過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)


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 ┃ 広島フォーク村 ┃
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 1968(昭和43)年11月XX日(X) 広島市の3つのフォーク団体が、合同で結成したアマチュアフォークサークル
 1968(昭和43)年12月23日(月) 広島市青少年センターで開村コンサートが開かれた
‡1970(昭和45)年06月27日(土) 拓郎のプロデビューに合わせ、広島フォーク村の旗揚げコンサートが新宿厚生年金会館で開催され、広島発のフォークの波は東京にも進出し成功を収めた。司会は蔭山敬吾
 https://ja.wikipedia.org/wiki/広島フォーク村
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 ┃ 浜田省吾 #25 「LONELY-愛という約束事/もうひとつの土曜日」 ┃
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‡2016(平成28)年6月27日(月)
 1985(昭和60)年5月22日(水)、浜田省吾のシングル「LONELY-愛という約束事/もうひとつの土曜日」が発売されました。ぼくにとっても初のシングル曲のアレンジと言うことで、とても気合いが入りました。今回はその話を。
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 1985(昭和60)年4月10日(水)、ぼくは信濃町ソニースタジオの第一スタジオにいた。この日は浜田省吾のシングル盤のレコーディングが行われることになっていた。一曲はマイナー調のミディアムテンポの曲、そしてもう一曲はバラードの二曲をレコーディングする予定だった。レコーディングの何日か前に、浜田さんとマイナー調の曲の簡単なプリプロを行った。浜田さんが曲のイントロのテーマとなるメロディを考えて来ていて、是非そのフレーズを入れて欲しいとのオーダーがあった。ぼくはそのメロディをエレキギターで奏でるのはどうだろうか?と提案すると、浜田さんも「それはいいね、そうしよう。」と同意した。結果、そのフレーズはイントロ、ブリッジ、アウトロと何度も登場することになって、「LONELY-愛という約束事」のサウンドイメージを決定づける印象的なものとなった。もう一曲のバラードのほうは、これといったプリプロは行わなかったのだが、当時ぼくも浜田さんもアメリカのシンガー・ソングライター、ダン・フォーゲルバーグの楽曲やサウンドがとても好きだったので、ダン・フォーゲルバーグのレコードのようなサウンドクオリティを目指そうということになった。早速ぼくは浜田さんから受け取った一本のカセットテープを聴いてみた。中には浜田さんがアコースティック・ギター一本で歌っているデモが入っていた。後に「もうひとつの土曜日」として世に出ることになる曲の原石だった。浜田さんの歌っているデモにはまだ歌詞が付いていなくて、ほぼ全編「ラララ~」で歌われていた。テンポもちょっと早めで、同じメロディを何回も繰り返している曲だった。デモを聴き終えてぼくは頭を抱えてしまった。「う~ん、何だかヘンな曲だなぁ、数え唄みたいだし、今までの浜田さんのバラードっぽくないなぁ。」デモを聴いたファーストインプレッションでは、正直ぼくはあまりいい印象を持てなかった。それから何度も何度も繰り返しデモを聴いた。でも何度聴いてもあまり印象は変わらなかった。結局その日は何もいいアイデアが湧かず寝てしまった。ぼくはアイデアやインスピレーションが湧かない時は、さっさとあきらめて次の日に持ち越すことにしていた。次の日、遅くに起きたぼくは仕事部屋に籠ってピアノの前に座り、あれこれあてども無くピアノを弾き続けては、浜田さんの作ったメロディとぼくの感覚が交差するポイントを探り続けた。弾き始めて数十分後、ぼくのピアノを弾く手から自然とあのイントロのメロディが流れて来た。「ラ~ララ~、ラ~ラ~、ラ~ラ~ラ~、ラ~ラ~ラ~♪」おぉっ、いい感じ!イントロのメロディが閃いてからは早かった。一番はピアノだけの伴奏にして浜田さんのボーカルとピアノのユニゾンで行こう、リズムが入ってからはハーフビート(通常スネアドラムが2拍目、4拍目にアクセントが来るのを3拍目だけのアクセントにする)で進行して行こう、間奏はストリングスの奏でるメロディにしよう等々、次々にアイデアが湧き出て来た。それを忘れない内に譜面に書きとめ、バラード曲のアレンジは出来上がった。
 1985(昭和60)年4月10日(水)、リズム録りのレコーディングは12時~17時までの5時間。約2時間で一曲のリズム録りを終えないと間に合わない計算になる。ぼく達ミュージシャンはそれぞれの持ち場に着くと、すぐにサウンドチェックを始めた。この日、リズム録りに集まったメンバーは以下の通り。
 ドラムス:滝本 季延
 ベース:江澤 宏明
 ギター:町支 寛二
 ピアノ:板倉 雅一 ぼくはヤマハのシンセサイザーDX5の前に座り、ミキサー卓が置かれているコントロールルームでプレイした。他のメンバーはスタジオのブースの中にいた。一曲目の「LONELY-愛という約束事」からリズム録りは始まった。一人コントロールルームでプレイするというのはなかなかイヤなもので、ミキサー卓のすぐ後ろで演奏しているぼくの後ろには、仏頂面で腕を組んでソファに深く腰掛けたスタッフ達がいた。ぼくはこの何とも言えない独特の雰囲気がとても嫌いだった。これだけは何度レコーディングをしても慣れなかった。「LONELY」のリズム録りはスムーズに終了した。少しだけ休憩した後、「もうひとつの土曜日」のリズム録りが始まった。今度はぼくもスタジオのブース内に入り、スタインウェイのフルコンサートサイズのグランドピアノの前に座った。コントロールルーム内の独特の雰囲気から解放されたぼくは、ようやくピアノの前でほっと一息ついた。「もうひとつの土曜日」はリズム録りの段階で、すでにほぼ完成形に近い歌詞が出来ていた。ディレクターからのキューが出てレコーダーが回りだすと、ボーカルブースに入った浜田さんがぼくの弾くピアノに乗せて暫定の歌詞を歌い始めた。すると今まで何かヘンな曲だなぁと思っていた曲が、まるで命を吹き込まれたかのようにキラキラと輝き出した。「B面予定のバラード曲」はあの声で歌われ、歌詞が付いた途端に、みるみる名曲の香りを醸し出し始めていた。ぼくは正直ビックリした。リズム録りを終える頃には、ぼくの中で「何かヘンな曲」だったのが、すっかり「名曲」へと変貌していた。次の日の
