ON THE ROAD '85
‡1986(昭和61)年02月19日(水) 横浜文化体育館
MAINSTREET
マイホームタウン
独立記念日
HELLO ROCK & ROLL CITY
LONELY
グッド・ナイト・エンジェル
ラストショー
MIDNIGHT FLIGHT
もうひとつの土曜日
いつわりの日々
DADDY'S TOWN
土曜の夜と日曜の朝
MONEY
DANCE
家路
愛の世代の前に
明日なき世代
(ENCORE)
反抗期
SWEET LITTLE DARLIN'
BIG BOY BLUES
MIRROR
A THOUSAND NIGHTS
http://sunnysday.eco.to/shogo/road/index.html
“February Story”浜田省吾 ON THE ROAD'83~FINAL NHKホール
‡1984(昭和59)年02月19日(日) 開演前
http://monochromerainbow98.blog.fc2.com/blog-entry-224.html
“February Story”浜田省吾 ON THE ROAD'83~FINAL NHKホール
‡1984(昭和59)年02月19日(日) 完全レポ PART.1
http://monochromerainbow98.blog.fc2.com/blog-entry-225.html
“February Story”浜田省吾 ON THE ROAD'83~FINAL NHKホール
‡1984(昭和59)年02月19日(日) 完全レポ PART.4
2014(平成26)年03月03日(月) 20:44
‡1984(昭和59)年02月19日(日) この5日前にも行われた、渋谷公会堂での浜田省吾ON THE ROAD '83 【February Story】に参戦していた構成から曲順・曲目(【SAND CASTLE】からの選曲は別)、M.Cに至るまで殆ど同じ内容ではあったが…この日のLIVEは、その時の記憶を全て吹き飛ばすほどの、感動的なLIVEであった魂の入った、魂を込めた演奏と、繰り広げられる凄まじいエネルギーに圧倒され続けた…そして、感情のこもったM.Cとバラードナンバーに時の経過を忘れて魅入る心…過去最高の素晴らしい、本編のLIVEであった!!そして熱狂覚めやらぬまま、アンコールへと向かっていく…この日より約1年前の
1984(昭和59)年02月22日 自分は大阪フェスティバルホールで行われた、浜田省吾ON THE ROAD '82 ~FINALに参戦していた参戦した理由は、当時の雑誌のインタビューで省吾本人が『大阪の盛り上がりが凄い!』といっていたのを見て、TOUR FINALが重なったのが理由であった。事実、盛り上がりは当時の東京周辺のLIVE会場を凌ぐもので、アンコールを呼ぶオーディエンスの一体感は感動者であったが…
‡1984(昭和59)年02月19日(日) 21:00に指しかかろうとするNHKホール、3千数百のオーディエンスのアンコールを求める声援、手拍子、『省吾コール』は、大阪を遥かに凌ぐ、凄まじいものであった…目の前で繰り広げられた最高のLIVE…その余韻が、まだ続くステージでの演奏に大きな期待と興奮を募らせている 普段より長い休憩があったろうか…それでもオーディエンスの熱は一向に下がることはない そして、ステージに照明が点されると、一気に大歓声が沸き起こる 赤のタンクトップに着替えた浜田省吾を先頭にTHE FUSEのメンバーが手を上げ、声援に応えながら持ち場に着きセッティングに入る5日前の渋谷公会堂では、演奏前に省吾がアカペラで『DO YOU WANA DANCE, UNDER THE MOONLIGHT…』と、洋楽のナンバーを楽しくワンコーラス歌ったが、この日は…~1st、ENCORE~『Un~nn,TOKYO! Un~nn,TOKYO!!』とアカペラで歌いだし、合間あいまでブルースハープを拭き上げる息の続く限りブルースハープを吹き上げると『OK!!』と叫び、ドラムの鈴木俊二が激しいビートを刻みだす!ドラムのリズムに合わせて省吾がTHE FUSEのメンバーを紹介していく!
『DRUMS、鈴木俊二!
BASS、江澤宏明!
KEYBOARDS、一戸清!
SAXOPHONE、古村敏比古!
GUITAR、町支寛二!
PIANO、板倉雅一!
THE FUSE!!ロッケン! ロール!! ロッケン! ロール!!…』マイクを手に持った省吾がステージを左右に動き回りながらオーディエンスとのコール&レスポンスが繰り広げられる踊りながら応えるオーディエンス! アンコールに入っても興奮状態は続いている何度か繰り返され、途中でトーンを落として小さくすると最後は叫ぶようにコール&レスポンスを行い、『ワン・ツー、1.2.3.4!』省吾が叫ぶとTHE FUSEの演奏が始まり、アンコール1曲目が始まる
M-17.【反抗期】アンコールのオープニングはシンプルなロックサウンドの【反抗期】ステージをくまなく動きながら歌う省吾!間奏ではセットで作られたステージ右側のビルの横に取り付けられた非常階段を駆け上り、2階にある踊り場で歌いだすとオーディエンスも大いに盛り上がる(このシーンはON THE ROAD 2011 TOURの【反抗期】が演奏された際に、スクリーンにも映し出されましたね)歌い終えると階段を降りるとそのままステージ中央後方に置かれたフォルクスワーゲンのボンネットに飛び乗り、そこで演奏に合わせて体を揺らしながらブルースハープを吹き上げていく完奏を長めに行う中、省吾をはじめバンドのメンバーが皆楽しそうに笑顔で演奏を繰り広げるそして演奏が終わる瞬間、ボンネットから降りてギターを肩からかけて次の曲へ小気味良いドラムの刻むビートが響き、省吾がオーディエンスに語りかける『一緒に歌うかい?』そう言うと、リズムに合わせてギターを力強く奏で、ポーズを決めてステップを軽く踏む
M-18【DJ お願い!】オーディエンスとの掛け合いで歌われた曲! 合間に弾くギターがとても印象的だった 間髪入れにカウントを叫ぶ省吾 アルバムに収められた曲順通りに次の曲が演奏される
