過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)


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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1976(昭和51)年08月06日(金)山口崇
②1979(昭和54)年08月06日(月)さだまさし
③1980(昭和55)年08月06日(水)浜美枝
④1981(昭和56)年08月06日(木)星野知子
⑤1982(昭和57)年08月06日(金)笹森恵子
⑥1984(昭和59)年08月06日(月)鶴見辰吾
⑦1985(昭和60)年08月06日(火)柳沢慎吾
⑧1986(昭和61)年08月06日(水)藤田喬平
⑨1987(昭和62)年08月06日(木)松重美人
⑩1990(平成二)年08月06日(月)丸木位里×丸木俊
⑪1991(平成三)年08月06日(火)平山郁夫
⑫1992(平成四)年08月06日(木)扇ひろ子
⑬1993(平成五)年08月06日(金)新屋英子
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑭1996(平成八)年08月06日(火)猿橋勝子
⑮1997(平成九)年08月06日(水)グッチ裕三
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
⑯1998(平成十)年08月06日(木)加藤周一
 2001(平成13)年08月06日(月)中沢啓治
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年11月28日(木) 夢路いとし・喜味こいし |
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「あの8月6日の日に広島にいらした。
¥はいはい。ちょうどその時分倉庫当番をやっておりまして、それで前の晩に空襲があってあの重機関銃で対空射撃というのをやらなければいけないのでやってちょっと1時間ずれていてそれであれ1時間ずれていないとウジナまで将校を迎えに行っていないといけないのでウジナでやられていたはずです。遅れて班内で飯を食ってたの時にその時分広島というのは空襲といっても爆弾を落とさなかったんですよ。
「それまではなかったそうですね。
¥ヒロと呉の交通路ですから。関西圏をうろうろするぐらいのことであってまた29が来ているとこの間亡くなりましたけども上等兵がやっぱり私と一緒に飯を食っていてまた29が来ているぞといってパッと窓を見た瞬間に光がパッと、光だけを見たんです。それで人間の本能でこっちに銃座って鉄砲並べるところがありますけども。そこのしたの方にとにかく外へ出なくてはいけないというとっさに思ったんですね。メンコを・・メンコって茶碗と箸を放り投げて銃座の下までパッと逃げた記憶はあるけどもその音の瞬間につぶされまして。
「建物が?
¥はいその木造建ての建物でしたからでその木造建ての建物に下敷きになって僕の上にこんな大きなはりやなんかが体の上に乗っていましたわ。それで雨が降ってきて気がついて手を伸ばしたら”生きている奴がおる”といわれてって助けてもらったんです。
「じゃあその建物がつぶれたんで逆にその中に入ってらしたんでずいぶんよかったのかもしれない。
¥だからその何かおかしい空気とかそういうものはあまり吸ってないのかどうかだから原爆症というものにはならなかったですね。
「それでとにかくも着る物が全部ボロボロになって、
¥それはボロボロというよりもウジナからニノ島という病院に運ばれる間に野戦病院みたいなところできているものを脱がされてで結局ふんどしひとつでその病院に入ったわけです。
「兵隊さんですからね。
¥でそこで終戦になりまして。
「それで白いものを着ていたというのはそのへんで着せられたもの
¥いやあのとにかく終戦で日本には兵隊がいないから兵隊は全部どこか囲いに入れて飼育されるとアメリカが来たら。いうそういう流言がそういうのが流れてきまして身元引受人があるまでは帰れ、引受人がないものははってでもほうてでも帰れとだんだんだんだん日がたつにつれて
「ほうてって這ってでもですね。