 1985(昭和60)年4月11日(木)、代々木オリンピックプールで行われたブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドのコンサートをメンバーと観に行った。三時間超えの長く素晴らしいコンサートだった。ぼく達は多いに刺激を受けて帰路についた。後日、楽器のダビングが行われた。
 1985(昭和60)年4月12日(金)は13時から古村くんのサックスと法田さんのギター、ぼくのシンセサイザーのレコーディングが明け方まで続いた。翌
 1985(昭和60)年4月13日(土)は19時~21時、パーカッションのダビング。パーカッションはペッカーさんに叩いてもらった。
 1985(昭和60)年4月17日(水)は六本木のセディックスタジオに場所を移して、シンセサイザーのレコーディングだった。シンセサイザーはサンドキャッスルのアレンジャーでもある佐藤準さんにプレイしてもらった。この日、準さんが持ち込んだシンセは、まだ日本に数少なかった「KURZWEIL K-250」という当時約300万もした高価なモノ。「LONELY-愛という約束事/もうひとつの土曜日」で聴ける独特の音色のストリングスは、この「KURZWEIL K-250」で佐藤準さんがプレイしたものである。翌
 1985(昭和60)年4月18日(木)にトラックダウンが完了して、無事「LONELY-愛という約束事/もうひとつの土曜日」は完成した。ぼくにとっても初の両面アレンジを手がけたシングル盤となった。完成したトラックは結果的にはダン・フォーゲルバーグのようなサウンドではなかったけれど、現在に至るまで歌い継がれる作品となった。そして思えばこのシングルが完成した時点から、二枚組大作「J・BOY」への道程はすでに始まっていた。
 1985(昭和60)年4月20日(土) ぼくは翌々日から束の間の休暇を取ってハワイへと旅立った。
 写真◆田島照久さんのアートワークが素晴らしいジャケット。 
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/06/25-lonely.html
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 ┃ 浜田省吾 #16 怪奇現象? ┃
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 2016(平成28)年04月24日(日)
 浜田省吾1982年の春のツアーで起きたちょっとコワい話です。
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 1982(昭和57)年6月15日(火) 松山市民会館を皮切りに、浜田省吾の四国?中国?山陰?大阪と廻る長い旅がスタートした。この時点で82年春のツアーは約50本のコンサートを消化して、残りはあと3分の1ぐらいの本数になっていた。松山から始まったツアーのスケジュールは以下の通り。
 6/15(火) 松山市民会館
 6/16(水) 高知県民文化会館
 6/17(木) 徳島文化センター
 6/19(土) 倉敷市民会館
 6/20(日) 広島郵便貯金会館
 6/22(火) 三原市文化会館
 6/23(水) 山口市民会館
 6/24(木) 岩国市民会館
 6/26(土) 島根県民会館
‡6/27(日) 鳥取市民会館
 6/29(火) 島根県民会館
 7/01(木) 大阪フェスティバルホール  17泊18日の長い旅だった。
 1982(昭和57)年6月15日(火) 初日の松山公演を終え、この日は疲れていたこともあって、ホテルのレストランで食事を済ませたぼく達は早々に各自の部屋に戻った。ぼくも部屋に戻って、シャワーを浴びるために着替えをバッグから取り出そうと思って腰を屈めた時、どこからかヘンな音がすることに気がついた。何かパチン!という手を叩いたときのような音がどこからか聞こえてくる。部屋のドアを閉め忘れたため、廊下から聞こえてくる音なのかな?と思ってドアを確認すると、部屋のドアは確かに閉まっている。気のせいかと思い、再び鞄から着替えを出そうとすると、またパチン!という音が。あれっ?ヘンだな?と思い、今度はバスルームの中を確認してみる。当然のごとくそこには誰もいない。部屋の窓が開いているのかと思って窓も確認してみる。キッチリ閉まっている。うーん、何だろ?疲れているせいで幻聴が聞こえたのかと思い、あまり気にしないことにした。ひとまずシャワーを浴びるのは後回しにして、テレビをつけようと壁に近づいた時にまたもパチン!という音が今度はハッキリと聞こえた。
「ん??何か壁のあたりから聞こえたぞ。」ぼくは独り言を言いながら、壁に耳をあててみた。
「パチンっ!!」壁の中からすごく大きな音が聞こえた。実際は耳を壁にあてていたため、すごく大きく聞こえたような気がしただけだった。音は聞こえたり止んだり、不規則に繰り返されていた。ぼくは何だか気味が悪くなって、町支さんと江澤くんに部屋に来てもらった。
「ねぇ、さっきかヘンな音が聞こえて気味が悪いんだけど、聞いてくんない?」ぼくは町支さんに言った。
「またぁ、そんなこと言って脅かそうとしてるんでしょ。」町支さんは半分以上信じていない様子だった。
「イタさぁ、疲れてて耳鳴りでもしてるんじゃないの?」江澤くんも信じていない様子。
「とにかく音がするんだ。聞いてみてよ」ぼくは二人に言った。しばらくするとまた例の「パチン!」が聞こえて来た。
「ん?何か音がした。」江澤くんが不審そうな顔をした。再び「パチン!」「えっ?何か聞こえたねぇ」町支さんも不思議そうな顔をしている。
「でしょでしょ!確かに聞こえたよね!なんか壁の中から聞こえて来るんだけど。」すると今度は連続で「パチン!」が聞こえて来た。さすがにみんなこれはヘンだ、と思い始めていた。すると町支さんが一言
「これって、ひょっとしたらラップ現象かも。」
「エェ~~!!ラップ現象ぉ??マジですか、マヂですかぁぁぁ!!」ぼくは急に言い知れぬ恐怖を感じて叫んだ。
