口から身体に入ってくる毒~お砂糖の巻~
‡2016(平成28)年10月14日(金) 11:46:54 テーマ:ブログ
前回は乳製品について、かなり曖昧なお話をしました。偏った情報だけでお伝えするのは私のポリシーに反するので、真実のみをお伝えしたい・・・って思うと、どうしても牛乳については「毒です!」とは言い切れませんでした。けど、かなりグレーである事は間違いありません。私個人は黒だと思っていますが、何を信じるかは人それぞれ。色んな視点、角度から物事を見て、自分が1番心地よい判断が出来ると良いですね。さて、今日はお砂糖についてです。塩はね、よく「塩分控えめ」とか、「減塩」とかパッケージに書かれて、病気の人もとにかく塩分を控えるように言われますよね。かなり目の敵にされてる感があります。でも、塩って人間の身体に絶対に必要なものです。まぁ、塩も精製されてミネラルなどの栄養がなくなってしまっているものや、中にはアミノ酸とかの化学調味料入りのものが有るので、気をつけないといけないのですが。でも、逆に天然の岩塩とか、スーパーでも色々と種類が増えてきて選べるようになってきているのは、嬉しい限りです。で、本日の本題のお砂糖。白く精製されてしまった上白糖やグラニュー糖は、残念ながら人の身体に全く必要のない成分になってしまっています。栄養が全くないので、「空のカロリー食品」なんて呼び名があるほど。私、タバコが大嫌いで、あれほどまでに「百害有って一利なし」なものは無いな・・・って思ってたんですが、どうやら砂糖も同じレベルだったようで、甘いもの大好きな私にとってはかなりショッキングな事実でした。あ、でも、いくら摂取しても、自分の身体に悪いだけで、煙が出て他の人に迷惑かけないし、身体に臭いもつかないから、砂糖の方が少しはマシだなd(^_^o)私の友人が、通っていた歯科医に「とにかく砂糖をやめろ!」と言われて実践してみた所、身体の不調がみるみるなくなったと言っていました。これもね、ネットで調べると本当にたくさん出てきます。どれだけ砂糖が身体に悪いか。砂糖の成分であるスクロースがどうとかいった小難しいお話しはここではするつもりはありませんが、これは牛乳と違って「身体に良い」と言える人はどうやら居ないようです。調べていると、白砂糖を少しでも身体にマシな他のものに置き換えることから始めれば・・・という記事もたくさん出てきます。確かにそうです。他にも砂糖の代替えになるようなものはたくさんありますからね。でも、それは自分で調理等をする場合の話。残念ながら、スーパーなどで購入する食品の原材料を見ると、ほとんどの製品に「砂糖」とイチローレベルの先発レギュラー並みに登上しており、そしてそれは間違いなく白砂糖です。さらに、果糖ブドウ糖液糖とか、どんだけ「糖」なん?って感じの糖類が書かれてある場合は、白砂糖ですらなく「人工甘味料」という、もはや添加物です。(白砂糖すら、添加物と言っているサイトも有りましたが。)しかも、その糖類はトウモロコシが原料なんですけど、トウモロコシはほとんどが輸入。そして、その輸入されているトウモロコシは遺伝子組み換えの可能性が非常に高いんです。でも、トウモロコシではなく糖類に姿を変えてしまっているため、「遺伝子組み替えでない」と表示する義務はない。恐ろしいですねー!そんなに恐ろしいのに、砂糖じゃないから「砂糖0」「砂糖不使用」「カロリーオフ」とかいう、ナントも女性が飛びつきそうな偽善者的表示が出来ちゃう。砂糖より安いし、甘みも強いから利益も出ちゃう。顧客よりも利益重視の企業には、もってこいの甘味料なワケです。更にですね。人間の脳は、砂糖が入ってくると同時にカロリーも入ってくるって知ってるんですね。でも、人工甘味料にはカロリーがないので、「あれ?カロリーは?」って脳が思っちゃって、待てど暮らせど入ってこないカロリーを忠犬ハチ公の如く待ち焦がれ、いつまでたっても満腹感が得られず、食べ過ぎてしまうという現象まで引き起こします。そして何よりも厄介なのは、白砂糖も人工甘味料も依存症や中毒症状があるので、ここまでくるとよく芸能人とかが捕まって世間を騒がせているあの「白い粉」と同じレベルでやばいのでは?