¥だんだん日がたつにつれてをおるにおられようになってだれも偉い将校とかだれもおりません。でとにかく帰ろうと連隊が山口でしたが山口に帰るよりもとにかく大阪に帰りたいと思いましてさぁ帰ろうと思ったらもう着るものがないわけですよ。それで自分に配布された白衣はあるわけですけども白衣着てこれ汚れてはいかん。隣を見ると死んだ兵隊がどこの兵隊かしらんけどもまあいろんな兵隊が入っていましたからその兵隊のさらの白衣を2枚重ねてそれで白衣というのはほんまの寝間着みたいなもんで小さいので結ぶだけでいいんです。歩いていると定まらないのでちょっとこれ帯かなんか欲しいなと思って、帯みたいなものはないかなと思って倉庫の方に行ったら藁縄があったんです。それを帯の代わりにしめまして。さあ履くものがない。どないしようかと思って便所に行ったらわら草履がありまして、そのわら草履を1足といじゃいき履いてわら草履が途中で切れたらいかんから乗り物に乗れるか乗れんかわからんから切れたらいかんからといってサラのわら草履を探して2つ腰につるしまして昔の時代劇みたいなもんですわ。頭に帽子がないからといって医務室で三角巾をまきましてそれでウジナまで船で送ってもらって、ウジナ-広島の駅まで歩いていって
「その広島の駅で将校さんにお会いになった。将校の制服を着ている
¥将校じゃないんです。軍曹かなんか。ちょうど引き揚げ列車ですわ。下の方へ行く九州の方へ行く列車。それが目の前にとまったんです。ちょうどここの足のないお方がいっぱいですからおトイレの窓のところに出していてちょうどまあ前に私が立っていたものですから
「まあ17歳の少年ですよねこっちは。
¥おいおい貴様貴様はどうした?。向こうは軍曹ですから”はい”と言って貴様は新型爆弾にやられたそうやな。はいピカドンというものにやられました。で貴様は頭はどうした?いいやこれは軍帽がありませんから三角巾を巻いています。そうかといってザツノウから戦闘帽というものがありましたけどもそれをこれはおれが戦地でかぶっていたものですからこれをかぶれ。ちょうどサイズも合う合わないやなしにもかぶって。それでしばらくちょっとわれわれも片足をやられてなこれから九州に帰るんだけども貴様は腹は減っているか?。はい。青い顔をしていましたやろ。また小豆の携帯食料を赤ご飯ですなあれの携帯食料の缶詰をひとつくれて、それでちょっと話をしていたら貴様はたばこは吸うか?といってはい吸います。そうかといって今度は自分のかぶっている帽子を(涙)ごめんなさいこれ私言うとありがとうになって帽子から”誉(たばこの名称)”を出してくれて誉です。それが9本
「”ほまれ”という名前のたばこです。
¥9本あったやつを4本いただきまして4本を自分が取って後の1本を吸っているときに汽車が出だしてさあこれをやると言って(軍曹が吸っていたたばこをこいしさんがもらった)。何であのときにおところと名前を聞いとかなんだ。まあ若いですからね。だからしょうがないことだと思ったけども戦後になれば御挨拶もできたものになと思っていう。ごめんなさい失礼しました(涙をふく)。
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-11-28.html

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 ┃ 『トットチャンネル~徹子の小さな放送局~』あいさつチャンネル    ┃
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 |1997(平成九)年 8月 6日(水)|新星日本交響楽団の理事長に就任しました
 └─――――――――――――┘新星日本交響楽団に対しての、みなさまのご支援、ご親切、心から感謝しております。さて、この度、私、財団法人新星日本交響楽団理事会におきまして、理事長に任命されました。長いこと理事はさせて頂きましたが、理事長は、私に大役すぎる、と思いました。一度はおことわりしましたが、新星日本交響楽団がめざす「音楽によって心豊かな社会づくりに貢献する《というテーマは、二十一世紀を目前にした今日、私にも、とても大切なことでございます。色々考えたすえ、未来に希望が持てるような音楽、人びとの心を豊かにするこの素晴らしい文化を、新星日響のみなさんと一緒にもっと広げてゆくために、お役に立てるならと、決心いたしました。私の父はヴァイオリニストでしたが、何よりもオーケストラが好きでした。私も母のお腹にいた時からオーケストラを聞いていました。そして、私もオーケストラが大好きです。それにしましてもオーケストラの理事長というのは初めてでございますので、いたらないことも多いと存じます。みなさまの御意見を伺いつつ出来る限りのことを、やらせていただこうと思っております。どうぞ、よろしくお願いいたします。
 http://www.inv.co.jp/~tagawa/totto/message.html
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 ┃ 『100年インタビュー』 ┃NHK-BSプレミアム
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛午後0:00~1:30
