過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)


 ☆「徹子の部屋」コンサート2023
<東京公演>
‡2023(令和五)年11月22日(水) 東京国際フォーラム ホールA
 ゲスト:岩崎宏美/坂本冬美/南こうせつ/山内惠介/LE VELVETS
 https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20230717.html
 https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20230517.html
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 ┃ 『トットちゃん!』 ┃テレビ朝日系列
 ┗━━━━━━━━━━━┛ 12:30~12:50
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 |2017(平成29)年11月20日(月) 第08週 第36話|演出・・・星田良子
 |2017(平成29)年11月21日(火) 第08週 第37話|演出・・・星田良子
‡|2017(平成29)年11月22日(水) 第08週 第38話|演出・・・星田良子
 |2017(平成29)年11月23日(木) 第08週 第39話|演出・・・星田良子
 |2017(平成29)年11月24日(金) 第08週 第40話|演出・・・星田良子
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93!
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 ┃『トットチャンネル~徹子の小さな放送局~』あいさつチャンネル┃
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‡2003(平成15)年11月22日(土) 教科書に登場
 平成16年度の大学生向け英語の教科書『ECOLOGY AND BUSINESS』(南雲堂)に登場しました。文学座やニューヨーク演劇学校での初期の足跡を辿りながら、テレビや舞台、文芸振興に活躍する中で“社会福祉に貢献する姿”が生き生きと紹介されていますヨ(=^◇^=)
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‡2003(平成15)年11月22日(土)『放浪記』に出演します
 森光子さんの『放浪記』
 2003(平成15)年12月02日(火)から
 2003(平成15)年12月28日(日)まで芸術座に出演しますが、チケットは発売と同時に売り切れで、観てください、とお誘いできないのが残念ですが、元気でやっています。芸術座は なんと 36年ぶりになります 最期に 出たのが つまり 36年前ですが 谷崎潤一郎の 台所太平記で 森光子さんも 越路吹雪さんも 私も みんな 谷崎家のお手伝いさんでした それから わたしは NYに 行ったりして その後 新劇系の ところに 出演していて この 15年くらいは ル・テアートル銀座(もとセゾン劇場)に 毎年 出ています 個人的には 森光子さんとは しじゅうFAXを やりとりする仲なんですが いつか 一緒に 芝居やりたいと 言っていて やっと 今回 実現したのです。林芙美子の 色んな意味で ライバルといった存在の 日夏京子と いう 役です いろいろな方が おやりになっています とても 楽しみに 私らしい 日夏京子を 作るべく お稽古に はげんでいます まわりの皆さんは もう 何年も やっていらっしゃるので わたしだけが 新参者という 感じです でも それが 新鮮でいい と 森さんが おっしゃってくださっているので 安心して でも 緊張して やるべく 資料などもいろいろ 集めて(実在の 人なので。 吊前は 違いますが 真剣に取り組んで います ところで 驚いた事に 切符が 即日完売!  いま 切符がなくて いつもだと 何枚か 私の 事務所が獲得しておくのですが 今回は なんとも 手に入らず みんな 困って います で これは 1週間前に 聞いたんですが 知り合いが 銀座の金券ショップに行ったら かべに 12月の放浪記の 千秋楽の 切符あります と かいてあったので 念のためと 思って いくら?と 聞いたら な、な、、なんと 15万円! と 言ったのだそうです なんか それを 聞いたら 申し訳なくて 詐欺師! と言われないような 演技を しないと と 恐縮しています そんなわけで いま 36年ぶりの 芸術座に お久し振り!と 言っているところです ちなみに 来年は 3月と4月に 四国と 中国地方に 芝居の旅で 行きます 芝居は 喜劇キューリー夫人 です フランスの いま 一番売れっ子の 劇作家が モリエール賞など いくつも とった 面白い芝居です ル・テアートルでもやりました ただ このたびは その地域の 演劇鑑賞会 または市民劇場という のの 会員にならないと 見られないのです でも このシステムは アメリカにもない 凄い 演劇を見る良いチャンスの システムなのです 1ヶ月 2千円くらい(場所によって 多少違うようですが)それを 地域の 演鑑か市民劇場に 毎月払って いただきますと 1年に 5回か 6回 東京などからの 選りすぐった芝居が 見られると いう システムなのです テレビとか 映画と 違って 芝居は その場所で みんなが同じ空気を 吸いながら 笑ったり 涙したり出きるのです 俳優の エネルギーに ふれることも 出きるのです 今年の 3月と4月は 神奈川県とか 東北とかを 回りました 今年は 『幸せの背くらべ』と言う芝居で 『キユーリー夫人』と毎年交代で やってます ですから 再来年は 『幸せの背くらべ』と いうわけです  いま 私が 必死にご説明してるのは なるたけ 若いかたに そう言うのの 会員になって頂いて 芝居を 好きになって 欲しいからなのです。 少なくとも 私の 出るものは 必ず 見てくださったあとに 元気が出たとか 笑ったとか 感動した とか 言って頂けるものなのです お約束します これは 私 ウソつかない です   まあ 放浪記の話から 逸れましたけど 演劇 芝居をぜひ みて 頂きたいという 御願いになりました もよりの 演劇鑑賞会(演鑑) または 市民劇場をたずねて これからさき どういうものが 来るのか 調べてご覧になるのも 面白いと 思います ポスターとか チラシとか あまり 必要無いわけですから 会員の数で ホールを借りて 人数と客席を計算して この町では 何日 と言う風に やるわけです そして 県の中で いくつかの 町とか市をまわるので 装置なども 近くに運搬するわけだし 俳優も 次の町なりに 電車などで 移動と いうことなので 安く見られと 言うわけです もし この システムでなければ とても この お値段では 一ヶ月おきに 質のいい芝居を 見ることは 出来ません 興味があるかたは チャレンジしてみてください ちなみに 来年の四国の旅の まわる 場所を かいて見ます そうすれば ほかの 地域のかたは  どのあたりに その 入会する場所があるか 目安になると おもいます いま 聞いてるかぎりですので 多少の変更は あるかもしれませんが まず このような 具合です 来年2004年の 四国と 中国地方です。3月です 鳴門 徳島 阿南市 松山 中村 須崎 高知市  前は 宿毛とか いろいろあったのですが、 そして  尾道 福山 出雲 米子 松江 鳥取  このあと 4月も つずくのですが ノートに 書いてないので スイマセン 次の機会に かいておきます その場所で 何日やるかは 会員の数で 決まると申し上げました。 例えば高知市では 4日間 やります  勿論 一日のところも あります では また ことしも あと少しですが この 1ヶ月を なんとか 充実したものにして 新しい年に はいる!と みんなで 出きるだけの ことを しようでは ございませんか。ちょっとのつもりが このように 長くなりました おしゃべりのひとは メールも FAXも 長い と 相場は 決まっております。うがいを 忘れずに! 手もよく 洗うことも!
