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┃ ♪The Fool On The Hill♪ ┃†1967(昭和42)年8月27日(sun)
┗━━━━━━━━━━━━━━┛デビュー以来のマネージャーであった、ブライアン・エプスタインが死亡している。ビートルズは「船頭」と呼べる唯一の人を失いながらも、まずこのテレビ映画のプロジェクトを完成させるべく動き始めたのである。
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https://beatlesdata.info/9/02_thefoolonthehill.html
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Fool_on_the_Hill
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ Brian Epstein ブライアン・エプスタイン ┃ 1934(昭和九)年9月19日(wed) born
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 1967(昭和42)年8月27日(sun) died
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%97%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3
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人生のすべてをビートルズに捧げたマネージャー、ブライアン・エプスタインの憂鬱
2016年09月19日 執筆者:藤本国彦
「新鮮で純粋だった。何と言っても存在感があった」
『レット・イット・ビー』以来46年ぶりとなるアップル公認のライヴ・ドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years』(9月22日から全国公開)には、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインのそんな発言が出てくる。1961年11月9日、リヴァプールのキャヴァーン・クラブで演奏する4人を初めて見た時のコメントだ。決して大袈裟ではなく、その瞬間、彼は人生のすべてをボーイズ(エプスタインは彼らをそう呼んだ)に捧げたと言ってもいいだろう。
ブライアン・エプスタインは1934年9月19日、家具店を営む裕福な家庭に生まれた。父親のハリー・エプスタインが大きな家具店(North End Music Store)を経営していたため、経済的には何の不自由もなく育ったものの、勉強嫌いで学校を7回も変わるという落第生だったらしい。その後デザイナーになろうとしたが、父親の反対で家業を継ぐも長続きせず、元来の芝居好きが高じて俳優になろうと決心しロンドンへと向かう。22歳の時のことだ。だが、“他人に興味がなく敗北を異常に恐れる”俳優たちを目の当たりにして失望し、再びリヴァプールに舞い戻り、58年からNEMSの経営者として家具店のレコード売り場を切り盛りすることになった。
売れたレコードと在庫の確認を日々怠らず、客の注文がきたら即座に対応できる態勢をとる。“NEMSに行けばどんなレコードでも手に入る”――彼のそんなプロ意識をぐらつかせたのはビートルズだった。61年10月にレイモンド・ジョーンズという10代の若者が「マイ・ボニー」のシングルを探しに店に来たが、エプスタインはそのシングルのことを知らなかったという(エプスタインは、ビル・ハリーが創刊したリヴァプールの音楽情報誌『マージー・ビート』のレコード評を担当するなど、地元の音楽シーンに強い関心を持っていたので、それ以前に“ビートルズ”の名前を目にしていた可能性もある)。エプスタインがビートルズに興味を持つ最初のきっかけはそうして生まれた。そして、キャヴァーン・クラブでのステージを見てビートルズに惚れこんだ彼は、61年12月21日に、キャヴァーン・クラブのDJボブ・ウーラーの仲介でマネージャーとして契約を結ぶ(正式契約62年1月24日)。
多くの人が望むものを、時期を逃さずに提供すること――NEMSのレコード売り場での経験は、そのままビートルズの売り出しにも生かされた。清潔なイメージ戦略もそうだし、64年のフランス市場拡大や66年の日本を含むアジア戦略もそうだ。ライヴを軸にビートルズの魅力を世界的に広げていったエプスタインの頂点は、前述の映画と同時上映されるシェイ・スタジアム公演(65年8月15日)だろう。その映像には、5万5600人の観客を見渡しながら、ステージ横でビートルズの演奏を恍惚とした表情で見守るエプスタインの姿が映し出されている。デビュー後3年足らずでビートルズを世界一のライヴ・バンドに育てたエプスタインに対し、ポールはビートルズにMBE勲章が授与されることが決まった時に「MBEは“Mr.Brian Epstein”の略だ」と感謝の意を表した。
しかし、ビートルズのライヴ活動の終焉(66年8月)は、「4人がよく見えるように」と常に気にかけてきたエプスタインとボーイズとの別離を表わしてもいた。ビートルズがマハリシ・マへシ・ヨギの講義を受けるためにウェールズに滞在中だった67年8月27日、エプスタインはドラッグの服用過多により32歳の若さでこの世を去ってしまう。生き甲斐だったビートルズが“ファンのいない場所”へとどんどん遠ざかっていくことに耐え切れなかったのだろう。もしエプスタインが生きていたら、69年1月30日のアップル・ビル屋上での“再結成ライヴ”をどんな思いで見つめたのだろうか。?
ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years>
cApple Corps Limited. All Rights Reserved.
2016年9/22(木・祝)より 角川シネマ有楽町ほか全国公開
配給:KADOKAWA
http://music-calendar.jp/2016091901
■ブライアン・エプスタイン・ブルース(Brian Epstein Blues)Lennon(1968)
ブライアン・エプスタインと
弟のサムのことを話してあげよう。
炭鉱で働いていた奴らのことを。
そして俺が何者かも。
弟のアンディのことも。
でもサムがどんな目に遭ったか、
お前が兄貴のトムに話したら、
奴はきっと逆上するだろうな。
バップときたら…
クライブとも兄弟なんだ。
あの薄汚いジジイとも。
ブライアン・エプスタインの野郎、
とうとうムショにぶちこまれちまった。
炭鉱で地道に働いていれば良かったのに、
くだらない夢を見て、
失望して死んでしまった。
奴のお袋は女王様みたいに裕福になったのに。
奴のお袋は実際兄弟達の女王様だったんだ。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1995/11/20(mon) UK
┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』 ┃1995/11/21(tue) JP、US
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
13.Brian was a beautiful guy ... he presented us well" (Lennon speaking to David Wigg for BBC Radio 1's Scene and Heard) October 1971 New York City 0:10
14.I secured them ... a Beatle drink even then" (Brian Epstein reading from A Cellarful of Noise) 13 October 1964EMI Studios, London 0:18
20.Well, the recording test ... by my artists" (Epstein reading from A Cellarful of Noise) 13 October 1964 EMI Studios 0:32
29.We were performers ... in Britain" (Lennon speaking to Wenner) 8 December 1970 New York City 0:12
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1995/11/20(mon) UK
┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』 ┃1995/11/21(tue) JP、US
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
13.Speech:John 1971年のジョンのコメント。
14.Speech:Brian Epstein 1964/10/13 エプスタインはジョージ・マーティン・プロデュースのもと、自らの自伝本の朗読をレコーディングしたとかで、このコメントはその一部を抜粋したもの。
20.Speech:Brian Epstein 1964/10/13 これもエプスタインによる自伝の朗読
29.Speech:John 70年のジョンのコメント
************** https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_1
http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb20.html
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ビートルズとの会見[編集]
プレスリーとビートルズは直接的な接点はなかったが、両者は
1965年8月27日、ロサンゼルス市のプレスリーの邸宅で一度きりの会見を果たしたことがロック史に残る出来事として語られている。
ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインとパーカー大佐の間での「極秘の打ち合わせ」という名目だったが、どこからか漏れてしまい、案の定自宅周辺には野次馬が集まった。
諸説あるが、メンバーのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターはバカだと思われないように装いながらも、心を躍らせて招かれた部屋に入った。そこでエルヴィスはテレビを見ながらベースを練習してくつろいでいた。「本物のエルヴィスだ」と感激した4人は呆然としてしまった。そこでプレスリーが「ずっとそうやって僕を見てるだけなら僕はもう寝るよ?せっかく演奏ができると思って待ってたのに」と声をかけたことから、慌てて4人は挨拶し、即興演奏が始まった。プレスリーはベースを演奏し、レノンとジョージはギター、マッカートニーはピアノを演奏した。リンゴはドラムキットが無かったため演奏しておらずビリヤードやサッカーを楽しんでいたという。
