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①┃塩田剛三┃
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1915(大正四)年09月09日(木) 生 誕
1994(平成六)年07月17日(日) 78歳没
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②┃木村政彦┃
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1917(大正六)年09月10日(月) 生 誕
1993(平成五)年04月18日(日) 75歳没
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③┃大山倍達┃
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‡1923(大正12)年06月04日(月) 生 誕
1994(平成六)年04月26日(火) 70歳没
①https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%94%B0%E5%89%9B%E4%B8%89
②https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%94%BF%E5%BD%A6
③https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%80%8D%E9%81%94
【古記事】 塩田剛三と木村政彦の対談(1987年)
1987(昭和62)年12月号『フルコンタクトKARATE』JUGEMテーマ:格闘技全般
前にも書きましたが週末は家にいないので、平日にちょっと記事書いてたりします。今回は「ゴング格闘技」の2011年7月号で最終回を迎えた、増田俊也先生の連載「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」に便乗し、達人として名高い合気道養神館の創始者塩田剛三先生と、最強の柔道家と謳われた木村政彦先生の対談記事を紹介したいと思います。 雑誌『フルコンタクトKARATE』の1987年12月号に掲載された物ですね。それでは、どうぞ。
ーーお2人は、拓大時代の同級生だとお聞きしましたが。
塩田 当時の拓大ではね、俺と木村ともうひとり空手の福井の3人が拓大三羽烏と呼ばれていたんだな。木村は人見知りする方で、福井とは口を聞かなかったが、俺はなぜか木村とも福井とも気があって、2人とつきあっていたんだ。
木村 福井はそんなに強かったか。
塩田 福井は、中山正敏さんや高木正朝さんと拓大に初めて空手部を作ったんだね。 ケンカは強いが、クセがあって柔道や、合気道はどうってことない、と言っていた。 じゃ、やってみようと俺が受けて、2人で体育館でやったんだ。 右の正拳突きから右の前蹴りを狙ってきたんだが、サッと左へよけて右腕で拳をはさむようにして左腕で、福井の右肘をたたいたらポンと飛んでいった。 奴は、肘をしばらく痛めてね、それで当時無名だった合気道を修行していた俺も三羽烏の仲間に入れさせてもらったんだ。(笑)
木村 塩田は俺と腕相撲で勝負したこともあった。 いや、強かったな。 俺は身長170センチで85キロだったが、塩田は154センチで47キロだった。
塩田 木村は、10回やって10回負けたとどっかでしゃべってたが、実際は3回やって初めの2回だけ俺が勝ったんだよ。 もっとも、3回目は手を抜いたけどな。(笑)
ーー塩田先生は、何か特別な鍛錬をしていたんですか。
塩田 いや、合気道はね、体によどみを作らないために筋肉を鍛えてはいけないんだ。 しかし、若い頃はそんなことわからないから、植芝先生に隠れて鉄アレイを持ち上げたりして、見つかるとよくおこられた。 しかし、若いうちは体に力をつけたいと思うのは自然で、理屈はあとでいいから、とにかく目一杯稽古してればいいんだ。(中略)朝5時から夜9時まで目一杯やったよ。 若い頃はそういう時期が必要だと思う。 ここにいる木村なんか”稽古の鬼”だったんだ。 有名な”3倍の努力”という言葉があるけど、彼は本当にそれをやり通した。
