過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)


 1984(昭和59)年12月発行 会報第8号は全12ページ【TALK&TALK】秋晴れの
 1984(昭和59)年11月3日(土)、仕事が早く終ったので事務所の傍にある青山学院大学の学園祭をぶらっとのぞいてみた。この何年か学園祭でのコンサートをやっていないので、何となく懐かしさも手伝って、物凄い人ごみのキャンパスを歩き廻った。門のところから通路はびっしりと食べ物屋の模擬店が並んでいる。俺達の時代でもそうだったけれど、それぞれのクラブや同好会単位で店を出しているのだろう。ちょっと違うのが、そろいのスタジャンを着たり、かなり強烈な呼びこみを行ったり、客引きを連想させる様な態度をとる人間までいることだ。あちこちで言われているけれど何かを感じさせたり、観せたり、訴えたりといったテーマがなく、金をもうけて楽しく騒げばいいといった様な印象が強かった。勿論全部が全部そうではないだろうが…学生生活を離れて10年になるものの自分では大学生の雰囲気とか感覚とか解る様な気はしていたのだけど、はっきり隔たりを感じた。学園祭コンサートにしろ、俺がやたら何本もやっていた頃は、売れないアーティストでも好きだからよんで、全部自分達でやってしまうといったパターンが多かった。楽屋に手作りの食事が用意してあったり、終わったあと出演者、主催者入り交って酒を飲んで騒いだりとか、今みたいにまだイベンター化してなかった頃の手づくりっぽいコンサートが学園祭の本質の様な気がする。ギャラは安くても、会場の条件等悪くても楽しかった想い出はたくさんある。大学生といえば、時代の最先端の部分に―思想的なものにしろ、芸術的なものにしろ―鋭く反応できる人たち、理論と感性のバランスがとりやすい時期にいる人たちだと思う。そんな意味からいうと、たった一校観ただけだけど、少し寂しい感じを持ったのが学園祭の印象だった。ツアーも半分以上過ぎ、疲れていないといえば嘘になる今日この頃、読んでいるものというと"遥かなるバークレイ(サラ・ティヴィドソン著)"というタイトルの本だ。'60年に大学に入った女のコたちがベトナム戦争やセックスや音楽を身近に色んな形で経験してそれぞれの仕事についていく過程を'60年代のアメリカを舞台にドキュメントタッチで書いたものです。機会があれば特に女の人は読んでみたらと思います。4月に横浜スタジアムで"A PLACE IN THE SUN"をやり、2年振りにオリジナルアルバムをつくり、新しいスタッフ、メンバーとツアーを再開した'84年も、もうすぐ終わる。体に気をつけて、
 みんなそれぞれのハッピーな或いはセンチメンタルなクリスマスを、そして、ニューイヤーを…。 
 http://shogo.r-s.co.jp/fanclub/backnumber/backnumber008.html

 


340よしりん ◆SH0GO/MTqU 
2019/01/01(火) 08:20:17.57ID:I0nbroBP>>350
新年明けましておめでとうございます。 
ファンクラブのサイトにアクセスしてくださりありがとうございます。 
昨年2018年は「Welcome back to The 70's」というイベントをやりましたけれども参加してくださった方 
参加されなかった方共々 
大いなるサポートをありがとうございました。 
今年2019年は去年の味をしめてですね 
80年代をテーマにしたライブをやろうかなぁなんて考えております。 
もし実現することになったら 
再び応援してください。 
新しい年があなたにとって 
健康で充実した素晴らしい年になりますように。 
“ピース" 
http://imepic.jp/20190101/291100 
http://imepic.jp/20190101/291101 
80年代をテーマにしたアリーナツアーが、ほぼ決定したようだな(^o^)/ 
 (・Θ・) 
=(ο┳ο 
.◎ー┻◎ 
爆笑またなーーコマネチ 