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 小説新潮に連載していましたエッセイが本になりました
 2001(平成13)年11月16日(金) トークショー 案内
‡2001(平成13)年11月22日(木)『小さいときから考えてきたこと』新潮社・発売
 2001(平成13)年12月08日(土) ごご2時30分(よみうりホール)
 記念してトークショーを開きます。
 チケットは前売りのみ:チケットぴあ 03-5237-9999 3,800円(サイン入り著書付き)
 第一部 田沼武能(写真家)+黒柳徹子  スライド上映「世界の子どもたち《
 第二部 小沢昭一+黒柳徹子「私たちが子どもだったころ《
 http://www.inv.co.jp/~tagawa/totto/message.html
 ┏━━━━━━━━━┓
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1976(昭和51)年11月22日(月)久我美子
②1977(昭和52)年11月22日(火)中村敦夫
③1978(昭和53)年11月22日(水)木原光知子
④1979(昭和54)年11月22日(木)南風洋子
⑤1982(昭和57)年11月22日(月)中村敦夫
⑥1983(昭和58)年11月22日(火)瀧田項一
⑦1984(昭和59)年11月22日(木)林寛子
⑧1985(昭和60)年11月22日(金)大和田獏
⑨1988(昭和63)年11月22日(火)若山弦蔵
⑩1989(平成元)年11月22日(水)波多野栄一
⑪1990(平成二)年11月22日(木)大内順子
⑫1991(平成三)年11月22日(金)放送なし
⑬1993(平成五)年11月22日(月)太田裕美
⑭1994(平成六)年11月22日(火)高橋和也
⑮1995(平成七)年11月22日(水)坂上二郎
 ┏━━━━━━━━━┓
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑯1996(平成八)年11月22日(金)田部井淳子
 ┏━━━━━━━━━┓
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
 2001(平成13)年11月22日(木)ヒロコ・ムトー
 2006(平成18)年11月22日(水)仲村トオル
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年11月22日(金) 大滝秀治 |第回
 └─―――――――――――――――――┘放送日の出来事・・・高円宮様逝去 
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-11-22.html
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 |2001(平成13)年11月22日(木) ヒロコ・ムトー |第回
 └─――――――――――――――――――――┘
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2001/h13_11_22.html
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 |2006(平成18)年11月22日(水) 仲村トオル |第回
 └─――――――――――――――――――┘「8歳2歳娘の育児に夢中」
 http://up-beat.pos.to/tetsuko/t_calendar.htm#2006年
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 |2007(平成19)年11月22日(木) 吉田 栄作 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「鮮烈デビューの裏に苦悩…」かつて「女子大生に抱かれたい男No.1」に輝いた吉田栄作さん。17年前に初めて出演した当時の姿をVTRで振り返りながら、実力派俳優に登りつめるまでの胸中を語る。今だから明かす苦悩とは?私生活では、牛乳パックなどを自分で洗ってスーパーの回収BOXへ持ち込み、リサイクルに励んでいるとか。飾らない素顔が魅力的だ。  
 映画「ミッドナイトイーグル」11月23日(金)より全国ロードショー配給:松竹www.midnighteagle.jp
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/071122.html
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 |2010(平成22)年11月22日(月) 中村メイコ |第回
 └─――――――――――――――――――┘「76歳…人生の終いじたく」芸歴73年を誇る女優の中村メイコさんが、今日も「メイコ流」のお洒落なファッションで登場。そんな中村さんが、取組み始めたのが“人生の終(しま)いじたく”。人生のゴールを迎える時の“要望事項“を明かすが、その中身とは?親友・美空ひばりさんの意外な秘話や、45年前に黒柳が中村さんに吐いた大胆発言が明かされるなど、スタジオは大いに盛り上がる。
 中村メイコさんの新著「人生の終いじたく」を紹介します。青春出版から発売中です。定価1400円  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/101122.html
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 |2011(平成23)年11月22日(火) 音無美紀子 村井麻友美|第9108回
 └─―――――――――――――――――――――――┘「音無美紀子 娘と初共演 村井国夫は妻にザンゲ」女優の音無美紀子さんが、同じ女優の道を歩む愛娘の村井麻友美さんを伴って登場。結婚当初「子どもは苦手」と言っていた夫の村井邦夫さんだが、麻友美さんが誕生するや激変!娘自慢のために家庭用の大きなアルバムを持ち歩くほどになったとか。今日はそんな村井さんからサプライズのメッセージVTRが…。ひたすら妻の音無さんに謝る姿が。
 ☆音無美紀子さんの本「がんもうつも ありがとう!と言える生き方」発売:青春出版社 ¥1,470(税込)お問合せ:03-3203-5121