という気すらしてきます。じゃあ白砂糖の何が悪いのかって言うと、栄養が無い故に、身体に入ると分解するために体内のあらゆるビタミンやミネラル、特にカルシウムを消費してしまうんです。虫歯の原因ですね。骨も溶けちゃう。そして、悪玉菌や真菌、ウィルスの大好物の栄養素にもなります。スウィーツ大好きな身としては、自分が悪玉菌になった気分です。また、白砂糖は一気に血糖値を上げちゃうのですが、そしたらセロトニンという快楽物質が合成されちゃって、脳がリラックスしてしまうんです。要は、身体への栄養は全く無いのに、精神的な栄養になってしまうんですよねー。甘い物食べたら幸せになるのは、そう言う仕組みだったのかー。じゃあ、最初の方で触れたように、蜂蜜とかメープルシロップとか甜菜糖とか、他のものにすれば?って話なんですけど、どれも一長一短。蜂蜜に至っては、蜂に砂糖水を吸わせて作っているので、蜂蜜の形状をしてるけど中身は白砂糖って事もあったりで、もう嫌になります。ヴィーガンの人たちなんかは、お料理の甘みをりんごジュースとか甘酒で代用したりしています。甘みを出すのは味醂しか使わないってのも聞いたことが有ります。けど、中々普段の生活でそこまでこだわれないし、容姿からして魅惑的なスウィーツたちの誘惑に負けてしまうことだってもちろん有ります。だから、なるべく控えるようにして、溜まってきたらDETOXして出してやりましょうよってところに今日も行きつくワケでございます!でわでわ、次回はグルテンフリーについてです私は世界で1番パンが好きかもしれない…σ(^_^;)
https://ameblo.jp/felice-topo-0517/entry-12209546550.html
映像◆アントニオ猪木&坂口征二vs.カール・ゴッチ&ルー・テーズhttps://youtu.be/TAYHfcWi7gQ
‡1973(昭和48)年10月14日(日)
映像◆1974年長嶋茂雄(巨人)引退セレモニー https://youtu.be/0RBSYtpBvlY
‡1974(昭和49)年10月14日(月) 巨人vs中日戦終了後の巨人長嶋茂雄の引退セレモニー
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┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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1974(昭和49)年10月14日(月) 巨人の長嶋茂雄選手が引退試合 ⇒ 数々の記憶に残るプレーを球史に刻んだミスタージャイアンツこと巨人の長嶋茂雄選手の引退試合が、東京・後楽園球場で行われた。巨人の10連覇が消えた12日に引退を表明しており、試合後のセレモニー(写真)で述べた「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言は、ファンの脳裏にしっかりと記憶されている【時事通信社】
1968(昭和43)年10月14日(月) メキシコ五輪の陸上男子100メートル決勝で、電動計時初の9秒台を記録 ※2020(令和二)年記事追加
1983(昭和58)年10月14日(金) 日本初の体外受精児(試験管ベビー)が東北大学付属病院で誕生
1998(平成十)年10月14日(水) 改正祝日法(ハッピーマンデー法)が参院本会議で可決・成立 ※2020(令和二)年記事削除
https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1974(昭和49)年10月14日(月) 長嶋茂雄、引退。涙の後楽園
‡2017(平成29)年10月14日(土) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月14日だ。
‡1974(昭和49)年10月14日(月)、月曜日の話をしよう。
◎マスコミへのかん口令