「うん、そうかもしれない。オレもなんかの本で読んだことあるわ。」追い打ちを掛けるように江澤くんが言った。
「やめてよー!オレ怖くて眠れないよー!」ぼくはホントに怖くてたまらなくなって来た。臆病なことにかけては世界でも屈指の存在だと自負しているぼくは、もう一刻も早くこの部屋から逃げ出したい衝動にかられていた。そんなことを言ってる間にも例の音は続いている。町支さんと江澤くんは「フロントに電話して確認してもらったほうが良いかもよ。オレ風呂入るから。じゃあねー。」とかなんとか言って、さっさと自分の部屋に帰ってしまった。再び誰もいなくなった部屋で例の音は続いている。ぼくは速攻でフロントに電話した。
「あのぅ、部屋からヘンな音がですね、聞こえてですねぇ、聞こえるとですたい。」ぼくはコワさのあまり、何故かおかしな九州弁になってしまった。フロントの人に確認してもらうと、確かに音は聞こえるけれど別に不審な音ではないのでは?とのなんだかやる気の無さ全開の返事。でももうこの部屋に居るのは絶対にイヤだったぼくは、部屋を変えてもらうことにした。ところが生憎この日はシングルの部屋が満室で、空いている部屋は四人部屋のファミリータイプの部屋しか用意出来ないとのことだった。ファミリータイプだろうがファミリーレストランだろうが、パートリッジ・ファミリーだろうが、もう何でもいいから部屋変えて!無理矢理お願いして、どうにかぼくは四人部屋に移った。やっとこさ恐怖から解放されたぼくは、ファミリータイプの部屋に入ると改めて部屋の中を見渡した。うなぎの寝床のような横長の部屋にベッドが四つ置かれていた。
「ひ、広い…。」ここで一人で寝るの?寝るの??寝るのぉぉぉ???…絶対に無理!臆病なぼくは今度は別の恐怖に襲われた。四つ並んだベッドが棺桶のように見えて来て、もう居ても経ってもいられなくなったぼくは、江澤くんの部屋に電話をかけた。
「オメツ(江澤くんのあだ名)さぁ、悪いんだけど今夜オレの部屋に泊まってくれないかなぁ?」おそるおそるぼくは江澤くんに言った。
「え~~!なんで?イヤだよオレ。だいいち面倒くさいし。」江澤くんは本当に嫌そうに言った。
「部屋変えてもらったのは良いんだけど、広すぎてコワくて眠れそうもないのよ。お願い!今夜だけオレの部屋に泊まって!」まるで女の子を口説くかのような口調で、ぼくは江澤くんに懇願した。こうなったら何か何でも口説き落としてみせるぞー!…相手は男であった(笑)渋る江澤くんをどうにか説得して、この夜は四人部屋に泊まってもらうことにした。急に安心したぼくはコンサートの疲れもあって、あっという間に深い眠りに落ちて行った。次の朝、爽快な気分で目覚めると、眠そうな目をした江澤くんがすでに起きていた。
「あれっ?オメツもう起きたの?早いねー。」昨夜の騒動のことなど、どこ吹く風でぼくは言った。
「あのなぁ、オマエ~殺すぞ。さっさと一人だけ先に寝やがって、オマエのいびきがうるさくて全然眠れなかったじゃねーかよ!」これ以上無いというくらい、超不機嫌そうな顔で江澤くんは言った。
 写真◆これがその四人部屋。起きてから江澤くんの機嫌が直ったところで記念に一枚(笑) 
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/04/16.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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 ┃ よしだたくろう 全国縦断リサイタル '74 秋 (愛奴・春のツアー) ┃
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 1974(昭和49)年5月15日(水) 01回 京都会館
 1974(昭和49)年5月16日(木) 02回 大阪厚生年金会館
 1974(昭和49)年5月17日(金) 03回 名古屋市公会堂
 1974(昭和49)年5月21日(火) 04回 渋谷公会堂
 1974(昭和49)年5月22日(水) 05回 渋谷公会堂
 1974(昭和49)年5月29日(水) 06回 釧路市民会館
 1974(昭和49)年5月30日(木) 07回 北海道厚生年金会館
 1974(昭和49)年5月31日(金) 08回 函館市民会館
 1974(昭和49)年6月06日(木) 09回 茨城県立県民文化センター
 1974(昭和49)年6月12日(水) 10回 新潟県民会館
 1974(昭和49)年6月13日(木) 11回 秋田県民会館
 1974(昭和49)年6月14日(金) 12回 青森市文化会館
 1974(昭和49)年6月19日(水) 13回 広島郵便貯金会館ホール
 1974(昭和49)年6月20日(木) 14回 倉敷市民会館
 1974(昭和49)年6月21日(金) 15回 神戸国際会館
 1974(昭和49)年6月25日(火) 16回 北九州市立八幡市民会館
 1974(昭和49)年6月26日(水) 17回 福岡市民会館
†1974(昭和49)年6月27日(木) 18回 熊本市民会館
 ♪おろかなるひとり言♪
 ♪ひらひら♪
 ♪君去りし後♪
 ♪むなしさだけがあった♪
 ♪親切♪
 ♪竜飛崎♪
 ♪もうすぐ帰るよ♪
 ♪祭りのあと♪
 ♪落陽♪
 ♪これからは君の世代だ♪
 ♪夏の光の中で♪
 ♪今日もまたペニーレインで♪ ※♪ペニーレインでバーボン♪の原曲
 ♪襟裳岬♪ 
 ♪リンゴ♪
 ♪夏休み♪
 ♪忘れかけた一日♪
 ♪野の仏♪
 ♪シンシア♪
 ♪イメージの詩♪
 ♪私♪ ※♪悲しいのは♪の原曲
 概要・・・デビュー後初めて開催された単独コンサートツアーである。日本のファークシンガーとして初の全国ツアー。広島フォーク村の後輩である『愛奴[29]』をバックバンドに従えた全国縦断ツアー[30]。
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 http://setlist.mx/events/40308?page=1 ●各日●
 https://www.uta-net.com/song/51514 https://www.uta-net.com/song/44469