M-19【バックシート ラブ】小気味良いビートにのって歌いだされたナンバー 最初のワンフレーズを歌終えると、そこからはTHE FUSEのメンバーがヴォーカルをつとめた 最初はギターの町支寛二が、次にサックスの古村敏比古、そしてピアノの板倉雅一へと渡り、最後は浜田省吾が歌い上げるそして間奏の演奏が始まると、ステージ上部より紙吹雪が舞い落ちてきた 会場の上部から吊るされたミラーボールも現れる スポットライトを向けて反射する無数の煌く光が、舞い降りる紙吹雪に照らされて幻想的なシーンを醸し出していく紙吹雪の量は想像を超え、、ステージ上が紙吹雪で視界が利かないほど多くの紙吹雪が舞っている 間奏をここでも長めにしてステージで繰り広げられるTHE FUSEとの演奏… 皆、楽しそうに笑顔で演奏を行っている オーディエンスもリズムに合わせて踊り、手拍子で盛り上がっている 演奏が終盤にさしかかり、省吾が『OH YEAH! OH YEAH!! YEAH! YEAH!! 今夜はどうもありがとう!!』こう叫び、演奏が終了する…と思いきや、カウントを叫び、再び【バックシート ラブ】のサビがオーディエンスと歌われていく…6分30秒を超えるロングバージョンでの演奏が終わり、最初のアンコールは幕を降ろす 『省吾』コールが会場に大きくこだまする やはり大阪を凌ぐ、一体となったオーディエンスの熱が込められている そして、それに応えるようにステージに浜田省吾が現れる 白のタンクトップに赤のジャンパーに着替えている…~2nd ENCORE~が、他のメンバー、THE FUSEのメンバーがステージに現れない ON THE ROAD '83 ~秋のツアーでのラストナンバーが通常では演奏されるのだが、浜田省吾一人しかステージに現れないのは…一体何を?そんな思いを感じながらも、期待が高まっていく… そしてマイクスタンドに立つ浜田省吾 大きな声援が送られる中、声援がおさまるのを待つようにして、そしてタンバリンを片手に持ち、アカペラで歌い始める『Llke a long lonely stream I keep runnin't'wards a dream Movin'on, movin'on…』なんと、歌われたのはスティビー・ワンダーの【A PLACE IN THE SUN】このサプライズは…胸に込み上げるものがあった…前年の
1983(昭和58)年08月13日(土)に、福岡で行われた浜田省吾初の野外LIVE【A PLACE IN THE SUN】参戦できなかったが、音源を聴いていたのでこの曲の冒頭は知っていた 驚きと感動の拍手の中、アカペラで歌う省吾 ワンコーラスをゆっくりと聴かせると、そこからテンポを上げてタンバリンを叩きながら歌う 手拍子が大きく叩かれる中、力強く歌い続ける省吾 歌詞の合間でこんなメッセージをオーディエンスに贈るシーンが素晴らしい『悲しい時や辛い時… いつも思い出して欲しい』そこから更に力強く歌い、最後の歌詞ではゆっくりと且つ力を振り絞って歌い上げた…正直、出だしのワンフレーズで終わると思っていたが…この時はなんと、フルでアカペラで歌い上げたのである
M-20【A PLACE IN THE SUN】歌い終えるとTHE FUSEのメンバーがそれぞれの楽器についていく そしてマイクで省吾が伝える『どうもありがとう! 4月29日に横浜スタジアムで【A PLACE IN THE SUN】を行います』そして、ラストナンバーがTHE FUSEから演奏される アルバム【SAND CASTLE】に、ラストナンバーでも収録されたバラードナンバー、【愛しい人へ】
M-21【愛しい人へ】(1982)当時、この曲には個人的にも相当な思い入れがあり、このLIVEのラストナンバーを飾る曲に…ただただ、感動感情を込めて歌い上げる省吾…その姿は涙でぼやけていた…しっとり優しく、魂を込めるようにして歌われた【愛しい人へ】…演奏が終わると大きな拍手に包まれるこうして、【THE FUSE 第2期】のメンバーとの演奏は全て終わったのである…大歓声の中、THE FUSEのメンバーがステージを降り、最後に残った浜田省吾が、ステージ右のレンガ作りのビルの前に座り、その横に置かれたラジカセのスイッチを切るすると、会場に流れていたジャクソンブラウンの曲が止み…ゆっくり立ち上がると背後のビルの扉に向かい、ビルの扉を開けて省吾が去って行く…こうして、浜田省吾ON THE ROAD ’83 【February Story】は幕を閉じた…その時は知らなかったが、実はこのLIVEをもって、THE FUSEのドラム・鈴木俊二と、キーボード・一戸清の両名が脱退することになる…浜田省吾が始めてバンドを組んだ1978年からのメンバー・鈴木俊二、約5年間共に歴史を刻んだ一戸清の脱退は、浜田省吾にとっても悲しく、大きな意味を持つものであった…そんな両名の脱退を、浜田省吾はこのNHKホールでのLIVEでサブタイトル【FIRST FINAL】と名づけ、彼のLIVEにおける一つの記録と記憶を残した…改めて、鈴木俊二氏・一戸清氏が在籍した【THE FUSE】の第2期は、自分にとって感動的なLIVEを多く体感することとなり、現在も浜田省吾を追い続ける大きな要素であることは紛れもない事実である彼らの繰り広げられる演奏は今もこの心に深く刻まれ、どんなLIVEよりもスピード感があり、熱い魂を感じられた荒削りだとか、上手ではないという声もあったが…自分にとって浜田省吾&THE FUSEは永遠である
《追記》実はこのLIVE終了後、一緒に参戦した友・聖君がロビーで、あるアーティストに出会いました。ARBの石橋凌と原田美枝子です(この時はまだ結婚しておらず、付き合っていました)。他のオーディエンスも原田美枝子には気付いていましたが、石橋凌を知る人は殆どこの時にはいませんでした確か、聖君は石橋凌からサインをもらったと記憶してますが…この時の聖君、LIVEの余韻と石橋凌に出会えた2重の喜びに大興奮し、幸福に満ちておりましたね(笑)曲です。その前にこの動画を。確か…1981年1月にNHK・FMでオンエアーされた、浜田省吾&THE FUSEのスタジオライヴの中の、THE FUSEのメンバー一人ひとりの自己紹介です この時はBASSが、岡嶋善文のため、今回のレポで演奏した江澤宏明ではありません そして、曲は…このON THE ROAD '83 FINALでのラストナンバーであり、THE FUSE第2期の最後の演奏となった、【愛しい人へ】その、【SAND CASTLE】ヴァージョンを!