写真◆伝説となった引退あいさつ
東京地方は雨が降り続いた前日とは打って変わり、秋晴れとなった。
この年、開幕戦で5年連続の本塁打を放った巨人・長嶋茂雄だったが、4月末には打率が3割を切って、以後は不振にあえぐ。58年の入団以来、チームを、球界を引っ張ってきたスーパースターにも“現役ラストイニング”が確実に迫っていた。
引退の意思を川上哲治監督に伝えたのが、オールスター終了後だった。その後、球団にも伝え、当初球団は発表を
1974(昭和49)年11月24日(日)「11月24日のファン感謝デー」に決めていたというが、長嶋自身が「ファンに直接感謝の言葉を捧げたい。優勝できない場合は最終戦終了直後に」と希望した。当時、チームは3位。永遠に続くかに思えたV9の終焉を長嶋は予感していたのかもしれない。
その後、巨人の広報担当部長・小野陽章氏は、新聞各紙の運動記者部長を集め、かん口令を敷いた。憶測による抜け駆けは、大選手の晩節を汚しかねないと思ったからだ。
1974(昭和49)年10月12日(土)、中日が2試合を残し優勝決定。巨人はその日、神宮球場でのヤクルト戦の後、「川上監督勇退、長嶋現役引退」の記者会見を行った。
1974(昭和49)年10月13日(日) 翌日、後楽園での中日ダブルヘッダーが最終戦となり、長嶋の引退試合となるはずだったが、雨で14日に延期となる。
小野氏は13日夜、祈るような思いで空を見上げたという。
◎一瞬の静寂
‡1974(昭和49)年10月14日(月)、第1試合の開始は正午。中日は名古屋で優勝パレードを行い、主力選手は不在だった。
長嶋は「三番・サード」で出場。第2打席で通算444号本塁打を放つと、さらにヒット2本を加え、生涯通算186回目の猛打賞、試合は7対4で巨人の勝利となった。試合後、両軍選手はベンチに引き揚げ、グラウンドは無人となる。
突然、長嶋が飛び出した。これはシナリオにはないものだった。
警備の問題から「自重してほしい」と言われた長嶋だが、「(予定されていた)セレモニーでは外野に近づくことができない。俺はファンにあいさつしたいんです」と聞かなかったという。
一塁側からライトへと大歓声に応えながらゆっくり歩く。スタンドから「ナガシマ!」の大歓声、言葉にならぬ涙声と叫びが飛び交い、異様な雰囲気となる。
笑顔だった長嶋の足が止まる。ポケットから出したタオルで顔を覆い、泣き始めた。どよめきの後、静寂が訪れ、みな長嶋とともに泣いた。
◎伝説のあいさつ
第2試合、午後2時41分開始。今度は「四番・サード」だ。第3打席がセンター前ヒット。通算2471本目にして最後になる。第5打席は併殺打。それでも勢いを緩めず、一塁ベースを駆け抜けた。
試合終了は午後4時57分。すでに夕闇が後楽園球場を包み、長嶋があいさつのために向かうころには真っ暗になっていた。
周囲のライトが消され、一条のライトが鮮やかに背番号3・長嶋茂雄の姿を浮かび上がらせる。スコアボードのビジョンには「ミスターG 栄光の背番号3」の文字が光った。
「私は今日ここに引退しますが、わが巨人軍は永久に不滅です!」
甲高い声をさらに張り上げたとき、再び後楽園球場、そしてテレビ中継で見守った全国の野球ファンが涙を流した。
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1989(平成元)年10月12日(木) 奇跡の逆転優勝に導いたブライアント4連発
2017(平成29)年10月12日(木) 7:05
◎歓喜の胴上げは
‡1989(平成元)年10月14日(土)、本拠地・藤井寺でのダイエー戦で実現する。「10.19」だけでも、「10.12」だけでもなく、「10.19」から「10.14」まで。これが、仰木近鉄が球史に残した、渾身のドラマだ。
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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1958(昭和33)年10月21日(火) 球史に残る奇跡のドラマ完結! 西鉄が3連敗から4連勝
