過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

 

 

 74歳ポール・マッカートニー 世界ツアー敢行できる肉体の秘訣
 2017(平成29)年04月26日(水) 16時30分
 2017(平成29)年04月25日(火)、元「ビートルズ」のポール・マッカートニー(74)が、東京・日本武道館で「ワン・オン・ワン ジャパン・ツアー2017」(全4公演)の初日公演を行った。ポールの来日は2015年4月以来2年ぶり。単独では6度目。約30分遅れてポールが姿を現すと「キャー!」と観客は総立ち。1曲目のビートルズの名曲「A HARD DAY’S NIGHT」から会場は興奮のるつぼと化した。2曲目を終えるとポールは「コンバンハ~、ニッポン! コンバンハ~、トウキョウ、コンバンワ~、ブドウカン」と日本語であいさつ。その後、ソロの楽曲のほか「WE CAN WORK IT OUT」「BACK IN THE USSR」など、ビートルズのおなじみのナンバーで、往年のファンを喜ばせた。「LIVE AND LET DIE」ではステージで炎がガンガン噴き上がる過激な演出も。その真横でピアノを弾きながら歌うポールには、余裕すらうかがえた。それにしても
‡2017(平成29)年06月18日(日)には75歳。日本では“後期高齢者”入りとなるが、その声量はハンパではない。しかも、今でもワールドツアーを敢行している。いったいその体力はどうなっているのか。音楽関係者が話す。
「まず、毎日1時間のワークアウトを欠かしませんね。サイクリングにもよく奥さんのナンシーさんと出かけます。15年に来日した際は日比谷公園に行って、目撃した人がビックリしてました。食べ物にも気をつけていて基本はベジタリアン。まあ、ビートルズを愛しているのが何よりの活力源でしょう」アンコールではポールが日の丸、他のメンバーがユニオンジャックとレインボーフラッグを持って再登場。最後の「THE END」まで全31曲を歌い上げたポールは「また会いましょう!」と締めくくった。衰え知らずのレジェンドは、これからもエネルギッシュに活動しそうだ。
 https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/678981/

『ザ・ビートルズ:Get Back』劇場公開中止 2時間超×3エピソードになって2021年11月からDisney+で独占配信
‡2021(令和三)年06月18日(金) 甲虫のべ(甲虫楽団)
『ザ・ビートルズ:Get Back』についての甲虫楽団ブログの記事まとめはこちら↓
 https://blog.kouchu.info/search/label/GETBACK
 2020(令和二)年劇場公開のはずが延期となったドキュメンタリー映像作品『ザ・ビートルズ:Get Back』が2時間超×3エピソードに分割され、配給元のディズニーによる動画配信サービスDisney+(ディズニープラス) にて
 2021(令和三)年11月25日(木)(感謝祭:Thanksgiving Day)17時~(配信前日に解禁時刻が明らかになった)から3日連続で配信解禁されることが
 2021(令和三)年06月17日(木)に発表されました。 なお、ディズニープラスはサブスクリプション(継続購入)サービスなので、解禁以降はいつでも何度でも途中からも視聴可能です。17時にテレビやスマホの前で待機している必要はありません。それも楽しいですが。
 映画『ザ・ビートルズ:Get Back』公式サイト(ディズニープラス)
 映画「ザ・ビートルズ:Get Back」公開日・公開形態変更のお知らせ(ザ・ビートルズ)
■劇場公開中止して配信に切り替え■日本からもディズニープラスで視聴できることが
 2021(令和三)年06月23日(水)に発表されました。これに伴い、既存の劇場公開を告知するページ https://www.disney.co.jp/movie/thebeatles.html が同日正午ごろに配信を告知するページに転送されるようになったので
 2021(令和三)年08月27日(金)を予定していた劇場公開は中止になったようです。
『ザ・ビートルズ:Get Back』をディズニープラスで楽しむには(Disney+)
 一部報道では「映画館の集客能力にハリウッドが依然として自信が持てない」と解説しています。
 ビートルズの新作映画、ディズニーが劇場公開から配信に切り替え(ブルームバーグ)