 『ライブ帝国』
‡2000(平成12)年1月01日(土) テレビ神奈川
 1981(昭和56)年3月20日(金) 放送
 http://yuu.sky.yamashina.kyoto.jp/sh/index.html
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 浜田省吾 #09 さよならの前に ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 2016(平成28)年04月02日(土)
 今回は、ぼくが初めて浜田省吾さんの曲のアレンジをやらせてもらった時のレコーディングの話です。
 ++++++++++++++++++++++++++++++++ 
 1981(昭和56)年3月05日(木)には、テレビ神奈川の音楽番組「ファイティング80's」収録が蒲田の日本電子工学院ホールで行われた。この時のセットリストは以下の通り。
 ・終わりなき疾走
 ・反抗期
 ・陽のあたる場所
 ・明日なき世代  そしてリハーサルの合間の
 写真◆The Fuse 
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/04/9.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
****************************************
『Fighting 80's』
 1981(昭和56)年3月 5日(木)収録
 1981(昭和56)年3月20日(金)放送
 浜田省吾1980年代最後のTV出演① No.②から③は友人枠です(=^◇^=) http://video.fc2.com/content/20110611FhSFDSXG
 アニメ◆動画:浜田省吾1980年代最後のTV出演① No.②から③は友人枠です(=^◇^=)
 ダイジェスト◆動画:浜田省吾1980年代最後のTV出演① No.②から③は友人枠です(=^◇^=)
 静止画◆動画:浜田省吾1980年代最後のTV出演① No.②から③は友人枠です(=^◇^=)
 浜田省吾1980年代最後のTV出演②http://video.fc2.com/content/20110611SCsRsmsT
 アニメ◆動画:浜田省吾1980年代最後のTV出演②
 ダイジェスト◆動画:浜田省吾1980年代最後のTV出演②
 静止画◆動画:浜田省吾1980年代最後のTV出演②
 浜田省吾1980年代最後のTV出演③http://video.fc2.com/content/20110611TxS2kAmm
 アニメ◆動画:浜田省吾1980年代最後のTV出演③ 
 ダイジェスト◆動画:浜田省吾1980年代最後のTV出演③ 
 静止画◆動画:浜田省吾1980年代最後のTV出演③ 

 TVK『Fighting 80's』(浜田省吾) 
 2010(平成22)年03月15日 01:02:49 テーマ:浜田省吾 
 1981(昭和56)年03月20日(金)放送の『Fighting 80's』でのスタジオライヴ。これはCS-viewsicで放送されたテレビ神奈川「ライブ帝国」という過去のロック映像の放送したものである。
 1981(昭和56)年12月11日(金) 燃えろいい女 (ツイスト)
 1980(昭和55)年11月14日(金) ジェニーはご機嫌ななめ (ジューシー・フルーツ)
 終わりなき疾走
 反抗期
 陽のあたる場所
 明日なき世代
 浜田省吾のライヴ映像は,貴重な映像ではあるが,好きな曲ではなかった。ツイストの「燃えろいい女」での,世良公則の熱い派手なアクションが笑える。ジューシー・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」は結構好きだったなあ。このBDは浜田省吾より,ツイストとジューシー・フルーツが見たいときによく見る。
 http://ameblo.jp/martind18/entry-10482126845.html

 『Fighting 80's』(TVK) 
 1981年3月20日
「終わりなき疾走」「反抗期」「陽のあたる場所」「明日なき世代」(順不同) 
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~roadscraps/tv.html


 音源◆浜田省吾「僕と彼女と週末に」https://youtu.be/Gj_gqWQHtCo?list=PLmQIzKRWaBRWholO5h1TEpUxOg7EXxyWm
 