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 |2011(平成23)年 8月 6日(土)|   ゲスト・・・黒柳徹子
 └─――――――――――――┘インタビュア・・・石澤典夫
 http://ja.wikipedia.org/wiki/100%E5%B9%B4%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC
 ┏━━━━━━━━━┓    テレビ朝日
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:15~1:55放送 ~戦争の悲劇を繰り返さないため、戦争体験を次代へ~
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 |1982(昭和57)年 8月 6日(金) 笹森恵子「被爆の苦しみに耐えて」         |1982年戦争特集1回目
 |1987(昭和62)年 8月 6日(木) 松重美人「原爆投下直後を写す」      |1987年戦争特集1回目
 |1990(平成二)年 8月 6日(月) 丸木位里・俊「夫婦で原爆を描く」     |1990年戦争特集1回目
 |1992(平成四)年 8月 6日(木) 扇ひろ子「被爆!発病への恐怖」      |1992年戦争特集1回目
 |1993(平成五)年 8月 6日(金) 新屋英子「韓国人被爆者の悲惨」      |1993年戦争特集1回目
 |1996(平成八)年 8月 6日(火) 猿橋勝子「放射能の恐怖を訴える女性科学者」|1996年戦争特集1回目
 └─――――――――――─―――――――――――――――─――――――┘徹子の部屋では、年末や新春特番,公開録画などいくつかの企画を行ってきたが、それらの中で視聴者の支持を得、毎年の恒例となってきた企画が、<終戦><原爆>、<開戦>等の記念日の前後に放送してきた戦争特集である。『戦争が終わってから50年以上も時間がたつと、戦争の悲惨さを知らない人の数の方が多くなってくるので、今のうちに戦争の話を聞いておかないと次の世代の人々に戦争体験を伝えられなくなってしまう。このことを正確に伝えるのが私たちの使命 だ』という思いから続けられてきた。
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/data.html#D3
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 8月 6日(火) 大江健三郎 |第回
 └─――――――――――――――――――┘
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-8-6.html
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 |2008(平成20)年 8月 6日(水) 松本 明子 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「涙の節約生活と8歳愛息」ドラマやバラエティーで活躍する松本さんは、俳優の夫と8歳になる息子と充実の日々を過ごす。今日はプライベートビデオで“得意”の節約生活を紹介。そこには黒柳直伝のワザも!昨年の10月、松本さんは最愛の母を亡くしたばかり。15歳で芸能界入りを望んだ松本さんを、そっと後押しをしてくれた母だった。母の柩には7歳だった息子が、大好きなおばあちゃんに当てた手紙を入れたという。その感動のメッセージとは…。   
 松本明子さん出演舞台「任侠るねっさんす~歌姫誕生物語~」東京公演 東京芸術劇場・中ホール 10月11日(土)~10月26日(日)チケット一般発売 8月2日(土)お問合せ:03-5985-1707  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/080806.html
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 |2009(平成21)年 8月 6日(木) 岩崎 宏美 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「10歳年下イケメンと再婚を」 7年半の交際を経て10歳年下の俳優・今拓哉さんと入籍したばかりの岩崎さん。夫が40歳、妻が50歳になる節目の年に結婚の選択をしたという。岩崎さんは、前夫との間に19歳と17歳の息子を持つ。離婚後、2人の息子たちと離れて暮らす辛さから一つの夢を持ったという。それは、いつか息子達に自分のステージを観てもらうこと。長年の夢を叶えた時の感動と喜びは…。  
