This is the complete show broadcast on Belgium TV https://youtu.be/lhoyMlX5avU
‡2-6-1965
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┃ 大人のMusic Calendar ┃
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56年前の本日、ビートルズがデッカ・レコードのオーディションを受けた。なぜ、元旦だったのか?
2018(平成30)年01月01日(月) 執筆者:藤本国彦 よりによって、元旦にレコード会社のオーディションが行なわれることになるなんて、リヴァプールの「片田舎」からロンドンの「都会」に向かうメンバーも気が気ではなかったのではないだろうか。
1962(昭和37)年01月01日(月)は、ビートルズがデッカのオーディション受けた日である。それにしても、なぜ元旦になったのか。こんな経緯である。
1961(昭和36)年12月13日(水)に、キャヴァーン・クラブの夜公演にデッカのマイク・スミスが訪れたのが、まずその第一歩だった。きっかけを作ったのは、「ディスカー」というペンネームで『リヴァプール・エコー』紙のレコード評や、デッカから発売されるレコードの解説文も手掛けていたトニー・バーロウである。その1ヵ月前の
1961(昭和36)年11月09日(木)に、同じくキャヴァーン・クラブでビートルズのステージを観て一目惚れしたエプスタインがビートルズに契約を申し出たのは
1961(昭和36)年12月06日(水)のことだったから、その1週間後にデッカ・オーディションのきっかけが生まれていたことになる。エプスタインは、『リヴァプール・エコー』紙のレコード欄でビートルズを取り上げてもらえないかと考え、トニーに連絡を取ってみると、デビュー前のバンドの記事は断られたものの、デッカの人間を紹介してもらうことになった。デッカ側も、エプスタインが経営しているNEMSにレコードを卸している関係もあり、無下に断ることもできず、A&R部門のまとめ役のディック・ロウは部下のマイク・スミスをリヴァプールに行かせることにしたのだった。キャヴァーンのステージを観たスミスは、すぐに契約を結びたいとは思わなかったものの、ロンドンのスタジオでオーディションを行なう価値はあると判断したという。「力強い演奏と地元ファンの熱狂ぶりに、私はためらいもなくオーディションをしようとに申し出た」(スミス)。こうして「舞台」は整い、ジョン、ポール、ジョージ、ピートの4人は、ローディーのニール・アスピノールが運転するヴァンでロンドンのウェスト・ハムステッドへと向かった(エプスタインは列車で移動)。だが、吹雪のための交通渋滞などで到着が遅れ、スタジオに着いたのは開始時間ぎりぎり(11時)だったという。
写真◆元デッカ・スタジオ
デッカのA&R担当マイク・スミスの気を惹くのはオリジナル曲ではなく、想像力豊かに、時にエキセントリックにアレンジされたスタンダード曲だ――そう頑なに信じていたエプスタインは、幅広い音楽性を持ったバンドとしての魅力を伝える15曲を選んだ。中にはジョンとポールのオリジナル曲も含まれており、ジョンの「ハロー・リトル・ガール」とポールの「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」は、のちに『アンソロジー 1』に収められた(ポールの自作曲「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」は未収録)。「サーチン」や「セプテンバー・イン・ザ・レイン」などここでしか聴けない曲もあるが、ジョンもポールも声が上ずっていて、本調子とは程遠い仕上がりだ。むしろジョージの溌剌とした歌声が聴ける4曲(「スリー・クール・キャッツ」「クライング、ウェイティング、ホーピング」「アラビアの酋長」「さよならベイビー」)が白眉である。演奏に立ち会ったマイク・スミスの感触は良かったものの、数週間経ってもデッカからは何の知らせもない。そしてエプスタインは1ヵ月後の
‡1962(昭和37)年02月06日(火)にロンドンに向かい、デッカのディック・ロウとビーチャー・スティーヴンスから不合格の知らせを耳にする結果となった。ギター中心のバンドは流行らないし、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズのようにヴォーカリスト1人を中心としたバンドがこれからの主流になるだろうという判断からである。一緒にオーディションを受けたブライアン・プール&ザ・トレメローズが、デッカの本社があるロンドンのバンドだということもビートルズには不利に働いたという。その場でエプスタインは「ビートルズはプレスリーを凌ぐ大物になると確信しています」と涙ながらに告げたという。また、その後に、契約したらビートルズのシングルはすべて3,000枚を買い取るという提案をデッカの販売部にしたという話も伝わっている。