2017(平成29)年10月21日(土) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月21日だ。
◎巨人が早くも王手
舞台を西鉄の本拠地平和台に移した、
‡1958(昭和33)年10月14日(火)の第3戦は、巨人の先発・藤田のシュートが冴えた。西鉄先発の稲尾も意地を見せ、3回表、広岡のタイムリーによる1点のみに抑えたが、西鉄自慢の野武士打線がとにかく打てない。ゴロの山を築き、0対3で3連敗。早くも日本一に王手をかけられた。
ただし、「いいピッチングができた。だいぶ調子も戻ってきた」と稲尾は自信を取り戻し、内心はうかがえなかったが、三原監督もまた、「あせることはない。まだ首の皮一枚残っている」と平然としていた。
その夜、流れを変える“恵みの雨”が振る。
西鉄は降りやまぬ雨に朝8時には試合中止を決定。ただ、その知らせが巨人に届いた10時ごろには、雨は完全にあがり快晴となっていた。一気に決めたかった巨人は「これは三原の策略だ!」と激怒。水原監督は、三原監督に直接電話を入れ、「これなら試合はできるじゃないか」と抗議したというが、三原監督はそれをさらりと受け流しつつ、水原監督の怒りに、巨人が3連勝しながらも余裕がないことを察知。「いけるかも」と思ったという。
西鉄にとって、この雨の最大の効用はエースの稲尾を1日休ませられたことだ。当時連投は当たり前。先発、リリーフで使えば、あと4戦、すべてに投げさせることも可能となった。いや、少なくとも三原監督はそう思ったはずだ……。
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.079 ┃40円
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‡1959(昭和34)年10月14日(水)増大号 特集 鶴岡・水原5度目の真剣勝負
2018(平成30)年01月14日(日) 11:08 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。
◎対談『新人王への怪気炎』
写真◆表紙は右が西鉄・稲尾和久、左が大毎・葛城隆雄
今回は『1959年10月14日増大号』。定価は10円上がって40円だ。特別定価の際の定番センターのカラーページは『テレビ用のユニフォーム』。9月1日から巨人が取り入れた赤いライン、赤い背番号ユニフォームの広岡達朗、藤尾茂、長嶋茂雄、藤田元司の写真だ。これは普及し始めたカラーテレビ用に考案されたものだが、「このユニフォームを着た試合は負けてしまう」という、嫌なジンクスもあったようだ。また、この号の活版ページの一部が赤みを帯びた紙となっていた。これも定番化するのだろうか。
本文巻頭は『鶴岡・水原5度目の真剣勝負』。ほぼ確定となった巨人─南海の日本シリーズ展望だ。このカードは1951年から53年、55年と4度行われ、すべて巨人が勝利している。
内容としては、9月20日に33勝目(4敗)を挙げた南海のエース、杉浦忠を巨人打線が打ち砕くことができるかがポイント。そのカギを握るのが、長嶋とあり、さらにその後、『日本シリーズは負けられぬ』と長嶋、杉浦の対談が掲載と豪華だ。2人は立大同期でもある。
対談がもう一つあって、こちらは『新人王への怪気炎』と題し、東映・張本勲、大洋・桑田武の登場だ。桑田の甲子園での阪神戦の話があった。当時の甲子園は巨人戦以外、なかなか満員にはならず、この年は成績が低迷したこともあって、さらに客の入りがひどかったらしい。
桑田 あそこでサードを守ってるでしょう。それで暇なときはスタンドのお客さんを数えてるんです。そのくらい少ない(笑)。
張本 それじゃ外野なんかほんと少ないでしょう。
桑田 ええ、外野へ入るのはたいてい賭けやってる人らしい。20人くらい固まって入っている。僕が初めてホームランを打ったとき、セカンドを回りながら見たら、二人くらい飛び上がって喜んでた。賭けに勝ったんですね、あれ(笑)。