 ◎番組中に流れた曲「聖母たちのララバイ」CD [PRAHA]¥3500 「始まりの詩、あなたへ」CD [Thanks]¥3000  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/090806.html
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 |2010(平成22)年 8月 6日(金) 山本 文郎 |第回
 └─――――――――――――――――――┘「原爆で失った父への思い」 いつも朗らかな山本文郎さんが、少年時代の過酷な体験を明かす。昭和20年7月31日、医師だった父は召集され広島の陸軍病院に勤務。その6日後に被爆した。当時小学校5年生だった山本さんはすぐに父の入院先に駆けつけたが、そこには全身黒焦げになった父の姿が。懸命の看護をする山本さんへの遺言は、後の人生を支える言葉となったという。  
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/100806.html
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 |2012(平成24)年 8月 6日(月) ペギー葉山 |第9287回
 └─――――――――――――――――――┘「小学時代の戦争体験 日記と手紙」今年歌手生活60周年を迎えるペギー葉山さんを迎える。ジャズからスタートしたが、民謡「よさこい節」が入った曲「南国土佐を後にして」がミリオンヒットとなり一躍スターとなった。戦争中は小学校5年生で親元を離れ、集団疎開を体験。今日は、その当時ペギーさんが綴った日記や手紙を公開しながら同世代の黒柳と語り合う。 
 ☆新曲「結果生き上手」 1200円(税込)キングレコードより発売中
 ☆コンサート 日時:9月30日(日)ゆうぽうとホール(東京 五反田)15時開演 予約・問い合わせ 東京労音 03-3204-9933 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/120806.html
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 |2013(平成25)年 8月 6日(火) 星由里子 |第9542回
 └─―――――――――――――――――┘「若大将加山が怒った衝撃の真実!」 ゲストの星由里子さんが、「若大将シリーズ」で加山雄三さんの恋人役を演じたのは50年前のこと。加山さんとの懐かしい思い出は…。星さんは1958年、「ミス・シンデレラ娘」に応募総数2300人の中から最後の10人に選ばれた。当時の様子を貴重な写真で振り返る。若い頃から仕事に明け暮れた星さん。食事は全て同居するお姑さんに頼っていると明かす。 
 ☆「花はらんまん」8月17日(土)~25日(日)三越劇場 お問い合わせ 0120-03-9354 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130806.html
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
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 |2014(平成26)年 8月 6日(水) 平  幹二朗 |第9771回
 └─――――――――――――――――――┘「80歳一人暮らしと溺愛する2歳の孫娘」俳優の平幹二朗さんには、双子の息子と娘がいる。息子の岳大さんは俳優として活躍、娘は結婚し孫娘が誕生した。2歳半になる孫娘からは「グランパ」と呼ばれていると嬉しそうに明かす。80歳で一人暮らしをする今“デパ地下”のお世話になっているという。平さんは昭和8年に広島で生まれた。女手ひとつで育ててくれた母の奇跡的な被爆体験は。 
 ☆舞台『炎立つ』
 東京公演 8月9日(土)~31日(日)Bunkamuraシアターコクーン お問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337
 愛知公演 9月3日(水)、4日(木)刈谷市総合文化センター 大ホール お問い合わせ:メ~テレ 事業部 052-331-9966(祝日を除く月~金 10:00~18:00)
 広島公演 9月6日(土)、7日(日)上野学園ホール お問い合わせ:S.E.P(シミズエンターテインメント&パフォーマンス)082-261-3271
 兵庫公演 9月10日(水)~15日(月・祝)兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール お問い合わせ:芸術文化センターチケットオフィス 0798-68-0255