■リアルなドキュメンタリーに期待■確かに6時間超では劇場公開は難しいでしょうが、一堂に会してお祭り騒ぎを味わうことができずに残念です。2016年には映画「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK」のワールドプレミア・レッドカーペットイベントを生中継で見た後、同作を特別先行上映するイベントがありましたが (当時のレポートは→こちら)今回も同様のイベントの開催を期待したいと思います。 
 追記: 「最速プレミア上映会」開催が発表されました。→TOKYO FM meets The Beatles:Get Back
 一方、全量が6時間超になったことは好意的に受け止めたいと思います。そのすべてを昨年末公開された先行映像のような楽しげなシーンの切り取りで構成することはできないでしょうから、より淡々としたリアルなドキュメンタリー映画になりそうです。ルーフトップ・コンサートがノーカットで収録されるかもしれません。(追記:その後「史上初となるノーカット完全版でついに解禁」と発表されました)監督のピーター・ジャクソンの本作品に対する発言は以下の記事によくまとめられています。
 The Beatles: Get Back?An Exclusive Deep Dive Into Peter Jackson’s Revelatory New Movie(VANITY FAIR)
 https://blog.kouchu.info/2021/06/DisneyPlus.html


 白黒映像◆Uncut Beatles Sydney Press Conference https://youtu.be/bHkNqO8ncz8
 
 SYDNEY STADIUM SYDNEY AUSTRALIA 
‡June 18, 1964
 13. Introduction
 14. I Saw Her Stainding There
 15. You Can’t Do That #1
 16. You Can’t Do That #2
 17. Adelaide Press Conference
‡18. Sydney Press Conference
 19. John Lennon Interview
 20. Jimmy Nicol Interview
 解説・・・CDの後半は、初登場となる6月18日シドニー公演より2曲、「I Saw Her Standing There」と「You Can’t Do That」を収録している。オーディエンス録音による、けして良い音質とはいえず、かつ断片的なものであるが、当時の熱狂、ファンの様子、何より初めて聴くMクローデルで初登場したビートルズのライヴである。イントロにDJのナレーションが被り、シドニー公演のライヴと共にスタジオ・バージョンの楽曲も同時に収録されているので、まさかこの形で放送されたとは思えないが、おそらくラジオ局の誰かが試しに会場でテープをまわしたものだと思われる。初登場ビートルズのシドニー公演である。また最後にアデレイドとシドニーにおける記者会見と、ジョンとジミーニコルのインタビューを収録している。ビートルズ初の豪州ツアーより、初日アデレイド公演をロウ・ジェネ・テープより完全収録。音質、ピッチ調整、内容、古くから知られている音源の決定盤である。また初登場シドニー公演より2曲、アデレイドとシドニーの記者会見とジョンとジミーニコルのインタビューを同時収録。Mクローデル『300000 BEATLE FANS CAN’T BE WRONG(CD+2DVD)』のCD単体リリースである。美しいピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。日本語帯付。
 https://www.mellow-yellow.jp/product/677
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─――――――――――――――┐Front row <最前列>
60|Wax model of Paul McCartney|『Wikipedia』
60|Wax model of THE BEATLES   |『discovermusic.jp』