《後記》1981年4月から参戦し始めた浜田省吾のLIVE…33年の歴史が積み重なりました その瞬間、瞬間で行われた素晴らしいLIVEの数々…中でも1980年代に行われたLIVEは今も心の中で躍動し、そのシーンを思い返します
1988(昭和63)年08月20日(土) 浜名湖畔・渚園での【A PLACE IN THE SUN】
1982(昭和57)年01月12日(火) 日本武道館 そして、今回のレポで書いた
‡1984(昭和59)年02月19日(日) NHKホールでのFIRST FINAL この3つのLIVEは、自分にとって決して色褪せることのない屈指のLIVEです。このブログを始めた頃、この【February Story】ON THE ROAD '83 ~FINALのレポを書き上げることが一つの夢でありましたしかし、30年近い年月に記憶の曖昧さがあり、なかなか書くことが出来ませんでした そんな折、偶然知ったBAR【Flash & Shadow】で観たこの日の映像!!衝撃と感動の中、『これで完全レポが書ける』と核心したものです…そして、30年目の
‡2014(平成26)年02月19日(水)からレポを書き出して今回、全てを書き終えました 一つの夢が叶った瞬間でもあります。今回、このレポを書くにあたり、かなりエモーショナルになりすぎてしまい、感情のまま書き綴ったように思います。読みにくい点も多々あるとは思いますが、最後まで完読して頂きまして感謝しております。
http://monochromerainbow98.blog.fc2.com/blog-entry-228.html
‡1983(昭和58)年02月19日(sun) NHKホール ツアー最終日
01. 路地裏の少年
02. 壁にむかって
03. さよならスウィート・ホーム (A1)
04. 独立記念日
05. ロマンスブルー (A2)
06. ROCK&ROLL MEDLEY
07. 片思い (B8)*<入れ替え>
08. いつわりの日々 (B4)
09. 愛という名のもとに (B5)
10. 終わりなき疾走
11. 土曜の夜と日曜の朝
12. ラスト・ダンス
13. OCEAN BEAUTY~マイホームタウン (A6)
14. 愛の世代の前に
15. 明日なき世代
16. Midnight Blue Train
---encore---
17. 反抗期
18. D.J.お願い!~バックシート・ラブ (A7)
19. 愛しい人へ (AB2)
http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11558629641.html
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①┃ 浜田省吾 #20 DANCE ┃
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2016(平成28)年05月23日(月)
1984(昭和59)年08月01日(水)に浜田省吾の12インチシングル「DANCE」が発売になりました。今回はDANCEの話を。
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1984(昭和59)年の春、「ファースト・フィナーレツアー」が終了して間もなく、ぼくは浜田さんとROAD&SKYの事務所で新曲のプリプロ作業を行っていた。プリプロとはプリプロダクションの略称で、本番のレコーディング前にアレンジを煮詰めたり、デモテープを作ったりして本番のレコーディングに備える作業のことを言う。プリプロを行うことで本番のレコーディングの作業がスムーズにはかどり、時間と経費の節約にもなる。「DANCE」と名付けられたその曲はタイトルの通りダンサブルな曲で、浜田さんの意向でダンスチューンにしようと言うことになった。事務所で浜田さんとアレンジを考えたり打ち込み作業を行ったりして、帰りが明け方になることも珍しくなかった。ぼくは疲れて空っぽの状態になりながらも、空が白んで来た国道246を車で走るのが結構好きだった。
‡1984(昭和59)年2月19日(日)のNHKホールでのファースト・フィナーレツアー最終日をもってThe Fuseが消滅して、バンドはぼくと古村くん町支さんの三人だけが残った。暫定のバンド名はHis New Band。そしてそのメンバーを中心として、新曲のレコーディングも行うことになった。ぼくと浜田さんはROAD&SKYの業務が終了した後の、誰もいなくなった事務所に夜な夜な集合してはプリプロに励んだ。当時はまだ音楽制作には欠かせないツールであるMac(アップルコンピュータ)もそんなに普及していない時代で、プリプロの際の打ち込みは簡単なシーケンサーを使って行っていた。ある日、浜田さんがDANCEのイントロのフレーズを思いついたと言って事務所にやって来た。そしてそのフレーズをデジタルのビートが鳴るオケに乗せて、アコースティックピアノで弾いたらどうだろうか?と尋ねて来たので、「それはいいアイデアですね。」とぼくは答えた。狙いは無機質なデジタルビートと、ヒューマンな楽器と演奏との融合だった。最初に完成したDANCEのアレンジは、後にレコードになったアレンジとは少し違っていた。結局最初のバージョンはボツとなったのだが、1984(昭和59)年4月に横浜スタジアムで行われた第二回目の「A Place In The Sun」で初演されたDANCEは、ほぼその最初のバージョンで披露された。横浜スタジアムでの「A Palce In The Sun」が終了して、そこから更にアレンジを練り直して、いよいよDANCEのレコーディングは始まった。レコーディングに使用したスタジオはソニーのスタジオと、東京タワーのすぐ側にあった日音スタジオ。ぼくの記憶に間違いが無ければ、このレコーディングのあたりからスタジオにマルチトラックのデジタルレコーダーが投入されて、本格的なデジタルレコーディングが開始された年だったと思う。このDANCEもSONYのPCM-3324という、デジタルの24トラックレコーダーを使って録音された。当時は最先端のデジタルレコーディングということで狂喜していたが、PCM-3324というレコーダーはスペック的にはまだまだの代物であった。DANCEのレコーディングは打ち込みのドラムとベースを主体のオケに生楽器を重ねていった。間奏の部分は古村くんがカッコ良いホーンアレンジを考えてくれた。レコーディングメンバーは以下の通り。
His New Band
ギター:町支寛二
キーボード:板倉雅一
サックス:古村敏比古
Additional Musician
ドラムス:富岡"Grico"義広
ベース:江澤宏明
キーボード:佐藤準
パーカッション:ペッカー