 岩手公演 9月20日(土)、21日(日)岩手県民会館 大ホール お問い合わせ:岩手県民会館 事業課 019-624-1173
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20140806.html
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 |2015(平成27)年 8月 6日(木) 奥村チヨ |第10051回
 └─―――――――――――――――――┘「恋の奴隷」から46年…懐かしの秘蔵映像に」1969年の大ヒット『恋の奴隷』で、一躍スターの仲間入りをした奥村チヨさん。懐かしい当時の映像を振り返りながら、一世を風靡したコケティッシュな魅力に迫る。代表作として知られる『終着駅』では、作曲を担当した浜圭介さんと出会い結婚。98歳と97歳の長寿を全うした両親にも優しかった浜さんの深い愛を語る時、奥村さんの目には涙が浮かぶ。 
 ☆CD「終着駅 / 愛の法則 ~ 浜 圭介 作曲50年~」発売:ユニバーサルミュージック
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20150806.html
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 |2018(平成30)年 8月 6日(月) 乾貴士&大迫勇也 |
 └─―――――――――――――――――――――┘「W杯のスター2人がサッカーの妙技を披露」
 サッカーのワールドカップで大活躍した乾貴士さんと大迫勇也さんが2人で登場! W杯のエピソードなどを語る。乾さんはスペインリーグ、大迫さんはドイツリーグで活躍しているが、気になる家族との暮らしぶりは? プライベート映像を紹介する。今日は黒柳のリクエストに応え、W杯でゴールを決めた2人が自慢の妙技を披露するが、果たして…。 
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20180806.html
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 |2019(令和元)年08月06日(火) 落合福嗣 |
 └─―――――――――――――――――┘「野球人の父」に学んだ異才で大人気」
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190806.html
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
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 |2020(令和二)年08月06日(木) 工藤阿須加 |
 └─――――――――――――――――――┘「29歳 人気俳優! 7人家族秘話」
 ☆木曜ドラマ「未解決の女 警視庁文書捜査官 Season2」8月6日(木)よる8時スタート 初回2時間スペシャル
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20200806.html
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 |2021(令和二)年08月06日(金)|※休止予定
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 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20210806.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋
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 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
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 |2002(平成14)年 8月 6日(火) 大江健三郎 |第回
 └─――――――――――――――――――┘
黒柳「ノーベル賞作家でございますがついこないだフランス政府からレジオンドヌール勲章をもらいになった。その中でも最高の位のものをおもらいになったんでどうもおめでとうございます」
