすごく厳しかったですね。初めて私が石垣島での自慢大会に出たのが小学校2年生のときだったんですけどもあのもう毎日ですね夜の8時から10時ぐらいまですごい厳しいレッスンだったんですけどもだんだんだんだん私も大きくなってきて小学校5年生のときだったんですけどもその時の課題曲がですね。そのころ私が中森明菜さんの歌を歌いたいなとおもっていても父がきょうわ兄弟船だといって私に教えてくれるんですけどもその教えられた通りに私が歌わないとその大好きな中森明菜さんの歌は一切歌はせてくれない。それぐらいに厳しくて
「とにかくお父様は演歌を。でも石垣島ではあなたが紅白にお出になるということで巨大スクリーンというのにうつして皆さん。
≪そうみたいですね本当に石垣島の人を集めて巨大スクリーンであのその時は同じ石垣島出身のBIGINもう出ていましたので。
「そうなんですねBIGINは徹子の部屋に来てくださったんですよ。3人でしょ。このごろは沖縄の勢いはすごいんですけども特に石垣島BIGINこの3人で。ちょっと前なんですけどもこの3人も紅白に初出場
≪そうなんです。
「じゃあ2組とも初出場ということで石垣島も大変ですよね。何か具志堅ヨウコウさん以来というんですって。
≪何かはビギンが言ってましたけども
「何かボクシングのですね具志堅ヨウコウさんは歌をお歌いならないんですがとう紅白の審査員をやったことがあるそうなので具志堅ヨウコウさん依頼の紅白歌合戦に出場ということでビギンも喜んでいたでしょう。
≪すごく喜んでいました。
「で石垣島の反応はどうでしたか?
≪も本当に会う人会う人頑張ってね見ているからねと言われても本当にみんなもやっぱりいちばん嬉しかったみたいですね。
「でもあなたの”涙(なだ)そうそう”という歌は本当に大ヒットだそうですけども”なだ”涙と書くんですね。
≪そうそうという意味は涙が止めどなくなく溢れるという意味で分かりやすく言うと涙ポロポロという意味です。
「これはもともと森山良子さんのために
≪ためにビギンが作られたんですけども
「そうなんですってね。森山さんが作詞をなさったんですか?
≪そうですビギンが最初に曲を作ってそのタイトルに涙そうそうと入れて森山良子さんにできましたよって持っていったらやっぱり森山さんが涙そうそうとはどういう意味?と聞いたららしくてこういう意味ですよと説明したら森山良子さんが22歳のときに大好きなひとつ上のお兄さんを亡くされてその兄への思いを詩に託したのが涙そうそうの歌詞になっているんですね。
「題名はビギンがつけたのね、石垣島の言葉で涙ポロポロという感じで曲はビギンが作ったんですって。それでそれに森山さんがお兄さまのことを考えてつけた歌詞がその歌詞。それを沖縄の言葉と両方であなたはお歌いになってらっしゃるの。
≪そうですね。
「これは大変長くヒットしていて沖縄でもすごいんですって。今もヒット中なんですってね。
≪何かやっぱり紅白の後にすごく歌ががんとチャートが上がって
「でもその前の2000年の3月から売り出して、ですから3年前ということになりますよね。丸2年。沖縄では2001年の年間チャートの1位に。
≪そうみたいですね。
「で去年2002年は2位。で1位はビギンの
≪シマンチュウの宝が。
「すごいですよね。20日付のオリコンというのでは36週チャートにしている。
≪もうすごく嬉しいです。
「これはあなたが歌手になってから何曲目ぐらい?
≪夏川りみになってから3曲目
「夏川りみさんの前にあなたは大変若く東京にいらっしゃいまして何歳でしたっけ?