ただし、信頼に足るマーク・ルイソンの『ザ・ビートルズ史』によると、ビートルズはデッカに蹴られたのではなく、レコードを出してやるから金を払えというデッカの姿勢にエプスタインが頭にきて断ったそうだ。それが「事実」だとすると、レコード契約を焦っていたのに逆の行動に出たエプスタインの、「癇癪持ち」だと言われる性格を物語るエピソードのひとつと言えそうだ。ビートルズが世界的な人気グループになると、ディック・ロウは「ビートルズを蹴落とした男」として「名を上げた」が、その後ディック・ロウはジョージの推薦で(ロンドンの)ローリング・ストーンズと契約したのだから、これはもう「ロックの神様」による運命のいたずらとしか言いようがない。このオーディション時の音質の良いオープン・リールのテープを受け取ることができたエプスタインは、ロンドンのオックスフォード通りにあるHMVレコードに向かい、店長のボブ・ボーストの勧めでアセテート盤を制作。それが巡り巡ってEMI傘下のパーロフォン・レーベルのジョージ・マーティンの耳に入ることになる。ちなみに2017年10月にイギリスに行った際、リヴァプールの「ビートルズ・ストーリー」という博物館に入ってみたところ、そのアセテート盤が展示されているのを見て驚いた。収録曲はデッカ・オーディションからの2曲――“Hello Little Girl”と“Till There Was You”。前者が“John Lennon & The Beatles”、後者は(展示では見られなかったが)”Paul McCartney & The Beatles”とレーベルに記載されているので、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズを意識したバンド名でエプスタインは次なるレコード会社に売り込もうとしていたことがわかる。
写真◆「ビートルズ・ストーリー」内展示 写真提供:藤本国彦
≪著者略歴≫藤本国彦(ふじもと・くにひこ):ビートルズ・ストーリー編集長。91年に(株)音楽出版社に入社し、『CDジャーナル』編集部に所属(2011年に退社)。主な編著は『ビートルズ213曲全ガイド 増補改訂新版』『GET BACK...NAKED』『ビートル・アローン』『ビートルズ語辞典』など。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。
ザ・ロスト・デッカ・テープス ザ・ビートルズ
アンソロジー 1 ザ・ビートルズ
ザ・ビートルズ史 上 単行本 - 2016/12/1 マーク・ルイソン (著), 吉野 由樹 (翻訳), 山川 真理 (翻訳), 松田 ようこ (翻訳)
ザ・ビートルズ史 下 単行本 - 2016/12/1 マーク・ルイソン (著), 吉野 由樹 (翻訳), 山川 真理 (翻訳), 松田 ようこ (翻訳)
music-calendar.jp/2018010101
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┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃
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1996(平成八)年3月18日(mon) JP Released
1996(平成八)年3月18日(mon) UK Released
1996(平成八)年3月19日(tue) US Released
◇Disc two (CD2)
◎LP F-side (Record Disc 3)
1968(昭和43)年02月03日(sat) EMI Studios 2:22
‡1968(昭和43)年02月06日(tue) EMI Studios 2:22
19."Lady Madonna" (Takes 3 & 4)
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https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHE4YS
https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTBJ8VJ
https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
https://music.amazon.co.jp/albums/B00H77Z0I6
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┃ THE BEATLES of 1963 ┃(wed)06 February
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Concert: Granada Cinema, St Peters Street, Bedford, Bedfordshire
The third date of the Helen Shapiro package tour.
