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┃ 『夜のヒットスタジオ』司会一代目:前田武彦・芳村真理 ┃
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┌─――――――――――――――――――――――――――┐
①|歴代出演歌手-前田武彦・芳村真理司会時代Ⅲ(1972~1973)|
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‡第0242回 1973(昭和48)年 6月18日(月) 青江三奈、沢田研二、ちあきなおみ、天地真理、
南沙織、白川奈美、野村真樹、ほか
┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(11) 前田・芳村時代後期(1972,1-1973,9)|
└─―――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
※本日は初出演歌手はありま千と千尋ですヨ(=^◇^=)
┌─――――――――――――――――――――――――┐<バンザイ事件>
③|【総括】夜のヒットスタジオ・年表Ⅱ(1971,4~1974,3)|司会の前田武彦、
└─――――――――――――――――――――――――┘エンディング時に共産党の選挙候補者との公約として「バンザイ」のポーズを行ったことが問題化
┌─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
④|夜ヒット最大の存亡の危機・・・「バンザイ事件」とマエタケの“解任”(歴代司会者考Ⅱ)|
└─――――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/23df0c2423d10301d0e9c522196d8746
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/79ab8f979ea471985f0cca0f9ba22e8f
③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/3b1df771b5bc49aa756e9a9364880c2d
④http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/7ff48d758b270f6a5ef553959061cb76
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┃ 『夜のヒットスタジオ』司会三代目:芳村真理・井上順 ┃
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┌─―――――――――――┐http://v.youku.com/v_show/id_XMjk3NTU4NTcy.html
|♪オープニングメドレー♪|http://youtu.be/Ae1xl_fUp0I
└─―――――――――――┘
<ヤングマン>小柳ルミ子
<おもいで酒>西城秀樹
<狼なんか怖くない>小林幸子
<愛は心のフルコース>石野真子
<二重奏>SHOT GUN
<ふるさと>岩崎宏美
<ふるさと>五木ひろし ◎ダンさん率いる♪めだかの兄弟♪のインストと共に仲睦まじく手をしっかり握って芳村と井上が登場し「芳村さんこんなところに落し物ですヨ。テープレコーダー!どなたか、どなたんですかこれ」と音を出して聞くと「失礼しましたこれ私のでございました」と井上。◎東京は今日30℃を越えた蒸し暑さ、初往時は34℃を記録。
┌─―――――――――――――――――――――――――┐
①|歴代出演歌手―芳村真理・井上順司会時代Ⅱ(1978~1979)|
└─―――――――――――――――――――――――――┘
‡第0554回 1979(昭和54)年 6月18日(月) テイスト・オブ・ハニー、五木ひろし、西城秀樹、
小柳ルミ子、小林幸子、岩崎宏美、石野真子、SHOT GUN(=^◇^=)O♂・・♀
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②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(8) 芳村・井上時代前期①(1978,4-1980,3)|
└─――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0554回 1979(昭和54)年 6月18日(月) ♪Do It!♪ テイスト・オブ・ハニー
♪スパーリング・ギャル♪ SHOT GUN <ショット・ガン>
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③|歌でふりかえる夜のヒットスタジオ②②年史(25) 1979年4月-6月(第543-555回)|
└─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0554回 1979(昭和54)年 6月18日(月) テイスト・オブ・ハニー ♪Do It!♪
小林幸子 ♪おもいで酒♪
岩崎宏美 ♪夏に抱かれて♪http://youtu.be/AWsd-VI8Jhw
石野真子 ♪ワンダー・ブギ♪http://youtu.be/X3Us9lmH59A
SHOT GUN ♪スパークリング・ギャル♪
┌─――――――――――――――――――――――――┐
③| フジテレビ ONE TWO NEXT 『夜のヒットスタジオ』 |2009年~2012年1月再放送 #115
└─――――――――――――――――――――――――┘2004年~2008年再放送 #89
ワンダーブギ♪ 石野真子http://youtu.be/X3Us9lmH59A
夏に抱かれて♪ 岩崎宏美http://youtu.be/AWsd-VI8Jhw
蝉時雨♪ 五木ひろし
おもいで酒♪ 小林幸子
スパークリングギャル♪ SHOT GUN
スペインの雨♪ 小柳ルミ子
ホップ・ステップ・ジャンプ♪ 西城秀樹 http://youtu.be/iX4Fn3grqO0
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/f153d204c2a1e41dcf6d81497fb26ae8