連載『選手の秘密』では国鉄・宇野光雄監督が登場。半分ジョークのようだが、ひそかな夢は馬で後楽園入りすることらしい。戦争中は陸軍騎兵中尉で、愛馬で駆け巡る爽快さを忘れることができないという。
この宇野については『宇野と金田の危険な関係』という記事があった。2人が衝突しているのではなく、20勝に届くかどうか微妙だった金田に対し、宇野監督には「どうしても金田に20勝させたい。優勝の望みもないので、せめて9年連続20勝の大記録を達成させてやりたい」という思いがあり、それがほかの選手の反感を買っているという内容だ。
では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.546 ┃ 60円
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‡1968(昭和43)年10月14日(月)号 巨人が江夏を攻略し4連覇に前進
2019(令和元)年09月12日(木) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎バッキーに退団のウワサ
写真◆表紙は阪神・村山実
今回は『1968年10月14日号』。定価は60円。
3回にわたって9月17日から19日までの阪神─巨人4連戦を紹介した。球史に残る決戦は、阪神の3勝1敗で終わったが、痛かったのは、勝ち越した阪神サイドだった。
18日の第2試合で巨人・荒川博コーチを殴ったバッキーが右手親指を骨折し、シーズン絶望。今のように中6日の時代ではない。阪神は、江夏豊、村山実、バッキーの三本柱をフル回転させながら急上昇してきただけに、その一角が欠けたのは、大きな痛手だった。
以後、決して一気に負けが込んだわけではないが、巨人との差はジワジワと離れていった。
阪神にとって事実上の終戦となったのが、9月28、29日、後楽園での対巨人3連戦だった。
28日の第1戦は、先発・江夏の乱調で3対7で敗戦。8回には巨人のライト・末次がライナー性に打球を地面すれすれでキャッチしたが、これに阪神が「ワンバウンドじゃないか」と猛抗議。阪神・藤本定義監督は「あの審判を代えないと試合はできない」と、一時は放棄試合も辞さぬほど激怒した。
試合後にも審判室に飛び込み、「(ライナーのジャッジした)田代ちゅうのはどれや。あんなアウトがあるか。お前があすで出てきよったら、うちは試合せんで」と一喝した。
藤本の怒りは、このワンプレーからだけではない。もともと「東京の審判は巨人寄りのジャッジをする」という先入観(確かに東では巨人寄り、西では阪神寄りの傾向はあったらしい)があり、ジャッジをめぐるトラブルは頻繁にあった。
この日は、江夏がストライク、ボールのジャッジに神経質になって、何度か球審に確認していた。
試合後、江夏は「大阪と東京ではまるでストライクゾーンが変わっている。投げづらいのは確かです。ただ、それを言い訳にしたくない」と話していた。
阪神側からは「江夏が投げづらいように後楽園のマウンドをいつもより低くしていた」とも言っていたが、これが本当かどうかは分からない。
ただ、巨人が江夏対策を徹底的に行っていたことは確かだ。絞り球を決め、バントの構えで揺さぶるなどし、それが奏功した試合ではあった。
江夏にしたら「グチャグチャ、面倒くさい」と思ったかもしれないが、それがV9野球でもあった。
翌29日はダブルヘッダーで1試合目は阪神・村山実が2失点完投勝利(3対2)。そして2試合目、もう負けられない阪神は、またも江夏を先発させた。
江夏もリベンジとばかり6回まで無安打と好投したが、1対1で迎えた延長10回、1戦目でも江夏から2ランを打っていた高田繁がサヨナラヒット。
試合後、江夏はベンチ裏の薄暗い通路でうずくまり、しばらく動かなかった。
巨人・川上哲治監督は上機嫌だったという。
シーズン終盤の阪神の風物詩のようなものでもあるが、まだ優勝の可能性を残しながら、ストーブリーグが始まった。