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http://www.multiplusbooks.com/630206.html
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┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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②1958(昭和33)年02月06日(木) ジョージ・ハリスン、クオリーメンに会う
③1961(昭和36)年02月06日(月) ライヴ演奏:レイサム・ホール/リヴァプール
④1963(昭和38)年02月06日(水) ライヴ演奏:グラナダ・シネマ/ベッドフォード
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①1957(昭和32)年12月07日(土) ライヴ演奏:ウィルソンホール/リヴァプール ⇒ リヴァプールのガーストン (Garston) 地区にあるウィルソン・ホール (Wilson Hall) でクオリーメンは合計4回演奏しているが、この日がその2度目だった。ここは地元プロモーターのチャーリー・マック (Charlie McBain) が経営するホールの一つである。これはジョージ・ハリスンがクオリーメンの演奏を初めて見聞きした日ではないかと、一部の人に信じられているが、定かではない。同じこの会場で演奏した
‡1958(昭和33)年02月06日(木)の可能性もある。またジョージはこれ以前にどこかで彼らに会っている可能性だってある。この会場はフランシス・ウィルソン (Francis Wilson) によって建造され、ガーストン (Garston) バス車両基地の向かいにあった。地元の不良少年グループ (Teddy boys) に好まれたいくぶん荒っぽい場所だった。クオリーメンが土曜日にこのホールに出演するのはこれ1回のみで、他はみんな木曜日であった。
②1958(昭和33)年02月06日(木) ジョージ・ハリスン、クオリーメンに会う
この日、クオリーメン (Quarrymen) はウィルソン・ホール (Wilson Hall) に出演する。彼らはここで合計4回演奏しているが、この日がその3度目だった。ここは地元プロモーターのチャーリー・マック (Charlie McBain) が経営するホールの一つで、リヴァプール・ガートン (Garton, Liverpool) にあるバス車両基地の向かいにあった。 ジョージ・ハリスン (George Harrison) は、彼がクオリーメンを最初に見たのはウィルソン・ホールだったと語っている。ビートルズ史家のマーク・ルイソン (Mark Lewisohn) は、その最も可能性の高い日は1958年2月6日だとする。 しかしながら多くの食い違う証言がある。作家のバリー・マイルズ (Barry Miles) は、クオリーメンのこのホールへの2回目の出演となった1957年12月7日だと書いている。しかしクオリーメンのドラマーのコリン・ハントン (Colin Hanton) は、1958年3月13日にモーグ・スキッフル・セラー (Morgue Skiffle Cellar) で演奏した時に、若いギタリストを紹介されたことを回想している。一方、ジョージの母のルィーズ (Louise) は、彼らは地元のチップショップ (chip shop) で会ったと言い張る。 さらに混乱することに、元クオリーメンのピート・ショットン (Pete Shotton) は、ポール・マッカートニーがメンバーをスピーク (Speke) アプトン・グリーン (Upton Green) 25番地のジョージの家に連れて行ったと主張するのである。 日付についての混乱はさておき、ジョージは彼らとの面会を次のように語っている。
ジョージ・ハリスン ⇒ 僕はポールから何度も彼らの演奏を見に来いと誘われていた。でもどういう訳かそれ以前には行く機会がなかったんだ。僕はジョンの濃いもみあげと流行の不良っぽい服が印象に残った。ある意味、彼のそうした不良っぽさは、単に男と少年を区別する方法だったんだと思う。僕は彼を怖いとは思わなかった。彼が何か言って来た時にはいつも、その言葉をそのまま彼に返したよ。
③1961(昭和36)年02月06日(月) ライヴ演奏:レイサム・ホール/リヴァプール
ビートルズはレイサム・ホールに11回出演しているが、1960年5月14日はシルバー・ビーツ (The Silver Beats) としての出演であった。
1960(昭和36)年05月14日 (as The Silver Beats)
1961(昭和36)年01月07日 20日 21日 28日 30日
‡1961(昭和36)年02月04日 06日 10日 11日 25日
④1963(昭和38)年02月06日(水) ライヴ演奏:グラナダ・シネマ/ベッドフォード
ヘレン・シャピロ (Helen Shapiro) を主役とするビートルズのUK全国ツアーの3日目は、ベッドフォード (Bedford) のセント・ピーターズ通り (St. Peter's Street) にあるグラナダ・シネマ (Granada Cinema) で開催された。この映画館の豪華なインテリアはロシアの建築家によってイタリアのルネサンス期のスタイルに装飾された。その奥行きが17フィートしかない小さなステージにもかかわらず、音楽コンサート用として人気の高い会場であった。ベッドフォードのセント・ピーターズ通り5-9番にあったが、1990(平成二)年にグラナダ・シネマは閉館し、そのすぐ後に取り壊された。