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 音源◆ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ! AT THE HOLLYWOOD BOWL https://youtu.be/X7Jwl-DQlDw
 
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 ┃ 『THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL』  ┃
 ┃  『ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!』  ┃
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 1977(昭和52)年05月04日(wed) US released
 1977(昭和52)年05月06日(fri) UK released
 1977(昭和52)年05月20日(fri) JP released
 1977(昭和52)年06月06日(mon)付 オリコン週間LPチャート第①位
 1977(昭和52)年06月13日(mon)付 オリコン週間LPチャート第①位
 1977(昭和52)年06月27日(mon)付 オリコン週間LPチャート第①位
 時代を揺れ動かすエネルギーは10年にひとつ。
 そのすべてがこのアルバムには吹き荒れている。
 ビートルズは20世紀にロールしている。
 そしてロックよ、果てしなく続け!!
 KEEP ON ROLLING, John, Paul, George & Ringo!! ●内田裕也●
 Side A
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪Twist And Shout♪
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪She's a Woman♪
 1965(昭和40)年08月29日(sun) ♪Dizzy Miss Lizzy♪後半部分
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪Dizzy Miss Lizzy♪前半部分
 1965(昭和40)年08月29日(sun) ♪Ticket to Ride♪
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪Can't Buy Me Love♪
 1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪Things We Said Today♪
 1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪Roll Over Beethoven♪
 Side B
 1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪Boys♪
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪A Hard Day's Night♪
 1965(昭和40)年08月29日(sun) ♪Help!♪
 1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪All My Loving♪
 1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪She Loves You♪
 1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪Long Tall Sally♪
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 ┃ 『LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL』 ┃THE BEATLES
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 A RON HOWARD FILM『EIGHT DAYS A WEEK』THE TOURING YEARS
 2016(平成28)年09月09日(fri) released
 1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪You Can't Do That♪
 1964(昭和39)年08月23日(sun) ♪I Want to Hold Your Hand♪
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪Everybody's Trying to Be My Baby♪
 1965(昭和40)年08月30日(mon) ♪Baby's in Black♪
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 https://www.amazon.co.jp/dp/B01ISHCD8I
 https://music.amazon.co.jp/albums/B01KBWETBW
 https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT6LBXS
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_at_the_Hollywood_Bowl
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 ┃ 『LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL』 ┃ 
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 1964(昭和39)年08月23日(sun) recorded
 1964(昭和39)年08月27日(thu) Stereo mixing
  Studio, Capitol Records, 1750 North Vine Street, Hollywood, California, US.