 ☆母娘二人芝居「葉桜」 再演の予定はありません。 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/111122.html
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 |2012(平成24)年11月22日(木) 近藤 真彦 |第9364回
 └─――――――――――――――――――┘「69歳で逝った父へ感謝…長男5歳に」2010年にレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、歌手として一段とパワーアップした近藤真彦さんが登場。私生活でも愛息が5歳に成長し、父子で過ごす時間を存分に楽しんでいるという。早くに母親を亡くした近藤さんは今年の5月に最愛の父を送ったばかり。今日は、30年来の付き合いを続ける黒柳にしみじみと胸のうちを…。感動のエピソードが次々と。
 ☆新曲「Let’s Go!」発売中 お問い合わせ:ソニーミュージック・カスタマーインフォメーションセンター 平日10時~18時 03-3515-5111 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/121122.html
★近藤真彦 結婚を実現させた「黒柳さんの手紙」
 2012(平成24)年11月24日(土) 07:00 JST
 50枚目のシングル『Let’s Go!』の発売記念に『徹子の部屋』(テレビ朝日系)へゲスト出演(11月22日(木)放送予定)した近藤真彦(48)。マッチと徹子さんは、最低でも月に1度は食事に、旅行は毎年一緒に行くほどの間柄だ。2人の出会いは『ザ・ベストテン』。マッチは「文化人の方とか、音楽関係のお友達が多いなか、当時まだ若かったアイドルの僕とも親しくしてくれたのがとてもうれしかった」と、当時のことを振り返る。
「僕が舞台で『坊ちゃん』をやるとき、黒柳さんに『原作を読みなさい』って言われたのに聞き入れなかったら『わかったわ』って、1週間もたたないうちに自分で原作を朗読したテープを2本くれました。『移動中にでも聞きなさい』って。そのテープは今も大事にしています」その後、マッチの母親が亡くなってからは、「私は芸能界のお母さんよ」と徹子さんがいってくれるようになったこともあり、2人の距離はさらに近くなっていったという。マッチが結婚する際にはこんなエピソードがあったという。
「(妻の両親に)結婚を反対されたとき、黒柳さんが『わかったわ。私はあなたのいいところを、よーく知っているから』と妻の両親に手紙を書いてくれました。”あなたたちの思っているような子ではありません”みたいな内容で。それで向こうの両親に許してもらえた。あの手紙も大切に持っています」
「黒柳さんは、僕にとっては本当の母親のような存在」(マッチ)、「引退の時期はマッチに判断してもらうから」(徹子さん)と互いに公言している2人の間には、何でも包み隠さない、温かい信頼関係があるようだ。
 http://jisin.jp/serial/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%A1/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%A1/18156
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 |2013(平成25)年11月22日(金)  都 はるみ|第9619回
 └─――――――――――――――――――┘「認知症に…亡母の感動秘話を」歌手生活50周年の都はるみさんがゲスト。両親は京都で西陣帯を織っていたが、独特の「うなり節」は母の松代さんが仕事の合間に伝授したものだったという。そんな母は、晩年に糖尿病を患い両足を切断。認知症になってからは自分の事を「都はるみ」と思い込み、娘のヒット曲を入院先の病院で歌っていたという。今日は母への想いも込めて熱唱を。 
 ☆都はるみさんの新曲は「ありがとう おかげさん」日本コロムビアより発売中
 ☆コンサートは、「芸能生活50周年記念コンサート」12月11日(水)明治座にて 昼の部 12:00~ 夜の部 16:30~ 問い合わせ:03-3666-6666 明治座チケットセンター 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/131122.html
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2016(平成28)年11月22日(火) 加藤登紀子 |「“ともだち”永六輔が遺した詞を歌に」
 └─――――――――――――――――――┘
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20161122.html
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 |2017(平成29)年11月22日(水) 磯村みどり |「NHKの三人娘」は77歳の青春謳歌」
 └─――――――――――――――――――┘黒柳の後輩に当たり、NHKの専属女優として活躍した磯村みどりさん。77歳の今も変わらぬ美しさで登場する。「NHKの三人娘」と青春スターの座を築いたが、その後結婚が絡むストレスから声を失い、入院治療を余儀なくされた。療養中に画の勉強を重ねた事が幸いして、染色家として「花びら染め」という技法を駆使した作品を発表。スタジオには見事な作品を展示する。また共に暮らしていた父が102歳で急逝。親と向き合う暮らしから、自分を楽しませる生き方にスイッチを切り替えたという磯村さんの“77歳の青春”を聞く。 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20171122.html
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 |2018(平成30)年11月22日(木) 渡辺貞夫 |
 └─―――――――――――――――――┘「85歳!5kgのサックスで演奏を」
 昭和26年にプロデビューし、芸歴は何と67年!85歳の今も現役アルトサックス奏者として活躍する“世界のナベサダ”こと渡辺貞夫さんを迎える。2年前にネパール大地震の被災地を訪ね、現地の子ども達と音楽で交流する時間を過ごした。今日は震災復興への思いを込めて『花は咲く』の演奏を披露する。また黒柳がサックス演奏に挑戦する場面も!? 
