過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

2024(令和六)年参月参拾壱日もうひとつの(土)曜日の初記事ですヨ(=^◇^=)


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7┃ 『Presence』 ┃
 ┗━━━━━━━━┛LED ZEPPELIN
‡1976(昭和51)年03月31日(wed) US released
 1976(昭和51)年04月06日(tue) UK released
 2015(平成27)年07月31日(fri) remastered version
 Note・・・ペイジ自身が最も気に入っている作品といわれるヨ(=^◇^=)
六https://music.amazon.co.jp/albums/B00A4C6062
 https://en.wikipedia.org/wiki/Presence_(album)
Rhttps://music.amazon.co.jp/albums/B0197UH9J8
デhttps://music.amazon.co.jp/albums/B00YG8O3L4
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①┃ 天神コア ┃
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 1976(昭和51)年06月05日(土) 開業
†2020(令和二)年03月31日(火) 閉業
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②┃ ニチイ天神店 ┃
③┃  天神ビブレ  ┃
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②1976(昭和51)年11月06日(土) 開業
③1982(昭和57)年03月20日(土) 開業 天神ビブレ21
③2020(令和二)年02月11日(火) 閉業
①https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E3%82%B3%E3%82%A2
②https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E3%83%93%E3%83%96%E3%83%AC
「微食」と「不食」の人、その代表的3人のケースと体得したもの。
‡2014-03-31 23:03 by martin310「食」の問題
●柴田 年彦(しばた としひこ)1944年、東京生まれ。東京農業大学農学部時代は、動物生態学を専攻。当時の体重は100キロを超える巨漢であった。研究を深めるうち、「生き物としての人間」の不自然さに気づき、マクロビオティック・玄米菜食などを取り入れつつ、独自の思索を開始する。実証を旨として、2007年5月30日から2008年5月29日にわたる「超低カロリー食」生活を展開。著書「ほとんど食べずに生きる人」でその成果を記し、各界を驚かせた。実験結果だけでなく、少食・微食により見えてきた新しい世界についても、その全容を明らかにしている。
◆「カロリー神話」洗脳への挑戦◆柴田氏が、一日わずか500キロカロリーの超低カロリーの「微食」で、一年間の人体実験をはじめたのは、食指導家として「マクロビオティック」の普及に積極的に携わっていたとき、“成人男子なら一日に2500キロカロリー、女性であれば2000キロカロリーを摂取しないと健康を維持できない”とする、いわゆる『カロリー神話』は間違っているのではないかと思ったことからという。メタボリック対策が進まない背景には、痩せることや、超低カロリー食への漠然とした不安があり、カロリーを減らして痩せれば健康になる、という認識がうすいことにあると、逆に、自分の身をもって「痩せれば元気になる」ということを証明しかったからだとして、この『カロリー神話』への挑戦をはじめた。近代栄養学では、人体(成人)の基礎代謝熱量を約1500キロカロリーと定義。この“常識”からいえば、柴田氏の身体は足りないカロリーを自らの脂肪や筋肉からまかなうため、どんどん痩せていき、最後は骨と皮になって餓死すると・・・。実際、ある運動生理学の医師からは、そんなことを続けるならば、四ヶ月後には死に至ると宣告されたそうだが、しかし、そうはならず、365日経っても餓死するどころか、健康レベルは格段に上がり、身体は引き締まり、肌の艶もよく、元気そのものになった。氏は、こうも述べている。体調がどんどんよくなり、体質が強化され、精神的な活性には驚かされた。痩せることで不健康になるどころか、逆に全身の細胞が甦り、人生が充実したと。食事内容が正しい超低カロリー食の「微食」によって、全身の潜在能力が引き出され、その力を利用すれば、自分自身の治癒が始まり、健康で元気になれるだけでなく、新しい可能性が開けると。