大江≪最高っていうんじゃないんですよ。フランスの友達からFAXが来て「君はいつ大臣になったのか?」とか「君は天皇家と関係があるのか?」とかが来ましたけどもレジオンドヌールは5段階あって一番上が首相とか国の元首にもらうのがあってそれに順ずるのが2つあります。それじゃないんです。私がもらったのは人民がもらう中でいい賞です。≫
「新聞には最高のって書いてあったんで最高のだなって思ってたんですけども。はじめシラクさんの核実験に反対してらっしゃたんで」
≪そうです私7年前にシラクさんが当選されてすぐに核実験をしました。それに対して私は反対しましてフランスで呼ばれている文学会をボイコットしました。ニューヨークで大きいテロがあって、アフガニスタンへの空爆がありました。アメリカが中心になってイギリスが協力して。それから核兵器のことを見てみますとアメリカはイギリスもそうですけども核兵器を実際に使えるものとしてちゃんと使えるように整備する。あたらしいプルトニウム爆弾も製造できるように進んでいて、私は核兵器が使われる恐れがあると思いますね。でも実際にヨーロッパを見てあのこのま前の核実験をした時も反対が強かったし、フランスは核兵器を使うという方向で考えてないと思います。ヨーロッパでフランスのはたす役割を期待しています。≫
「じゃあそこでレジオンドヌールをお受けになったというのに、大江さんはいちいち理由をお考えになってくんしょうをおもらいになったりする方なんですけどもでも本当におめでとうございました。賞をもらうとき日本語でもですけどもフランス語でもスピーチをなさいましてあれは珍しい事で・・・ああノーベル賞の時も」
≪英語で。僕は外国でやる時にねフランス語でやっても英語でやっても僕の四国のなまりが良く聞き取れるそうなんですよ。それで私の母なんかも非常に良く分かったと≫
「お母様が。」
≪あの授賞式の時も私の”光(大江さんの息子さんの名前。ひかりさん)”も一緒に行きまして黒柳さんに初めて・・2度目にお目にかかったんですか≫
「そうです。文通はちょっとしてるんですけども」
≪すぐに発見しましてね≫
「光さんが私を見て「ああ」といって立ち上がってね。私の方へ歩いてきてくださって私が「こんにちは」っていったら「こんにちは」っていってくださって。」
≪光は今年の正月に黒柳さんがおもらいになった賞についてお返しを言うようですけどもその賞について私ども家族はすごく喜んで、光はあの黒柳さんにお祝いの作曲をするというので作曲をしてその題名が”早口”という≫
「そうなんですってね。途中までになっていて続きはまた光から送りますていう風になっていたんですね。黒柳さんのしゃべり方はアデレトモデラートだったなっていう風に言ってらしてなんか終わりまで出来たんですって?」
≪あの今度お送りいたします≫
「個人で光さんから曲をもらった方はいないと思うんでうれしく思います」
≪彼の母親と黒柳さんだけだと思います。それでねその時に私は黒柳さんのお祝いの会があると思ったんです。そこへいって話すとまた大江が演説するってみんながいやでしょうから童話を1つ書いてね黒柳さんが主人公。≫
「童話というものを初めてお書きになって、それを朗読してくださるんですけども”窓際のトットちゃん”をお読みになった方だとすぐに分かると思うんですけども大江健三郎さんは”自分の木下で”というみんながとっても分かりやすい。大江さんの本は難しいという方が多かったんだけどもこんなに分かりやすい本はないということでお出しになったんですけども奥様が挿絵をお書きになったんで。チン問屋さんが出てくるんで」
≪ちんどんやさんの絵を書くのに資料を集めて1週間ぐらい悩みますからね。≫
「私が退学になった小学校の窓から見たチン問屋さんの扮装だわと思ってうれしかったんですけども。大江さんがはじめてお書きになった童話を朗読してくださるそうなんでおききいただきたいんですけども。私もはじめて聞くんですけども」
≪”いつも窓際に立ってちんどんやの行列が来るのを待ち、やってきたらすぐ教室で勉強している仲間たちに教えようと考えていた女の子。黒柳さんのトットちゃんのことを覚えている方も多いと思います、小説家の習慣から読んだ物語を記憶の中で自分の形に作りかえることのある私は女のこのその後をこうそうぞうしていました。女の子はチンドン屋を待って窓際に立っている。学校に来る限りいつも、いつまでもたって待っている。チンドン屋は中々やってこない。それでも女の子はけして待つことを止めない。窓際に立ち尽くして今来るか今来るかと真剣に待っている。とうとうチンドン屋がやってきた。皆さんには余り馴染みのないチンドン屋ですが3人か4人の鐘と太鼓を組み合わせたリズム楽器に三味線やクラリネットの楽士たちが時代物の扮装で町を練り歩きます。一昔前の宣伝タイの親しみのこもった呼び名でした。ついにやってきたチンドン屋のことを教室の仲間に知らせるとみんな窓際に集まりました。さらにこれまでになかったことが起こりました。