映像◆The Beatles Magical Mystery Tour Filming: Fish 'N' Chips https://youtu.be/fa7cJ4d_Ch0
1967(昭和42)年09月15日(fri) 撮影映像
映像◆The Beatles Magical Mystery Tour - The Wizards Filming Session https://youtu.be/t9mcsmpnUPg
1967(昭和42)年09月20日(wed) 撮影映像
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┃『MAGICAL MYSTERY TOUR』┃
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1967(昭和42)年09月11日(mon) 撮影開始
1967(昭和42)年09月25日(mon) 撮影終了
‡1967(昭和42)年12月26日(tue) BBC1 白黒放送
1968(昭和43)年01月05日(fri) BBC2 カラー放送
1968(昭和43)年08月11日(sun) New York City:Fillmore East AM8:00&AM10:00
1975(昭和50)年01月10日(fri) アップルのオフィスで上映
1979(昭和54)年12月21日(fri) BBC2『ビートルズ・アット・クリスマス』までTV放映無
1993(平成五)年11月01日(mon) MTVヨーロッパ「ビートルズ・デー」の一部
https://en.wikipedia.org/wiki/Magical_Mystery_Tour_(film)
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┃『ビートルズのふしぎな旅』┃
┃ 『マジカル・ミステリー・ツアー』 ┃
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1968(昭和43)年10月10日(木) TBS 日本初放送 ちなみに……「日本での初OA時は放送事故があった」という伝説を、雑誌「レコード・コレクターズ」2012年11月号で大村亨という方が、見事に検証されています。
2012(平成24)年10月14日(日)25:35~28:00
2012(平成24)年10月15日(月)01:35~04:00
フジテレビ三夜連続企画《THE ROCK MOVIES》第一夜
1967:イギリスBBC『マジカル・ミステリー・ツアー』
2012:イギリスBBC『アリーナ:マジカル・ミステリー・ツアー リビジデッド』の2本をノーカット(ただしCMあり)放送
http://webneo.org/archives/5910
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┃『マジカル ミステリー ツアー』┃
┃ 『シェア スタジアム』 ┃
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2007(平成19)年11月20日(火) 今回は、
1977(昭和52)年08月28日(日) 有楽町は数寄屋橋横、丸の内ピカデリーの地下にあった丸の内松竹で見たビートルズ「シェア スタジアム マジカル ミステリー ツアー」豪華2本立ロードショーのプログラムから全ページを載せました。まあ、プログラムそのものも250円で16ページというペラペラのものですから省略のしようがないといったところ!?今年もこの時期になるとビートルズものが多数リリースされます。そんな中、先日購入した「ヘルプ!4人はアイドル」のデラックス・エディションはすごい!! とくに写真集がすばらしかったですね。その他附随するグッズも良い!! 値段も高いですが、ずっしりとした豪華感!? は十分でした。そこでビートルズ映画といえばこれがあったではないですか!! 当時、解散してから7年とはいうものの、この年ビートルズのライブ・アルバムも発売されグループの人気は高まる一方。そこで「シェア スタジアム」のライブ映画と「マジカル ミステリー ツアー」を2本立で公開するという暴挙!? いや、快挙にうって出た松竹さん!! わたしのように伝説の世界でしか知らなかったシェア・スタジアムの全貌、マジカルの映像が見られるとあっては、映画館に行かないわけにはいかなかった!!と、勇んで見たはいいがこれまた今となってはこの映画自体の記憶はほとんどないですね。お客さんも満員というわけでもなく、ライブのほうもレコードを流した疑似ライブだったように感じました。でも、映像は映像なのでファンの反応のすごさには圧倒されましたけど。マジカルは、放映当時不評だったというのもわからなくはない出来。ちょっとフェリーニの映画みたいでおもしろかったことはおもしろかったですが。ビートルズのライブ史の中、重要な位置をしめるシェア・スタジアムでのライブ。現在では「アンソロジー」でより美しい映像によるライブが全体の半分ぐらい見られます。演奏も詳しくはわかりませんがライブ録音のようです。それでも映像と違和感があるので、わたしが映画館で見た時も疑似ではなく実際にこの音だったのかもしれません。また、後年「シェア スタジアム」はビデオでも発売されていたようですが、現在では当然のように存在しません(と思いますが)。「マジカル ミステリー ツアー」の方はOK!! そのうち豪華絢爛!? のデラックス・エディションなんてのも出てくるでしょう!! プログラムは素材があまりなかった(使えなかった)のか、デザインの苦労がしのばれます。立川直樹さん、石坂敬一さん2人の文章も当たり障りのないものに。それでもビートルズの4人が写っていればカッコイイネ!!
http://mamedama2.cocolog-nifty.com/rockpop_park/2007/11/post_900d.html
【ビートルズ最大の失敗作】マジカル・ミステリー・ツアー
「永遠に10年早い映画」「名高いビートルズの音楽に申し訳程度の映像がおまけ」「ビートルズの“マジック”は失敗」「愚かなホーム・ムービー 伝説の終焉」など散々な評価をされたビートルズのテレビ映画”マジカル・ミステリー・ツアー”とは何なのか?