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①http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19571207_live_wilsonhall2.html
②http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19580206_george_meet_qm.html
③https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
④https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630206_live_GranadaCinema_Bedford.html
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┃ THE BEATLES HISTORY ┃| February 06|037
┃ ザ・ビートルズの今日の出来事 ┃| 2月06日 |
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1958(昭和33)年02月06日(木) ジョージ本人の言葉によると、この日ジョージはリヴァプールのウィルソン・ホールで初めてクオリーメンのメンバーと会った。ジョージの母親は地元のフィッシュ・アンド・チップスの店で出会ったと証言している。また元クオリーメンのメンバーであるピート・ショットンはポール・マッカートニーがジョージ一家の住む公営住宅までバンド・メンバーを連れて行き、そこで出会ったと証言している。
1961(昭和36)年02月06日(月) リヴァプールのレイソム・ホールに出演
1964(昭和39)年02月06日(木) ジョンとジョージ、渡米についてのインタビューを受ける。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16904
http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/002/0206.html
https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15641820.html
http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
楽曲資料https://beatlesdata.info/
歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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┃ The Savage Young Beatles 1950s 1958 ┃
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(sat)08 March 1958 Family Party, Paul's Auntie Jin's home, Liverpool - The Quarry Men
Wedding reception at Paul's Auntie Gin's Home 147 Dina's Lane Huyton, Liverpool
Photographer: Mike McCartney
This famous and fabulous color photo was taken at Paul's Auntie Gin's son Ian's wedding reception. This photo was shot in a back room parlor. This is likely George's first public appearance with John and Paul. It is the earliest known color photo of the three of them. There would not be another color photo for over four years. Albiet, a color film was shot in February 1962. Paul states that he met John and George around the same time (mid 1957) but George first saw The Quarry Men on
●6 February 1958 during a Quarry Men performance at Wilson Hall in Garston. Based on Colin Hanton's recollection, it seems likely that he might not have met John until
13 March 1958 at a
Quarry Men performance at The Morgue Skiffle Cellar in Liverpool. Interestingly, The Morgue Cellar was owned by Alan Caldwell who would become Liverpool's "Mr. Showmanship" (Rory Storm). Ringo would join Caldwell's band, The Raving Texans (the future "Hurricanes"), and make his first appearance with them on 25 March 1959 at The Mardi Gras in Mount Pleasant.