木村 まあ、人と同じように寝てちゃだめだね。 昭和15年の天覧試合の前は毎日10時間半はやっていたから寝る間はなかった。大学時代は、朝4時半に起きて、牛島先生の塾生だったから、掃除をして、そのあと巻きワラを左右千回ずつ突く。 巻きワラを突くとね、親指の握りがしっかりとするしね、腕や肘や、引きつけるときの手首も強くなる。それから警視庁に行って10時頃から稽古する。 1時間ちょっとぐらいかな。 それから拓大で3時間くらいやって,講道館で夜の6時頃からやって、8時から11時までは深川の町道場でやった。
ーーそれで稽古は終わりですか。
木村 いや、家へ帰ってきて食事をしてフロに入ってから独りで稽古をやった。 腕立て伏せをまず千回、それからボディビル、80キロのバーベルをベンチプレスで600回挙げる。 これだけで1時間くらいかかった。それから、もみじの木に打ち込みを千回。 ものすごい太いもみじの木にね、柔道の帯を巻いて打ち込みするんだが、毎日千回もやってるとすぐ切れちまうんだな。 金がかかってしようがない。(笑) それでロープを持ち出してやってた。それから大外刈りの稽古。 当時、警視庁と講道館で、俺が大外刈りをやると、1日平均10人脳しんとうを起こしていたので、稽古のときは使ってくれるなと言う。 これを聞いて奮発してね。 よし、脳しんとうではおさまらないようにしてやろうと思ってね、大外刈りの研究を徹底してやることにした。(中略)こんなことをやってると、夜中の2時頃になってしまう。しかし、これですぐに寝てはダメだ。 人間は寝たら死んだのと一緒だ。 人が死んでも、自分だけは生きている稽古をしようと。 そういう訓練をすれば勝負に効果があるんじゃないかと思って。 体をつねって、寝ない訓練をする。 朝の4時頃までね。 いつも、朝の一番列車が通って、”あー、夜が明けるな”と思っていた。 一睡もしないときの方が多かったな。 でも、それには、秘訣があってね、学校で寝てた。(笑)
塩田 あんたは授業中いつも寝とったな。 木村が我々のクラスにいたから、誰も落第しなかった。 ケツから押し上げてくれたから。
木村 ふとんの中で、寝ないでいると1日の稽古の状況が頭の中に浮かんでくる。 だいたい100人くらいの人間と1日稽古をしたが、次から次へと人間が出てきて、あのときかけた技はこうで、どうだったか、というのが出てきて、技をかけた瞬間がストップモーションになる。 それでこの技は、いいとか悪いとかわかる。(中略)
塩田 まあ、今の若い人間にそれだけ稽古をしろと言っても無理だろうな。今の柔道の連中じゃ、木村にはかなわない。 今やらしても、山下や斎藤あたりはコロンコロンやられるよ。大外刈りひとつとっても、切れが違う。 今のような体力の競い合いじゃなくて、木村は技で投げていた。 どんなでかい奴でも、一発でふっとんでいたからな。
木村 俺はね、大きい相手とやると、これは投げやすいと思う。 日本人で百キロもある奴は、しまっていないからだ。 稽古不足だからこいつは脂肪がついていると思ったんだ。
ーー木村先生から見て山下や斎藤は稽古不足ですか。
木村 さー、技術面から見ると、真からその道を研究しているようには思えないな。(中略) 柔道をやるとガニ股になるため、左足を踏み出すとき、どうしても開きぎみになる。 これゃいかんというんで、俺は歩き方を変えた。 爪先をまん前に向けてスッスッと歩くんだ。 だから、普段歩いている時でも、足サバキの稽古になった。力を一点に集中しないと、上体の力で投げることになる。 だから今の柔道じゃ相撲には勝てないよ。 本当は相手がでかければ、それだけくずしやすい。 体重があるから、ちょっとくずせば自分の体重がかかっていく。
塩田 今の柔道にはくずしが無い。 だから階級制になって、小さい者が大きい者を倒すことができなくても良くなっている。