プレスリーは彼らの曲も歌い、そのあとで「君たちのレコードは全部持ってるよ」と言った。これに対してレノンは「僕はあなたのレコードは1枚も持っていない」と発言したことからその場が凍りついた。これはレノンの若気の至りとも、過激なジョークだったとも言われるが、プレスリーはその発言に気分を害してしまった。そしてその会見に実際に立ち会ったという記者のクリス・ハッチンスによれば、レノンはさらに当時アメリカ軍による関与が拡大を続けていたベトナム戦争にプレスリーが賛同する姿勢と、プレスリーのマンネリ気味であった映画を痛烈に批判した。これらの事がきっかけでジョンを嫌うようになったプレスリーは(事実上)マッカートニーやジョージが作曲した曲はコンサートで頻繁に取り上げているが、レノンの曲は歌っていない(レノンは以前もアメリカに公演に来た際、プレスリーを馬鹿にするような行動をとった)。
レノンはこの発言を反省したためか後日エルヴィスの取り巻きに「エルヴィスがいなければ今の自分は居ない」と伝えるよう頼んだという。しかしプレスリーはレノンがアメリカに住むようになり、ベトナム反戦運動を積極的に行った頃、ニクソン大統領に「ジョンを追放してほしい」と手紙を出したとも言われている。
この様に、レノンの発言と態度が場の雰囲気を壊したことで、この会見はとても「成功」したとは言えないものであった。そしてなにより惜しい事は、当時音楽界に於いて最も注目すべきこの会見を録音したテープが存在しないことである[
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC
1965/8/27 Later that afternoon, they meet with Elvis Presley, at his Bel Air house
1965/8/28 2.00am. The reunion with Elvis Presley finishes
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┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
┌─――――――――――――┐
|1965(昭和40)年 8月27日(金)|「アイドルに会った夜」 夜遅く初対面
|1965(昭和40)年 8月28日(土)|「アイドルに会った夜」 午前二時まで
|2008(平成20)年 8月27日(水)|甲虫日記更新日 No.031
└─――――――――――――┘
ハリウッドのベネディクト・キャニオンにある隠れ家からリムジンに乗って出発した4人は、いつになく寡黙だった。そう遠くは離れていない、ベル・エアのペルージャ・ウェイ沿いにあるエルビス・プレスリー邸を目指していた。
1965年8月27日、ビートルズはかつてあこがれの的だったアイドルと会った。初めての本格的な全米ツアーのため渡米した64年8月、電話で話したエルビスとポールは、できるだけ早い機会に会うことをお互いが約束した。
会談は、ブライアン・エプスタインとトム・パーカー大佐、マネジャー同士が連絡を取り合い、2回目の全米ツアーのオフにあたる週末にセットした。
4人に同行したローディーの1人、広報担当のトニー・バーロウはそのときの4人の緊張ぶりが忘れられない。午後11時に到着。豪邸の門が開くのを待つ間、ジョージが「のどがカラカラだよ」といい、ポールが「ファンが1人もいないぜ、警官だらけだよ」と驚いた。
グレーのパンツに目の覚めるような赤いシャツ。豪邸の主は彼なりの正装で玄関の外に立ち、ゲストを出迎えた。赤と青のライトの灯った円形のロビーを通って、音の消された巨大なカラーテレビのある応接間へと一行を招いた。
4人は落ち着かない様子でソファに座り、両手で膝頭をぎゅっと握り締めていた。「サー、彼らはいつもこんなにシャイなのか」。バー・カウンターでカクテルをつくるエルビスはトニーに耳打ちした。「4人はアルコールが好きなのか」「僕がギターを持ち出してきて、軽くロックンロールをやろうよ、といったら、あの子たちは困っちゃうかな」
エルビスは何とかして打ち解けようとあれこれ考えるが、なかなか思うようにいかず、じれったそうにしていたという。飲み物が全員に行き渡ると、ソファに座る4人の中央にエルビスが割って入った。エルビスは、ソーダ水の入ったグラスを手にしていた。
有名なメンフィス・マフィアと呼ばれる取り巻きたちはいつでも主人に駆け寄り、灰皿をきれいにしたり、グラスを替えたりしようと待機している。いつの間にかエルビスはギターを抱えていた。ネックの先で巨大なカラーテレビの前についたボタンを押し、次々とチャンネルを変えている。相変わらず音声は消されたままだ。
エルビスはジューク・ボックスに近寄り、電源を入れるとボリュームをいっぱいにあげ、6曲選び、ご機嫌な様子で4人が座っているソファに戻ってきた。
4人はぶつぶつと言い合っていた。「おい、このままここに座って、このくだらないテレビを見続けているつもりかよ。それなら家に帰って寝た方がましだぞ」
それでも音楽のおかげでようやく場の雰囲気が和んできた。4人は、固く握りしめていたこぶしの力を緩め、指でビートを刻み始める。リンゴはカクテル・スティックを手に取ると、曲のリズムに合わせてコーヒー・テーブルをたたき始めた。
奇妙なパーティーの主役5人は、言葉ではなく音楽を介してコミュニケーションを取り始めた。ジューク・ボックスが奏でるエルビスのレコード・コレクションに合わせてライブ演奏を楽しんだ。
ジョンとジョージがギター、エルビスがベース、ポールがピアノを弾いた。エルビスはリンゴのほうを向き、「メンフィスにドラムズを置いてきたのが残念」と言った。
エルビスに命じられた取り巻きが、新しいギターを抱えて次々に部屋に戻ってくる。ジョージはギターについてエルビスに熱心に質問し、トニーには時折、メーカー名と型番をメモするように頼んだ。
堅苦しさは薄れてきた。ビートルズの曲を演奏中、自分のパートをエルビスが弾くのを見ながら、ポールは「なかなかうまいじゃない。練習を続ければ、僕とエプスタインのだんなとでスターにしてみせる」とおどけた口調で言う。
ジョンは、エルビスが俳優ピーター・セラーズ好きだと知っていたので、ピーターの声色をまねて、「こうでなくちゃね、友達がいて音楽がある、こぢんまりした和やかな集まり」と言った。
5人がプレーをしている間、パーカー大佐とブライアンは茶卓に見せかけたルーレット・テーブルを開いて、賭博に興じた。