いつもは授業中にチンドン屋に気を取られれば先生に叱られたのに、それよりもチンドン屋を見張る事を大切に思っていた少女の事はもう担任の先生もあきらめていたのです。なにも言われなかったばかりか先生も楽しそうに見物しています。子供たちが教室を抜け出してチンドン屋の行進に付いて歩き始めると女の子が先頭に立っていたことは言うまでもないでしょう。学校中の子供たちがブレーメンの民話のように参加しました。先生も驚いた事に校長先生までもチンドン屋の行進をしたのです。子供たちがまた先生たちがこんなに楽しいことがあるだろうかと思ったに違いありません。しかし夕暮れが迫ってきます、これが人生というものです。子供も行進から次々に離れて先生たちも家に帰ってゆきました。ところがあの女の子だけはチンドン屋と別れて家に帰ることをしなかったのです。いつまでもどこまでも歩き続けます。そのうち仲間にしてもらうことになり顔には小さい付け髭をかざって将軍というあだ名がつけられました。クラリネットを習いながらチンドン屋の仕事をしています。そしてあの女の子を大切なメンバーにするチンドン屋はもうアフリカ大陸までに足を伸ばしているのです。子供たちの病院の中庭へとチンチンドンドン演奏しながら入っていきます。アフガニスタンの難民たちのテントで無くした片足に義足をつけて歩く練習をし、戦争が終れば自分の羊の世話をしに村へ戻るつもりだという子供の話を聞き彼を励ます音楽をチンチンドンドンとやる。将軍はクラリネットの名手になっています。”そういうものなんですけども。≫
「私のことを将軍と。戦争が嫌いな大江さんですけども私のことを将軍とおっしゃるのは御自分が何かをなさろうとする時に人が注目するといい事であっても躊躇してしまうのに、あなたは子供を助けとようと思ったら将軍のように先頭に立っていくんですねといつかお手紙を下さって。その将軍でしょうきっと。だから今は光栄に思っています。でもまあ大江さんの初めてお書きになった童話の主人公にさせていただいて。でもこの後に子供をきずつけてはいけないということをお書きになりたくて」
≪僕は子供の事を書く本はこの前1冊書いて、もう1冊かくと書くことがありませんからね。書きたいと思うことをまとめて正面から言おうと思っているんです。≫
「さて今年は広島に原爆が落とされてから57年経つんですけども広島ノートと言う本を書いてらっしゃるんですけども戦後20年たってからなんですがお書きになってちょうど広島にお調べにいかれるときに光さんがちょうど生まれた」
≪そうですね6月13日に生まれた。そして私は6月の終わりには広島にいってました。色々な調査をして書いたんですね。その時に広島原爆病院にシゲトウフミオ先生がいられてその方に話を伺ったんです。その方はですね広島で非常に苦しい事が起こったと。現在でも苦しみは続いているということはありますけどもね、そういうことよりもどのように被爆した人が生きていこうとがんばったか、また原爆症であの苦しんでいる人が生きていこうとしたか、かれが生き延びるためにどのように協力したかを中心にずっとお話になりましてね。私には頭が2つに見えるくらいの障害だったものですから見た目には≫
「光さんが」
≪どうしたらいいだろうと思ってました。それに対して非常に自分と一緒に被爆したお医者さんの仲間でこんなにも苦しんでいる人がいるのに自分は何もすることができないと自殺した青年がいたと。目のお医者さんかな。そのことを僕に話されるんですよ。いくたびに。それはね僕に直接おっしゃらないような人格なんですよ。非常に子供の事で苦しんでいてもそれでひっくり返ってもしかたがないぜっていうことを言おうとされたんだと思いますね。こんなに立派な人がいるということと、世界中に原爆症を直す方法は誰も知らないんですよ。それを患者さんと一緒に考えていった人。それを僕にねニコニコして僕にね「大江さんもがんばってください」といわれればがんばらないといけないなって≫
≪どんな事があっても逃げない先生だそうで、それで光さんをどんな事があっても逃げないで育てていこうと決心なさったのがそのときだそうでございます。≫
黒柳「さっきの待望していた長男が頭が2つあるかと思うぐらいのお子さんだったのでそれからすぐにシゲトウ先生にお会いになったときもどうしていいかわからない状態だったので。その先生も被爆してらっしゃるのね。さっきおっしゃったのは看護婦さんも血だらけになりながらその先生も被爆しながら被爆した人を治そう、何とかしようとそのことを何回も何回もおれをお聞きになって光さんを育てていこうと。それから原爆の日でいつも苦しむのは子供でいつも子供に対していつも不正をはたらいてはいけないといつも大江さんは思ってらっしゃるんですけども。林京子さんこの方は長崎の原爆の」