2013(平成25)年05月25日(土) 更新日
https://matome.naver.jp/odai/2136911843869313301
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┃THE BEATLES America Single Release┃
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01.1963(昭和38)年02月07日(thu) 1 1 VEE-JAY VJ-498 ♪Please Please Me♪(1)/♪Ask Me Why♪
01.1963(昭和38)年02月25日(mon) 1 1 VEE-JAY VJ-498 ♪Please Please Me♪(1)/♪Ask Me Why♪
01.1963(昭和38)年02月20日(wed) 1 1 VEE-JAY VJ-498 ♪Please Please Me♪(1)/♪Ask Me Why♪
■発売日別説 2/20■http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single_noncapiol_vj.html##1-1
02.1963(昭和38)年05月27日(mon) 2 2 VEE-JAY VJ-522 ♪From Me To You♪(1)/♪Thank You Girl♪
02.1963(昭和38)年05月06日(mon) 2 2 VEE-JAY VJ-522 ♪From Me To You♪(1)/♪Thank You Girl♪
■発売日別説 5/6■http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single_noncapiol_vj.html
03.1963(昭和38)年09月16日(mon) 3 1 Swan 4152 ♪She Loves You♪/♪I'll Get You♪(1)【米;2週1位】
‡04.1963(昭和38)年12月26日(thu) 4 01 Capitol 5112 ♪I Want To Hold Your Hand♪/♪I Saw Her Standing There♪【米;7週1位/14位】
*************************** http://www.uta-net.com/song/8783
http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81
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■1964(昭和39)年04月04日(土)、前人未到の記録が生まれました~ビルボードのチャートを独占!
1964(昭和39)年04月04日(土) 半世紀前、"Billboard Hot 100"に措いてビートルズは、前人未踏の1位から5位を独占という快挙を成し遂げました。この快挙は、当時のビートルズ人気の凄まじさを語る時に必ず話される有名な出来事です。この5曲以外にも7曲が100位以内にチャートインしています・・・
1964(昭和39)年04月04日(土)付 Billboard Hot 100
01.♪Can't Buy Me Love♪
02.♪Twist & Shout♪
03.♪She Loves You♪
04.♪I Want To Hold Your Hand♪
05.♪Please Please Me♪
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
31.♪I Saw Her Standing There♪
41.♪From Me To You♪
46.♪Do You Want To Know A Secret♪
58.♪All My Loving♪
65.♪You Can't Do That♪
68.♪Roll Over Beethoven♪
79.♪Thank You Girl♪ しかし、いくらビートルズ人気が爆発という状況だったとはいえ、このチャートは異常です!何故、このような奇跡的なことが起き得たのでしょうか? この奇跡が起きた理由は?ビートルズはアメリカ進出を試みるも、大手レコード会社(Capitol)から相手にされず、初めの内は小さなレーベル(Vee Jay など)からやむ得ずリリース。弱小レーベルの為、全く宣伝もされず、英国でヒットした曲たちは話題にもなりませんでした。それは、リリースされたという実績だけを積み重ね、“埋没されるという状況”を生みつつありました。そんな中、「抱きしめたい」の突然のブレイクで、以前にリリースされていた曲が一挙に引きずられようにヒット・チャートを駆け上ったわけです。しかも、『チャンス到来!』とばかりに、可能な限り、シングル盤をリリースした結果が、このような奇跡を生み出しんですね!