何故か元The Fuseの江澤くんはAdditional Musician扱いだった。レコーディングではコンピュータとシンセサイザーやドラムマシーン等、最新のテクノロジーが駆使された。今の耳で聴くとさすがに古さを感じるし音もチープなのだが、当時としてはとても贅沢な機材を投入してのレコーディングだった。そして出来上がった作品はアナログ盤12インチシングルとして発売された。B面には「THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY」と題された、ライブテイクが収録された。「THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY」は、浜田さんとThe Fuseが共同でスタジオで練り上げたメドレー作品で、当時の浜田さんとバンドの勢いがそのまま真空パックされているような作品である。しかしながらこれは一体どこの会場で収録されたのだろう?残念ながらぼくははっきりとは覚えていない。 Wikipediaには
1983(昭和58)年渋谷公会堂での収録と記されているが、違うような気もする。何故ならレコードに収録された「THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY」にはホーンセクションが参加しているから。
1983(昭和58)年の渋公にはホーンは参加していなかったような気もするのだが、どうなんだろう?そうなると横浜スタジアムでのバージョンだろうか?これに関してはあまり自信は無い。
浜田さん本人も語っていたが、このメドレーはコンサートのアンコールで歌われていたもので、本編が終わってかなり消耗しているところに、更にそこから十数分にわたるロック絵巻が繰り広げられるのは、バンドとしても演奏していてかなりキツかった。メドレーの最後のほうはみんな手がツリそうになりながら演奏していた。
DANCEは12インチシングルバージョンとは別に、
アルバム「Down By The Mainstreet」に収録されたバージョン、
横浜スタジアムでの「A Palce In The Sun」で初演されたバージョン、
88年のFather's Sonツアーで披露されたバージョン等、多くのアレンジ違いのバージョンが存在する。ぼくは今でもこの曲を聴くと、誰もいない深夜の事務所での浜田さんとのプリプロの光景が浮かんでくる。
写真◆DANCEの12インチシングル。
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②┃ 浜田省吾 #22 A Place In The Sun at 横浜スタジアム ┃
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2016(平成28)年06月04日(土)
1984(昭和59)年04月29日(日)、浜田省吾第二回目のA Place In The Sunが開催されました。今回はその時の話です。
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‡1984(昭和59)年02月19日(日)、NHKホールで終了したファースト・フィナーレツアーをもって第二期The Fuseは消滅した。そして残ったメンバーは町支寛二、古村敏比古、板倉雅一の三人だった。このメンバーを中心とした新たな編成のバンドで、4月に横浜スタジアムで開催されるA Place In The Sunに臨むことになった。The Fuse消滅の寂しさに浸っている間もなく、横浜スタジアムでのバンドメンバーの人選が始まった。自薦、他薦等で集まったメンバーは以下の通り。
ドラムス:菊地丈夫
ドラムス:富岡"Grico"義広
ベース:江澤宏明
ギター:町支寛二
ギター:法田勇虫
キーボード:板倉雅一
キーボード:友成好弘
サックス:古村敏比古
トランペット:兼崎順一、小林正弘
サックス:沢井原兒、包国充
トロンボーン:池谷明宏
コーラス:石川寛爾(かんじ)
ゲストキーボード:佐藤準
ツインドラム、ツインギター、ツインキーボード(曲によってはトリプルキーボード)
という強力な布陣だった。それとオフィシャルのクレジットには載っていないが、コーラスでPAスタッフの石川寛爾が参加していた。石川寛爾は後に作曲家/シンガー・ソングライターに転身し、数々のヒット曲を手がけることになる。
1984(昭和59)年の春、渋谷区初台のレオミュージック・スタジオでリハーサルが始まった。大所帯のバンドのため、広いスタジオの中はメンバーと楽器が入るととても狭く感じられた。ほぼメンバーを一新してのリハーサルだったため、最初の頃はとても大変だった。特にツインドラムの呼吸がなかなか合わずに、ベースの江澤くんはどちらのビートに合わせていいか頭を悩ませていた。そのためドラムスチームは、みんなが帰った後も居残りで呼吸が合うまで練習したりしていた。菊地丈夫さんは浜田さんの数々のアルバムでも叩いている名ドラマー。スタジオミュージシャンとしても、数えきれないくらいたくさんの作品に参加している。もう一人のドラマーの富岡さんは、伝説のロックバンド「TENSAW」のドラマーだった方。通称「グリコ」と呼ばれていた。キーボード隊もぼくと友成くんのコンビに変わったため、アンサンブルのチェックやシンセの音作り等に膨大な時間がかかった。そのため全体でのリハーサルが休みの日に、友成くんにぼくの家に来てもらってシンセの音作りをしたり、アンサンブルの確認をしたりもした。友成くんは角松敏生バンドのキーボード・プレイヤーで、ぼくとはほぼ同世代。聴いていた音楽も共通するものが多かったので、すぐに打ち解けることが出来た。ギターチームもツインギターのアンサンブルやソロの割り振り等、綿密な打ち合わせが行われた。ギターの法田さんは、以前来生たかおさんのバンドでもプレイしていたそうで、ぼくも来生さんと一緒にやっていたことがあったので、法田さんとそんな話で盛り上がったりした。 そして何曲かゲストでキーボードの佐藤準さんが加わった。準さんは浜田省吾のバラードアルバム「Sand Castle」のアレンジャーで、超一流のキーボードプレイヤーでもある。そしてライブでもSand Castleからのナンバーに参加してもらうことになった。佐藤準さんは主にシンセサイザーでの参加だった。準さんが加わってのトリプルキーボードのアンサンブルは本当に強力だった。
セットリストは以下の通り。
01.壁にむかって
02.明日なき世代
03.モダンガール
04.DJお願い~バックシート・ラブ
05.さよならスウィート・ホーム
06.ラストショー
07.風を感じて
08.あの頃の僕
09.愛のかけひき
10.いつかもうすぐ
11.愛しい人へ
12.家路~終りなき疾走
13.独立記念日
14.路地裏の少年
15.陽のあたる場所
16.片想い
17.いつわりの日々
18.愛という名のもとに
19.マイホームタウン
20.土曜の夜と日曜の朝
21.反抗期
22.東京
23.愛の世代の前に
24.OCEAN BEAUTY~僕と彼女と週末に
・アンコール
25.DANCE
26.Little Rocker's Medley?今夜はごきげん~ HIGH SCHOOL ROCK & ROLL~あばずれセブンティーン
27.ON THE ROAD