 └─――――――――――――――┘ ビートルズの蝋人形・・・完璧なポストモダン・タッチで、ビートルズはビートルマニア時代の自身の蝋人形を加えた。蝋人形のビートルズは、ミリタリーでサイケデリックな衣装に身を包む現在のビートルズを見つめている。ジョン(No.57)ポール(No.60)ジョージ(No.56)リンゴ(No.59)の蝋人形は『Sgt.Pepper』の写真撮影のためにマダム・タッソー館から借りたものだヨ(=^◇^=)
 ┌─―――――――――――――――――┐
64|Paul McCartney holding a cor anglais|『Wikipedia』
64| ポール・マッカートニーがコーラングレを抱く |『discovermusic.jp』
 └─―――――――――――――――――┘ ビートルズ・ミリタリー・シック(もしくはミリタリー・サイクとでも言おうか?)まばゆい衣装に身を包んだジョン(No.62)リンゴ(No.63)ポール(No.64)ジョージ(No.65)はSGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BANDに扮しており、それぞれがフレンチ・ホルン、トランペット、コー・ラングレ、フルートをこれ見よがしに持っているため、サイケデリックなブラス・バンドのように見える。アルバム・ジャケットと同様に、ビートルズが着用したサージェント・ペパーのコスチュームは、史上最高に象徴的なバンド・コスチュームのひとつに数えられるようになった。一目でそれとわかるコスチュームは、我々の文化の中へと永遠に織り込まれたのだヨ(=^◇^=)
‡1942(昭和17)年06月18日(thu) Born
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 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
‡https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_McCartney
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ James Paul McCartney ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛MBE
‡1942(昭和17)年06月18日(thu) Born
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_McCartney
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 ポール・マッカートニー、78歳の誕生日の願いとしてファンに食肉をやめてほしいと訴える
 2020(令和二)年06月12日(金) billboard-japan.com NEWS
‡2020(令和二)年06月18日(木)に78歳の誕生日を迎えるポール・マッカートニーが、PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)のウェブサイトに寄稿したメッセージで、『Glass Walls』(ガラスの壁)と題された、10年前に自身が司会を務めた食肉産業の実態を赤裸々に伝える動画をあらためて視聴してほしいと訴えた。「これまで私が誕生日に欲しいと思ったのは“地上の平和”だけです。それには動物も含まれています。ですから今年は、私がPETAのために司会を務めた“Glass Walls”というビデオをファンの皆さんに見ていただけるよう強く勧めます。そのタイトルにした理由は、“もしも食肉処理場の壁がガラスだったら、誰が肉を食べたいなんて思うでしょう?”ということです」と彼は綴っている。この動画は、ニワトリ、七面鳥、豚、そして魚が食用に処理される実際の過程が映し出されているだけのものだが、かなり衝撃的で目を背けたくなる内容だ。新型コロナウイルスの感染が世界中で拡大しているが、元々動物から人へと感染したウイルスであり、不衛生な環境で動物を密集させると病が蔓延する、という現実を直視させられるという意味では10年経った今でもそのメッセージはタイムリーだ。また、食肉産業は環境破壊につながる温室効果ガスを大量に放出している。ポールは、「もしあなたが、食肉処理場から発生する病気のこと、不必要に大きな苦痛を与えられている動物たちのこと、または食肉産業が環境に与えている壊滅的な影響のことが心配だとしたら、この短い動画を見て友達にシェアしてください」と訴えてい る。