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/5706dc23ea0dc61221c1e77858cd4f80
③http://kayari.a.la9.jp/yoruhit/1979.html
③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/de085c550e2bbefe825e698d777ae04f
③http://www.fujitv.co.jp/otn/b_hp/909200031l.html ③http://www.fujitv.co.jp/otn/b_hp/909200031.html
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┃ 『夜のヒットスタジオ』司会三代目:芳村真理・井上順 ┃
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①|歴代出演歌手―芳村真理・井上順司会時代(1984~1985)|
└─――――――――――――――――――――――――┘
‡第0812回 1984(昭和59)年 6月18日(月) ガセボ、郷ひろみ、小柳ルミ子、大沢誉志幸、
岩崎宏美、小泉今日子、チェッカーズ、THE GOOD-BYE
┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(5) 芳村・井上時代後期①(1984,4-1985,9)|
└─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0812回 1984(昭和59)年 6月18日(月) ♪I Like Chopin♪ ガゼボ
♪その気×××♪ 大沢誉志幸
┌─―――――――――――――――┐
③| 夜ヒットを彩った売野雅勇作品 |♪哀しくてジェラシー♪
└─―――――――――――――――┘チェッカーズ/曲:芹沢廣明 HC:1位
‡1984(昭和59)年 5月 1日(火) リリース
1984(昭和59)年 6月18日(月) 第0812回『夜のヒットスタジオ』出演、ほか
┌─―――――――――――――┐
|『夜ヒット』今夜のエピソード|
└─―――――――――――――┘小泉今日子 迷宮のアンドローラ http://youtu.be/6ms-j6ynckI
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/a3b354639cc3ecae61d3a487ea8e5852
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/c3cae56a9ef44ee13fb303e34a68c0ca
③http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=1337
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%80%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%A6%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC
http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/1d0956ff961df20a972b2e1604f32b04 曲目
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┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』司会四代目:芳村真理・古舘伊知郎 ┃
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①|歴代出演歌手―芳村真理・古舘伊知郎司会時代Ⅰ(1985~1986)|
└─―――――――――――――――――――――――――――┘
‡第0914回 1986(昭和61)年 6月18日(水) リマール、沢田研二(マンスリー3)、チューリップ、近藤真彦、中森明菜(38)、
西城秀樹、鈴木雅之、小林明子、早見優、長山洋子、聖飢魔Ⅱ、Dee-Dee
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②|夜のヒットスタジオ・初出演データ(4) 芳村・古舘時代前期(1985,10-1986,12)|
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※本日は初出演歌手はありま千と千尋だヨ(=^◇^=)
┌─―――――――――――――――――――――――――――――――――――――┐
③|歌でふりかえる夜のヒットスタジオ②②年史(39) 1986年4-6月(第903-915回)|
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‡第0914回 1986(昭和61)年 6月18日(水) 沢田研二 ♪ホワイト・ルーム♪
沢田研二 ♪スタンド・バイ・ミー♪
チューリップ ♪愛の嵐♪
西城秀樹 ♪CITY DREAMS FROM TOKYO♪
鈴木雅之 ♪ガラス越しに消えた夏♪
聖飢魔Ⅱ ♪蝋人形の館♪
近藤真彦 ♪青春♪
小林明子 ♪愛はエナジー♪
早見優 ♪Newsにならない恋♪
長山洋子 ♪雲になりたい♪
Dee-Dee ♪YOU'VE GOTTA NAME♪
中森明菜 ♪ジプシー・クイーン♪(2)
この映像の正確な日付は㊦↓のどれですか?http://youtu.be/T9RsSLBfKKQ
第0911回 1986(昭和61)年 5月28日(水) 中森明菜(37) ♪ジプシー・クイーン♪(1)
‡第0914回 1986(昭和61)年 6月18日(水) 中森明菜(38) ♪ジプシー・クイーン♪(2)
第0917回 1986(昭和61)年 7月 9日(水) 中森明菜(39) ♪ジプシー・クイーン♪(3)
第0921回 1986(昭和61)年 8月 6日(水) 中森明菜(40) ♪ジプシー・クイーン♪(4)?