負傷で離脱中のバッキーだ。「退団するのでは」というウワサが書きたてられた。もともと、阪神のシブチンもあって、いくら勝っても給料が上がらない(バッキーはそう思っていた)と、バッキーは不満たらたら。契約更改のたびにもめ、前年も一度は「ワイフの義父とアメリカで食品会社をやろうと思っている。今シーズン限りで日本を去りたい」と言っていた。
この年も、乱闘事件までは、
「トレードされるなら巨人以外行かない。あのチームに行けば、いつでも20勝できる。マネーもいいしね」
と記者たちに公言していたという。
ここまでバッキーは13勝14敗。おそらく大幅な年俸ダウンになるはず。そのとき、バッキーがどう判断するか。あるいは、そもそも、その前に阪神が解雇してしまうのでは、とも言われていた。
では、またあした。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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広島のレジェンド高橋慶彦氏は今なにを? 自身の名前に因んだ飲食店は予約殺到
‡2020(令和二)年10月14日(水) 07:30配信 Full-Count 宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki
■都内でジンギスカン店を監修「人と人をつなげることが俺の仕事」
写真◆広島などで活躍した高橋慶彦氏【写真:編集部】
33試合連続安打のNPB記録保持者で、1970年代中盤から80年代にかけて広島の黄金時代にレギュラー遊撃手として活躍した高橋慶彦氏。躍動感あふれるプレーと甘いマスクで、若い女性を中心に球界きっての人気を誇った。63歳となった今の生活に迫った。現役時代は15年間在籍した広島をはじめ、ロッテ、阪神を渡り歩き、引退後もダイエー(現ソフトバンク)、ロッテ、オリックスでコーチを務めた高橋氏は現在、福島市の自宅を拠点に全国を飛び回っている。東京・大森の「ジンギスカン慶彦」と、福島市の「ホルモン慶彦」。旧知のオーナーに頼まれ、自身の名前にちなんだ両店の監修を務めている。両店を月に1度ずつ、1度につき2~3日訪れ、テーブルを回ってサインや写真撮影に応じる。高橋氏の“出勤日”がSNSで告知されると、コロナ禍のご時世にあっても、予約でいっぱいに。かつての“慶彦ギャル”とおぼしき50歳前後の女性の姿が目立ち、背番号「2」や「TAKAHASHI」のネームが刺繍された広島カープのユニホームを着て来店する人も。「こんな63歳のじいちゃんのためにファンが集まってくれるなんて、感謝しかない」と笑う。とはいえ、「おいしい物を出すことが1番大事。俺自身が本当においしいと思うからこそ、自分の名前を出してもらっている。実際、1度来てくれたら、俺がいる、いないに関わらず、リピーターになってくれるお客さんが多いよ」と強調する。「ジンギスカン慶彦」は菊池佑太店長に羊の仕入れなどは一任している。ジンギスカンといえば北海道、というイメージが強い。だが、菊池さんのリサーチによると「日本で1番羊肉を食べているのは、岩手県遠野市の人たち」という事実が。また、ジンギスカンブームが去った後、農場から飲食店に対する印象は一変し、あまりよく思わない人が多かったと言う。農場を一軒、一軒まわって、羊愛を力説。関係を築き、良質な羊を卸してもらっている自負がある。豊富な知識に高橋氏も「この“羊愛”、おもしろいやろ?」と目を細める。野球を愛し、野球に一心不乱に取り組んだ自分の現役時代に通じるものがあるのかもしれない。今年の6月にオープンという飲食業では厳しい局面でのスタートでも、笑顔でお客さんを迎えている。「コロナ禍で外食もままならなくなって、人と会うということがどれだけ楽しいかを、みんなが再認識したんじゃないかな」と飲食街に活気が戻る日を心待ちにする高橋氏。その他、知人が経営する福岡県の貿易会社の取締役も務めている他、多忙な毎日を送っている。小・中学生向け野球教室の指導、プロ野球の解説を請け負うこともある。「楽しんで仕事をしています。人と出会い、人と人をつなげることが俺の仕事だと思っています」と満面に笑みをたたえる。歴代5位の通算477盗塁、盗塁王3度を誇る“いだてん”は今も、人と出会うために、精力的に全国を走り回っている。かつてファンを魅了し、村上龍が小説「走れ!タカハシ」に描いた躍動感は健在だ。