  All songs from Live Concert at the Hollywood Bowl, August 23. 1964
  01♪Twist And Shout♪
  02♪You Can't Do That♪
  03♪All My Loving♪
  04♪She Loves You♪
  05♪Things We Said Today♪
  06♪Roll Over Beethoven♪
  07♪Can't Buy Me Love♪
  08♪If I Fell♪
  09♪I Want To Hold Your Hand♪
  10♪Boys♪
  11♪A Hard Day's Night♪
  12♪Long Tall Sally♪
  Producer: Voyle Gilmore
  Engineer: Hugh Davies
  2nd Engineer: not assigned
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 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17107
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 ┃ 『The Beatles At The Hollywood Bowl』 ┃
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 Capitol SMAS 11638 - May 6, 1977
 Parlophone EMTV 4 - May 6, 1977
 Music For Pleasure MFP 4156761 - September 3, 1984
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 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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 削除映像◆HOLLYWOOD BOWL Concert August 23 1964 THE BEATLES  http://youtu.be/D15ojax_T8k
 Live At The Hollywood Bowl, Los Angeles, CA, USA August 23rd 1964
 01. 00:00 Opening / Twist and Shout
 02. 02:02 You Can't Do That
 03. 04:38 All My Loving
 04. 07:00 She Loves You
 05. 09:33 Things We Said Today
 06. 11:54 Roll Over Beethoven
 07. 14:12 Can't Buy Me Love
 08. 17:00 If I Fell
 09. 19:34 I Want to Hold Your Hand
 10. 22:00 Boys
 11. 24:48 A Hard Day's Night
 12. 27:20 Long Tall Sally

 削除音源◆"The Beatles At The Hollywood Bowl" (U.S. Stereo Live LP - Capitol) [Full Album] http://youtu.be/lGdWN_N8u8g
 01. 00:00 "Introduction / Twist and Shout"
 02. 01:31 "She's a Woman"
 03. 04:48 "Dizzy Miss Lizzy"
 04. 08:28 "Ticket to Ride"
 05. 10:51 "Can't Buy Me Love"
 06. 13:15 "Things We Said Today"
 07. 15:25 "Roll Over Beethoven"
 08. 17:56 "Boys"
 09. 20:35 "A Hard Day's Night"
 10. 23:41 "Help!"
 11. 26:15 "All My Loving"
 12. 28:28 "She Loves You"
 13. 31:37 "Long Tall Sally"

 LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL CDを聴いて(その1)
 Beatlesのl『LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL』CDも結局HMVの4点セット買いで注文していた。8日に発送され10日午前に届いた(関東圏なら9日に到着していただろう)*映画サントラとして発売された感が強いデザイン 発売までにネットで3曲ほどプロモーション的に聴けた。それらを聴いて受けた印象は「77年のオリジナルLP(以後、旧盤と呼ぶ)とあまり変わらない」と言うものだった。 今日ようやく商品としてのCDを自分のオーディオで聴けた。4回は繰り返したし、比較のために各国の旧盤やらブートも引っ張り出した。CDを聴いての率直な印象としては、事前にネットで聴いた印象の通り、あんまり旧盤と変わらない。remixで歓声の音量レベルが下げられて、聴きやすくなったというのは間違いではないけれど、正直、旧盤についてもDrumsやボーカルが十分に良い音で録音されていたことはよくわかっていた。特にDrumsは。