木村 柔道のとらえ方が違う。 俺らの頃は、相手が突いたり蹴ったりしてきても対応することを考えた武術だった。勝負には勝つか負けるかしかない。 山下が遠藤とやったときも、あの試合はハッキリと山下が負けていた。 試合開始直後に遠藤が山下にカニバサミをやって倒したが、なぜ引き分けで延長なのか? カニバサミが禁止技なら遠藤の反則であり、OKなら遠藤の勝ちだ。試合の結果は一生ついて回るものであり、主催者のルールの解釈で選手の勝敗が左右されるのはおかしいんだ。私らの頃は、試合はそのまま勝負だった。 雌雄が決するまで40分間、全日本の決勝で戦ったこともある。俺は、試合で敗けることは死ぬことと同じだと思った。 その覚悟でやっていたから、試合では1度も敗けたことはなかった。
塩田 死ぬと言っても、死に直面したことのない人間には、その覚悟もわからんよ。
木村 この前、拓大の総長がね、「木村さん、あなたは死んでも物事をやりとげると言いましたけど、死んでしまったら元も子もないじゃないか」と言うんだ。 私は、この人は武道を徹底してやったことがない人だと思った。 私が言いたいのは、本当に死ぬ覚悟があれば、訓練の度合いが違うんだ、ということだ。
塩田 頭で理解してもらおうとしてもダメなんだ。 命がけっていう言葉は簡単だけど、それを実行に移すには自分を無くさにゃいかん。
木村 そうだ。 本当に無くなるからね。 死ぬというのは、どういうものかと思ってね、自分が試合に負けたら死んで見せるという気持ちを見せるとはどういうことかと思ってね、短刀を机の上に置いておいたんだ。(中略)本当に死ねるかどうか、ある時、ウーッと自分の腹に短刀を刺して見た。(中略)よし、あとは短刀を引っぱれば自分はいくな、と思った。 そこから先は気合だからね。 一気に引けばいい。 そのときに安心した。 よし、自分は本当に死ぬことができると確信を持った。
塩田 真に迫ってる、木村政彦って男は本当に大したもんだよ。 そこまでいけば恐いものは無い。拓大もすごい男を出したもんだ。 木村のような武の神髄を極めた男を出した大学は拓大以外にない。 拓大はもっと誇りを感じるべきだな。 東大なんて知識だけだからな。(笑) 頭じゃなく、実際に自分を捨てて体験する、体得ってことはなかなかできないんだ。
木村 塩田も、命がけを何度も体験してるんだろ。 当時はいろいろあったからな。
塩田 命がけねえ……。 まあ、もう昔のことだから話してもいいだろう。(中略) それまで、合気道の練習をしてても自分が強くなったかどうかわからなかったんだが、日本を発つ時、先生が、「塩田はん、あんたはもうどこへ行っても負けんから」と言ってくれた。 それでも自信はなかったんだが、この事件をきっかけに、死に直面したとき、いかに自分を捨ててしまうかを学んだような気がする。日本へ帰ってから、日本全国の警察予備隊に指導に回ったが、1度もおくれを取ったことはない。
木村 命を捨てるっていえばね、俺は本当に自分の命を捨ててしまったような不思議な経験があるんだ。(中略)稽古に行ったとき、学生が82名もおってね、全員が猛練習していた。 当時は強かったんだ。 高等師範といえば。 よろしくお願いしますって言ったら道場に上げてくれてね、かかり稽古だ。 俺が学生選手権をとったもんだから、こいつをブッ倒せって相手は向かってくる。 こっちは投げられまいと必死だ。 膝でも着いたら一本になると思ったからね。1人5分でやって、70人目くらいかな。 やってるうちに気が遠くなって、それでも奮起してやってたら意識不明になって、前のめりにブッ倒れた。 しかし、自分の体は動いてるんだな。 気を失ったけども攻防の技術を尽くして戦っている。 それから自分がどこに行ったのかわからない。 見ると、高等師範の学生が15人くらい集まって、道場の片隅で何か見てるんだ。 俺は稽古をしながら、あいつら何を集まって見てるんだろうと思って、ソーッと見ると、誰かが長々とノビている。 上からのぞいて見ると、アッ俺じゃないか。(笑)ノビてる俺の顔を見ると安心立命だね。 本当ににこやかに寝ている。 その寝姿がいいんだよ、本当に魅力的に感じた。
塩田 どっちが現実なんだろう。
木村 それがね、どっちが本物かと思いつつ俺がここにいるなら死んだのは誰かなと思いながら稽古は終わった。人間っていうのは、死ぬ寸前、霊界に行く前にね、何かがあるんじゃないのかな。