28.凱旋門 全28曲、約三時間半のコンサートだった。ステージのセットは二階建ての作りで、一階にバンドメンバー、二階部分にホーンセクションとコーラスが配置していた。ぼくの場所はステージの奥まった部分で、ちょうど自分の頭の部分がステージの二階の部分になっていて、まるで屋根付きのガレージのような感じだった。ぼくは実はこの日のコンサートのことをあまりよく覚えていない。断片的に覚えているのは、この日はとても寒くてコンサートの最中にスタッフの私物のジャンパーを借りて衣装の上から着た事、寒さで身体が冷えて本番中にトイレに行きたくなったのだが、トイレがステージからは非常に遠かったため、急遽スタッフが用意した簡易トイレでステージ裏で用を足した事、打ち上げは後日六本木の中華料理店で行われた事等々。コンサートの中で印象的だったのは、中盤の佐藤準さんが加わってのバラード曲のコーナー、初披露されたレコードとはバージョン違いのDANCE、アンコールでの膨大な量の紙吹雪。ぼくは演奏していて何だか不思議な感覚に陥っていた。ステージから客席を見ると、グラウンドやスタンドを埋め尽くした何万という観客の姿は見えるのだが、何だか絵葉書や静止画を見ているようで、そこにお客さんがいるというリアル感が全く無かった。屋外のためなのか、歓声もステージにはあまり届いて来なかった。自分達の演奏している音も風に乗ってどこかにかき消されてしまうような、手応えが感じられないような、ぼくは演奏しながらそんなどこか空回りしているような感覚に陥っていた。勿論ベストは尽くしたし、コンサート終了後の達成感はあったものの、何だか今ひとつすっきりとしない複雑な気分だった。コンサートが終わり、ほどなく自分の車で球場を後にした。外に出ると街の其処彼処に、球場から飛んで来た紙吹雪がちらほら舞っていた。ぼくはコンサートが終わって駅に向かう大勢の人達を横目で見ながら、夜の横浜の街を一人で走っていた。
写真◆1984.4.29(sun) 横浜スタジアム。
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┃ 浜田省吾 #13 The Fuse幻のデモ ┃
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2016(平成28)年04月13日(水)
先日、ぼくがパーソナリティを担当している鎌倉FM『サウンドグローブ』の中で、The Fuseの幻のデモテープというのをオンエアしました。今回はThe Fuseのお話です。
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†1984(昭和59)年02月19日(日)、NHKホールでのファースト・フィナーレ最終公演をもって、The Fuseの歴史も幕を閉じた。もうこのメンバーでのサウンドを奏でる事は永遠に叶わぬ夢となった。
写真◆岡山のイベンター「夢番地」が発行していたThe Fuseの機関誌「Fuse fan」。
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④┃ いっぺいちゃんのこと ┃
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2016(平成28)年03月28日(月)
今回は、ぼくが高校生の頃からの知り合いで、後に浜田省吾&The Fuseの一員として苦楽を共にした盟友、いっぺいちゃんこと一戸清さんのお話です。
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‡1984(昭和59)年02月19日(日)が彼との最後の日になるなど、その時は夢にも思わなかった。
映像★浜田省吾さんからの生メッセージと歌 「君の微笑」ピアノ「君が人生の時」
映像★浜田省吾は肩こりだった SHOGO メドレー 家路 Midnight BT etc Piano https://youtu.be/B-s4aAr2904
**************** http://air.edisc.jp/ima/
①http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/05/20-dance.html
②http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/06/22-place-in-sun-at.html
③http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/04/13-fuse.html
④http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/03/blog-post_28.html
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1986.2.19 横浜文化体育館 ON THE ROAD'85 FINAL
http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11449550309.html
http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11449550309.html
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┃ 浜田省吾 #28 J.BOY 1 ┃
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2016(平成28)年7月23日(土)
1986(昭和61)年の2月にツアーが終了して、いよいよ二枚組の大作「J.BOY」のレコーディングが始まりました。今回はその話を。
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†1986(昭和61)年2月19日(水)、横浜文化体育館で浜田省吾ON THE ROAD 85'が終了した。と同時に約二年間続いたバンドの歴史にピリオドが打たれた。この日は朝から降り続いていた雪の影響で、交通機関が大幅に乱れていた。ぼくも一度は車で出発したものの、道路に雪がかなり降り積もっていたため途中で断念して引き返し、電車で横浜に向かう羽目となった。ON THE ROAD 85'の最終日のコンサートは、それまでいろいろあった二年間の出来事を払拭するような入魂のステージだった。ぼくも清々しい気分で最終日のコンサートを終えた。
1986(昭和61)年3月の上旬、ニューアルバムのレコーディングに向けてのミーティングとプリプロダクションが行われた。ニューアルバムのレコーディングは、町支さん、古村くん、江澤くん、そしてぼくの四人を中心として進めて行くことになった。プロデュースは浜田さん。