 映像◆渡辺美里 BOYS CRIED あの時からかもしれない '92 スタジアム伝説https://youtu.be/Qz4c0lLj-t0
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー Jerome David Salinger ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐
‡|1919(大正八)年 1月 1日(水)|生誕
 |2010(平成22)年 1月27日(水)|逝去 満91歳没
 └─――――――――――――┘http://www.uta-net.com/song/38564/
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『the CATCHER in the RYE 危険な年齢』         ┃1952(昭和27)年 訳:橋本福夫 ダヴィッド社
②┃ 『the CATCHER in the RYE ライ麦畑でつかまえて』    ┃1964(昭和39)年 訳:野崎孝  白水社
 ┃ 『the CATCHER in the RYE ライ麦畑の捕手』       ┃1967(昭和42)年 訳:繁尾久対 英潮社版
 ┃ 『the CATCHER in the RYE キャッチャー・イン・ザ・ライ』 ┃2003(平成15)年 訳:村上春樹 白水社
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐a novel by J.D.SALINGER
 |1951(昭和26)年 7月16日(月)|FIRST EDITION $3.00
 └─――――――――――――┘LITTLE, BROWN 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 新しい世界の文学20『ライ麦畑でつかまえて』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐J.D.サリンジャー 著 野崎 孝 訳
 |1970(昭和45)年11月25日(水)|白水社 第18刷発行 発行
 └─――――――――――――┘http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w104724439
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 続編騒動『the CATCHER in the RYE キャッチャー・イン・ザ・ライ』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
  2009(平成21)年6月 1日(月)『ライ麦畑でつかまえて』の続編と称し、
  2009(平成21)年9月X日(?) スウェーデンの出版社から発売される予定の作品『60年後 ライ麦畑を通り抜け』著者は「J.D.カリフォルニア」に対し、著者であるサリンジャーは出版差し止めを求め、作者と出版社を著作権侵害で提訴した。訴状でサリンジャーは、「知的財産を被告に使わせるつもりはない」「続編はパロディーでも批評でも批判でもない」としている
  2009(平成21)年7月 1日(水) ニューヨーク連邦地方裁判所はアメリカ合衆国内での出版差し止めを命じた[6]
  映像◆Catcher in the Rye. J.D. Salinger. 1st edition, $3,500  https://youtu.be/xAj9K025MgA
  
************************ http://www.uta-net.com/song/175886/
  https://ja.wikipedia.org/wiki/J%E3%83%BBD%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC
  https://en.wikipedia.org/wiki/The_Catcher_in_the_Rye http://www.uta-net.com/song/38564/
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J・D・サリンガー『危険な年齢』ダヴィッド社
2013年05月16日
 古本屋で、J・D・サリンガーって誰だ? と思って、手に取って見ると、なんのことはない、サリンジャーのことだった。
 これが『ライ麦畑でつかまえて』の初訳らしい。
 初版は1952年で、写真のものは1956年の新装版。原書の刊行が1951年なので、ほぼタイムラグなしで翻訳されたといっていいだろう。訳者は橋本福夫。
 版元は、青春小説や風俗小説として売る気だったのか、帯の惹句が扇情的でとてもよい。
エロとムジュンと
コンランに溢れた
大都会にさまよう
若者の眼にうつる
ひんまがった大人の世界
 『ライ麦~』ってこんな話だったっけ?
気になる訳文の調子はというと、原文のニュアンスを再現しているのか、持って回った語り口になっている。
小説の出だしを少し引用する。
諸君がほんとうに僕の話を聞きたがっているとしても、諸君の知りたがるのは、きまって、第一に、僕がどこで生まれ、幼年時代はどんなふうだったとか、両親はどんな職業についていて、僕を産む前はどんな生活をしていたとか、何だといったような、デーヴィッド・カッパーフィールド式の身の上話なんだろうが、正直なはなし、僕はそんなことを喋りたてる気にはなれないんだ。第一に、そんな話は、こっちがうんざりさせられるし、第二に、僕がおふくろやおやじのうちあけ話をしようものなら、どっちも喀血ぐらいはしかねない人たちなんだからね。
 まるで蛇がのたくっているような、一人称の迂遠な言い廻しが延々と続く。最小の頃は読みづらくてしかたがないが、読み進めて文体に慣れていくと、不思議なドライブ感が出てきて、衒学と韜晦の間を行き来するような奇妙な酩酊感に襲われる。
 これは文体のせいなのか、はたまた原作の力なのか。
 野崎孝訳の『ライ麦~』を読んだのは遥か昔のことなので、きちんと比較したわけではないけれども、時代を経てなされた翻訳と、同時代に翻訳されたものでは、その巧拙は置いとくとしても、時代の空気や匂いを無意識のうちに内包している意味において、同時代翻訳の方にこそ、その価値があるのではないか、なんてことをつらつら考えしまった
http://blog.livedoor.jp/benirabou/archives/52289658.html

・危険な年齢/J・D・サリンガー  
不朽の名作、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』 の初邦訳本です。訳者は橋本福夫。最近は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』とカタカナで表記されますが、初邦訳時には『危険な年齢』でした。そのほかに『ライ麦畑の捕手』などといった題もあります。
今回入荷したのは、1952年初邦訳本の新装版です。なかなか見ない貴重な本です。
http://atwonder.blog111.fc2.com/blog-entry-1533.html?sp