塩田 よく死ななかったな。
木村 7時間ぶっ続けだからな。 一度も膝を着かなかった。 もうろうとしていたが、帰るときには鼻歌を歌いながら帰っていったら、みんなびっくりしていた。(笑)
塩田 今、木村が言ったように、霊というか精神力の驚異を俺も目のあたりにしたことがある。(中略)肉体は滅びても精神は向上せにゃならん、というのが、先生の考えだったから、だから”ワシが昇天する前が一番強い”と先生は言っていたが、それも証明する話がある。先生はガンで亡くなられたんだが、死の数日前、もう骨皮スジエモンになっているのに、いきなり「稽古しよう!」と布団からハネ起きた。 絶対安静なものだから屈強の内弟子が止めようとすると、4人とも家の中から庭先までブン投げられたんだ。木村がさっき無意識で戦っていた話をしたけど、それは合気道の極意でもあるんだ。
ーーお2人の達人に、一般の人がどのように稽古すれば、その極意に近ずけるのか、そのヒントを教えて下さい。
木村 むろん稽古するしかない。 しかし、今の人にただ稽古をしろっていったってダメだろう。 ムダな稽古はしたくないだろうしな。 ただし、これだけは知っておくといい。 稽古には段階があるんだ。始めは強くなろう強くなろうと思って稽古をするけど、それじゃ芸がない。 ある段階になると、人はまわりの人から強く思われたいんだ。 強いところを見せたいから相手を投げたい。 でもそれじゃダメだ。 自分はどういう技をマスターしたいのか、その意志をはっきり持ったら、相手から投げられようが、どうしようが関係ない。俺は大外刈りにこだわってきたから、負けても大外刈りだった。 その技をマスターしようと思ったら、初心を貫徹する。 稽古で裏を取られてカーッとなるんじゃ、せっかくの技が我流で固まってしまう。 そこで、今まで研究したもんが何もならなくなる。
塩田 基本だよな。 基本を身につけないうちに絶対にその先に行けない。俺が植芝先生に教わったときは、毎日何を教わるのかわからなかった。 ものすごい高度なことをやる日もあれば、翌日は基本的なことをやる。今、自分が合気道を指導する立場になって自分の経験から数少ない基本を取り出して、まずそれを徹底して身につけさせるようにしてる。
木村 俺が独りで練習してるときも、ほとんど基本の繰り返しだった。でも、ある程度のところまで行ったら、伝統的な型をそのまま反復するだけじゃなく、その動作の持つ意味を理解しなくちゃいけない。どこに相手を投げるか、こっちに投げるか、投げる方向が違ってくると、それによって手の引きとか腰の落とし具合が全然違ってくるんだよね。 ここに投げるんだと決めれば、それに対する手の引き、腰の位置、脇のしめ方、腰の入り方が決まってくるわけ。 それを今の人は研究せず、昔の型をそのまま繰り返している。 人間は背の高い人もいれば低い人もいる。 それによって、技も変わってくるんだ。 理論を理解できないと、その人にあった技を研究することはできない。
塩田 技を徹底して体に浸み込ませれば、あとは相手に対しても自然に技が出る。 木村が無意識で戦ったというけど、それは徹底して技を体に浸み込ませた上でのことだ。 ああして投げてやろう、こうして投げてやろうと思っているうちはダメだ。おそらく木村のような達人は無意識にやってるんだろうけど、合気道では、それを呼吸力と言う。 力でない力、相手に併せて自然に出る力だ。 リズムといってもいいね。呼吸は3種類あって、「吸う」、「吐く」、「止める」がある。 吸う息は相手を誘うが、吐くときは極限の力を出すとき、止めるときは瞬発的な動きをするときなんだが、この3拍子に、中心線を合わせる。 どんなときでも頭と足の先を結ぶ中心線を崩さなければ、相手に投げられない。自分の方から、この技をかけてやろう、と気が先走ると技があとに来るから、そこにズレができる。 息との関連性がない。 しかし、呼吸と動作が一致すれば、あとは相手との呼吸を合わせるだけで良い。 相手の動きに応じて自分が反応できるわけだ。知らぬ間に相手の体を崩して、投げることができる。 これが自然体だ。木村が、どんなに大きな相手でも投げ飛ばすことができたのは、自然体をマスターしてたからだろう。木村が選手権をとったときは無になっていら。 相手が木村の思うように動いてくれるんだ。 自然が味方してるんだから。