1963(昭和38)年02月25日(mon) Vee Jay♪Please Please Me♪ / ♪Ask Me Why♪
1963(昭和38)年05月27日(mon) Vee Jay♪From Me To You♪ / ♪Thank You Girl♪
1963(昭和38)年09月16日(mon) Swan♪She Loves You♪ / ♪I'll Get You♪
1963(昭和38)年12月09日(mon) Capitol♪Roll Over Beethoven♪ / ♪Please Mr. Postman♪
‡1963(昭和38)年12月26日(thu) Capitol♪I Want To Hold Your Hand♪ / ♪I Saw Her Standing There♪
1964(昭和39)年01月30日(thu) Vee Jay♪Please Please Me♪ / ♪From Me To You♪
1964(昭和39)年01月30日(thu) Vee Jay♪Ask Me Why♪ / ♪Anna♪
1964(昭和39)年02月04日(tue) Swan♪Komm, gib mir deine Hand♪(ドイツ語) / ♪Sie liebt dich♪(ドイツ語)
1964(昭和39)年02月17日(mon) Capitol♪All My Loving♪ / ♪This Boy♪
1964(昭和39)年03月02日(mon) Tollie♪Twist & Shout♪ / ♪There's A Place♪
1964(昭和39)年03月16日(mon) Capitol♪Can't Buy Me Love♪ / ♪You Can't Do That♪
1964(昭和39)年03月23日(mon) Vee Jay♪Do You Want To Know A Secret♪ / ♪Thank You Girl♪
こういった快挙はもう生まれない!現在のようなネット社会では、他国で流行ってる音楽などリアルタイムで耳にする事が出来ます。このようにヒット曲が知られることなく“溜め置かれる”ことなど考えにくい為、二度とこのような状況は生まれないでしょう!
http://magicaldoor2009.blog63.fc2.com/blog-entry-650.html
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┃ 『ザ・ビートルズ 解散の真実』 ┃#16
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛November 09, 2017 俺のお勧め本。再度、読みながら音楽的なヒントがあれば……。
『ぼくらのアイドル』
‡1967(昭和42)年12月26日(火)、ビートルズが自らプロデュース、脚本、監督を手がけたTV映画『MAGICAL MYSTERY TOUR』がBBCで放送される。
実質的に、『MAGICAL MYSTERY TOUR』はポールの作品だった。コンセプトを考案し、撮影を監修し、編集という退屈なプロセスを耐え抜いたメンバーもポールだけだった。
しかし、この作品は過去十八ヶ月のあいだにポールが獲得していた確固たるリーダーの地位を脅かすほど酷評される。
MTVのない時代、シュールなビデオクリップ集として観る準備のできていない大衆には難解だったのと、白黒で放送されたことが災いした。
現在では再評価されている。
ジョンは、よく言っていた。
「このグループのリーダーはオレだ!」
それに対して、ポールは、
「それは単純におまえがみんなより声がデカいからだろ!」
と応えた。
この短いやりとりに、ビートルズのジョンとポールの立場が集約されている。ジェフ・エメリックはじめ、ビートルズの制作現場にいた人間は、ビートルズの実質的リーダーは最初からポールだったという。
良い意味でも悪い意味でも、バンドとしてのビートルズの中で、ジョンはリーダーにはなり得ない。ジョンの興味は自分と、半分が自分であるレノン=マッカートニー ソングライティングチームにしかなかった。
そもそもビートルズに興味はないのだ。自分の作品、そしてレノン=マッカートニーの作品が、自分のイメージ通りにいくことにしか興味を持てない。
だからビートルズを客観的に評価することもできない。生前『ビートルズは、ジョージとリンゴは関係ない。オレとポール』というような発言を真面目にしてしまうのも、そういった彼の特性を如実に表した発言だろう。
ジョンはミュージシャンというような枠組みでは収まらない大天才で、ロック詩人、アーティスト、そして、ヨーコとの共同作業に入るまでは、孤高だった。
そして、ジョンは自分の持つイメージを、具体的にメンバーに伝えることができない。『おがくずの匂いがするサウンド』とか『ダライ・ラマが山の上から唄っているように』という表現しかできないのだ。
結局は、ポールがサウンドをまとめていくしかなかったし、サウンドを自ら追求できるのもポールだけだった。ジョンは、「後は頼む」というタイプだった。
しかし、ジョンにはポールには決して出来ない、そして重要な才能があった。
サウンドや曲の仕上がりが、良いのか悪いのか、それを動物的に判断できるジョンの能力をポールは100%信頼していた。I Saw Her Standing ThereやHey Judeでのジョンの判断に、ポールが素直に従ったのも、そういう信頼があったからだ。