「引き算」の生き方革命を実践。超低カロリー食の実験をスタート。
 2007(平成19)年05月30日(水)開始(64歳、身長173cm、体重80キロ)
 ・貧血症状が出た1ヶ月目。
 ・1日中眠たかった2ヶ月目。
 ・「脱力感」など心身へ不安を感じた3ヶ月目。
 ・皮膚に不快な症状が出た4ヶ月目。
 ・皮膚から体質改善が始まった5ヶ月目。
 ・体質の変化を意識できた6ヶ月目。(ここから微食が心地良くなって来る)
 ・健康診断で異常が出ない7ヶ月目。
 ・客観的に健康を確認した8ヶ月目。
 ・歯周病まで治ってしまった9ヶ月目。(たまらない爽快感が出て来る)
 ・何かが変わってしまった10ヶ月目。
 ・体重増加策に転じた11ヶ月目。
 ・空腹感が心地よくなった12ヶ月目。
 2008(平成20)年05月29日(木)終了(体重57キロ)
 そして、柴田氏の到達した結論は――
●段階的に体重を落とせば、無理なく減量目標を達成できる。
●少食微食の食事内容(玄米菜食)でビタミン・ミネラルなど栄養素は不足しない。
●医学的検査でも異常値は出ない。
●1000キロカロリー以下という大幅に少ない摂取カロリーでも十分。(柴田氏は500キロカロリー)
●少食・微食には解毒や体質改善の効果がある。
●健康が増進し、五感が鋭くなり、脳が活性化し、やる気が横溢する。
●人間には「飢え」に対する適応力がある。
●人は食べなくても生きられる。
 2008/10/21『ほとんど食べずに生きる人―引き算の生き方革命』三五館 柴田年彦:著   
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●森 美智代(もり みちよ)1962年、東京都生まれ。短大卒業後、養護教諭として小学校勤務をしていた1984年に難病の脊髄小脳変性症を罹患。以来、西式・甲田療法に専念し、難病をみごと克服。その後、鍼灸師の資格を取得し、大阪市八尾市で鍼灸院を開業。現在、森鍼灸院院長。甲田光雄医師の著書でたびたび紹介されている「仙人2号」のMさんとしても知られる。本格的な断食・生菜食療法を実施してからすでに27年、1日青汁1杯のみの生活になってからは丸16年を超えている。鍼灸治療のほか、講演などでも活躍中。2010年秋公開のドキュメンタリー映画『不食の時代―愛と慈悲の少食』(白鳥哲監督)の主人公でもある。一日青汁一杯で生きる奇跡の人――で、森美智代さんはメディア的には最も有名な存在かもしれない。体験記の著作はもとより、映画化もされているので、断食療法や生菜食療法、少食などを検索していれば必ず探し当たる人でもある。そんな森さんは、最初から食べることを「やめた」わけではない。そこには、21歳で襲われた不治の難病「脊髄小脳変性症」との壮絶な体験があったのだ。「余命5年、現代医学では助からない」と宣告された森さんは、絶望の淵から藁をも掴む思いで、断食療法を実践指導する甲田光雄医師のもとを訪ねた。甲田医師は、「おなかにガスがたまっているのが原因。だから断食すれば治る」と告げた。かくしてそこから、玄米菜食、断食、生菜食、少食療法、西式健康法・・・などによる闘病が始まった。病状は一進一退を繰り返しながらも、次第に回復していった。そして、最後に甲田式「生菜食療法」を開始――1日青汁1杯のみの生活になってからは丸16年を超えている。
◆森さんの現在の食事(一日一食)
【青汁】キャベツ:30g レタス:30g シロナ:30g ホウレンソウ:30g チンゲンサイ:30g 水:200ml 塩:3g※これらをミキサーにかけ、網でこして飲む。
・柿の葉茶:1~1.5リットル(1日あたり)
・エビオス(整腸用):20錠
・スビレン(藻から精製した錠剤):20錠
・ビタミンC剤:1錠(1000mg)森さんが玄米生菜食療法で治療を始めた当初のカロリーは、一日900カロリーだった。従来の「近代栄養学」では、成人女性は2000キロカロリーが必要とされ、1200キロカロリーを切ると次第に痩せて衰弱し餓死に至る、が定説とされる。なんと森さんは、それより低い900キロカロリーの食事でも体重が増えるので、玄米粉を抜いて野菜のみし、650キロカロリーにしたものの、ランニングで10㎞も走れたという。それでも体重が増えるのでさらに減らし、最終的には青汁一杯(50~60キロカロリー)になり、16年が過ぎた。“カロリー神話”がまさに神話化された実証である。人は50キロカロリーの超低カロリーでも充分に元気に生きられるのである。但し、森さんのようなケースは、長い年月をこの療法に専心して次第に身体が適応していったものであることは、明記しておくべきことだ。