木村 自然かどうか知らんが、自分は試合の前の日から勝つのはわかっていた。 勝つか負けるか試合の前の日に正座して考えるんだ。 禅と同じでね、すると自分の勝つ姿が浮かんでくる。 そうしたら神仏に明かりをつけて、勝利を祈願すると、翌日はどんな相手も小さく見えて、そして前の日に見た通りに勝つんだ。 試合の前の日には勝つか負けるか煩悩になやまされるからね。 塩田がいうように、煩悩を払って、自然体で臨むようにしていたのかもしれないな。
塩田 合気道も柔道も、動作は違っても、根本は同じなんだ。 山の登りにはいろいろあっても頂上は同じようにね。
木村 登るには稽古しかない。
塩田 若いうちは自分の持っているものを全てハキ出すくらいに打ち込め。 闘志でも腕力でも出しきることが大事だ。 極意だの自然体だのは、年をとってから考えればいいことで、若いうちはガムシャラに突進していくことだ。
木村 武道の国、日本の伝統を受け継ぐ若い人間に登場してきてもらいたいもんだな。
如何でしたでしょうか? ところで、増田俊也先生の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の最後の最後に興味深い話が出ていましたね。 実話なのかどうか、裏を取れる話では無いのですが、一挙に伝説が広がった感じがします。それと大山倍達総裁の話も少し出ていました。早く書籍化して欲しいものです。それから、今号の「月刊フルコンタクトKARATE」2011年7月号に、不動禅少林寺拳法の特集が載っていましたが、その中に元金剛禅少林寺拳法の白蓮会館館長 杉原正康館長と、元不動禅少林寺拳法の太道奥旨塾宗師 中井道仁宗師の対談がありましたが、この中でちょうど当ブログで連載中の「極真空手と少林寺拳法の抗争」について話しているところがありました。 それにしてもタイムリーな記事だwそれでは、また。
参考文献:
1987(昭和62)年12月号『月刊フルコンタクトKARATE』福晶堂
2011(平成23)年07月号『月刊フルコンタクトKARATE』福晶堂
1972(昭和47)年『ケンカ空手 世界に勝つ』大山倍達著 スポーツニッポン新聞社
http://www.masoyama.net/?eid=85&fbclid=IwAR1XjrTr_3PNsE6rEZHzBkSEwnxdquiETIgSYfN1vfu40dHnhaVnRgV7Kxk#gsc.tab=0
映像◆『ゼイリブ』1990年TV日本語吹き替え版https://youtu.be/h6ZSIcHXMNk
‡2019(令和元)年06月04日(火) YouTube公開
2021(令和三)年07月28日(水) 79,349 回視聴
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レジスタンス・ムーブメント状況更新
2020(令和二)年04月14日(火) 今回の集団瞑想は、とてつもない成功でした。約800万人が瞑想の告知を受け、実際の参加者は110万人を超えました。これだけの団結力が大規模に示されたことは驚異的でした。
■関連記事「拡散してください!アセンションタイムラインとコロナウイルス終焉の瞑想」■Twitter共同創設者のジャック・ドーシーは、今回の瞑想開始の瞬間に瞑想マークをTwitterに投稿しました。私たちは文字通り、焦点を定めた統一意思を地球の量子場に満たして磁場に影響を与えました。関連記事「世界同時瞑想によって地球の地磁気が激変!」焦点が定まった意思と強いビジョンが十分に存在する場合には、地上の住人の覚醒層は統一的な行動を取れることがこの瞑想によって証明されました。つまりイベントが起きた時には、地上のライトワーカーとライトウォリアーの多くが、従来は立ち入り禁止とされていた光の勢力の一定の作戦に加わることができるということです。時が来れば光の勢力は本件について直接の指示を出します。本瞑想によって、ウイルス拡散を抑制することができました。世界全体での新規感染数は本瞑想直前の