 ☆大阪市中央公会堂100周年記念 SADAO WATANABE with strings Christmas Dreams 12/9(日)大阪市「大阪市中央公会堂」お問合わせ先:キョードーインフォメーション 電話:0570-200-888
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20181122.html
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 |2019(令和元)年11月22日(金) 吉幾三& 娘 寿三美 |
 └─――――――――――――――――――――――┘「父娘で初登場!「津軽弁」談義に黒柳大爆笑」※解説放送
 ☆吉幾三特別公演 12月1日(日)~18日(水)大阪新歌舞伎座
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20191122.html
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
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 |2021(令和二)年11月22日(月) LiLiCo |
 └─――――――――――――――――┘「膝のお皿が割れ…不運が重なり大悲劇」
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20211122.html
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 |2022(令和四)年11月22日(火)|
 |  動物写真家 岩合光昭  |
 └─――――――――――――┘「世界を魅了!一流カメラマンは大の猫好きで」※解説放送
 ☆写真集『岩合光昭の日本ねこ歩き』発行:クレヴィス
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20221122.html
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 |2023(令和五)年11月22日(水) 林家たい平 |
 └─――――――――――――――――――┘「両親亡き後の“実家終い”が一転!驚きの蘇りを」
 https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20231122.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋

 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2001(平成13)年11月22日(木) ヒロコ・ムトー |第回
 └─――――――――――――――――――――┘
黒柳『ヒロコ・ムトーさんはTBSのタイムキーパーをやってた。生番組でしたか』
ムトー「生番組はとても持たせられないタイムキーパーだったんでVTRのタイムキーパーでした」
『なにか覚えてらっしゃる番組あります』
「私は1本しか持ってなかったんですけど”天使と野郎ども”っていう音楽番組をもってました。黛ジュンさんとスパイダースの音楽番組だったんですけど」
『大変な番組だったんですね』
「はいいつも部長から怒られて」
『タイムキーパーって大変な仕事なんですよね。』
「私に出来る仕事じゃなかった」
『私ベストテンでね緑ちゃんっていう本当に冷静な人がいてね1位まで入らないと大変なんですよね。まだ時間があると思って久米さんとしゃべってたので緑ちゃんにあと何分あるってきいたら”緑ちゃん泣いてます”っていわれて大車輪で一時までに入れたことありますけど。何年間ぐらいやってらしたの』
「1年間です」
『でも大変だったでしょ』
「毎回お前クビだって言われて」
『でも「のちに作詞家になられてペギー葉山さんの”雲よ風よ空よ”を作詞になったんですけどちょっとここでコマーシャル』
『タイムキーパーで一生懸命やってた頃音楽家のいずみたくさんが』
「ピンキーとキラーズっていうのが大ヒットしてた頃にうちの番組に出たんですね。サブっていう上の部屋にいたんですけどそこで泣きながら計算してたらいずみさんがいらして”タイムキ-パーさんこの仕事好き?”って”嫌いです”っていって”それじゃあ何がやりたいの?”って言われて”作詞家になりたいと思うんですけどチャンスがなくて”って言ったら”じゃあ僕の所に来るっ”って」
『ええ』
「このTBSを止める覚悟があるんなら僕の所で勉強するって言われて”はい、やります”っていってそれがきっかけで」
『この徹子の部屋のテーマソングはいずみたくさんで』
「はいそうです」
『いずみさんのとこにいって作詞家に』
「タイムキーパーを1年やってその次の年に作詞家デビュー」
『代表作が”雲よ風よ空よ”、郷ひろみさんの”天使の歌”、坂本九さんの』
「白いラブレター」
『そうなんですって。あのころの郷さんってすごい可愛かったんですって?』
「女の子みたいでした」
『これがすごい売れたんですって』
「アイドルっていうのはこんなに売れるものかってすごい印税が入ってきたんですけど次の月になったら新曲がでて」
『50万枚ぐらい』
「そうです。ペギーさんのは1年ぐらいかけて30万枚ぐらい売れたんですけど」
『ペギーさんはすごく詩を大事にしてくれる方で』
「すごく大事に歌ってくれる方であれから20年ぐらい経ってるんですけどいまでもCDに入れてくださってくれて」
『ペギーさんにとっても大事な曲で』
「そうですね」
『タイムキーパーをやってた頃にいずみたくさんが可愛く思ったんだと思いますけどねえ』
「いやいやあまりにもかわいそうだったんでしょうね」
『何年ぐらい前ですか』
「大学でてから直ぐですからね」
『まだお若い頃』
「いずみさんが1番売れてる頃じゃないですか出す曲出す曲売れる頃で」
『お母様の話なんですけどとてもユニークな方なんですけど。目が不自由で右目が』
「70の時に緑内障で失明しましてこう片っ方のメモ手術して人口水晶体なんですけど」
『なにか同居しているお兄様のお嫁さんがパステル画を薦めになった』
「はいボケ防止に」
『70歳ぐらいから始めてこういうことが出来るってのはすごいですよね』
「母の生き方に励まされます。失敗しても恥じかいても母の年までは30数年あるんですから」
『”のらねこムーチョ”ていう本があるんですけどこれはテレビ朝日出版から出ているんですけど詩はヒロコさんが、絵は』
「森田あずみさんが」
『その中からヒロコ・ムトーさんがお書きになった詩を朗読していただくことになったので』
***************************************
ちょっと休ませてくれないか。
遠い街から歩いてきたんだ。
ちょっと休ませてくれないか。
この街は昔住んでいたような懐かしい匂いがする
あんた見かけない顔だねえ?
でも誰かに似ているよ?