この時のジャム・セッションや会話を録音した音質が悪いテープが残っている、という有名な噂がある。だが、期待は薄そうだ。「カメラなし。録音もなし」がブライアンとパーカー大佐が決めた会談のルールだった。
トニーによれば、会話に関しては録音に値するようなものはほとんどなかったという。ただ、5人が目の前で繰り広げた貴重なジャム・セッションの模様は、後世に伝えるためにぜひとも残しておきたかった、と書き残している。
5人は、お互いのツアーでの失敗談や災難についても話した。ビートルズ一行はエルビス邸で3時間過ごし、午前2時に家を出た。ビートルズにはエルビスのアルバム・セット、金の革ベルトのついたピストル・ケース、幌馬車のような形をしたテーブル・ランプが贈られた。
だが、このスーパースター会談は「決して大成功とは言えなかった」とトニーは結論づけている。「エルビスとビートルズの会話は最後まで堅苦しく、どちらもどこか居心地が悪そうで、両者が完全に打ち解けることはついになかった」
別れ際にビートルズは、エルビスと取り巻きたちをベネディクト・キャニオンの隠れ家に誘った。エルビスは「行けるように調整してみるよ」と答えたが、エルビスは現れなかった。
リムジンに乗り込むビートルズたちに向かってポーチに立つエルビスは、「忘れるなよ、メンフィスでまた会おう」と声をかけたが、これも果たされなかった。
◎『この日のビートルズ』の次回は、9月9日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
◎お知らせ ⇒ ビートルズ研究家マーク・ルイソンによると、1957年にクオリーメンが誕生してから66年にコンサートを中止するまで、ビートルズが演奏したレパートリーは、判明しただけで325曲ある。そのうち30曲はエルビス・プレスリーのカバーで、彼らの自作曲を除けば最も多い。ビートルズは公式レコーディングでエルビスの曲をカバーしなかったが、「ライブ!!アット・ザ・BBC」には「ザッツ・オール・ライト」など4曲が収録されている。エルビスは「サムシング」「イエスタディ」などビートルズの曲をカバーしている。
2007年10月31日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/080827.html
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┛ THE BEATLES 1968 Tape copying ┛Studio 2 (control room only)
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛4:30-5:00pm
┏━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪Ob-La-Di, Ob-La-Da♪ ┃of remix mono 21
②┃ ♪Blackbird♪ ┃of remix mono 6
③┃ ♪Not Guilty♪ ┃of remix mono 1
┃ ♪Revolution 9♪ ┃of edit of remix stereo 2
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Producer: not assigned
Engineer: Ken Scott
2nd Engineer: John Smith
Copies taken away by Mal Evans
‡1968(昭和43)年8月27日(tue)
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https://beatlesdata.info/10/04_obladioblada.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Ob-La-Di,_Ob-La-Da
https://beatlesdata.info/10/11_blackbird.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Blackbird_(Beatles_song)
https://en.wikipedia.org/wiki/Not_Guilty_(song)
https://en.wikipedia.org/wiki/Revolution_9
https://beatlesdata.info/11/12_revolution9.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE BEATLES Interviews Database』 ┃
┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1967(昭和42)年8月27日(日)
‡No.114(08) 1967-08-27(sun) Beatles / Bangor, North Wales (1 photo) John, George and Ringo talk with the press about the death of Brian Epstein.
Beatles Interview: Bangor 8/27/1967
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http://www.beatlesinterviews.org/db1967.0827.beatles.html
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今日映像◆The Beatles Twist And Shout (Mersey Sound Aug 27,1963) http://youtu.be/v0uBnxwBInI