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①http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/a6be6bb3f1006e42d66239ca790b5340
②http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/6b6a1988ec68c28a2c0acb6b2118241d
③http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/0dbe5a4e17f40aca0ee51156d72032d9
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┃ 『夜のヒットスタジオ』 ┃1968(昭和43)年11月 4日(月) 22:00~22:54 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━┛1985(昭和60)年 3月25日(月) 22:00~22:54 The End.
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┃ 『夜のヒットスタジオDELUXE』 ┃1985(昭和60)年 4月 3日(水) 21:02~22:52 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1989(平成元)年 9月27日(水) 21:02~22:52 The End.
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┃ 『夜のヒットスタジオ SUPER』 ┃1989(平成元)年10月18日(水) 22:00~22:54 Startin'
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛1990(平成二)年10月 3日(水) 22:00~22:54 The End.
************************* http://blog.goo.ne.jp/resistance-k
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E5%87%BA%E6%BC%94%E6%AD%8C%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
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※㊦↓の記事から推測すると事件発生は、1973(昭和48)年6月18日(月)の今夜
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①┃ 『日刊ゲンダイ』「プレイバック芸能スキャンダル史」 ┃バンザイ事件
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛2011(平成23)年 9月12日 インターネット掲載<1973年6月> 先月5日、ひょうひょうとした調子の名司会で人気だった前田武彦が82歳で亡くなった。訃報記事で取り上げられた「バンザイ事件」。マエタケの一生を決定づけた騒動は今太閤の田中内閣が支持を落とし、革新勢力が躍進する政治状況の中で起きた。73年6月17日。青森と大阪で行われた参院補選は激戦となった。とりわけ2年前に黒田革新府政が誕生し、前年の総選挙で共産党が衆院の全6選挙区で議席を確保した大阪は、160人の国会議員を前日に送り込む熱の入れよう。インフレ退治に失敗し、国民にソッポを向かれ始めた角栄にとって、議席の死守は最重要課題だった。その翌日、生放送の番組終了間際に“事件”は起こった。23時ちょっと前。フジテレビの人気歌番組「夜のヒットスタジオ」のエンディングテーマが流れだした時だった。司会の前田武彦が突然、両手を高く上げ「バンザーイ、バンザーイ」と繰り返した。出演者やスタッフ、視聴者は何のことかわからず、キョトン。これが後に大問題となり、3カ月後、前田は番組から降ろされてしまう。