◆科学が証明した驚くべき消化吸収機能
・まるで牛のような腸内細菌 森さんの腸内細菌を調べると、人間離れして特殊な細菌が多く、種類とバランスも桁外れに特殊のようだ。まず、植物の繊維を分解してアミノ酸を作り出す菌の「クロスリジウム」は、一般の人の腸には0.1%程度のところ、森さんの腸にはそれより100倍近い9.8%もいたという。他にも「ユーバクテリア」などの植物の繊維を分解できる菌は、普通30%くらいのところ、森さんは約60%だった。つまり、森さんの腸内細菌の機能はまるで「人間離れして牛並み」に、青汁の中の食物繊維まで分解して、たんぱく質や脂肪を作り出し、普通はダイエットのためのヘルシーフードである青汁を、しっかり栄養源にしているということだ。森さんの腸内の細菌構成は、イモ類などの植物性食品しか食べない、パプアニューギニアの人たちに近いという。さらに、生菜食や少食実行者は、普通なら捨ててしまう尿素を再利用し、栄養源として使うという研究結果もある。
◆ブドウ糖不足をまかなうケトン体が「強陽性」◆身体は飢餓状態に陥ったとき、体内にエネルギー源がなかったり不足していると、その代用として脂肪酸やアミノ酸の代謝産物の「ケトン体」を多く出す。糖尿病の人などは、ケトン体が多いのは危険とするのだが、森さんの場合は不調はない。断食をすると2~3日でケトン体が増えることはわかっている。これは、ブドウ糖が不足・欠乏しているとき、ケトン体であるアセト酢酸やβ-ヒドロキシ酸が、脳のエネルギー源として使われているからだ。つまり、超少食実行者の糖質摂取量の不足は、脳のエネルギーの低下を起こすことなく、かえって頭が冴え、脳の働きが活発になるという報告は、逆にこのブドウ糖不足を補う機能として、ケトン体の存在があるということだ。身体には、非常時に実に優れたバックアップ機能が用意されているものだ。ひょっとすると、これは脳を通じた意識の覚醒には、「超少食」が大きな鍵になる可能性が高いのではないだろうか。逆に、現代が陥っている飽食の欲の充満した食生活は、脳の活性を落とし、よって意識の低迷化を招いている元凶かもしれないということだ。古今の霊的覚者が必ず断食行を取り入れていたのは、ある意味、この脳の覚醒の為の体内バックアップ機能をONにして、有効化するためのものだったかもしれない気がする。現に森さんは、野菜や人のオーラが見えるようになり、ヒーリング能力も飛躍的に高まり、遠隔治療さえ可能になっている。また、手が自分の意志とは別に勝手に文字を記録するいわゆる“自動書記”も起こっているという。身体の健康度も高く、疲れを知らない身体になり、睡眠は一日4時間で足りるようになったとも。
 2008/04/15『「食べること、やめました」―1日青汁1杯だけで元気に13年』マキノ出版 森 美智代:著
 2013/11/28『「食べない」生き方』サンマーク出版 森 美智代:著
 映像◆映画『不食の時代―愛と慈悲の少食』予告編(2分バージョン)http://www.youtube.com/watch?v=fsxug-12fz0
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●山田鷹夫(やまだ たかお)
「食う・寝る・やる」という人間の根源的欲求の真の姿形求め、自分をさらした実験に挑み続ける実践思想家。「当たり前」を破壊し、「常識」を疑うことで、人間の新しい可能性をメッセージしてきた。デビュー作『人は食べなくても生きられる』で提示した「不食」という概念は、広く日本中に知られ、多くの共感者を生んだ。1951年新潟県生まれ。身長173ンチ。体重63キロ。髪型はスキンヘッド。そのスキンヘッドで精悍な風貌からしてもユニークな山田氏は、「不食」に関する言説でも、実にユニークで刺激的なメッセージを体験から発信してくれる。自ら“実践思想家”を名乗るほど、当たり前という常識を覆して、真実の世界を開く道を提案する迫力ある人物だ。山田氏が不食の探求を始めたのは、新世紀に入った2001年の7月からだ。氏は、「断食」という用語に対して新しい概念の「不食」という用語を作り出した。これが今では広く行き渡り、「少食」「微食」「不食」という用語は既に市民権を得ている。氏は4年間の実践探求の末、不食のもたらす効用は以下のものと記した。
 01. 頭が冴える
 02. 身体が軽くなる
 03. やる気が出てくる
 04. 疲労が消える
 05. 病気・不調が消える
 06. 眠くならない
 07. 肌が柔らかくきれいになる
 08. 柔らかい身体になる
 09. 老化を遅らせることになる