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 リアーナ、ポール・マッカートニーと機内で遭遇した際の模様を投稿
 http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/88933/2
◎前に、どうやって食肉に加工されるのか興味があって屠畜の動画を見たことがあるけど、肉食をやめようとは思わなかったな。命をいただくことの重さを実感して、残さず食べれる分だけ調理したり注文したりして気をつけるようになった。あの動画を観てから、いただきますも心を込めて言えるようになったよ。問題提起したいのは分かるけど、食の嗜好って人それぞれだし強制するものではないと思うから、わざわざ不特定多数の人にそういう映像を見せてショックを植え付けたり、無理矢理食べられないようにすることはやめた方がいい。ああいうのは自発的に食べ物に関して疑問や興味を持った時に見てこそ意義があるものだと思う。
◎アーティストとしてのポールは大好きだし本当に元気で長生きしてほしいと思う。しかし、こういった問題をごり押ししてくる人間ポール・マッカートニーは別人として考えるようにしている。そういえばMFMAJにも変な人いっぱいいるね。
◎純粋に動物への愛が大きい人は尊敬する 動画を見ても何も感じない人よりかははるかに人間らしいと思う ただ皆が皆ポールみたいな聖人にはなれない 結局一般人がこの記事を見て思うべきものは彼への批判ではなく、日々たくさんの命に支えられているんだと実感して感謝することだよね 
◎個人の意見なら別に否定はしないけど、食肉をやめるなら他にもやめることあるよね。例えば医療(薬の投与)を受けるのもやめるのが筋。治験などでマウス等への薬の接種によって新薬が誕生し恩恵を受けている。一部だけを見て批判するのはナンセンスだと思う。もちろん過剰な供給は良くないが。 
◎呼吸をするだけで肺で微生物は死んでる…生きるために何かを摂取するのは 自然な事「肉食をやめろ」ではなく「過剰な」ものを止めるべきではないのかなぁ…
◎ポールに対してお願いしたいことがあります。それはあなたや高齢芸能人達が摂取しているヒト成長ホルモンの事です。若返りに即効性があるとのことですが原材料はおそらく人間の胎児です。その生成過程のおぞましい事および地球の環境に対する負荷は計り知れません。人身売買で手に入れた臓器移植で手っ取り早く病を治してしまう高齢芸能人の一人がポールでないと信じていましたがあなたかビーガンだったということはあなたの正体を解らないものにしました。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/6c7afb910cdf6511614c256fa0a41aa0a2411571
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『6月18日はなんの日?』ポール・マッカートニー、78歳の誕生日
‡2020(令和二)年06月18日(木) 0:05配信 Billboard JAPAN
 6月18日はポール・マッカートニーの78歳の誕生日。
 ポール・マッカートニーは1942年6月18日、イギリス・リヴァプール生まれ。1962年にビートルズとしてデビューを果たして以降、数えきれないほどのヒット曲を輩出したポールは、半世紀以上にわたり音楽界の第一線で活躍を続ける正真正銘のロック・レジェンドだ。
 2018年に古巣<キャピトル>からリリースしたアルバム『エジプト・ステーション』では1982年『タッグ・オブ・ウォー』以来、約36年ぶりとなる全米ビルボードNo.1を獲得。一方で精力的にツアーもこなし、全時代を網羅したヒット曲満載のステージで世界中のファンを魅了し続けている。
 2020年に入ってからは新型コロナウイルスの影響により、予定されていたコンサートは全てキャンセルとなったが、4月に全世界に向けて配信・放送されたチャリティー・コンサート【One World: Together at Home】に出演したポールは、ビートルズの名曲「レディ・マドンナ」を歌い医療従事者にエールを送った。また、ポールは中止となった【グラストンベリー・フェスティバル2020】でもヘッドライナーを務める予定となっていた。
 環境保護活動にも熱心で菜食主義者として知られるポールは、自身の誕生日を前にPETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)を通じてファンにメッセージを配信。78歳の誕生日の願いとして「ファンに食肉をやめてほしい」と訴えている。