一方、制作現場を離れた集団としてのビートルズの中では、完全にジョンがリーダーだった。リーダーというよりボスといった方が良いだろう。
声のでかいボスに誰も抗えない。しかし、制作現場ではジョンが「リーダーは俺だ」と言わなければならなかった。それは、ジョンは適切かつ具体的な指示を出すことが出来なかったためで、音楽という領域に限定した場合、誰にも敵わない才能に恵まれたポールに、自然と主導権が渡っていった。
ポールは、述懐する。
「リーダーでいることにこだわっていたのは、ジョンだけだった」
ポールは、ジョンとビートルズの一番のファンだということを自認している。集団であるビートルズとバンドであるビートルズを峻別出来ないジョンには、スタジオでリーダーシップを取れないことに不満があったのだろう。
一方、ポールはジョンの大ファンであり、また、類稀なる才能と自信のなさを併せ持つ人間だったので、ジョンに褒めてもらうことだけを純粋に求めていた。
ジョンの作品でポールのベースは比較的おとなしい。それは、ジョンの作品でベースが弾けることだけでポールは満足なのだ。
ポールの名演がジョージの作品に多いのは、格下に見ていたジョージの作品の時は、ポールの自信のなさが顔を潜め、最高のビートルズ作品のために集中出来たからだろう。
一方、ジョンがジョージを強力にアシストするような作品はない。自分とレノン=マッカートニー以外に興味のないジョンには、たとえジョージであっても協力する気にはならない。
ジョン自身が気づかずに語っているが、Taxmanで、ジョージは作品に対するアイデアを「電話」で求めた。ジョンは渋々、それに応じる。
ジョンの才能は誰もが認めるが、その才能を分け与えることには消極的だった。それは、ジョージの作品が、自分の作品でもレノン=マッカートニーの作品でもないからだろう。
リンゴに対しては、無条件に愛情を注いでいたので、惜しみないが、その愛情はリンゴが自分を脅かす存在ではなかったからだ。
逆にいうと、ポールが自他共に認めるビートルズのリーダーになれたのは、ジョンの声が小さくなったからだ。それはジョンが完全にビートルズに興味を無くしたということを意味する。
幼い頃からの教育と習慣で、ポールは仕事をやめられない。常に働いている。
そしてジョンがビートルズから興味をなくせば、ポールのリーダーシップは制作現場にとどまらなくなる。
『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』発案し、ビジネス帝国を作り、『MAGICAL MYSTERY TOUR』を制作する。
Apple Corpsの広報担当トニー・バーロウは振り返る。
「ジョンは仕事を嫌っていた。彼にはMTVレヴェルの集中力しかない。すぐに退屈して、曲だろうとビジネス上の取引だろうと、すぐにわきに投げ出してしまう。ポールのほうがずっと几帳面に仕事を進めるタイプだった。毎日きちんとオフィスに来るのが好きだったんだ」
ジョンは、マジック・アレックスを弁護するあまり、あるいは背広を着た連中に我慢がならなくなって、しばしば癇癪を爆発させ、その後はほとんど鬱病に近い状態に陥り、いっさいのやる気をなくしていた。
バーロウは語る。
「四人の中ではジョンがいちばん声が大きかったから、とりあえず、リーダーとして受け入れられていたんだ。でも、ビートルズの中でいちばん説得力があるのはポールだったし、ブライアン・エプスタインに対して力を持っていたのも彼だった。それはすぐにはっきりしたね。ジョンがいくらわめき立てても、彼の思い通りにはならなかった。でもそこでポールが、ジョンの言っていたことは正しいんじゃないかとブライアンを説得する。グループの中でも外でも、ポールはとてもたくみに人間関係をさばいていたね」
ジョンとポールの関係は、ジョンの優位性を基盤としている。そしてポールもそれを受け入れている。
「ぼくはいつも彼をアイドル視していた」
そうポールは言う。
「彼はぼくらのアイドルだった。僕ら自身のちょっとしたエルヴィス……ぼくらにとってはつねに仰ぎ見るような存在だった」
別のインタビューで、ポールは、ごくたまに自分のアイドルであるジョンが自分の才能を認めてくれる瞬間のために、生きているようなものだったと打ち明けている。
「二番手でいることを、ぼくは大いに楽しんでいた」
そうも語る。
ジョンといない時のポールは、常に一番手として認められることを求めた。恋人たちからも、雇い人たちからも。それでもポールはジョンへの従属をすることで、他の場所で一番手でいることでは得られない充足感を得ていたのだ。
ジョンのリーダーとしての地位は、ポールをはじめとする、ビートルズの取り巻きたちのジョンに対する思慕の上に成り立っていたが、そのことにジョン自身は気づいていなかった。
ジョン自身は、デカい声を出して、相手を屈服させることでリーダーの地位を守ろうとしていた。
"Free As A Bird"でのビートルズの再結集でも、ポールのベースはおとなしい。そのおとなしさがポールのジョンへの愛情と従属が、今でも変わらないということを如実に表していることを、もはやジョンは気づきようもない。
https://ameblo.jp/thebeatles-works/entry-12326910530.html?frm=theme