バンザイは共産党に向けてだった。翌日開票の大阪補選で、共産党の沓脱タケ子が当選。1議席を争う国政選挙で共産党が自民党を破ったのは初めてのこと。前日応援に駆けつけていた前田は、「当選したら月曜日の生放送中に何かやりますから」と約束していた。「ゲバゲバ90分」や「笑点」の司会を務め、「夜ヒット」でも最盛期に40%を超える視聴率を叩き出した人気者だ。確信犯とはいえ、党名を出したわけではない。局内では「数字のとれる司会者」との評価が定着している。夜ヒットの現場は「おとがめなし」に傾いていた。しかし、7月に事態は急転する。女性誌が「共産党バンザイ事件」と報じ、フジ鹿内信隆社長の耳に入るところとなる。鹿内は経済団体の労務担当として労働組合潰しに奔走した人物。グループの産経新聞で大々的に反共キャンペーンを張ろうとしていた矢先のことだった。「事実を知った社長は激怒。追放が決まってしまった。超ワンマンの鹿内さんの命令には誰も逆らえず、9月いっぱいで降板してもらうことになったんです」(フジOB)コンビの芳村真理も降板。「マンネリ化してきたのでイメージチェンジを図る」というのが表向きの理由だった。前田にとって不幸だったのは話がフジだけで済まなかったことだ。他局の番組からも次々に降板させられ、数年にわたって画面から姿を消した。今年7月末、突如体調を崩して他界。あのマエタケ節は二度と聞けなくなった。(敬称略)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
②┃ 共産党バンザイ事件関連参考記事No.1 ┃ バンザイ事件
③┃ 共産党バンザイ事件関連参考記事No.2 ┃㊦↓の記事から推測すると事件発生は1973年6月18日
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛2011(平成二十三)年9月13日の『日刊ゲンダイ』が「プレイバック芸能スキャンダル史」の中でその事を思い出させる記事を掲載していた。すなわち今太閤ともてはやされた田中角栄内閣にかげりが見え始めた■1973(昭和四十八)年6月17日(日)■、革新勢力が躍進するなかで大阪の参院補欠選挙が行なわれた。2年前には黒田革新知事が誕生し、前年の総選挙では大阪全6区で議席を確保した共産党は、160人の国会議員を補選の前日に大阪に送り込む熱の入れようだったという。 選挙は激戦だった。インフレ退治に失敗し、国民にソッポを向かれ始めた田中角栄にとっては議席の死守は最重要課題だった。 投票日の夜遅く、23時ちょっと前、フジテレビの人気歌番組「夜のヒットスタジオ」のエンディングテーマが流れ出した時、司会の前田武彦が突然、両手を高くあげて、「バンザーイ、バンザーイ」と繰り返した。出演者やスタッフ、視聴者は何のことか分からず、キョトン。実は投票日の前日応援に駆けつけていた前田は「当選したら月曜日の生放送中に何かやりますから」と約束していたのだ。しかしバンザイとは言っても共産党の名前を出したわけではない。前田は「数字のとれる司会者」との評価が定着している。夜のヒットスタジオ」の現場は「おとがめなし」に傾いていた。ところがそれから一月ほどたって女性誌が「共産党バンザイ事件」と報じ、それがフジ鹿内信隆社長の耳に入り激怒する。超ワンマンの鹿内社長の命令には誰も逆らえず、コンビの芳村真理とともに降板となる。前田にとって不幸だったのは話がフジだけで済まなかったことだ。他局の番組からも次々と降板させられ、画面から姿を消したという。これが日刊ゲンダイが伝えるマエタケ共産党バンザイ事件の概要である。それにしても隔世の感だ。■1973(昭和四十八)年6月17日(日)■の大阪補選は一議席を争う国政選挙で共産党が自民党を破ったのだ。共産党が恐れられていたのだ。いまでは共産党議員が与党議員との一騎打ちで勝つことなどありえない。共産党支持者だからといって誰も関心を持たない。共産党バンザイ事件は、今の世の中では決して起こらない。私は共産党支持者ではないが、一億総保守化した今、共産党の弱体化は淋しい限りだ。
**************①http://gendai.net/articles/view/geino/133603
②http://goinkyo.blog2.fc2.com/blog-entry-260.html ③http://blogs.yahoo.co.jp/hellotomhanks/62758021.html