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 ポール・マッカートニー、「ヘイ・ジュード」手書きの歌詞が約9,840万円で落札
 https://news.yahoo.co.jp/articles/1a26c331802bd84eff90e04495c01774f1925903
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【Paul McCartney Story / ポール・マッカートニーを物語る】
 1942年06月18日、ジェイムズ・ポール・マッカートニーはリヴァプールに生まれ、父親の名前はジェームズ(ジム)、母親の名前はのちに「レット・イット・ビー」の歌詞のなかで「マザー・メアリー」として登場するメアリーで、当時綿花のセールスマのジムは17歳ころ結成の「ジム・マックス・バンド」で活躍するピアニスト兼トランペッター、メアリーはポールが生まれた病院の看護婦長です。ポールは「僕の家にはピアノがあり、「僕は休日に父親の弾くピアノを楽むことを覚えた。これが後の自分の音楽的才能に多大な影響を与えた。これは父の影響なんだ。」と語っています。リヴァプール・インスティチュートに在学するポールは成績も良好で、健全な学校生活を送り、父親に習いトランペットを始めますが、吹きながら歌を歌えないのが悩みで、ギターに転向していきます。ポールは語ります、
「最初はまったく上手く弾けないんだよ。少しして左利きの自分は右利きの人とは逆さまにギターを持たなければならないことに気づいた。コツを飲み込むと、めきめき上達して行ったんだ」。ポールとギターの結びつきを決定的にしたのは、皮肉にも14歳のとき母親が癌で死亡したことで、ポールは気が滅入らないようにギターに没頭し続け、「トイレに入っているときさえギターを持っていた」と弟のマイケルは語ります。
 1957年07月06日、友人に誘われ観に行ったクオリーメンのライヴで、フロントでバンジョーのコードを弾きながら独自の替え歌を歌うジョン・レノンに興味を持ちます。舞台裏でジョンに紹介され、「トゥエンティ・フライト・ロック」などのギターの伴奏と歌はもちろん、歌詞も完璧に弾き語りしてみせ、ジョンを感服させます。その後、ジョンからの誘いでクオリーメンに加入します。オリジナル曲をすでに作っていたポールは、ジョンを誘い、共作で作曲活動に勤しみます。ここに「レノン=マッカートニー(Lennon=McCartney)」の誕生です。ポールはクオリーメンを改善させるべく、以前からの友人だったジョージ・ハリソンをクオリーメンに加入させ、音楽的にほかのメンバーより抜きん出ていたポールは、いつもバンドの音楽的向上に力を注ぎます。その後、ジョンの大親友のスチュアート・サトクリフをベーシスト迎えますが、画家を目指すスチュアートはバンドを脱退、ギタリストを夢見ていたポールはジョンもジョージもその座を譲る気は無いこともあり、渋々ベーシストに転向し、さらに、サウンドがもの足りないと感じると、ドラムを叩き、ピアノを弾いたりと、すでにデビュー前からマルチ・プレイヤーぶりを発揮します。
 1962年の元旦に行われたロンドンのウェスト・ハムステッド区ブロードハースト・ガーデンズ165番にある「デッカ・レコード社のオーディション」での落選、そして、ロンドンのセント・ジョンズ・ウッドアビー・ロード3番のEMIスタジオを初めて訪れた歴史的な1962年6月6日(E.M.I.セッション)を経て、ビートルズは主にポールが手がけた「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューします。当時のミュージック・シーンの中心はラジオとコンサートで、1962年のデビュー後もステージでメンバーを盛り立て、コンサートの流れを索引していた天性のショー・マン、ポールの貢献は大きく、作曲面では、レノン=マッカートニーで「フロム・ミー・トゥ・ユー」「抱きしめたい」「シー・ラヴズ・ユー」といったこれまでにない斬新な楽曲を次々とヒットさせます。ポールが手がけた楽曲には、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「オール・マイ・ラヴィング」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」などがあり、ポールは50年代のロックンロールの進化型と云える「シンプルだがヒネリのあるロックンロール」を量産します。これは、ポールが早くからソングライターとしてすぐれていたことを如実に表しており、レパートリーもテンポの早い曲ばかりだと観客に飽きられると、「蜜の味」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」「アンド・アイ・ラヴ・ハー」など、スローな曲も取り入れ、トータル・プロデューサー的な面も覗かせます。