今日映像◆The Beatles She Loves You (Mersey Sound Aug 27,1963) http://youtu.be/lDItMRJJgHA
今日映像◆The Beatles - Interview (Mersey Sound) 27-30/08/1963! http://youtu.be/pF_nAqBqYjM
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┃ エルヴィスとビートルズの会見 ┃1965(昭和40)年8月27日(金)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ロサンゼルス市のエルヴィスの邸宅でエルヴィスとビートルズは一度きりの会見を果たす。ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインとパーカー大佐の間での「極秘の打ち合わせ」という名目だったが、案の定自宅周辺には野次馬が集まった。対面の場では、エルヴィスの姿に見惚れしたメンバーは呆然としてしまい、エルヴィスが「ずっとそうやって僕を見ているだけなら僕はもう寝るよ?せっかく演奏ができると思って待っていたのに」と声をかけたことから、即興演奏が始まった。エルヴィスは習いたてのベースを演奏し、ジョンとジョージはギター、ポールはピアノを演奏した。リンゴはドラムキットが無かったため演奏しておらずビリヤードやサッカーを楽しんでいたという。エルヴィスは彼らの曲も歌い、「君たちのレコードは全部持っているよ」と言った。これに対してジョン・レノンは「僕はあなたのレコードは1枚も持っていない」と発言したことからその場が凍りついた。そしてその会見に実際に立ち会ったという記者のクリス・ハッチンスによれば、ジョンはさらに当時アメリカ軍による関与が拡大を続けていたベトナム戦争にエルヴィスが賛同する姿勢と、エルヴィスのマンネリ気味であった映画を痛烈に批判した。エルヴィスがジョンを嫌うようになったのはこれらの事がきっかけであった(ジョンは以前もアメリカに公演に来た際、エルヴィスを馬鹿にするような行動をとった)。ジョンはこの発言を反省したためか後日エルヴィスの取り巻きに「エルヴィスがいなければ今の自分は居ない」と伝えるよう頼んだという。しかしエルヴィスはジョンがアメリカに住むようになり、ベトナム反戦運動を積極的に行った頃、ニクソン大統領に「ジョンを追放してほしい」と手紙を出したとも言われている。この様に、ジョンの発言と態度が場の雰囲気を壊したことで、この会見はとても「成功」したとは言えないものであった。そしてなにより惜しい事は、当時音楽界に於いて最も注目すべきこの会見を録音したテープが存在しないことである。
BEATLES MEET ELVIS (The Real Story)映像◆http://youtu.be/q4EG8fs3dCsリクエストによる埋め込み無効
Beatles meet Elvis 1965映像◆http://youtu.be/yb9NW4QbGg4
Beatles talking about meeting Elvis映像◆http://youtu.be/zWSfqQcJ9tE
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC#.E3.83.93.E3.83.BC.E3.83.88.E3.83.AB.E3.82.BA.E3.81.A8.E3.81.AE.E4.BC.9A.E8.A6.8B
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┃ THE BEATLES TV Appearance Photos Quick-Reference Guide 1962-1970 ┃
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‡(tue)27 August 1963『The Mersey Sound』
‡(tue)27 August 1963『The Mersey Sound』♪Love Me Do♪
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┃ THE BEATLES on film and television 1963 ┃
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‡(tue)27 August 1963『The Mersey Sound』Day One of The Beatle collaboration with BBC documentary maker Don Haworth which resulted in the 30 minute documentary 'The Mersey Sound'. Today's filming included performances of 'Twist and Shout', 'She Loves You' and 'Love Me Do' to an empty Little Theatre in Southport. This footage was then edited in with screaming audience film from 26 August show at the Southport Odeon. This was all necessary due to the difficulty of capturing decent quality live recordings of the band. Day two (28 August) consisted of interviews and backstage shots. Day three (29 August) included filming a mock airport arrival at Speke and a trip on the ferry across the Mersey. Day four (30 August) focused on film of Ringo and George. The documentary was first broadcast on 9 October 1963. The 'She Loves You' performance was also sold on to the Jack Paar Show in America where it became the first Beatles US TV show appearance on 3 January 1964.