「ライ麦畑でつかまえて」ホールデンが再び登場!! サリンジャー新作5作品が "遺言により" 出版へ
(┘°Д°)┘ なんという胸熱
困惑するほど俺得ッッ あぁ… 眩しい、眩しすぎて目を開けていられない
『ライ麦畑でつかまえて』『ナイン・ストーリーズ (笑い男、バナナフィッシュにうってつけの日などの短篇集)』などで知られる故J・D・サリンジャーの未発表5作品が、彼の遺言により2015年?2020年のあいだに出版されることが明らかになった
気になるタイトルは、「ライ麦畑でつかまえて」の主人公、ホールデン・コールフィールドを描いた作品や、「フラニーとゾーイー」に登場するグラース一家に関する新たな物語が含まれる
この出版については、映画監督 シェーン・サレルノが10年の歳月と私財200万ドル(約2億円)を費やし制作、9月6日にアメリカで公開されたドキュメンタリー映画『Salinger (サリンジャー)』と、監督が執筆に加わったというサリンジャーの伝記本の中で明らかにされた
◆『The Last and Best of the Peter Pans (ピーターパンの最後にして最高な話)』→ あの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドが登場すると思われる作品
◆『The Complete Chronicle of the Glass Family (グラース家の全歴史)』→ 彼の作品ではお馴染み、グラース家のシーモアに関する5つの短編集
◆『A World War Ⅱ Love Story (第二次世界大戦のラブストーリー)』→ サリンジャー自身が戦争直後にナチス協力者の女性シルヴィアと送った短い結婚生活が基になっている
◆『A Religious Manual (宗教マニュアル)』→ 彼が「ラーマクリシュナのヒンドゥー教学校」を信奉していた話
◆『A Counterintelligence Agent's Diary (対諜報員の日記)』→ サリンジャーが第二次世界大戦中、捕虜がスパイでないかを尋問する”防諜部隊”にいた頃の話
(※それぞれのカッコ内は正式な邦題ではなく、DDNによる和訳です)
サリンジャー作品が最後に発表されたのは1965年。彼は人とのコミュニケーションを極度に避ける性格として知られており、2010年に91歳で亡くなるまで米・ニューハンプシャー州で50年近くひっそりと暮らしていた。その間、執筆活動を続けていたいう情報はあったが、何を執筆していたのかは謎に包まれたままだった
しかし、サリンジャーは自身の死後における作品の出版について、何らかの指示を残していたようだ。極端に秘密主義であった彼に合わせ、家族と出版社は何も公に発表して来なかったのだ
戦争は彼をPTSD(心的外傷後ストレス障害)に追い込んだ。友人に宛てた手紙にもこう書いている:「僕は身を隠す穴を掘ったんだ、臆病なほど深く。」
サレルノ氏はサリンジャーが死ぬまでずっとPTSDと共存していたと考え、こう話している:「もう一度『ライ麦畑でつかまえて』を読むと、きっとこれが実は戦争小説だと気づくはずだ」
http://japan.digitaldj-network.com/articles/17919.html