 1965年には、夢の中でメロディが沸き上がってきた「イエスタデイ」を作曲し、他のメンバーも完成度の高い楽曲だと感じ、「ソロで出したほうがいい」とアドバイスをしますが、バンドとロックンロールを何よりも愛するポールは結果的にビートルズのアルバム『HELP !!』のB面に収録し、本国イギリスではシングル・カットさせません。しかし、アメリカで(日本でも)シングル・カットされたこの曲は売れに売れ、ポールのイメージ・ソングとして定着してしまいます。しかし、生粋のロックンローラーであるポールは「アイム・ダウン」「ヘルター・スケルター」「バック・イン・ザ・U.S.S.R..」「バースデイ」など、ハードなロックをポールは何曲も生み出しており、「イエスタデイのイメージばかりが強調されることが多く、不本意なところがある」と語る時もあります。
 1964年、ビートルズは前人未到のアメリカ制覇を成し遂げ、ワールド・ツアーも大成功に終わらせますが、コンサート自体は音楽がファンの悲鳴にかき消されるという想像を絶するもので、すでに社会現象にまでなっていたビートルズのコンサートに便乗し、各地でさまざまな事件、暴動も起こるようになり、ジョンに至ってはこの状況に常に疑問を持ち続け、当時、スターが発言するのは御法度だったベトナム戦争についても積極的に語りだします。無意識のうちに矛盾を抑えきれなくなったジョンは、1965年に問題作と云われる「ヘルプ」を発表、そして1966年にツアー活動をストップすると、一早く映画『ジョン・レノンの僕の戦争』に出演するなど、音楽以外の場所でも常に自分を模索し続けます。
 https://beatles-in-ashtray.jimdofree.com/paul-mccartney/

 ポール・マッカートニーの新・伝記本で暴露された「8つの真実」Part1
 2016(平成28)年05月31日(火) 18:55 児島由紀子の「ロンドン通信」
 2016(平成28)年06月10日(金)にリリースされる『ピュア・マッカートニー~オール・タイム・ベスト』を祝い、5月に発刊されたポール・マッカートニーの新しい伝記本『Paul McCartney / The Biography』と、『Paul McCartney: The Life』(両方ともPhilip Norman著)。このサー・ポール公認の新・伝記本には、本人の家族や親戚、幼少時代まで遡る旧友etcの最新発言が多く記されていて、「かなり際どいところまで突っ込んだ内容(ザ・ビートルズ解散直前のジョン・レノンとの軋轢の真相はもちろん、ビートルズ在籍時は”明朗快活なアイドル”のイメージが強かったサー・ポールが実は「様々なエゴやコンプレックスを抱える複雑な人物」だった等の意外な側面、更にはサー・ポールが日本の刑務所で服役していた頃、強姦されるんじゃないか?と内心怯えていた件など)になっていることで、ここUKや欧米でも大きな話題になっているわけですが、英テレグラフ紙が本書の中からそのハイライト=「8つの新しい真実」を選び発表していたので、ご紹介。
★今日はそのPart 1として(1)~(4)までを連記してみました。
(1)ザ・ビートルズ解散後のポール・マッカートニーは17枚のソロ・アルバムと、ウィングスとの7枚のヒット・アルバムを作っていたにも拘らず、
「実は”完全なナーヴァス・ブレイクダウン”」に陥っていた。当時を振り返ったサー・ポールの発言がこれ。
「(ザ・ビートルズ解散後の)僕は長い間、廃人同然の日々だった。ナーヴァス・ブレイクダウンに陥って完全な抜け殻になっていたんだ。リンダ(98年に亡くなった元妻)はよくあんな状態の僕と何年も一緒に住むことができたもんだよ」
(2)ポール・マッカートニーはジョン・レノンとの最初のライヴをすっぽかした。ビートルズ以前のサー・ポールとジョン・レノンがThe Quarrymenというバンドに在籍していたのは有名ですが、このバンドに加入するための初のライヴにポール・マッカートニーは現れなかった。その理由は→「ちょうどこの日にボーイ・スカウトの活動が入ってたから(な、なにっ!?)」。が、その後