旧盤が、「歓声が演奏よりも大きくて聴けなかった」という意見の人もあるようだが、当時どういうアナログオーディオを使って、どれくらいの音量で聴いていたか?これによって印象が大きく変わると思う。僕の推測だが、もし今回、旧盤のオリジナルマスターをそのまま使用したCDが登場していたとしても、そのように言っている方々はきっと「旧LPよりも聴きやすくなった」と言ってる気がする。なぜなら旧盤当時の普及クラスのオーディオ機器の(特にアナログ関連の)実力は、現在のCDプレーヤーのそれに比べると、同価格帯の場合実力が劣っていると思われるからだ。想像するに、ナローレンジな再生音で、ちょうど一番耳につく帯域に歓声が飛び込んできてしまう、みたいな。でも、それはレコードに刻まれた音信号のせいではなく、使用していたオーディオ装置のせいであり、高い実力を持つアナログオーディオで再生すれば、旧盤も(歓声の音量レベルは下げようがないが)問題なく聴けるし、旧盤の音に驚くことだろう。*デジパックの中は、そっけないデザイン。編集盤『1』から、デザインのクオリティは音楽に反比例して下がっているとは言うものの、今回のCDは実際に音質が向上しているのは事実だ。冒頭の「Here they are the Beatles」のアナウンスから旧盤よりも明らかに音質が向上しているとわかる。マスターの音に近づいたのだ。推測になるが、旧盤制作時に使用された3トラックマスターはコピーtapeだったのではなかろうか?今回はCapitol recordsに保管されていた3トラックマスターを使ったとのこと。さらに、77年当時は3トラックを一度アナログのマルチトラックテープ(普通に考えれば24トラック)にコピーし直してマルチトラックでのミキシング・マスタリング作業をしており、そのようなtape to tapeでの作業においても音質劣化が当然発生する。今回はオリジナルマスターをそのままデジタルに変換しての作業だったなら、旧盤との比較で2世代以上の音質差が生じてもおかしくないだろう。そのように、オリジナルの3トラックマスターに納められた収録音の音質劣化は旧盤よりも避けられているので、それぞれがより明瞭になり、細かなニュアンスが以前よりもわかるというのも事実だ。では、今回のミキシングや新たな技術の効果(成果)はどうだったのか?長くなるので、次回に持ち越し。
 http://jdanalog.blog111.fc2.com/blog-entry-1041.html
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
 ┌─――――――――――――┐
 |1964(昭和39)年 8月23日(日)|「よみがえったライブ演奏」
 |2010(平成22)年 8月23日(月)|甲虫日記更新日 No.079
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1964年8月~9月、ビートルズは2回目の米国公演に出かける。カナダの3都市を含めた25都市を巡る大規模な演奏旅行の全行程は、2万2千マイルを超えた。その年の2月、「I Want To Hold Your Hand」が全米ナンバー・ワン・ソングに輝き、初の米国公演が実現。ワシントンのD.C.コロシアムとニューヨークのカーネギー・ホールでの歴史的な公演は、英国のポップ・ミュージシャンにとって快挙となる「全米制覇」の象徴的な出来事になった。彼らの勢いは、半年たっても衰えることはなかった。映画「A HARD DAY'S NIGHT」は全米で500以上の映画館で上映され、レコードも大ヒットしていた。ツアーが始まると、舞台にはジョージが「好物だ」と発言したゼリー・ビーンズが雨あられと投げ込まれ、しばしば演奏が中断することもあった。熱狂した女性がステージに押し寄せようとしたことから、演奏の途中でショーが中止されるハプニングも起きた。前売り券は、瞬く間に売り切れた。8月23日にロサンゼルスのハリウッド・ボウルであった公演は、フランク・シナトラとディーン・マーチンですら切符が買えないほどだった、という逸話もある。このハリウッドの丘陵にある野外音楽場でロックンロールが演奏されるのは、それが初めてだった。1万8700人分の入場券は売り切れ、600人以上のファンが会場の外にあふれ、木によじ登って演奏を見ようとしたファンもいた。この異様な雰囲気のなか、駐車場で男児を出産したファンもいたという記録も残っている。巨大な貝のような壁に囲まれた野外音楽場は、音響効果がいいことでも知られていた。キャバーン・クラブでのライブ演奏を録音しようと考えたことがあるジョージ・マーティンは、キャピトル・レコードのエンジニアを手配した。
その夜、演奏されたのは12曲。ジョンの「森の中にようこそ」というあいさつで幕を開けたショーは、「Twist And Shout」で始まり、「Long Tall Sally」で閉じられた。約29分間の演奏すべてが3トラックのテープに収録された。ところが、4日後にテープのミキシング作業を始めたマーティンは、頭を抱えた。「観客の絶叫がまるでジャンボ・ジェット機のエンジンの後ろに置いたマイクで拾ったようなサウンドで全体を覆ってしまった」キャピトルはライブ・レコードのリリースをあきらめなかった。翌65年8月29、30の両日、3回目の米国公演を果たしたビートルズは、再びハリウッド・ボウルでコンサートを開く。そして、その両日ともコンサート全曲が録音された。だが、
1965(昭和40)年8月29日(日)の公演は最初の4曲でポールのボーカルの声が入っていないなど技術的な欠陥が発覚して没になった。
1965(昭和40)年8月30日(月)の公演も、舞台での演奏より観客の悲鳴のほうに圧倒されるような録音だった。結局、ビートルズは発表すべきではない判断した。
 ◎最悪のコンディションのライブ音源。しかしレコード化に… 次のページへ