 10.免疫力が高まる  氏は、さらに不食の次なる可能性を“疲れない身体をつくること”に向け、疲れない生き方は結果、老いない身体へとつながると述べている。それにはまず、
●不食で疲れない体質を作っておく●疲れない体質とは精妙な細胞を持った身体のことである。精妙体の細胞は疲れを持たない。
●心的な苦痛や痛みは物質化する●だが、不食体は、その細胞がない。肉体の疲労を疲労として身体に刻む細胞が疲労を感知しないのだ。疲労を素通りしてしまう。
●肉体疲労がなくなるから、疲労回復機能としての睡眠は不要になる●よって、眠ってもいい、眠らなくてもいい、そして、食べなければならないでもなく、食べてはならないでもなく、どちらでもいい自由な身体で、この地球生活を颯爽と渡っていくことだと言う。そして、「不食」の彼方にあるものは、・・・。一つには、人間存在は肉体がすべてではないということ。しかも、それを検証するのは、今までは頭を使うしかなかったが、不食が登場したことにより、誰もがそれを検証でき体験できるところまで辿り着いたということだ。それを教えてくれる指導者もいらず、自分の身体があればそれで不食を通して人間の真実を体験できる。二つめに不食の結果、必ずついてまわるのが、今までなかった超常的能力の発露だ。これは元来、その個人に密かに備わっていたものが、不食を通じて開発されて来たものであり、この授かっていた能力を生かす道が新たな人生を開いていくこともありうる。不食は今の段階では、人間存在が肉体のみでなく、無限の存在であるということを体験的に実証できる唯一のツールである。
 2004/10『人は食べなくても生きられる』三五館 山田鷹夫 著
 2006/06『不食実践ノート―食べずに暮らす人たちの記録』三五館 山田鷹夫 著 - つづく -
【話題作】「「食べない」ひとはなぜ若い? 空腹でオン!「長寿遺伝子」の驚異」を世界一わかりやすく要https://youtu.be/lkDgEd1MC4s
 https://martin310.exblog.jp/19628968/

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 ┃松本明子放送禁止用語絶叫事件┃
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‡1984(昭和59)年03月31日(土)放送 当日はニッポン放送の深夜番組
『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』とのドッキング放送(サイマル放送)となり
『オールナイトニッポン』用のアナブースをフジテレビ第4スタジオ内に設置、オールナイトニッポンはそこから(番組が終了する午前5時まで)放送されていた。テレビとラジオのサイマル放送時、ラジオブース内でANNのDJ・笑福亭鶴光や鶴太郎らにそそのかされた松本は鶴光の“4文字の言葉を何か言うてみぃ”という質問に対し、4文字の放送禁止用語を発言して問題となり(この発言は放送翌日の新聞社会面にも掲載された)、以後半年間タレント活動を自粛し謹慎させられることになった。復帰後は再びオールナイトニッポンに出演するなど、タレントとして変わらず活動を続けている。一方で、この騒動の“主犯格”とされた鶴光は、その後の長い間に亘り、関東圏のテレビ局からは仕事こそ来るものの、生放送の仕事が中々回ってこなかったといい、本人もオールナイトニッポンの最終回などでその事を度々語っていた。
‡1984(昭和59)年03月31日(土)に『オールナイトフジ』(フジテレビ)と『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(ニッポン放送他全国で放送)の同時生放送で、笑福亭鶴光と片岡鶴太郎が『付き合っている男の名前をバラされたくなかったら、テレビカメラに向かって「おまんこ」と言ってみろ、一躍有名になれるぞ』と言われて、松本明子は「おまんこ」と言ってしまった(松本明子は四国出身なのでおまんこの本来の意味を知らなかった)。この影響で、しばらく芸能活動を自粛。同じ事務所の中山秀征からバライティ班に誘われて、「進め!電波少年」(日本テレビ系)で大活躍。現在に至る。パーソナリティの垣花正アナは、この放送事故が現在も伝説になっているのは当時のテレビのすごさ。今だったら、数カ月で消えていると話した。それだけ、当時のテレビはすごかったんだろう。自分も松本明子とは知らなくても、子どもの頃にこのような放送事故があったのは知っていた。松本明子がやったのを知ったのは、ビバリー昼ズを聴くようになってからだけど。
 ハプニング■https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%B8