誰だっけねえ
どこの町であったんだろう
実をいえば私たちも昔はよそからの流れ者
もちろんこの街にだって争いはある
気難しいやつもいる
だけど恋もあれば愛が芽生え家族ができる
お前も誰かを好きになりあんな子が出来るかもしれない
***************************************
『ああ可愛いんですね。この絵をお描きになった森田あずみさんはネコが好きな方』
「好きなんですね。野良猫の悲しさとかたくましさとか」
『でてますよね』
「本来のプライドとかを捕らえて描いて下さってるんでね」
『こういう本をお描きになるのも・・・前はネコが好きではなかった』
「さわるのはもちろん見るのもいやだったんですね」
『ゴールドというネコに会ったのが人生観がかわるぐらいの』
「ゴールドは野良猫だったんですね」
『姿を消したんですって』
「ある日子猫を連れてきて。ああこのネコ、メスだったんだって」
『また甲斐甲斐しく面倒をみたんですって』
「そうです。私ネコって性格悪いとおもってたんですねでも子育ての姿を見ていると人間と同じで家族愛があって。いろんな意味で私に食い込んできたんですね」
『お姉さまにもお母様にもよろしくおっしゃって』
「はい」
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2001/h13_11_22.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年11月22日(金) 大滝秀治 |第回
 └─―――――――――――――――――┘放送日の出来事・・・高円宮様逝去
黒柳「しばらくでございましたどうもどうも大滝秀治さんです。まあ皆さんはシュウジさんとお読みになっているのですが本当は大滝秀治さんです。それはともかくこの間はNHKの朝のテレビ小説桜で語りをなさったんですが男の方の語りというのは初めてだったんですってね
大滝≪らしいですね。ですからこの次のNHKの
「今の
≪藤村さんですね
「藤村シュンジさんになって。だから大滝さんのが成功したんで男の方になさったのかもしれませんね次は。
≪どうでしょう。つまりあの声にはもう俳優の時から問題がある問題があると回りから言われているから声と言われるとあんまり自信がないです
「だから宇野重吉さんから君の声は壊れたハーモニカみたいだって言われてらしたんですって。
≪あの宇野さんから俳優、民衆劇場が終わって劇団が解散してしばらくたって民芸が再建創立したときに僕らは何人か奈良岡君も一緒です。奈良岡君、佐々木すみえさん、内藤タケシなんていうと一緒に劇団民芸の研修生といいましょうか勉強生として編入されたときにね呼ばれましてねお前の声は壊れたハーモニカのようだって。不協和音だって言うんです
「ひどいこと(笑)
≪お客さん不快感を与えるからね、よく考えて演出部の方でもしばらくね手伝ってよく考えてやったらどうだって。僕もその時感がよかったら役者をやめろと言われたことだと思うんだけども感がいい悪いじゃなくて何としてもいい役者をやりたかったものですからね、演出部ですぐに働いては見たんですけどもまあその宇野さんに言われたときよりも菅原孝さんて演出家がありましてねメスカーという芝居の根っこという芝居をやったんですけどもね。その時に細川そんと夫婦になったんです。
「細川千香子さん。
≪そしたらねぇ読み合わせの終わりごろに細川さんと夫婦のバランスがとれないと。だから声を作れということではないけども何か声を工夫してみてもらったらいいと思うのだがというようなことを言われたんです。それで僕はね両切りのたばこをねほぐしましてで煎じてでそれを瓶の中に入れてその中に砂を入れましてそれを混ぜてうがいしたんです。声が変わるかと思って
「ウワー最悪。
≪4日目ぐらいにで1日に3回か4回やりましたね。4日目ぐらいに突然声が出なくなっちゃったんです。それでみんなが心配してどうしたんだっていうけども理由を言うわけにはいかないからね、とにかく芸能人健康保険組合の診療所長が林たかしさんという耳鼻咽喉科の。あの方が作家としてもキギタカラだろうといわれて
「すごい方ですよね
≪そこに行けと言われまして、いったんですよ。有楽町の駅のところに。そしたら林先生が目僕のところを見て非常にビランしている、ただれている。だからこれはねぇ普通じゃあこういうことはありえないんだけども心当たりはあるか?というから実はたばこをほぐして煎じてでそれを砂混ぜてうがいして。新劇役者がそんな馬鹿がいるかって(笑)怒られたですよ。でこれでは伊丹十三さんにねあの何本か映画を出演いたしましたけどもね。ある時伊丹さんがね顔や演技というものはカメラマン、監督の取り方を教え方指導の仕方である程度まではどうにでもなる。声はどうにもならん。しかし声にそういう意味では声が非常に特徴的であるということは僕も配役するひとつの目安になる。だから君は非常な声で持って特色があっていいと言われた。何となく心の中でざまあみろって(笑)思ったけども、そしたらで僕はやっぱりゲテモノ趣味なのかな(笑)
「伊丹さんが(笑)
≪だからやっぱし僕の声はよくないでしょうね。
「いやいやはでもちょっとさっき考えてなんですけども細川チカコさんと夫婦になれということは本来細川さんはかなりお年が上ですものね。だからやっぱりお声がもうちょっとバランスよくということはもうちょっと老けた声かと思った。
≪そうではなくてね声の時に言われたときに不協和音と言われたときにね年の割にはお前はふけるなって言われたんですよ(笑)だからそういう意味においてもね細川さんと夫婦になる資格はあったんじゃないですか。
「まぁ何十と年はお違いになるんですけども拝見したところはねそれは黒沢監督もおっしゃったっておしゃれましたね。
≪そうですね。黒沢監督にはね随分、ひとつだけでしたけどねもひどく怒られたことがあったんですよ。これは故意じゃなくて。リハーサルというのはいくらリハーサル時に演技がぶれていても構わない。だけど本番になるに従ってぶれが小さくなって本番になったらスーと一線にならなければならない。その時にカメラが回るものだと。君の芝居のリハーサルを見ているといつまでたってもぶれが小さくならない(笑)というんです。そう言われたってね生きている人間だからさ偉い人の言うことだから説得力はあるんだろうけども、あるけれどもそう言われましてもね人間だし僕の性格もありますしね。
「(笑)。でも黒沢監督が君を馬から落ちてくれとおっしゃって君を頼んだのは君が年よりも老けている顔だからで本当の年寄りを馬から落としたら死ぬから君は馬から落ちてくるとおっしゃったって黒澤さんが。それ違うの?