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┃ 夜ヒット最大の存亡の危機・・・「バンザイ事件」とマエタケの“解任”(歴代司会者考Ⅱ) ┃2006-08-06
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PC故障などがあり、前回記事より1ヶ月以上も間が開いてしまいました。楽しみに見てくださっている方には大変申し訳なく思っております。前回は、夜ヒット創成期の看板司会者である前田武彦さんと芳村真理さんに焦点を当てて記事を書きました。今回はその続き、夜ヒット22年の歩みの中でも、番組の存亡にまで関わる一大事となった「共産党バンザイ事件」について重点的に述べたいと思います。前回記事でも取り上げたように、マエタケさんは、歌手に対する渾名付けや、ちょっとしたブラックユーモア、また生放送にも関わらず台本度外視のフリートークをふんだんに取り込む軽妙な司会スタイルで、番組の安定した人気を支えてきました。しかし、フリートークがヒートアップするあまり、時に誤解を招く恐れがある「余計な」一言を発し、相手役の芳村さんが方々の批判を最小限にとどめるべく火消しに躍起することもしばしばで、人気ナンバーワンの司会者としてキャリアを上げていく反面、守旧的な意見を持つ視聴者や業界関係者の間では「アンチマエタケ」ともいえる層が徐々に増えていきました。そんな中で1973(昭和48)年 6月、「共産党バンザイ事件」が勃発します。事の発端は、共産党の当時の書記長・宮本顕治氏がマエタケさんに会談の申し入れを行ったことに始まります。政党からの申し入れでしたが、彼の当時のタレントとしての格に似合ったギャラも支払って貰えるという条件の下で、あくまでもマエタケさんさんはテレビやラジオの番組司会と同じ「仕事」の一つと解釈して、その会談の申し入れを受諾。この会談は事の他、方々に評判がよかったらしく、その後も、共産党は「広告塔」のごとくマエタケさんに各種行事の司会やパネラーの仕事を依頼するようになりました。マエタケさん自身も思いのほか、各種行事の反応がよかったこともあり、快く共産党からの仕事依頼にもクビを縦に振るようになっていました。両者の間柄はすでに「ツー、カー」の仲になっていたようです。そして、このような流れで、1973(昭和48)年6月17日(日)、共産党は今度は、参議院大阪選挙区補選で擁立した自党の候補者の応援演説をマエタケさんに依頼し、いつものようにマエタケさんはこの依頼を引き受けます。最初はいつもテレビ番組でよく見られる「余計な一言」は封印して、普通に「がんばってください」とだけ述べて帰ろうと思っていたようですが、やはり時の人気者。ここで安穏と帰ることもできず、さらに一言求められてしまいます。ここで彼は候補者の風貌から、「ボクシングのグローブ」とお得意の「渾名付け」を披露。そして「そのグローブで相手をノックアウトしてください」と、いかにもマエタケさんらしいアドリブで締めくくりました。しかし、その後、マエタケさんは候補者や演説を見に来た観衆に対して一つのある約束を交わしたことが後々、夜ヒットのみならずマエタケさんの司会者生命をも脅かす大問題へと発展していくのです。 その約束というのは、「Aさん(候補者)が当選したら、その生放送(=翌日の夜ヒット)の中でバンザイします。皆さん見ていて下さい」というものでした。●この演説の翌日<1973(昭和48)年 6月18日(月)>、開票され、マエタケさんが応援したA氏は見事選挙に当選。そして上記の「バンザイします」という約束を生放送内で必ず実行せねばならなくなりました。どのタイミングでバンザイをしようか悩んでいるうちに本番が始まり、いつものように芳村さんと番組を進めているうちに、進行にのめり込んでバンザイの約束などすっかり忘れていたのですが、番組エンディングのときに、トリで歌を披露した当時の番組レギュラー・鶴岡雅義と東京ロマンチカの面々が歌い終わって自分の前を通り過ぎてゆくときになぜかふと約束を思い出し、すでにマイクロフォンも生きていない状態の中で「三条(正人)くんお疲れ様。バンザーイ」と行ったのです。それを受けて三条さんもまったく真意など分からない状態でつられてバンザイをやったようです。