2020(令和二)年04月04日(土)にピークとなり、以降減少に転じています。また、人口削減を伴うニューワールドオーダー計画を阻止するポジティブなアセンションタイムラインを安定化させることができました。ニューワールドオーダー計画は、1. ウイルス散布、2. 経済崩壊、3. 人口削減という3段階から成り立っています。第3段階は絶対に起きないので詳細は割愛します。第2段階の影響は限定的なものとなるので、まずは第1段階の計画の詳細について触れます。本計画は、ビル・ゲイツ、デイヴィッド・ロックフェラー、ジョージ・ソロス、マイケル・ブルームバーグなどが、2009年のマンハッタン会合で最終決定されたものです。
■関連記事「億万長者クラブの人口削減計画2009」■ウイルスを実際に作ったのは米国とカナダと中国の各研究所の国際協力によるもので、ウイルス作成の最終段階は武漢が担当しました。武漢ウイルス研究所との関係情報を中国政府は隠蔽しようとしています。トランプ政権が、何らかの調査を実施したいとしています。すでに訴訟が数件提起されています。
情報筋によると、本ウイルスの実際の作成ではビル・ゲイツが指揮するチームが関与しています。フランク・プラマーは、ウイルス作成に関与した国立微生物学研究所の前所長で、自らが本ウイルス作成に関与しており、本人はカバールによるMKウルトラ洗脳の被害者で自分の意思に反してウイルスを作成した後に、口止めのためにカバールに殺害されました。
情報筋によると、アンソニー・ファウチも本ウイルス作成に関与していました。プレアデス人が、本ウイルスの中国株の封じ込めに成功した後に、カバール工作員が韓国とイランとイタリアに3種類の株を散布しました。韓国株とイラン株の封じ込めは成功しましたが、イタリア株に対してまだできていません。現在の世界的感染はイタリア株です。興味深いのは、武漢在住のコブラのライトワーカーチーム約60名がだれ一人として感染していないことです。チームメンバーは毎日、コマンドRCVスターダストを使用していました。
関連記事「終末時の狂気続報」■カバールはEU各国に対してイタリアとの国境を閉鎖しないように命じて感染が欧州全体に拡散し、後にはミラノからニューヨークへの直行便の運航を継続させて米国にウイルスが拡散しました。カバールはまた、米国でのコロナウイルスのテストが長期にわたって出来ないようにして感染拡大を工作しました。そして移動制限に反対しました。これによって、ビル・ゲイツ、アンソニー・ファウチ、テドロス・アダノム、ジョージ・ソロス、ジャレッド・クシュナー、江沢民らによる次の計画となる全世界対象の予防接種と18か月間のロックダウンへとつながりました。
関連記事「アンソニー・ファウチ博士はビル・ゲイツと組んで「グローバルワクチン行動計画」を推進し、ヒドロキシクロロキンが効かないと嘘を広めている」■ビル・ゲイツが本計画の首謀者で、人々にマイクロチップを埋め込む算段です。
関連記事「人類総マイクロチップ接種計画」ナノチップとスマートダストの目的」■ビル・ゲイツは、ジェフリー・エプスタインと強いつながりがありました。WHO事務局長のテドロス・アダノムにも、かなりいかがわしい過去があります。以上に述べた人たち全てが、ウイルス拡散とその後のワクチン開発に対する強い経済的利害関係者です。ウイルスに関するデータ操作
関連記事「専門家のコロナウイルス予測も政治家の思惑次第」■その計画に対しては強い反対があります。白い貴族のケネディー家のメンバーであるロバート・ケネディーJrは、反ワクチン運動を止めさせるために親族2名の殺害という間接的な脅迫を受けました。
関連記事「白貴族」■一方、ロバート・ケネディーJrは反撃して、ビル・ゲイツのことを暴露しました。
関連記事「ビルゲイツの全世界対象ワクチン計画」■以下の署名運動も広がりを見せています。その気のある方はどうぞ。
関連記事 [ご署名をお願いします]ビル&メリンダ・ゲイツ財団に犯罪調査が入るよう求める嘆願書」■そしていま、ビル・ゲイツによるカバール派閥はすでに敗北しつつあります。コロナウイルスについての信頼のおける医療情報と証拠が開示されました。