≪14歳です。
「そうですよね。それでお父様がおっしゃるように初め演歌。
≪そうです演歌でデビューしていまして。
「星みさとさんという名前で。
≪そうです。
「お歌いになったんですけどもそれでも中森明菜さんの歌や何かが歌いたいというところがありましたか
≪歌わ本当に大好きで何でも歌えるんだったらいいなと思っていたんですけども。やっぱりその時期にはの自慢大会で必ず歌っていたのが演歌だったので人に聞いてもらえる歌は演歌じゃないとダメなのかなと子供なりにそういうのが頭にあって
「ですからそういうふうにいらっしゃっても1年に1枚、3年に3枚CD。当時はレコードですけども。出たんですけどもその後4年間後にはCDも出せない時代が
≪CDも出せなくてお仕事も何ももらえないときがあったんですね。でそういうときに1番最初に東京で頑張るぞと思っていた気持ちとは全然右比べものにならなくなっていたので。このままいてもだめだと思ってあきらめて帰ろうと思ってでもさすがに石垣島には帰れなかったんですよ。
「お父様との約束もあったし。
≪じゃあ今度は沖縄に姉がいたので那覇だったらばれないかなとおもってその姉のところに。
「何人兄弟?
≪4人姉妹なんですよ。みんな女で。
「お母さんも大変ですよ女の子ばっかり4人。でもみんな仲が良ければね。
≪みんな仲良しで。
「でお姉様が那覇にいらしたので
≪そうなんですよそこに姉の経営するお店で手伝いをしていたんですね。
「スナックみたいなところで。
≪歌を歌わないと思っていたんですけどもやっぱり何か気がついたらマイクを持っていてずっと放さなかったんですよ。で毎日歌を歌っていたらお酒を飲みにくるお客さんよりも私の歌を聴きに来てくれるお客さんの方がいつのまにか増えてしまって気がついたらもうライブ状態だったんですね。それでお客さんからリクエストをもらってそのリクエストにこたえて歌うとそのお客さんがものすごく幸せそうな顔をして聞いてくれるのがやっぱり歌っていいなと忘れかけていた気持ちがまた取り戻せるような。
「それは何歳ぐらいですか?
≪それがですね23。
「もうそんなになっていましたか。14歳で東京にいらっしゃって本当に東京で歌手になるぞっと思っていらっしゃって頑張ったんだけども。東京での生活もあったと思うんだけどもその間にキャンペーンとかもやったんですか
≪ちょくちょくやっていました。
「話全然違うんだけどもあなたすごく目がきれいね。石垣島とかにいらっしゃると目が遠くまで見えるんでしょう。
≪いえそうでもないです。視力は悪かったりもします。
「悪かったりもする。でも本当にきれい。
≪やっぱり目がすごく印象に残るみたいでそれと強い目をしているねってよく
「横から拝見していてもね。何かとても空気の澄みきったところで育ったという感じがすごくして。それはいいですよねそれだけきれいな目をしていらっしゃったらね
≪ありがとうございます(笑)
「つやつやで栄養もよさそうという感じがしますけども。じゃあちょっと実は今日は歌っていただくということにしたいのでその涙そうそう。それとウチナングチでしたっけ、ウチナングチで下ってらっしゃる所には私もわからないので皆さんにもわかるように書いてもらいます。涙ポロポロ涙そうそう歌っていただきますのでしかも今日は大胆にもアカペラで歌っていただくことになっていますのではアカペラはなかなか難しいですけどもよろしくお願いします。お父様もきっと楽しみにしてらっしゃると思います。ちょっとコマーシャルです。

黒柳「ではどうぞ
夏川≪~涙そうそう~
「ありがとうございますどうぞお座りください。すばらしかったですね。なかなかアカペラで歌っていただくのはよっぽど自分の声に自信がないと歌えないんですけども。やはりあなたこの歌が好き?