当然、当事者であるマエタケさん自身、後にこの「バンザイ」という行為が大問題に発展することなど思ってもいなかったと思います。しかし、当の本人の意識とは裏腹にこのバンザイの真意を突き止めた当時のフジサンケイグループの総元締めである鹿内信隆氏の逆鱗に触れ、同月、まずは同局の映画番組「ゴールデン洋画劇場」の解説者役からマエタケさんを解任。そして、1973年9月24日(月)放送を以って、5年間、256回にわたり司会を担当してきた夜ヒット司会からの降板(事実上の解任)を余儀なくされ、フジテレビにおける番組だけでなく、『東芝ヒットパレード』などほかの放送局でのレギュラー番組をもすべて解任されるという憂き目に遭います。全番組からの解任という極めて重いペナルティを課せられたこともあり、一部では「バンザイ事件」に便乗して、アンチマエタケ層の業界関係者らが一斉にマエタケ潰しに走ったのではないか、という「陰謀」説も主張されるなど、単なる番組内の一大事というレベルでは解決できない、もはや放送界全体を巻き込む一大事件となっていました。当時のフジテレビの企業体質は、今のフジテレビとはまったく異なり、保守的な政治思想を持つ経営者側と比較的前衛的な思想の若手現場スタッフの間に根強い軋轢が生じ、労使交渉は毎年のように決裂し、スタッフたちがスタジオに布団を引き詰めて局内で長時間のストライキを行うのが常識化している、というような極めて暗いものであり、このような独特な局の体質もここまで事が大きくなった要因として作用していたと思います。そして、マエタケさんと共に、相手役の芳村真理さんも「バンザイ事件」で付いたダーティーなイメージを払拭したいとの当時の製作スタッフの思惑が働いてか、同時に連帯責任的に一時番組を降板。その後、1973(昭和48)年10月 1日(月)放送からの半年間は、特定の司会者をあえて設置せずに、ゲスト歌手2名で司会を行うという輪番制の方式で放送されることとなり、それまで安定した人気を誇った夜ヒットは一転して、迷走の時を迎えることになります。いろいろと番組長寿化に辺り、決して平坦な道を歩んできたとはいえない夜ヒットの歴史の中でも、この「バンザイ事件」~歌手輪番制による司会の時代はもっとも番組の存亡が危ぶまれた時代であったという気がします。番組開始から5年間、番組の屋台骨として活躍してきた両司会者が突如として番組から去ってしまう。夜ヒットの人気はマエタケ・芳村のパーソナリティー性に支えられていた部分がかなり大きかったせいか、この個性ある2人が消えるということは、ほかの番組における司会者降板の場合以上に番組製作の基盤を動揺させる出来事でもありました。同時に、この2人の司会、そして番組に対して高い信頼を寄せていた視聴者もこの事件を境に番組から離れていくようになり、視聴率も以前ほどに高視聴率が見込めなくなる状態に陥りました。歌手輪番制の司会スタイルも、番組の安定性という面からはかなり問題もあり、また、番組内部の迷走ぶりを象徴させる司会形式でもあったため、半年間で打ち切られ、1974(昭和49)年 4月 1日(月)の放送からは、一度番組を降板した芳村さんを今度は主軸の司会者として復帰させ、新たな相手役として、朝丘雪路さん、そして『笑点』(日本テレビ)などの司会で、お茶の間の人気を集めていた三波伸介さんを迎えて、新たな仕切りなおしを図ることとなりました。芳村・三波(・朝丘)司会の時代の話は次回に論を移したいと思います。テレビ番組の司会者にせよ、なんにせよ、どのジャンルにおいても「先駆者」は、歴史上に大きな業績を残す反面、大きな代償も払わなければならないのが常といえます。マエタケさんもまさに「新時代の司会者像を確率した」という意味でまさに「先駆者」そのものであり、彼の司会がなければ、その後の井上順や『ザ・ベストテン』の久米宏、『ザ・トップテン』の堺正章などの個性ある次世代の男性司会者も台頭することはなかった。しかし、その大きな放送界に対する業績の反動として、夜ヒットを初めとする「全番組降板」というペナルティーを課せられたと見ることができるかもしれません。ただ、管理人もそうですが、その「全番組降板」というペナルティーは果たして「(共産党)バンザイ」という一行為と相当する代償であったのか、といえば大いに疑問が持たれるところです。