■関連記事「コロナウイルスについての事実」■ウイルスに関する別の知見も提出されています。集団免疫を得るのは思ったよりもはるかに近いようで、パンデミックはまもなく収束するかもしれません。ロックダウンを実施していないスウェーデンは、パンデミックをうまく切り抜けています。カバールの計画第2段階(経済崩壊)に関しては、債務免除の特赦の話がすでにマスメディアでも話題になっています。
FEDによる大規模な富の分配
FEDは紙幣の印刷を簡単にできるので、その後のハイパーインフレを気にしなければ、それほど難なくできるでしょう。現在のコロナウイルスの状況によって、地球のアセンション過程における次の進化段階に向かう地球規模での開始へとさらに進んでいます。
■関連記事「コロナウイルスによって地球は進化する」■プレアデス人の関与がさらに拡大しています。
2020(令和二)年03月26日(木)にはプレアデスのマザーシップの動画が録画されました。こちらに映っているのは、長さ約7マイル(≒11.3KM)のプレアデスの小型のマザーシップで、月の裏側から月面30マイル上空の月周回軌道のエンディミオンクレーターを通ってやってきたものです。プレアデスの主要艦隊は、
2020(令和二)年04月04日(土)のプレアデスと金星のコンジャンクションポータルを利用して進行し、現在は太陽系内部に配備されており、地球解放支援への準備が整っています。スターダスト技術の更に進化版を現在開発中で、これを使えばウイルスの殺傷力と危険性を低下させることができます。信頼のおける医療情報筋によると、本ウイルスは危険性の低い株に変異したとされています。現在の地球解放作戦についての情報開示については一切、許されていません。一つだけ申し上げることができるのは、大量逮捕が本当に起こるときには、マスメディアで情報が流れるということです。この戦争はまだ終わってはいないため、光を保ち続ける必要があります。
■Victory of the Light! 光の勝利!■
■光の勢力の「プラン」■
■光の勢力 VS 闇の勢力■
■闇の契約の解除と、プロテクションのための要請文■銀河法典を発令させるための宣言文
【閉店】ポーラーベア 広島立町店
2022(令和四)年06月02日(木) アイスクリーム・かき氷, 中国, 広島, 閉店情報, 飲食店
2022(令和四)年06月30日(木)閉店 広島県広島市中区
住所 〒730-0032 広島県広島市中区立町5-2
アクセス 広島電鉄宮島本線「立町」電停より、徒歩1分
営業時間・平日12:00~20:00頃
土・日・ 祝13:30~20:00頃
https://kaiten-heiten.com/polarbear/
https://twitter.com/yt31000/status/1530770840219885571
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長年愛された広島のジェラート店舗が閉店へ
‡2022(令和四)年06月04日(土) 12:45 広島ニュース 食べタインジャー
写真◆ボリューム満点のジェラート
近年、商業施設のテナントとして続々オープンを続けている広島の人気ジェラート店「ポーラーベア」が、1号店である広島立町店を
2022(令和四)年06月30日(木)で閉店すると発表しました。広島立町店は、中の棚商店街(広島市中区)の一角にある人気ジェラート工房。毎日作り立てのフレッシュなジェラートが提供され、コーンやカップにボリュームタップリに盛ってくれるのコスパ最高のお店。とくに暖かい季節には行列の絶えないお店として親しまれてきましたが、6月末日での閉店の知らせに悲しむファンも続出。ただ、現在営業中の「イオンモール広島府中店」「ジ・アウトレット広島店」は引き続き営業されるとのこと。また、
2022(令和四)年07月07日(木)にはゆめタウン廿日市店がオープン予定となっています。
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tabetainjya/region/tabetainjya-20220604124547792