写真クリック◆George, John, Paul and...Dennis. Don't know who Dennis is. See an alternate copy of this photo - here
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http://www.beatlesource.com/savage/1950s/58.00.00%20auntie%20gins/58.00.00auntiegins.html
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┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(mon)06 February 1961 Seaforth, England, Lathom Hall
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https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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┃ Winter 1963 Helen Shapiro Tour, Part 1 ┃THE BEATLES SHOW
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‡No.03 (wed)06 February 1963 Bedford City, England, Granada
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https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_Winter_1963_Helen_Shapiro_Tour
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参考パンフ■Beatles Helen Shapiro Original Tour Programme 1963 £300.00 22:22 2017/03/18 An original concert programme from the 1963 UK British tour that took place between 2nd February and the 3rd March. The tour was headlined by Helen Shapiro and the Beatles appeared as one of the support acts. Programme features a black and white group shot and a brief history of the group. Measures 21cm x 27cm (8.25 inches x 10.75 inches). There is some dirt staining to the cover and a small tear measuring 1cm (0.25 inches). Condition is very good minus.
https://www.tracks.co.uk/product/b24475-beatles-helen-shapiro-original-tour-programme-1963/
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┛ THE BEATLES 1968 Tape copying ┛Studio 1
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①┃ ♪The Inner Light♪ ┃of take 5, numbered take 6
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┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studio 1
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-8:00pm
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①┃ ♪The Inner Light♪ ┃overdub onto take 6
┗━━━━━━━━━━━━┛No.2 アビイ・ロード第1スタジオ。 持ち帰った2トラックのステレオマスターテープの第5テイクをアビイ・ロードの4トラックレコーダーに移し替え、これを第6テイクとした。ジョージは「オレが歌ったら曲を壊すかも知れない、歌いたくない」とかなり消極的だったが、ポールの励ましもあってなんとかリード・ヴォーカルを録音する。また「Arrive without travelling」の部分だけがダブルトラック処理されている。
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┛THE BEATLES 1968 Mono mixing ┛Studio 1
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①┃ ♪The Inner Light♪ ┃remix 1, from take 6
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Recording of George vocal for ♪The Inner Light♪
Producer: George Martin
Engineer: Geoff Emerick
2nd Engineer: Jerry Boys
About 6:30pm. Harry Klein is contacted at home for the "Lady Madonna" session.
8:00-9:00pm. Ringo appears on Cilla Black's live programme『Cilla』, at the BBC Television Theatre, Shepherd's Bush, London. The recording session is interrupted to see the show.
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┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studio 1
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛9:00pm-2:00am
┏━━━━━━━━━━┓tape reduction take 3 into take 4,
②┃ ♪Lady Madonna♪ ┃ overdub onto take 4,
┗━━━━━━━━━━┛tape reduction take 4 into take 5, overdub onto take 5