≪それはそれはねぇ話をするとねぇちょっと黒沢監督の人格に抵触することがありますから。それでね僕よく転ぶですよ。それは馬じゃないですけどもねあるときで南アルプスの旅館にホテルに泊まっていて
「ああ!コマーシャルでしょう
≪それで露天ぶろがあって露天風呂に行くのに雪が降っていてね9段をころげ落ちたんですよ。それで救急車で病院に運ばれて
「石の階段を?
≪うん。そしたらすぐ、つまり失神はしてなかったんだけどもあのすぐに救急車を呼んでねホテルの人とプロデューサーの方とそれで病院そしたらに行ったんです。どこもそれで骨がなんともないんですよ。あなたは年にしては骨が強いですねぇ。今僕は77ですが。その72の時だったと思うんです。強いですねと言って僕は何もふざけたつもりじゃないですけどもね僕は雪印の骨太という牛乳を飲んでいるんですと言ったら(笑)そしたらお医者さんがこんなふざけた人って。ふざけているつもりじゃないんだけどもその人の話に合わせただけで。
「(笑)まあそういう面白い逸話がたくさんおありなんですけども。あの犬、死んじゃったんですってね?カワウソですかって言われた犬
≪近所にねご近所に家に犬を飼った方がいたんだけどもそこの坊やがねぇまれ犬をに見る犬嫌いだった。犬さえ見れば泣いているんですよ。それでしょうがないからそのお宅がすいませんけどもお宅さんは犬を飼う気はないですか?と言われてあるならばね差し上げますと。そしたらねダックスフントでねぇ可愛らしい犬なんですよ。もちゅうちょなくいただきましてね、それで何度目かの散歩のときにねすれ違ったおばああるさんがね「あら!珍しい可愛らしいカワウソ」と言ったんですよ。それでそのころはねぇもだってさダックスフントだって有名て、飼っている人はたくさんいるでしょう。だから見たけども普通の方がなんですよ。上品がで普通の方それでで変わった形でも何でもないんです。その人とはで1回しか会わそれないんです。から20年近くたっているじゃないですか。であわないと思ってご近所の人であることは間違いない。はいだけているものとか靴とかを見ると。いまだに会わないと思ったら本当にふざけた気持ちじゃなくてねあの方は宇宙人だったんじゃないかなと思う(笑)よ。だって普通の人の格好をしている人なんだもん。
「ダックスフントを見てあら!珍しいカワウソって。(笑)
≪言われてみると僕もね?カワウソかな。それぐらいと心その人の言い方が真実味があったんだね。犬だけどもね。
「でもそのカワウソみたいな犬がかわいいのはアイスキャンデーを
≪アイスキャンディーをねぇあげたんです。真夏の暑い日にあげたんです。やっぱし1人でこっそりと食べたいんでしょうね。ゆっくり。あれは猟犬でしょ、掘って庭に埋めちゃったんですよ。で女房とねぇカーテンの陰から見てたらねやがてで掘り出したんですよ。はアイスキャンデー割り箸だけになっていた(笑)
「溶けちゃって
≪その時の顔を見たらいやいたずらに、まともな気持ちであげたんだけどもまさか埋めるとは思わないしこういうことは絶対に2度としてはいけないと思った。も犬だって傷つくと思うよあれは。
「棒だけになっていて犬としては棒だけになっていたから
≪呆然としているんですよ。あわててねこうやって。だからその犬がかわいくて。この辺で20メートル先ぐらいで座れといって座ってこいというとバーと駆け出してくる。ところが足の関係で通り過ぎちゃう。
「どうして(笑)
≪それでねぇ4メートルぐらいいって振り返ってあれ!という顔をして今度は戻ってくるんですよ。足の関係でしょうか、僕の方に向かってくるんだけども通り過ぎて行っちゃう。
「前足と後ろ足の間隔が長いですからね幅がちょっとありますよね。体にしては
≪身体と比較して。だから
「止まれないですかねぇ急には。そんなことはないんじゃないですか(笑)お宅のがおかしいんじゃないですか(笑)
≪だからねもとてもそういう意味において動物というのはなかなか飼う難しいですね。それは大変難しい。あの人間以上にでデリケートなところがあるね。
「それはそうですよね。
≪いちずだしね
「そうそうそう。ちょっと面白いお話しなんですけどもちょっとコマーシャルがございますのでちょっとコマーシャルに。秀治さんこういう時にあの歌が大好きだというお話しでね、歌さえあればどんな芝居でもでちゃうとおっしゃっていらしたんですよ。それでじゃあ私がここでコマーシャルと言おうとしたら「いやあ今は歌えない歌えない」ってあのおかしかったですよねあの時前のとき。
≪勘違いばっかしでね
「ちょっとコマーシャルです

黒柳「大滝さんは本当にいつもお元気で舞台でも私たちに素晴らしいものを与えてくださる方なんですけども本当のこと言うと何か30歳のときに肺をおとりになっていらっしゃる
大滝≪そうですねぇ左肺を切除して右しかないんです。
「全然そういう風には思わなかったんですが。それから小学校の時に中耳炎で耳が片一方聞こえにくくなったって。
≪これはねこのころで抗生物質がなかったからね切開手術をしたんですよ。中耳炎というのは大手術だったんですねきっと。僕は麻酔は局部麻酔だったんだけども意識がなかったんだけども。その手術している間にお医者さんを罵倒して泣いた。
「泣いたの?