この歴史的なテープが日の目を見るのは、最初の録音から約13年後の77年5月。EMIの保管室に埋もれていたテープをキャピトルの社長が見つけ、マーティンにレコード化を依頼したのがきっかけだった。しぶしぶテープに耳を傾けたとされるマーティンだが、当時のしびれるような雰囲気と演奏から醸し出されるエネルギーに圧倒され、心を動かされた。ビートルズのスタジオ・エンジニアを担当したジェフ・エメリックの協力を得てテープを磨き直し、レコードとして見事に編集した。アルバム「THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL」は、64年と65年の双方の公演からベスト曲が収録されている。現在では当然とされている、ボーカルや楽器のオーバーダビングが一切されずにオリジナル演奏だけが収められた。
1964(昭和39)年8月23日(日)の公演からは「All My Loving」「She Loves You」「Things We Said Today(今日の誓い)」「Roll Over Beethoven」「Boys」「Long Tall Sally」の6曲。
1965(昭和40)年8月30日(月)の公演からは「Twist And Shout」「She's A Woman」「Dizzy Miss Lizzy」「Ticket To Ride(涙の乗車券)」「Can't Buy Me Love」「A Hard Day's Night」「HELP!」の7曲が選ばれた。
ビートルズ唯一の公認ライブ・レコードは、英国で音楽チャートの1位、米国でも最高3位を記録した。今と比べて音楽に関する情報量が圧倒的に少なかったころ、レコードとはいえ初めてビートルズのライブ演奏を体験した。ジョンがニューヨークのマンションで「主夫」生活をしていたころでもあり、中学生だった僕に「再結成」という淡い夢を抱かせてくれた。 ハリウッド・ボウル公演の録音テープは、ライブ・レコード以外でも使われている。64年11月に米国で発売された企画盤「THE BEATLES STORY」には、「Twist And Shout」が48秒間だけ抜粋されている。このほか
1965(昭和40)年8月15日(日)のシェア・スタジアム公演のテレビ番組用サウンドトラックを修正するため、8月30日のハリウッド・ボウルでのライブ収録テープが使われている。ビートルズのライブ演奏は、その熱狂的な観客の歓声も含めて歴史的ドキュメントとしての価値がある。96年3月に発売されたシングル「Real Love」には、
1965(昭和40)年8月30日(月)に演奏されたもののレコードには収録漏れした「Baby's In Black」が収められた。CD化が待たれる名盤だ。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は9月11日(更新は10日)です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ シングル「Real Love」は、「Free As A Bird」(95年)に続く第2弾のマキシシングルとしてリリース。「Baby's In Black」に加え、「Yellow Submarine」「Here There And Everywhere」の未公開バージョンが収められた。
 リアル・ラブ 1996年3月4日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/100823.html
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 ┃ BOφWY『THE BEST “STORY”』が15年ぶりオリコンアルバム首位獲得 ┃
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 |2013(平成25)年 3月26日(金)|
 └─――――――――――――┘BOφWYの30周年記念 ベストアルバム「THE BEST “STORY”」(EMIミュージック・ジャパン)がデビュー日にあたる3月21日(日)に発売され、初週で 3.8万枚を売り上げ、4/1(月)付オリコン週間アルバムランキング(集計期間:3/18(木)~3/24(水))で初登場首位を獲得した。シングル・アルバムを通じ首位は、1998/3/23付のベストアルバム「THIS BOφWY」(1998年2月発売)以来15年ぶり。1988年4月5日の解散からまもなく25年を迎えるBOφWYだが、解散から20年以上が経過したグループによる首位は、ザ・ビートルズ(1970年解散・最新首位:2000/11/27付「ザ・ビートルズ1」)以来史上2組目で、邦楽グループでは初の快挙(これまではユニコーンの15年5ヵ月が最長記録)。いまだ衰えぬ人気を数字で証明して見せた。また、今回の15年ぶりのアルバム首位は、アルバム首位インターバル記録で前出のユニコーンの14年10ヵ月ぶりを上回り邦楽グループ歴代1位に。洋楽グループを含めても、クイーンの27年1ヵ月(1977/1/24付「華麗なるレ-ス」~2004/2/9付「クイーン・ジュエルズ~ヴェリー・ベスト・オブ・クイーン~」)、ザ・ビートルズの23年5ヵ月(●1977/6/27付「ス-パ-・ライヴ!」~2000/11/27付「ザ・ビートルズ1」まで)に続く史上3番目の記録となった。本作「THE BEST “STORY”」は、約1万通に及ぶファンからの投票結果をもとに選曲されたベストアルバム。ファン投票で1位を獲得した「CLOUDY HEART」を始め、「NO.NEW YORK」「DREAMIN'」「ホンキー・トン キー・クレイジー」「わがままジュリエット」などヒット曲全32曲(ボーナストラック2曲を含む)を2枚組で収録している。