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┛THE BEATLES 1968 Mono mixing ┛Studio 1
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛9:00pm-2:00am
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②┃ ♪Lady Madonna♪ ┃remixes 1, 2, from take 5
┗━━━━━━━━━━┛No.2 ■レコラス(ト)?■アビイ・ロード第1スタジオ。 先日の第3テイクに空きトラックを作るためにリダクションを行い、第4テイクを作成。その第4テイクにポールのセカンド・ヴォーカルとピアノ、ハンドクラップ、ジョンとジョージの「see how they run」のコーラス、そして間奏部分の3人によるコーラス(口を手で押さえてくぐもった音を出した)をオーバーダブ。この第4テイクに空きを作るために再度リダクションを行って第5テイクを作成。その第5テイクに急遽スタジオに集められたサックス・プレーヤー4人がブラス・セクションをオーバーダブした。この内の一人はあの有名テナーサックス奏者のロニー・スコットである。このブラスセクションの録音は101回ものやり直しがあったそうである。
Recording of vocal brass impersonation and brasses for ♪Lady Madonna♪
Producer: George Martin
Engineer: Geoff Emerick
2nd Engineer: Jerry Boys
‡1968(昭和43)年2月6日(tue)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
③┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
19.♪Lady Madonna♪ (Takes 3&4) 3&6 February 1968 EMI Studios 2:22
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/03/18(mon) JP、UK
③┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 2』 ┃1996/03/19(tue) US
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◎Disc two◎
19.♪Lady Madonna♪ 68.2. これも複数のテイクから音を抜き出したり、繋ぎ合わせたりして新たに作り出されたテイク。バック・ボーカルやギター、ブラスの数が少なかったりと、ちょっと聴くと未完成のアウト・テイクのようだが、実はそうじゃないらしい。 この曲の場合、ブートでバック・ボーカルをダビングしてる様子の分かるテイクなど、なかなか聴きどころのあるテイクもあったはずだが・・・。
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①https://beatlesdata.info/16/06_theinnerlight.html
①https://en.wikipedia.org/wiki/The_Inner_Light_(song)
②https://beatlesdata.info/16/05_ladymadonna.html
②https://en.wikipedia.org/wiki/Lady_Madonna
③https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_2
③http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb21-2.html
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┃ THE BEATLES TV Appearance Photos Quick-Reference Guide 1962-1970 ┃
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‡(tue)06 February 1968『Cilla』♪sketch♪/♪Nellie Dean♪
‡(tue)06 February 1968『Cilla』♪Do You Like Me?♪
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http://www.beatlesource.com/TV/index.html
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1926(大正15)年4月21日(水) 聖誕
①┃ Elizabeth Ⅱ エリザベス2世 ┃1952(昭和27)年2月 6日(水) 在位
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1953(昭和28)年6月 2日(火) ウェストミンスター寺院 戴冠
2002(平成14)年6月 3日(月) バッキンガム宮殿 エリザベス女王即位50周年記念コンサート
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┃ 『PARTY AT THE PALACE クイーン・エリザベス二世即位50周年記念コンサート』 ┃
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② 2002(平成14)年6月 3日(月) バッキンガム宮殿 エリザベス女王即位50周年記念コンサート
③ 2002(平成14)年7月26日(金) EMIミュージック・ジャパン
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①https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_II
①https://beatlesdata.info/13/17_hermajesty.html
①https://en.wikipedia.org/wiki/Her_Majesty_(song)
②https://en.wikipedia.org/wiki/Party_at_the_Palace
③https://www.amazon.co.jp/dp/B00006AM8Y
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┃ ♪INSTANT KARMA!(WE ALL SHINE ON)♪ ┃
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1970(昭和45)年01月27日(tue) Recorded
‡1970(昭和45)年02月06日(fri) UK Released
1970(昭和45)年02月20日(fri) US Released
John Lennon ♪Instant Karma♪ 訳詞