≪鳴きわめいて(笑)罵倒したそうですね。そのお医者さんを。それで大変偉いお医者さんだったそうですけどもね。お元気ですねとオフクロにいったそうですけども、何を言ったんだといったらいやもうお医者さんの悪口を言いたい放題だった手術中。それはいいんだ。その時には抗生物質がないからねだから大変今はいい便利じゃない、いいんじゃないでしょうか。でもそれだけにまた別の病気が出てくるんでしょうけどもね。
「だけどもそれでちょっと聞こえにくいところで持ってきてストレプトマイシンを飲んだらまた耳が聞こえにくくなった
≪難聴とね耳鳴りがひどくてね神田の三朝町に結核研究所というのがあるんですよ。そこに行って先生に聞いたら日本では臨床実験の例はないけどもアメリカでは50年も前からストレプトマイシンを使っているのでねだからビタミンB1をね多量に飲めばいいと。その時はアリナミンってなかったですよ。どれぐらいのめばいいというのでね150ミリ飲めというんですよ。そのころメタボリンというのがあったんですよ5ミリの。それを1日30錠ずつ40年間飲んでいますからね。本当は47年間なんだけども7年前から主治医がビタミンBじゃなくてビタミンB 12だって言うんですよ(笑)で変わったけども、40年間1日に150ミリ飲むとをこないだ電算・・・
「電卓?
≪あれでね200何十万、もし僕が骨になったらねビタミンB1だよって(笑)
「だって1ミリの錠剤だからいっぱい飲むことになるんですよね。
≪違うんです。その結核の神経にはね1日150ミリ飲めと言われたんです。
「150ミリ飲めといわれている。だからいっぱい飲まないと何十錠も。
≪だから150ミリでしょう、40年間。だから200何十万ミリ飲んでますよ。
「で耳はよくなったんですか?
≪それはねぇあの今でもその結局手術をした仲間とたまに会うんですけどもみんなその時悪くなった人はダメですね、僕だけですね。
「いいのは?
≪完全にはよくなっていない。完全にはよくはなっていないけどもあのずうっと
「やっぱり何万ミリになったかは知らないけども何十万ミリになったかは知らないけどもそのやっぱりビタミンB1その次のビタミンB 12それがやっぱりきいてる
≪12にはいいそうですね。
「それも何十ミリも飲んでらっしゃるんですか
≪それはねぇ1錠が500ミリだからねそれは違うんですよ。
「昔と今じゃミリが違う
≪だからそれをだいぶ飲んでますよ。
「それがずいぶんいいんでしょう。でも体にいいことというのはいろいろあるんですけどもあの途中まではいいんですよ、転ばないようにとか風邪をひかないようにとかいろいろ睡眠をとるとかいうのはいいんですけども大滝さんは油ものばっかり野菜果物を飯上がらないというのはそうですか?
≪食べない。野菜と果物は食べないです。油ものと刺激の強いものが好きですね。でもそれが1番いけないんだって。あの刺激の強いものね。以前僕はあれがいけないというんですよ白子とかねウニとかねイクラとかねでもそれが1番好きなんですよ(笑)
「それで野菜とか果物を召し上がらない。あげくにはお酒が大好きで特に立ち飲みが大好き。
≪あのねぇきたないのれんをパッと開けて入るのが好きなんですよ(笑)あのやっぱりがさつなんでね。きちっとしたところだとね、ピシしてなければいけないでしょう
「そういう立ち飲みなんていいですかねぇ。
≪だって背広今日はきてますけどもね2年に1回ぐらいですよ。
「背広お召しになるのは。
≪持ってないわけじゃないですけども、嫌いなんですよ。
「でもアレですよねあのまあとっても俳優としてとても素晴らしいんですけども奥様としてはですねこういうご主人というのは全然手がかかるとは思っていらっしゃらない。
≪どうでしょうか。やっぱり女房は亭主に慣らされるものじゃないでしょうか。だからね純濃度がいいですね。だからどこの家庭でも亭主というのはこういうものだと思っちゃうんじゃないだろうか
黒柳「本当に俳優として観察力とか感受性とか本当にデリケートな素晴らしいものをお持ちだと思うんですけどもあの初めのころは代役なんかをおやりになったときは失敗が多かったそうですけどもあの代役を2回急に代役
大滝≪うん、あの先輩がねぇ日曜の昼公演が終わりましてね夜公演の間に京都の撮影所に行ったんですよ。あのワンシーンから2シーンしか取らないからな真夜中にすめば朝1番に帰ってくれるそれはねぇ三好十郎さんのお書きになった”オカシナモノ”という芝居で。滝沢先生が主役で準主役にナルオカトモ君、盲目の少女になって塔の上でフルートを吹く姿が美しくてね、僕はいつかああいう役者になりたいなってそのころから考えていて。ところが先輩がね行った晩にね台風で大あらしになっちゃった。それで翌日の朝までずっと続いていましてね。帰れないと言ってきたのが午後2時ごろでしたよ。そのころはね電報できたんですよ家に。至急三越劇場にこいと。すぐに飛んでいったらね開幕3時間ぐらい前でね若月光雄さんという演出家がねそのころ岡倉四郎先生という人がいてね若月光雄さんという方が演出助手をやっていました。こうこうこういうわけだからどうしても穴をあけられない。だからセリフは4つか5つしかないし相手は滝沢先生だから安心してやれと。安心してやれと言われても何も。ともかく4つか5つでも何度も何度もけいこしてもなかなか頭には入らないですよ。そしたらね医者だからカルテを持っているんですよ。
「医者の役。