一般の企業の社会において「生意気なやつだ」「余計なことを言ったな」「政治思想が経営陣とは相反する」などということだけで解雇を許すような労使関係があるとするならば、それは間違いなく労働法規に抵触しうる不当な関係であるということはいうまでもないだろうと思います。「常識が常識として通らないところ、それが芸能界だ」という意見を述べる識者などもいますが、タレントも結局は番組に、そして局に一時的であるとはいえ「使われる」身の上である以上、その番組、そしてその放送局とのつながりがあることが生活基盤の根幹にあるという点で、会社からの給与のみに経済的部分を頼らざるを得ない一般会社員のそれとはまったく異なるところはないように思います。やはり個人的な意見ではありますけども、「夜ヒット降板」は致し方なしであるにせよ、ほかの番組まで奪い去ってしまうという責任の取らせ方は問題となる行為と責任の重さの比較考量から考えても「不均衡」と断ぜざるを得ないでしょう。やはり上記の経緯からみて何らかの業界内の圧力がそうさせてしまったと見るのが自然かもしれません。テレビ放送初期より放送作家・司会者としてテレビの発展と共に歩み続けた前田武彦という偉大な放送人の一生を狂わせ、そして本来ならもっとクローズアップされてしかるべき彼の業績をも霞ませる結果となってしまったこのバンザイ事件における制裁は、日本のテレビ史上における「汚点」であると私は考えます。また、夜ヒットという番組の側面から見れば、同事件がなければ、その後も当然に、1000回までとは言わないまでも数年間はマエタケ・芳村のコンビで夜ヒットは続いていた、そうだとすれば後の本格的な音楽番組への転換という方向性が生じることはなかったのではないか、そういう意味では番組にとっても最大の時代の分岐点であったと思います。(追記)今回の記事作成に当たっては、"ごいんきょ"さんが運営されている「昭和テレビ大全集 Blog版・夜のヒットスタジオ」の項目を参照させていただきました。(URLはトラックバックの欄にあります)
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http://blog.goo.ne.jp/resistance-k/e/7ff48d758b270f6a5ef553959061cb76
http://goinkyo.blog2.fc2.com/blog-entry-260.html
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┃ 共産党バンザイ事件関連参考記事No.1 ┃
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その『事件』については、件のマエタケの自著に依って解説したいと思います。事の発端は、日本共産党からの宮本顕治書記長(当時)との会談の申し入れ。共産党とは言え、きちんとした額のギャラをくれるという事で、前田は特に深くも考えずに受けてしまいます。この会談の成功で共産党はその後も、前田を各種イベントに呼び、どれも好評を博したのみならず、前田にとっても非常に心地よい部類の仕事だったようです。そして1973年6月。大阪参院補選、自民党・森下仁丹の森下泰、共産党・沓脱タケ子の自共決戦で、共産党は前田に応援を依頼。応援演説には躊躇しつつも、これまでの付き合いから激励くらいならと、ギャラをきちんと貰ってあくまでも仕事として、前田は受諾。ただ頑張って下さいと言えば済むだろうと思っていた前田でしたが、天王寺駅前の大演説会場に於いて、一言を求められてしまいます。ここで彼は咄嗟に、沓脱候補にあだ名をつけますと切り出し、浅黒い顔色と鉄の塊のような風貌から「ボクシングのグローブ」と命名。不破哲三や松本清張の困惑を受け(笑)、「そのグローブで相手候補をノックアウトして下さい」と締めました。この辺のアドリブセンスがマエタケの真骨頂でしょう。ところがこの後、問題の一言を付け加えてしまいます。「沓脱さんが当選されたら、その生放送(翌日のヒットスタジオ)で バンザイします。皆さん、見てて下さい」一般人のファンに、テレビから合図を送って下さいとせがまれ、手を振ったりはしていたという前田は、その調子でこんな約束をしたのでした。そして選挙は沓脱候補の当選。前田は番組中のいつバンザイをしようか悩みます。