2012(平成24)年08月17日(金) この曲がリリースされたのは1970年。ジョンが60年代から東洋思想に強い関心があったことは、当時の若者にも大きな影響をあたえていたと聞いていますが、スピリチュアルも、平和運動も「流行」のひとつになっただけで、、という思いが、この曲を創った頃のジョンにはあったのではないかと、私は想像しました。国内版CDの訳詞では、INSTANT KARMA はタイトル通り「インスタント・カーマ」だったのですが、そのままカタカナにするんだったら「インスタント・カルマ」の方がわかりやすいし、「インスタント・カーマ」が、何なのかわからなかったら、gonna get you もされても、knock you もされても気がつかないし、何より We all shine on にもならないと思います。この詩がわかりにくいのは、スピリチュアルに興味がある人の多くが、「カルマ」という言葉を、一方では「生まれ変わることへの希望」のように感じ、もう一方では、前世の因縁などのように、自分では動かしがたい宿命として考えていて、そこに疑問を感じていないからだと思います(ジョンは、多くの偉人たちと同様、その矛盾に悩んでいました)。前世というものに「ファンタスティック」な思いを抱くことは、その一方で、現在の自分にも、他者にも、前世の行いという、自分には動かしようのない理屈をつけて、今、生きている「みんなが輝ける」ことをあきらめることにも繋がっている。前世や、来世のことよりも、今を変えようと思えば「一瞬」で変われる。INSTANT KARMAは、教義化されたカルマという言葉や、自分の「運命」といったものに、囚われることなく、そんなもの(運命のこと)は、今すぐにでも変えられるんだという意味が込められていて、私はジョンがインド思想に学び、またそこに疑問をもったことが「INSTANT KARMA」を生んだのだと思いました。詩の内容にあわせて、即席だったり、お手軽だったり、刹那的で、流行ってる感じで、get you して来そうな “因果なやつ”を、とりあえず3種類考えてみましたが、他にもっとイイ感じの「INSTANT KARMA」を思いついた方は、ぜひ教えてください。また、ヤバい英語力を最大限駆使して訳していますので、日本語部分はご注意の上、間違いや、気になる点は、お気軽にご指摘くださいませ。(コメント欄参照)
♪Instant Karma♪ Written By John Lennon
Instant Karma's gonna get you
Gonna knock you right on the head
You better get yourself together
Pretty soon you're gonna be dead
What in the world you thinking of
Laughing in the face of love
What on earth you tryin' to do
It's up to you, yeah you
最新流行の「教義」が、おまえを狙っている
今にも、おまえの脳に入り込もうとしている
落ちついて、本当によく考えないと
あっという間に、死はやってくる
おまえにとっての世界は、微笑んで笑っていればいいのか
今、やるべきことをやらなくて、どうするんだ
Instant Karma's gonna get you
Gonna look you right in the face
Better get yourself together darlin'
Join the human race
How in the world you gonna see
Laughin' at fools like me
Who on earth d'you think you are
A super star
Well, right you are
ありきたりな「運命」が、おまえをがんじがらめにする
それは、おまえの顔をじっくりとのぞき込む
愛する人のことをよく考えて
人間に生まれたことを楽しまなきゃ
世界には色々あるんだってことを知って
俺の愚かさを笑い飛ばせよ
おまえは自分のこと何だって思う?
スーパースター!
いいんじゃない。おまえは確かにスーパースターだよ
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Well we all shine on
Ev'ryone come on
そうさ、俺たちはみんな輝く
月のように、星のように、そして太陽のように
そうさ、みんなが輝ける
さあ、みんな!
Instant Karma's gonna get you
Gonna knock you off your feet
Better recognize your brothers
Ev'ryone you meet
Why in the world are we here
Surely not to live in pain and fear
Why on earth are you there
When you're ev'rywhere
Come and get your share
出来合いの「宿命」に、溺れてしまって
おまえは完全にノックアウト状態
出会える人たちはだれでも兄弟なんだよ
なぜ、この世界に生まれて来たんだと思う?
傷ついたり、恐怖に脅えるためじゃないだろう
どうして、おまえはそこにいるんだ
さぁ、ここに来て、おまえの居場所を見つけなきゃ
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Yeah we all shine on
Come on and on and on on on
Yeah yeah, alright, uh huh, ah
そうさ、俺たちはみんな輝く
月のように、星のように、そして太陽のように
そうさ、みんなが輝ける
さあ、みんな!
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Yeah we all shine on
On and on and on on and on
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
Yeah we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
◎[歌詞引用]INSTANT KARMA LYRICS
下記に、岩谷宏氏の訳を追記。
♪インスタント・カーマ♪
瞬間のカルマがあなたを捉える
あなたの脳を一撃する
気持ちを集中しろ
もうじきあなたは死ぬ
何を考えるのかも
恋を笑いで一蹴して
何に努力するのかも
すべてあなた次第だ
瞬間のカルマがあなたを捉える
顔面を一撃する
気持ちを集中して
人類の一員なんだと思え
ものの見方を変えるんだ
僕みたいなバカは笑い飛ばして
あなた自身が何者かを考えるんだ
あなたはスーパースターか、
そうさ、あなたがスーパースターなんだ
そうなのだ、みんなが輝くのだ
月のように星のように太陽のように
誰もが輝くのだ
そうだ、あなた自身が輝くのだ
『ジョン・レノン詩集』訳・岩谷宏(シンコーミュージック1986年出版)より
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https://en.wikipedia.org/wiki/Instant_Karma!
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