大江≪長崎で8月9日にプルトニウム爆弾が落とされた時14歳で会社ではたらいていて、学徒動員というのがありましてね。それでどっかの叔母さんに付いていっているうちに松山城ですね、プルトニウムの放射能の一番強いところまでついいっしまうんですよ。その方が被爆してから24年経ってからずっと考えてきた事を”祭りの場”という素晴らしい短編に書かれまして、それから24年経って・・・一番最初は30年経って44歳になって書いた。それから24年経って20世紀の最後にかかれた本ですけども素晴らしい本です≫
「そうなんですね。林さんが生涯いろんなことがあるんだけども逃げてる最中に薬をくださいというい人がいて、でも自分もそんなことを言われても困るのであの誰かに後で来てもらいますからと言うとその人が「みんなそういうんだよな」って言って人間はあんな状態でも生きようとするものだって書いてらっしゃるんですけども。自分が逃げたことが許せないというようなことも本に書いてらっしゃるんですけども。さっきも素晴らしい本だと、この中にいいとおっしゃってるのは広島長崎に落とす前に実はアメリカが実験したどこの場所にこの方がお立ちになったことが素晴らしいと大江さんはおっしゃってるんですね。ちょっとコマ-シャルを挟みまして短いんですけどもちょっと読ましていただきたいんですけども」
≪≫
黒柳「偶然なんですけども私8月9日生まれなんです。戦前はなんでもない日だったんでお祝いとかもしてもらったんですけども戦争が終ってからは一切そういうことはしてないんですけどもお祈りの日になったんですけども。それから光産は”広島のレイクエム”という音楽も書いてらっしゃるんでちょっとそれもあわせて林さんのところを。これは広島長崎で体験した事を皆さんは書いてらして、林さんは一番最初にニューメキシコにあるトリニティというところのグランドゼロと呼ばれる荒野でそういう実験があったことをご存知だったんだけども、いつも広島長崎のことを考えていたんだけどもそこ(ニューメキシコ)にいらした事を書いてらっしゃるんですが。~黒柳さん朗読中~やっぱりこういうことをみなさなんが書いたりお話したりすることは必要だと」
大江≪僕はそう思うんですね。チンドン屋ということをもう一度言いますけども、僕は外国で話す時は2日あれば1日は広島長崎の事を話してきました。去年もノーベル賞100年祭というのがありましてね文学がこの100年間に何をしたかという主題でした。そこで起こったことを証言するということを主題にしたいと提案しましてね、私はそこで話をしました。あの林さんのお仕事を中心に話したんです。林さんの「空き缶」という素晴らしい短編があるんですけどもそれを含んだ素晴らしい短編集を編集しまして≫
「そういう本が出てるんですか。広島の短篇集が」
≪そういうことをしてきました≫
「あそこの町がめちゃくちゃになっただけと思ってる時に林さんが書いてらっしゃるように孫が生まれる時にその子がどうだろうかと心配する事を外国の人はわかってないって思うんです。だから皆さんが読んでくださる事によって素晴らしい事だと思うんです。」
≪≫
黒柳「さっきチンドン屋さんについておっしゃりかけた」
大江≪はい。僕もチンドン屋さんについて長崎のこと広島の事を話したいと。あの日本には非核三原則というのがあると。核兵器を作らない・持たない・持ち込ませないという。それが少し怪しくなってきて政府がこれを守る場合”国是”っていうんですよ。国是というのは何かというと国家としての方針ということで英語だとナショナルポリシーというんですよね。それでフランス語だとレゾンレタっていうんです。僕はそういうものは政府がまた別のものを決めることがあると思うんですよ。そういう場合にそうじゃなくて国民の方針というんですかね、人間の原理という風に考えるべきだと思うんですね。そういうことをチンドン屋さんのように外国人に言おうと思えば理論で言うことも出来るけども確実に言おうと思えば人間の感情や理性や全てを含みこんだもので非核三原則を守ろうと。広島長崎を忘れないでいこうというためにはね今のように小説を読んでもらうのが一番いいと考えてるんですね。≫
「今度童話をお書きになることを考えたのもさき朗読していただいたんですけども、だけども最終的には原爆のところまでお話はつながっているという大江さんがいつも憂いてらっしゃることを今日は話していただきたくて8月6日ということもございまして話していただいたというわけです。それで光さんの私への曲「おめでとうの早口」が出ましたらまたなにかの形で皆さんに発表させていただけるとうれしいですね。本当にありがとうございました」
 http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-8-6.html

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