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 ┃ ♪HERO ヒーローになる時、それは今♪/甲斐バンド ペストンで熱唱! ┃
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 ┌─――――――――――――┐
 |2012(平成24)年 3月15日(木)|スポニチ Sponichi Annex 情報配信
 |1978(昭和53)年12月20日(水)|リリース
 └─――――――――――――┘
計72万枚のレコード売り上げを記録した、ヒット曲の実質的お披露目は華々しかった。78年12月31日から79年1月1日に変わった瞬間だった。民放各局は一斉に同じCMを流した。ややしゃがれた声のリードボーカル、甲斐よしひろが「HERO ヒーローになる時、アハーそれは今…」とゾクッとするようなフレーズをシャウトした。デビュー2年目からテレビ出演をせず、年間100本のステージをこなし続けてきたライブにこだわるバンドが新年早々、時計の「SEIKO」のCMを通して、あけましておめでとう代わりに強烈なインパクトのあいさつを全国に届けた。このCMの反響は大きかった。正月からテレビ局をはじめ、SEIKO本社の電話は鳴りっ放し。歌謡曲、演歌、時々ニューミュージックの歌手がテレビの歌番組に出演する主流とすれば、ロックバンドはまだ正当に評価されてはいない時代。それでもリスナーの感度は敏感。サビを聞いただけで、魂を揺さぶられた。ロックをやっていると、人生斜に構えて、冷めたようなイメージが付き物だが、甲斐が伝えたかったメッセージは希望、勇気、そして愛。誰もが大切だと分かっていても、大声で言えなくなってしまったものを“ヒーロー”という言葉に乗せた。甲斐は当時のインタビューでこう言っていた。「甘酸っぱい思いでも、悲しくて泣いてしまうような歌でもいい。けれどいつまでも泣き濡れていてはダメ。人間生きていかなくちゃいけないんだから、そしたら明日をみつめるべき。チャンピオンになれるヤツは限られているけど、ヒーローにだったらそれぞれなる瞬間がある」。もうすぐ還暦を迎える甲斐。いまでも現役ロッカーである。
************************************************************
 http://ja.wikipedia.org/wiki/HERO%EF%BC%88%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%99%82%E3%80%81%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AF%E4%BB%8A%EF%BC%89
 http://www.sponichi.co.jp/entertainment/yomimono/music/anokoro/03/kiji/K20120315002834410.html
************************************************************
 ♪北ウイング ♪サザン・ウィンド/中森明菜
 アニメ◆動画:1978年~1988年
 ダイジェスト◆動画:1978年~1988年
 静止画◆動画:1978年~1988年
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃        ♪ロード♪        ┃
②┃      ♪ロード~第二章♪      ┃
▼┃   『シンデレラ ロード~序章~』   ┃
③┃      ♪ロード-第三章-♪      ┃
④┃      ♪ロード-第四章-♪      ┃
▲┃    『ベスト~ロード第4章』    ┃
⑤┃ ♪届くことのない手紙-ロード第五章-♪ ┃
▼┃      『ロード・上巻』      ┃
▲┃      『ロード・下巻』      ┃
■┃       『THE ROAD』       ┃
◆┃『ロード ザ・ベスト~25th anniversary~』┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
①1993(平成五)年01月21日(木) released
②1994(平成六)年01月01日(土) released
▼1994(平成六)年10月21日(金) released
③1995(平成七)年01月01日(日) released
④1997(平成九)年02月12日(水) released
▲1997(平成九)年02月26日(水) released
⑤1997(平成九)年06月25日(水) released??
⑤1998(平成十)年09月20日(日) released??
▼2000(平成12)年01月21日(金) released
▲2001(平成13)年05月21日(月) released
■2003(平成15)年01月21日(火) released
◆2018(平成30)年02月21日(水) released
****************************************
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ロード_(THE_虎舞竜の曲)
****************************************
 あの1曲で高橋ジョージ「今も年間1200万円ぐらい黙ってても入る」 
 2010(平成22)年09月15日(水) 08:23 
 演出家のテリー伊藤が夢の印税生活を目指し、奮闘する自身の姿を収めたドキュメンタリー映画「10億円稼ぐ」(11月20日東京で公開)をPRするため東京都内で学生向けセミナーを開催。ゲストの「THE 虎舞竜」の高橋ジョージが、作詞作曲した「ロード」で印税16億円を稼いだと明かし、会場はどよめいた。
 1993(平成五)年01月21日(木)発売の曲は220万枚を売り、高橋は印税をなんと2年で使い切ったそうだが「皆さんがカラオケで1回歌うと7円入りますし、今も年間1200万円ぐらい、黙ってても入ってきます」。何でもないようなことが幸せだったと思うと歌った曲は、とんでもない印税を生み出していて、テリーも降参。 
 https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/09/15/kiji/K20100915Z00000150.html

 浜田省吾 THE SUN ALSO RISES ~日はまた昇る~ ('01.12.17(mon) NHK-BS2) 
 浜田省吾 THE SUN ALSO RISES ~日はまた昇る~ ('02.01.01(tue) NHK-BS2 《再放送》) 
 http://yuu.sky.yamashina.kyoto.jp/sh/index.html

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