 http://www.musicman-net.com/artist/24683.html

1977年の本日6月27日、ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」がオリコンチャートの1位に輝く
2016年06月27日(月) 執筆者:丸芽志悟
1977年(昭和52年)の本日6月27日(月)、発売17日後にしてオリコンチャートのトップを記録したのが、ピンク・レディーの4枚目のシングル「渚のシンドバッド」だ。前週1位を記録した沢田研二の「勝手にしやがれ」に、3週後再び1位を明け渡すものの、8月15日付で1位に返り咲き、翌月12日までその座を独走。計8週間1位を守った後その座を譲った曲は、何とPLの次作シングル「ウォンテッド」(指名手配)だった。ジュリーの曲も含めて、3曲で何と25週、阿久悠作詞作品が1位を独走するという驚異的な事態に至ったのである(さらに1週置いてPLの「UFO」が休刊週も含めて10週1位を独走する!)。売り上げ的には初めて100万枚の大台に乗せ、5曲連続ミリオン達成の突破口を作ったのが「渚のシンドバッド」である。
記録的なことはこの位にして、さすが社会現象たるピンク・レディー。この曲がもたらした副産物の存在もよく知られている。まずは何と言っても、翌年6月25日にリリースされたサザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」。言うまでもなく、前述の「勝手にしやがれ」と合体した奇抜なタイトルである。既にザ・ドリフターズの志村けんが「8時だョ! 全員集合」の中でこの2曲をマッシュアップしたネタを披露していたが、それとは関係なく、巧みな言葉遣いが強烈な印象を残しつつ、タイトルとして決定的なフレーズを欠くといえるこの曲にこのタイトルを冠した桑田佳祐のセンスは凄い。まさかその後、彼らが40年近くに渡ってJ-popの最前線に生き残るなんて、当時この曲をコミックソング扱いした人は決して予期しなかっただろう。
よりダイレクトなこの曲のパロディーとしては、同じく78年、大瀧詠一がアルバム『Let's Ondo Again』のために制作した「河原の石川五右衛門」がある。もっとも、完成はしたものの諸事情により収録は見送られ、歌詞のみが歌詞カードに記載されている。恐らく、阿久悠というよりPLの事務所サイドからの圧力が強かったのではと読んでいるが…。正式に発売されたのは81年になってからで、さらに2008年、AKB48よりの派生グループ、渡り廊下走り隊と未唯mieによるユニット「簪」名義で、阿久悠トリビュートアルバム『Bad Friends』収録曲としてカヴァーされた。ストレートなカヴァーとしては、当時のミュンヘンディスコブームに乗り、現地のスタジオバンドとの触れ込みで登場したコズミック・ギャルが、「ウォンテッド」に続く第2弾シングルとして英語ヴァージョンを発売している他、最近のアイドルやロックバンドに至るまで好んで取り上げられている。
その一方で、この曲にもプロトタイプと呼べる曲があるのは意外に知られていない。井上順のソロとして5枚目のシングルに当たる「幸福泥棒」(72年6月5日発売、オリコン60位)がそれである。イントロから、思わずレコードを間違えたかと錯覚させる「既聴感」。ギターやドラム、ストリングスのアレンジも殆ど「渚のシンドバッド」そのものだ。それもそのはず、作曲・編曲ともPLを育てたその人・都倉俊一によるものであり、さらに作詞は阿久悠である。ソロ初の大ヒット曲「昨日・今日・明日」から続くコンビだ。77年当時「夜のヒットスタジオ」の司会を務めていた順は、PLが「渚のシンドバッド」を歌うのをどんな顔をして眺めていたのだろうか…
降って湧いたようなPL現象の中、過去の共作曲にモチーフを求めざるを得なかった事情を察せざるを得ないが、そんな中でもより若い層を狙いながら、一つのユニークな世界観に帰結する文学的歌詞を与えた阿久悠は凄い。小学生だった自分でさえ、「セクシー」という言葉の響きにある種の高貴さを感じた覚えがある。
都倉俊一も、阿久悠/筒美京平が「また逢う日まで」で成功させた手法を踏襲するのは避け、時代に符合したフレッシュなタッチで全く新しい楽曲へと昇華することに成功している。「幸福泥棒」にはない歌い始めのパートは、イエスの「Yours Is No Disgrace」からの影響が多少感じられるし、さらにファーストアルバム収録のケイのソロ曲「インスピレーション」にさえこの曲の原型的メロディーが聞き取れるが…
「渚のシンドバッド」関連以外でも、物真似でおなじみはたけんじが演歌調にアレンジした「演歌ペッパー警部」や「演歌SOS」、フォークの神様・岡林信康が発表した辛辣なパロディー曲「新説SOS」(後に笑福亭鶴光もカヴァー)、某シンセサイザー・グループが変名でリリースしたという噂のザ・バッハ「ディスコ!! ウォンテッド」(この曲はYMOも活動初期のライヴでしきりに演奏していた)、さらに後にシャネルズ~ラッツ&スターとしてブレイクする面々が、先の『Let's Ondo Again』に「モンスター」名義で吹き込んだ「ピンク・レディー」(再発盤では「ピンク・レディー讃歌」と改題)など、ノベルティー曲にも事欠かなかったピンク・レディー。それもまた、真のスターの証である。海の向こうではビートルズをテーマにしたノベルティー曲を集めたコンピがリリースされているが、それに近いものを編纂させることができる唯一の日本のアーティストかもしれない。
http://music-calendar.jp/2016062701

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