映像◆The Beatles in Southport, UK for six nights at the Odeon Cinema on 27 August 1963 https://youtu.be/H0r0GBFuc10
‡27 August 1963
♪SHE LOVES YOU♪
♪TWIST AND SHOUT♪
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http://www.beatlesource.com/TV/index.html
http://www.tvtalkin.esy.es/fab4tv/1963.htm
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┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『POP GO THE BEATLES』 ┃BBC 34th appearance
┗━━━━━━━━━━━━━┛
1963/8/01(thu) rec. 1:30-4:00pm The Playhouse Theatre, Manchester
‡1963/8/27(tue) trans. broadcast
Recording for BBC's『POP GO THE BEATLES』11st appearance
♪POP GO THE BEATLES♪ ※番組の頭と終りに流れるテーマ曲、第1回放送分と同テイク
♪Ooh! My Soul♪
Ooh! My Arms (speech)
♪Don't Ever Change♪
♪Twist And Shout♪
Just Released (speech)
♪She Loves You♪ ※第9回分で放送したものを流用
Intro
♪Anna (Go To Him)♪
♪A Shot Of Rhythm And Blues♪
♪POP GO THE BEATLES♪
☆☆♪She Loves You♪☆☆書籍『ザ・ビートルズ全記録1』には第11回用に録音したとの記述あり、書籍『BBCアーカイブズ』には第12回の演奏曲リストに「演奏したが未放送」の記述あり
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html http://www.webers-records.com/134_1420.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1994/11/30(wed)
①┃ 『THE BEATLES Live at BBC』1994 version ┃2001/06/08(fri)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛〇Disc one〇
09.♪A Shot Of Rhythm And Blues♪ 『POP GO THE BEATLES』63.8.1.収録 8.27.放送 ジョンお気に入りのR&Bシンガー、アーサー・アレキサンダーのカバー。BBCでは計3回演奏されている。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1994/11/30(wed)
①┃ 『THE BEATLES Live at BBC』2013 version ┃2013/11/11(mon)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛〇Disc one〇
09.♪A Shot of Rhythm and Blues♪『POP GO THE BEATLES』27 August 1963 2:16
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1994/11/30(wed)
②┃ 『THE BEATLES Live at BBC』1994 version ┃2001/06/08(fri)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛◎Disc two◎
30.♪Ooh! My Soul♪ 『POP GO THE BEATLES』63.8.1.収録 8.27.放送 ポール得意のリトル・リチャードのカバー。リトル・リチャード・ナンバーでのポールのハイトーン・ボーカルはお馴染みだが、このテイクはこのアルバムのポールのボーカルの中では最高の出来。以前持っていた海賊盤に収録されていたのは、途中から始まる中途半端なテイクや、雑音のひどいものばかりだったので、 こうしてきちんと聴けることだけで嬉しいところ。
31.Ooh! My Arms 『POP GO THE BEATLES』63.8.1.収録 8.27.放送 メンバーと司会者のやりとり
32.♪Don't Ever Change♪『POP GO THE BEATLES』63.8.1.収録 8.27.放送 バディ・ホリーのバック・バンドで、ホリーの死後も活動を続けたクリケッツのカバーで、作者はジェリー・ゴフィン=キャロル・キングのコンビ。ジョージが主旋律を歌い、ポールがハモリ、ジョンがリード・ギターという珍しい編成である。曲自体はブレンズリー・シュワルツなどもカバーしている 知る人ぞ知る名曲だが、ジョージの頑張りもあってなかなかの出来。文句なしの好テイクのひとつ。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓1994/11/30(wed)