≪カルテに鉛筆で書いてこう見れば子大丈夫だその時に角度換えればお客にはわからないんだから。セルロイドかけてで、1つ目から滝沢先生が話しても答えられないですよ。困ったなで真上からねライトが当たってセルロイドが光って見えないですよ(笑)いくらどうやってもね。これは困ってその時ねぇ舞台が真っ赤になったか真っ白になったか真っ黒になったかわからない。滝沢先生も見えなかった。何も見えなかった。舞台にいることさえわからなかった。そのときにね客席の前から3列目の真ん中にで作者の三好十朗先生がいたんですよ。この方は直情的な方でねその役者は舞台から引きずり下ろせと怒鳴ったんですよ。でもそれは聞こえない(笑)。
「すごい、その役者を舞台から引きずり下ろせと作家の人が舞台に向かって叫んでいる。
≪怒鳴ったんですよでも僕は知らない。みんながねぇあとでそれをいったんだけどもなんで引っ込んだのかも分からなかった滝沢先生が後押しをしてくれたんだと思うけども(笑)だからそれでもうそのころで今だったら自殺もんだけどもね。ケロとしていましたよ。
「ケロとしていたんですか(笑)
≪だめだったなと思って(笑)それからしばらくたってね読売ホールでね日本シリョウ公団という何かの慰安会でね第2部で山田登紀子さんという作家がいましてね”リョウエン”という芝居を書いたんですよ。おじさんがね読む娘の良縁を嫁にいかせないと怒鳴り込んで行く。それもねまた30分ぐらい前ですよ
「それも代役の
≪その時は裏を手伝っていたからそしたらね覚えようがない。全部セリフをつけるから安心してろと。オーバーがねぇその人のはちょっと小さい方なんですよ。そしたら林忠彦さんというカメラマンがきていましてね
「ああよく知っています
≪あの楽屋に。どなたかをとりに来たんでしょうね。僕のオーバーを着たまえ貸してやると脱いでくれた。でもね袖。から前に出ようと思うんだけども足が出ないんです。何かどうなったんでしょうねそれもセリフが入っていない。そしたらねプロンプターが聞こえているんですよ。こうやるとこっちから聞こえてくるんですよ。プロンプターの合唱ですよ。それもどうやって引っ込んだのかわからないですけども。それ以来僕は代役は絶対にやらない。だれもくれないでしょうけどもね。
「それからおやりになったことはないですか(笑)
≪やらないやらないですよ。
黒柳「あと3年はずっと芝居が、・・・3本も決まってらっしゃるそうでいま77歳だから79歳まで芝居はやると。もちろんその次もおやりになると私は思うんですけどもとにかく近々はタクエツという芝居が四谷怪談12月6日から19日まで三越劇場でおやりになる。これが1番近い芝居
大滝≪そうですね僕は怪談が子供のときから好きでね、好きだといってもカランコロンとかね、1枚2枚とか、髪をすくとばさっと落ちたとかそういうのを映画でも見たわけではなくテレビなんかありませんでしたからねなんで鮮明に絵として覚えているのかは分からないけども、それがともかく俳優座でもって38年前です文京公会堂というところで四谷怪談をやってね仲代さんもよかったし大塚ミツコさんもよかったけどもタクエツというのをやったミシママサオさんという俳優さんがおられたんですよ。この方のねタクエツが身震いするほどよくてね。あえそれでそれが7年前に演出家から何かやりたい役と言われた時にちゅうちょなくタクエツといったんですよ。それがも忘れていたころに去年の夏に吉永治朗さんが君にタクエツを書いたって。ええ!と。でもちょうど別の芝居にかかっていたから読めなくて今年の夏その芝居が旅公演が終わって読んだんですけどもね。
「はい、それをおやりになります三越劇場で12月6日から19日までぜひ皆さんこの方の素晴らしい芝居を見にいらしていただきたいと思いますまたいらしてください
≪どうもありがとうございます、すいませんでした
「ははははは(笑、拍手)
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-11-22.html

 近藤真彦 結婚を実現させた「黒柳さんの手紙」
 2012(平成24)年11月24日(土) 07時27分配信『女性自身』
 50枚目のシングル『Let’s Go!』の発売記念に『徹子の部屋』(テレビ朝日系)へゲスト出演
‡2012(平成24)年11月22日(木)放送した近藤真彦(48)。マッチと徹子さんは、最低でも月に1度は食事に、旅行は毎年一緒に行くほどの間柄だ。 2人の出会いは『ザ・ベストテン』。マッチは「文化人の方とか、音楽関係のお友達が多いなか、当時まだ若かったアイドルの僕とも親しくしてくれたのがとてもうれしかった」と、当時のことを振り返る。 
「僕が舞台で『坊ちゃん』をやるとき、黒柳さんに『原作を読みなさい』って言われたのに聞き入れなかったら『わかったわ』って、1週間もたたないうちに自分で原作を朗読したテープを2本くれました。『移動中にでも聞きなさい』って。そのテープは今も大事にしています」 その後、マッチの母親が亡くなってからは、「私は芸能界のお母さんよ」と徹子さんがいってくれるようになったこともあり、2人の距離はさらに近くなっていったという。マッチが結婚する際にはこんなエピソードがあったという。 
「(妻の両親に)結婚を反対されたとき、黒柳さんが『わかったわ。私はあなたのいいところを、よーく知っているから』と妻の両親に手紙を書いてくれました。”あなたたちの思っているような子ではありません”みたいな内容で。それで向こうの両親に許してもらえた。あの手紙も大切に持っています」 
「黒柳さんは、僕にとっては本当の母親のような存在」(マッチ)、「引退の時期はマッチに判断してもらうから」(徹子さん)と互いに公言している2人の間には、何でも包み隠さない、温かい信頼関係があるようだ。

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