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「とにかく帰国したかった」 Rソックスでブレークの元広島右腕が心境吐露
「どこへ行っても変わらない」―広島からロッテ“移籍”のコーチが貫く信念
徹底した自己管理、恋人宅にバット… 高橋慶彦が猛練習した広島時代の真実
◎慶彦さんには、まだやってほしいことがある。それは広島で指導者になること。
◎石井琢朗コーチが虚人に去った後慶彦さんになってもらいたかったなあ~ダイエーやロッテでコーチの実績もあるし機動力野球の復活には絶対に必要な人だと思うのですがね。オーナーとどんな事があったのか知らないけどカープをまた強くするのにきっと惜しみなく協力してくれるはずですよ。YouTubeチャンネルを見ててもカープ愛が溢れてると感じるしね。
◎かつて全国の女性を魅了した慶彦。本当に今の球界のNo.1といわれる坂本が足元にも及ばないぐらいの人気者だった。今から思えば… 誇れるカープ選手だった。
◎慶彦のカープユニ姿を見たいファンは大勢います。今までの経験を基に、カープの伝統を若い衆に伝えてほしい。いや伝える義務がある。浩二は体調不良、江夏の復帰は困難、衣笠は天国へ…伝えるのは慶彦しかいない!オーナーとの不仲云々言われてるけど、いい加減、子どものケンカはもう止めて和解しようや。コロナの中、嬉しいニュースを発信してファンの希望や夢を与えるのも球団の仕事。 松田オーナー、あなたが慶彦に声掛ければ慶彦は断る理由なんてないのだから。変なプライドは捨てて広島を盛り上げようや!
◎あんな追い出し方されてなお、カープ愛に満ち溢れてる。本人もカープでコーチをやりたいって言ってるんだし、もう昔の事は水に流して受け入れてくれないかな?オーナー
◎オーナー将軍様のイエスマンしかコーチや監督にしないから。還暦オヤジの私は慶彦さんにカープのコーチになって欲しい。球団に自分の意見を言うとオーナー将軍様の考え方に逆らいコーチや監督の約束手形はもらえない。ファンの声と選手を大切にするオーナーか独裁者のオーナー将軍様かこれからのカープの人事をファンはしっかりと注目して行きましょう。
◎まだまだ原監督と同年代。また、カープのユニ着てもらいたいね。
◎凄くマイペースな人で、しかも「いい」「悪い」がはっきりしているから、広島に戻ることが出来ない一因にもなった。だが、慶彦が江夏豊から言われたという、「俺もお前も、はいはい言う性格だったら、ここまで現役で活躍出来たか?」という話も、そうだろうなと思うところがある。最近、歩き方を見ている限り、かなり腰が悪いようで心配だが、まだ63歳。オリックスコーチ以降は福島に移住して会社員も兼務していたりとアグレッシブに活動しているようだが、出来ることならもう一度野球界に戻って欲しいなと思う。
◎イケメンで脚が速いってだけでも女性受け要素十分なのに、打撃も一流でレギュラー後期には長打力まで身につけてしまった大変なレジェンド。レコード出したりもしてたよね。後年ロッテや阪神に行ったけど、やっぱりカープのヨシヒコの印象が強いな。
◎広島にオープンされていたお店はその詳しい事情は知りませんが、現在はクローズになっているようですね。以前慶彦さんの来店じゃない日に一度食事に行きましたが。今のご自身のなさっているお仕事を考えれば、都内や福島の方が何かとフットワーク的にもご都合がいいのでしょうかね。でもやはりファンとしてはカープに復帰してもらいたいのがお店をなさるより待たれるところです。オーナーにはよろしくご検討をと申し上げたいですね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a18b3441c842a97b7d2ca0d17c9a8b0957f7174f