1987(昭和62)年2月02日(月) そしてそのメンバー+新たなドラマーが加わることとなった。早速新たなドラマーとのセッションが行われた。そのドラマーは高橋伸之さんという方で、南こうせつさんのバンド等で演奏していたということらしかった。アレンジャーでギタリストの水谷公生さんからの紹介だった。ぼく達は初台のレオミュージック・スタジオで、高橋さんと初めてのセッションをした。その時にどんな曲を演奏したかはよく覚えていないが、10曲程度演奏したと思う。最初の曲を演奏した瞬間にこの人となら安心だ、という直感が働いた。素晴らしいプレイだった。浜田さんも一緒に演奏していたメンバー全員も同じ意見だった。かくして新しいドラマーは高橋伸之さんに決定した。これでニューアルバムのレコーディングメンバーが揃った。ぼく達はレコーディングに入る前に、リハーサルスタジオで何度もプリプロを繰り返した。今回もアレンジはバンドメンバーが分担して手がけることになった。プロデューサーである浜田さんの意向だった。今回のアルバムはもしかしたら二枚組(当時はCDよりもまだアナログ盤が主流)になるかも知れないとのことだった。なのでレコーディングする曲数も多く、ぼく達はどの曲を誰がアレンジするかを決めなくてはならなかった。どのような経緯でアレンジを担当する曲を分担したのかは、はっきりとは覚えていないが、ぼくと町支さん、古村くん、江澤くんの四人がほぼ均等な曲数を担当することになった。アルバム「J.BOY」収録曲の中で、ぼくがアレンジした曲は以下の通り(共同アレンジ名義の曲も含む)
・A NEW STYLE WAR
・BIG BOY BLUES
・LONELY-愛という約束事
・もうひとつの土曜日
・遠くへ - 1973年・春・20才
・SWEET LITTLE DARLIN'
・J.BOY
・滑走路 - 夕景 ぼくは18曲中8曲のアレンジを担当することになった。そんなに日程に余裕があるわけでは無かったが、幸いツアーは終了していたので家でアレンジを考える時間はあった。ぼくが担当する8曲の内、4曲は(BIG BOY BLUES、LONELY-愛という約束事、もうひとつの土曜日、SWEET LITTLE DARLIN')すでにシングルとして発表済みで、アレンジもすべてぼくが担当していたので、今回アルバムバージョンとして再録音は行うものの、そんなに大幅にアレンジを変えるつもりは無かった。しかし唯一「BIG BOY BLUES」だけは、町支さんによるアレンジで新たにレコーディングを行った。ぼくがアレンジしたバージョンとはまた違ったテイストのカッコいいアレンジだったが、結局町支さんアレンジの「BIG BOY BLUES」はアルバムには収録されなかった。理由はぼくにも分からない。そんな訳で「BIG BOY BLUES」は、再びぼくのアレンジで再録音することとなった。おそらくもうテープは残っていないのだろうが、もしも出来る事なら町支さんがアレンジした、幻の「BIG BOY BLUES」をもう一度聴いてみたい。「LONELY-愛という約束事」「もうひとつの土曜日」「SWEET LITTLE DARLIN'」の3曲も、大幅にアレンジを変えることはしないで新たにレコーディングし直した。「LONELY-愛という約束事」はシングルバージョンには無い、イントロの導入部分にちょっとしたフックを付け足した。
「もうひとつの土曜日」はシングルバージョンではアコースティック・ピアノをプレイしたが、アルバムバージョンではヤマハDX5によるエレクトリック・ピアノを演奏した。楽器の編成もシングルバージョンよりも意識的にシンプルな編成にした。
「A NEW STYLE WAR」は浜田さんと古村くん、そしてぼくの3人での共同アレンジ。浜田さんからの様々なアイデアやインスピレーションを具現化して、主にアレンジを担当したのは古村くん。ぼくはシンセサイザーのリフのフレーズや、コード付け等、主にウワモノの楽器関連のアレンジを担当した。
「SWEET LITTLE DARLIN'」もシングルバージョンよりシンプルなアレンジで、よりR&B色を全面に押し出したサウンドになった。ぼくがアレンジを担当した残りの3曲は結構苦戦した。
「遠くへ - 1973年・春・20才」は浜田さんが昔から大切にして来た曲だった。歌詞の世界観を膨らませるようなサウンドにしようと、ぼくは色々と試行錯誤を繰り返した。この曲のサウンドの要は江澤くんが弾くシンセサイザー・ベース。ぼくはこの頃、デビッド・フォスターやマイケル・オマーティアンといった、ロスアンゼルスを中心に活躍していたプロデューサー/キーボーディストに傾倒していて、彼等の作り出すサウンドにかなり影響を受けていた。特にデビッド・フォスターの弾くシンセベースにはとても衝撃を受けた。当時シンセベースと言えばコンピュータによる打ち込みの演奏が当たり前の時代において、デビッド・フォスターは自分のプロデュースした殆どの楽曲のシンセベースを、コンピュータによる打ち込みではなく自らの手で弾いていた。ぼくはこの曲にそんな手弾きによるシンセベースのテイストを入れたかったので、打ち込みによるシンセベースではなく、江澤くんに手弾きしてもらった。彼は本来はベーシストであってキーボード・プレイヤーではないのだが、実はかなりなキーボードの腕前の持ち主でもあった。手弾きによるシンセベースも、ぼくが弾くよりもずっと上手かったので、江澤くんにプレイしてもらうことにした。以下続く。
写真◆アナログ盤と同時発売されたオリジナルCD盤。当時の価格は5,000円。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/07/28-jboy-1.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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映像◆爆笑問題の日曜サンデー「27人の証言」力道山
2012(平成24)年2月19日(sun)放送。後半には生証言ゲストとして氏の未亡人、田中敬子さんが登場。それ以外の証言者も特濃!
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17032310
1984(昭和59).02.19(sun)映像◆浜田省吾 ON THE ROAD ダイジェスト http://youtu.be/HwgRXguMS5U
“February Story”浜田省吾 ON THE ROAD '83~FINAL NHKホール 1984年2月19日(日)完全レポ PART.4
http://monochromerainbow98.blog.fc2.com/blog-category-38.html
ON THE ROAD'85
自:1985/05/25 東京よみうりランド"EAST"
至:1986/02/19 横浜文化体育館
http://ameblo.jp/bar-flashandshadow/archive4-201011.html
“February Story”浜田省吾 ON THE ROAD '83~FINAL NHKホール 1984年2月19日(日)完全レポ PART.4
http://monochromerainbow98.blog.fc2.com/blog-category-38.html
1984年2月19日…
この5日前にも行われた、渋谷公会堂での浜田省吾ON THE ROAD '83 【February Story】に参戦していた
構成から曲順・曲目(【SAND CASTLE】からの選曲は別)、M.Cに至るまで殆ど同じ内容ではあった
が…この日のLIVEは、その時の記憶を全て吹き飛ばすほどの、感動的なLIVEであった
魂の入った、魂を込めた演奏と、繰り広げられる凄まじいエネルギーに圧倒され続けた…
そして、感情のこもったM.Cとバラードナンバーに時の経過を忘れて魅入る心…
過去最高の素晴らしい、本編のLIVEであった!!