それも番組が進行するうちに忘れていたのですが、フィナーレで、最後の出演者・東京ロマンチカが通り過ぎる時に気がつき、既にマイクもオフになって音声は届かないまでも、「三条君お疲れさま。バンザーイ」とやったのでした。三条正人も意味がわからぬまま、つられてバンザイとやったと言います。この一件が、フジサンケイグループの週刊誌によって報じられ、マエタケの共産党バンザイ事件として問題化。次の秋の改変期、ヒットスタジオは勿論、十二年続いていたラジオも含め、すべての番組から降板を余儀なくされたのでした。フェードアウトと言うにはあまりに急激な暗転。前田はこの後しばらく、経済的にも苦境に立たされたようです。このバンザイシーンも含め、前田は初期のオープンリールのビデオでヒットスタジオなどを所有していたようですが、根に持っても仕方ないと全て処分してしまったとか。なんとまあ、貴重な文化遺産を(苦笑)。このバンザイ事件、問題の背景が実は幾つか有ります。一番大きいのが、当時のフジテレビは今とは大違いの非常に閉鎖的な体質で、労使対立も根深く、社員みなが自覚した、暗い時代であったという事でしょう。そんな中で共産党に肩入れする前田に対する制裁という面もあったと思います。前田の方も、思想的に共産主義者ではないと弁明しつつも、政党や宗教の機関誌紙で芸能人が紙面を割かれるというのは、その機関の宣伝行為になるのは明らかなんですから、関係があると見られるのが当然だとワタクシは思います。ギャラを貰っている「仕事」だからと言うのは通りません。また、前田が学んだ鎌倉アカデミアには共産党員も多く、その関係で彼の繋がりには共産党員が多かった。いずみたくもその一人です。共産党が前田に様々な仕事を依頼したのもそういう関係があるからでしょうし、前田の方も実は、そういう義理を意識していたんじゃないでしょうか。問題のバンザイ事件は、例え「共産党バンザイ」とは言っていなくても、公私混同という批判は当然の話で、ヒットスタジオ降板は仕方ないと思います。しかし、よりにもよって他局のまったく関係ない番組まで奪われるほどの非道であったとも、ワタクシには思えません。テレビ開局以来長らく貢献してきた人間の生活基盤を、根こそぎ奪うような圧力を、ワタクシは到底認める事は出来ません。前田と共に相方の芳村真理も降板決定。二人のさようなら番組が作られたのが、せめてもの救いでしょうか。送り出される芳村真理は涙。内心憮然たるマエタケには涙は無し。しかし、放送後の歓送パーティーで、ダン池田が放った言葉に泣いたと言います。「正直でいつも本当の事を言う前田さん。別れるのが…悔しい!」事情がわかっていてもみんなおざなりな挨拶しかしない中、池田がこう言った時には自分でも信じられないくらいに涙が出て、抱き合ったと言います。よほどに悔しかった事がわかります。芳村はしばしのブランクの後、出来レースのように復帰。この事も前田のプライドを大きく傷つけました。その後前田は、関口浩事務所に所属し、現在は普通の生活に戻っているようですが、この辺の事情は、なぜか著書では語られていません。駅前でつまずいても誰も気にとめなくなったという彼ですが、テレビ50周年の特番で、若いタレント達が通り一遍の反応しかできないのを、自分がいたらいろんな事を伝えられるのにと歯ぎしりし、テレビの還暦まで生きていたら続編を書いても良いと、著書は締められています。関口事務所への移籍の顛末を含め、絶対に続編も読みたいですし、他にも語っていない事、特にシャボン玉ホリデーでは多いと思いますが、それらを暴露趣味ではなく、放送文化史の一頁として絶対に書き上げて欲しいと思います。また書中で本人もPRしているのですが、もっと初期のテレビを知る人間に、今のうちに語り残しておいてもらわなければいけません。過去を語る事を斜に構える人間も少なくない中、こう言ってくれる人は貴重です。特にNHKなどはこうした事を精力的にやらなければならないのに、テレビ50周年だって若手のタレントなど使って視聴率を意識している場合ではないでしょう。受信料を使って視聴率競争に堕するなと言いたいです。かなり前田武彦でスペースを使ってしまいましたが、実のところ、先にも言ったように、ワタクシにとっての夜ヒットは、月曜夜十時、前田武彦司会の番組なんですね。
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