 1957(昭和32)年10月08日(火)のライヴで無事The Quarrymanのメンバーとしてデビュー!!!したのは皆さんもご存知のとおり。
(3)ポール・マッカートニーは初期のマネージャー=ブライアン・エプスタインとの最初のミーティングもすっぽかした。ジョン・レノンやジョージ・ハリスンなど他のメンバー達は時間きっかりに出席したにも拘らず、待てど暮らせど現れないポール、、、。その理由は→「ちょうどお風呂に入ってる最中だったから」(絶句、、、)。理由を聞いた途端、不快感を露わにしたエプスタインに対し、ジョージ・ハリスンが「でもすっげえキレイになって出席したいって言ってたから」とすかさずフォロー。
(4)ポール・マッカートニーはある日インタヴューを受けていた妻リンダを発見し、「この家族の中のスターはファッキン俺一人なんだよ!!!」と怒鳴りつけた(怖っ)。★この続き/「Part 2」はまた後日の本ブログで~♪
 https://rockinon.com/blog/kojima/143822
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 ポール・マッカートニーの「8つの真実」Part2
 2016(平成28)年06月03日(金) 15:00 児島由紀子の「ロンドン通信」
★今日は先日のブログの続きを。英テレグラフ紙が選ぶ、ポール・マッカートニーの新・伝記本『Paul McCartney / The Biography』+『Paul McCartney:The Life』で初めて暴露された「8つの真実」、Part 2。
(5)ポール・マッカートニーは1980年の来日の際(入国審査時にマリファナ所持が発覚し、9日間の実刑判決を言い渡された)東京の刑務所で服役中に「他の囚人に強姦されるんじゃないか、、、?」と非常に怯えていた。サー・ポール本人の述懐によると、
「この難を逃れるには他の囚人達を自分の味方につけるしかない」と決心し、
「”イエスタデイ”のアカペラ・ヴァージョンやザ・ビートルズ・ナンバーを披露して、囚人達と自分から友達になった」ことが功を奏したらしい。
”対人スキル”ってどんな環境下でもすごく大事なんだな、、、と筆者も勉強になりました。
(6)ザ・ビートルズ初期のポール・マッカートニーが交際していたガール・フレンド=アイリス・コールドウェルの母は、
「ポールのスネ毛の処理(!)までしてくれる」ほどポールを気に入り、家族同然の扱いをしていた。今回の2冊の新・伝記本の著者=Philip Normanによると、
「ポール・マッカートニーが自分の恋人の母親に可愛がられるのはこれが特例ではなく、その後、交際し始めたガール・フレンド=ジェーン・アッシャー(英女優)の母もポールを非常に気に入り、自分の家の地下室をポール用のスタジオとしてわざわざ提供したり、ピアノ・レッスンのための教師を紹介したり、洗濯物の面倒までみていた(!)」という。つくづく”女殺し”というか(笑)、このへんもある意味”対人スキル”ですよね。
(7)ジョージ・ハリソンが童貞を失った現場には、ポールやジョン・レノンをはじめザ・ビートルズのメンバー全員もいた(!)。絶句、、、。筆者もまだこの新・伝記本を全部読んでいないので、「ジョージが童貞を失った現場」が具体的にどこだったのか?は判ってないけど、近いうちにチェックしてみようっと♪
(8)ポール・マッカートニーの”音楽”に関する記憶力は唯一無比!サー・ポールと妻リンダがナイジェリアで休暇中に強盗に会い、銃を突きつけられて奪われたバッグの中にはウイングスのヒット・アルバム『Band on the Run』(1973)のデモ・テープも入っていた(!)らしく、さぁ、大変だ!!! どうする、、、、?とウイングスのメンバー達や周りはみんなパニックに陥ったが、後日バンドがスタジオ入りした時には「”デモ音源の内容”はすべてポール・マッカートニーの頭の中に残っていた」のだそう(もともと頭のいい人なんでしょうな)。このへんもやっぱり”天才”を感じさせるエピソード。
★なお、この「新しい真実」が続々明かされる伝記本2冊は英語版なら今すぐ手に入るはずなので、日本の皆さんもぜひ。
 https://rockinon.com/blog/kojima/143974

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