②┃ 『THE BEATLES Live at BBC』2013 version ┃2013/11/11(mon)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛◎Disc two◎
30.♪Ooh! My Soul♪ 『POP GO THE BEATLES』27 August 1963 1:38
31.Ooh! My Arms 『POP GO THE BEATLES』27 August 1963 0:36
32.♪Don't Ever Change♪『POP GO THE BEATLES』27 August 1963 2:05
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ 『On Air - Live at the BBC Volume2』 ┃2013/11/11(mon)
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛〇Disc one〇
07.♪Anna (Go to Him)♪『POP GO THE BEATLES』27 August 1963
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/B00005HYHG
①http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb16.html
②http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb16-2.html
①②https://en.wikipedia.org/wiki/Live_at_the_BBC_(Beatles_album)
③https://en.wikipedia.org/wiki/On_Air_%E2%80%93_Live_at_the_BBC_Volume_2
③http://blog.kouchu.info/2013/09/BBC-Vol2.html https://www.amazon.co.jp/dp/B00F5H3A3W
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┃ 『THE BEEB'S LOST BEATLES TAPES』 ┃
┃ Episode 6: Brackets! ┃29:29 (sat)5 November 1988
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01.♪POP GOES THE BEATLES♪
‡05.♪Don't Ever Change♪『POP GO THE BEATLES』(11),(tue)27 August 1963
11.♪POP GOES THE BEATLES♪
音源◆https://youtu.be/nBKrzkG3CWw
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beeb%27s_Lost_Beatles_Tapes
https://www.youtube.com/playlist?list=PL073eZJnP1VSVL0DHZ-N_GATBFD-ou2eG
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┃ THE BEATLES Live at The Casbah Coffee Club ┃
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‡No.14 1961(昭和36)年 8月27日(sun) The Casbah Coffee Club
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https://en.wikipedia.org/wiki/The_Casbah_Coffee_Club
http://www.petebest.com/casbah-coffee-club.aspx
http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19590829_live_casbahcoffeeclub1.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
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‡No.60 (tue)27 August 1963 Southport, England, Odeon Cinema (2)
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┃ Summer 1964 United States & Canada Tour ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.07 (thu)27 August 1964 Cincinnati, United States, Cincinnati Gardens
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https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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