そして熱狂覚めやらぬまま、アンコールへと向かっていく…
この日より約1年前の2月22日
自分は大阪フェスティバルホールで行われた、浜田省吾ON THE ROAD '82 ~FINALに参戦していた
参戦した理由は、当時の雑誌のインタビューで省吾本人が
『大阪の盛り上がりが凄い!』といっていたのを見て、TOUR FINALが重なったのが理由であった。
事実、盛り上がりは当時の東京周辺のLIVE会場を凌ぐもので、アンコールを呼ぶオーディエンスの一体感は感動者であった
が…
1984年2月19日(日)21:00に指しかかろうとするNHKホール、3千数百のオーディエンスのアンコールを求める声援、手拍子、『省吾コール』は、大阪を遥かに凌ぐ、凄まじいものであった…
目の前で繰り広げられた最高のLIVE…その余韻が、まだ続くステージでの演奏に大きな期待と興奮を募らせている
普段より長い休憩があったろうか…それでもオーディエンスの熱は一向に下がることはない
そして、ステージに照明が点されると、一気に大歓声が沸き起こる
赤のタンクトップに着替えた浜田省吾を先頭にTHE FUSEのメンバーが手を上げ、声援に応えながら持ち場に着きセッティングに入る
5日前の渋谷公会堂では、演奏前に省吾がアカペラで
『DO YOU WANA DANCE, UNDER THE MOONLIGHT…』と、洋楽のナンバーを楽しくワンコーラス歌ったが、この日は…
~1st、ENCORE~
『Un~nn,TOKYO! Un~nn,TOKYO!!』とアカペラで歌いだし、合間あいまでブルースハープを拭き上げる
息の続く限りブルースハープを吹き上げると、
『OK!!』と叫び、ドラムの鈴木俊二が激しいビートを刻みだす!
ドラムのリズムに合わせて省吾がTHE FUSEのメンバーを紹介していく!
『DRUMS、鈴木俊二!
BASS、江澤宏明!
KEYBOARDS、一戸清!
SAXOPHONE、古村敏比古!
GUITAR、町支寛二!
PIANO、板倉雅一!
THE FUSE!!
ロッケン! ロール!! ロッケン! ロール!!…』
マイクを手に持った省吾がステージを左右に動き回りながらオーディエンスとのコール&レスポンスが繰り広げられる
踊りながら応えるオーディエンス! アンコールに入っても興奮状態は続いている
何度か繰り返され、途中でトーンを落として小さくすると最後は叫ぶようにコール&レスポンスを行い、
『ワン・ツー、1.2.3.4!』省吾が叫ぶとTHE FUSEの演奏が始まり、アンコール1曲目が始まる
M-17.【反抗期】(1980)
アンコールのオープニングはシンプルなロックサウンドの【反抗期】
ステージをくまなく動きながら歌う省吾!
間奏ではセットで作られたステージ右側のビルの横に取り付けられた非常階段を駆け上り、2階にある踊り場で歌いだすとオーディエンスも大いに盛り上がる
(このシーンはON THE ROAD 2011 TOURの【反抗期】が演奏された際に、スクリーンにも映し出されましたね)
歌い終えると階段を降りるとそのままステージ中央後方に置かれたフォルクスワーゲンのボンネットに飛び乗り、そこで演奏に合わせて体を揺らしながらブルースハープを吹き上げていく
完奏を長めに行う中、省吾をはじめバンドのメンバーが皆楽しそうに笑顔で演奏を繰り広げる
そして演奏が終わる瞬間、ボンネットから降りてギターを肩からかけて次の曲へ
小気味良いドラムの刻むビートが響き、省吾がオーディエンスに語りかける
『一緒に歌うかい?』
そう言うと、リズムに合わせてギターを力強く奏で、ポーズを決めてステップを軽く踏む
M-18.【DJ お願い!】(1982)
オーディエンスとの掛け合いで歌われた曲!
合間に弾くギターがとても印象的だった
間髪入れにカウントを叫ぶ省吾
アルバムに収められた曲順通りに次の曲が演奏される
M-19.【バックシート ラブ】(1982)
小気味良いビートにのって歌いだされたナンバー
最初のワンフレーズを歌終えると、そこからはTHE FUSEのメンバーがヴォーカルをつとめた
最初はギターの町支寛二が、次にサックスの古村敏比古、そしてピアノの板倉雅一へと渡り、最後は浜田省吾が歌い上げる
そして間奏の演奏が始まると、ステージ上部より紙吹雪が舞い落ちてきた
会場の上部から吊るされたミラーボールも現れる
スポットライトを向けて反射する無数の煌く光が、舞い降りる紙吹雪に照らされて幻想的なシーンを醸し出していく
紙吹雪の量は想像を超え、、ステージ上が紙吹雪で視界が利かないほど多くの紙吹雪が舞っている
間奏をここでも長めにしてステージで繰り広げられるTHE FUSEとの演奏…
皆、楽しそうに笑顔で演奏を行っている
オーディエンスもリズムに合わせて踊り、手拍子で盛り上がっている
演奏が終盤にさしかかり、省吾が
『OH YEAH! OH YEAH!! YEAH! YEAH!! 今夜はどうもありがとう!!』
こう叫び、演奏が終了する…と思いきや、カウントを叫び、再び【バックシート ラブ】のサビがオーディエンスと
歌われていく…
6分30秒を超えるロングバージョンでの演奏が終わり、最初のアンコールは幕を降ろす
『省吾』コールが会場に大きくこだまする
やはり大阪を凌ぐ、一体となったオーディエンスの熱が込められている
そして、それに応えるようにステージに浜田省吾が現れる
白のタンクトップに赤のジャンパーに着替えている…
~2nd ENCORE~
が、他のメンバー、THE FUSEのメンバーがステージに現れない
ON THE ROAD '83 ~秋のツアーでのラストナンバーが通常では演奏されるのだが、浜田省吾一人しかステージに現れないのは…一体何を?