≪もすごく大好きでもともとBIGINが2000年の沖縄サミットの年にこの歌を歌っていたんですけども私はあるときにテレビで東京の家でテレビをつけたらBIGINがうつったんですよ。「ああ!BIGINだ」と思ってやっぱり同じ島の人が歌っている頑張っている姿を見ると私まで頑張ろうという気持ちになるのでそこでBIGINが歌っていたのがこの涙そうそうでその時に初めて聞いたんですけどもさびが頭からずっと離れなくてでその後にBIGINがライブをやるよっていう情報を聞いてもこれはぜひ聴きにいかないと思っていったんですけどもその時にもう1度涙そうそうを聞いて、後でBIGINの楽屋に行ってメンバーにあの涙そうそうってあの曲ってとてもいい曲だねといったらああそうかといって、あの曲頂戴と言ったんですよ。BIGINも最初びっくりしていたんですけどもあのやっぱり何度もいいなと言っていたらもうそんなに言うんだったら歌えばいいさといわれてじゃ歌うということで夏川りみバージョンの涙そうそうが誕生したんですけども。
「まあ森山良子さんがご自分のお兄さんのことを思って歌詞をお作りになったということなので森山さんの所にもいらしたんですって。
≪そうですね。それで森山良子さんにもいいですかという話をしたらもうすごく喜んでくれていっぱいいっぱい歌ってと言ってくれたんです。で今でも何度かお仕事ご一緒させていただくことがあるんですけどもいつも本当に最近りみおちゃんをよく頑張ってるわねと私に
「森山さんも歌っていますよね。
≪歌っています。アルバムの中で6年ぐらい前に森山さんが出してその後にBIGINが出したんですけども。
「じゃああなたも歌ってヒットしてそして森山さんもきっと歌っていらっしゃるかと思うんですけども。じゃこの沖縄のメロディーですよねリズムもそういうものがやっぱりみんなに聞いてもらえるチャンスがあるというのは本当によかったですね。
≪すごくうれしいですね。でびっくりしたのがこの涙そうそうはですねあの森山さんの亡くなられたお兄さんのことを書いてあるんですけども沖縄の方では何と結婚式で歌われる。
「でも内容があうじゃありませんか。大好きだった人のことで。
≪好きな人のことで。森山さんも言ってたんですけども亡くなった人の歌じゃないのよ、大好きな人の歌で歌って欲しいわと言っていましたし
「じゃあ今結婚式で歌われるの。
≪結婚式でも歌われるて。この間もっとびっくりしたのがなぜか運動会でかけていたよと言われて。それはすごいびっくりしたんですけども。(笑)
「運動会でも(笑)走りにくいかもしれませんけども。ゆっくりなっちゃってね。でも嬉しいですね。
≪人生のいろいろな場面で聞いてもらえるということがすごくこの曲の強さだなと思いますね。
「でもBIGINもあなたのために曲を作ってくれてそれもすごくすてきな曲なんですよね。だけどきいちゃうな涙そうそう
≪何かこっちもいいんだけども涙そうそう
「でも本当に沖縄からヒット曲が出ていてあの花というのもね。本当に素晴らしい。この涙そうそうもそういうところはありますよね。本当に森山さんじゃないけども長く歌っていただきたいと思います。まだ続くんですけどもちょっとコマーシャルです。

黒柳「今日お召しのこのお洋服なんですけどもとても大切なお洋服なんですて
夏川≪これはですね涙そうそう作詞の森山良子さんが実はプレゼントしてくれたんです。レコード大賞の金賞受賞ということなのでそれと紅白のステージもあったのであの森山さんからメールをいただきましておめでとうございます。その後に電話でお話しをしたんですがりみちゃんね紅白とかレコード大賞とかでいっぱいお衣装が必要なのよ。できれば私にね洋服をプレゼントさせてほしいと言われて。私そんなこと言われると全然思っていなかったので「いいんですか!」と言ってまあ森山さんも何着かお店で試着したらしんですけども私がいないもので森山さん自分が着てをこれだったらどうかしらということで何枚もポラロイドに写してきてくれて。
「親切ね。とってもこれはちょっと見ると厚い生地に見えるんですけどもこうやってすかすとまた透けて見えるようなきれいな生地なんです。でこれで紅白で金賞をもらいになったとき森山さんもご一緒にお出になった。
≪そうなんです。レコード大賞の金賞受賞のときに森山さんと私で登場してくるシーンがあったんですけどもそこでこの衣装を着させていただきました。
「森山さんもすごく喜んだでしょう
≪すごく喜んで。