 https://ameblo.jp/midori-gblog0201/entry-12650169592.html

 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃原爆ドーム Atomic Bomb Dome┃
 ┃ Hiroshima Peace Memorial ┃
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 1996(平成八)年12月07日(土) ユネスコ世界<文化>遺産登録
 1915(大正四)年04月05日(月) 竣工
 1915(大正四)年08月05日(木) 開館
 1919(大正八)年03月04日(火)「似島独逸俘虜技術工芸品展覧会」日本初バウムクーヘン製造販売
‡1944(昭和19)年03月31日(金) 奨励館業務停止、内務省行政機関・統制組合事務所開始
 1945(昭和20)年08月06日(月) 原子爆弾により被爆
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
②┃     厳島神社     ┃
 ┃Itsukushima Shinto Shrine ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
 1996(平成八)年12月07日(土) ユネスコ世界<文化>遺産登録
  管絃祭 旧暦 06月17日 
①https://www.hiroshima-navi.or.jp/post/006276.html
①https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%A0
②https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 映像◆HIROSHIMA CONNECTING WALL 広島駅ビル建替工事の壁面装飾 第1弾 HIROSHIMA PRIDE 2020年7月12日https://youtu.be/kSzBpnUlzU8
 2020(令和二)年07月13日(月) YouTube公開
 HIROSHIMA CONNECTING WALL第1弾 HIROSHIMA PRIDE
 2020(令和二)年07月12日(日)18時43分ごろ 広島市南区松原町 HIROSHIMA CONNECTING WALLとは、広島駅ビル建替工事の仮囲い壁面装飾。デザインコンセプトは広島駅が開業した1894(明治27)年~令和の時代の変遷・駅の歴史と、
 2025(令和七)年春新装オープンする明るい未来。その第1弾として
 2020(令和二)年07月10日(金)にお目見えしたのは「HIROSHIMA PRIDE(ヒロシマプライド)」。
 1945(昭和20)年08月06日(月)の原爆災禍から復興を遂げるストーリーです。2021年2月ごろまで掲載の予定とのこと。
 
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 広島駅ビル建替え工事「魅せる仮囲い」第2弾の実施について
 2020(令和二)年06月17日(水) JR西日本
 2020(令和二)年07月10日(金) HIROSHIMA CONNECTING WALL第1弾 HIROSHIMA PRIDE 開始
 2021(令和三)年02月XX日(X) HIROSHIMA CONNECTING WALL第1弾 HIROSHIMA PRIDE 終了
 https://www.westjr.co.jp/press/article/items/200617_00_kakoi.pdf
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 広島駅ビル建替え工事用仮囲いを「魅せる仮囲い」として活用
 2020(令和二)年10月16日(金) JR西日本
 2020(令和二)年11月20日(金) HIROSHIMA CONNECTING WALL第2弾 酒
†2021(令和三)年03月XX日(X) HIROSHIMA CONNECTING WALL第2弾 酒
 2020(令和二)年02月19日(金) HIROSHIMA CONNECTING WALL第2弾 酒
 2021(令和三)年05月XX日(X) HIROSHIMA CONNECTING WALL第2弾 酒
 https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201016_00_hiroshimaekibuildigl.pdf

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