そんな思いを感じながらも、期待が高まっていく…
そしてマイクスタンドに立つ浜田省吾
大きな声援が送られる中、声援がおさまるのを待つようにして、そしてタンバリンを片手に持ち、アカペラで歌い始める
『Llke a long lonely stream
I keep runnin't'wards a dream
Movin'on, movin'on…』
なんと、歌われたのはスティビー・ワンダーの【A PLACE IN THE SUN】
このサプライズは…胸に込み上げるものがあった…
前年の8月13日に、福岡で行われた浜田省吾初の野外LIVE【A PLACE IN THE SUN】
参戦できなかったが、音源を聴いていたのでこの曲の冒頭は知っていた
驚きと感動の拍手の中、アカペラで歌う省吾
ワンコーラスをゆっくりと聴かせると、そこからテンポを上げてタンバリンを叩きながら歌う
手拍子が大きく叩かれる中、力強く歌い続ける省吾
歌詞の合間でこんなメッセージをオーディエンスに贈るシーンが素晴らしい
『悲しい時や辛い時… いつも思い出して欲しい』
そこから更に力強く歌い、最後の歌詞ではゆっくりと且つ力を振り絞って歌い上げた…
正直、出だしのワンフレーズで終わると思っていたが…この時はなんと、フルでアカペラで歌い上げたのである
M-20.【A PLACE IN THE SUN】
歌い終えるとTHE FUSEのメンバーがそれぞれの楽器についていく
そしてマイクで省吾が伝える
『どうもありがとう!
4月29日に横浜スタジアムで【A PLACE IN THE SUN】を行います。』
そして、ラストナンバーがTHE FUSEから演奏される
アルバム【SAND CASTLE】に、ラストナンバーでも収録されたバラードナンバー、【愛しい人へ】
M-21.【愛しい人へ】(1982)
当時、この曲には個人的にも相当な思い入れがあり、このLIVEのラストナンバーを飾る曲に…ただただ、感動
感情を込めて歌い上げる省吾…その姿は涙でぼやけていた…
しっとり優しく、魂を込めるようにして歌われた【愛しい人へ】…演奏が終わると大きな拍手に包まれる
こうして、【THE FUSE 第2期】のメンバーとの演奏は全て終わったのである…
大歓声の中、THE FUSEのメンバーがステージを降り、最後に残った浜田省吾が、ステージ右のレンガ作りのビルの前に座り、その横に置かれたラジカセのスイッチを切る
すると、会場に流れていたジャクソンブラウンの曲が止み…
ゆっくり立ち上がると背後のビルの扉に向かい、ビルの扉を開けて省吾が去って行く…
こうして、浜田省吾ON THE ROAD ’83 【February Story】は幕を閉じた…
その時は知らなかったが、実はこのLIVEをもって、THE FUSEのドラム・鈴木俊二と、キーボード・一戸清の両名が脱退することになる…
浜田省吾が始めてバンドを組んだ1978年からのメンバー・鈴木俊二、約5年間共に歴史を刻んだ一戸清の脱退は、浜田省吾にとっても悲しく、大きな意味を持つものであった…
そんな両名の脱退を、浜田省吾はこのNHKホールでのLIVEでサブタイトル【FIRST FINAL】と名づけ、彼のLIVEにおける一つの記録と記憶を残した…
改めて、鈴木俊二氏・一戸清氏が在籍した【THE FUSE】の第2期は、自分にとって感動的なLIVEを多く体感することとなり、現在も浜田省吾を追い続ける大きな要素であることは紛れもない事実である
彼らの繰り広げられる演奏は今もこの心に深く刻まれ、どんなLIVEよりもスピード感があり、熱い魂を感じられた
荒削りだとか、上手ではないという声もあったが…自分にとって浜田省吾&THE FUSEは永遠である
《追記》
実はこのLIVE終了後、一緒に参戦した友・聖君がロビーで、あるアーティストに出会いました。
ARBの石橋凌と原田美枝子です(この時はまだ結婚しておらず、付き合っていました)。
他のオーディエンスも原田美枝子には気付いていましたが、石橋凌を知る人は殆どこの時にはいませんでした
確か、聖君は石橋凌からサインをもらったと記憶してますが…
この時の聖君、LIVEの余韻と石橋凌に出会えた2重の喜びに大興奮し、幸福に満ちておりましたね(笑)
曲です。その前にこの動画を。確か…1981年1月にNHK・FMでオンエアーされた、浜田省吾&THE FUSEのスタジオライヴの中の、THE FUSEのメンバー一人ひとりの自己紹介です
この時はBASSが、岡嶋善文のため、今回のレポで演奏した江澤宏明ではありません
そして、曲は…このON THE ROAD '83 FINALでのラストナンバーであり、THE FUSE第2期の最後の演奏となった、
【愛しい人へ】その、【SAND CASTLE】ヴァージョンを!
《後記》
1981年4月から参戦し始めた浜田省吾のLIVE…33年の歴史が積み重なりました
その瞬間、瞬間で行われた素晴らしいLIVEの数々…
中でも1980年代に行われたLIVEは今も心の中で躍動し、そのシーンを思い返します
1988年8月 浜名湖畔・渚園での【A PLACE IN THE SUN】
1982年1月 日本武道館
そして、今回のレポで書いた
1984年2月19日 NHKホールでのFIRST FINAL
この3つのLIVEは、自分にとって決して色褪せることのない屈指のLIVEです。
このブログを始めた頃、この【February Story】ON THE ROAD '83 ~FINALのレポを書き上げることが一つの夢でありました
しかし、30年近い年月に記憶の曖昧さがあり、なかなか書くことが出来ませんでした
そんな折、偶然知ったBAR【Flash & Shadow】で観たこの日の映像!!
衝撃と感動の中、『これで完全レポが書ける』と核心したものです…
そして、30年目の
■2014年2月19日からレポを書き出して今回、全てを書き終えました
一つの夢が叶った瞬間でもあります。
今回、このレポを書くにあたり、かなりエモーショナルになりすぎてしまい、感情のまま書き綴ったように思います。
読みにくい点も多々あるとは思いますが、最後まで完読して頂きまして感謝しております。
SEVEN CROWN