「本当に何枚もいるんですよね。1番自分が歌う時には必要なんですけどもあ。でも歌手のかたって変えてらっしゃいますよね何度も終わりの方とかで。だから衣装が必要ですよね。歌手になるぞと思ってらしたのに那覇にお姉さんのところに石垣島には帰れないのでお姉さんのところに行ってましたのずっと怒ってらしたんですって
≪そうなんです。何があっても自分で事務所とかを辞めるということを一切するなよと約束していたんですよ父と。でもあのやっぱり勝手に私が辞めますと前の事務所もやめてしまってお姉の方に帰ったのですごく怒っていて私が電話をしても「もしもし」ても電話はガチャと切られたりして、本当に一切話もしてくれない状態んですよ。でこれはどうしようかなでもなんとかやっぱり自分が充実していて自分から話せる時が来ればいいかなと思っていたんですけども、まあ歌を歌っていたらたまたま今のうちの事務所の社長があの歌う気持ちはないのかと連絡をくれましてで歌いたいといったらじゃあ東京に出ておいでと。でできていわゆるオーディションですよね何社かのレコード会社の人の前で歌わせてもらったんですけどもオーディションが終わってまた沖縄に帰ったんですが1カ月たっても2カ月たっても全然連絡が来ないんですよ。これはだめだと思ったら3カ月目ぐらいにレコード会社が決まったよというふうに電話がきてそれでまたもう1度東京にという感じになったんですけども。でもその時もそんなに話はしてくれなくて、やっぱり今が1番すごく喜んでくれていい曲に出会ってよかったねとすごく今は応援してくれています。
「でもそのオーディションの時は演歌は歌わなかったんですか?
≪どちらかというと歌謡曲という感じで。
「そうなんですか。うんまぁいろんな曲が歌えるということは強みだと思いますよね。演歌というのはなかなか難しいですものね。そうかといって新しい曲も難しいのでその両方が歌えるということは歌手としては強みですからね。でもお父様が怒ってらしたのもわからなくはないですけども小さい小学校2年生ぐらいのときからのど自慢に出てらしてね本当に賞を取ってちゃんとやってくれると思ったのにやめてお姉さんのところに戻って何でってと怒られた気持ちも分からなくはないですけども

黒柳「でもどういうところで縁があるかわからなくてBIGINは同じ石垣島出身だけどもあなたは直接ご存じなかったけどもお姉様とBIGINの誰かが同級生だった
夏川≪そうなんです。私の4人姉妹の長女とBIGINが同級生ということで。私も本当にのど自慢荒らしをやっていたころBIGINは中学の時からバンド活動をしていたので同じステージに立つということで私からかわいがってもらって今でも本当に妹のように。
「でお姉様の同級生でもあったということ。そういうところでうまくねあの方たちも曲を作るのが上手な方たちなのでそれでいい曲が恵まれたということがありましたよね。さっき歌ってくださった伴奏なしのアカペラで歌うというのは別にあなたにとっては難しいことではないの?
≪そうですね。やっぱり歌が好きなので歌ってと言われるとどこでも歌ってしまうんです。
「絶対音感がおありだと思うんですけども。あの前に声を出してみることもなく何も音も探ることもなくいきなり歌いになったのですごいなと思って。出だしの音はきちっと自分の中にあるんだなと思ったんですけども。それでもやっぱり始めの時3年たっても4年たってもなかなかちゃんとしたCDがうまくあなたにあった歌が出なかったときはつらかったでしょうね東京で。
≪そうですね大好きな歌をたくさんの前で歌いたいと思っていたんですけどもそういう仕事もなくてでも自分が好きでどっか本当に場所もかまわず歌える場所があればそれでいいかなと思っていたんですけども
「初めの3年間は14歳からいらっしゃって17ぐらいまでは1年に1枚でもCDは出たりしていたんですけどもその後の4年間は何もなくずっと東京にいらした間はやっぱりつらかったでしょうね。
≪そうですね。
「仕事もあまりなく、もちろん収入もないでしょうしね。
≪もう本当にぶらぶらしていました。
「そうでしょうね友達もあまりない。そういうのがあったので今度のヒットが余計にうれしいなと思いますけども。これからどんな歌を歌っていこうというのはあります?
≪やっぱり聞いてくれる人の心に響くような歌を歌えるようになりたいです。
「涙そうそうでしたありがとうございました。
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-3-4.html

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